ルイス・ガルシア・ベルランガの 『カラブッチ』 ― 2020年06月03日 16:04
(『カラブッチ』のポスター)
★今回のスペインクラシック映画上映会には選ばれませんでしたが、先週の「死刑執行人」(63)より前に製作された『カラブッチ』(56)をアップいたします。ベネチア映画祭1956出品、国際カトリック事務局映画賞OCIC受賞作品。以下は2012年2月13日、Cabinaブログに投稿したコメントを再構成したものです。ルイス・ガルシア・ベルランガのキャリア紹介を含んでいること、両作を流れるテーマの共通性などが、その理由です。2012年は大分昔のことになりましたが、当時と考えは変わっておりません。キャスト&ストーリーを簡単に補足しておきます。(カビナさんのブログは2012年02月04日)
「Calabuch」(『カラブッチ』1956年、スペイン=イタリア合作)
製作:Aguila films (スペイン)/ Films Costellazione(イタリア)
監督:ルイス・ガルシア・ベルランガ
原案:レオナルド・マルティン
脚本:レオナルド・マルティン、フロレンティーノ・ソリア、エンニオ・フライアーノ、ルイス・ガルシア・ベルランガ
撮影:フランシスコ・センペレ、(撮影助手)ミゲル・アグード
音楽:グイド・ゲリーニ
編集:ペピータ・オルドゥーニャ
助監督:レオナルド・マルティン
製作者:ホセ・ヘレス・アロサ
キャスト:エドマンド・グウェン(ハミルトン教授)、ヴァレンティーナ・コルテーゼ(教師エロイサ)、フランコ・ファブリリーツィ(ランゴスタ)、フアン・カルボ(駐在所長マティアス)、ホセ・イスベルト(灯台守ドン・ラモン)、ホセ・ルイス・オソレス(闘牛士)、フェリックス・フェルナンデス(神父ドン・フェリックス)、フランシスコ・ベルナル(郵便配達クレセンシオ)、マヌエル・アレクサンドレ(ビセンテ)、マリオ・ベリアトゥア(フアン)、マルハ・ビコ(マティアスの娘テレサ)、他多数
ストーリー:1950年代の半ばの或る日、アメリカの物理学者にして宇宙工学の権威ジョージ・ハミルトン教授が、豪華客船リベルテ号乗船前の記者会見を終えると、突然行方不明になる。世界中の警察が捜索するも杳として所在が分からない。ところが同じ年の5月、スペインの小さな村カラブッチの海岸に突如姿を現した。近く開催される村祭りの準備から抜け出してきたフアンとクレセンシオにばったり。二人はこれ幸いと手にした包みをランゴスタに届けて欲しいとハミルトンに手渡した。ハミルトンは密輸品とはつゆ知らずにランゴスタ探しを開始する。探しあぐねて駐在所に辿りついたハミルトンは、密輸品所持で留置所へ・・・
カラブッチは江ノ島だ!
A ベルランガの“Novio a la vista”(54「一見、恋人」)にコメントしてほぼ1年が過ぎました。そのときは、ベルランガが亡くなったばかりで哀悼の意を込めてお喋りしたのでした。ベルランガはいくら喋っても喋り足りない監督の一人です。
B スペイン映画を代表する作品を作りながら、映画祭上映は別として何故か日本公開がなかった稀有な存在でした。
A 「カラブッチ」は、「ようこそマーシャルさん」が紹介された「スペイン映画の史的展望―1951~1977」(1984開催)で上映されました。米ソ対立など何処の惑星の話なの、と言わんばかりのカラブッチ村を舞台に繰り広げられる伝統的な手法のセンチメンタルなコメディです。
B スペイン=イタリア合作映画に、ハリウッドからエドマンド・グウェン*を呼んで主人公ジョージ(カラブッチではホルヘ)・ハミルトン教授に起用、ヴァレンティーナ・コルテーゼ(教師エロイサ)とフランコ・ファブリーツィ(ランゴスタ)のイタリア勢のほかは、ベルランガ映画にお馴染みのスペイン勢がかためています。
A キャスト陣の紹介は後述するとして、「カラブッチ」のロケ地となったペニスコラは、バルセロナとバレンシアの中間にあり、地中海に突きだしたような風光明媚な町。バレンシアに向かって南下していく途中のベニカルロにパラドールがあり、そこから見えるペニスコラは江ノ島に似ています。
B 江ノ島に要塞はありませんけど、全景が村祭りのドサ廻り闘牛シーンに登場します。
A 現在は観光に力を入れて毎年5月にはペニスコラ・コメディ映画祭が開催されています。14世紀にテンプル騎士団によって建てられたペニスコラ城も観光の目玉です。ベルランガは殊のほかペニスコラがお気に入りで、約40年後に舞い戻り“Paris Tombuctu”(99)を撮ったのでした。
B 彼の遺作となった映画です。“Tamaño natural”(74「実物大」)で主人公を演じたミシェル・ピコリが出演していた映画です。
A 彼はベルランガの分身ともいえる親友でしたが、二人で20世紀を締め括ったわけです。「カラブッチ」50周年(?)の2006年には、ベルランガを敬愛する市民たちからメダルが贈られ再び訪れています。まあペニスコラ名誉市民賞といったところです。現地エキストラの活躍も本作の見どころの一つでした。
*高名な物理学者ハミルトン教授役のエドマンド・グウェン(エドモンドとも表記)は、1877年ロンドン生れの舞台出身のイギリス人俳優、1939年ハリウッド入りした。ハリウッド映画『三十四町目の奇跡』(47)のサンタクロース役でアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の助演男優賞をダブルで受賞、グウェンといえばサンタクロース姿がお馴染み。ヒッチコックのスリラー喜劇『ハリーの災難』(55)では元船長役、シャーリー・マクレーンともどもハリーの遺体を掘り起したり埋めたりをコミカルに演じた。1959年脳梗塞のためロスで死去、結局、「カラブッチ」が映画としては最後の出演となった。IQは抜群でもシャイで世事には疎い物理学者を飄飄と楽しげに演じていました。
ベルランガの流れ着くよそ者のテーマ
B ふらりと迷い込んだよそ者が期せずして平穏な村に騒動を巻き起こすというのは、映画に限らず文学でもあります。
A 思えば「ようこそマーシャルさん」も同じようなもの、マーシャル使節団は車であっという間に通りすぎてしまうのですが、訪問して村人それぞれに贈り物をするという噂が「よそ者」です。
B 実際のところ使節団はスペインには来なかったというのを逆手に取ったコメディ。「一見、恋人」では、登場人物たちが日常を離れて避暑地に移動してのてんやわんやでした。
A 本作は2年後に撮られた長編4作目、前作より面白い。学識豊かな物理学教授ハミルトンは、核開発が人類を幸せにすると信じて、アメリカのバクダン作りに協力した。しかしこれが大きな間違いだったと気づいて怖くなり、ヨーロッパ行きの豪華客船から突然失踪する。
B 辿りついたところが地中海沿岸はレパント地方の小さな村カラブッチというわけ。
A 出会ったのが密輸品を仲間のランゴスタに手渡したいフアンとクレセンシオ、包を教授に頼んですたこらさっさ。頼みを律儀に果たすべくのこのこ訪れたところが警察署(駐在所?)、「ランゴスタはおりますか」と尋ねるが密輸品所持でお縄に、目指すランゴスタは既に檻の中でした。
B 筋を話しただけでは他愛なくて面白さは分かりません。しかしこれだけでもベルランガ流のペシミズムが横溢しています。
A 社会が個人のいるべき場所を破壊していられなくしている。ハミルトンは自分を取りまく社会集団の利己主義に耐えられなくなって失踪する。ベルランガは日増しに遠ざかっていく個人の自由を、それは幻想かもしれないが、代償を払ってでも(本作はかなりきわどい)希求していたのだと思います。
B フアンやテレサのように桃源郷カラブッチから逃げ出したい恋人たちもいる。
A ユートピアとはいえ父親マティアスの権威が強くて結婚もままならない。二人も居場所が見つからず、遠い外国ベネズエラに憧れて脱出しようと計画するも父親にばれてしまう。留置所を出たり入ったりして落着く場所のないランゴスタも、カラブッチから出ていきたいとホルヘにほのめかす。
B 気儘に暮らしているように見えるのは表面だけ、ホントの幸せがあるわけじゃない。ここが誰にとってのユートピアかです。
A 結局ハミルトンは絶大な国家権力に屈して帰国する。これが人生、個人にできることなんて限られている。無駄な抵抗はやめろというメッセージが聞こえてくる。こういう彼の頑なまでのペシミズムは何処からきてるのでしょうか。
「青い旅団」に志願、本当の恐怖はロシアの寒さ
B スペイン内戦時代について「自分にとっては<長い休暇>みたいなものだった」と語ったことがよく紹介されますが、これはどういう意味ですか。
A 敢えて言うなら、確かに多くの迫害や死があるカオスの真っただ中にいたのだが、真の友人とは何かが分かったり、画を書いたり、読書に埋没して多くを学ぶ時間があった、ということらしい。1921年12月生れですから内戦が始まった1936年6月にはまだ14歳でした。
B バレンシアの裕福な地主の家に生まれた。
A その通りですが、父親は第二共和政時代には共和派支持の国会議員という政治家だった。フランコ側が勝利してからは、モロッコのタンジールに逃亡、しかし現地で逮捕、死刑の判決を受けた。
B 父親の減刑嘆願のために「青い旅団*」に志願するよう家族から頼まれたわけです。
A 公式にはそれも一つなんですが、晩年の告白によると、親友の恋人だった女性に恋をしていて、彼女も同じ考えだった。志願して勇気のあるところを示せば振り向いてくれるんじゃないかと。どこまでほんとか分かりません(笑)。
B どんな苦境にあっても恋は芽生える。
A 医療班に動員されたというのもありますが、彼によると任務は見張塔での監視だったらしく、幸いにも人一人殺すことなく除隊できたということです。ホントのテキは想像を絶する寒さ、恐ろしかったそうです。
B ヴィットリオ・デ・シーカの『ひまわり』でも猛吹雪の中の死の行軍が出てきますが、イタリアやスペインのような南欧の人にはロシアの寒さは想像できない。
A 戦争体験を他人に語るのは難しい、心の痛みというのは孤独なものですから。カビナさんが「花言葉」のシーンで触れてるように、孤独は彼のテーマの一つです。結局、父親の減刑にはなんの役にも立たず、父親所有の電機工場や別荘など持てるもの全てをヤミで売り払って減刑運動を続けたようです。1952年まで収監されて釈放半年後に他界しています。
B 1952年といえば「ようこそマーシャルさん」が完成した年、しかし翌年のカンヌ映画祭での国際的な成功は知らずに逝ったわけですね。
A ベルランガの国家権力に反逆しても勝ち目はないというペシミズムは、この後ラファエル・アスコナとの出会いから“Placido”(61「心優しき者」)、“El verdugo”(63「死刑執行人」)とスペイン映画史に残る名作を生み出していきます。
*青い旅団は、1940年に行われたフランコ=ヒットラー密談で、第2次世界大戦でのスペインの中立政策、枢軸国との友好関係が取り決められた。しかしフランコは1941年にロシア戦線へ18000人の兵士を派遣、一翼を担ったファランヘ党の兵士が青色の制服を着用していたことが呼称の由来。約2年間にトータルで47000が地獄の戦線に派遣された。ベルランガは1941年に派遣されている。
横道だが、最近ヘラルド・エレーロが青い旅団をテーマにミステリー仕立ての“Silencio en la nieve”(12)を撮った。監督というより製作者としての活躍が多く、スペインはおろかラテンアメリカ諸国の若い監督たちに資金提供をしている。イグナシオ・デル・バジェの小説“El tiempo de los emperadores extranos”の映画化。フアン・ディエゴ・ボトー、カルメロ・ゴメスなど日本でも馴染みの布陣のフィクション。ベルランガ映画の理解に彼の「青い旅団」体験は欠かせないと考えているので、今年注目している作品の一つ。
ベルランガ流ユーモアを体現した役者たち
B 脚本担当はベルランガを含めて合計4人と多い。
A 原案はレオナルド・マルティンですが、イタリア勢のエンニオ・フライアーノの参画が大きい。ジャーナリストで小説家でもあったフライアーノは、フェデリコ・フェリーニ映画の脚本家として信望厚く、既に『青春群像』(53)や『道』(54)などで実績があった。検閲官も外国人の視点を意味なく無視できない時代に入っていました。
B 合作は資金調達のためばかりじゃないということです。
A 心優しい密売人(!)ランゴスタ役のフランコ・ファブリーツィは1926年ミラノ生れ、先述のフェリーニの『青春群像』や『崖』(55)に出演、女先生役のヴァレンティナ・コルテーゼは1925年同じくミラノ生れ、ミケランジェロ・アントニオーニの『女ともだち』(56)に出演(ヴェネチア映画祭銀獅子賞受賞作品)、ハリウッド映画『裸足の伯爵夫人』(54)にも脇役で出ています。
(ハミルトンとエロイサ役のヴァレンティーナ・コルテーゼ)
B 二人はお互い<ほの字>なのに面と向かって言いだせない。ベルランガも例の片思いの女性に告白できなかった(笑)。この二人とエドマンド・グウェンは吹替えです。
A イタリア勢はそんなに違和感ありませんが、英語とスペイン語だと大分ずれます。最も欧米ではスペインに限らず吹替えが主流、日本のような字幕入りは少数派でした。「吹替え版の映画でがっかりした」などと登場人物に言わせるフランス映画もあり、おおむねシネアストには不評でしたが。
(檻の中のハミルトンとランゴスタ)
B マティアス署長役のフアン・カルボは、ラディスラオ・バフダの『汚れなき悪戯』(54)が日本でも公開されたから見覚えがある。少々気難しいが根は善人です。
A 1892年バレンシア生れ、すでにパピージャ神父で有名になっていた。ベルリン映画祭銀熊賞(監督部門)、カンヌ映画祭ではマルセリーノ役のバブリートが特別賞を受賞したので公開された。ベルランガ作品では“Los jueves, milagro”(57「木曜日に奇跡が」)にも出演、1962年没。
(マティアス署長のフアン・カルボ、ハミルトン、ランゴスタ)
B 半世紀前の映画だから年々物故者が増えていきます。灯台守ドン・ラモン役のホセ・イスベルトも当然鬼籍入り。
A 1886年と19世紀生れですから。「マーシャルさん」での村長ドン・パブロ役、カルボと同じく「木曜日に奇跡が」、続いて「死刑執行人」の主人公アマデオ役、1966年没だから二人ともポスト・フランコ時代をみることはなかった。脇役が多かったから100以上の映画に出演しています。
(電話で神父ドン・フェリックスとチェスをする灯台守のホセ・イスベルト)
B フェルナンド・パラシオスの『ばくだん家族』(62“La gran familia”)も公開されたから、お祖父ちゃんの活躍を記憶しているファンも多いでしょう。
A ベルランガの回想によると、撮影が始まって少しすると、「どうもペペ・イスベルトはちゃんと脚本を読んできていない」と気づいた。それどころか勝手に赤字で訂正した自分用のを撮影に携えていたという。それで自然に映画の中にとけ込んでしまったそうで、モンスター的天才です。
B じゃあ、脚本家は5人に増えてしまう。脚本を変更してしまう監督は珍しくないが、セリフを変えてしまう役者は珍しい。
A 灯台守ドン・ラモンと電話でチェスをするフェリックス神父役が「マーシャルさん」でお医者さんになったフェリックス・フェルナンデス。
B まだ若くてハンサムなのに驚いたマヌエル・アレクサンドレが絵描きのビセンテに扮している。
A ベルランガは若い頃は画家を志していたから、たぶんビセンテは彼の分身かな。
B 闘牛士役のホセ・ルイス・オソレスは、“Esa pareja feliz”(51「あの幸せなカップル」)に出ています。
A アントニオ・バルデムと共同監督したデビュー作でした。オソレスは1923年マドリード生れ、44歳の若さで1968年に亡くなっています*。
*スペインでは有名な芸術一家の出身、ペドロ・ルイス・ラミレスのコメディ“El tigre de Chamberi”(57「チャンベリの虎」)のボクサー役が代表作。トニイ・レブランクとのコンビが絶妙で笑い皺ができる。娘のアドリアナ・オソレスはアントニオ・メルセロの“La hora de los valientes”(98)でゴヤ助演女優賞を受賞、他に「めがねのマノリート」(99)や“El metodo”(05)などに出演している。
スタッフ陣も国際色豊か、音楽をグイド・ゲリーが手掛ける
B 闘牛シーンは、ペニスコラの長回しの遠景で始まる。闘牛といっても<略式闘牛>ですね。
A 村祭りの催しなどに招かれるドサ廻りの闘牛。銛打ち士も槍方も省略、マタドールと牛は一緒に巡業する親密な家族だからそもそも闘牛にならない。牛も大人のトロではなくノビーリョといわれる子供の牛のようです。
B 闘牛はスペインでは「国民の祝祭」だから登場させたい。「マーシャルさん」ではフラメンコをやったしね。闘牛の際に演奏されるパソドブレの軽快なリズムで一行は登場する。
A この音楽を担当したのがイタリアのアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノとグイド・ゲリーニ。ラヴァニーノは映画音楽では超有名。ソルダーティのヒット作『河の女』(55)の音楽も彼が担当した。原作はネオレアリズモの代表的存在であるアルベルト・モラヴィアと先述したエンニオ・フライアーノが共作し、戦後イタリアが生んだ大女優ソフィア・ローレンの出演でも話題になった。
B グイド・ゲリーニはイタリア音楽界のマエストロとして、パルマ音楽院を皮切りに、フィレンツェ、ボローニャ、そして撮影時にはローマ音楽院で教鞭をとっていた。
A 二人はカラブッチの村祭りを楽しくするためにスペシャル・ミュージックを作ろうとした、なぜならカラブッチの人々がユーモアのセンスを忘れずに暮らしていたからだと。
B 撮影監督はスペインのフランシスコ・センペレ。ロングショットからクローズアップへ、またその逆の切り替え、ローアングルと面白い。
A 個人的には大写しは嫌いだが、ここでは役者の表情がいいので気にならない。この後「木曜日に奇跡が」や「心優しき者」、イタリアのマルコ・フェリーニやホセ・マリア・フォルケ(フォルケ賞は彼の名前から)とタッグを組んでいる。
B 闘牛シーンに戻ると、肝心のトロは狭苦しい車から解放され、のんびり渚をぶらぶらしてるだけ。いくらマタドールが「ちゃんとやってよ」と頼んでもバケツの水など飲んで知らんぷり。
A しびれを切らした見物人が飛び入りして、やっとこさ牛との追いかけっこが始まる。手持無沙汰のマタドールはお弁当のコンビーフの缶詰なんか開けて食べ始める。ここはシュールだね。
B 闘牛祭りも終了、夕闇せまる浜辺にマタドールと子牛がポツンと残される。
A 父親が我が子を慈しむように「わたしの坊や」と、頑張った子牛の頭を優しく撫でてやる。
(ぶらぶら散歩するばかりで闘わないトロに困り果てる闘牛士)
人間は地球上で一番危険な生きもの
B バラ色のネオレアリズモの影響下に作られた半世紀も前の映画を語る必要がありますかね。
A そうね。でも世の中そんなに変わっていないのじゃない。チェスの世界チャンピオンがコンピューターに負けたとか、チェスより複雑な将棋でも<ボンクラー>が米長名人を下したとか。しかし相変わらず世界は不安定で、貧しい人の数は逆に増えている。
B 冷戦時代は終わったというけど、世界の対立構図は形を変えて常に私たちを脅かしている。
A ランゴスタが密売のシゴトをするので突然映写技師にさせられたホルヘ、NO-DOのニュースに自分が映って大慌て、操作を誤って大切な国策フィルムを燃やしてしまう。
B よく検閲がパスしましたね。映写室には誰もいないのに身元がバレてはいけないと大急ぎでサングラスをかける可笑しさ。こういうアイロニーは今でも古くない。
A 灯台からドン・ラモンが望遠鏡で覗くと、はるか彼方に数隻の艦船が目に飛び込んでくる。
B 東地中海を守っている艦隊はアメリカの第6艦隊、ソ連の脅威に対抗して創設された。
A アメリカの秘密を知りすぎた男ハミルトン引渡しに第6艦隊を派遣してきた。ここで観客は冷酷な現実に引き戻される。ユートピアといえども冷戦構図からは逃げられないのだと。
B マティアス以下村の知恵者が作戦を練る。村人こぞって古びた槍刀を手に手に兜を被って小舟でいざ出陣。しかし端から勝負にならない。
A 迎えに飛来したヘリコプターに搭乗したハミルトンは、旋回しながら機上から村人たちに最後の別れを告げる。軍事大国とか国家権力には逆らえないというペシミズム。常にベルランガは政治、宗教、教育などを直球勝負を避けながらソフトに批判している。かつてはバラ色に見えた「**イズム」も、地球上でもっとも危険な生きものが人間であることを忘れて崩壊した。行き場というか<生き場>を奪われた人々の生き辛さは、今も昔も変わらない。
B ベルランガ映画のいいところは、決して絶望の押売りをしないということです。
(以上は、Cabinaブログに投稿したコメントの再録です)
ガルシア・ベルランガの「死刑執行人」①*スペインクラシック映画上映会 ― 2020年06月09日 15:12
ガルシア・ベルランガの代表作「死刑執行人」は辛辣な喜劇
★今回のオンラインでの「スペインクラシック映画上映会」の最初の案内では10作がアップされておりましたが、本邦は4回シリーズで終了したようで、まことに残念です。マルコ・フェレーリの「El cochecito」(60「車椅子」)やカルロス・サウラの「Los golfos」(59「ならず者」)などの未公開作品は、結局鑑賞できないことになったようです。
★第4回目上映は、ルイス・ガルシア・ベルランガの三代悲喜劇の代表的作品「El verdugo」(63「死刑執行人」)でした。三大とは本作と『ようこそマーシャルさん』、「Plácido」(61「プラシド」)を指しますが、なかには「プラシド」ではなく前回アップした『カラブッチ』(57「Calabuch」)を推す人もいます。そして彼の頂点と一致しているのが「死刑執行人」です。ベルランガは検閲に苦しみ必然的に寡作を強いられましたが、これはスペインのシネアスト全員に当てはまることでした。
★監督として独り立ちしたばかりの『ようこそマーシャルさん』では、新人として検閲の目は厳しくなかったようですが、あれから十年、海外でも知られる危険人物の一人になっていました。検閲をかわす手段としてイタリアとの合作で成功した『カラブッチ』の経験を活かして、今回も同国との合作を画策し、主役ホセ・ルイスにイタリア俳優を起用しました。そして「死刑執行人」成功後は、その反体制的な内容の報復として、なかなか検閲を通してもらえなくなった。タイトルも内容も変更させられ、共同製作のかたちでやっとアルゼンチンで撮影した「La boutique」(67「ブティック」)は、ベルランガ映画の一番の駄作とまで言われました。体制側の暴走する権力乱用を垣間見る思いです。
★「死刑執行人」の作品解説者は、『「ぼくの戦争」を探して』の監督ダビ・トゥルエバでした。解説者は本作の共同執筆者の一人、その気難しさで近寄りがたかった名脚本家ラファエル・アスコナから、その類まれな才能を愛でられたシネアストです。スペイン=イタリア合作ということで、ベネチア映画祭1963でワールド・プレミア、国際批評家連盟FIPRESCIを受賞しました。「マーシャルさん」の主役を演じたホセ・イスベルトを老死刑執行人に、スペイン映画初出演のイタリアのニノ・マンフレディを新死刑執行人に、その妻にエンマ・ペネーリャを配しました。3人とも既に鬼籍入りしています。何しろ映画は半世紀以上前、因みにガローテ刑による死刑執行は、1974年アナーキスト二人を最後に翌年から銃殺刑になりました。
「El verdugo」(63「死刑執行人」)
製作:Naga Films(マドリード)/ Zabra Films (ローマ)
監督:ルイス・ガルシア・ベルランガ
脚本:ラファエル・アスコナ、ルイス・ガルシア・ベルランガ、エンニオ・フライアーノ
撮影:トニーノ・デッリ・コッリ
音楽:ミゲル・アシンス・アルボ
編集:アルフォンソ・サンタカナ
美術:ルイス・アルグェリョ
メイクアップ&ヘアー:(メイク)フランシスコ・プヨル、ホセ・ルイスカンポス、(ヘアー)マリア・テレサ・ガンボリノ
衣装デザイン:マルハ・エルナイス
プロダクション・マネージメント:ホセ・マヌエル・M・エレーロ
助監督:リカルド・フェルナンデス・スアイ、フェリックス・フェルナンデス
製作者:(エグゼクティブ)ナサリオ・ベルマル
データ:製作国スペイン=イタリア、スペイン語、1963年、ブラック・コメディ、87分、モノクロ、撮影地マドリードのスタジオCEA、パルマ・デ・マジョルカ、撮影1962年7月2日 公開マドリード1964年2月17日、バルセロナ5月5日、イタリア3月13日
映画祭・受賞歴:ベネチア映画祭1963出品、8月31日上映、FIPRESCI受賞、ナショナル・シンジケート・オブ・スペクタクル1963女優賞(エンマ・ペネーリャ)、シネマ・ライターズ・サークル賞1964オリジナル脚本賞(ラファエル・アスコナ、ルイス・ガルシア・ベルランガ、エンニオ・フライアーノ)、サンジョルディ賞1964受賞。
キャスト:
ニノ・マンフレディ(葬儀社社員ホセ・ルイス・ロドリゲス)
ホセ・イスベルト(死刑執行人アマデオ)
エンマ・ペネーリャ(アマデオの娘カルメン)
ホセ・ルイス・ロペス・バスケス(ホセ・ルイスの兄アントニオ・ロドリゲス)
マリア・ルイサ・ポンテ(アントニオの妻エステファニア)
アンヘル・アルバレス(葬儀社社員アルバレス)
マリア・イスベルト(アルバレスの妻イグナシア)
グイド・アルベルティ(刑務所部長)
アルフレッド・ランダ(サクリスタン)
エラスモ・パスクアル(サン・マルティン)
ホセ・オルハス(侯爵)
フェリックス・フェルナンデス(オルガン奏者)
ホセ・ルイス・コル(歌手)
シャン・ダス・ボラス(建設中のマンション警備員)
チュス・ランプレアベ(同見学者1)、フリア・カバ・アルバ(同2)、ロラ・ガオス(同3)
アグスティン・ササトルニル<ササ>(刑務所所長)
ビセンテ・リョサ(労働省職員)
セルヒオ・メンディサバル(侯爵の同行者)
マグダ・マルドナド(飛行場に夫の遺体を引き取りに来た未亡人)
エミリオ・アロンソ(未亡人の父親)
エミリオ・ラグナ(税関職員)
アントニオ・アルフォンソ・ビダル(刑務所付き医師)
ホセ・マリア・プラダ(シャンパンを持ってきた警備員)
アントニオ・フェランディス、ペドロ・ベルトラン、(刑務所所員)
エンリケ・ペラヨ(刑務所警備員)
マヌエル・アレクサンドレ(既決囚)
バレンティン・トルノス(書店員)
エレナ・サントンハ(書籍フェアーにきた女性客)
その他、ゴヨ・レブレロ、アグスティン・ゴンサレス、フランシスコ・セラーノ、ホセ・コルデロ、ドロレス・ガルシア、アグスティン・サラゴサなど多数
ストーリー:マドリード裁判所の死刑執行人アマデオは、誇り高く伝統を重んじる紳士である。今最後となる任務を終えたばかりで、遺体を引き取りに来た葬儀社の社員ホセ・ルイスと知り合った。アマデオの気がかりは後継者と婚期を逸した娘カルメンの婿探しである。ホセ・ルイスは恋人が見つからない。彼の職業を知ると女性たちは遠ざかる。カルメンも恋人が見つからない。父親の職業が分かると青年たちは遠ざかるからだ。カルメンとホセ・ルイスは急接近、カルメンは妊娠したことをホセ・ルイスに告げる。大急ぎで挙式、二人は公務員が条件の住宅を手に入れることができるアマデオと暮らす計画に浮き立っている。しかし既にアマデオは引退して権利を失っていたのである。婿が後継者になれば契約できる。父娘は今後刑の執行は決してないだろうからとホセ・ルイスを丸め込むことに成功する。そうこうするうちにマジョルカでの死刑執行命令書が届いてしまうのだった。
事実にインスピレーションを受けて製作された「死刑執行人」
A: 死刑執行人という一般庶民とは遠い存在の男性を主役に映画を撮るというアイディアは、ベルランガの知人でもある弁護士からもたらされた。それは1959年、バレンシアの連続毒殺犯の家政婦ピラール・プラデス・エクスポシトをガローテ刑で処刑した執行人の話でした。
B: 結果的にはこの執行が、スペインにおける女性最後のガローテ刑になったことで歴史になりました。
A: 執行人アントニオ・ロペス・シエラは、前夜から恐怖で辞職したいと叫んでいた。それで何本も鎮静剤を注射され、当日は酔っ払ってふらふら終了までに2時間もかかったそうです。
B: これが執行後にカルメンにもらすホセ・ルイスのセリフになった。
A: 弁護士から顛末を聞いたとき、「即座にあるイメージが浮かんだ。天井の高い空っぽの部屋を横切っていく二つのグループ、一つは罪人を引きずっていく集団、それに続いて死刑執行人を引きずっていく集団です。こうして『死刑執行人』が生まれたのです」とベルランガ。
(後半部分の山場、後ろの集団が警備員に引きずられていくホセ・ルイス)
B: しかし台本作りは困難を極めた。共同執筆者に「Plácido」で初めてタッグを組んだラファエル・アスコナを選び、加えてイタリアのエンニオ・フライアーノに応援を依頼した。
A: スペインを代表する名脚本家アスコナについては後述しますが、エンニオ・フライアーノとは、既に『カラブッチ』で共同作業をしていた。外国人に参加してもらうことで検閲者を牽制する策にでた。死刑が有効である国で死刑反対を主張することは慎重でなければならない。
B: 後日談ですが、ベネチア映画祭で上映された2週間後に、2人のアナーキストがガローテ刑で生涯を終えていますね。
A: そのせいでベネチア上映が論争のタネになった。スペインでの公開が遅れたのも、重箱の隅をつつくような見直しに時間がかかったからです。納得できないカットも多々あったが、公開するには受け入れざるを得なかった。特にビリディアナ事件があったばかりでしたから要注意でした。
テーマの一つにしたガローテ刑の歴史
B: ガローテ刑という処刑法は、スペインでは1820年から1974年まで行われていた。
A: スペインだけでなくスペインが宗主国であったキューバ、コスタリカ、フィリピンにも持ち込まれたということです。1974年3月2日にバルセロナ刑務所で執行されたアナーキストで反政府グループのサルバドール・プッチ・アンティックが結果的に最後となりましたが、正式に憲法で廃止が確定されたのは、フランコ没後の1978年でした。
B: これはマヌエル・ウエルガによって『サルバドールの朝』(06)として映画化され、当時人気のあったドイツのダニエル・ブリュールがサルバドールを演じ、本邦でもヒットしました。
A: 母親がスペイン出身で家庭ではカタルーニャ語を話していたこともあり、4ヵ月でスペイン語をマスターできたという語学の天才でもあった。またサルバドールと同日に、同じガローテ刑で処せられたのが東ドイツ出身のアナーキストHeinz Ches(実名ゲオルク・ミハイル・ヴェルツェル)で、タラゴナ刑務所でした。興味深いのは、死刑執行人ホセ・モネロはまるで映画のホセ・ルイス状態で、辞職したいと執行を拒んだが、結局最後には行った。
B: 苦しまずに即死できるはずが、執行人の腕力の差で終了まで20分以上もかかることがあり、立ちあった医師は、残酷な拷問だと語っています。
A: 海外からの非難を浴びても廃止できなかったのは頻発する政治テロ対策として有効だったからでしょうか。1789年のフランス革命以来フランスで執行されていたギロチン刑も、1977年まで行われていた。フランスが死刑廃止に踏み切るのは1981年ミッテラン内閣のときでした。
B: フランスだけでなくベルギー、イタリア、スイス、ドイツなどで行われていたそうですね。1960年から70年代は、いわゆる<政治の季節>だった。
ベルランガ流ブラック・ユーモアとアスコナ流のシビアな女性描写
A: テーマとしていろんなオプションの可能性があっても、政権との真っ向勝負は避けねばならない。そこでベルランガとアスコナが考えた作戦は、主人公が自身ではコントロールできない災難の悪循環に巻き込まれるようにした。執行人になることを受け入れたのは、カルメンと赤ん坊と一緒に暮らす家がどうしても必要だったから仕方なかった、それに舅も妻も執行の可能性はないと太鼓判を押したんだから、と観客を納得させることだった。
B: 当時は住宅難で若いカップルは家探しに奔走していたという背景があった。仕立て屋を営む兄夫婦の家も半地下みたいで、それに兄嫁は家賃をもらっているのに義弟を邪魔者扱いしていた。
A: 兄夫婦を演じたホセ・ルイス・ロペス・バスケスとマリア・ルイサ・ポンテの掛け合いも笑わせました。二人はベルランガ映画の常連さん、コメディでは大体女房のほうが強いのが定番です。女嫌いとも女性に辛辣だったともいわれたアスコナの人格造形、大体に女性は意地悪に描かれる。
B: 兄嫁は義弟のガールフレンドのカルメンを「どうせあばずれ女よ」とチラリ見しただけで決めつける。生活に余裕がないから亭主に八つ当たりして憂さ晴らしをしている。
(義理で結婚式に列席した兄嫁は、さっさと帰宅したいと夫を急かす)
A: 兄アントニオは葬儀社の制服を縫ってやるなど弟思いだが、勝ち目のない女房には逆らわない。我が子の頭のハチが大きいのが気がかりなのか、仕事用のメジャーで測っているのを女房に見咎められ「この子は普通だってば」と叱られている。
B: カルメンも繊細とはほど遠い。夫がマジョルカだろうがどこだろうが行きたくないと苦しんでいるのに、「買ったばかりで着てない水着があるの」海水浴ができるから行きましょう。
(浮き浮きと1回も着てないレトロな水着を披露するカルメン)
A: モノクロだから色は想像するだけですが、スペイン60年代の水着は見ものです。アマデオも「わしもマジョルカには行ったことないなぁ」なんて、父娘であれこれ説得する。罪人が先に病死したりして中止になることもある。
B: なんとか家族4人の観光旅行を兼ねた初仕事に出かけることになる。
A: 書籍フェアーに現れたエレナ・サントンハ扮するインテリ女性に「ベルイマンかアントニオーニに関する本ありますか」などと尋ねさせている。当時ベルイマンはスウェーデンを代表する映画監督として『野いちご』や『処女の泉』を発表、アントニオーニも「愛の不毛三部作」と称される『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』を次々に発表して映画界の話題をさらっていた。
B: 気配りしながら、知ったかぶりの映画通女性を皮肉っている。犯人はアスコナかな。
(映画通のインテリ女性を演じたエレナ・サントンハ)
A: ホセ・ルイスのような庶民が見る映画はワイラーの『ベン・ハー』、彼は自分がチャールトン・ヘストンに似ているとご満悦だった。ハリウッド映画だが撮影の殆どをローマのチネチッタというスタジオで撮ったから、こちらはエンニオ・フライアーノの発案かもしれない。
B: 公開されるや大ヒットとなり、倒産寸前だったMGMを救った映画としても有名になった。全編後編合わせて212分、観客は首や腰が痛くなったはずです。他に「ミスター・ペマン」の本を探してましたが、これはどういう人ですか。
(飛行場で葬儀社の先輩アルバレスと一緒にカメラにおさまるシーン、
ニノ・マンフレディとアンヘル・アルバレス)
A: 大急ぎで調べたのですが、作家、詩人、ジャーナリスト、雄弁家でもあったホセ・マリア・ペマンのことで、君主制主義者とありました。1928年プリモ・デ・リベラ独裁政権時代にスペイン国歌の歌詞を書き換えた人でもあるようです。問題山積のスペイン国歌の複雑な推移については深入りできません。ただスペインの観客には意味があったのでしょう。ベルランガのコメディには隠れた切り札があって一筋縄ではいきません。(続く)
続 ガルシア・ベルランガの「死刑執行人」*スペインクラシック映画上映会 ― 2020年06月10日 21:18
伝統を重んじる紳士アマデオを演じたホセ・イスベルト
B: アマデオ役のホセ・イスベルト(1889~1966)は主役ではありませんが、若い主役の二人を食ってしまっている。妙なめぐりあわせでアマデオの家でコーヒーを飲むことになったホセ・ルイス、テーブルに処刑道具の入ったカバンをどんと置かれて、「人間はベッドで死ぬのが自然だと思いますが」とたじろぐ。
A: それは「当然だが、悪事を働いた人は処罰しなければ」ともっともらしい正論を吐くアマデオ。続いてアメリカでは「電気椅子で黒焦げにしてしまう」からと青年の手を電球に触れさせる。どっちが残酷なんだと言わんばかりです。
(カバンが載ったデーブルでコーヒーを飲むホセ・ルイス、カルメン、アマデオ)
B: スペインの庶民は心の中ではアメリカ嫌いです。半世紀以上も前にスペイン最後の植民地だったキューバやフィリピンを乗っ取られたことを根に持っている。しかし、道具の入ったカバンを当時は持ち歩いていたのでしょうか。
A: 中には友人はおろか家族にさえ本当の職業を秘密にしていた執行人がいたそうです。援助は受けているがアメリカ批判は問題なし。御法度なのがフランコ批判、教会批判、それに治安警備隊批判です。
B: 特徴ある帽子を被っているので直ぐ分かる。警官とは違うのですね。
(つかの間の幸せにひたるアマデオ一家)
A: 治安警備隊(Guardia Civil)は、地方の安全警護に当たるほか、治安警察としてフランコの独裁政権を支えたから気をつけねばならない。一家がマジョルカ島に到着したとき、迎えにきた治安警備隊の姿を目にすると、ホセ・ルイスは慌てて船内に戻ろうとした。観光ではなく仕事で来たことを思い出したわけです。
B: 帰られては新居を失う上に負債が残るアマデオ、新しい水着が着られないカルメン、親子は土談場で執行がなくなることもあるからと説得する。
(マジョルカに到着した家族を出迎える治安警備隊員)
A: ホセ・イスベルトは、サイレント時代から出演、クレジットされた本数は116作、ほとんどがコメディです。TV出演はなく映画一筋の俳優でした。ベルランガ映画には、『ようこそマーシャルさん』『カラブッチ』、「Los jueves, milagro」(57「木曜日には奇跡が」)に続いて本作、他に公開されたフェルナンド・パラシオスの『ばくだん家族』(62)、サンジョルディ主演男優賞を受賞した、マルコ・フェレーリの「El cochecito」(「車椅子」)などが代表作です。
B: フェレーリの「車椅子」は、今回のスペインクラシック映画上映会でオンラインされるはずでした。脚本をラファエル・アスコナが手掛けていたのでした。
A: 「車椅子」には、ホセ・ルイス・ロペス・バスケス、アンヘル・アルバレス、マリア・ルイサ・ポンテ、チュス・ランプレアベ、エレナ・サントンハなどが重なって出演しています。彼らはベルランガの代表作「プラシド」や、後期の作品でも度々お目にかかることになります。チュス・ランプレアベは、ベルランガの「ナショナル三部作」すべてに起用されている。アスコナが脚本を手掛けた後半のヒット作です。
B: 女性に厳しいと言われたアスコナのお気に入り、それもそのはずアスコナの小説を映画化したマルコ・フェレーリの「小さなアパート」でデビューしたのでした。本作も今回のクラシック映画上映会にエントリーされていたのですが。
A: 他にハイメ・デ・アルミリャンやフェルナンド・トゥルエバ作品、アルモドバルの『バチ当たり修道院の最期』から『抱擁のかけら』までの8作に出演した<アルモドバルの娘たち>の一人、カンヌ映画祭に出品された『ボルベール<帰郷>』ではグループ女優賞を受賞した。
B: 出演者が多すぎて誰を紹介したらよいか困りますが、多くが今世紀初めまで活躍していた実力者たちばかりでした。
(建設中の公営住宅を訪れた、チュス・ランプレアベ、ロラ・ガオス、フリア・カバ・アルバ)
A: 刑務所職員及び警備員など多すぎて区別しにくいが、一応分かる範囲でキャスト紹介欄に役名を列挙しておきました。違っていたら悪しからず。
(ニノ・マンフレディ、警備員ホセ・マリア・プラダ、部長グイド・アルベルティ)
(ホセ・イスベルト、ニノ・マンフレディ、労働省職員ビセンテ・リョサ)
喜劇と悲劇がモザイク状、教会批判もやんわりと
B: カルメン役のエンマ・ペネーリャ(1930~2007)は、ベルランガはこれ1作のようです。
A: アンヘリーノ・フォンスがピオ・バロハの小説を映画化した『探求』(66「La busca」)、同監督がベニト・ぺレス・ガルドスの長編大作『フォルトゥナータとハシンタ』を映画化した「Fortunata y Jacinta」(70)のフォルトゥナータ役、クラリンの小説『裁判官夫人』を映画化したゴンサロ・スアレスの「La regenta」(74)など、いわゆる文芸路線を代表する大作に主演しています。因みにガルドスとクラリンの小説は翻訳書が出ています。
B: 後年ますますふくよかになり、TVシリーズ出演を含めて鬼籍入りするまで現役続投でした。
(ピクニックでダンスをするカルメンとホセ・ルイス)
A: ニノ・マンフレディ(1921~2004)は公開作品も結構あるから、3人の中で一番知名度があるかもしれない。ディーノ・リージのコメディ『ベニスと月とあなた』(59)が好評だったので起用されたのかもしれない。続いて同監督の『ナポリと女と泥棒たち』(66)、エットーレ・スコラのドラマ『あんなに愛しあったのに』(74)、オランダ=ドイツ合作のヨス・ステリングの歴史時代劇『さまよえる人々』(95)など、芸域は広いです。
B: 上背があってハンサムだが若干意志が弱いのが玉に瑕のホセ・ルイス役にはぴったり、都合が悪くなると「機械工になる技術を学びにドイツに行く」が決め台詞だが、言うほうも聞くほうも本気でない。
(刑務所警備員エンリケ・ペラヨ、恐怖で固まってしまうホセ・ルイス)
A: 戦後の復興が目覚ましかったドイツは、当時のスペイン人の憧れの国だった。ドイツ語ができないから女性は家政婦、男性は危険な建設現場や道路清掃など、ドイツ人がやりたくない仕事だった。なかには故郷に錦を飾れた人もいたが、実情は聞くと見るとは大違い、しかし見栄っ張りなスペイン人は実際とは異なる成功談を帰国して吹聴した。
B: ここも「ピレネーの向こうはアフリカ」と、スペインをコケにしていたドイツやフランスへの皮肉が込められている。本当はアメリカと並んで質実剛健がモットーのドイツは嫌いな国の筆頭でした。
A: 「ドイツ」連発にはスペイン人の屈折した感情が隠されているようです。ホセ・ルイスは優柔不断だがちゃっかり屋でもある。アマデオの留守をいいことに昼間からカルメンと婚前交渉、突然帰宅したアマデオにあたふたする。
B: ズボンまでは掃けたが動転して靴まで気が回らなかった。頭痛がすると濡れタオルで額を冷やすが、アマデオにはバレバレ。
A: アマデオは「頭痛がするのに、どうして裸足なんだい? 恥知らずな」とにべもない。
(兄役のホセ・ルイス・ロペス・バスケスに仮縫いをしてもらうホセ・ルイス)
B: カルメンから妊娠を知らされると、またぞろ「ドイツに行って・・・」と。ドイツを体のいい逃げ口上に利用している。ドイツに行くなど本気でないから結婚するしかない。
A: お腹が目立ってしまうと教会で挙式できない。結婚ブームなのか順番待ちで挙式するのだが、彼らの前はお金持ちらしく、神父の服装も立派だし、火の灯された蝋燭が林立している。
B: カルメンたちの番になると、神父は着替え、蝋燭も次々に消されて真っ暗になる。
A: 観客は爆笑したでしょうね。教会批判は検閲条項だが、これは事実なのでしょう。まだまだ話し足りないですが、長くなりましたのでお開きにします。2008年ベルランガは、セルバンテス協会本部に設置された彼の文書箱ナンバー1034に、秘密の書類が入った紙袋を保管している。生誕100年の2021年6月12日まで開封を禁じている。何が書かれているか興味のあるところです。
B: 「マーシャルさん」より脚本が推敲されていて、やはり日本語字幕で見たらもっと楽しめたのにと思いました。
*ラファエル・アスコナのキャリア紹介*
★ラファエル・アスコナ(ログローニョ1926~マドリード2008)は、作家、脚本家。日本版ウィキペディアも脚本家にしては充実していますが、IMDbによると107作もアップされています。短編やオムニバス、TV、マルコ・フェレーリと組んだイタリア映画、没後に映画化された小説などを省いてもかなりの数になります。どれを選ぶかはどこに視点をおくかで変わってきます。ゴヤ賞では脚本賞・脚色賞、1997年のゴヤ栄誉賞を含めて7個でした。
(ありし日のラファエル・アスコナ)
*ベルランガ映画では、上記の「プラシド」「死刑執行人」、異色の映画と言われたフランス合作「Grandeur nature」(74「実物大」)、ナショナル三部作と言われる「La escopeta nacional」(78「国民銃」)「Patrimonio nacional」(81「国有財産」)「Nacional III」(82「ナショナル第三部」)、「La vaquilla」(85「子牛」)、ベルランガとの最後は「Moros y cristianos」(87「イスラム教徒とキリスト教徒」)でゴヤ脚本賞にノミネートされた。その後のベルランガ作品「Todos a la cárcel」(93「みんなで刑務所に」)では、子息ホルヘ・ベルランガと父子共同で執筆しており、本作はベルランガがゴヤ賞1994監督賞を受賞した。
(ヒットした「国民銃」のポスター)
*ベルランガ以上にタッグを組んだのが、イタリア出身だがスペインでも撮ったマルコ・フェレーリ、映画界入りのそもそもが彼との出会いで始まった。彼がアスコナの小説「El picito」(「小さなアパート」)を映画化することになり、「じゃ、自分が脚本を書きましょう」となった。続いて「車椅子」、「La grande bouffe」(73、仏伊合作『最後の晩餐』)、「No tocar a la mujer bulanca」(74『白い女に手を触れるな』)、ほかにイタリア映画を執筆している。
*カルロス・サウラとは、「La prima Angelica」(74『従姉アンヘリカ』)、続く「¡Ay, Carmela!」(90『歌姫カルメーラ』)で2個目となるゴヤ賞脚色賞を受賞している。最初のゴヤ脚本賞は、ホセ・ルイス・クエルダの「El bosque animado」(87『にぎやかな森』)、小説の映画化なので現在なら脚色賞になるのだが、まだ脚本と脚色は区別されていなかった。クエルダでは、「La lengua de las mariposas」(99『蝶の舌』)と没後に受賞した「Los girasoles ciegos」(08)で合計3個脚色賞を受賞している。残るはフェルナンド・トゥルエバがアカデミー外国語映画賞を受賞したことで話題になった『ベルエポック』(92)でオリジナル脚本賞、『美しき虜』(98)はノミネートされた。ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェスの「Tirano Banderas」(93「暴君バンデラス」)で脚色賞、これに栄誉賞を含めて生涯に7個受賞している。
(アカデミー外国語映画賞を受賞した『ベルエポック』のポスター)
*その他、ゴヤ賞ノミネートでは、ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェスの「El vuelo de la paloma」(89「パロマの飛翔」)のオリジナル脚本賞、ビガス・ルナの『マルティナは海』(01)の脚色賞などがある。国民映画賞とかシネマ・ライターズ・サークル賞などは割愛です。映画の脚色を多く手掛けたのは、「小説書くよりよほど易しかったから」とアスコナ流なのでした。2008年3月24日、肺癌により自宅で永眠、81歳の生涯でした。
*ホセ・ルイス・クエルダの訃報記事で「Los girasoles ciegos」にも触れています。
*チュス・ランプレアベの訃報記事で、ベルランガ、フェレーリ、アスコナにも触れています。
フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」*カンヌ映画祭 ― 2020年06月14日 17:23
コロンビアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセの同名小説の映画化
★第73回カンヌ映画祭2020は例年のような形での開催を断念した。マクロン大統領の「7月19日まで1000人以上のイベントは禁止」というお達しではどうにもならない。6月3日、一応オフィシャル・セレクション以下のノミネーションが発表になりました。開催できない場合は、ベネチア、トロント、サンセバスチャンなど各映画祭とのコラボでカンヌ公式映画として上映されることになりました。それでカンヌでのワールドプレミアに拘っている監督たちは来年持ち越しを選択したようです。赤絨毯も、スクリーン上映も、拍手喝采もないカンヌ映画祭となりました。
★フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」(「Forgotten We'll Be」)は、コロンビアのカラコルTVが製作したコロンビア=スペイン合作映画、コロンビアはアンティオキアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセのノンフィクション小説「El olvido que seremos」(プラネタ社2005年11月刊)の映画化です。作家の父親エクトル・アバド・ゴメス(1921~87)の生と死を描いた伝記映画です。医師でアンティオキアのみならずコロンビアの人権擁護に尽力していた父親は、1987年メデジンの中心街で私設軍隊パラミリタールの凶弾に倒れた。1980年代は半世紀ものあいだコロンビアを吹き荒れた内戦がもっとも激化した時代でした。アバド家は子だくさんだったが作家はただ一人の男の子で、父親が暗殺されたときは29歳になっていた。
(主人公ハビエル・カマラを配した「El olvido que seremos」のポスター)
アバド家の痛み、コロンビアの痛みが語られる
★エクトル・アバド・ファシオリンセ(メデジン1958)の原作は、2005年11月に出版されると年内に3版まで増刷され、コロンビア国内だけでも20万部が売れたベストセラーです。先ずスペインでは翌年 Seix Barral から出版、メキシコでも出版された他、独語、伊語、仏語、英語、蘭語、ポルトガル語、アラビア語の翻訳書が出ている。21世紀に書かれた小説ベスト100に、コロンビアでは唯一本作が選ばれている。ポルトガルの Casa da América Latina から文学賞、アメリカのラテンアメリカの作品に贈られるWOLA-Duke Book 賞などを受賞している。
(アバド・ファシオリンセの小説の表紙)
(父と息子)
★タイトルの「El olvido que seremos」は、ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” の冒頭の1行目「Ya somos el olvido que seremos」から採られた。父親が凶弾に倒れたとき着ていた背広のポケットに入っていた。あまり知られていない出版社から友人知人に贈る詩集として300部限定で出版されたため公式には未発表だった。そのため小説がベストセラーになると真偽のほどが論争となり、作家の捏造説まで飛びだした。調査の結果本物と判明したのだが、スリルに満ちた経緯の詳細はいずれすることにして、目下は映画とかけ離れるので割愛です。
(ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” のページ)
★コロンビアの作家とスペインの監督の出会いは、カラコルCaracol TVの会長ゴンサロ・コルドバが仲人した。スペイン語で書かれた小説を映画化するにつき、先ず頭に浮かんだ監督は「オスカー監督であるフェルナンド・トゥルエバだった」とコルドバ会長。主役エクトル・アバド・ゴメスにスペインのハビエル・カマラを起用することは、作家のたっての希望だった。「父親の面影に似ていたから」だそうです。映画化が夢でもあり悪夢でもあったと語る作家は、出来上がった脚本を読むのが怖かったと告白している。手掛けたのは監督の実弟ダビ・トゥルエバ、名脚本家にして『「ぼくたちの戦争」を探して』の監督です。
(作家エクトル・アバド・ファシオリンセと監督フェルナンド・トゥルエバ)
★最初トゥルエバ監督はこのミッションは不可能に思えたと語る。その一つは「小説は個人的に親密な記憶だが、映画にそれを持ち込むのは困難だからです」と。しかし「二つ目のこれが重要なのだが、良い本に直面すると臆病になるからだった」と苦笑する。カラコルTVの副会長でもある製作者ダゴ・ガルシアの説得に負けて引き受けたということです。スペイン側は脚本、正確には脚色にダビ・トゥルエバ、主役にハビエル・カマラ、編集にトゥルエバ一家の映画の多くを手掛けているマルタ・ベラスコの布陣で臨むことになった。キャスト陣はハビエル以外はコロンビアの俳優から選ばれた。
(撮影中の監督とハビエル・カマラ)
★作家の娘で映画監督でもあるダニエラ・アバト、アイダ・モラレス、パトリシア・タマヨ(作家の母親セシリア・ファシオリンセ役)、フアン・パブロ・ウレゴがクレジットされている。母親も人権活動家として夫を支えていたエネルギー溢れた魅力的な女性だったということです。当ブログ初登場のダニエラ・アバドは作家の娘、主人公の孫娘に当たり、映画は彼女の視点で進行するようです。今回は女優出演だが、祖父暗殺をめぐるアバド家の証言を集めたドキュメンター「Carta a una sombra」(15)は、マコンド賞にノミネートされ、続くドキュメンタリー「The Smiling Lombana」(18)は、マコンド賞受賞、トゥールーズ映画祭ラテンアメリカ2019で観客賞を受賞している。バルセロナで映画は学んだということです。
(父エクトル・アバド・ファシオリンセと語り合うダニエラ・アバド、2015年)
★スタッフ陣も編集以外はコロンビア側が担当、撮影監督はセルヒオ・イバン・カスターニョ、撮影地は家族が暮らしていたメデジン、首都ボゴタを中心に、イタリアのトリノ(作家は私立のボリバリアーナ司教大学で学んだ後、トリノ大学でも学んでいる)、マドリードなどで行われた。モノクロとカラー、136分と長めです。音楽をクシシュトフ・キェシロフスキの『ふたりのベロニカ』や「トリコロール愛の三部作」を手掛けたポーランドの作曲家ズビグニエフ・プレイスネルが担当することで話題を呼んでいた。彼はトゥルエバの「La reina de España」(16)の音楽監督だった。プロダクション・マネージメントはイタリアのマルコ・ミラニ(『ワンダーウーマン』)と、コロンビア映画にしては国際色豊かです。
★本作はまだ新型コロナが対岸の火事であった2月1日、カルタヘナで毎年1月下旬に4日間行われるヘイ・フェスティバルHay Festival Cartagenaという文学祭で、作家と監督が出席しての講演イベントがありました。もともとは1988年、ウェールズ・ポーイスの古書店街が軒を連ねるヘイ・オン・ワイで始まったフェスティバルが世界各地に広がった。コロンビアではカルタヘナ、スペインはアルハンブラ宮殿で開催されている。現在は文学講演、サイン会、書籍販売の他、音楽や女性問題などのイベントに発展している。YouTubeを覗いたら150名の招待者のなかにマリベル・ベルドゥとか、作家のハビエル・セルカスも出席していました。下の写真は映画の宣伝も兼ねた講演会に出席した両人。フェスティバル期間中にトゥルエバの『美しき虜』が上映されていた。
(アバド・ファシオリンセとトゥルエバ監督、2月1日、アドルフォ・メヒア劇場)
★現在の中南米諸国のコロナ感染状況は、コロンビアを含めてレベル3(渡航は止めてください)だから滑り込みセーフのフェスティバルでした。スペインも渡航中止対象国ですから、サンセバスチャン映画祭(9月18日~26日)が予定通り開催できるかどうか分かりません。開催された場合はカンヌ映画祭公式セレクション作品としてワールド・プレミアされる可能性が高いと予想しています。
追加情報:英題でラテンビート2020のオープニング作品に選ばれました。
追加情報:『あなたと過ごした日に』の邦題で2022年7月劇場公開されました。
ロサ・マリア・サルダ逝く*リンパ腫癌に倒れる ― 2020年06月18日 11:01
ハリケーンのように半世紀を駆け抜けた女優ロサ・マリア・サルダ逝く
★6月11日、ロサ・マリア・サルダがリンパ腫癌で旅立ちました。親しい友人たちも彼女が病魔と闘っていることを直前まで知らなかったということです。死去する数週間前に、正確には40日前にジョルディ・エボレのテレビ番組に出演し、「もう私の人生に良い時は訪れないでしょう。78歳という年齢はだいたいそんなものです。私はどちらかというと病人、ええ、癌なんです。しかし皆さんはそのことを知らないはずです」と語ったことで、彼女が2014年から闘病しながら映画に出演していたことが分かったのでした。Netflixで日本でもストリーミング配信されたエミリオ・マルティネス=ラサロの『オチョ・アペリードス・カタラネス』(15)も、結局最後の映画出演となったフェルナンド・トゥルエバの「La reina de España」(16)も闘病しながらの出演だったということになります。
(ありし日のロサ・マリア・サルダ)
★ロサ・マリア・サルダは、1941年7月30日バルセロナ生れ、女優、コメディアン、舞台演出家、舞台女優、テレビ司会者、2020年6月11日バルセロナで死去、享年78歳でした。スペイン語とカタルーニャ語を駆使して約半世紀に渡って笑いを振りまきましたが、「自分を喜劇役者とは思っていません」と。ウィットに富んだ語り口、時にはシニカルだがパンチの利いた社会的発言、頭の回転の速さ、よく動く目と口で私たちを魅了しました。年の離れた弟ジャーナリストのハビエル・サルダ(1958)、1980年若くしてエイズに倒れた末弟フアンの3人姉弟。コミック・トリオLa Trincaラ・トリンカメンバーの一人、後に息子の父親となるジョセップ・マリア・マイナトと結婚した。1962年プロの舞台女優としてスタート、1969年からTVシリーズ、一人息子のポル・マイナト(1975)は、俳優、監督、撮影監督、TVシリーズ「Abuela de verano」(05)で共演している。
(一人息子ポル・マイナト・サルダとのツーショット、2004年)
★映画界入りは80年代と遅く、ベントゥラ・ポンスの「El vicario de Olot」(81)、ルイス・ガルシア・ベルランガの「Moros y cristianos」(87「イスラム教徒とキリスト教徒」)に出演している。1993年、マヌエル・ゴメス・ペレイラのコメディ「 ¿Por qué lo llaman amor cuando quieren decir sexo? 」 にベロニカ・フォルケやホルヘ・サンスと共演、翌年の第8回ゴヤ賞助演女優賞を受賞した。ゴヤ賞ガラの総合司会者にも抜擢され、コメディアンとしての実力を遺憾なく発揮した記念すべき授賞式だった。ゴヤ賞関連では、第13回ゴヤ賞1999の2回目となる総合司会者となり、つづいて第16回ゴヤ賞2002の3回目のホストを務め、ジョアキン・オリストレルの「Sin vergüenza」(01)で2個目となる助演女優賞も受賞している。
(ゴヤ賞ガラの総合司会をする)
(2個目となる助演女優賞のトロフィを手にしたロサ・マリア・サルダ、ゴヤ賞2002ガラ)
★舞台女優としては、1986年にブレヒトの戯曲『肝っ玉おっ母と子どもたち』に出演、1989年にはジョセップ・マリア・ベネトのコメディ戯曲「Ai carai!」を演出、舞台監督デビューをした。他に映画化もされているガルシア・ロルカの『ベルナルド・アルバの家』では、女家長の世話を長年務めた家政婦ポンシア役で演劇界の大女優ヌリア・エスペルトと共演した。エスペルトとはベントゥラ・ポンスの「Actrius」(96、カタルーニャ語「女優たち」)でも共演、翌1997年ブタカ賞を揃って受賞している。ポンス監督とはマイアミ映画祭2001女優賞受賞作「Anita no pierde el tren」(00、カタルーニャ語)他でもタッグを組んでいる。2015年には演劇界の最高賞と言われるマックス栄誉賞を受賞している。映画化もされたマーガレット・エドソンの戯曲『ウィット』をリュイス・パスクアルが演出した舞台にも立っている。
(マックス栄誉賞のトロフィを手にスピーチするサルダ、2015年)
(ヌリア・エスペルトとサルダ『ベルナルド・アルバの家』から)
(エドソンの戯曲『ウィット』に出演したサルダ)
★90年代以降は映画にシフトし、公開や映画祭上映作品として字幕入りで観られる作品が増えた。フェルナンド・トゥルエバの『美しき虜』(98、ゴヤ賞1999助演女優賞ノミネート)、ペドロ・アルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』(99)、イマノル・ウリベの『キャロルの初恋』(02)、ダニエラ・フェヘルマン&イネス・パリスの『マイ・マザー・ライクス・ウーマン』(02)、イシアル・ボリャインの『テイク・マイ・アイズ』(03)、上記の『オチョ・アペリードス・カタラネス』と結構あります。
(セシリア・ロス、サルダ、ペネロペ・クルス、『オール・アバウト・マイ・マザー』から)
★ゴヤ賞以外にも、2010年スペイン映画アカデミーから「金のメダル」、同年マラガ映画祭マラガ賞、第3回フェロス賞2016 栄誉賞受賞、実弟のハビエル・サルダの手からトロフィを受け取った。同年ガウディ賞栄誉賞も受賞した。映画界入りが遅かったこともあり、晩年の活躍が目立った。
*第3回フェロス賞2016栄誉賞の記事は、コチラ⇒2016年01月21日
(フェロス栄誉賞に出席したサルダ姉弟、2016年)
(ガウディ栄誉賞のトロフィを代理で受け取った息子ポル・マイナト、2016年)
★昨年の11月にプラネタ社から ”Un incidente sin importancia”(仮訳「あまり重要でない事ども」)というタイトルの自伝を出版した。コメディアンの草分け的存在だった祖父母のこと、若くして亡くなった看護師の母親のこと、そして黒い縮れた髪、地中海の青い海とも薄暗い湖のようにも見える目をした、一番ハンサムだった末弟フアンのことなど、亡き人々へ送る手紙として後半生の30年間を綴っているようです。母親が亡くなったとき25歳だったロサ・マリアには、まだ8歳だったハビエルと、もっと小さいフアンが残された。二人の弟の母親でもあったようです。フアンは1980年、まだスペインでは謎の病気だったエイズの犠牲者の一人になった。地獄のような2年間の闘病生活を共にしたということです。あのサルダの明るさと強靭な精神は何処から来たのでしょうか。本書を「初めての世界へ旅立つのはなんて複雑なんでしょう!」と締めくくったサルダ、生涯にわたり自由人であり続けたサルダも病魔の痛みから解放された。
(”Un incidente sin importannte”の表紙)
★コロナの時代に訃報を綴るのは気の重いことですが、サルダの光と影、特に今まで語られなかった影の部分に心打たれアップすることにしました。ツイッターでは、俳優のアントニオ・バンデラス、ハビエル・カマラ、「トレンテ 2」で共演したサンティアゴ・セグラ、政界からはペドロ・サンチェス首相がサルダの偉大さについて自身のSNSで哀悼の意を捧げている。ほか多くのファンからは涙のつぶやきが溢れている。8月開催がアナウンスされたマラガ映画祭で急遽特集が組まれかもしれません。
(地中海に面したマラガの遊歩道に建立された自身の記念碑の前で、2010マラガ賞受賞)
第35回ゴヤ賞2021の授賞式の行方*オンライン上映も選考対象作品 ① ― 2020年06月21日 18:11
第35回ゴヤ賞2021授賞式の延期とルール変更
★2021年2月上旬に開催予定だった第35回ゴヤ賞授賞式の延期が視野に入ってきました。スペイン映画アカデミー会長マリアノ・バロッソによると、6月23日(火)にアカデミーの執行部会議を開催して決定するそうです。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2021年の各国アカデミー賞ガラは、従来のかたちでの開催の変更を余儀なくされています。第93回目となる米アカデミー授賞式は、2月下旬の最終日曜日2月28日から8週間遅れの4月25日に変更、上映期間に関するエントリー条件も、12月末日から2月末日まで延長することで合意したということです。続いてイギリス映画アカデミー賞 Bafta バフタは、2月14日を4月11日(日)に延期すると発表、これからドミノ現象が起きる可能性も否定できません。出席者が会場に集まれるのかどうかも疑問です。
(マリアノ・バロッソ会長、ゴヤ賞2020のガラにて)
★従来ですと、選考対象作品はネットフリックスやアマゾンプライムでのプレミア上映は基本的には対象外ですが、2021年に限り動画配信も選考対象に含むそうです。しかしコロナ感染拡大のため「オンラインでの公開を余儀なくされた作品限定」です。オスカー賞を例にとると、黒人として初のカンヌ映画祭審査委員長を務めることになっていた、スパイク・リー監督の『ザ・ファイブ・ブラッズ』(Netflix配信)は選考対象になります。少々長尺で詰め込み過ぎですが、巷ではかなりの好感度でオスカー受賞の呼び声も高そうです。
★秋のスペイン関連の主要映画祭、ベネチア、トロント、サンセバスチャン、バジャドリード、シッチェス、セビーリャなどの映画祭で何が起こるか誰も分からないわけですから、「オンライン」でのリリースを受け入れざるを得ないということでしょう。目下進行中の第1波の収束が覚束ない状態では、必ず来るという第2波、第3波を考えると想像するだに怖ろしい。どんな小規模の映画祭でも1000人以下というのはあり得ません。春開催の予定だったマラガ映画祭は8月下旬(21日から30日まで)開催がアナウンスされておりますが、果たしてできるのかどうか。
2021年はベルランガ年の構想、ゴヤ賞の開催地もバレンシア?
★2021年が生誕100年になるルイス・ガルシア・ベルランガの <ベルランガ年> の始動も変更を余儀なくされています。スペイン人が最も愛したと言われる『ようこそマーシャルさん』「プラシド」「カラブッチ」「死刑執行人」の監督を祝う行事は、スペイン映画アカデミー、フィルモテカ、文化省、生れ故郷のバレンシア市議会、バレンシア自治州の後援という大掛かりなイベントです。バレンシアでゴヤ賞という可能性もありそうです。バレンシア市はベルランガ年をゴヤ賞と合流して祝う準備ができていると発表、盛んに目配せしている。5月、コロナウイリスが誘発した経済危機を緩和するための一連の経済対策の中に、ホセ・マヌエル・ロドリゲス・ウリベス文化スポーツ大臣は、ベルランガ年を公共の関心の高い別格のイベントであると述べている。開催場所と日付の決定は、紆余曲折はあるにせよ時間的に待ったなしでしょう。
★前回のアカデミー理事会でグリーン・シール(Sello Verde)の作成が決まりました。環境に対する感受性の高い長編映画やTVシリーズ作品に授与されるそうです。映画アカデミーも環境を尊重する活動に社会的責任があるということです。
*関連記事・管理人覚え*
*『ようこそマーシャルさん』の紹介記事は、コチラ⇒2020年05月22日
*「カラブッチ」の紹介記事は、コチラ⇒2020年06月03日
*「死刑執行人」の紹介記事は、コチラ⇒2020年06月09日&06月10日
オリヴィエ・アサイヤスの『WASPネットワーク』*Netflix 配信始まる ― 2020年06月29日 05:45
東西冷戦後のキューバ現代史の1ページ、群像劇でも主役はいます
(スペイン語版ポスター)
★6月19日から、オリヴィエ・アサイヤスの『WASPネットワーク』(19)のNetflix 配信が始まりました。爆発的な新型コロナウイルス感染がなければ公開するはずだったかもしれない。ベネチア映画祭2019コンペティション部門でワールド・プレミアされましたが、評価が得られず賞には絡めませんでした。続いてトロント、サンセバスチャン、チューリッヒ、ニューヨーク、ロンドン他、各映画祭で上映こそされましたが似たり寄ったりの結果でした。東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門でも上映されましたが、登場人物が出たり入ったりの群像劇、ガエル・ガルシア・ベルナル目当ての観客にはなかなか本人が登場せず、やっと現れるや額がかなり広くなっていてショック、旧ソ連邦崩壊後のキューバの実情に疎いと少々分かりづらく、更に的外れのストーリー紹介も手伝って、スパイ・スリラー『カルロス』(10)や『パーソナル・ショッパー』(16)のアサイヤス・ファンもがっかりだったかもしれません。
(監督、ペネロペ・クルス、エドガー・ラミレスなどが一堂に会したベネチア映画祭)
★オリヴィエ・アサイヤス(パリ1955)、監督、脚本家。アサイヤスは生まれたときから映画に関わっている。というのも父親のレイモンド・アサイヤスはイスタンブール生れのユダヤ系フランス人の脚本家、ペンネームのジャック・レミーのほうで知られ、第2次世界大戦中は南米のチリやアルゼンチンで映画に関わり戦後フランスに戻ってきたという経歴のシネアスト。オリヴィエ自身はパリ生まれですが、アジアやラテンアメリカにシンパシーがあるのは父親の影響かもしれません。スタートは父と一緒に脚本を執筆、監督デビューは1986年と30歳を過ぎていた。長編6作目となる『イルマ・ヴェップ』(「Irma Vep」96)に香港女優マギー・チャンを起用して国際的な評価を得た。1998年に結婚したが長続きせず2001年離婚、その後も『クリーン』(04)のヒロインに起用するなど公私は区別するタイプ、本作はカンヌ映画祭に出品、彼女に女優賞をもたらした。
(オリヴィエ・アサイヤス)
★その後『夏時間の庭』(08)、ベネズエラ生れの伝説上のテロリスト、イリイチ・ラミレス・サンチェス、別名ジャッカルを主人公にした、TVミニシリーズ『コードネーム:カルロス』(10)を短縮した『カルロス』を撮った。この実在した国際テロリストを演じたのが『WASPネットワーク』出演のエドガー・ラミレスでした。彼は翌年セザール賞の新人男優賞を受賞した。4回目のパルムドールを狙った『アクトレス 女たちの舞台』(14)は好評を博し、ジュリエット・ビノシュが演じる女優のマネージャー役に扮したクリステン・スチュワートが絶賛された。そして5回目のカンヌとなるサイコ・スリラー『パーソナル・ショッパー』(16)でアサイヤスは初の監督賞を受賞した。2018年の『冬時間のパリ』は、お気に入りのジュリエット・ビノシュが主演した大人のラブコメでした。コメディからスリラー・アクションまで守備範囲は広い。
(エドガー・ラミレス、映画『カルロス』から)
『WASPネットワーク』(オリジナル「Wasp Network」、スペイン版「La Red Avispa」)2019年
製作:Orange Studio / RT Features / CG Cinéma / Nostromo Pictures
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス
原作:フェルナンド・モライス ”Os Ultimos Soldados da Guerra Fria”(2011年刊)
英語版タイトル“The Last Soldiers of the Cold War”「冷戦の最後の戦士たち」
音楽:エドゥアルド・クルス
撮影:ヨリック・ル・ソー、ドゥニ・ルノワール
編集:シモン・ジャケ
製作者:シャルル・ジルベール、ホドリゴ・テイシェイラ、(以下エグゼクティブ)シルヴィー・バルテ、ミゲル・アンヘル・ファウラ、フェルナンド・フライア、アドリアン・ゲーラ、ソフィー・マス、リア・ロドリゲス、アラン・テルピンス、セリナ・トレアルバ
データ:製作国スペイン=ブラジル=フランス=ベルギー、スペイン語・英語、ロシア語、実話に基づくスリラー・アクション、123分、撮影地ハバナ、グランカナリア島、他、撮影期間2019年2月18日~5月4日、配給メメント・フィルムズ、公開フランス2020年1月29日、他ハンガリー、リトアニア、エストニア、ロシア、ギリシャ、コロナ感染拡大で以下は2020年6月19日 からのNetflix 配信となる。
映画祭・受賞歴:ベネチア映画祭2019正式出品、トロント、ドーヴィル(仏)グランプリ受賞、サンセバスチャン、チューリッヒ、ニューヨーク、釜山、ロンドン、サンパウロ、東京、リオ、各映画祭で上映された。
主なキャスト紹介:
ペネロペ・クルス:オルガ・サラヌエバ・ゴンサレス、レネ・ゴンサレスの妻、後に娘を連れてマイアミで夫と合流する。夫逮捕後にオルガも3ヵ月間収監される
エドガー・ラミレス:レネ・ゴンサレス(シカゴ1956)パイロット、WASPのメンバー、キューバン・ファイブの1人、1990年12月8日潜入、1998年9月12日逮捕、2011年10月7日仮釈放、米国市民権放棄を条件に2013年4月22日に帰国、刑期12年
ガエル・ガルシア・ベルナル:ヘラルド・エルナンデス(ハバナ1965、別名マヌエル・ビラモンテス)WASPのリーダー、キューバン・ファイブの1人、プエルトリコ人として偽パスポートで1991年12月潜入、1998年9月12日逮捕、囚人交換で2014年12月17日釈放
ワグネル・モウラ:フアン・パブロ・ロケ、パイロット、WASPのメンバー、1992年2月潜入、身分を偽ってアナ・マルガリータと結婚、その後秘かに帰国、1998年の逮捕を免れた4名のなかの一人。
アナ・デ・アルマス:アナ・マルガリータ・サンチェス、ロケがスパイと知らずに結婚
レオナルド・スバラグリア:ホセ・バスルト、<救助に向かう同胞> のリーダー
ノーラン・ゲーラ:ラウル・クルス・レオン、エルサルバドール人。1997年反カストロ派にリクルートされたテロリスト、ハバナの複数のホテルに仕掛けた爆薬C-4でイタリア人が犠牲になる。同日キューバ警察により逮捕され、禁固30年の刑で収監中
トニー・プラナ:ルイス・ポサーダ・カリレス、元CIAエージェント、亡命キューバ人の活動家、別名ラモン・メディナ、2018年に死去、享年90歳
フリアン・フリン:PUNDのパイロット、通称エル・ティグレ・ビラモンテ
オマール・アリ:CANF財団会長ホルヘ・マス・カノサ、反カストロ活動の黒幕、1997年没
カロリナ・ペラサ・マタモロス:イルマ(6歳)、オスデミ・パストラナ(10歳前後)
フリオ・ガベイ:マイアミに亡命しているロケの従兄弟、FBIに情報を提供している
アネル・ペルドモ:ヘラルド・エルナンデスの妻アドリアナ
アドリア・キャリー・ぺレス:レナード連邦裁判官
アマンダ・モラド:マイアミに移住したイルマとイベットの祖母テテ
他、WASPのメンバーのうち <キューバン・ファイブ> のメンバーなど多数
ストーリー:1990年ハバナ、パイロットのレネ・ゴンサレスは妻のオルガ、娘のイルマをハバナに残したままアメリカに亡命、新しい人生を始める。旧ソ連邦崩壊後の90年代のキューバは、観光業による経済再建を計画していたが、フロリダに亡命したキューバ人の反カストロ勢力のテロ行為に苦悩していた。そこでキューバ政府は男性12名、女性2名からなる通称WASPネットワークを結成、フロリダに潜入させることにした。このグループを統率するのがヘラルド・エルナンデス、別名マヌエル・ビラモンテスだった。ゴンサレスが盗んだソ連製の複葉機アントノフ2で秘密裏にマイアミに飛んだのは、彼らと合流して反カストロのテロ行為を未然に封じることだった。しかし何も知らされていなかったオルガと娘は、裏切り者、売国奴の汚名を着せられていた。(文責:管理人)
◎本作を楽しむための豆知識◎
*WASPネットワーク:マイアミを中心に反カストロ宣伝活動をする組織 <CANF/FNCA> 及び <救助に向かう同胞> に送り込まれたヘラルド・エルナンデスを長とする14名のキューバのスパイ・グループ。英語WASP、西語Avispaはススメバチの意、映画では「狩蜂」とあった。
*CANF/FNCA:キューバ系アメリカ人財団または全米キューバ米国人財団。Cuban American National Foundation / La Fundación Nacional Cubano Americana の頭文字。1981年フロリダ州マイアミにおいて、カストロ社会主義政権の打倒を目指すホルヘ・マス・カノサらが設立した。亡命キューバ人の反カストロの組織としては最大の規模を有しているが、1997年カノサ没後は強硬路線を修正している。
*救助に向かう同胞:または <救援の兄弟たち> Brothers to the Rescueブラザーズ・トゥ・ザ・レスキュー、スペイン語Hermanos al Rescate 1991年5月、ホセ・バスルトをリーダーにマイアミで設立された。キューバから筏などで脱出する亡命者を救助するのが目的だが、他にハバナ上空での反カストロ打倒のビラ撒き、麻薬や武器の密輸を仲介している。
*キューバン・ファイブ/マイアミ・ファイブ:1998年9月に逮捕されたWASPのメンバー10人のうち、無実を主張して司法取引に応じなかった5人を称賛して付けられた。ヘラルド・エルナンデス、レネ・ゴンサレスの他、本作には少ししか登場しなかった、エコノミストでキーウェストに移ってサルサの教師をしていたラモン・ラバニーノ、土木技師でカラテ教師アントニオ・ゲレーロ、フェルナンド・ゴンサレスの5人。彼らは全員キューバのDGI(諜報機関)に所属していた。本作の主人公レネ・ゴンサレスの2011年10月7日仮釈放、フェルナンド・ゴンサレスの2014年2月27日釈放、残るヘラルド・エルナンデスら3人も2014年12月17日に囚人交換で釈放、全員キューバに英雄として帰国している。
(自由の身になったキューバン・ファイブ)
(左から、ラモン・ラバーニ、アントニオ・ゲレーロ、レネ・ゴンサレス、
フェルナンド・ゴンサレス、ヘラルド・エルナンデスのキューバン・ファイブ、映画から)
親カストロでも反カストロでもないと言うけれど・・・
A: 『カルロス』の監督アサイヤスにブラジルの作家フェルナンド・モライスが2011年に上梓した ”Os Ultimos Soldados da Guerra Fria” の映画化を提案したのは、ブラジル・サイドの製作者ホドリゴ・テイシェイラだそうです。監督が政治的に特定のイデオロギーの支持者でないことが理由として挙げられるかと思います。
B: 監督の意図はどうあれ、WASPネットワークの主要メンバーの一人、レネ・ゴンサレスの妻オルガの視点で多くが語られるから、マイアミ在住の反カストロ派の亡命キューバ人は憤慨した。
A: どちらかに加担するプロパガンダ映画ではないにしても、まだ進行中の現代史を題材にするときには、それなりの覚悟が必要です。実際に起ったエピソードだけを公平につなげただけでは、観客を満足させることはできません。それが評価されなかった一つの理由かもしれない。
B: 本作には大雑把に3つのグループが登場する。WASPメンバー、FBIに代表されるアメリカ政府、反カストロ派の亡命キューバ人に分けられます。
A: CANFという組織は、レーガン時代にアメリカ政府の肝煎りで設立されているので、現在でも共和党寄りです。設立者のホルヘ・マス・カノサは亡くなりましたが、彼はブラザーズ・トゥ・ザ・レスキューにも資金を出しており、祖国キューバに民主主義をもたらすことに執念を燃やしていた人物です。
B: 強行な手段は非難されて然るべきですが、マイアミ・サイドから見れば英雄です。
A: フアン・パブロ・ロケは、社会主義の国から脱走するために泳いでグアンタナモ海軍基地に到着、政治亡命を求めます。マイアミに着くとアナ・マルガリータと打算的な結婚をしますが、アメリカ政府のWASP包囲網を察知すると秘かに帰国、テレビで政府とは無関係、麻薬密売やテロ活動に関与したくなかったので戻った、マイアミのキューバ人移民の不寛容さを批判、また心残りは運んでこられなかった「愛車のチェロキー」などと語り、インタビュアーを煙に巻く。
B: 持ち帰れたロレックスは、後日談としてお金に困ってネットで売りさばいた(笑)。ロケがスパイだったことを初めて知り煮えくり返るアナ・マルガリータは、後日談としてキューバ政府に損害賠償2700万ドルを請求するが、20万ドルしか手にしていない。
(挙式した教会のファサードに整列した花嫁と花婿、レネ・ゴンサレスやホセ・バスルトも出席)
オルガ・サラヌエバの視点で進行するファミリー物語
A: マイアミの司令塔だったガエル・ガルシア・ベルナル演じるヘラルド・エルナンデスは、2度の終身刑を受けたが、オバマ時代の両国の関係正常化政策の一環として行われた囚人交換で2014年12月17日に帰国した。スクリーンの出番も少なく、ガエルのファンは物足りなかったのではないか。
B: ペネロペ・クルス演じるオルガ・サラヌエバが主役ですが、かなり複雑な人物です。どうして裏切り者の夫とマイアミで合流しようとしたのか。映画によれば、夫に置き去りにされても、娘には父親が必要とアメリカ亡命を決心するのは少し不自然だった。ヘラルドから真相を明かされるのは、亡命直前のことでした。
A: 子連れでスパイの夫と合流するのはかなり危険だったはずです。しかしハバナで裏切り者の妻として後ろ指さされながら生きていくのも大変だったのではないか。劇中ではグサーノgusano という単語が使われていましたが、虫けらのように価値のない人を指す侮蔑語です。旧ソ連邦崩壊後、援助を絶たれた90年代のキューバはナイナイ尽くしで石器時代に逆戻りしたと揶揄されたほどです。
B: オルガは夫レネが逮捕された後に、娘イルマから「英雄の父親より普通の父親のほうがよかった」と批判されるが、ハバナでもマイアミでも居場所のないイルマも犠牲者です。
A: 夫が逮捕されたとき、まだ赤ちゃんだった次女イベットが名女優でした(笑)。クルスの扱いも自然で本当の娘のようだった。アサイヤスはクルスが直ぐに子役たちと繋がり、それが撮影をスムーズにしたとクルスを絶賛しています。この映画はオルガとレネ夫婦、その2人の娘たちの家族物語なのです。ハバナ映画祭で鑑賞したレネ・ゴンサレスによると、実際のオルギータとは少し違うと語っていた。
(オルガとオスデミ・パストラナ扮する長女イルマ)
(マイアミで生まれた次女イベットを連れて夫の面会に訪れたオルガ)
B: よく子供と動物には勝てないと言われますが本当です。レネ・ゴンサレスは、映画からの印象ではスパイとしては、盗聴器が仕掛けられているのにも気づかず、オルガとの私語を含めて、情報が FBI に筒抜けだった。本当にスパイとしての訓練を受けていたのかと呆れました。妻子を残して大切な小型飛行機を乗っ取っての派手な亡命劇を演じれば目を付けられるのは分かりきったこと、彼が諜報機関 DGI にいたことは直ぐバレるわけです。
A: シカゴ生まれで米国の市民権を持っていたこと、アントノフ 2 を操縦して潜入できることがあったからではないか。刑期も12年と一番軽く、2011年10月7日に仮釈放されている。仮釈放中に父親が亡くなり、葬式参列のため一時帰国を許され、そのまま米国市民権放棄を条件に釈放されている。WASPのメンバー10人を一網打尽にする計画のアメリカ政府は、1998年9月12日までわざと泳がしていた。14名のうち危険を察した4人は帰島して逮捕を免れている。
B: 最初カストロ議長はスパイ行為をさせていたことを否定していましたが、劇中に挿入されたように3年後のインタビューでは関与を認めている。フィデルの「スパイ行為はお互い様、そちらのほうが悪質」という主張はその通りです。
A: 冷戦中にラテンアメリカ諸国の赤化を食い止めるべく、CIAからラ米諸国に送り込まれた諜報員の破壊活動は、キューバに限らず南米全域に及んでいました。これは後の歴史が証明していることです。
B: WASPの目的は、アメリカ政府に打撃を与えるためではなく、CANFや <救助に向かう同胞> などがキューバで行っていた破壊工作を未然に防ぐためだった。
最初の構想ではハビエル・バルデムが出演するはずだった!
A: 家族の別れで幕を開ける本作のキャスト選考は、ジグザグ続きだったという。アサイヤス監督によると、最初はハビエル・バルデムを起用したくてマドリードに会いに出かけた。しかし彼のスケジュールがいっぱいでやりくりがつかない。連れ立ってディナーに現れたペネロペ・クルスと話しているうちに「主役のオルガをやれるのは彼女しかいない」と。そこでオルガとレネの夫婦、彼らの子供たちを中心に構成することにしたようです。
B: しかし、彼女は2人の子供の養育を人任せにできないタイプですよね。
A: ハバナでの撮影が予定されていたので、それがネックだった。それにバルデムは、シュナーベル監督の『夜になるまえに』というレイナルド・アレナスの伝記映画でキューバ訛りができるが、クルスは初めてだから、そこから出発しなければならなかった。
B: ウイキペディアによると、2018年5月にゴンサレス役にベネズエラのエドガー・ラミレス、ホセ・バスルト役にペドロ・パスカルがアナウンスされた。
A: しかしペドロ・パスカルが降りて、アルゼンチンのレオナルド・スバラグリアに変更、同年9月にペネロペ・クルス、メキシコのガエル・ガルシア・ベルナル、ブラジルのワグネル・モウラ(ヴァグネル)起用が発表され、翌年2月18日にクランクイン、5月4日に撮り終えた。
B: 夫婦役のラミレスとクルスは、既にファッションデザイナーのジャンニ・ヴェルサーチ暗殺のTVシリーズ『アメリカン・クライム・ストーリー ヴェルサーチ暗殺』(18)でヴェルサーチ兄妹役で共演している。
A: アナ・マルガリータ・サンチェス役のアナ・デ・アルマスはキューバ出身、マヌエル・グティエレス・アラゴンの『カリブの白い薔薇』(06)で映画デビューした。ICAICがアナはまだ演技の勉強中で出演はダメと反対したのを無視して出た。それで関係が悪くなり島を脱出した。その後ボンド・ガールに選ばれるなど出世街道を驀進中だが努力の人でもありますね。キューバ人の他、ベネズエラ人、アルゼンチン人、スペイン人、メキシコ人、ブラジル人がキューバ人を演じるわけです。そして監督はフランス人ですから実に国際色豊かです。
(アナ・マルガリータ・サンチェス役のアナ・デ・アルマス、映画から)
B: <救助に向かう同胞> のリーダー、ホセ・バスルト役のレオナルド・スバラグリアとWASPのリーダー、ヘラルド・エルナンデス役のガエル・ガルシア・ベルナルは、当ブログでは既にキャリア紹介をしています。
(ガエル・ガルシア・ベルナルとペネロペ・クルス、映画から)
A: 初登場のフアン・パブロ・ロケ役のワグネル・モウラは、ブラジル映画のジョゼ・パジーリャのアクション・クライム『エリート・スクワッド』(ベルリンFF2008金熊賞)、続編『エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊』(10)で主役ナシメントを演じてブレークした。
B: 『ナルコス』(15)のパブロ・エスコバル役、『セルジオ:世界を救うために戦った男』(20)はNetflix で配信されている。若いファンが多いのではないでしょうか。若者に最も人気があるのが、彼とアナ・デ・アルマスかもしれない。
A: ファン・サービスのためフィットネスまがいの愛のないセックスシーンを入れた。
B: 最後になるが、レネ・ゴンサレス役のエドガー・ラミレスは、1977年ベネズエラのサン・クリストバル生れ、父親が駐在武官だったせいで各国で暮らす。スペイン語の他、英伊独仏語ができる。大学では社会情報学を専攻したが役者の道を選んだ。
(PUNDのパイロット役のフリアン・フリンとラミレス、映画から)
A: ハリウッド映画出演が多いが、上記の『カルロス』の他、ベネズエラ映画ではアルベルト・アルベロの『解放者ボリバル』(13、スペイン合作)があり、シモン・ボリバルの伝記映画とはいえ、虚実織り交ぜた、観客が望んだ英雄像を描いている。トロント映画祭2013、ラテンビート2014上映のさいラミレス&作品紹介をしています。
B: 最新作は Netflix オリジナル作品、悪評さくさくの『ラストデイズ・オブ・アメリカン・クライム』(20)です。オファーは脚本を吟味しないといけない。
*ペネロペ・クルスの主な紹介記事は、コチラ⇒2019年05月20日
*ガエル・ガルシア・ベルナルの主な紹介記事は、コチラ⇒2016年09月16日/2019年05月13日
*レオナルド・スバラグリアの主な紹介記事は、コチラ⇒2020年01月11日
*ラミレス&『解放者ボリバル』紹介記事は、コチラ⇒2013年09月16日/2014年10月27日
「コロナ時代の映画製作は一変する」とアサイヤス監督
A: Netflix配信が始まった後のエル・パイス記者の電話インタビューで、コロナ後は「コロナ以前のような映画作りできない。撮影方法もテーマさえ違うものになる」と語っています。観客が映画館に行くことを躊躇しているからだという。
B: 映画は映画館で観る世代は減少しつづけており、それをコロナが一気に加速させてしまった。
A: パンデミアになってから、アサイヤスは10歳になる娘と田舎暮らしをしている。学校がない日は自分が勉強を見てやる。それに買い物、料理、掃除などをしている。パリが日常を取り戻しつつあるのでいずれ戻りたい。今は今後の映画作りのガイドになるような、ごく少数の人で作った、登場人物も2人か3人の作品、ベルイマン、ロメール、ルノワールの映画などを観ているようです。
B: 『WASPネットワーク』の対極にある作品です。
A: 本作のキューバでの撮影は大変だった由、先ず当時のハバナを再現するロケ地探しにも監視がついて回り、プレッシャーに苦しんだ。ここではもう撮影できないと思った日もあった。当局が圧力をかけたわけではありませんが、ストレスのかたまりだったそうです。
B: キューバ当局の実情を知らなすぎだったのではないか。スペインの監督なら先刻ご承知のことです。いくらドルを落としてくれても、反カストロ映画を作られたらお目玉食らいます。
A: コロナの収束があるのかないのか誰にも分かりませんが活路を見出さねばなりません。今後は撮影システムやテーマの変更も視野に入れると語っているので、次回作を待ちましょう。
『彷徨える河』の監督、8人の女性からセクシャルハラスメントで訴えられる ― 2020年06月30日 14:42
チロ・ゲーラ「悪意のこもった嘘八百」と法廷対決を辞さない構え
(『彷徨える河』のポスターをバックにしたチロ・ゲーラ監督)
★6月25日、エル・パイス紙以下の各新聞が一斉にコロンビアの監督チロ・ゲーラのセクシャルハラスメントと性的虐待の記事を報道しました。真偽のほどが分からない段階で、つまり性暴力の被害者側の話だけを信じてのブログアップは少々躊躇されますが、話半分としても事実なら残念の一言です。現在監督は、アマゾンプライムビデオのシリーズ「エルナン・コルテスとモクテスマ」撮影のためメキシコ入りしています。以前記事にしたようにハビエル・バルデムがコルテスに扮します。どうもケチがついて嫌な予感がします。
★各紙ともほぼ内容は似たり寄ったりです。発端はデジタルのフェミニスト雑誌「Volcánicas」に、コロンビアのジャーナリストであり作家でもあるマティルデ・デ・ロス・ミラグロス・ロンドニョと作家のカタリナ・ルイス・ナバロによって執筆されたレポートが掲載されたからです。マティルデによると、今年の初め、男性の友人から「チロ・ゲーラからセクシャルハラスメントを受けた事実を伝えたいという女性の連絡を受けた」という。すると次々に同じ経験をしたという声が入り合計8人に上った。それぞれお互いを知らない8人はチャットで出会い、その苦しみを語りあっていた。
★8人のケースは似通っていて、すべて国際映画祭、カンヌ、ベルリン、コロンビア、カルタヘナのイベント中であることが分かった。女性たちは告発すると仕事を失う恐怖があると推察します。7人がセクシャルハラスメント、残る1人が性的虐待です。2013年から19年、特に『彷徨える河』(15)がアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた以降に集中していたことが分かり、ノミネートの名声を嵩にかけて強要したことがはっきりしたという。ある女性は監督から「私がカンヌ映画祭の批評家週間の審査員になったのを知ってるでしょ」と言って、強引にキスをされたという。被害者の調査に数ヵ月を費やし、データの事実確認をして公にしたという。勿論監督は告発を全面否定、自分を守るために法廷に行くと語っている。
★被害者の名前は、すべてテレサだのカロリナだの仮名で現れ、刑法上の裁判を望むものではないという。なぜなら被害者は過去に受けた自身の苦しみを法廷で公にすることの恐怖、大衆の嘲笑を望まないからである。ジェンダーの専門家であるビビアナ・ボールケス弁護士は「ここコロンビアの裁判官は少なく見積もっても70パーセントが男性だから、脚に触ったの、キスを無理強いされたの、虐待されたのと訴えても、誇張しているだけと考えます」。今年同じような事案6例を検察に提出しましたが、加害者をのさばらせる結果に終わりました。コロンビアの裁判制度に問題があるのですと弁護士は語っています。
★生々しいレイプ体験を語ったアドリアナ(仮名)は「彼の体重の重さに抵抗できず、頭を押し付けられたりしたことが蘇えり、頭で追体験したり、法廷で質問に答えたりしたくない」と加わるのを躊躇したという。昨年11月に開催されたボゴタ映画祭のときに起きたという。アドリアナのケースでは傷口がまだ開いたままだから尻込みするのは当然でしょう。
チロ・ゲーラの事案は氷山の一角、映画界に蔓延するセクシャルハラスメント
★コロンビアのオーディオビジュアルの組合員にセクシャルハラスメントについてのアンケートを実施したところ、イエスが81%、そのうち報告しないで泣き寝入りをした人が84%という結果になった。うち一人は「プロデューサーはその事実を把握しているが、慣れろと言われただけ」という。非難した人は逆に嘲笑され、問題があるのはアナタとして村八分に会い、あげく解雇されることもある。失業したくなかったら黙るしかない。「一人では無力でも連帯すれば勝てるのだが、今不足しているのがその連帯」と、ボールケス弁護士。8人は告訴を望んでいないが、コロンビアのMe Too 運動の今後が試されます。
★メキシコに滞在している監督は「自身の名誉にかけて法廷闘争も辞さない」と決意のほどを語っていますが、潔白なら無実を証明していただきたい。『彷徨える河』の製作者、『夏の鳥』(18)を共同監督したクリスティナ・ガジェゴとのあいだに二人の子供がいるが、『夏の鳥』完成前に離婚していた。女性の権利拡大の推進者、イベロアメリカ・フェニックス賞2018で作品賞を受賞した折には、緑のハンカチを手に巻いて登壇していた。彼のセクシャルハラスメント問題が一因だったのだろうか。
(緑のハンカチを手に巻いてイベロアメリカ・フェニックス賞2018授賞式に臨む
クリスティナ・ガジェゴ監督、中央のグリーンのドレス)
*関連記事*
*『彷徨える河』の作品紹介記事は、コチラ⇒2015年05月24日/2016年12月01日
*『夏の鳥』の作品紹介記事は、コチラ⇒2018年05月18日/11月17日
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