チリ映画『そこから泳いで、私の方へ』鑑賞記*SSIFF2025 ㉑ ― 2025年10月24日 15:33
ドミンガ・ソトマヨールの新作「Limpia」のストリーミング配信始まる

★第73回サンセバスチャン映画祭オリソンテス・ラティノス部門オープニング作品「Limpia」が、予告通り『そこから泳いで、私の方へ』の邦題で配信が始まりました。ドミンガ・ソトマヨールの第4作め、良し悪し、白黒がはっきりする映画を好む人には不向きです。伏線やメタファー、謎解きがお好きな方にはお奨めします。以前、簡単ですが監督のキャリア&フィルモグラフィーとして、デビュー作『木曜から日曜まで』と、第2作め「Mar」の紹介記事をアップしています。新作はサンセバスチャン映画祭オリソンテス・ラティノス部門のオープニング作品です。映画祭には監督以下、主役のマリア・パス・グランジャン、製作者のフアン・デ・ディオス・ラライン、ロシオ・ハドゥエ、脚本家ガブリエラ・ララルデ、子役の演技指導者マリア・ラウレ・バーチなど大勢が参加した。

(ドミンガ・ソトマヨール、SSIFF2025、フォトコール)
*『そこから泳いで、私の方へ』の作品紹介は、コチラ⇒2025年09月16日
*『木曜から日曜まで』と「Mar」の紹介記事は、コチラ⇒2015年03月04日

(左から、ロシオ・ハドゥエ、ガブリエラ・ララルデ、ソトマヨール監督、
マリア・パス、マリア・ラウレ・バーチ、フアン・デ・ディオス・ラライン、SSIFF25)
★作品紹介でも書きましたように、アリア・トラブッコ・セランの2022年に刊行されたベストセラー小説 ”Limpia” にインスパイアされて映像化されました。小説と映画の構造の大きな違いは、小説が6歳の少女フリアの悲劇から始まっていることです。チリの階級社会を背景に「見えない存在である」家政婦エステラと両親から「見捨てられている」と思っているフリアの孤立と依存、親密で不穏な世界が語られます。基本データとして、キャストとストーリーを再録しておきます。


(小説の表紙と原作者アリア・トラブッコ・セラン)
キャスト:マリア・パス・グランジャン(グランジーン、家政婦エステラ)、ロサ・プガ・ヴィッティニ(フリア)、イグナシア・バエサ・イダルゴ(フリアの母マラ)、ベンハミン・ウェストフォール(父クリストバル)、ロドリゴ・パラシオス(カルロス)、オティリオ・カストロ(警備員イバン)、マリア・トーレス(エステルの母親)、他多数
ストーリー:チリ南部チロエ出身のエステラは、首都サンティアゴの裕福な家族のメイドとして働くため家族を残してやってきた。エステラは家事労働のほか乳母として6歳のフリアを昼夜を問わず世話しなければならない。二人の絆が強まるにつれ、関係は複雑になり、依存しあう秘密の世界を築くことになる。エステラの孤独はやがて避けられない結果を招くことになるだろう。現代のチリ社会の階級社会、文化と社会システムの暗い大きな傷のメタファーが語られる。
「他人のために生きる人」と「自分のために生きる人」の相克
A: アリア・トラブッコ・セランの原作 ”Limpia” にインスパイアされた映画ですが、サンセバスチャン映画祭でのプレス会見によると、そもそもの始りはラライン兄弟の制作会社「Fabula ファブラ」からの働きかけであった。ソトマヨール監督は未読だったらしく「小説を読んで、小説に隠されているものが私の映画に合うかどうか判断したい」と返事した。
B: 気に入って映像化を決心したが、小説を脚色して映画化するつもりはなかった。
A: 小説と映画はそもそも別の形式のものだから、最初にストーリーの大幅な変更を原作者にも伝えたという。監督は「ファブラ」に先ず共同脚本家が必要だと話し、その結果、ガブリエラ・ララルデと共同で執筆することになった。アナイ・ベルネリの「Elena sabe」(TVドラマ、23、Netflix『エレナは知っている』)や、SSIFF2024オリソンテス・ラティノス部門ノミネートの「El aroma del pasto recién cortado」をセリナ・ムルガ監督と執筆している。
B: 監督は今まで自身のオリジナル脚本で撮っていたので、共同執筆は初めてのようです。
A: 小説のエステラは、既にこのブルジョア階級の家庭で7年間の人生を送っていて、小説は映画とは反対に「フリアの悲劇」から始まっている。
B: 雇用主は自分たちに子供が生まれるので〈nana ナナ〉としてエステラを雇ったように推測します。
A: チリと言わず南米全般に言えることですが、〈nana〉という職業は、家事労働者としてのメイドと四六時中子供の世話をしなければならない乳母を兼ねている。時代によって仕事の内容は少しずつ変化しているようですが、ナナは映画でも垣間見られるように自由度が少なく、自分が属していない世界に閉じ込められている。
B: 主に地方出身の貧しい家庭の女性たちが担っている。エステラも故郷に一人暮らしの母親を残して出稼ぎに来ている。その母親の怪我の手術にも帰郷できないで苛々している。帰られては困る雇用主夫婦の上から目線の尤もらしい言い分にナナの置かれている厳しさが分かります。
A: 従って「他人のために生きる人」であるエステラと、「自分のために生きる人」たちである夫婦の対立の物語でもある。他人の家庭に入り込むわけだから、当然秘密を知ることになるが、「守秘義務」を契約させられている。
B: フリアの母親であるイグナシア・バエサ扮するキャリアウーマンのマラは、学歴のないエステラを見下している。実家の母親の大したことのない病気でも帰ることができた。

(マラ、フリア、エステラ)
似た者同士のエステラとフリア、ボスはフリア
A: 夫婦の邸宅は「保護された居住区」にあり、入り口では警備員が目を光らせている。城壁や電気柵で囲まれているわけではないから侵入しようと思えば可能です。
B: 実際、劇中でも強盗事件が挿入されていた。アルゼンチンやメキシコの映画に出てくるブルジョア階級の居住区は、もっと厳重にテロや強盗を遮断していた。
A: マルセロ・ピニェイロのサスペンス『木曜日の未亡人』(09)では居住区は高い城壁で囲まれていたし、ロカルノ映画祭2008で金豹賞を受賞したエンリケ・リベロの『パルケ・ヴィア』では、上流階級の邸宅は高い石塀の上に電気を流した鉄条網が張り巡らされていた。主人公はこの邸宅を一人で守る警備員でナナと同じように「自分が属していない世界」に閉じ込められていた。
B: 唐突な結末に衝撃を受けた『パルケ・ヴィア』と同じく、本作の結末に戸惑った人が多いと思う。
A: ドラマは不穏な雰囲気ながらゆっくりしたペースで進み、最後の数分で急展開、唐突に終わる。巧みに張られた伏線を見落とさなければ、ある程度予測できますが唐突です。エステラとフリアが属している階級格差がテーマの一つですが、監督はチリの上流階級を批判する映画を作ることに興味がない。つまり二人の権力構造、依存、絆と孤立という複雑な人間関係に焦点を合わせている。
B: エステラを演じたマリア・パス・グランジャンは、プレス会見にも監督と同席してチリの女性たちが置かれている現状を語っていた。彼女の母親は子供の学費のために働いていたというから監督とは別の階級のようです。チリには仕事を持つ母親をフォローする制度はないとも語っている。
A: 達者な演技でエステラと対峙したフリア役のロサ・プガ・ヴィッティニを、どうやって探したのか。
難しい役柄だからキャスティングには苦労したそうです。「ファブラ」が行った公開オーディションで沢山の少女に会ったが見つからず、結局監督の母親の友人のお孫さんロシータに決まった。監督のお母さんは女優だそうで、彼女の映画のキャスティングは「ほぼ母親です」と語っている。父親も俳優、フィルム編集者、助監督とシネアスト一家です。

(マリア・パスとソトマヨール監督、SSIFF2025、フォトコール)
B: 劇中のマリア・パスとロシータは息があって、特にロシータが時折り見せる大人のような複雑な表情に驚いた。
A: 監督も「背の高い少女と背の低い少女二人」の演技を賞賛している。背の高い少女マリア・パスも「とても若くて才能のある女優との共演は勉強になった」と、若いライバルを褒めている。
B: 親密だが常に不穏な空気が漂っている。二人は秘密を共有し、エステラは雇用主に、フリアは両親に尤もらしい嘘でガードしている。
A: エステラは「見えない存在」で、当然「不満を抱えている」が、一方フリアも両親から「見捨てられている」と思って「不安を抱えている」少女、二人は似た者同士ということになるが、あくまでも上位者はフリアである。プレス会見でマリア・パスは、エステラは「毎日上司のもとで上司の世話をしている。友好関係にあるが、フリアがボスであることに変わりない。彼女を世話することで給料を貰っている。少女が助けを必要としているのは、両親に置き去りにされているから」とナナと少女の関係を分析している。


(秘密を共有しているエステラとフリア)
B: エステラも複雑な人物だが、フリアはもっと複雑な子供、他の子供と遊べない、大人であるエステラといるほうがいい。お隣りからピザパーティの誘いを受けても断る、他の子供は煩いだけ。
A: だからエステラに予期せぬボーイフレンドが現れると不安になり嫉妬する。このカルロスの登場はドラマに不穏な空気を呼び込んできます。
カルロスとダドゥの登場――「恋に落ちない」お守りの神通力
B: ロドリゴ・パラシオス演じるカルロスというボーイフレンドができると、二人の関係に微妙な亀裂が走るようになる。さらにカルロスにまとわりつくダドゥという野良犬のおまけつき。
A: エステラは恋に落ちては仕事が続けられないから、「恋に落ちないお守り」を持っている。彼女の仕送りで辛うじて生きている母親のために仕事を失うわけにいかない。しかし神通力が衰えたのか偶然カルロスに出会ってしまう。ダドゥも重要な登場人物の一人というか一匹です。二人の登場で、ゆったりしたストーリーが動き出す。

(カルロスとエステラ)
B: ナナは了解なしに勝手に他人を自室に入れることはできない。ましてや野良犬などもってのほか、エステラはナナの基本を少しずつ逸脱していく。
A: ダドゥの事故死がきっかけでドラマは破局に向かうわけですが、〈死〉は常に見え隠れしていた。例えば、小児外科医らしい父親クリストバルの患者の少女がオペの甲斐なく死亡する、エステラの母親、ダドゥなど。
B: 母親の死でエステラの我慢が爆発する。エステラの帰郷が分かるとフリアは動揺する。
A: 少女はエステラと共有していた秘密を母親マラに漏らす。母親が亡くなってエステラもこの家でナナを続ける理由がなくなり妥協しない。マラもクリストバルもナナは必要だが、エステラでなくてもいい。

(撮影監督バルバラ・アルバレスが手掛けた映像美)
B: 映画だけにあるのがポピュラーソング、フリアが恋の歌を歌っている。
A: エステラが聴いている歌を意味も分からず覚えて歌っている。上流階級はクラシック一辺倒でポピュラーソングなど論外、両親は勿論知らない。監督はカミラ・モレノのミュージックビデオを制作しているプロ、ポピュラーソングが大好きで挿入したようです。
B: エステラの孤独や優しさが分かる仕掛けでもあるようです。
チリ映画の展望――映画製作センターの設立
A: 監督が映画を学んでいた頃は、チリの人はチリ映画など誰も見なかったという。映画製作センター CCC が創設され、そこで作られた映画が注目されるようになり観客も増えてきている。1年に100作くらい製作され、なかで上映の可能性がなくても若い女性監督やプロデューサーが輩出してきているという。そうなると観客の目も肥えてくる。
B:「ファブラ」の存在が大きいですね。本祭でもメキシコより話題作が多く、チリ映画はディエゴ・セスペデスの「La misteriosa mirada del flamenco」と、未紹介でしたがナイラ・イリッチ・ガルシアの「Cuerpo Celeste」の3作がノミネートされていた。
A: しかし政治的しめつけは変わりなく戦々恐々としてるのが現状のようです。国家が文化にお金を払いたくないのは万国共通、監督も「チリで映画を作るのは、実のところ波瀾の連続」と語っている。
B: 差別と不寛容の国と揶揄されるチリ、今後も才能流失は避けられません。
★参考作品
*セリナ・ムルガの「El aroma del pasto recién cortado」は、コチラ⇒2024年08月20日
*セバスティアン・シルバの『家政婦ラケルの反乱』は、コチラ⇒2013年09月27日
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