『彷徨える河』 チロ・ゲーラ*コロンビア映画 ― 2016年12月01日 14:53
文明と野蛮はラテンアメリカ文化の古典的テーマ
★昨年、公開あるいは映画祭上映を期待してアップしたチロ・ゲーラの“El abrazo de la serpiente”が『彷徨える河』の邦題で公開された。カンヌ映画祭のパラレル・セクションである「監督週間」に正式出品した折に、原タイトルで紹介しております。カンヌ以降、世界の映画祭を駆け巡り、2016年の第88回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるというフィーバーぶり、それで公開されることになったのならアカデミー賞ノミネーションも悪くない。本作は昨年11月、第7回京都ヒストリカ国際映画祭において『大河の抱擁』の邦題で上映されました。まだ公開中ですが、新データを補足して改めて再構成いたします。
*作品・監督フィルモグラフィー紹介記事は、コチラ⇒2015年5月24日
*第88回アカデミー賞外国語映画賞ノミネートの記事は、コチラ⇒2016年1月17日
(二人のカラマカテを配した英語版ポスター
『彷徨える河』(原題“El abrazo de la serpiente”)
製作:Buffalo Producciones / Caracol Televisión / Ciudad Lunar Producciones 他
監督・脚本:チロ・ゲーラ(カタログ表記シーロ)
脚本(共同):ジャック・トゥールモンド・ビダル
撮影:ダビ・ガジェゴ
音楽:ナスクイ・リナレス
編集:エチエンヌ・ブサック、クリスティナ・ガジェゴ
製作者:クリスティナ・ガジェゴ
データ:コロンビア≂ベネズエラ≂アルゼンチン、スペイン語ほか、2015年、アドベンチャー・ミステリー、モノクロ、125分、言語はスペイン語・ドイツ語・英語・ポルトガル語のほかコロンビア、ペルー、ブラジルにおいて話されているクベオ語以下現地語マクナ語、ウイトト語など多数。撮影地はコロンビア南東部のバウペスVaupésの密林ほか多数、撮影期間約50日間。
映画賞・映画祭:カンヌ映画祭「監督週間」アートシネマ賞受賞、第88回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、以下オデッサ、ミュンヘン、リマ、マル・デル・プラタ、インドほか各映画祭で受賞、他にフェニックス賞、アリエル賞(イベロアメリカ部門)、イベロアメリカ・プラチナ賞など映画賞を受賞。2016年にはサンダンス(アルフレッド・P・スローン賞)、ロッテルダム(観客賞)などを受賞している。
(第2回イベロアメリカ・フェニックス賞のトロフィーを手にしたゲーラ監督)
キャスト:ニルビオ・トーレス(青年カラマカテ)、アントニオ・ボリバル・サルバドル(老年期のカラマカテ)、ヤン・バイヴート(テオ、テオドール・コッホ=グリュンベルク)、ブリオン・デイビス(エヴァン、リチャード・エヴァンズ・シュルテス)、ヤウエンク・ミゲ(マンドゥカ)、ミゲル・ディオニシオ、ニコラス・カンシノ(救世主・アニゼット)、ルイジ・スシアマンナ(ガスパー)、ほか
プロット:アマゾン川流液に暮らすシャーマンのカラマカテと、聖なる薬草を求めて40年の時を隔てて訪れてきた二人の白人探検家との遭遇を通して、友好、誠実、信仰、世界観の食い違い、背信などが語られる叙事詩。白人の侵略者によって人間不信に陥ったカラマカテは、自分自身の文明からも離れて一人ジャングルの奥深くに隠棲していた。そんな折、死に瀕したドイツ人民族学者が連れて来られる。一度は治療を断るが、病を治せる幻覚を誘発する聖なる樹木「ヤクルナ」を求めて大河を遡上する決心をする。40年後アメリカ人植物学者がヤクルナを求めて再びカラマカテを訪れてくる。自然と調和して無の存在「チュジャチャキ」になろうとしていた彼の人生は一変する。過去と現在を交錯させ、悠久の大河アマゾンの恵みと畏怖、文明と野蛮、聖と俗、シンクレティズム、異文化ショック、重要なのがラテンアメリカ文化に特徴的な<移動>あるいは〈移行〉が語られることである。
(瀕死のテオに一時的な治療を施す青年カラマカテ)
先住民の視点で描かれた母なる大河アマゾンへの畏怖
A: 期待を裏切らない力作、少しばかり人生観というか多様な物差しの必要に迫られました。過去にもアマゾンを舞台にした映画は作られましたが、大体が欧米人の視点で描かれていた。例えばクラウス・キンスキーがアギーレを演じたヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』(1972,西独)、10年後の『フィツカラルド』、カルロス・サウラの『エル・ドラド』(1988,西仏伊)、こちらはエリセの『エル・スール』で父親を演じたオメロ・アントヌッティがアギーレに扮した。
B: それぞれ力作ですが視点は当然白人側でした。主人公は本作に出てくる二人の探検家同様、アマゾンに魅せられた狂気の人物、この大河は人間を異次元に誘い込む媚薬のようです。
A: 主役は、時を隔ててアマゾンを訪れた二人の科学者にして探検家ではない。老年に達したカラマカテのようにも見えますが、生命を宿す母なる大河アマゾンという見方もできます。アマゾンなしでこの映画は成り立たない。
B: 二人の探検家の残した書物や資料が監督にインスピレーションを与えたとしても、それはキッカケでしかない。テオとして登場する最初に訪れたドイツ人テオドール・コッホ=グリュンベルクの視点は先住民に敬意をはらっているが、1940年代初めにアマゾンを訪れたエヴァン、アメリカ人植物学者のリチャード・エヴァンズ・シュルテスは、長生きして数々の功績を残した人物ですが、アマゾン探訪の動機は資本主義的であり、映画でもかなり辛辣に描かれている。
A: 本作がフィクションであることを押さえておくことが重要です。2011年から4年をかけて完成させた作品だそうですが、老年のカラマカテを演じたアントニオ・ボリバルの哲学が脚本に強い影響を与えていて、彼との出逢いが成功の決め手だった印象を受けました。ここで監督の名前の表記について触れておくと、カタログはシーロ・ゲーラで表記されていますが、今まで当ブログでは前例に従ってチロ・ゲーラで紹介してきました。
B: シロ・ゲラもあり、どれにするか迷いますね、配給元が今回監督に確認した結果ならシーロ・ゲーラに統一したほうがベターかもしれない。
A: Ciroはペルシャ帝国アケメネス朝の王キュロスから取られた名前、スペイン語ならスィロまたはシーロ、チロはイタリア語読みでしょうか。目下のところは当ブログでは前例に従っておきます。
B: そのほか聖なる樹「ヤクルナyakruna」は、実際には存在しない植物のようですね。
A: 映画では白っぽい花を咲かせていましたが、モノクロですし想像上の樹木ですから謎めかしていました。実際にはヤクルナに似た幻覚を誘発する樹木、例えばチャクルナからの連想かもしれない。とにかく本編を通じてヤクルナの美しさは忘れがたいシーンの一つでした。
B: モノクロ映画なのに、何故かカラーだったような印象があります。アマゾン流域の熱帯雨林の緑が目に焼きついて拭えないとか(笑)。
(青年カラマカテと聖なる樹木ヤクルナの白い花)
A: 「チュジャチャキchullachaqui」という語は、一種の分身ドッペルゲンガーらしく、語源はケチュア語、感情や記憶をなくした空っぽの無の存在になることのようです。老年に達したカラマカテがアメリカ人植物学者にして探検家のエヴァンに会ったときの状態がチュジャチャキだった。
B: 記憶をなくしていたカラマカテが最後に到達した神々の住む山地を目前にして佇むシーン、これも圧巻でした。
A: カラマカテは最後の「大蛇の抱擁」の儀式をおこなって忽然と消えてしまう。そして一人残されたエヴァンは〈大蛇に抱かれて〉異次元に迷い込むが、目覚めると再び現世に戻ってくる。この大蛇はアマゾンに棲息するというオオアナコンダでしょうか。冒頭の大蛇の出産シーンにもドキリとさせられましたが、本作では大蛇が鍵になっている。題名は自由につけていいのですが、『彷徨える河』では若干違和感があります。
(神々の住む山地を目前に呆然と佇む老いたるカラマカテとエヴァン)
悠久の大河アマゾンに潜む光と闇、侵略者が破壊した先住民文化
B: 部分的に挿入されるカプチン派修道士が孤児たちを教育の名のもとに収容する施設での狂気、自称救世主のブラジル人が村を支配する信じがたい事例など、ヨーロッパ人が先住民文化を破壊していくさまを描いている。
A: これは実際に起こった歴史的事実ですし、特別珍しい視点とは思いませんが、まさに文明と野蛮、何が文明で何が野蛮なのかという古典的テーマを、監督としては外すことができなかったのしょうね。
B: コロンビア人でも知らない「コロンビアの現実を知ってもらいたい」という監督の気持ちも理解できますが、やや詰め込みすぎの感無きにしも非ずかな。
(救世主の妻の病気を治療する老カラマカテ)
A: シンクレティズムの代表者として登場するのが瀕死の状態のドイツ人テオを連れてカラマカテを訪れるスペイン語のできるマンドゥカです。カラマカテのように白人を拒絶して隠棲して生きるか、マンドゥカのように西洋文明を受け入れ融合して生きるか、どちらかの選択を迫られる。
B: マンドゥカはさしずめガイド役、彼の部族もゴム栽培が目的の侵略者に土地を奪われながらも、生き残りをかけて融合の道を選んだ。
A: 大航海時代以降のラテンアメリカ諸国の受難は、概ね金太郎の飴です。欧米人はあたかも新大陸には文明がなかったかのように錯覚していましたから。
B: 豊かな叡智、キリスト教ではないが独自の宗教、神話、文字を持たなくても文明を持たない民族は存在しないということです。これに類した錯覚は大なり小なり現在も続いている。
(マンドゥカとテオ)
A: 過去をフラッシュバックさせながら行きつ戻りつしながら大河を遡上していきますが、いわゆるロード・ムービーという印象を受けなかった。
B: カラマカテは前進するのではなく、失った過去の記憶を取り戻そうとしている。未来ではなく過去へ過去へと遡っていく。
A: 彼の望みは大蛇に抱かれてあの世に旅立つこと、ここにあるのは前進ではなく単なる<移動>または〈移行〉であるように見える。この世とあの世は輪になっているから移動するだけである。
B: 本作の撮影隊は、プロデューサーのクリスティナ・ガジェゴによると、8000キロも移動したそうですが、よく7週間で撮れましたね。
A: 日本の国土の全長は約3000キロと言われますから、飛行機で飛んだ距離を含めても信じがたい距離です(笑)。クリスティナさんは監督夫人、デビュー作以来二人三脚で映画にのめり込んでいます。
B: 二人の間には二人の男の子がおり、そのタフさには驚きます。
(クリスティナ、監督、ドン・アントニオ、ブリオン・デイビス、アカデミー賞ガラにて)
A: コロンビアの国土はブラジルに次いで2番めに広い。しかし半分は熱帯雨林、人々はボゴタなど都市部に集中している。なかでも6段階にきっちり決められた階層社会、富裕層に属する6番目は2パーセントにすぎない。
B: 500万を超える国内難民も国境沿いを移動しており、前より良くなったとはいえ治安も悪く、国内での階層間、人種間の対立は解消されていない。
A: 先住民は50万人とも80万人とも資料によって開きがあるが、言語は現在でも65以上にのぼるというが、年々消滅していくでしょう。青年カラマカテを演じたニルビオ・トーレスも部族のクベオ語しかできなかったそうですが、出演をきっかけにスペイン語を学んだ。老カラマカテ役のドン・アントニオは英語ができ現地語の分からないスタッフとの通訳をした由、急速に変化していくのではないか。
B: 横道にそれますが、半世紀にわたる左翼ゲリラとの平和合意に達した功績で、現大統領サントス氏の「ノーベル平和賞受賞」のニュースが世界を駆け巡りました。しかし前途多難に変わりはない。
A: ゲリラ側に譲歩しすぎと考える国民は半分を超えています。これが国民投票の結果に現れている。反対の中心は元大統領のウリベ氏、彼は父親をゲリラに殺害されている。個人的恨みで異議を唱えているわけではないが国民の傷口は相当深い。
B: 催眠術にかかってしまった2時間でしたが、鑑賞をお薦めできる作品でした。音楽、撮影については、もう観ていただくのが一番です。
A: 前回アップした監督キャリア紹介、実在した二人の学者のアウトラインを若干補足して再録しておきます。ご参考にして下さい。
★チロ・ゲーラCiro Guerraは、1981年セサル州リオ・デ・オロ生れ、監督・脚本家。コロンビア国立大学の映画テレビを専攻する。1998年、同窓生のクリスティナ・ガジェゴ(1978年ボゴタ生れ)と制作会社「Ciudad Lunar Producciones」を設立する。長編デビュー作“La sombra del caminante”(2004)は、トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭2005で観客賞を受賞。第2作“Los viajes del viento”(2009)はカンヌ映画祭「ある視点」に正式出品、ローマ市賞を受賞後、多くの国際映画祭で上映された。ボゴタ映画祭2009監督賞、カルタヘナ映画祭2010作品賞・監督賞及びサンセバスチャン映画祭2010スペイン語映画賞、サンタバルバラ映画祭「新しいビジョン」賞などを受賞した。
★本作が第3作目になり、いずれもアカデミー賞コロンビア代表作品に選出されている。上記の映画賞のうち第3回イベロアメリカ・プラチナ賞では、作品賞・監督賞以下7部門を制している。現在ピーター・ライニーの著書をベースにした“The Detainee”(政治的抑留者の意)と、北コロンビアのグアヒラ砂漠を舞台にした“Birds of Passage”の2本が2018年の完成を目指して進行中である。
*第3回イベロアメリカ・プラチナ賞の記事は、コチラ⇒2016年7月31日
*なお2作目“Los viajes del viento”が『風の旅』の邦題でセルバンテス文化センターにて上映が予定されている(12月3日)
★テオドール・コッホ≂グリュンベルクTheodor Koch-Grünberg(1872~1924)は、ドイツのグリュンベルク生れ、20世紀の初め南米熱帯低地を踏査した民族学者。テオのモデルとなった。第1回目(1903~05)がアマゾン河流域北西部のベネズエラと国境を接するジャプラYapuraとネグロ川上流域の探検をおこない、地理、先住民の言語などを収集、報告書としてまとめた。第2回目は(1911~13)ブラジルとベネズエラの国境近くブランコ川、オリノコ川上流域、ベネズエラのロライマ山まで踏査し、先住民の言語、宗教、神話や伝説を詳細に調査し写真も持ち帰った。ドイツに帰国して「ロライマからオリノコへ」を1917年に上梓した。1924年、アメリカのハミルトン・ライス他と研究調査団を組みブラジルのブランコ川中流域を踏査中マラリアに罹り死去。
★リチャード・エヴァンズ・シュルテスRichard Evans Schultes(1915~2001)は、マサチューセッツ州ボストン生れ、ハーバード大学卒の米国の生物学、民族植物学の創始者。エヴァンのモデルとなった。大学卒業後、戦時中の1941年にゴムノキ標本採集をアメリカ政府から要請され、初めてアマゾン河高地を踏査している。長い滞在で映画にも出てきたマクナ語、ウイトト語などの現地語を理解した。幻覚性植物の研究者としても知られ、著書『図説快楽植物大全』が2007年に東洋書林から刊行されている。
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