ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』③*監督&スタッフ紹介 ― 2024年11月26日 16:09
『ペドロ・パラモ』で監督デビューしたロドリゴ・プリエト
(Deadline のインタビューを受けるプリエト監督、2024年11月24日)
★ロドリゴ・プリエトといえば、一般的にはマーティン・スコセッシの『沈黙―サイレンス』(16)、『アイリッシュマン』(19)、最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23)、アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』(05)、ベネチア映画祭2007の金のオゼッラ賞受賞作『ラスト・コーション』、ベン・アフラックの『アルゴ』(12)、グレタ・ガーウィグの『バービー』とアメリカ映画の撮影監督として知られています。上記のデッドラインのインタビューで、『バービー』と『キラーズ~』の撮影の合間を縫って『ペドロ・パラモ』を何回も読み返し推敲したと語りました。
(『沈黙―サイレンス』撮影中のマーティン・スコセッシと)
★しかしスペイン語映画ファンとしては、もうアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのデビュー作『アモーレス・ぺロス』に尽きます。2000年、カンヌ映画祭併催の「批評家週間」で鮮烈デビュー、作品賞を受賞した。第1話に主演したガエル・ガルシア・ベルナルは、メディアのインタビュー攻めに「天地がひっくり返った」と語ったのでした。その後の快進撃は以下のフィルモグラフィーの通りです。2009年、ペドロ・アルモドバルの『抱擁のかけら』でタッグを組み、アルモドバル嫌いからは「どこを褒めたらいいか分からない」と酷評されましたが、プリエトの映像美は高い評価を受け、スペインのシネマ・ライターズ・サークル賞を受賞した。
(『BIUTIFULビューティフル』撮影中のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと)
★キャリア紹介:1965年メキシコシティ生れ、撮影監督、映画監督。国籍はメキシコと米国、ロサンゼルス在住。祖父はサンルイス・ポトシ市長、メキシコシティ知事、下院議長を務めた政治家、政治的対立で迫害されテキサスに亡命、後ロサンゼルスに移る。父はニューヨークで航空工学を専攻、結婚後メキシコに戻りロドリゴが誕生した。彼は1975年設立された国立機関の映画養成センターCCC(Centro de Capacitación Cinematográfica)で学んでいる。2021年ヴィルチェク財団が選考するヴィルチェク映画賞を受賞、2023年にはモレリア映画祭の審査員を務めている。監督として、2013年、製作国米国の短編「Likeness」(9分、英語)をトライベッカ映画祭に正式出品、2019年には「R&R」(6分、米、英語)を撮っている。『ペドロ・パラモ』で長編監督デビューした。
(金のオゼッラ賞を受賞した『ラスト、コーション』撮影中のアン・リーと)
★フィルモグラフィー(本邦公開作品、短編、TVシリーズ、ミュージックビデオは割愛)
1991「El jugador」メキシコ、デビュー作、監督ホアキン・ビスナー
1996「Sobrenatural」メキシコ、監督ダニエル・グルーナー、1997年アリエル賞初受賞
1996『コロンビアのオイディプス』(「Oedipo alcalde」邦題はキューバFF2009による)
コロンビア・スペイン合作、監督ホルヘ・アリ・トリアナ
*作品紹介記事は、コチラ⇒2014年04月27日
1998「Un embrujo」メキシコ、監督カルロス・カレラ、
1999年アリエル賞、サンセバスチャンFF受賞
2000『アモーレス・ぺロス』メキシコ、監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
2001年アリエル賞、ゴールデン・フロッグ賞受賞
2001『ポワゾン』米国、監督マイケル・クリストファー
2002『8 Mile』ミュージカル、米国・独、監督カーティス・ハンソン
2002『25時』米国、監督スパイク・リー
2002『フリーダ』米国・カナダ合作、監督ジュリー・テイモア
2002『彼女の恋から分かること』米国、監督ロドリゴ・ガルシア
2003『21グラム』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
2004『アレキサンダー』米国、監督オリバー・ストーン
2005『ブロークバック・マウンテン』米国、監督アン・リー、アカデミー賞ノミネート
シカゴFF、ダラス・フォートワースFF、フロリダFF、各映画批評家協会賞受賞
2006『バベル』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、
2007『ラスト、コーション』米国、監督アン・リー、ベネチアFF金のオゼッラ賞受賞
2009『抱擁のかけら』スペイン、監督ペドロ・アルモドバル、
シネマ・ライターズ・サークル賞受賞
2009『消されたヘッドライン』米国、監督ケヴィン・マクドナルド
2010『BIUTIFULビューティフル』スペインとの合作、スペイン語、
監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、アリエル賞受賞
2010『ウォール・ストリート』米国、監督オリバー・ストーン
2011『恋人たちのパレード』米国、監督フランシス・ローレンス
2012『アルゴ』米国、監督ベン・アフラック
2013『ウルフ・オブ・ウォールストリート』米国、監督マーティン・スコセッシ
2014『ミッション・ワイルド』米国・フランス合作、トミー・リー・ジョーンズ
2014『夏の夜の夢』米国、監督ジュリー・テイモア
2015『沈黙-サイレンス』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート
2016『パッセンジャー』SF、米国、監督モルテン・ティルドゥム
2019『アイリッシュマン』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート
2020『グロリアス 世界を動かした女たち』米国、監督ジュリー・テイモア
2023『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』米国、監督マーティン・スコセッシ、
アカデミー賞ノミネート、サンディエゴFF、サンタ・バルバラFF、ダブリンFF、
各映画批評家協会賞受賞
2023『バービー』米国、監督グレタ・ガーウィグ、
ナショナル・ボード・オブ・レビュー、他多数
2024『ペドロ・パラモ』メキシコ、監督、共同撮影ニコ・アギラル
★以上、公開作品、受賞作品を中心に列挙しました。映画祭ノミネートがトータル129という驚異的な数には恐れ入ります。ノミネートはオスカー賞4作(スコセッシ3作、アン・リー1作)のみアップしました。イニャリトゥがオスカーを受賞した『バードマン~』と『レヴェナント 蘇えりし者』の撮影監督はエマニュエル・ルベッキでした。プリエトと同世代の彼はオスカー像を3個も貰っています。「賞を貰うために仕事をしているわけではない」ですけど。
★脚本を共同執筆したマテオ・ヒル・ロドリゲス Mateo Gilは、1972年カナリア諸島のラス・パルマス生れ、スペインの監督、脚本家、製作者。アレハンドロ・アメナバルのデビュー作『テシス、次に私が殺される』(96)の共同脚本家、助監督としてスタートした。長編デビュー作「Nadie conoce a nadie」(99)が東京国際映画祭2000に『ノーバディ・ノウズ・エニバディ』の邦題で正式出品され、翌年『パズル』で公開された。『アモーレス・ぺロス』が作品賞を受賞した年でした。
★2004年のアメナバルの『海を飛ぶ夢』では、監督と脚本を共同執筆、ゴヤ賞オリジナル脚本賞を受賞、さらに本作はアカデミー賞2005の外国語映画賞受賞作品でした。ネットフリックスTVシリーズ『ミダスの手先』(20、6話)のクリエーター、脚本も執筆している。
(写真下は視聴覚媒体におけるアーティストの福利厚生及びプロモーションを援助する財団AISGE のインタビューを受けたときの最新フォト)
(AISGEのインタビューを受けるマテオ・ヒル、2024年1月14日)
★かつて「ペドロ・パラモ」を監督する企画があり脚本も執筆した。しかし資金が底をついて実現に至らなかった。舞台となるコマラの町のセットも二つ必要でしたから、ネットフリックスの資金援助がなければ難しかったと思われます。その際の脚本がたたき台になったようですが、監督と脚本家もそれぞれ異なるビジョンがあり、削除したいシーン、追加したいシーンを徹底的に議論したようです。今回は脚本を手掛けているので、脚本に絞ってキャリアを紹介したい。
(短編は割愛しました)
1996『テシス、次に私が殺される』監督アレハンドロ・アメナバルとの共同執筆
1997『オープン・ユア・アイズ』同上
1999『パズル』(TIFFタイトル「ノーバディ・ノウズ・エニバディ」)監督、
脚本はフアン・ボニジャとの共同執筆
2001『バニラ・スカイ』(『オープン・ユア・アイズ』のリメイク版)
監督、脚本キャメロン・クロウ、原案アレハンドロ・アメナバル&マテオ・ヒル
2004『海を飛ぶ夢』監督アメナバル、監督との共同執筆、
ゴヤ賞2005オリジナル脚本賞受賞
2005「El método」アルゼンチン・伊・西、監督マルセロ・ピニェイロ、監督との共同執筆
ゴヤ賞2006脚色賞受賞、アルゼンチン映画アカデミー賞脚色賞受賞
2009『アレクサンドリア』監督A・アメナバル、監督との共同執筆、
ゴヤ賞2010オリジナル脚本賞受賞
2016「Realive」SF、監督&脚本マテオ・ヒル、ファンタスポルト作品賞&脚本賞受賞
2018『熱力学の法則』監督&脚本マテオ・ヒル、マイアミFF監督賞受賞、Netflix配信
2024『ペドロ・パラモ』監督ロドリゴ・プリエト
★2011『ブッチ・キャシディ―最後のガンマン―』は監督のみで、脚本はミゲル・バロスが執筆した。トライベッカFFでプレミア、トゥリア賞2012新人監督賞受賞、ゴヤ賞2012監督賞にノミネートされた。
*「El método」の紹介記事は、コチラ⇒2013年12月19日
*『熱力学の法則』の紹介記事は、コチラ⇒2018年04月02日
★音楽を手掛けたグスタボ・サンタオラジャ(ブエノスアイレス1951)は、アルゼンチンのミュージシャン、『バベル』と『ブロークバック・マウンテン』でオスカー像をゲットしたほか、オンライン映画テレビ協会賞、ほかラスベガスとサンディエゴ映画批評家協会賞など受賞歴多数。『アモーレス・ぺロス』と『BIUTIFULビューティフル』ではアリエル賞、ウォルター・サレスの『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)とダミアン・シフロンの『人生スイッチ』(14)でアルゼンチン映画批評家協会賞など活躍の舞台は国際的です。
*『人生スイッチ』での紹介記事は、コチラ⇒2015年01月19日/同年07月29日
(グスタボ・サンタオラジャ)
★次回はキャスト紹介を予定しています。
ミゲル・ゴメスの「Grand Tour」が監督賞*カンヌ映画祭2024受賞結果 ― 2024年06月07日 10:48
ポルトガルのミゲル・ゴメスの「Grand Tour」が監督賞
(トロフィーを手にしたミゲル・ゴメス、カンヌ映画祭2024ガラにて)
★カンヌ映画祭2024は、コンペティション部門の監督賞に「Grand Tour」(ポルトガル=伊=仏ほか)のミゲル・ゴメスを選びました。初期の短編、ドキュメンタリーを含めると既に17作を数えますが、劇場公開は第3作『熱波』1作のみ、今回カンヌFFの監督賞受賞作が『グランド・ツアー』の邦題で2025年公開が決定しています。先輩監督ペドロ・コスタ(『ヴァンダの部屋』『ホース・マネー』他)の後押しもあって、ミニ映画祭で特集が組まれるほどシネマニアのあいだでは人気の監督です。しかしスペイン語以上にマイナーなポルトガル語映画、公開に先立ってキャリア&フィルモグラフィーの予習をしてみました。
(左から、クリスタ・アルファイアチ、ゴメス監督、ゴンサロ・ワディントン、
カンヌ映画祭2024レッドカーペット、5月23日)
★簡単なストーリー:『グランド・ツアー』の舞台は1917年、公務員のエドワード(ゴンサロ・ワディントン)は、ヤンゴンでの結婚式の当日、婚約者のモリー(クリスタ・アルファイアチ)からの逃亡を企てます。しかし彼との結婚を決意したモリーは夫の逃亡を面白がり、シンガポール、バンコク、サイゴン、マニラ、大阪、上海とアジアの各都市を横断する彼の冒険を尾行することにします。
*ヤンゴンは2006年までミャンマー(旧称ビルマ)の首都だった大都市、英語風に訛ってラングーンで知られる。旧称サイゴンはベトナムのホーチミン市。
★というわけで監督と撮影隊は、ミャンマー、シンガポール、タイ、ベトナム、フィリピン、日本の各都市を移動した。コロナ禍で予定されていた中国上海での撮影は中止となったが、封鎖ぎりぎりセーフだった日本の京都鴨川での撮影はできフォトが公開されている。カラー&モノクロ、コダックフィルム16mmで撮影され、撮影監督は『ブンミおじさんの森』(10)のサヨムプー・ムックディプロム、ゴメス監督お気に入りの『自分に見合った顔』、『私たちの好きな八月』や『熱波』のルイ・ポサス、初参加のGui Liang 桂亮グイ・リャン、クランクインは2020年初頭、監督によると4年の歳月を要したということです。
(右端が京都の鴨川で撮影中のゴメス監督、2020年2月)
★日本側製作者として今夏7月に公開されるサスペンス・ドラマ『大いなる不在』の近浦啓監督が参画しています。本作はサンセバスチャン映画祭2023で藤竜也が銀貝賞の最優秀主演俳優賞、監督もギプスコア学芸協会賞を受賞した作品、藤竜也の受賞スピーチが絶賛されたことは当ブログで紹介しています。間もなく封切られます。
★ミゲル・ゴメス Miguel Gomes は、1972年リスボン生れ、監督、脚本家、フィルム編集者。リスボン映画演劇上級学校(Escola Superior de Teatro e Cinema di Lisbona)で学び、映画評論家としてキャリアをスタートさせる。イタリアのネオリアリズムとフランスのヌーベルバーグの影響を受けたニューシネマ運動の世代に属している。短編デビューは1999年の「Entretanto」(仮題「合い間」)以下9編、2004年の「A Cara que Mereces」で長編デビュー、第2作『私たちの好きな八月』は、カンヌFF2008併催の「監督週間」に正式出品され注目される。2010年、日本ポルトガル修好通商条約150周年を記念して、東京国立近代美術館フィルムセンターが企画した「マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画の巨匠たち」で、ジョアン・セーザル・モンテイロ、ペドロ・コスタ、パウロ・ローシャなどと並んで若手監督の一人として本作が紹介された。この映画祭は当時ちょっとしたポルトガル映画旋風を巻き起こした。
(ゴメス監督、カンヌFF2024,フォトコール)
★カンヌ映画祭2015併催の「監督週間」にノミネートされた「アラビアン・ナイト三部作」(6時間21分)は、「第2回広島国際映画祭2015」(11月20日~23日)で特集が組まれ、3分割された第1部~第3部が一挙上映された。ゴメス監督も来日してQ&Aに参加、前作の『熱波』もエントリーされた。後に「イメージフォーラム・フェスティバル2019」が企画され、東京初上映となったが、その他ミニ映画祭での上映もあり、マイナーながら日本語字幕入りで鑑賞できた監督。公開作品は上記したように『熱波』のみ、2025年の「グランド・ツアー」が待たれるところである。2012年ポルトガルは、スペイン同様経済危機に見舞われ、EUのお荷物といわれた。監督によると「貧乏であることの唯一のメリットは、大ヒット作を放つ義務から解放され、少し自由が得られることです」と皮肉っている。
(公開された『熱波』ポスター)
*因みにアントワーン・フークアの『サウスポー』(15)にジェイク・ギレンホールの対戦相手として共演しているミゲル・ゴメス(Gómez)は、1985年コロンビアのカリ生れの俳優です。米国のTVシリーズに出演している。またホラーコメディ『パラノーマル・ショッキング』(10)の監督は、コスタリカのミゲル・アレハンドロ・ゴメス(Gómez / Gomez サンホセ1982)で別人です。メジャーな名前なのでネットでの紹介記事に混乱が見られます。以下に主なフィルモグラフィーをアップしておきます。目下配信されている動画は見つかりませんでした。
*主なフィルモグラフィー(短編割愛、主な受賞歴)
2004「A Cara que Mereces」『自分に見合った顔』ポルトガル、108分、監督・脚本
インディリスボア・インディペンデントFF作品・批評家賞
2008「Aquele Querido Mes de agosto」『私たちの好きな八月』同上、147分、監督・脚本
BAFICIブエノスアイレス国際インディペンデントFF2009作品賞、
バルディビアFF国際映画賞、ポルトガルのゴールデングローブ2019作品賞、
グアダラハラFF特別審査員賞、サンパウロFF2008批評家賞、
ビエンナーレ2008FIPRESCI賞、カンヌFF2008併催の「監督週間」正式出品
2012「Tabu」『熱波』ポルトガル・独・ブラジル、118分、公開2013、監督・脚本・編集
ベルリンFF2012、FIPRESCI賞&アルフレッド・バウアー賞受賞、ゲントFF作品賞、
ポルトガルのゴールデングローブ2013作品賞、ラス・パルマスFF2012観客賞他、
ポルトガル映画アカデミー ソフィア賞2013編集賞、他多数
2015「As Mil e Uma Noites: Volume 1, O Inquieto」
『アラビアン・ナイト 第1部休息のない人々』ポルトガル・仏・独・スイス、
125分、監督・脚本
「As Mil e Uma Noites: Volume 2, O Desolado」
『アラビアン・ナイト 第2部孤独な人々』同上、132分、監督・脚本
「As Mil e Uma Noites: Volume 3, O Encantado」
『アラビアン・ナイト 第3部魅了された人々』ポルトガル・仏・独、125分、同上
*以上「三部作」はカンヌFF2015併催の「監督週間」正式出品された。
ポルトガルのゴールデングローブ2016作品賞、シドニーFF2015作品賞、
コインブラFF2015監督・脚本賞、セビーリャ・ヨーロッパFF作品賞、
シネヨーロッパ賞2016トップテン入り、他
2021「Diários de Otsoga」『ツガチハ日記』モーレン・ファゼンデイロとの共同監督、脚本
ポルトガル・仏、102分、カンヌFF2021併催の「監督週間」正式出品、
マル・デル・プラタFF2021監督賞、イメージフォーラム・フェスティバル2022上映
2024「Grand Tour」『グランド・ツアー』ポルトガル・仏・伊・独・日本・中国、129分、
監督・脚本、カンヌFF2024監督賞、2025公開予定
*2023年にスペインのヒホン映画祭の栄誉賞を受賞している。
マルセロ・ピニェイロ、レトロスペクティブ賞ガラ*マラガ映画祭2024 ⑨ ― 2024年03月18日 17:04
アルゼンチンの監督マルセロ・ピニェイロにレトロスペクティブ賞
★3月8日金曜日、日刊紙マラガ・オイがコラボするレトロスペクティブ賞―マラガ・オイが、アルゼンチンの監督、脚本家、製作者のマルセロ・ピニェイロに与えられました。総合司会者はセリア・ベルメホでした。本賞は映画功労賞の意味合いがありベテラン・シネアストが受賞する賞です。1953年ブエノスアイレス生れのピニェイロは、70歳を超えていますが勿論現役です。プレゼンターは撮影監督のアルフレッド・マヨ、監督で製作者のヘラルド・エレーロ、Netflix ラテンアメリカ担当の副会長フランシスコ・ラモス、俳優のホアキン・フリエル、作家で脚本家のクラウディア・ピニェイロの5名でした。
★プレゼンター各氏の温かい紹介スピーチを会場で聞き入っていた受賞者は、セリア・ベルメホに促されて颯爽と登壇すると、クラウディア・ピニェイロの手からトロフィーを受けとりました。40代で監督デビューした受賞者は、「まず何よりも、私を受賞者に選んでくださったフェスティヴァルに御礼を申し上げたい。以前にこの賞を誰が受賞したか知ったとき、この賞の価値に気づきました。私は多くの素晴らしい人々に支えられて幸運でした、例えば映画や演劇の先生、脚本家、撮影監督、プロデューサー、俳優、私の映画を輝かせてくれた沢山の人々です。皆さんにありがとうを言いたい」と拍手に囲まれながらエモーショナルに締めくくった。
(右端にクラウディア・ピニェイロ)
★当ブログでは2回にわたってキャリア&フィルモグラフィー紹介をしていますが、系統だった記事ではないので補足します。アルゼンチンのラプラタ大学で映画を専攻、1983年、ルイス・プエンソと制作会社シネマニアを設立、アルゼンチンに初めてオスカー像をもたらした『オフィシャル・ストーリー』(85)の製作を手掛けました。アルゼンチン映画アカデミー設立メンバーの一人で副会長に就任している。1993年、「Tango feroz: la leyenda de Tanguito」で監督デビュー、監督第1作に与えられる銀のコンドル賞オペラ・プリマ賞を受賞した。監督デビューが遅かったこともあり、映画作家としては寡作です。しかし評価は高く多くが映画祭や映画賞を受賞している。フィルモグラフィーは以下の通り:
1995年「Caballos salvajes」監督・脚本(共同アイダ・ボルトニク)
サンダンス映画祭1996オナラブルメンション、レリダ映画祭1997観客賞
1997年「Cenizas del paraíso」監督・脚本(共同アイダ・ボルトニク)
ゴヤ賞1998スペイン語外国映画賞、ハバナFF1997脚本賞、レリダFF1998観客賞
2000年「Plata quemada」監督・脚本(共同マルセロ・フィゲラス)
邦題は『炎のレクイエム』『逃走のレクイエム』『燃やされた現ナマ』
ゴヤ賞2001スペイン語外国映画賞、銀のコンドル脚色賞
2001年「Historias de Argentina en Vivo」監督
2002年「Kamchatka」監督・脚本(共同マルセロ・フィゲラス)
カルタヘナ映画祭2003脚本賞、バンクーバーFF2003ポピュラー賞、
ハバナ映画祭2003脚本賞・サンゴ賞3席
2005年「El método」監督・脚本(共同マテオ・ヒル)
ゴヤ賞2006脚本賞、シネマ・ライターズ・サークル賞、フランダース映画祭観客賞
2009年「Las viudas de los jueves」監督・脚本(共同マルセロ・フィゲラス)
『木曜日の未亡人』DVDタイトル
2013年「Ismael」監督・脚本(共同マルセロ・フィゲラス、ベロニカ・フェルナンデス)
2021~23年「El reino」TVシリーズ、監督・脚本(共同クラウディア・ピニェイロ)
邦題『彼の王国』Netflix配信、銀のコンドル2022オリジナル脚本賞、
イベロアメリカ・プラチナ賞2022 TVミニシリーズ部門作品賞
★クラウディア・ピニェイロとは、彼女のベストセラー小説 “Las viudas de los jueves”(2005年刊)を映画化した。公開には至らなかったが『木曜日の未亡人』(09)の邦題で2010年DVD化された。最近ではTVミニシリーズ「El reino」(8話)の共同執筆者でもあり、また今回のマラガ映画祭セクション・オフシアルの審査委員長を務めている。また本シリーズには主演男優賞を受賞したホアキン・フリエルが重要な役どころで出演している。アップが受賞結果と前後したので3月8日段階では 分からなかったが、監督お気に入りのようです。
(監督と脚本家クラウディア・ピニェイロ)
(ヘラルド・エレーロ、監督、ホアキン・フリエル)
★アルフレッド・マヨは「Caballos salvajes」「Cenizas del paraíso」「Plata quemada」「Kamchatka」「El método」とヒット作を手掛けているスペインの撮影監督です。マドリード出身のヘラルド・エレーロは監督と同じ1953年生れ、スペインだけでなく多くのラテンアメリカの監督とタッグを組んでいる。ピニェイロとは、「Plata quemada」や「El método」を製作している。
*「El método」の作品紹介は、コチラ⇒2013年12月19日
*『逃走のレクイエム』の作品紹介は、コチラ⇒2022年06月16日
第68回バジャドリード映画祭2023*結果発表 ― 2023年11月25日 19:05
新星ラウラ・フェレスのデビュー作「La imatge permanent」に金の穂
★10月28日、バジャドリード映画祭がバルセロナ出身のラウラ・フェレスの長編デビュー作「La imatge permanent」を金賞(Espiga de Oro)に選んで閉幕しました。スペインが初めて受賞したのは2007年のヘラルド・オリバレス監督の「14 kilómetros」にも驚きますが、今回が68回目という長い歴史のある映画祭で「女性監督の受賞は初めて」の記事に感慨深いものがありました。作品&監督キャリア紹介は後述しますが、1989年にバルセロナのエル・プラット・デ・リョブレガット生れの34歳、監督、脚本家です。その若さにも驚きましたが、予告編を見ただけでもそのエネルギーとユニークさに引きこまれました。キャストはおおむね本作が初出演というからそれも楽しみ、演技賞はさておき少し荒削りの感もありますが、ゴヤ賞新人監督賞ノミネートは間違いないと予想します。
(金の穂賞のトロフィーを手にしたラウラ・フェレス、10月28日ガラ)
★バジャドリード映画祭は、今年で68回目というスペインでも老舗の国際映画祭です。1956年Semana del Cine Religioso de Valladolid(バジャドリード宗教映画週間)としてスタート、その後名称が何回か変わり、1973年Semana Internacional de Cineとなり現在に至っています。バジャドリード映画祭よりSEMINCIの名で親しまれていますが、SeminciでなくSem-In -Ciに拘る人々もいるわけです。本祭のディレクターは今年からセビーリャ映画祭の総ディレクターだったホセ・ルイス・シエンフエゴスに変わり、彼が初めて統率する映画祭でもありました。本祭はレッドカーペットでなくグリーンカーペットの映画祭としても知られています。
(ホセ・ルイス・シエンフエゴス新ディレクターの祝福を受けるラウラ・フェレス)
★国際映画祭ですが、スペイン映画関係の受賞者をピックアップしますと、栄誉賞にブランカ・ポルティリョ、彼女はパウラ・オルティスの「Teresa」でテレサ・デ・ヘススに扮しフォルケ賞2024女優賞にノミネートされており、本祭でもアウト・オブ・コンペティションですが上映されました。同じフォルケ賞でノミネートされているマレナ・アルテリオ主演の「Que nadie duerma」(監督アントニオ・メンデス・エスパルサ)もコンペティション部門で上映されており、フォルケ賞も作品賞以上に混戦が予想されます。
(栄誉賞のトロフィーを手にしたブランカ・ポルティリョ)
「La imatge permanent」
(西題「La imagen permanente」英題「The Permanent Picture」)
製作:Fasten Films(スペイン)/ Le Bureau(フランス)/ ICAA / ICEC / TV3
/ Volta Producción
監督:ラウラ・フェレス
脚本(共同):ラウラ・フェレス、カルロス・ベルムト、ウリセス・ポッラ
撮影:アグネス・ピケ・コルベラ
編集:アイナ・カジェハ
音響:ダニ・フォントロドナ
音楽:フェルナンド・モレシ・ハベルマン、セルヒオ・ベルトラン
製作者:アドリア・モネス・ムルランス、ガブリエル・ドゥモン、ガブリエル・カプラン、他
データ:製作国スペイン=フランス、2023年、スペイン語・カタルーニャ語、ドラマ、94分、長編デビュー作、撮影地エル・プラット・デ・リョブレガット(バルセロナ、監督の生地)、配給La Aventura(スペイン)、公開スペイン11月17日
映画祭・受賞歴:ロカルノ映画祭2023コンペティション部門でプレミア(8月6日)、ケンブリッジ映画祭(10月22日)、テッサロニキ映画祭(11月9日)、第68回バジャドリード映画祭コンペティション部門、作品賞を受賞。
ストーリー:スペイン南部の片田舎で暮らしていた10代の母親アントニアは、赤ん坊を残して真夜中に出奔する。50年後、はるか彼方の北の町では、引っ込み思案のキャスティング・ディレクターのカルメンが、次のプロジェクトのためのヒロイン探しに逡巡していたとき、偶然アントニアと出会います。新しい街に越してきて共通の繋がりを発見するという女性に出会ったとき、その衝動性がカルメンの孤独に侵入してきます。映画は20世紀のアンダルシアで始まり、現在のバルセロナで繰り広げられる。「時間がすべての傷を癒してくれると誰が言いましたか?」これはスペイン内戦後、アンダルシアからカタルーニャに移住してきた人々の歌や物語の一部です。自分の経験を共有してくれる人を探す物語。
アンダルシアからカタルーニャに移住してきた人々のルーツを探る
★長編デビュー作「La imatge permanent」は、アンダルシア出身の監督の母方の祖母にインスパイアされた作品で、ディアスポラの不安を探求している。自身の家族史のなかにフィクションを滑りこませ、キャスティング・ディレクターとしての自身の過去を、スペイン内戦後にアンダルシアの田舎から北の都会に移住してきた家族の伝承として掘り下げる。農村から都市への切り替えの影響を受けている人々への頌歌、それが理解できない世間知らずの為政者への風刺、監督は「憂鬱なコメディ」と称している。内向的なカルメンには監督が投影されている。監督は「この映画の最も重要な要素の一つは時間です」と、時間がテーマの一つのようです。「批評家週間」のネクスト・ステップ・イニシアチブ、トリノ・フィルム・ラボの支援を受け、マラガ映画祭のワーク・イン・プログレスプロジェクトに選ばれていました。
★ラウラ・フェレスは、1989年生れ、監督、脚本家。バルセロナのESCAC(カタルーニャ映画視聴覚上級学校)卒、最終課程で制作した「A perro flaco」(14)がバジャドリード映画祭スペイン短編の夕べ部門にノミネート、他にモントリオール映画祭2015などで上映された。2017年、カンヌ映画祭併催の「批評家週間」短編部門にドキュメンタリー「Los desheredados」(18分、The Disinherited)がノミネート、ライカ・シネ・ディスカバリー賞を受賞、後にSeminciでも上映され、翌年のゴヤ賞2018短編ドキュメンタリー映画部門で製作者のバレリー・デルピエールと受賞した。ガウディ賞は短編賞、ポルトガルのビラ・ド・コンデ短編映画祭のヨーロピアン短編賞、アルカラ・デ・エナレス短編映画祭では脚本賞、父親のペレ・フェレスが男優賞を受賞するなどした。本短編はドキュメンタリーとフィクションを行ったり来たりするような手法で父親の会社の倒産を描いている。ゴヤ賞ガラには父親と出席した。金の穂受賞作には俳優として出演している。
(父親ペレ・フェレスと監督、ゴヤ賞2018ガラ)
★第11回フェロス賞2024のノミネーションが発表になっています。2年連続でサラゴサ開催でしたが、マドリードに戻って、1月26日開催です。
ビクトル・エリセにドノスティア栄誉賞*サンセバスチャン映画祭2023 ⑫ ― 2023年09月02日 16:27
二人目の受賞者がビクトル・エリセにびっくり
★8月22日、第71回サンセバスチャン映画祭事務局は、二人目のドノスティア栄誉賞受賞者がビクトル・エリセ(ビスカヤ県カランサ1940)監督とアナウンスしました。一人目が5月12日に発表された俳優のハビエル・バルデム、第71回の顔になっています。順序が逆のような印象を受けますが、SSIFFの栄誉賞受賞者の公式サイトには、エリセ、バルデムの順になっており、先輩エリセに敬意をはらったようです。
*ハビエル・バルデムのドノスティア栄誉賞受賞記事は、コチラ⇒2023年06月09日
★授賞式は9月29日、メイン会場クルサールではなく、最新作「Cerrar los ojos / Close Your Eyes」(スペイン=アルゼンチン合作)が上映されるビクトリア・エウヘニア劇場、50年前に長編デビュー作『ミツバチのささやき』(73)が上映された劇場です。本作はSSIFFの金貝賞受賞作品、2003年には『ミツバチのささやき』金貝賞受賞30周年記念上映会が開催されています。プレゼンターは撮影時7歳だったアナ・トレント、長編4作目となる新作にも出演しています。本祭上映後に、スペインでは一般公開が確定しています。
(左から、製作者エリアス・ケレヘタ、アナ・トレント、姉役イサベル・テリェリア、
エリセ監督、サンセバスチャン映画祭2003年)
★1986年に新設されたドノスティア栄誉賞は、第1回に俳優グレゴリー・ペックを選出、以来演技者の受賞者が続き監督にも光があたるようになったのは、アグネス・ヴァルダ(17)、是枝裕和(18)、コスタ・ガブラス(19)、クローネンバーグ(22)など最近のことです。エリセで受賞者はトータル69人となり、スペイン人の受賞者は今回の2人を含めて7人です。フェルナンド・フェルナン=ゴメス(99)、パコ・ラバル(01)、アントニオ・バンデラス(08)、カルメン・マウラ(13)、ペネロペ・クルス(19)、ハビエル・バルデム、監督一筋の受賞者はビクトル・エリセが初めてでしょう。
★授賞理由は書くまでもないのか公式のコメントはありませんし、当ブログでも監督キャリア&フィルモグラフィーは「Cerrar los ojos」で最近アップしたばかり、カンヌ映画祭2023欠席の経緯も紹介済みです。以下の写真は、3つのエピソードで構成されたオムニバス「Los desafíos」(DVD邦題『挑戦』)がサンセバスチャン映画祭1969の監督賞を受賞したときの、エリセ他、ホセ・ルイス・エヘア、クラウディオ・ゲリンの新人3人です。今は亡き大物プロデューサーであったエリアス・ケレヘタのお眼鏡にかなった3人です。4年後にエリセは『ミツバチのささやき』で金貝賞に輝いたことは上述の通りです。
(エリセ、ホセ・ルイス・エヘア、クラウディオ・ゲリン、
本祭の招待客宿泊ホテルである、マリア・クリスティナ、1969年)
*「Cerrar los ojos」の撮影予告、短編の紹介記事は、コチラ⇒2022年07月15日
* 全フィルモグラフィーの紹介記事は、コチラ⇒2022年07月25日
*「Cerrar los ojos」内容紹介記事は、コチラ⇒2023年04月29日
*カンヌ映画祭2023レッドカーペット欠席のニュースは、コチラ⇒2023年05月25日
*「カンヌ映画祭欠席についての公開書簡」の記事は、コチラ⇒2023年05月30日
エレナ・マルティンの2作目が「監督週間」にノミネート*カンヌ映画祭2023 ― 2023年05月22日 13:50
スペインのエレナ・マルティンの第2作「Creatura」が監督週間に
★今年第55回を迎える「監督週間」にスペインのエレナ・マルティンの「Creatura」がノミネートされました。「監督週間」と「批評家週間」はカンヌ映画祭とは選考母体も異なりますが、本体と同期間にカンヌで開催されることからカンヌFFと称しています。今回は本体より1日遅れの5月17日から26日まで、従って結果発表も先になります。長編部門は60分以上、短編部門は60分未満という区別があり、SACD賞、ヨーロッパ・シネマズ賞、観客賞などがあります。
(最近のエレナ・マルティン)
「Creatura」
製作:Avalon PC / Elástica Films / Filmin / S/B Films / Vilauto Films / ICEC / ICAA / Lastro Media / TV3
監督:エレナ・マルティン
脚本:エレナ・マルティン、クララ・ロケ
音楽:クララ・アギラル
撮影:アラナ・メヒア・ゴンサレス
編集:アリアドナ・リバス
キャスティング:イレネ・ロケ
プロダクション・デザイン&美術:シルビア・ステインブレヒト
音響:レオ・ドルガン、ライア・カサノバス、オリオル・ドナト
衣装デザイン:ベラ・モレス
メイクアップ&ヘアー:ダナエ・ガテル(メイク)、アレクサンドラ・サルバ(ヘアー)
製作者:(Vilauto Films)アリアドナ・ドット、マルタ・クルアーニャス、トノ・フォルゲラ、(Elástica Films)マリア・サモラ、(Avalon PC)シュテファン・シュミッツ、(S/B Films)パウ・スリス、ジェイク・チーサムCheetham、他多数
データ:製作国スペイン、2023年、カタルーニャ語、ドラマ、112分、撮影地バルセロナのサンビセンツ・デ・モンタルト、公開スペイン2023年9月18日予定、国際販売LuxBox
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭併催の「監督週間」にノミネート(5月20日上映)
キャスト:ミラ・ボラス(ミラ5歳)、クラウディア・ダルマウ(ミラ15歳)、エレナ・マルティン(ミラ35歳)、アレックス・ブランデミュール(父ジェラルド)、マルク・カルタニャ(ジェラルド)、クリスティーナ・コロム(大人のアイナ)、カルラ・リナレス(ディアナ)、オリオル・プラ(ミラの恋人マルセル)、ベルナ・ロケ(アンドレ)、クララ・セグラ(ディアナ)、テレサ・バリクロサ、ダビ・ベルト
ストーリー:少女のミラはビーチで夏を過ごします。彼女の大好きな父親は彼女に優しく世界を見せます。母親は控えめです。少女から急成長するミラのエネルギーは、彼女の周囲、彼女の体、海との繋がりを変えてしまいます。大人たちは自意識の高いミラの変化に戸惑いを感じます。ミラと父親のあいだで何かが壊れます。30代になったミラは、深刻な危機に向き合っています。ミラは自分の欲望と喪失が心の奥底にあることに気づき始めます。過去の関係を再訪する自己探求の旅をしていますが、再び海に戻ることができるでしょうか。
(思春期のミラ)
★監督紹介:エレナ・マルティン・ヒメノは、1992年バルセロナ生れ、監督、脚本家、映画・舞台女優。ポンペウ・ファブラ大学(1990年設立)で映画を学ぶ。長編デビュー作は主役も自身で演じた2017年の「Júlia ist」、マラガ映画祭2017のZonaZine 部門の作品・監督・モビスター+賞を受賞、他トゥリア第1作監督賞も受賞、バレンシア映画祭、翌年のガウディ賞(カタルーニャ語以外部門)の作品賞にノミネートされている他、ワルシャワFF、レイキャビクFFに出品された。本作については簡単ですが作品紹介をしています。
*「Júlia ist」の作品紹介は、コチラ⇒2017年07月10日
(エレナ・マルティン、「Júlia ist」から)
★エレナ・マルティンは、女優としてスタートしました。2015年のライア・アラバルト他4人の共同監督作品「Les amigues de l’Ágata」(Las amigas de Ágata)のアガタ役で好演し、名前が知られるようになった。2019年イレネ・モライの短編「Suc de síndria」(20分、英題「Watermelon Juice」)に主演し、マラガFF、メディナFF、イベロアメリカンFFなどで主演女優賞を受賞している。モライ監督はゴヤ賞2020の短編映画賞以下、ガウディ賞、メディナFF、バレンシアFF、イベロアメリカン短編映画賞など多数受賞しています。
★TVシリーズでは、2019年、レティシア・ドレラが創案者のコメディ「Vida perfecta」(14話、19~20)に参加、2話を監督している。5話からなるTVミニシリーズ「En casa」(1話、20)、ミュージック・ビデオ「Rigoberta Bandeni:Perra」を監督している。他にロス・ハビス(ハビエル・アンブロシ、ハビエル・カルボ)のシリーズ「Veneno」(全8話)のスタッフライターとして6話にコミット、脚本2話を執筆している。
フェリペ・ガルベスのデビュー作が「ある視点」に*カンヌ映画祭2023 ― 2023年05月15日 11:36
「ある視点」にフェリペ・ガルベスのデビュー作「Los colonos」がノミネート
★チリのフェリペ・ガルベスのデビュー作「Los colonos」が「ある視点」に正式出品、チリ、アルゼンチン、オランダ、フランス、デンマークなど8ヵ国との合作、ガルベス監督は1983年チリのサンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集者。「ある視点」ノミネートは2011年のクリスティアン・ヒメネスの「Bonsai」以来12年ぶりです。本作は東京国際映画祭2011ワールド・シネマ部門で『Bonsai~盆栽』としてアジアン・プレミアされた。「Los colonos」の舞台は20世紀初頭のチリ南端ティエラ・デル・フエゴ島、先住民族セルクナム(またはオナス)のジェノサイドをテーマにした歴史物、彼らがチリの正史から消されてきた過程を探求している。
「Los colonos / Les colons / The Settlers」(仮題「入植者たち」)
製作:Quijote Films(チリ)、Rei Cine(アルゼンチン)、Quiddity Films(英)、Volos Films(台湾)、共同製作:Cine Sud Promotion(仏)、Snowglobe(デンマーク)、Film I Vast(スウェーデン)、Sutor Kolonko(独)
監督:フェリペ・ガルベス
脚本:フェリペ・ガルベス、アントニア・ヒラルディ
音楽:Harry Allouche
撮影:Simone D’Arcangelo
編集:Mattieu Taponier
プロダクション・デザイン:セバスティアン・オルガンビデ
衣装デザイン:ナタリア・アラヨン、ムリエル・パラ
メイクアップ&ヘアー:ダミアン・ブリッシオ
製作者:ジャンカルロ・ナシ、ステファノ・センティニ、ベンジャミン・ドメネク、サンティアゴ・ガレッリ、エミリー・モーガン、マティアス・ロベダ、ティエリー・ルヌーベル、(エグゼクティブ)コンスタンサ・エレンチュン、エイミー・ガードナー、ほか共同製作者多数
データ:製作国アルゼンチン、チリ、イギリス、台湾、ドイツ、スウェーデン、フランス、デンマーク、スペイン語・英語、2023年、歴史ドラマ、97分
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2023「ある視点」部門正式出品、初長編監督作品賞カメラドールにもノミネートされている。
キャスト:カミロ・アランシビア(メスティーソのセグンド)、ベンジャミン・ウェストフォール(アメリカ人傭兵ビル)、マーク・スタンリー(イギリス人マクレナン中尉)、サム・スプルエル(マルティン大佐)、アルフレッド・カストロ(スペイン人地主ホセ・メネンデス)、マリアノ・リナス(フランシスコ・モレノ)、ルイス・マチン(司教)、マルセロ・アロンソ(大統領勅使ビクーニャ)、アグスティン・リッタノ(アンブロシオ大佐)、ミシェル・グアーニャ(キエプジャ)、アドリアナ・ストゥベン(ホセフィナ・メネンデス)、ほか
ストーリー:19世紀末に羊牧場はチリのパタゴニア地方の領土を拡大していきました。1901年、裕福な地主ホセ・メネンデスは先住民の土地を開拓し、大西洋への道を開くために3人の男を雇いました。最終的な目的は当時の白人の使命に従って、この広大で肥沃な領土を文明化することでした。メスティーソのセグンド、元ボーア戦争のイギリス人船長のマクレナン、アメリカ人傭兵ビルの3人は、国家がメネンデスに与えた土地の境界を定める遠征に乗り出していった。最初は行政上の遠征のように見えたものが、次第に先住民に対する暴力的な狩猟へと変質していった。1901年から1908年のあいだにティエラ・デル・フエゴ島での先住民セルクナム虐殺を描き、先住民が被った植民地化、暴力、不正義というテーマを探求しています。
★ガルベス監督談によると「誰が歴史を書くのか、どのように書かれるのか、その過程で映画の立ち位置はどのように占めるのかを考えさせてくれる」映画だとコメント。チリの正史から消されてきた先住民虐殺の事実が、如何にして闇に葬られてきたのか、その過程がどうして可能だったのか、メネンデス一家がどのように資金調達をしたのかが語られる。「この映画は、内なる旅とその登場人物の精神の崩壊を通して、強制的に文明化されたモデルを反映させた」とプレスリリースで語っている。チリが建国(1818年)100周年を迎えようとしていた頃の過去にさかのぼり、現在にまで及ぶ理念が語られる。
★監督紹介:フェリペ・ガルベス(Felipe Galvez Haberle)、1983年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集。2008年フィルム編集者としてキャリアをスタートさせる。2009年の短編「Silencio en la sala」(12分)がBaficiブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭に正式出品されベスト短編賞を受賞。2018年「Rapaz」(13分)がカンヌ映画祭併催の「批評家週間」にノミネートされたことで、その後ウルグアイ映画祭2018、ダウンタウン・ロスアンゼルスFF、ノーステキサスFF、ダラスFF2019のグランプリを受賞、バレンシアFFのCinema Joveにノミネートされた。本作は携帯電話の盗難で告発された十代の少年の市民拘留を描いている。フィルム編集ではクラウディオ・マルコネの「En la Gama de los Grises」(15)、マルティン・ロドリゲス・レドンドのデビュー作「Marilyn」(18)など受賞歴のある映画を多数手掛けている。
(短編「Rapaz」のポスター)
★カンヌFF2000「ある視点」にノミネートされたミゲル・リティンの「Tierra del Fuego」は、ティエラ・デル・フエゴを舞台にしている。セルクナム虐殺をリードした一人であるルーマニア人ジュリアス・ポッパーを主人公にしたクロニカである。他に先住民ジェノサイドに言及している作品にパトリシオ・グスマンのドキュメンタリー「El botón de nácar」(15)があり、この作品は『真珠のボタン』の邦題で公開されています。
*監督作品は以下の通り:
2009年「Silencio en la sala」短編12分、監督、脚本、編集
2011年「Yo de aqui te estoy mirande」短編、監督、脚本、編集
2018年「Rapaz」短編13分、監督、脚本、編集
2023年「Los colonos」長編デビュー作、監督、脚本
*「Marilyn」の作品紹介は、コチラ⇒2018年02月25日
*『真珠のボタン』の作品紹介は、コチラ⇒2015年11月16日
*追加情報:本作は『開拓者たち』の邦題で、東京国際映画祭2023にノミネートされた。
「ある視点」にロドリゴ・モレノの犯罪コメディ*カンヌ映画祭2023 ― 2023年05月11日 15:09
アルゼンチンから自由と冒険を求める犯罪コメディ「Los delincuentes」
★「ある視点」部門にはスペインはノミネートなし、アルゼンチン、チリなどラテンアメリカ諸国が気を吐いている。アルゼンチンのニューシネマの一人ロドリゴ・モレノの長編4作目「Los delincuentes」(アルゼンチン、ブラジル、ルクセンブルク、チリ)は、ブエノスアイレスに支店をおく銀行の従業員2人が勤務先で強盗を計画するというコメディ仕立ての犯罪もの、彼らの運命は如何に。モレノ監督はドキュメンタリーや共同監督作品を含めると10作近くなる。なかで単独監督デビュー作の「El custodio」は、ベルリン映画祭2006でアルフレッド・バウアー賞を受賞、サンセバスチャン映画祭、マイアミ、グアダラハラ、ハバナなど国際映画祭の受賞歴は30以上に上りました。フィルモグラフィー紹介は後述するとして、新作のデータ紹介から始めます。
「Los delincuentes」(英題「The Delinquents」)
製作:(アルゼンチン)Wanka Cine / Rizona Films / Jaque Producciones / Compañia Amateur /(ブラジル)Sancho &Punta /(ルクセンブルク)Les Films Fauves /(チリ)Jirafa films 協賛INCAA
監督・脚本:ロドリゴ・モレノ
撮影:イネス・ドゥアカステージャ、アレホ・マグリオ
編集:カレン・アケルマン、ニコラス・ゴールドバート、ロドリゴ・モレノ
プロダクション・デザイン・美術:ゴンサロ・デルガド、ラウラ・カリギウリCaligiuri
衣装デザイン:フローラ・カリギウリ
音響:ロベルト・エスピノサ
製作者:エセキエル・ボロヴィンスキー(エグゼクティブ)、エセキエル・カパルド(プロダクション・マネジャー)、レナタ・ファルチェト(ヘッド)、フロレンシア・ゴルバクスGorbacz、Eugenia Molina、マティアス・リベラ・バシレ(アシスタント)、(以下ルクセンブルク)Jean-Michel Huet、Yahia Sekkil、Manon Santarelli、Alexis Schmitz
データ:製作国アルゼンチン、ブラジル、ルクセンブルク、チリ、2023年、スペイン語、コメディ、90分、撮影地ブエノスアイレス、コルドバの山地、期間2022年3月末~6月、配給マグノリア・ピクチャーズ・インターナショナル
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2023「ある視点」正式出品、シドニー映画祭(6月)
キャスト:エステバン・ビリャルディ(ロマン)、ハビエル・ソロ(モラン)、マルガリータ・モルフィノ(モランの恋人ノルマ)、ダニエル・エリアス、セシリア・ライネロ(モルナ)、ヘルマン・デ・シルバ、ラウラ・パレデス、ガブリエラ・サイドン(ロマンの妻フロール)、セルヒオ・エルナンデス、他
ストーリー:ロマンとモランは、ブエノスアイレスに小規模な支店をおく銀行の従業員です。二人は自由と冒険を探しています。モランは日ごとに彼らを灰色の人生に陥れるルーチンを振りはらうというそれだけの意図で、同僚と共謀して大胆な計画を実行することにします。彼らが定年まで稼ぐ給料に相当する金額を銀行から前もって頂くことにしました。どういうわけか彼の強盗計画は成功し、自分の運命を同僚ロマンの運命に委ねます。まず全額を彼に預け、その後土地を探すつもりでコルドバに逃れます。旅先で出会った女性ノルマに無分別にも夢中になります。彼女は姉と山地の分譲地販売をしている彼氏と同居している。数日間一緒に過ごし、必ず戻ってくるが、3年間待ってくれと頼みこむ。ノルマにはすべてが馬鹿げているとしか思えない。一方ロマンは銀行で働きつづけていますが、折悪しくお金の不足についての内部調査が始まりました。非常に多額のお金を隠しているロマンは恐怖に襲われます。同僚たちだけでなく妻フローラにも隠さねばなりません。計画を変更したらいいのでしょうか・・・
(混乱する銀行支店、左から3人目ヘルマン・デ・シルバ)
★モレノ監督によると「モランは犯罪を犯して代価を支払うとしても、解放感を得るために危険な計画を考案する。共犯者のロマンも働かずに義務から解放され自由のなかでより良い生活、つまり都会、仕事、家族から離れ、海とか山とかレジャーが楽しめる田舎暮らしを誰にも依存せずに送りたい。しかし夢を達成するには、どうやって生計を立てるかという実存的な障害が立ちはだかる」。じゃあ目標を追求するにはどうしますか、というお話です。モランの計画は刑務所暮らしも想定内なのです。
★監督紹介:ロドリゴ・モレノ、1972年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、ブエノスアイレスのシネ大学の監督プログラムを卒業、独創的なストーリーテリングを目指すアルゼンチンの若い世代のグループの一人です。1993年短編「Nosotros」(8分)で監督デビュー、ビルバオ・ドキュメンタリー短編映画祭で作品賞を受賞する。2012年制作会社「Compañia Amateur」を設立し、「Reimon」以降を製作している。脚本を執筆したルシア・メンドサの「Diarios de Mendoza」、コロンビアのフアン・セバスティアン・ケブラダの「Días extraños」を製作している。フアン・ビジェガスとMoVi cineを共有している。主なフィルモグラフィーは以下の通り:
1993年「Nosotros」短編(8分)、監督、脚本
1998年「Mala época」監督、脚本、マリアノ・デ・ロサ、ほか4名の共同作品
(マル・デル・プラタ、トリノ、シカゴ、サンセバスチャン、他)
2002年「El descanso」監督、脚本、ウリセス・ロセル、アンドレス・タンボルニーノ、
3名の共同作品(Bafici*、ロンドン、ベネチア、トゥールーズ)
2006年「El custodio」単独長編デビュー作、監督、脚本
(ベルリン、サンセバスチャン、マイアミ、ニューヨーク、グアダラハラ、ハバナ)
2007年「La señal」TV Movie、監督、脚本
2011年「Un mundo misterioso」第2作、監督、脚本
(ベルリン、トロント、サンパウロ、Bafici)
2014年「Reimon」第3作、監督、脚本、製作、72分
(ロッテルダム、ハンブルク、Bafici、サンパウロ、バルでビア)
2017年「Una ciudad de provincia」ドキュメンタリー、監督、脚本、製作、88分、IBAFF
(ロッテルダム、ビエンナーレ、Bafici)
2018年「Our Nighttime Story」ドキュメンタリー、監督、フアン・ビジェガス、
ほか3名の共同作品
2023年「Los delincuentes」第4作、監督、脚本
2014年、ルシア・メンドサの「Diarios de Mendoza」(55分)脚本、製作
2015年、フアン・セバスティアン・ケブラダの「Días extraños」(70分)脚本、製作
*Baficiは、1999年設立されたブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭
(ロドリゴ・モレノ)
★上述したように1993年に短編「Nosotros」でスタートした。オムニバス長編「Mala época」は、4名の共同作品ですが、マル・デル・プラタ映画祭1998で、若い映画製作者の視点で現代を切り取ったことが評価されてFIPRESCI賞とスペシャルメンションを受賞、その他トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭1999で観客賞を受賞、ノミネート多数。共同監督作品「El descanso」は、リェイダ・ラテンアメリカFFでICCI脚本賞を受賞した。
★ベルリン映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞して国際的な評価を受けたのは、単独で監督したデビュー作「El custodio」だが、本作は前年のサンダンスFFに出品されラテンアメリカ部門のNHK賞を受賞している。その他ボゴタFFで作品賞、監督賞、サンセバスチャンFFホライズンズ・ラティノ部門でスペシャルメンションを受賞している。
(アルフレッド・バウアー賞のトロフィーを披露する監督)
★5月10日「ある視点」の審査団が発表になりました。審査委員長は俳優、コメディアンのジョン・C・ライリー、ほか俳優パウラ・ベーア、俳優エミリー・ドゥケンヌ、監督デイヴィー・チョウ、監督アリス・ウィノクールの5名です。
追加情報:邦題『ロス・デリンクエンテス』で2024年3月公開されました。
アグスティ・ビリャロンガ逝く*闇と光の世界を生きる ― 2023年04月14日 18:39
映画への情熱を手引きした郵便配達人の父親
★去る1月22日の明け方、アグスティ・ビリャロンガが突然別れを告げました。カタルーニャ映画アカデミーは「今朝、映画監督のアグスティ・ビリャロンガは、私たちをバルセロナに残して、愛する家族や友人に見守られて旅立ちました。彼の才能、感性、豊かな愛に満ちた包容力、そして数々の映画は永遠に残るでしょう」と報じた。彼が人生の最後の2年間闘ってきた癌は、スペインの支配的な傾向に逆らって、ユニークな作品を作り続けた、この並外れた映画人を連れ去りました。1週間の緩和ケアの後、バルセロナで69歳の生涯を閉じたということですから、突然ではなかったわけです。当ブログで紹介した「El ventre del mar」がマラガ映画祭2021で作品賞以下6冠を制したときには、既に闘病中だったことになります。
★訃報のアップは本当に気が重い。特に彼のように早すぎる死は猶更です。ガウディ賞の受賞者としてバルセロナ派を牽引してきただけにその死は惜しまれてなりません。ガウディ賞は毎年アップしていたわけではありませんが、今年は気が滅入ってアップする気になれませんでした。なにしろ旅立ちは、第15回ガウディ賞授賞式の当日でした。ガラはビリャロンガ逝くの追悼式のようだったということでした。因みに受賞結果は、発表を待つまでもなく作品賞はカタルーニャ語部門がカルラ・シモンの「Alcarràs」、カタルーニャ語以外の部門はゴヤ賞ではノミネートさえされなかったアルベルト・セラの『パシフィクション』と、下馬評通りの結果でした。
(在りし日のビリャロンガ、サンセバスチャン映画祭2010)
★ビリャロンガと言えば、カタルーニャ語映画が初めてゴヤ賞を受賞した「Pa negre」(2010「Pan negro」)でしょうか。本作はラテンビート映画祭2011で上映され、翌年『ブラック・ブレッド』の邦題で公開されました。ゴヤ賞では作品賞を含めて9部門を制覇、彼自身も監督賞と脚本賞の2冠、ガウディ賞は13冠とほぼ総なめ状態でした。その他サンジョルディ賞、トゥリア賞、フォトグラマス・デ・プラタ賞、アリエル賞(イベロアメリカ部門)作品賞などを受賞しています。
*まだ当ブログは存在しておらず、目下休眠中のCabinaさんブログに、テーマ、監督キャリア&キャスト紹介などをコメントとして投稿しています。(コチラ⇒2011年03月03日)
(受賞スピーチをするビリャロンガ、監督・脚本賞を受賞したゴヤ賞2011から)
★1953年3月4日、パルマ・デ・マジョルカ生れ、監督、脚本家、俳優。スペイン内戦時に15歳で戦線に引きずり込まれた父親から映画への情熱を植え付けられた。カタルーニャの操り人形師の家系に生まれた父親は、後にパルマに定住して郵便配達員として働いていた。彼は映画に情熱を注ぎ息子アグスティを映画の世界に導きました。父親の影響を受けた息子はデッサン、マッチ箱、懐中電灯を使って手作りの映写機を作ったほど映画に熱中した。
★監督が「El ventre del mar」のプロモーションの過程で語ったところによると、「14歳で映画監督になる決心をして、ローマの映画学校のロベルト・ロッセリーニに手紙を書いた。彼の学校に本当に入りたかったのです。しかし若すぎるという理由で拒否されました」。彼らはまず大学を卒業すべきだと返事してきた。イエズス会の中学校を終了していた十代のアグスティはやや失望しパルマを出ることにした。バルセロナ自治大学で美術史を専攻して学位を取り、その後バルセロナの公立舞台芸術学校である演劇研究所 Institut del Teatre に入学、舞台美術を学んだ。当時を振り返って「今は彼(ロッセリーニ)の映画はあまり好きではありません。若いころには理解できなかったパゾリーニに情熱を注いでいます」と、またイングマール・ベルイマン映画にも言及し、彼は「私に多くの足跡を残した」と同じインタビューに答えている。
(「El ventre del mar」のカタルーニャ語版ポスター)
俳優としてキャリアをスタートさせた―ヌリア・エスペルトとの出会い
★キャリアをスタートさせて間もなく、ビクトル・ガルシアと出会い、女優で演出家のヌリア・エスペルトが設立した劇団に俳優として入る。ガルシア・ロルカの『イェルマ』ツアーに参加、ヨーロッパ、アメリカを巡業する。帰国後映画俳優としてホセ・ラモン・ララスの「El fin de la inocencia」(77)、フアン・ホセ・ポルトの「El último guateque」(78)、ホセ・アントニオ・デ・ラ・ロマの「Perros callejeros II」(79)などに出演する。しかし1982年、製作者のぺポン・コロミナスが彼を監督業に引き戻した。というのも彼は既に短編3作を撮っていたのである。
★そして誕生したのが、長編デビュー作「Tras el cristal」(86、110分)である。ギュンター・マイスナー、マリサ・パレデス、ダビ・スストを起用したホラー・サスペンス。ベルリン映画祭で上映され、ムルシア・スペイン映画週間で初監督に与えられるオペラ・プリマ賞を受賞、ほかサンジョルディ賞1988のオペラ・プリマ賞も受賞した。第2作となるSFファンタジー「El niño de la runa」はカンヌ映画祭1989コンペティション部門にノミネートされ、翌年のゴヤ賞オリジナル脚本賞を受賞、監督賞にノミネートされた。キャストはマリベル・マルティンやルチア・ボゼーのようなベテラン女優を軸に、前作出演のギュンター・マイスナーやダビ・スストを起用している。本邦では1992年『月の子ども』の邦題で公開された。
(公開された『月の子ども』のポスター)
★メルセ・ロドレダの小説 “La mort de primavera” の映画化を模索したが、製作者を見つけることができなかった。1997年、マリア・バランコを主役に据え、テレレ・パベスやルス・ガブリエルで脇を固めたホラー「99.9」は、モントリオール、トロント、ローマ、各映画祭で上映されシッチェス映画祭に正式出品された。撮影を手がけたハビエル・アギレサロベが撮影賞、彼はヨーロッパ・ファンタジー映画に贈られる銀のメリエス賞を受賞した。続いて現れたのが同性愛をテーマにした「El mar」(邦題『海へ還る日』)である。カタルーニャ語を採用、生れ故郷マジョルカで撮られた本作はベルリン映画祭2000に出品され、新しく設けられた独立系映画に与えられるマンフレッド・ザルツベルガー賞を受賞して、認知度は国際的になった。ザルツベルガーはテディ賞生みの親の一人、20世紀ドイツのLGBT運動の推進者である。本作で映画デビューした、後の『ブラック・ブレッド』や「El ventre del mar」に出演したロジェール・カザマジョールとの出会いがあった。
*「El mar」の作品紹介、ロジェール・カザマジョールのフィルモグラフィー&キャリア紹介は、コチラ⇒2021年06月24日
(カザマジョールを配した『海へ還る日』のポスター)
★2002年、サンセバスチャン映画祭を驚かせた「Aro Tolbukhin (en la mente del asesino)」(メキシコとの合作)は、メキシカン・ヌーベルバーグと称された偽造ドキュメンタリーである。アイザック=ピエール・ラシネ、リディア・ジマーマンとの共同監督、翌年のアリエル賞を作品賞以下全カテゴリーにノミネートされるも作品賞には及ばなかった。しかし脚本賞を含む7冠を制し、時間の経過とともにファンを増やしていった。ハンガリーの船乗りで連続殺人犯アロ・トロブキンがグアテマラに逃亡し捕らえられ銃殺刑になるまでを描き、彼の犯罪の背後にある「殺人者の心のなか」の闇に迫った。実際のドキュメンタリー映像を広範囲に使用しているが、これはドラマであってドキュメンタリーではない。本作は後にラテンビート映画祭に統一された第1回「ヒスパニックビート2004」に、『アロ・トルブキン―殺人の記憶』として上映されている。
『ブラック・ブレッド』がルールを変えた
★海外での評価と人気はあってもスペイン全体に届いたとは言えなかった。彼はしばらく映画を離れカタルーニャTV映画「Després de la pluja」(07「After the Rain」)やTVシリーズのドキュメンタリーを手がけている。何作か映画製作を模索していたが、いずれも財政的な支援が得られなかったようだ。2010年、一部の批判的な評価を覆した『ブラック・ブレッド』(フランスとの合作)が到着した。
★本作はエミリ・テシドール(1932~2012)の同名小説 “Pa negre” を軸に、彼の2冊の小説をベースにして映画化されたダークミステリーである。内戦後のカタルーニャの小さな町に起きた不可解な事件を軸に、1940年代を生きた少年アンドレウに焦点を当て、真実を求める過程で過去の亡霊に出会うなかで自分のセクシュアリティに目覚める。少年は嘘と欺瞞に満ちた大人たちを許すことなくモンスターに変貌していく。マドリード派が優勢なゴヤ賞も14部門ノミネート、作品賞を含む9冠に輝いた。ゴヤ賞2011年のライバル作品は、ロドリゴ・コルテスの『リミット』、イシアル・ボリャインの『ザ・ウォーター・ウォー』、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『気狂いピエロの決闘』と誰が受賞してもおかしくない豊作の年、いずれも公開されている。ガウディ賞は13冠、プレミアされたサンセバスチャン映画祭では、少年の母親に扮したノラ・ナバスが女優賞を受賞した。
(少年アンドレウを配したオリジナル・ポスター)
(左から、アグスティ・ビリャロンガ、ロドリゴ・コルテス、イシアル・ボリャイン、
アレックス・デ・ラ・イグレシア、ゴヤ賞2011ノミネートの4監督)
★サンセバスチャン映画祭2012でプレミアされたTVミニシリーズ「Carta a Eva」(2話)を製作、翌年放映された。アルゼンチンのエバ・ペロンのヨーロッパ・ツアーをめぐるドラマである。エバにはアルゼンチンのフリエタ・カルディナルが主演、フランコ総統にヘスス・カステジョン、ほかアナ・トレント、カルメン・マウラ、ノラ・ナバスなどスペインサイドが出演している。2015年の「El rey de La Habana」は、ラテンビート2015で『ザ・キング・オブ・ハバナ』の邦題で上映された折、当ブログで作品紹介をしています。ペドロ・フアン・グティエレスの不穏な同名小説の映画化。亡命することなくキューバに止まり、故国の悲惨を弾劾しつづけている作家、詩人、ジャーナリスト、。
*『ザ・キング・オブ・ハバナ』の原作者&作品紹介は、
★中編ドキュメンタリー「El testament de la Rosa」(16、仮題「ロザの遺言」45分)は、女優ロザ・ノベル(バルセロナ1953-2015)が癌で亡くなる直前をカメラに収めたドキュメンタリー。既に視力を失っていた女優の最後の作品(コルム・トビンの「El testament de la Maria」)になるであろう舞台リハーサルをモノクロで追っている。結果的には亡くなってしまったのでブランカ・ポルテーリョが演じた。本作には監督自身と『海へ還る日』や『ブラック・ブレッド』の製作者イソナ・パッソラ、脚本家エドゥアルド・メンドサ、テレビでの活躍が多い女優フランセスカ・ピニョンが出演している。バジャドリード映画祭2016でプレミアされた。
(ブランカ・ポルテーリョと監督)
★2017年、時代背景を1937年のスペイン内戦中のアラゴン戦線にした「Incerta glòria」は、ジョアン・サレスの同名小説の映画化、ゴヤ賞では脚色賞に共同執筆のコラル・クルスとノミネート、ガウディ賞はキャスト陣、技術部門のスタッフにトロフィーを多数もたらしたが、監督自身は無冠に終わった。2019年にはアンドレス・ビセンテ・ゴメスがプロデュースした「Nacido rey」(言語は英語「Born a King」)が公開された。サウジアラビアの偉大な君主として知られるファイサル国王(1906~75)のビオピックである。監督は「私は映画が大好きで、お金目当てではありません。本作はアラブ諸国で撮影されましたが、経済的なもの以外の魅力も加えました。本題に無関係な話を差し挟むような依頼は受けておりません」と語っている。
★2021年の「El ventre del mar」がマラガ映画祭2021に正式出品され、上述したように金のビスナガ作品賞を含む6冠を制した(金のビスナガ作品賞・監督・脚本・撮影・音楽・男優賞)。作品紹介は簡単ですがアップ済みです。イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコが実話に基づいて書いた小説 ”Océano mar” にインスパイアーされて製作されている。本作に「20年間取りくんできた」ということです。遺作となったスシ・サンチェスを主役に起用したコメディ「Loli Tormenta」(23)は、先月末に公開された。本作については別個に紹介したい。
*「El ventre del mar」の作品紹介、マラガFFガ授賞式の様子は、
(銀のビスナガ監督賞を受賞、マラガFF2021 授賞式)
★生涯を通じて演技者としても活躍していたが、最後の作品はルーマニアのコルネリュ・ポルンボイュの「La gomera」出演で、冷徹なマフィアに扮した。ルーマニア、フランス、ドイツなどの合作映画だが、原題の「ラ・ゴメラ」はカナリア諸島の島名から採られている。カンヌ映画祭2019に出品され、今回は演技者としてカンヌを訪れた。2021年に『ホイッスラーズ 誓いの口笛』の邦題でWOWOWで放映され、プライムビデオでも配信されている。
★変わり者が多いスペインでも独特の作風をもつ監督として駆け抜けたビリャロンガですが、晩年「私のスタイルにとても近い人を見つけることはできませんが、今日では私は変わり者 bicho raro ではないと思います。ただ自分にできることをするだけです」と、フィルモグラフィーを振り返って語っている。彼は比較的早い段階で性的マイノリティを公表していたが、こどものときから「人と違うこと」に敏感だった。その内なる世界は『ブラック・ブレッド』の少年アンドレウや『海へ還る日』の青年に投影されている。
◎上記以外の受賞歴
2001年、カタルーニャ自治州の文化省が選考母体のカタルーニャ映画国民賞を受賞した。前年に国際的な活躍をした人に贈られる賞、映画のほか文学・音楽など各分野から原則1年に1人選ばれる。彼の場合は2000年の『海へ還る日』の成功によるものと思われる。
2011年、スペイン文化省が選考母体の映画国民賞を受賞、2010年の『ブラック・ブレッド』が評価されたことによる。
2012年、ゲイ-レスボ映画と舞台芸術国際フェスティバル栄誉賞、カタルーニャ・ラテンアメリカ映画祭ジョルディ・ダウダ賞などを受賞した。
2021年12月1日、芸術功労金のメダルを受賞、国王フェリペ6世、レティシア王妃列席のもと授与された。
(左から一人おいて、国王フェリペ6世、王妃レティシア、ビリャロンガ、
背後に控えているのがミケル・イセタ教育・文化・スポーツ大臣)
グティエレス・アラゴン審査委員長インタビュー*マラガ映画祭2023 ⑬ ― 2023年03月31日 18:19
ベルリン映画祭で幸運なスタートをきる
★マラガ映画祭の「審査委員長にマヌエル・グティエレス・アラゴン監督」のアナウンスには、スペイン映画のオールドファンの一人として驚きを隠せなかった。民主主義移行期から1980年代を通して、多くの名作が本邦にもたらされ、若手ながら批評家の評価は高かったが、突然の引退表明から大分時が経っていたからでした。2008年製作の「Todos estamos invitados」(銀のビスナガ審査員特別賞受賞作)を最後に60代での引退はいかにも早すぎ、いずれ撤回するに違いないと思っておりましたが、TVシリーズはあっても長編映画を撮ることはありませんでした。インタビューの前段として監督キャリア&フィルモグラフィーをアップします。
(フリックスオレのインタビューを受けるグティエレス・アラゴン、マラガFF2023)
★マヌエル・グティエレス・アラゴン、1942年カンタブリア州トレラベガ生れの監督は81歳、ゴヤ賞ガラの前日に鬼籍入りしたカルロス・サウラの次の世代に当たります。ホセ・ルイス・ボラウの『密漁者たち』やハイメ・カミーノの『1936年の長い休暇』に監督とシナリオを共同執筆した名脚本家としての評価も高い。マドリード大学で哲学と文学を学ぶかたわら、1947年設立の国立映画研究所(IIEC)を1962年に組織替えした国立映画学校(EOC)に入学、監督を学び、卒業制作「Hansel y Gretel」(ヘンゼルとグレーテル)を撮る。短編数編を撮ったのち、1973年エリアス・ケレヘタの製作によってデビュー作「Habla, mudita」が誕生した。当時の大物プロデューサーだったケレヘタとの出会いが幸運だった。
★長編第1作がベルリン映画祭に正式出品されるという幸運に恵まれただけでなく、いきなり「芸術文学科学の普及国際委員会賞」という批評家賞を受賞してしまった。非常に早い段階で成功がもたらされたことになります。本作はスペイン映画が初めて23本まとまったかたちで紹介された「スペイン映画の史的展望〈1951~1977〉」(1984年10月~11月、東京国立近代美術館フィルムセンター)で『話してごらん』の邦題で上映された。彼はルイス・ブニュエル以下20名の監督のなかで一番の若手でした。この映画祭終了後1週間おいて渋谷東急名画座で開催された「第1回スペイン映画祭」では、1982年製作の6作目「Demonios en el jardín」が『庭の悪魔』の邦題でエントリーされた。駆け出しの監督が10年間に6作というのは、当時としては驚異的な数字でした。1986年のカルロス・サウラの映画特集に続いて、翌年「アラゴン映画特集」というミニ映画祭が開催され、以下の6作が上映された。
(『庭の悪魔』のポスター)
1977年「Camada negra」2作目、邦題『黒の軍団』ベルリン映画祭1978監督銀熊賞受賞
1977年「Sonámbulos」3作目、同『夢遊病者』サンセバスチャン映画祭1978監督銀貝賞受賞
1978年「El corazón del bosque」4作目、『森の中心』ベルリンFF 1979正式出品
1980年「Maravillas」5作目『マラビーリャス』シカゴ映画祭1981銀のヒューゴー賞受賞、
サンジョルディ賞1982受賞、フォトグラマス・デ・プラタ1982など受賞
1982年「Demonios en el jardín」6作目、『庭の悪魔』サンセバスチャンFF FIPRESCI賞、
フォトグラマス・デ・プラタ1983、イタリアのドナテッロ(ルネ・クレール賞)、
モスクワ映画祭1983 FIPRESCI 賞などを受賞
1984年「Feroz」『激しい』カンヌ映画祭「ある視点」正式出品
★ミニ映画祭とはいえ、若手監督の映画特集は異例のことでしたが劇場公開には至りませんでした。サンセバスチャンFFで金貝賞を受賞した9作目「La mitad del cielo」(86)が『天国の半分』の邦題で初めて公開されたのは、1990年の年末でした。本作ではアラゴン監督のお気に入り女優アンヘラ・モリーナが女優賞(銀貝)を受賞している。スペイン内戦後のマドリードを舞台にした本作は、「第2回スペイン映画祭1989」の1本でした。監督の故郷カンタブリアの州都サンタンデール出身の女性がマドリードに出て、二人の姉や成功を妬む人の密告などに苦労しながらも予知能力のある祖母の霊に守られてレストラン経営で成功する話だが、日本の観客に受け入れられたかどうか。
★1998年、スペイン大使館主催、国際交流基金後援の「スペイン映画祭’98」(会場シネ・ヴィヴァン・六本木)は本当に力作ぞろいの7作品でした。うちアラゴンはキューバの俳優とスタッフを起用した「Cosas que dejé en la Habana」(97)がエントリーされ、『ハバナから来た娘』で上映された。監督がキューバに拘るのは、祖父と父親がキューバ生れのクリオーリョということがあるようです。より良い人生を築くため祖国を離れてマドリードに移住してきた3人の娘たちの誇りと郷愁が描かれた。
★公開作品は上記『天国の半分』1作だけだが、キューバを舞台にした「Una rosa de Francia」(06)が、2009年に『カリブの白い薔薇』でDVDが発売された他、フェルナンド・レイとアルフレッド・ランダ主演の『ドン・キホーテ』(1991年版)がNHK衛星第2で放映された。10年後2002年に再びフアン・ルイス・ガリアルドとカルロス・イグレシアス主演のコンビで製作されたものは、前作のレベルには到達しなかったと評された。これは2015年5月にインスティトゥト・セルバンテス東京で英語字幕入りで上映されている。
「検閲は私たちを萎縮させ、苛立ちを引き起こした」と監督
★以下の記事は、マラガ映画祭期間中に監督とFlixOlé*とのインタビューを簡単に要約したものです。まだ結果発表前に行われたインタビューなので、ノミネートされた個別の作品についての言及はありません。( )内は管理人が追加したものです。
Q: 審査委員長を引き受けた経緯についての質問。
A: 去年も打診がありましたがお断りしました。忘れてくれることを期待しましたが、やはり今年も要請がありましたので、やるしかないと引き受けました。私は何度もマラガに来ており、審査員になることでスペインとラテンアメリカ両方の映画を楽しんでいます。
Q: 今年の映画の一般的なレベルについての質問。
A: まだ審査前ですから、お話しすることはできません。しかし、ラテンアメリカ映画は多様で感銘を受けています。私たちが知らない不思議な世界を描いていて、訛りがとても魅力的なのです。今年のスペイン映画の質も高く、人々の関心を高めています。審査はラクではありませんが、有意義な時間を過ごしています。
Q: デビュー作がベルリン映画祭で受賞したことがキャリアにどう影響したかの質問。
A: 当時スペインでは、映画祭に出品するというのはそう多くなかったので注目されました。しかし映画祭は数が多すぎて出品しただけでは気づいてもらえず、ですから受賞はとても重要でした。注目を集めるには何かプラスが必要なのです。
Q: フランコ政権後期から民主主義移行期に登場した世代に属しています。その頃の映画製作の実情についての質問。
A: フランコがまだ死んでいなかったので(1975年没)、第1作(「Habla, mudita」73)は検閲を受けましたが、受けたのはこの1作だけです。しかし、何よりも検閲は私たちを萎縮させ、苛立ちを引き起こした。しかしそれと引き換えに、人々はどこが検閲され削られたかを見つけたりして、それなりに惹かれました。観客との一種の共犯関係があったのです。移行期にはそれが特に顕著でした。検閲を気にする必要がなくなって共犯関係は失われました。
Q: キャリアを最も決定づけた作品は何かの質問。
A: 私が若くて欲望が強かった頃の初期の映画によい思い出があります。70年代から80年代にスペインで映画を撮るのは非常に困難でした。撮影期間が今より長いこともありました。今は残念ながら短くなって数週間です。今よりずっと製作状況は厳しかったのに、最高の思い出は初期の作品で、記憶に残るのは(名優フェルナンド・フェルナン=ゴメス主演、1980年製作の)『マラビーリャス』です。
(最高の思い出がある『マラビーリャス』のポスター)
Q: 『夢遊病者』や『庭の悪魔』もお気に入りと思いますが、2作についての質問。
A: 私が映画を撮り始めたとき、『夢遊病者』や『マラビーリャス』はかなり稀な作品、破壊的でした。伝統的なスペイン映画との決別がありました。一部の人には受け入れられましたが、一方ほかの人は好きではありませんでした。それで少なくともより古典的な映画に切り替えました。私も年を取ったわけです(笑)。これは一般の観客に門戸を開きましたが、破壊的な映画の新鮮さを少し失いました。一部の人にしか受け入れられなかった映画でも、初期の作品は気に入っています。いつも批判的なサポートを受けます。ほかの監督は批判されると不平を言いますが、私の場合は専門家の評価でキャリアが推進されたので、文句は言えないのです。そうでなければ、私はここにいないでしょう。それから私の映画は緩慢な領域に入りましたが製作できただけ満足です。映画製作は高価で役に立たない複雑な面があり、最終的には批評家ではなく、多くの観客に受け入れられることを望んでいます。
★監督が審査員になることの是非について「ご存じのように、監督は一般的に私たち自身の映画の良い判断者ではありません。ある人には共感できるが、他の人はそうではない。打ちのめされた映画というのは、それはまさにあなたが好きな映画で、あなたが良い映画だと思っているものです。自分たちの映画を審査することになると、私たちは信頼できません」ということでした。「然り」ですね。
*FlixOlé フリックスオレというのは、月額3.99ユーロでサブスクリプションして、スペイン映画をタブレットや携帯にダウンロードして視聴できる。追加料金を払えば海外の映画も見ることができる。携帯で映画を見る時代になったのでしょうか。「映画は映画館で見る」という管理人の世代は、もはや化石人間なのでしょう。
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