フェルナンド・トゥルエバの『あなたと過ごした日に』劇場公開 ― 2022年07月28日 17:09
コロンビアのエクトル・アバド・ファシオリンセのベストセラー小説の映画化

★当ブログでは原題の「El olvido que seremos」で紹介していたコロンビア映画が邦題『あなたと過ごした日に』で劇場公開されています。アンティオキアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセのベストセラー小説 ”El olvido que seremos” の映画化、製作はコロンビアのカラコルTV(副社長ダゴ・ガルシア)だが、監督にビリー・ワイルダーを師と仰ぐフェルナンド・トゥルエバ、作家の父親エクトル・アバド・ゴメスにハビエル・カマラ、脚色に監督の実弟ダビ・トゥルエバ、編集にトゥルエバ映画を数多く手掛けているマルタ・ベラスコなどスペインサイドが受けもった。キャストはカマラ以外オールコロンビアという合作映画。1987年、メデジンの中心街で私設軍隊パラミリタールの凶弾に倒れた、医師で国内外の人権擁護に尽力したアバド・ゴメスの生と死が描かれている。

(作家エクトル・アバド・ファシオリンセ)
★おそらく邦題には苦労したと思われますが、『あなたと過ごした日に』では味もそっけもない。原題はホルヘ・ルイス・ボルヘスのソネット”Aqui, hoy” の冒頭の1行目「Ya somos el olvido que seremos」から採られている。強いて訳せば「我らは既に忘れ去られている」か。知人友人に贈る詩集として300部限定で出版されたものです。小説刊行後にその存在を疑問視する事態になった経緯があり、それが活かされなかったのが残念です。人間は何でも直ぐ忘れてしまうのですが、邦題もこれではいずれ忘却の彼方に消えてしまうでしょう。
★本作はカンヌ映画祭2020のコンペティション部門に選ばれた作品でしたが、カンヌが対面イベントの開催を見送ったため、サンセバスチャン映画祭でプレミアされた。セクション・オフィシアルでもアウト・オブ・コンペティション上映になったのは、既にコロンビアで公開されていたことがあった。クロージング作品に選ばれた。オンライン上映となったラテンビート映画祭2020では、「Forgotten We'll Be」の英題でオープニング作品として唯一つ新宿バルト9での特別上映でした。またゴヤ賞2021のイベロアメリカ映画賞にコロンビアを代表してノミネートされ、結果受賞しました。本作の公式サイトは、主人公エクトル・アバド・ゴメス以下、スタッフ陣紹介も含めて非常に充実しています。当時のコロンビアの時代背景が知りたい方にお薦めです。

(トゥルエバ監督とハビエル・カマラ、サンセバスチャン映画祭2020、フォトコール)
*作品紹介、作家紹介、製作余話などの記事は、コチラ⇒2020年06月14日
*サンセバスチャン映画祭2020の記事は、コチラ⇒2020年10月10日
*ラテンビート2020の特別上映の記事は、コチラ⇒2020年10月23日
*ゴヤ賞2021の授賞式の記事は、コチラ⇒2021年03月08日
◎『あなたと過ごした日に』公開
*東京都写真美術館ホール(恵比寿)、2022年7月20日~、全国順次公開
ペルー映画『アンデス、ふたりぼっち』劇場公開 ― 2022年07月05日 17:48
死後における魂の永遠性と見捨てられていく老人たちの孤独

★第21回リマ映画祭2017でプレミアされた今は亡きオスカル・カタコラのデビュー作「Wiñaypacha」英題「Eternity」)が、この夏『アンデス、ふたりぼっち』の邦題で公開されることになりました(7月30日封切り)。5年前の製作とは言え、死後における魂の永遠性、無限の時、見捨てられていく親世代の孤独、家族の崩壊、と正にテーマは今日的です。アイマラ族の祖先伝来の生き方、宗教、家族、自然、伝統、苦悩などが調和よく語られます。アイマラ語の原題〈Wiñaypacha〉は「永遠、あるいは無限の時」の意ということです。仕方ないとはいえ邦題の陳腐さが歯がゆいことです。
★オスカル・カタコラ紹介、1987年8月、ペルー南部プーノ県アコラ生れ、監督、脚本家、撮影監督。アルティプラノ国立大学で演劇と情報科学を学ぶ。2021年11月26日次回作「Yana-wara」撮影中、コジャオ州コンドゥリリで虫垂炎のため急死した。従って本作は長編デビュー作にして遺作となってしまった。本作は2013年、ペルー文化省が設立した「映画国民コンクール」で助成金40万ソルを獲得、これを元手にプロジェクトを立ち上げた。プーノ県の海抜5000メートルの高地で撮影、第21回リマ映画祭2017でプレミアされた。グアダラハラ映画祭2018ではオペラ・プリマ賞など3賞を受賞している。「アジア映画が好きで、特殊効果を派手に使用するのは好みではない。商業映画は撮らないと思う」と語っており、またイタリア・ネオレアリズモの作品、特にデ・シーカの『自転車泥棒』(48)は繰り返し鑑賞したと語っていた。

(トロフィーを手にしたオスカル・カタコラ、グアダラハラ映画祭2018にて)
『アンデス、ふたりぼっち』(原題「Wiñaypacha」)2017年
製作:CINE AYMARA STUDIOS 協賛:ペルー文化省Ministerio de Cultura de Perú
監督・脚本・撮影:オスカル・カタコラ
編集:イレネ・カヒアス
プロダクション・デザイン:イラリア・カタコラ
製作者:ティト・カタコラ
データ:製作国ペルー、アイマラ語、2017年、ドラマ、86分、撮影地プーノ県マクサニ地区アリンカパック、撮影期間5週間、シネ・レヒオナル。2019年のアカデミー賞国際長編映画賞とゴヤ賞イベロアメリカ映画賞のペルー代表作品に選出されたがノミネートならず。配給:ケチュア・フィルム、Colomaフィルム(仏)、アマゾン・プライム・ビデオ(メキシコ、アメリカ)、公開:ペルー、メキシコ2018年4月、アルゼンチン2019年2月、日本2022年7月、他
映画祭・受賞歴:リマ映画祭2017ペルー部門作品賞、リマ大学映画コンクール2017ペルー作品賞、マル・デ・プラタ映画祭2017正式出品、グアダラハラ映画祭2018イベロアメリカ部門のオペラ・プリマ監督第1作作品賞・撮影賞、アンダー35の監督部門FEISAL賞の3賞、モントリオール先住民映画祭ドキュメンタリー部門Teueikan賞、他2019年のアンデス映画週間、パリ・ペルー映画祭、ウエルバ映画祭などに正式出品された。
キャスト:ロサ・ニナ(妻パクシ)、ビセンテ・カタコラ(夫ウイルカ)

(パクシ役のロサ・ニナとウィルカ役のビセンテ・カタコラ)
ストーリー:海抜5000メートルの高地で暮らす老夫婦は、アイマラ語を喋るのは恥ずかしいと町に行ったきり帰らぬ息子アンテュクを待ちわびている。アイマラの文化と伝統を守りながら、親愛なる太陽神や大地母神パチャママに日々の糧と健康を祈る。ある日のこと、底をつきそうなマッチを買いにリャマを連れて町に下りていったウィルカが夜になっても帰宅しない。雨が降りだすなかパクシもカンテラを手に山を下りていくのだが、留守中に我が子同然の羊と牧羊犬がキツネに食い殺されてしまった。唯一夫婦に残されたリャマ、病魔に襲われたウィルカ、帰らぬ息子を待つパクシに次々と悲劇が襲いかかる。死後における魂の永遠性、無限の時、見捨てられていく親世代の孤独、家族の崩壊が静かに告発される。帰らぬ息子やマッチのメタファーは何か、風光明媚な自然の裏側に隠されているものは何か、ドキュメンタリー手法を多用した政治性の強い重たいフィクション。
〈息子不在〉のメタファーは何か―自伝的なフィクション
A: ドキュメンタリーの手法を取り入れたフィクションですが、監督の自伝的要素が強く、主役ウィルカを80代の母方の祖父ビセンテ・カタコラが演じている。第一条件が「アイマラ語ができる80代以上の人」だった。それでオーディションをしてキャスティングして何人かにリハーサルしてもらったが、直ぐ疲れたと言って休んでしまい撮影どころではなかった。それを見かねた祖父が買って出てくれたというわけです。父方の祖父母は既に亡くなっていた。

(葦笛ケーナを吹くウィルカ)
B: パクシを演じたロサ・ニナも同世代、プロではありませんが、芸術的な素質や社交的な性格から、友人に勧められた。これまで映画館に行ったことがないばかりか映画も観たこともなかったとか。
A: 監督談によると「私が何をすればいいのかよく分からないが、お役に立てると思う」と快諾してくれた。本当に幸運で信じられなかったと語っている。しかしいざ演技の準備を始めてみると、これが容易ならざることで、撮影開始まで6ヵ月以上を要した。
B: 二人とも即興でどんどん演じてしまうので会話が噛みあわず、これは大変と思ったそうですね。
A: 撮影方法をマスターできなかったのは当然ですよね。結果的には二人は多くの美点をもち貢献してくれた。映画をご覧になるとロサ・ニナは皺くちゃですが可愛らしい声をしています。劇中話されているアイマラ語*はボリビアやペルー、チリの一部で使用、200万人の話者がいるそうで、うちペルーは30万人、主に舞台となるプーノ県で話されている。
*ケチュア語と同じくアイマラ語も文字をもたない言語、現在の表記はスペイン語のアルファベットと記号を使用している。ボリビアの1984年に続いてペルーも翌年公用語に認定されている。

(撮影中の監督とロサ・ニナ)
B: プーノ県はペルー南部に位置し、撮影地は標高5000メートルの高地、県都プーノ市は3800メートル、この1000メートルの高低差にプロジェクトは苦しんだ。
A: 監督の父方の祖父母は4500メートルのところに住んでおり、公用語のスペイン語を解さなかった。6歳ごろから休暇には兄弟と祖父母の家に行かされ、1年のうち3~4ヵ月間一緒に過ごし、結果的にアイマラ語ができるようになった。父親も叔父たちも忙しく行くことは稀で、これが〈息子不在〉のテーマになっている。
B: この体験が主人公たちの感じていた寂寥感に繋がり、監督は今では消えてしまった風習や伝統の目撃者になることができた。
A: この映画を作ろうと思ったきっかけは、アンデスの高地を訪れると、子供世代の高齢になった両親の放棄を間近に見ることが多かった。最初こそ年に数回帰郷したが自然に足が遠のいていった。親たちは我が子や孫たちに見捨てられたと感じ、寂しさに苦しんでいた。
B: つまり、この高齢になった親世代を見捨てることが、中心的テーマの一つと言っていい。ウィルカは息子の帰郷を既に諦めているが、パクシはそうではない。
A: 帰郷しない息子は、自分たちの文化遺産を継承できない子供たちのメタファー、それは視聴者であるかもしれません。継承できない子供は、生まれなかった子供と同じです。監督は「アンデスの文化と言語は社会からほとんど評価されていない」と嘆いています。
B: 社会から疎遠になっている人々をサポートする必要があります。監督自身は両親のお蔭で長老たちは尊敬されるべきであり、彼らが知恵袋であることを学びましたが、現在では少数派になっています。
A: ペルーに限らず、若い人にとって年寄りは迷惑な存在とまでは言いませんが重荷になりました。これは世界中に存在している事実です。
山は映画のもうひとりの主人公―パクシが向かう場所
B: 物語はサント・ロメリートの祝いの儀式から始り、夫婦は元気に長生きできるように「災難が遠ざかり、幸運が訪れるよう」に「ここには黄金の捧げもの、ここは銀の神殿です」と歌い踊る。ウィルカの吹くケーナに合わせてパクシが踊る。音楽はこれを含めて2回あるだけです。観客は風の音、小川のせせらぎ、雷鳴、雨や霰の音、炎のはぜる音、リャマや鳥の鳴き声など自然に聞こえてくるもので占められている。
A: この儀式からヨーロッパ大陸からもたらされたカソリックが元からあった宗教と独自に融合していることが知れる。また新しい年の始めには、コカの葉を携えて神聖な丘に登りパチャクティの儀式を行う。肥沃な畑や動物、新年になっても戻ってこない息子の健康を太陽神に祈る。また重要と思われるのがパクシがしばしば見る夢の内容に注目です。二人の咳、ウィルカの苦しそうな荒い息やいびきが伏線になってラストに雪崩れ込んでいく。

(新年の祝いをするウィルカとパクシ)
B: 表層的には淡々と進んでいきますが、実はウィルカはコカの葉を通して前兆を読みとっていた。セリフを追っているだけでは本質が分からない。そして底をつき始めたマッチが大きな転回点になる。
A: マッチはグローバリゼーションの比喩、彼らはかつてはマッチという文明の利器に依存しないで暮らしていた。夫がマッチを買いに下山していくが手に入らず、妻の火の不始末のせいで物語は急展開していく。
B: 自給自足の日常のはずが、既にそうではなかったわけです。

(マッチを買いにリャマと連れ立って下山するウィルカ)
A: またアンデスの文化では、小山には男と女の性別があるということです。山は映画のもう一人の主人公、アンデスの世界観に倣って妻が向かうラストシーンに多くの観客は衝撃をうけると思います。
B: 公開前ですからこれ以上は触れることはできません。
A: 撮影場所を探すのに苦労したと語っていましたが、薄い酸素に慣れているとはいえ、5000メートル以上の高さでの撮影は大きな挑戦だったはずです。風光明媚な美しさは写真向きではありますが、その後ろに何が隠されているかを、私たちは読みとらねばなりません。

(パクシとウィルカが並んだ石積みの象徴的なオブジェ)

(パクシが向かう場所は何処か)
B: 本作には政治的批判をこめたメッセージが随所に見られます。美しい山岳映画、静かな夫婦愛を描いたヒューマンドラマではありません。
A: 先住民をないがしろにする国家への批判です。ペルーは地理的に大きく分けると、首都リマがあるコスタ(12%)、日本人観光客に一番人気のマチュピチュのある高地のシエラ(28%台)、アマゾン川のセルバ(60%)の3つの地形に分類される多文化国家です。コスタ地域に30パーセント以上の国民がひしめいている。プーナという4100メートル以上の高地は、寒冷のため人が暮らすには適しないと言われ、この地域で主にケチュア語とアイマラ語が話されている。若い人は都会に出て、スペイン語とのバイリンガルです。
B: 監督は「ペルーには母語となる言語は約49あるが徐々に消えていってます。国家がその回復を推進し始めたのはここ数年のことで、すると保存の名目で悪用する人が現れ、微妙な問題です」と。
A: 確かにデリケートな問題を抱えていますが、ただ保存すればいいというわけではない。次世代が継承できるようサポートするシステムが必要です。しかし映画のように家族が崩壊しなければ言語も慣習も伝統も残っていくはずです。その家族の存続が難問です。
B: 本作は5年前の作品ということで日本語字幕付ではありませんが、既にYouTube、Netflix、プライムビデオなどで視聴可能です。
A: 管理人はYouTubeスペイン語字幕で鑑賞しましたが、映像を堪能するなら映画はスクリーンに限ります。
◎関連情報◎
「ペルーコンテンポラリー映画祭~千年の文化が宿す魂の発見」として、インスティトゥト・セルバンテス東京でペルー映画5作の上映会があります(7月15日~16日、日本語字幕付)。オスカル・カタコラの『アンデス、ふたりぼっち』は含まれておりませんが、製作を手掛けた叔父ティト・カタコラのドキュメンタリー「パクチャPakucha」(21、80分)がエントリーされています。アルパカの毛刈りの儀式を追ったものです。パクチャとはアルパカの精霊ということです。本作は夭折した甥オスカル・カタコラに捧げられています。監督は他にオスカルが2007年に撮った中編「El sendero del chulo」(45分、ドラマ)の撮影も手掛けています。
日時:2022年7月16日(土)13:30~14:50
場所:インスティトゥト・セルバンテス東京 地下1階オーディトリアム
*入場無料・要予約


(ありし日のオスカルとティト・カタコラ)
公開中のメキシコ映画*『ニューオーダー』と『息子の面影』 ― 2022年06月13日 15:19
ミシェル・フランコのディストピア・スリラー『ニューオーダー』

★第77回ベネチア映画祭2020の審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞した『ニューオーダー』が公開されています。ミシェル・フランコは、当ブログでは『父の秘密』や『或る終焉』、『母という名の女』などで度々登場してもらっています。新作では極端な経済格差が国民を分断する社会秩序の崩壊ディストピアをスリラー仕立てで描いています。プレミアされたベネチアでは、その過激なプロットからメキシコから現地入りしていたセレブたちが騒然となり、初っ端から映画の評価は賛否が分かれています。プロットやキャスト紹介は公式サイトに詳しい。
◎ 原題「Nuevo orden」(英題「New Order」)メキシコ・フランス合作、2020年、
スリラー、36分
上映館:渋谷シアター・イメージフォーラム、2022年6月4日、ほか全国順次公開

(銀獅子賞のトロフィーを手にしたミシェル・フランコ、ベネチア映画祭2020)
★主役マリアン役に脚本家でもあるネイアン・ゴンサレス・ノルビンド(メキシコシティ1992)が扮している。「Leona」でモレリア映画祭2018女優賞受賞、母親は『或る終焉』出演のナイレア・ノルビンド、ティム・ロスが主役を演じた看護師の元妻を演じている。抗議運動側に立つマルタ役に、モニカ・デル・カルメン(1982)がクレジットされている。カンヌ映画祭2010で衝撃デビューしたマイケル・ロウの『うるう年の秘め事』で国際舞台に登場、アリエル賞女優賞を受賞している。翌年のラテンビートで上映されている。他に上記のフランコ映画の常連でもあり、今回のベネチアにも監督と出席している。物言う女優の一人です。
◎ミシェル・フランコ関連記事
*『父の秘密』の作品紹介は、コチラ⇒2013年11月20日
*『或る終焉』の作品紹介は、コチラ⇒2016年06月15日/同年06月18日
*『母という名の女』の主な作品紹介は、コチラ⇒2017年05月08日/2018年07月07日
*モニカ・デル・カルメンのキャリア紹介は、コチラ⇒2021年08月28日
フェルナンダ・バラデスのデビュー作『息子の面影』

★もう1作がフェルナンダ・バラデスのデビュー作『息子の面影』、メキシコ国境付近で行方知れずになった息子たちを探す3人の母親と、ラテンアメリカ映画に特有なテーマである父親不在が語られる。豊かな北の隣国アメリカに一番近い国メキシコの苦悩を描いている映画は本作に限らないが、『ニューオーダー』と同じく現代メキシコの現実を切りとっている佳作。サンダンス映画祭2020ワールド・シネマ部門観客賞と審査員特別脚本賞、サンセバスチャン映画祭オリソンテス・ラティノス部門の作品賞、ほか受賞歴多数。ラテンビート2020で同タイトルで上映されている。作品紹介は公式サイトに詳しいが、当ブログでも監督のキャリア&フィルモグラフィー、作品とキャスト紹介を以下にしています。
*監督キャリアと作品紹介は、コチラ⇒2020年11月26日

(オリソンテス・ラティノス賞を受賞したバラデス監督、SSIFF2020授賞式)
◎ 原題「Sin señas particulares」(英題「Identifying Features」)
メキシコ・スペイン合作、スペイン語・サポテコ語・英語、2020年、99分、ドラマ
上映館:新宿武蔵野館、渋谷ユーロスペース、2022年5月27日、ほか全国順次公開中
パブロ・ララインの新作「スペンサー」*ダイアナ・スペンサーの謎 ― 2021年11月28日 20:33
伝統に縛られた風変わりで冷酷な裏切りの王室を描いたホラー映画

★2022年はダイアナ・スペンサーが交通事故死して25年目というわけで、クリステン・スチュワートを起用したパブロ・ララインの「Spencer」(仮題「スペンサー」)と、エド・パーキンズのドキュメンタリー「Diana」の劇場公開が決定しています。チリの監督作品がベネチア映画祭でワールドプレミアされたからと言って、邦題も公開日も正式に決まっていないのに、紹介記事が多数アップされるとは驚きです。同じ有名人のビオピック『ジャッキー/ファーストレディ最後の使命』とは比較になりません。その謎に包まれた悲劇的な最期もあるのか、未だにダイアナ人気は持続しているようです。ネットフリックス配信のピーター・モーガン原案のTVシリーズ『ザ・クラウン』(ダイアナ役エマ・コリン)、酷評さくさくだったダイアナ最後の2年間に焦点を絞ったオリヴァー・ヒルシュビーゲルの『ダイアナ』(同ナオミ・ワッツ)と、ダイアナ女優の競演も見逃せません。
★旧姓 <スペンサー> だけでダイアナ妃に直結できる人がどのくらい居るのか分かりませんが、副題入りなら願わくば簡潔にして欲しい。本作についてはまだ詳細が分からなかった昨年夏にクリステン・スチュワート監督デビューを含むトレビア記事を紹介しております。スペイン語映画ではありませんが、久々にラライン映画をご紹介。
*「スペンサー」のトレビア記事は、コチラ⇒2020年07月12日

(パブロ・ラライン監督とクリステン・スチュワート、ベネチアFF2021フォトコール)
「Spencer」(仮題「スペンサー」)
製作:Komplizen Film / Fabla / Shoebox Films 協賛FilmNation Entertainment
監督:パブロ・ラライン
脚本:スティーブン・ナイト
撮影:クレア・マトン
美術(プロダクション・デザイン):ガイ・ヘンドリックス・ディアス
編集:セバスティアン・セプルベダ
衣装デザイン:ジャクリーン・デュラン
音楽(監修):ジョニー・グリーンウッド、ニック・エンジェル
キャスティング:Amy Hubbard
製作者:ポール・ウェブスター(英)、マーレン・アデ、ヨナス・ドルンバッハ、ヤニーネ・ヤツコフスキー(以上独)、フアン・デ・ディオス・ラライン&パブロ・ラライン(チリ)、(エグゼクティブ)スティーブン・ナイト、トム・クインほか多数
データ:製作国ドイツ=チリ=イギリス=アメリカ、英語、2021年、ビオピック・ドラマ、111分、撮影地ドイツ(フリードリヒスホーフ城)、イギリスのノーフォーク他、期間2021年1月28日~4月27日まで。配給STAR CHANNEL MOVIES、公開イギリス・アメリカ2021年11月5日、チリ2022年1月20日、独1月27日他多数、日本は2022年、東北新社フィルム・コーポレーション
映画祭・受賞歴:第78回ベネチア映画祭コンペティション部門、トロントFF、パルマ・スプリングFFスポットライト賞(クリステン・スチュワート)、ほかチューリッヒ、BFIロンドン、ハンプトン、ヘント、サンディエゴ、シカゴ、マドリードなどの国際映画祭上映多数。
キャスト:クリステン・スチュワート(ダイアナ妃)、ティモシー・スポール(アリスター・グレゴリー)、ジャック・ニーレン(長男ウイリアム)、フレディ・スプリー(次男ヘンリー)、ジャック・ファージング(チャールズ皇太子)、ショーン・ハリス(ダレン)、ステラ・ゴネット(エリザベス女王)、リチャード・サメル(エディンバラ公フィリップ殿下)、エリザベス・べリントン(アン王女)、ロア・ステファネク(女王の母、王太后)、サリー・ホーキンス(マギー)、エイミー・マンソン(アン・ブーリン)、ローラ・ベンソン(着付師アンジェラ)、ジョン・ケオ(チャールズの側用人マイケル)、トーマス・ダグラス(ダイアナの父ジョン・スペンサー)、エマ・ダーウォール・スミス(カミラ・パーカー・ボウルズ)、ニクラス・コート(アンドリュー王子)、オルガ・ヘルシング(元ヨークシャー公爵夫人サラ・ファーガソン)、他多数
ストーリー:ダイアナは、英国王室がクリスマス休暇を過ごすノーフォークにあるサンドリンガム邸に一人で到着した。彼女は生まれ育ったところからそれほど遠くないサンドリンガムをずっと憎んでいました。ダイアナが離婚を決意したクリスマス休暇の3日間が描かれる。彼女は過去と現在は同じものであり、未来は存在しない場所を逃れて、なりたい自分になることを選びます。誰も正確に本当のレディ・ディを知りません。
「謎に包まれたレディ・ディは魅惑的です」とラライン監督
★王室が存在しない国の監督パブロ・ラライン(サンティアゴ・デ・チリ1976、45歳)は、本作のプロモーションのためロンドンに滞在していました。キャンペーンはうまくいってるようです。「イギリス人は自分たちの暮らす社会とは違う話に慣れており、外部の誰かがそれに取り組んでいることを面白がります。彼らはこの映画が物議を醸すかどうか気をもんでいます。多分その要素はあるでしょう、おそらく危険です」とエル・パイスの記者にコメントした。

(ウェールズのダイアナとして登場するクリステン・スチュワート)
★「スペンサー」は、デビッド・クローネンバーグの『イースタン・プロミス』(07)の脚本を手掛けたスティーブン・ナイトに脚本を依頼したことから始まった。2021年1月下旬、ドイツのサンドリンガムに見立てたフリードリヒスホーフ城で迅速に撮影が始り、3月下旬にイギリスに移動して完成させました。カンヌ映画祭には間に合わず、ベネチアでワールドプレミアされました。ベネチアにはかつて『ジャッキー~』や『エマ、愛の罠』がコンペティション部門にノミネートされたとき現地入りしています。
★撮影は『トニー・マネロ』以来、長年にわたってラライン映画を手掛けてきた撮影監督セルヒオ・アームストロングから、今回はフランスのクレア・マトンに変わった。マトンはセリーヌ・シアマがカンヌFF2019の脚本賞・クイア賞を受賞した『燃ゆる女の肖像』の撮影監督です。アームストロングはロレンソ・ビガスの『箱』を撮っていた。ドイツ・サイドの製作者にマーレン・アデ、アデは『ありがとう、トニ・エルドマン』(16)の監督、そして今作をプロデュースしたのがヨナス・ドルンバッハとヤニーネ・ヤツコフスキーでした。イギリスからポール・ウェブスター、チリが監督の実弟フアン・デ・ディオス・ラライン、スタッフ陣に抜かりはありません。
★「ほぼ2年にわたって調査をしたのですが、情報が多くなればなるほど謎が深まっていった」と監督。「ダイアナを包み込んでいた謎は魅惑的で、理解できないことで逆に興味が増していきました。映画をご覧になった方は、それぞれ自分のバージョンをつくり、私的に愉しむことができます。伝統的なおとぎ話では、魅力的な王子様が現れてお姫様を見つけ結婚する。やがて王妃になれるのですが、ここでは反対のことが起きる」のです。つまりお姫様は王子様と出会う前のなりたい自分になると決めて王室を去るからです。そうして初めてアイデンティティをもつことができたのです。

(イギリスで撮影中のクリステン・スチュワートと監督)
★離婚でもっとも有名になった女性の運命については、既に皆が知ってることなので描かれない。1997年8月31日にパリで起きた衝撃的な交通事故についても描かれない。舞台はエリザベス女王のサンドリンガム邸、日付は指定されていません。別居が公式に発表になった1992年12月9日より前の1991年の或るクリスマス休暇の3日間か、あるいは息子二人の年齢から1992年の可能性もあると監督はコメントしている。ヘアースタイリスト界のスターだったサム・マックナイトの勧めで、ダイアナが髪をショートカットにした時期は1990年後半、1991年は「ダイアナ・ピクシー」と言われるショートだったという。映画のようなふんわりした髪型はもっと後のものだというのだが、明らかに違います。マックナイトはTVシリーズ『ザ・クラウン』でエマ・コリンのヘアーを担当しています。

(レディ・ディに扮したクリステン・スチュワート)

(ショートカットのダイアナ妃、1991年5月7日)
★ベネチア映画祭のあれこれは、既に報道されていることですが、監督が「私はいつもクリステンが揺るぎない、しっかりした、長い準備をして非常に自信をもっているように感じました。そしてそれがチームの他のメンバーに安心をもたらしました」とスピーチしたら、女優は「いいえ、私は怖れていました! しかし私はどっしり構えたあなたを見て、それに縋りつきました。とにかく私と同じように全員が怖がっていたのでした」と応じました。皆が知っている毀誉褒貶半ばする人物を演じるのは怖いです。実際本作はスタンリー・キューブリックの『シャイニング』のようなサイコホラーとは違うようですが、1200年の歴史と伝統にとらわれた不条理なホラー映画です。

(レディ・ディと二人の息子たち、フレームから)
★横道ですがベネチアにはパートナーの脚本家ディラン・マイヤーも現地入りしており、パパラッチを喜ばせていた。2018年夏からの比較的長い交際だから、今度は結婚にゴールインするかもしれない。彼女はコロナ禍の2020年に製作された17人の監督からなる短編コレクション『HOMEMADEホームメード』で監督デビューしたクリステンのために脚本を執筆している。
★監督紹介:パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDI(Union Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。現在はピニェラ政権下で法務人権相。母親マグダレナ・マッテも政治家でセバスチャン・ピニェラ(2010~14)政権の閣僚経験者、つまり一族は階級的には富裕層に属している。6人兄妹の次男、2006年女優のアントニア・セヘルスと結婚、一男一女の父親。ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟フアン・デ・ディオス・ララインとプロダクション「Fabula」設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備、デビュー作「Fuga」を発表した。<ジェネレーションHD>と呼ばれる若手の「クール世代」に属している。
*長編映画(短編・TVシリーズ省略)
2006「Fuga」監督・脚本
2008「Tony Manero」『トニー・マネロ』監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第1部
ラテンビートLB2008
2010「Post mortem」 監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第2部
2012「No」『No』監督「ピノチェト政権三部作」第3部、カンヌFF2012「監督週間」
正式出品、LB2013
2015「El club」『ザ・クラブ』監督・脚本・製作、ベルリンFF 2015、 LB2015
2016「Neruda」『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』 監督、カンヌFF2016「監督週間」
正式出品、LB2017
2016「Jackie」『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』監督、ベネチアFF 2016、
正式出品
2019「Ema」『エマ、愛の罠』監督・製作、ベネチアFF 2019、正式出品
2021「Spencer」仮題「スペンサー」監督・製作、ベネチアFF 2021、正式出品
★ラライン監督は、11月21日に行われたチリ大統領選挙のため帰国しているようです。ララインは左派の元チリ学生連盟会長のガブリエル・ボリッチ下院議員を支持しており、両親とは支持政党が異なっている。チリは1990年の民政移管以来、中道左派、中道右派が交代で政権についていたが、格差拡大で中道はどちらも失速し、今回の選挙には7人が立候補していた。どの候補も過半数を取れず、下馬評通り極右の弁護士で元下院議員ホセ・カストとガブリエル・ボリッチの一騎打ちになった。12月19日に決選投票が行われる。「選挙を棄権したことはありません。この選挙のプロセスを撮影したい」と語っていた。
審査員特別賞にテオドラ・アナ・ミハイの『市民』*TIFFトークサロン ― 2021年11月12日 14:42
ルーマニアの監督がメキシコを舞台に腐敗、犯罪、暴力について語る

★テオドラ・アナ・ミハイの『市民』(La civil)が審査員特別賞という大賞を受賞した。授賞式には監督のビデオメッセージが届きました。プレゼンターはローナ・ティー審査員、トロフィーと副賞5000ドルが贈られた。ビデオメッセージは「・・・『市民』は7年間かけて手がけた作品で私にとって非常に思い入れのある映画です。テーマはデリケートで現在のメキシコにとってタイムリーな問題です。海外の皆さんに見てもらい、メキシコの問題を知って議論していただくことが大切だと思っております。身にあまる賞をいただきありがとうございました」という内容でした。11月4日に行われたTIFFトークサロンはメキシコからでしたが、まだベルギーには帰国していないのでしょうか。

(テオドラ・アナ・ミハイ、ビデオメッセージから)
★最優秀女優賞にはコソボ出身のカルトリナ・クラスニチの『ヴェラは海の夢を見る』でヴェラを演じたテウタ・アイディニ・イェゲニ、あるいは『市民』の主役シエロを演じたアルセリア・ラミレスのどちらかが受賞するのではと予想していました。結果はクラスニチ監督が東京グランプリ/東京都知事賞、女優賞は『もうひとりのトム』(監督ロドリゴ・プラ&ラウラ・サントゥリョ)のフリア・チャベスが受賞した。今年のTIFFは女性監督が脚光を浴びた年になりました。なおテオドラ・アナ・ミハイ監督のキャリア&フィルモグラフィー、キャスト、スタッフの紹介は既にアップしております。
*『市民』(La civil)の作品&監督フィルモグラフィーは、コチラ⇒2021年10月25日

(審査委員長イザベル・ユペールからトロフィーを手渡された、
駐日コソボ共和国大使館臨時代理大使アルバー・メフメティ氏)
★TIFFトークサロン(11月4日11:00,メキシコ3日20:00)、モデレーターは市山尚三氏。監督は英語でインタビューに応じた。Q&Aの内容は、質問に対するアンサーの部分が長く(同時通訳の方は難儀したのではないか)内容も前後するので、管理人がピックアップして纏めたものです。
Q:本作製作の動機、モデルが実在しているのに実話と明記しなかった理由、エンディングでシエロのモデルになったミリアム・ロドリゲスに本作が捧げられていた経緯の質問など。
A:16歳からサンフランシスコのハイスクールに入学して、映画もこちらで学んでいる。当時は今のメキシコのように危険ではなかったのでメキシコにはよく旅行しており、メキシコ人の友人がたくさんいる。2006年、時の大統領が麻薬撲滅運動を本格化させたことで、日常生活が一変した。ベルギーにいるメキシコの友人から話を聞き、「Waiting for August」の次はメキシコの子供たちをテーマにしたドキュメンタリーを撮ろうと決めていた。今から9年前にメキシコを訪れた。友人の母親から「夕方7時以降は危険だから外出してはいけない」と注意された。子供たちにインタビューを重ね、ジャーナリズムの方法で取材を始めていった。
Q:(アンサーには質問と若干ズレがあり再度)実話と明記しなかった理由、モデルとの接点についての質問があった。
A:知人から是非あって欲しい人がいると言われ会うことにした。ミリアムは拳銃を持参しており彼女が危険な状況に置かれていると直感した。話の中で「毎朝、目が覚めると、殺したい、死にたいと思う」という激しい言葉に驚き、ミリアムの容姿と言葉のギャップに衝撃を受けた。2年半の間コンタクトを撮り続けたが、これはミリアムの身に起こった実話にインスパイアされ、リサーチを加えたリアリティーに深く根差したフィクションです。
A:最初はドキュメンタリーで撮ろうと考えミリアムも撮ったが、最初の2週間でドキュメンタリーは出演者だけでなく、私たちスタッフにも危険すぎると分かった。当局の思惑、メキシコの恥部が世界に拡散されることや自分たちにも危険が及ぶこと、軍部とミリアムの複雑な関係性などから断念せざるを得なかった。脚本はメキシコの小説家アブク・アントニオ・デ・ロサリオとの共同執筆です。
(管理人補足:作家のクリスチャンネーム Habacuc の表記は、作品紹介では予言者ハバクックHabaquq から採られたと解釈してハバクックと表記していますが、正確なところ分かりません。Hはサイレントかもしれません)

(共同執筆者ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオと監督、カンヌFFフォトコール)
A:ミリアムは既に社会問題、社会現象になっておりました。あちこちで発見される共同墓地ひとつをとっても、これがメキシコの悲しみと言えるのです、タイトル「市民」はメタファーで、シエロやミリアムのような母親がメキシコには大勢存在するということです。エンディングで本作がモデルになったミリアムに捧げられたのは、ネットでお調べになってご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、2017年の母の日に自宅前で何発もの銃弾を受けて暗殺されたからです。彼女は本作を見ることができなかったのです。
(管理人補足:2017年3月、カレン誘拐に携わりながら罪を逃れていた20人以上が逮捕されたことが引き金になって、5月10日の母の日に暗殺された。映画では娘の名前はラウラですがカレンが実名。エンディングにオマージュを入れるのは鬼籍入りしたことを意味しています。)

(シエロのモデルとなったミリアム・ロドリゲス)
Q:製作者にダルデンヌ兄弟、ムンジュウ、ミシェル・フランコとの関りについての質問。
A:ダルデンヌ映画とスタイルが似ているかもしれない。というのも白黒が曖昧なキャラクターを描いている。善悪をテーマにしており、善人と悪人が別個に存在しているのではなく、人間は常にグレーです。シエロも最初は被害者でしたが、ある一線を越えてダークな方向へ向かってしまう。
Q:日本映画についての質問。
A:私が生まれたころの監督、黒澤(明)は私のマエストロです。是枝(裕和)映画は全部見ています。私の「Waiting for August」(14)は、『誰も知らない』(04)にインスパイアされたドキュメンタリーです。これは16歳の長男を頭に5歳の末っ子7人の兄妹の物語です。父親はいなくて、母親がイタリアに出稼ぎに行って仕送りしている。14歳になる長女が家族の面倒をみて切り盛りしている。『誰も知らない』は悲しい作品でしたが、私の作品はもっとポジティブに描きたかったので、ラストはそうしました。
Q:シエロを演じた女優アルセリア・ラミレスのキャリアについての質問。
A:サンフランシスコにいたころ観た映画「Like Water for Chocolate」(92)に出演していた女優さんが記憶にあり、その頃はとても若かったのですが心の中に残っていた。現在はベテラン女優として忙しそうだったが大部のシナリオを送ってみた。すると1日半もかけて脚本を読んでくれ、「私に息を吹きこませてください」という感動的なメッセージ付きで返事が来た。

(髪をバッサリ切って変身するシエロ)
★市山氏から「その映画なら『赤い薔薇ソースの伝説』という邦題で、TIFFで上映しました。私がTIFFに参加した最初の年で、よく覚えています。どんな役を演じていたか記憶していませんが」とコメントがあった。「小さな役でナレーションをやりました」と監督が応じた。
(管理人補足:アルセリア・ラミレスが演じた役は、一家の女主ママ・エレナの曽孫役、スクリーンの冒頭に登場して、このマジックリアリズムの物語を語るナレーション役になった。原題は「Como agua para chocolate」でアルフォンソ・アラウ監督のパートナー、ラウラ・エスキベルの大ベストセラー小説の映画化。タイトルは情熱や怒りが沸騰している状況、特に性的興奮を表すメキシコの慣用句から採られている。日本語が堪能なメキシコの知人が、あまりの迷題に笑い転げたことを思い出します。アルセリア・ラミレスのキャリア紹介はアップしております。)
★ミハイ監督から「映画祭に私の作品を招待して下さりありがとうございました。メキシコの状況をご友人とも語り合って、劇場で是非ご覧になってください。劇場で一緒に鑑賞する文化は失われてはいけません。早くコロナが収束することを願っています」と感謝の言葉があった。
★トークでは時間の関係から触れられなかったのか、他のインタビューで「私はシエロのような不幸に挫けず生きていく女性のキャラクターに惹かれます。それは私自身の生い立ちと無縁ではありません。ルーマニアがチャウシェスク独裁政権下の1988年、私の両親はベルギーに亡命、当時7歳だった私は人質として残されました。幸い1年後に合流できましたが、当時のルーマニアは、国民同士が告発しあう監視社会で、誰も他人を信頼できませんでした。そういう実態経験が私の人格形成に影響を及ぼしています」と語っています。視聴者からフィナーレについての曖昧さが指摘されているようですが、ラストはいろいろな解釈が可能なように敢えてしたということです。メキシコの悲劇は現在も進行中、我が子の生存すら分からぬまま生きていかねばならない家族を考慮したようです。
追加情報:2023年1月20日、邦題『母の聖戦』で公開されました。
テオドラ・アナ・ミハイの『市民』*東京国際映画祭2021 ― 2021年10月25日 15:57
ルーマニアの監督テオドラ・ミハイの長編デビュー作『市民』

(主演のアルセリア・ラミレスを配したポスター)
★コンペティション部門最後のご紹介は、ルーマニアの監督テオドラ・アナ・ミハイがスペイン語で撮ったデビュー作『市民』(ベルギー=ルーマニア=メキシコ合作、原題 La civil)、第74回カンヌ映画祭2021「ある視点」に正式出品され、Prize of Courage勇敢賞受賞作品。カンヌには監督以下主なスタッフ、俳優が出席した。ルーマニアの監督がどうしてメキシコを舞台に、麻薬密売にコントロールされた暴力をテーマにしようとしたのかは後述するとして、取りあえず作品紹介から始めたい。

(Prize of Courage勇敢賞を受賞したテオドラ・アナ・ミハイ監督)
『市民』(La civil)2021年
製作:Les Films du Fleuve / Menuetto Film / Mobra Films
監督:テオドラ・アナ・ミハイ
脚本:テオドラ・アナ・ミハイ、ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオ・ゲレロ
音楽:ジャン=ステファン・ガルベ、ウーゴ・リペンス
撮影:マリウス・パンドゥル
編集:アライン・Dessauvage
キャスティング:ビリディアナ・オルベラ
プロダクション・デザイン:クラウディオ・ラミレス・カステリ
美術:ヘオルヒナ・フランシスコ・コンスタンティノ
衣装デザイン:ベルタ・ロメロ
メイクアップ&ヘアー:アルフレッド・ガルシア(メイク)、タニア・アギレラ(ヘアー)
プロダクション・マネージメント:ホセ・アルフレッド・モンテス、ウィルソン・ロバト、ルイス・ベルメンBerumen
製作者:ハンス・エヴェラート、(エグゼクティブ)チューダー・レウ、(共同)ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ、ミシェル・フランコ、エレンディラ・ヌニェス・ラリオス、テオドラ・アナ・ミハイ、クリスティアン・ムンジュウ、(ライン)サンドラ・パレデス、ほか

(左から、ハンス・エヴェラート、アルバロ・ゲレロ、アルセリア・ラミレス、監督、
脚本家ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオ、カンヌ映画祭2021、フォトコール)
データ:製作国ベルギー=ルーマニア=メキシコ、スペイン語、2021年、ドラマ、135分、撮影地メキシコのビクトリア・デ・ドゥランゴ、期間2020年12月
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2021「ある視点」、カメラ・ドール対象作品、Prize of Courage(勇敢賞)受賞、FEST New Directora / New Films Festival 2021ゴールデン・リンクス賞、ハンブルク映画祭ポリティカル・フィルム賞、各受賞。エルサレム映画祭、東京国際映画祭、各ノミネーション。
キャスト:アルセリア・ラミレス(シエロ)、アルバロ・ゲレロ(グスタボ)、ホルヘ・A・ヒメネス(ラマルケ)、アジェレン・ムソ(ロブレス)、フアン・ダニエル・ガルシア・トレビニョ(エル・プーマ)、アレサンドラ・ゴニィ・ブシオ(コマンダンテ、イネス)、エリヒオ・メレンデス(キケ)、モニカ・デル・カルメン、メルセデス・エルナンデス、マヌエル・ビジェガス(リサンドロ) 、アリシア・カンデラス(メチェ)、ほか多数
ストーリー:メキシコ北部を舞台に10代の娘ラウラが組織犯罪に巻き込まれた母親シエロの闘いが語られる。警察や州当局が娘の捜索をしないなら、自らの手で捜すしかない。シエロは問題解決に取り組むなかで一人の主婦から怒りに燃える過激な闘士に変身する。自分の娘が麻薬密売カルテルによって誘拐殺害されたミリアム・ロドリゲスの実話をベースにしている。ミリアムは彼女自身の手で正義を司法に訴えた女性。ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジュウ、ミシェル・フランコなど、カンヌ映画祭の受賞者たちがルーマニアの若手女性監督を応援している。映画界も時代の転機を迎えている。

(シエロ役のアルセリア・ラミレス)

(グスタボ役のアレバロ・ゲレロとラミレス、フレームから)
「朝目覚めると死にたい殺したいと思う」とミリアム・ロドリゲス
★テオドラ・アナ・ミハイは、ニコラエ・チャウシェスク独裁政権下の1981年ルーマニアのブカレスト生れた、監督、脚本家。1989年家族はベルギーに亡命、10代の初めに叔母が移住していたサンフランシスコに渡り、フランス系のアメリカン・インターナショナル・ハイスクールで学ぶ。ニューヨーク州のサラ・ローレンス・カレッジで映画を学んだ後、ベルギーに帰国する。ベルギーでは助監督を経験しながら、2000年短編「Civil War Essay」(サンフランシスコ映画祭ユース部門でCertificate of Merit 受賞)で監督デビューする。
★2014年ドキュメンタリー「Waiting for August」がカルロヴィ・ヴァリ映画祭でドキュメンタリー賞、HotDocs映画祭審査員賞を受賞している。その他アムステルダム、バルディビア、レイキャビック、ベルゲン、ブダペストなど各映画祭でドキュメンタリー賞を受賞している。受賞後、ヨーロッパ映画アカデミーの会員になり、制作会社One for the Road dvdaを設立する。社会的関連性の普遍的な問題を捉えた映画製作を目指しており、ベルギー、ラテンアメリカ、東欧間のコラボレーションを目指している。サンフランコ滞在中の2006年前後はまだ安全だったメキシコに度々旅行に出かけていたことが、本作製作の動機のひとつ。TVミニシリーズのほか短編「Alice」、「Paket」で経験を積み、今回劇映画長編デビューを果たした。

(カルロヴィ・ヴァリ映画祭のドキュメンタリー賞を受賞)

(ドキュメンタリー「Waiting for August」のポスター)
★上述したようにシエロのモデルになったミリアム・ロドリゲスは、「朝、目が覚めると死にたい殺したいと思う」と、ルーマニアの監督テオドラ・アナ・ミハイに語った。2014年に16歳だった娘カレンを誘拐殺害された。そのことが『市民』映画化の動機だったという。メキシコに渡って実態調査に2年以上かけ、メキシコの作家ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオの協力を得て脚本を完成させることができた。最初のオリジナル・アイディアは、2015年に知り合うことになったミリアムの証言を軸にしたドキュメンタリーで撮る計画だったと語っている。しかしそれは、あまりに危険すぎて断念せざるを得なかった。「私たちは物語の展開に自由裁量を求めていたので、つまり証言者の誰も危険に晒したくなかった」のでドラマにしたとコメントしている。

(シエロのモデルになったミリアム・ロドリゲス)

(脚本共同執筆者ハバクック・アントニオ・デ・ロサリオと監督)
★娘ラウラは映画の冒頭で麻薬カルテルの手で誘拐される。組織は目の玉が飛び出すほどの身代金を強要する。母親は支払うが娘は戻ってこなかった。警察も当局も捜索をせず誰も助けてくれない。母親は自ら誘拐犯の追跡に身を投じる。2006年ごろは「夜間に外出できたし、国道を問題なく走ることができた」と監督、つまり今は危険だということ。シエロの苦しみはシエロに止まらず、中米、世界の各地の多くの市民たちに起きている。「俳優たちやスタッフが個人的な動機から出発した物語を語って私は元気づけられた」と監督、私たちは同じような誘拐事件が至る所に転がっており、その結果が絶望に終わることことを知っている。
★メインプロデューサーのハンス・エヴェラートはベルギーのプロデューサー、2017年制作会社「Menuetto Film」を設立した。2018年「The Conductor」、視聴者には不評だった日本との合作、ロックバンドのヘンドリック・ウィレミンスの「Birdsong」(19、『バードソング』20年公開)など。ベルギーの共同製作者ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟は、カンヌFFで2回のパルムドール(『ロゼッタ』『ある子供』)、脚本賞(『ロルナの祈り』)、グランプリ(『少年と自転車』)、監督賞(『その手に触れるまで』)と、もらえる賞は全部獲得した。ルーマニアのクリスティアン・ムンジュウは、『4ヶ月、3週と2日』でパルムドール、『汚れなき祈り』(脚本賞)、『エリザのために』(監督賞)受賞で知られている。メキシコのミシェル・フランコは、『父の秘密』(ある視点部門グランプリ)、『或る終焉』(脚本賞)、『母という名の女性』が「ある視点」の審査員賞を受賞と、共同製作者にカンヌFFの受賞者が名を連ねている。
★主役シエロを演じたアルセリア・ラミレスは、1967年メキシコシティ生れのベテラン女優、カルロス・カレラの『ベンハミンの女』、アルフォンソ・アラウ『赤い薔薇ソースの伝説』(92)、アルトゥーロ・リプスタインの「Asi es la vida」や『ボヴァリー夫人』を現代のメキシコを舞台にした「Las razones del corazón」、カルロス・アルガラ&アレハンドラ・マルティネス・ベルトランのミステリー「Verónica」(17)、TVシリーズ「ソル・フアナ・イネス」に主演している。

(アルセリア・ラミレス、カンヌ映画祭2021フォトコール)
追加情報:2023年1月20日、邦題『母の聖戦』で公開されました。
アルゼンチン映画 『明日に向かって笑え!』*8月6日公開 ― 2021年07月17日 16:26
ダリン父子がドラマでも父子を共演したコメディ

(スペイン語版ポスター)
★セバスティアン・ボレンステインの「La odisea de los giles」(英題「Heroic Losers」)が『明日に向かって笑え!』の邦題で劇場公開されることになりました。いつものことながら邦題から原題に辿りつくのは至難のわざ、直訳すると「おバカたちの長い冒険旅行」ですが、無責任国家や支配階級に騙されつづけている庶民のリベンジ・アドベンチャー。リカルド・ダリンとアルゼンチン映画界の重鎮ルイス・ブランドニが主演のコメディ、2年前の2019年8月15日に公開されるや興行成績の記録を連日塗り替えつづけた作品。本当は笑ってる場合じゃない。公開後ということで、9月にトロント映画祭特別上映、サンセバスチャン映画祭ではアウト・オブ・コンペティション枠で特別上映された。ダリンの息チノ・ダリンがドラマでも息子役を演じ、今回は二人とも製作者として参画しています。

(ドラマでも親子共演のリカルド・ダリンとチノ・ダリン)
*「La odisea de los giles」の作品紹介は、コチラ⇒2020年01月18日
*ボレンステイン監督キャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2016年04月30日
*リカルド・ダリンの主な紹介記事は、コチラ⇒2017年10月25日
*チノ・ダリンの紹介記事は、コチラ⇒2019年01月15日
★公式サイトと当ブログでは、固有名詞のカタカナ起しに違いがありますが(長音を入れるかどうかは好みです)、大きな違いはありません。リカルド演じるフェルミンの友人、自称アナーキストのバクーニン信奉者ルイス・ブランドニ、フェルミンの妻ベロニカ・リナス(ジナス)、実業家カルメン・ロルヒオ役のリタ・コルテセ、などのキャリアについては作品紹介でアップしています。悪徳弁護士フォルトゥナト・マンツィ役アンドレス・パラ、銀行の支店長アルバラド役ルチアノ・カゾー、駅長ロロ・ベラウンデ役ダニエル・アラオスなど、いずれご紹介したい。

(監督と打ち合わせ中のおバカちゃんトリオ)
★原作(“La noche de la Usina”)と脚本を手掛けたエドゥアルド・サチェリは、大ヒット作『瞳の奥の秘密』(09)でフアン・ホセ・カンパネラとタッグを組んだ脚本家、ボレンステイン監督とは初顔合せです。大学では歴史を専攻しているので時代背景のウラはきちんととれている。
*『瞳の奥の秘密』の作品紹介は、コチラ⇒2014年08月09日
★作品紹介の段階では、受賞歴は未発表でしたが、おもな受賞はアルゼンチンアカデミー賞2019(助演女優賞ベロニカ・リナス)、ゴヤ賞2020イベロアメリカ映画賞、ホセ・マリア・フォルケ賞2020ラテンアメリカ映画賞、シネマ・ブラジル・グランプリ受賞、ハバナ映画祭2019、アリエル賞2020以下ノミネート多数。

(ゴヤ賞2020イベロアメリカ映画賞のトロフィーを手にした製作者たち)
★ネット配信、ミニ映画祭、劇場公開、いずれかで日本上陸を予測しましたが、一番可能性が低いと思われた公開になり、2年後とはいえ驚いています。公式サイトもアップされています。当ブログでは原題でご紹介しています。
★1都3県の公開日2021年8月6日から順次全国展開、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマカリテ、ほか。新型コロナウイリスの感染拡大で変更あり、お確かめを。
マイテ・アルベルディの 『老人スパイ』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑩ ― 2020年11月22日 16:47

★いよいよ11月20日からオンライン上映が始まりました。東京国際映画祭TIFFで好感を与えた『老人スパイ』から鑑賞、愛すべき老人スパイ、セルヒオの人間味あふれる活躍なくしてこの傑作は生まれなかったでしょう。人間は老いようがボケようが死ぬまで生きがいと尊厳が必要だと泣かされました。作品紹介でも書いたことですが、「フィクションとドキュメンタリーの区別はない、あるのは映画だけ」というマイテ・アルベルディの言葉通りの傑作でした。老いとはいずれ我も行く道なのでした。若干ネタバレしています。便宜上、加筆訂正して出演者とストーリーを再録しました。
*作品紹介&監督キャリアは、コチラ⇒2020年10月22日
出演者:セルヒオ・チャミー(スパイ)、ロムロ・エイトケン(A&Aエイトケン探偵事務所所長)、(以下主な入居者)マルタ・オリバーレス、ベルタ・ウレタ、ソイラ・ゴンサレス、ペトロニタ・アバルカ(ペティータ)、ルビラ・オリバーレス、他にセルヒオの娘ダラルとその家族、サンフランシスコ介護施設長、介護士など多数
ストーリー:A&Aエイトケン私立探偵事務所に、サンティアゴの或る老人ホームに入居している母親が適切な介護を受けているかどうか調査して欲しいという娘からの依頼が舞い込んだ。元犯罪捜査官だったロムロ所長は、ホームに入居してターゲットをスパイしてくれる80歳から90歳までの求人広告を新聞にうつ。スパイとは露知らず応募して臨時雇用されたのが、最近妻に先立たれ元気のなかった御年83歳という好奇心旺盛なセルヒオ・チャミーだった。ロムロはスパイ経験ゼロのセルヒオに探偵のイロハを特訓する。隠しカメラを装備したペンや眼鏡のハイテクはともかく、二人を最も悩ませたのが現代人のオモチャ、スマートフォンの扱い方だった。その理解に充分な時間を費やすことになる。というのもミッションを成功させるには使いこなすことが欠かせないからだ。なんとかクリアーしていざ出陣、ジェームズ・ボンドのようにはいかないが、誠実さや責任感の強さでは引けを取らない。3ヵ月の契約でホームに送り込まれた俄かスパイは、果たしてどんな報告書を書くのだろうか。 (文責:管理人)
老人ホームのオーナーに真相を明かさなかった!
A: チリのドキュメンタリー作家といえば、「ピノチェト三部作」を撮った大先輩パトリシオ・グスマンが直ぐ思い起こされます。『光のノスタルジア』や『真珠のボタン』は、ドキュメンタリーにも拘わらず公開されました。
B: 当ブログではパブロ・ラライン兄弟やセバスティアン・レリオなどのドラマ作品をご紹介していますが、今世紀に入ってから特に活躍目覚ましいのがチリ映画です。
A: 本作を見ると、裾野の広がりを実感します。どこの国にも当てはまりますがドキュメンタリーは分が悪い。そんな中でドキュメンタリーとフィクションの垣根を取っ払っている監督の一人がマイテ・アルベルディです。『老人スパイ』が長編第4作目になります。

(老人スパイのセルヒオ・チャミーとマイテ・アルベルディ監督)
B: 「或る老人ホーム」というのは、チリ中央部に位置するサンティアゴ大都市圏タラガンテ県のコミューン、エル・モンテにある「サンフランシスコ介護施設」というカトリック系の中規模の老人ホームです。まずアイディア誕生、監督とA&Aの接点、介護施設との折衝などの謎解きから入りましょう。
A: 本作はTIFFワールド・フォーカス部門共催作品ですが、来日できない海外の監督とのオンライン・インタビュー「トーク・サロン」が上映後にもたれました。それによると「最初は探偵事務所をめぐるフィルムノワールを撮りたいと、あちこちの探偵事務所に掛け合ったがどこにも断られた。最後に辿りついたのがA&Aだった」と。折よく施設の入居者の娘から「母親がきちんと介護を受けているかどうか調査して欲しい」という依頼がきていた。当てにしていた人物が腰骨を折ったとかで身動きできない。
B: それで例の新聞広告を出すことになった。
A: 監督はもともと介護施設に関心があって、これは渡りに船ではないかと思った。つまり採用されたチャーミングなセルヒオの魅力に参ってテーマを変更したわけです。
B: セルヒオがトレーニングを受けてるシーンに監督の姿がチラリと映っていました。パブロ・バルデスが指揮を執る撮影班は、セルヒオが入居してくるシーンから撮っていたが。
A: ホーム側とは前もって伝統的な手法でドキュメンタリーを撮るという許可を受けていたが、真相は伏せていた。つまりオーナーを騙していたわけです。撮影のガイドラインを決め、ホームのルールに従った。撮影班は今か今かとセルヒオの登場を待っていたのでした。冷や冷やしながら見ていたが、最後までバレなかったというから可笑しい。
B: 変化の少ないホームでは、新入居者は格好の被写体だったから、カメラがセルヒオを追いかけても怪しまれない。それに83歳の新入居者がスパイとして潜入してくると誰が想像しますか。
入居者に必要なのは人間としての尊厳、最大の敵は孤独
A: このドキュメンタリーを見たら老人に対する考え方が変わるかもしれない。観客はセルヒオのお蔭で先入観をもって他人を判断してはいけないことに気づくでしょう。常にチャーミングで寛大、人生に前向き、苦しいときでも笑いは必要というのが本作のメッセージです。
B: バルデスも完成した「映画を見たら泣けたが、撮影中は笑うことのほうが多かった」と。前半と後半ではテーマも微妙に変化していきました。
A: 報告書の合言葉は <小包>、依頼人の母親ソニア・ぺレスを <標的> とか、QTHやらQSLやらのスパイ暗号で四苦八苦するセルヒオにやきもきするロムロだが、後半になると逆に老人の知恵に押され気味になっていくのが痛快だった。
B: ロムロ・エイトケンはインターポール・チリ支部の責任者ですね。人生を重ねていけば誰でもセルヒオのようになれるわけではない。他人に優しくできるには自分に余裕がないとできない。

(セルヒオにスパイのイロハを伝授するA&A所長ロムロ・エイトケン)
A: 4ヵ月前に亡くなったという奥さんは、さぞかし幸せな人生を送っただったろうと思った。違法なスパイ行為をしようとする父親の身を案ずる娘のダラル、幾つになっても人間には生きがいが必要、頭は疲れるが自由になったような気がする、心配するなと説得する父親、このシーンを入れたのもよかった。
B: 反対に <標的> ソニア・ぺレスの娘、クライアントの姿は一度も出さなかった。この判断もよかった。依頼者とは守秘義務の契約を結んでいたと思いますが、結構な金額だったのではないですか。
A: 母親に会いにくればどんな介護を受けているか、ある程度分かること、わざわざ探偵事務所に調査を依頼することはない。娘も病いを得ているのかもしれないが、信頼しあっていた母と娘とは少なくとも思えなかった。
B: 母親の移動は車椅子、単独歩行が無理で自由に出歩けない。気難しく、他人を寄せ付けないどころか、体が触れるのさえ嫌がる。怒りを溜めこんでいるのか、観客は遂に彼女の笑顔を見ることはなかった。
A: セルヒオがなかなか <標的> を見つけられなかったのも、<小包> がロムロに届かなかったのも、理由はソニア側にあった。進行と共にテーマが変化していくのは自然の成り行きでしょう。お蔭で私たちは人生勉強がたくさんできたわけです。老人スパイがどんな報告書を書くかは進行とともに想像できましたね。
辛い人生を受け入れることの難しさ、人生を愉しむテクニック
B: 本作は入居者の一人、セルヒオに愛を告白する85歳のセニョリータ・ベルタと、4人の子供を育て、自作の詩を諳んじるペティータ、それにメノ・ブーレマの3人に捧げられている。
A: ブーレマはアムステルダム出身の映画編集者、監督が2016年に発表した長編ドキュメンタリー第3作め「The Grown-Ups」、スペイン題「Los niños」を手掛けている。本作撮影中の2019年6月に61歳の若さで亡くなった。
B: 一生懸命育てた4人の子供たちからは忘れられ、「人生とは残酷なもの」と呟くペティータも、セルヒオがいる間に神に召されてしまった。お別れの日に読み上げられた彼女の詩は、本作の大きな見せ場でした。
A: 韻を踏んでいるようですが、字幕は英語なので分かりません。「母親が生きているなら、神の愛に感謝しなさい」と始まる詩でした。ペティータが「恩知らず」と嘆いていた4人の子供たちは参列していたのでしょうか。これもターゲットと無関係なエピソードですが、10月5日の開所記念日のユーモア溢れるシーンなど、名場面の数々は皮肉にも標的とは無関係なのでした。

(セルヒオとペティータ)
B: 彼らの青春時代に流行したザ・プラターズの「オンリー・ユー」のメロディーにのってダンスをする入居者たちも忘れられない。
A: 今年のキングに選ばれたセルヒオのパートナーを、施設長がさりげないしぐさで次々と変えていく。皆でお祝いすることが重要、独り占めは御法度です。ターゲットも参加していたのだろうか。
B: 最初のパートナー、セルヒオに恋を告白したセニョリータ・ベルタは、入所して25年ということですから、入居は60歳からになる。ホームでは広場を見渡せる日当たりのいい5つ星の部屋にいてお洒落さん、人生に前向きでソニアとは対照的な女性。セルヒオにお付き合いを断られても直ぐに立ち直る。
A: 心の内は分からないが孤独ともうまく折り合っている。信仰心が支えになって今の人生を受け入れている。女性の入居者は約40人ほどだが目立つ存在でした。

(ベルタとセルヒオ)
B: 認知症がグレーゾーンのルビラ、今は白髪だが若い頃はさぞかし美しかったろう。3人いる子供たちは1年以上会いに来ていない。だから次第に娘の顔もあやふやになってくる。孤独が入居者たちの最大の敵なのです。

(記憶を失う恐怖に怯えるルビラを支えるセルヒオ)
A: マルタは小さい女の子に戻ってしまい母親が迎えに来てくれる日を待っている。不安定になると偽の電話を掛けてやり落ち着かせる。手癖が悪く皆の持ち物を盗んでいるが、直ぐそれも忘れてしまう。
B: マルタの傍にいるソイラは、夫に辛く扱われていたらしくセルヒオの優しさに救われている。男性の友達は今まで一人もいなかったと。

(ソイラ、セルヒオ、マルタ)
A: セルヒオの退所の日の3人の会話に胸が熱くなった。どんな状況に置かれても愛は絶大です。エンディング曲はホセ・ルイス・ペラレスのオリジナル曲「Te quiero」(アイ・ラブ・ユー)をチリのシンガー・ソングライター、マヌエル・ガルシアがカヴァーしている。セルヒオのラスト・リポートは言わずもがなでしょう。ゴヤ賞2021イベロアメリカ映画賞部門のチリ代表作品に選ばれました。
*追加情報:『83歳のやさしいスパイ』の邦題で2021年7月9日公開決定。
フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」*カンヌ映画祭2020 ― 2020年06月14日 17:23
コロンビアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセの同名小説の映画化

★第73回カンヌ映画祭2020は例年のような形での開催を断念した。マクロン大統領の「7月19日まで1000人以上のイベントは禁止」というお達しではどうにもならない。6月3日、一応オフィシャル・セレクション以下のノミネーションが発表になりました。開催できない場合は、ベネチア、トロント、サンセバスチャンなど各映画祭とのコラボでカンヌ公式映画として上映されることになりました。それでカンヌでのワールドプレミアに拘っている監督たちは来年持ち越しを選択したようです。赤絨毯も、スクリーン上映も、拍手喝采もないカンヌ映画祭となりました。
★フェルナンド・トゥルエバの「El olvido que seremos」(「Forgotten We'll Be」)は、コロンビアのカラコルTVが製作したコロンビア=スペイン合作映画、コロンビアはアンティオキアの作家エクトル・アバド・ファシオリンセのノンフィクション小説「El olvido que seremos」(プラネタ社2005年11月刊)の映画化です。作家の父親エクトル・アバド・ゴメス(1921~87)の生と死を描いた伝記映画です。医師でアンティオキアのみならずコロンビアの人権擁護に尽力していた父親は、1987年メデジンの中心街で私設軍隊パラミリタールの凶弾に倒れた。1980年代は半世紀ものあいだコロンビアを吹き荒れた内戦がもっとも激化した時代でした。アバド家は子だくさんだったが作家はただ一人の男の子で、父親が暗殺されたときは29歳になっていた。

(主人公ハビエル・カマラを配した「El olvido que seremos」のポスター)
アバド家の痛み、コロンビアの痛みが語られる
★エクトル・アバド・ファシオリンセ(メデジン1958)の原作は、2005年11月に出版されると年内に3版まで増刷され、コロンビア国内だけでも20万部が売れたベストセラーです。先ずスペインでは翌年 Seix Barral から出版、メキシコでも出版された他、独語、伊語、仏語、英語、蘭語、ポルトガル語、アラビア語の翻訳書が出ている。21世紀に書かれた小説ベスト100に、コロンビアでは唯一本作が選ばれている。ポルトガルの Casa da América Latina から文学賞、アメリカのラテンアメリカの作品に贈られるWOLA-Duke Book 賞などを受賞している。

(アバド・ファシオリンセの小説の表紙)

(父と息子)
★タイトルの「El olvido que seremos」は、ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” の冒頭の1行目「Ya somos el olvido que seremos」から採られた。父親が凶弾に倒れたとき着ていた背広のポケットに入っていた。あまり知られていない出版社から友人知人に贈る詩集として300部限定で出版されたため公式には未発表だった。そのため小説がベストセラーになると真偽のほどが論争となり、作家の捏造説まで飛びだした。調査の結果本物と判明したのだが、スリルに満ちた経緯の詳細はいずれすることにして、目下は映画とかけ離れるので割愛です。

(ボルヘスのソネット ”Aqui, hoy” のページ)
★コロンビアの作家とスペインの監督の出会いは、カラコルCaracol TVの会長ゴンサロ・コルドバが仲人した。スペイン語で書かれた小説を映画化するにつき、先ず頭に浮かんだ監督は「オスカー監督であるフェルナンド・トゥルエバだった」とコルドバ会長。主役エクトル・アバド・ゴメスにスペインのハビエル・カマラを起用することは、作家のたっての希望だった。「父親の面影に似ていたから」だそうです。映画化が夢でもあり悪夢でもあったと語る作家は、出来上がった脚本を読むのが怖かったと告白している。手掛けたのは監督の実弟ダビ・トゥルエバ、名脚本家にして『「ぼくたちの戦争」を探して』の監督です。

(作家エクトル・アバド・ファシオリンセと監督フェルナンド・トゥルエバ)
★最初トゥルエバ監督はこのミッションは不可能に思えたと語る。その一つは「小説は個人的に親密な記憶だが、映画にそれを持ち込むのは困難だからです」と。しかし「二つ目のこれが重要なのだが、良い本に直面すると臆病になるからだった」と苦笑する。カラコルTVの副会長でもある製作者ダゴ・ガルシアの説得に負けて引き受けたということです。スペイン側は脚本、正確には脚色にダビ・トゥルエバ、主役にハビエル・カマラ、編集にトゥルエバ一家の映画の多くを手掛けているマルタ・ベラスコの布陣で臨むことになった。キャスト陣はハビエル以外はコロンビアの俳優から選ばれた。

(撮影中の監督とハビエル・カマラ)
★作家の娘で映画監督でもあるダニエラ・アバト、アイダ・モラレス、パトリシア・タマヨ(作家の母親セシリア・ファシオリンセ役)、フアン・パブロ・ウレゴがクレジットされている。母親も人権活動家として夫を支えていたエネルギー溢れた魅力的な女性だったということです。当ブログ初登場のダニエラ・アバドは作家の娘、主人公の孫娘に当たり、映画は彼女の視点で進行するようです。今回は女優出演だが、祖父暗殺をめぐるアバド家の証言を集めたドキュメンター「Carta a una sombra」(15)は、マコンド賞にノミネートされ、続くドキュメンタリー「The Smiling Lombana」(18)は、マコンド賞受賞、トゥールーズ映画祭ラテンアメリカ2019で観客賞を受賞している。バルセロナで映画は学んだということです。

(父エクトル・アバド・ファシオリンセと語り合うダニエラ・アバド、2015年)
★スタッフ陣も編集以外はコロンビア側が担当、撮影監督はセルヒオ・イバン・カスターニョ、撮影地は家族が暮らしていたメデジン、首都ボゴタを中心に、イタリアのトリノ(作家は私立のボリバリアーナ司教大学で学んだ後、トリノ大学でも学んでいる)、マドリードなどで行われた。モノクロとカラー、136分と長めです。音楽をクシシュトフ・キェシロフスキの『ふたりのベロニカ』や「トリコロール愛の三部作」を手掛けたポーランドの作曲家ズビグニエフ・プレイスネルが担当することで話題を呼んでいた。彼はトゥルエバの「La reina de España」(16)の音楽監督だった。プロダクション・マネージメントはイタリアのマルコ・ミラニ(『ワンダーウーマン』)と、コロンビア映画にしては国際色豊かです。
★本作はまだ新型コロナが対岸の火事であった2月1日、カルタヘナで毎年1月下旬に4日間行われるヘイ・フェスティバルHay Festival Cartagenaという文学祭で、作家と監督が出席しての講演イベントがありました。もともとは1988年、ウェールズ・ポーイスの古書店街が軒を連ねるヘイ・オン・ワイで始まったフェスティバルが世界各地に広がった。コロンビアではカルタヘナ、スペインはアルハンブラ宮殿で開催されている。現在は文学講演、サイン会、書籍販売の他、音楽や女性問題などのイベントに発展している。YouTubeを覗いたら150名の招待者のなかにマリベル・ベルドゥとか、作家のハビエル・セルカスも出席していました。下の写真は映画の宣伝も兼ねた講演会に出席した両人。フェスティバル期間中にトゥルエバの『美しき虜』が上映されていた。

(アバド・ファシオリンセとトゥルエバ監督、2月1日、アドルフォ・メヒア劇場)
★現在の中南米諸国のコロナ感染状況は、コロンビアを含めてレベル3(渡航は止めてください)だから滑り込みセーフのフェスティバルでした。スペインも渡航中止対象国ですから、サンセバスチャン映画祭(9月18日~26日)が予定通り開催できるかどうか分かりません。開催された場合はカンヌ映画祭公式セレクション作品としてワールド・プレミアされる可能性が高いと予想しています。
追加情報:英題でラテンビート2020のオープニング作品に選ばれました。
追加情報:『あなたと過ごした日に』の邦題で2022年7月劇場公開されました。
ピラール・パロメロのデビュー作*マラガ映画祭2020 ② ― 2020年03月16日 19:14
ビエンナーレに続いてマラガ映画祭にもノミネートされたピラール・パロメロ

★マラガ映画祭2020は、延期か中止かまだはっきりしませんが、取りあえずセクション・オフィシアルの中から話題作をご紹介したい。ピラール・パロメロのデビュー作「Las niñas」(20)は、先だって閉幕したばかりのベルリン映画祭2020「ゼネレーションKplus」部門で既にワールド・プレミアされています。当時からマラガのセクション・オフィシアルにノミネートされていることが分かっていたので、アップを見合わせておりましたが、まさかこんなことになるとは思いませんでした。製作者は第67回ビエンナーレの同じセクションのグランプリ、カルラ・シモンの『悲しみに、こんにちは』(17「Summer 1993」)を手掛けたバレリー・デルピエールです。

(ピラール・パロメロ、マラガFF2020プレス会見、マドリード3月3日)
★ピラール・パロメロ Pilar Palomero は、北スペインのアラゴンの州都サラゴサ出身の監督、脚本家。サラゴサ大学スペイン哲学科卒。2013年、ハンガリーの監督タラ・ベーラ(最後の作品『ニーチェの馬』2011)の指導のもと、サラエボでの「フィルム・ファクトリー」映画監督マスター課程に参加する。短編はワルシャワ映画祭、バルセロナのD'A Film Festival、ウエスカFF、マラガFF、釜山短編FFなどで上映されている。2017年ベルリナーレ・タレント養成の一員に選ばれる。2009年短編「Niño balcón」、2016年「La noche de todas las cosas」、2017年「Horta」など。「Las niñas」が長編デビュー作。
「Las niñas」(「School Girls」)
製作:Inicia Films / Bteam Pictures / Las Niñas Mujeres A.I.E
監督・脚本:ピラール・パロメロ
撮影:ダニエラ・カヒアス
音楽:カルロス・ナヤ
編集:ソフィ・エスクデ
製作者:バレリー・デルピエール
データ:製作国スペイン、スペイン語、2020年、ドラマ、100分、配給Bteam Pictures、インターナショナル販売Film Factory、スペイン公開2020年9月4日予定
映画祭・受賞歴:第70回ベルリン映画祭2020「ゼネレーションKplus」部門ワールド・プレミア、第23回マラガ映画祭2020セクション・オフィシアルに正式出品
キャスト:アンドレア・ファンドス(セリア、11歳)、ナタリア・デ・モリーナ(セリアの母)、ソエ・アルナオ(友人ブリサ)、フリア・シエラ(クリスティナ)、エバ・マガニャ(アリシア)、アイナラ・ニエト(クララ)、エリサ・マルティネス(レイレ)、フランセスカ・ピニョン、他
ストーリー:1992年サラゴサ、11歳のセリアは母親と二人で暮らしている。サラゴサのある修道会の女子高に通っている。セリアは父親を知らない、そのことが友達の噂の種になっている。最近バルセロナから新しい生徒ブリサが編入してきて、新しい世界が開けてくる。スペインの1992年は、バルセロナ五輪とセビーリャ万博があった年だった。セリアは人生が多くの真実といくつかの嘘から成り立っていることを知ることになる。

(11歳の子供の母親役を演じるナタリア・デ・モリーナ)
「セリアは私と類似性がありますがフィクションです」とピラール・パロメロ
★ベルリナーレのインタビューで「セリアは自分と重なり合う部分がありますが、フィクションで伝記映画ではありません。サラゴサの修道会女子高、ディスコ、トランポリンなどは、私が記憶している部分です。観客がセリアの内部に入り込めるようにエモーショナルな部分をプッシュする筋書にしました。少女時代から思春期のとば口に少しばかり入りかけた女の子の物語です」と語っていた。セリアは父親がいないことで学校では汚名を着せられる。スペインの1992年は、オリンピックと万博という二大イベントがあった年で、大きな変化があった。

(トランポリンに興じるセリアと友人、映画から)
★「当時の女の子が受けていた教育や時代がどのようなものだったか、変えねばならないのは何かについて、映画を観た人が議論してほしい」、現在でもスペインでは男女間の不平等が存在している。「それは多くは表面化していないが、セリアに強いられた従順さ、将来は良妻賢母というメッセージが残響している」と監督。脚本を書き上げたときに、ここには男性の登場人物が多くなかったことに気づいた。「周囲には父親、弟、二人の従兄弟以外、男の子の友達は一人もいなかったからです」と、少女時代の不自然な環境に触れている。2013年、サラエボで体験したタラ・ベーラの教育プロジェクトに参加したことが、大きな転換となった。そこで「映画を撮ろうと自分の方向が決まったのです」と。

(女友達だけで完結していたセリアの狭い世界)
★現在スペインはイタリアに次ぐ新型コロナウイルスの蔓延で、政治も経済も麻痺状態、勿論映画館はオール閉鎖されました。感染者約7900人、死者288人からまた増えて295人と発表されましたが、今後も増え続けるのは必至です。パンデミックはアメリカを含むヨーロッパに中心が移ったようです。欧米諸国のリーダーたちの危機管理の甘さが問われることになる。
追加情報:『スクールガールズ』の邦題で劇場公開決定
東京は2021年09月17日から、新宿シネマカリテにて
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