サンティアゴ・セグラのコメディがナンバーワン*スペイン映画の2020年2021年01月04日 15:09

              スペインの映画館の興行成績72%ダウンの嘆き

 

2020年年明けの12月は増加傾向にあった客足も、新型コロナウイルスが到着すると事態は一変する。自宅監禁状態では映画どころではない、ということで1年間の興行成績はトータルで72.%ダウン下落した。なかで気を吐いたのが、729日に封切りされたサンティアゴ・セグラの新作コメディPadre no hay más que uno 2La llegada de la suegra(「Father There is Only One 2」)で、観客動員数2.317,888人、12,938,628ユーロ、第2位のサム・メンデス1917 命をかけた伝令』は、1,573,320人、9,661,458ユーロ、第92回アカデミー賞の話題をさらったポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』は、987,089人、6,044,369ユーロで第7位、これもコメディですが笑いの質が違うようです。

サンティアゴ・セグラの新作コメディの記事は、コチラ20200912

 

      

 

Padre no hay más que uno 2」は2019年に公開されたPadre no hay más que unoの続編で、コメディ好きの観客には続編が待たれていたから、ある程度は想定内のことでした。「トレンテ」のようにシリーズ化されるのかどうか分かりませんが、巣ごもりでイライラしていた向きには格好の清涼剤でした。子供と犬が活躍するコメディはヒット率が高い。セグラは12歳を頭に4歳までのこましゃくれた5人姉弟の父親ハビエルに扮する。サンセバスチャン映画祭2020メイド・イン・スペイン部門でも上映された。「映画館を潰したくなかった」と監督、同感です。

 

      

         (自作自演のサンティアゴ・セグラと子役たち、映画から)

 

★スペイン映画の第2位は、サルバドール・カルボAdúで、ポン・ジュノを抜いて第5位と健闘した。1,088,469人、6,371,655ユーロ、セグラ・コメディの半分にも満たなかったが、サハラ以南の難民問題というテーマで勝負している。カルボ監督は、デビュー作1898:スペイン領フィリピン最後の日』16Netflix)で当ブログに登場させています。同じルイス・トサールとアルバロ・セルバンテスをキャスティング、スタッフも音楽をロケ・バニョス、編集をハイメ・コリスなどとタッグを組んでいます。本作はフォルケ賞2021の作品賞にノミネートされています。

 

    

 

★こちらも西アフリカに位置するベナン共和国生れ、当時6歳だった男の子ムスタファ・ウマルがタイトルのアドゥ役で主演しています。本作もNetflixが一枚噛んでおり、データベースでは各国一斉に配信開始(630日)され、日本も含まれていますが検索できません。いずれにしろゴヤ賞最終ノミネートに残るのは間違いないと予想しますので、アップ予定作品の一つです。

追記Adú」はスペイン語、ほか英語の字幕入りで配信されておりました。

  

アルモドバル、ペネロペ・クルス主演で新作 「Madres paraleras」を撮る2020年07月04日 12:29

              同じ日に出産した2人の女性の物語

   

           

    (Efeのインタビューを受けるアルモドバル、マドリードの制作会社事務所にて)

 

ペドロ・アルモドバルによると、新型コロナウイルスの感染拡大で自宅自粛をしていた3ヵ月の間に台本執筆に専念した。新作のタイトルはMadres paralerasで、ペネロペ・クルスを念頭において書きすすめ、本人もとても気に入ってくれた由。秋10月にクランクイン、今年中になんとかしたい。

 

★新作は、マドリードを舞台に同じ日に出産した2人の女性の人生が語られるようです。タイトルのパラレルは「平行線の」が語義ですから、似たような、同じような、の意味でしょうか。「幼い子供たちを育てている、今時の母親たちのフェミニンな世界が語られる」とアルモドバル。もう一人の母親役は決まっていないのか発表にならなかった。これだけではどんな映画か想像するしかありませんが、コロナがなければ新作は、初めて挑戦する英語映画、長短編2本のはずでした。

 

 

     ルシア・ベルリンの小説『掃除婦のための手引き書』の映画化は中断

 

★短編はジャン・コクトーが1930年に発表した戯曲 La Voix humaine(スペイン語La voz humana)の映画化、ティルダ・スウィントンの一人舞台で15分程度のもの、4月撮影開始でしたがパンデミアで中断している。まず2週間くらいの撮影を開始するが、目下遅れや中断を心配している。

 

★長編は、ルシア・ベルリンの小説『掃除婦のための手引き書』の映画化でしたが、これは中断するしかない。「この映画は少し複雑なうえ、ロケ地がアメリカ、言語は英語だから、一時的に中断するしかない」と監督。もともと彼は浮気っぽくて予告通りに製作してないこと往々にしてある。「製作できない映画やシリーズ物もあるが、少しずつ立ち直っていくと思う。自分は楽観主義者で、例を挙げると、週末には映画館に出かけるつもりです」。お気をつけて。

短編&長編の紹介記事は、コチラ20200217

 

       

         (ルシア・ベルリン著『掃除婦のための手引き書』の表紙)


「スペインクラシック映画上映会」のご案内2020年05月12日 16:12

          スペインクラシック映画の名作10作品が週替わりで楽しめます

 

★この度インスティトゥト・セルバンテス東京が、文化イベント「スペインクラシック映画上映会」Vimeoチャンネルを通じて英語&ポルトガル語字幕で上映するとアナウンスしました。日時は59日から711日、毎週土曜日1500から48時間限定です。週替わり1作ずつ10作です。1回めは202059日(1500~)から、オープニングはフアン・アントニオ・バルデム監督の「あるサイクリストの死」55)です。スペイン協力開発庁(AECID Film Library)所有のカタログから選ばれたということです。上映順は分かりませんが、10作を纏めた予告編がアップされています。スペイン映画史に名を残した粒揃いの作品です。

 

10作の中には「あるサイクリストの死」のように『恐怖の逢びき』の邦題で公開された作品、ルイス・ブニュエル『ビリディアナ』のように、スペイン本国より日本で先に公開された作品、はたまたスペイン映画祭で上映されただけで未公開に終わったルイス・ガルシア・ベルランガ『ようこそマーシャルさん』52)、ホセ・アントニオ・ニエベス・コンデ『根なし草』51)、映画祭上映もなかったベルランガの代表作「死刑執行人」などが選ばれています。

    

          

        (ガルシア・ベルランガの代表作「死刑執行人」のポスター) 

    

★以下に原題、製作年、監督名、邦題(未紹介作品は仮題)の順で列挙しておきます。「」タイトルは未公開並びに映画祭上映もなかった作品です。映画祭としたのは、198410月に開催された「スペイン映画の史的展望<19511977>の略です。この映画祭は一挙に23本を上映するという画期的な企画で、日本におけるスペイン映画元年といってもよいほど素晴らしいものでした。

 

★第1回目は終了してしまいましたが、来週516日も別の作品が上映される予定、以下のリストは上映順ではありません。

 

  1Los golfos  1961年、カルロス・サウラ「ならず者/不良たち」(仮題)

  カンヌ映画祭1959出品、公開スペイン1961年。

 

  2El verdugo 1963年、ルイス・ガルシア・ベルランガ「死刑執行人」(仮題、伊合作)

   ベネチアFF1963出品、FIPRESCI 受賞、公開マドリード1964年。

 

  3) El pisito 1650年、マルコ・フェレーリ「小さなアパート」(仮題)

  1.  ロカルノ映画祭1958出品、公開マドリード1959年。

     

    4Calle mayor 1956年、フアン・アントニオ・バルデム『大通り』(映画祭)

     ベネチア映画祭1956出品、FIPRESCI 受賞、公開マドリード1956年、日本未公開。

  2.      

  3. 5) Viridiana 1961年、ルイス・ブニュエル『ビリディアナ』(メキシコ合作) 

  1.  カンヌ映画祭1961出品、パルムドール受賞、公開マドリード1977年、日本1964年。

     

    6La vida por delante 1958年、フェルナンド・フェルナン・ゴメス

  2.  「来たるべき人生」(仮題)

     公開マドリード1958年。

     

    7El cochecito 1960年、マルコ・フェレーリ、「車椅子」(仮題)

     ベネチア映画祭1960出品、FIPRESCI 受賞、公開バルセロナ1960年。

     

    8Bienvenido Mr. Marchall 1952年、ルイス・ガルシア・ベルランガ、

  3.  『ようこそマーシャルさん』(映画祭)

     カンヌ映画祭1953、コメディ映画賞・脚本賞受賞。公開マドリード1953年、日本未公開。

     

    9Surcos 1951年、ホセ・アントニオ・ニエベス・コンデ『根なし草』(映画祭)

      公開バルセロナ1952年、日本未公開。

  4.     

  5. 10)Muerte de un ciclista 1955年、フアン・アントニオ・バルデム、『恐怖の逢びき』

  1.   カンヌ映画祭1955出品、FIPRESCI 受賞。公開マドリード1955年、日本1956年。

      本上映会のタイトルは「あるサイクリストの死」と直訳されました。

     

    ★以上の10作です。クラシックといっても1950年代が主で、イタリアのネオレアリズモに影響を受けた作品から選ばれています。邦題がどのようになるか分かりませんが、一応仮題をつけておきました。この監督を選ぶなら「これよりあっちのほうがよかった」と思う作品も無きにしも非ずですが、スペイン映画の基礎をつくった作品群ではないでしょうか。巣ごもりのイライラ解消の一助となることを願っています。


2017年のスペイン映画は過去5年間の最低を記録2017年12月31日 17:12

           映画業界は、最低でも落ち込んでいません!

 

2017年の「スペイン映画は、過去5年間の最低を記録」と嬉しくない数字が発表になりました(1216日)。年の瀬が迫るとこういう総括的な記事が増えてくる。2017年はOcho apellidos vascos2014年、5600万ユーロ)や昨年のフアン・アントニオ・バヨナの『怪物はささやく』(国内374万ドル、海外4357万ドル、トータル4730万ドル)のようなビッグネームのヒット作がなかったから、ある程度予想されたことでした。それでも200万ユーロ以上を売り上げた映画が13作もあったというから、観客の好みの分散化が起きているのかもしれません。1217日調べで9560万ユーロ、まだ大晦日までに2週間あるから1億ユーロに近づけるかもしれない。

    

     

     (アレックス・デ・ラ・イグレシアの「Perfectos desconocidos」から)

 

1年でも暑い夏が終わり、映画館に足を運ぶようになる書き入れ時の9月から10月にかけてが振るわなかった。カタルーニャ独立問題を抱えたスペイン第二の都市バルセロナが名指しで戦犯になっている。というのは新人二人のハビ(カルボ&アンブロッシ)のミュージカル『ホーリー・キャンプ!』の公開と独立「Yes No」選挙が重なり、市民は映画どころではなかったからだそうです。しかし1110日にイサベル・コイシェのLa libreria121日にアレックス・デ・ラ・イグレシアの新作Perfectos desconocidosが公開されて好転の兆しが見えてきた。ゴヤ賞ドキュメンタリー賞にノミネートされているグスタボ・サルメロンのMuchos hijos, un mono y un castilloも気を吐いているようです。サルメロン監督の母親が主人公、サルメロン一家はかなりユニークな家族のようで、これは授賞式までにアップしたい。多分受賞する確率が高い。

 

     

    (ハビエル・カルボとハビエル・アンブロッシ、サンセバスチャン映画祭2017

 

    

      (Muchos hijos, un mono y un castillo」の母親フリア・サルメロン

 

★ゴヤ賞のアニメーション映画はアップしませんでしたが、有力候補というか受賞確実と言われているのが、エンリケ・ガトとダビ・アロンソのTadeo Jones 2: El secreto del rey Midas、今年の出世頭第1位の1790万€とほぼ5分の1を売り上げている。第2位がゴヤ賞ノミネーション0のアレックス・デ・ラ・イグレシアのPerfectos desconocidos1110万€、第3位が同じく0のカルロス・テロンTherónのコメディEs por tu bien960万€、第4位セルヒオ・G・サンチェスのデビュー作El secreto de Marrowbone720万€・・・と続き、彼は新人監督賞にノミネートされています。大体上位10本まではゴヤ賞と縁が薄く、ましてや作品賞受賞は稀れ、昨年の『怪物はささやく』はバヨナが監督賞こそ受賞しましたが、作品賞はラウル・アレバロのデビュー作『物静かな男の復讐』でした。

 

       

      (アニメーションTadeo Jones 2: El secreto del rey Midas」から

 

     

   (ホセ・コロナド、ハビエル・カマラ、ロベルト・アラモ、Es por tu bien」から

 

★海外というかハリウッド映画を含む全公開作品のトップは、ディズニー不朽の名作をビル・コンドンが実写化した『美女と野獣』の2200万ユーロでした。エマ・ワトソンは頑張りましたが、130分は付添いの大人には長すぎました。ゴヤ賞にノミネーションされた作品のうち、Apache Filmsが製作を手掛けた、パコ・プラサのVerónica(売上353万€)、ビクトル・ガルシア・レオンのコメディSelfie(製作資金1万€!)、『ホーリー・キャンプ!』(売上270万€)、アグスティン・ディアス・ヤネスのOro(製作資金800万€)など、まだ正確な数字が出ていないものを含めて成果が表れている。大当たりしなくても小額当選金が積み重なれば、宝くじのように悪くないということらしい。

 

     

  (新人男優賞ノミネート自撮りするサンティアゴ・アルベル、Selfie」から) 

 

★来年2018年の目玉は、『プリズン211』や『エル・ニーニョ』の監督ダニエル・モンソンがYucatánを発表する。他に『ゴースト・スクール』や『SPY TIME-スパイ・タイム』でお馴染みのハビエル・ルイス・カルデラのSuperlópezも目玉のようです。「映画は映画館で」という映画鑑賞の形態も変化しつつあり、みんなが同一作品を見る時代ではなくなった。 


ピラール・バルデムが輝いた夕べ*祝AISGE設立15周年2017年06月13日 16:06

    「母は引退を望まない、私たちも続投を望んでいる」とバルデム3兄弟

 

65日(月)、AISGE設立15周年祭がマドリードのCirco Price劇場**で行われた。どうしてピラール・バルデムがヒロインだったのかと言えば、AISGE設立時からの功労者、なおかつ現理事長でもあるからです。2013年から肺気腫を病み、当夜も左手に酸素ボンベをぶら下げての登壇、15周年のお祝いは、結局ピラールへのオマージュとして開催されたようなわけでした。3人の子供(カルロスモニカハビエル)と二人のお嫁さん(ペネロペ・クルスセシリア・Gessa)ほか、参加者はビクトル・マヌエルアナ・ベレン夫妻、ミゲル・リオスジョアン・マヌエル・セラアシエル・エチェアンディアロッシ・デ・パルマゴヤ・トレドアイタナ・サンチェス=ヒホン・・・などなど総勢1300人ほどが参集、他にペドロ・アルモドバルアントニオ・バンデラスコンチャ・ベラスコカルメン・マチなどからビデオで祝辞が届けられた。

 

      

     (左から、登壇したバルデム一家、ハビエル、モニカ、ピラール、カルロス)

 

AISGEArtistas, Intérpretes, Sociedad de Gestnの略、映画と舞台の俳優、声優、舞踊家、監督など、スペインのアーティストすべての権利を守るための交渉団体。2002年設立、執行部は25名、理事長の任期は4年、選挙によって選ばれる。しかし2003年以来ピラール・バルデムが連続して再選されており、常に二番手になりやすい女性アーティストの地位向上に尽力している。

**Circo Priceトーマス・プライス(アイルランド出身)1853年設立したプライス・サーカス曲馬団が前身、スペインには1880年に来西した。1970年閉鎖した劇場跡に、マドリード市議会の肝煎りで文化施設として、2007年リニューアル・オープンした。所在地ロンダ・デ・アトーチャ、2000人収容、音楽会などイベントが開催されている。

 

          

          (1列中央席のピラールと家族、フィエスタ会場にて)

  

ピラール・バルデムPilar Bardem1939314日、セビーリャ生れの78歳、映画81本、舞台43本、テレビ・シリーズ31本、まさに女優一筋の人生を歩んでいる。故アントニオ・バルデム(『恐怖の逢びき』)は実兄。ゴヤ賞は、1995年、アグスティン・ディアス・ヤネスのNadie hablará de nosotras cuando hayamos muertoで助演女優賞受賞、2004年、ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェスのMaría queridaで主演女優賞ノミネートの2回だけと少ない。徹底したフランコ嫌い、物言う反戦女優としても有名。2013年以来健康不安を抱えているが、まだ「引退」したわけではない。「私がすぐ死ぬことを子供たちは望んでいないし、私も第三共和制を見るまでは死ねない」とスピーチ、現在の立憲君主制は勿論気に入らない。というわけで死神は当分お呼びでない。しかし、前日打ち合わせのために母親と会ったハビエルによると、「まるでマイク・タイソンと闘った後のようだった」と冗談めかして語っている。3時間に及んだというフィエスタの夕べは、バルデム家の女家長には結構激務だったのではないでしょうか。

 

   

  (「・・・第三共和制を見るまでは・・・」とスピーチするピラール、左はモニカ)

 

★下の写真は当夜のハイライトの一つ、コミック・トリオ「Tricicle***の演技、毛糸の帽子とピエロの付け鼻がトレードマーク。4人なのはピラールの息子が飛び入り出演しているからだそうです(右端の赤い帽子がハビエル)。彼はアシエル・エチェアンディア(ビルバオ出身の歌手、俳優、「La novia」「Ma ma」)がイタリアの「あまい囁きParole parole」を歌ったときにはボンゴを叩いた。ミゲル・リオス、ビクトル・マヌエルとアナ・ベレンの左翼カップルも「見て、見て・・・なんてピラールは素敵なの・・!」と歌で呼びかけた。バルデム一家にとって一生涯忘れられない感激の一夜となった。

 

       

(コミック・トリオ「Tricicle」とハビエル・バルデム)

 

     

   (ボンゴを叩くハビエル、「あまい囁き」を熱唱するアシエル・エチェアンディア)

 

 

               (ビクトル・マヌエル、アナ・ベレン、ミゲル・リオス)

 

***バルセロナ演劇研究所の3人の学生が、1979年バルセロナで結成したコミック・トリオ。モンティー・パイソン、ローワン・アトキンソン、またはMr.ビーンの流れを汲むパントマイムが得意。舞台出演が主だがテレビや映画にも出演している。

 


アントニオ・レシネス*スペイン映画アカデミー会長を辞任2016年07月15日 09:29

            不協和音がつづくスペイン映画アカデミー

 

2週間前にグラシア・ケレヘタの副会長辞任が受理されたニュースをアップしたばかりですが、13アントニオ・レシネスも会長辞任を表明、当然3人セットですから、もう一人の副会長エドモンド・ロチも右へならえです。「撤回不可能の決心」というわけで昨年55日に新体制が発足して以来14ヶ月の短命に終わりました。これでは都知事選同様年中行事化しかねませんが、フェルナンド・トゥルエバのように1年未満の方もおりますから、よくもったとも言えるでしょうか。混迷を深める政治経済とも絡んで現役の俳優や監督が兼職するには限界があるということかもしれません。レシネスは「アカデミーが難問山積なのは充分承知で引き受けたが、連日のように持ち込まれる些末な揉め事には対応できなかった。より作業能力に優れている人にお願いしたい」と皮肉たっぷりのコメントをいたしました。また現行の「選挙法」に問題があるという指摘もしたようです。

 

  
    (ヨーロッパ・プレスに辞任会見をする前アカデミー映画会長アントニオ・レシネス)

 

★野球に譬えると、現場監督(アカデミー側)と球団運営フロント(重役会)の摩擦や食い違いが常にあって、フロントからの些細な要求に納得できなかったのが背景にあるようです。前会長とポルフィリオ・エンリケスCEOとの関係は比較的良好と言われていただけに残念な結果になりました。現在の会員は約1400人、アカデミー執行部は14名、任期は6年で日本の参院選のように3年毎に半分が改選されるシステムです。次期会長はどなたになるのか、いずれにせよ会長辞任ですから再選挙がおこなわれる。

 

★スペイン映画芸術科学アカデミー設立の発端は、今から遡ること30年、プロデューサーのアルフレッド・マタスの呼びかけで19851212日、マドリードのレストランでの会合から始まった。いわゆるマドリード派の監督ルイス・ガルシア・ベルランガやカルロス・サウラ、製作者マリソル・カルニセロ、テディ・ビジャルバ、俳優ホセ・サクリスタン、チャロ・ロペス、編集者パブロ・ゴンサレス・デル・アモ、作曲家ホセ・ニエト、美術監督ラミロ・ゴメスなどが参加した。正式な発足は1986年、ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ監督が初代会長に就任した。

 

★監督、脚本家のアンヘレス・ゴンサレス=シンデは初代の娘、社労党PSOEのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権の文化教育スポーツ相就任のため、任期半ばで辞任した。映画産業に多くの予算を回したことで、国民党PPから「あなたは映画大臣ではなく、文化教育スポーツ省の大臣だ」と野次を飛ばされた(笑)。今思うとあの頃はPSOEPPの二大政党だったのでした。『プリズン211』、『悲しみのミルク』、『瞳の奥の秘密』、『デブたち』、『ナイト・トーキョー・デイ』、『泥棒と踊り子』の名作が上映された「スペイン映画祭2009」の企画者が彼女でした。

 

歴代スペイン映画アカデミー会長

初代 198688   ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ

2 1988       フェルナンド・トゥルエバ

3 198892   アントニオ・ヒメネス・リコ

4 199294   フェルナンド・レイ

5 1994      ヘラルド・エレロ

6 199498   ホセ・ルイス・ボラウ

7 19982000  アイタナ・サンチェス=ヒホン

8 200003   マリサ・パレデス

9 200306   メルセデス・サンピエトロ

10 200609   アンヘレス・ゴンサレス=シンデ

11 2009     エドゥアルド・カンポイ

12 200911   アレックス・デ・ラ・イグレシア

13 201115      エンリケ・ゴンサレス・マチョ

14 201516   アントニオ・レシネス

15 2016~           

 

13代のゴンサレス・マチョのように2期目途中での辞任は少数派、1年未満が3人もいて3年の任期を全うするのは難しいようです。

グラシア・ケレヘタ副会長辞任の記事は、コチラ⇒201675

 

ロルカの死をめぐる謎に新資料*マルタ・オソリオ2015年09月11日 22:20

          恐怖 miedo から謎 enigma へ―失われた鎖の輪を探す

 

★毎年命日の818日が近づくとフェデリコ・ガルシア・ロルカの周りが騒がしくなる。2012年にはロルカ最後のアマンテは、定説になっている「ラファエル・ロドリゲス・ラプンではない」というマヌエル・レイナのLos amores oscurosが出てサプライズがあった。今年は没後79周年、本当に「光陰矢の如し」です。スペインでもっとも有名な詩人の謎に満ちた死についての研究でタクトを振っているのが、ロルカと同郷のマルタ・オソリオです。最近新資料をもとにEl enigma de una muerte. Crónica comentada de la correspondencia entre Agustín Penón y Emilia Llanosという長いタイトルの研究書をコマレス社から刊行して話題になっています。直訳すると「ある死をめぐる謎:アグスティン・ペノンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈記録」でしょうか(オソリオについては後述)。 


★オソリオは15年前に同社からMiedo, olvido y fantasía: Crónica de la investigación de Agustín Penón sobre Federico García Lorca(1955~1956)2000、直訳「恐怖、忘却と空想:ロルカについてのアグスティン・ペノンの調査記録」)を上梓しています。これはペノンの資料をもとに、闇の中に埋もれていた独裁者の犯罪に光を当てたものでしたが、新作はこれを補う内容をもつようです。結論としては、往復書簡から見えてきたのは、「証言者たちが、ロルカが銃殺された場所として指し示した墓穴から、遺体は他に移されていた」ということです。オソリオは一応これでロルカの死をめぐるテーマにけりが付いたので、これからは短編や物語の執筆に戻りたい、つまり決定版ということです。

 

アグスティン・ペノン19201976)という人は、バルセロナ生れだが、内戦時に家族と一緒にアメリカに亡命してアメリカ国籍を取った熱烈なロルカ信奉者。アメリカのパスポートで1955年スペインに入国、バルセロナで知り合った舞台演出家ウィリアム・レイトンと一緒にグラナダに滞在して、18カ月ほどロルカの死をめぐる聞き書き調査をした。レイトンはテレノベラのラジオ版脚本で得た資金を蓄えていた。クエーカー教徒で、内戦後のスペイン旅行に費やしていた。タイトルに1955~1956とあるのはペノンが調査した期間を示しています。しかし、当時のフランコ体制側からの監視の目は厳しく、ゲイの<アカ>をしつこく嗅ぎまわっている男は「ロシアのスパイか、アメリカCIAのメンバーに違いない」と圧力を掛けてきた。当時のグラナダは<恐怖>が支配していて、身の危険を感じたペノンは調査を打ち切って帰国した。収集した全資料はスーツケースに収められ、当時ペノンが暮らしていたニューヨークに運ばれ保管されていた。

 


     (左から、調査をするアグスティン・ペノンとウィリアム・レイトン)

 

★フランコ政権での出版は、取材相手に危険が及ぶことが考えられ時の来るのを待っていた。帰国後ペノンとレイトンは別の人生を歩いていたが、何か予感めいたものがあったのか、ペノンは「私にもしものことがあったらスーツケースを預かって欲しい」とレイトンに頼んでいた。1976年ペノンはコスタリカの首都サン・ホセに住んでいた両親に会いに行った先で突然の死に見舞われた。フランコ没後1年も経っていなかった。遺言通り資料はレイトンのもとに渡ったが出版されることもなく静かに眠っていた。レイトンは長生きして1995年に亡くなった。巡りめぐって資料は最終的にマルタ・オソリオの手に渡った。スーツケースの長い旅も詩人の死同様、数奇な運命を辿ったことになる。

 


                  (アグスティン・ペノン)

 

エミリア・リャノスは、ロルカの10歳年上の親しい友人でグラナダに住んでいた。家族同士の付き合いだった。1936714日、ロルカは故郷への最後の旅をした。720日グラナダ守備隊が蜂起、急激に事態が悪化して共和派関係者は一挙に検挙投獄された。ロルカにも危険が迫り避難先の候補の一つとして選ばれたのがリャノス家だった。結果的にはファランヘ党のリーダーだったロサレス兄弟の家に落着くのだが、兄弟の留守中に逮捕されてしまう。ペノンはこのルイス・ロサレス、ホセ・ロサレスのインタビューも行っている。

 

★ペノンが聞き書きをした中で特に親交を重ねた証言者がエミリア・リャノスで、彼が帰国した後も手紙のやり取りをしており、これが新作の資料になっている。リャノスは書簡で、最初は「オリーブの木の下に埋められ、その後そこから移されたのです」と書いている。秘密にしているのは「或る有力者」から口止めされているからだと。今ではその「或る有力者」が当時の極め付きのフランコ主義者、グラナダ市長ガジェゴ・ブリンだったことが分かっている(ペノンは息子アントニオ・ガジェゴにも取材している)。内戦後のグラナダは恐怖の坩堝で、<フェデリコ>は禁句だった。移された場所はどこか分からないが、ビスナルからアルファカルに行く道路沿いの何処かしか分かっていない。ビスナルというのはナショナリストたちが<好ましからざる>人物たちを処刑した場所です。「誰も何も知らないのです」とオソリオ、死後80年も経てば、生存者は殆どいない、何か新資料が出ない限り闇の中ということか。

 


         (ロルカが唯一愛した女性といわれるエミリア・リャノス)

 

マルタ・オソリオはグラナダ生れの作家、かつては舞台女優(196165)であった。1966年、児童図書El caballito que queria volar”で「ラサリーリョ賞」を受賞。日本では“Jinetes en caballos de palo”(1982)が『棒きれ木馬の騎手たち』(行路社)の邦題で翻訳されている。ロルカ研究者というより児童文学者として知られていると思います。生年が確認できてないのですが(調べ方が悪い)、「レアレホにある私の家から、フランコ主義者が思想家、文学者、自由主義者、先生たちを銃殺するのを見ないで過ごすことは難しかった」と語っているところから、人生の初めに内戦を体験した世代だと思います(レアレホはグラナダ市郊外、アルハンブラの近くの地区)。

 

★「ペノンが残した資料に導かれて、資料に敬意を払って」編纂した。「自分を黒子にして、自分の意見を加えることをしたくなかった」とも語っている。なかなか真似できない研究態度です。志を遂げることなく旅立ってしまったペノンへの哀悼の意が感じられる。オソリオは「家族が遺体を移した可能性もあるが」、「ロルカの墓穴が共和派の聖地になるのを恐れたフランコ主義者の命令で移された」と考えているようです。ペノンが公刊しなかった理由は一つでなく、いくつか考えられると話す。「彼は感受性豊かな人で、ロルカに関して生み出された沈黙と挫折の世界を暴くのを躊躇した」とオソリオ。ロルカの死に拘りつづけたペノンとリャノスは、真相を突き止めるのを諦めなかったようです。

 


      (マルタ・オソリオ、グラナダの自宅の庭で、2012年撮影)

 

★日本では翻訳書も出ているギブソン『ロルカ』が、日本語で読めるロルカの伝記として決定版だと思う。本書は評価も高くベストセラーにもなった。本書にもエミリア・リャノスは登場している。夥しい参考資料から分かるように力作には違いないが、今では間違いも指摘されている。特にロルカの晩年、死をめぐる記述には問題があるという。オソリオが第1作を上梓した理由もギブソンの「不完全」版を変えたかったからだと語っている。特にペノンの資料があることを知っていたのに無視したことを非難している。

 

イアン・ギブソン1939年ダブリン生まれ、フランコ時代の1965年に来西してグラナダに1年ほど取材して、『ロルカ・スペインの死』**を出版した。フランコ没後、より正確な伝記執筆を考え、1978年来西、グラナダにどっしり腰を下ろして、1984年にはスペイン国籍まで取得して完成させたのが『ロルカ』です。これにロルカ最後のアマンテとして度々登場するのがラファエル・ロドリゲス・ラプンです。

 


     (ロルカとラファエル・ロドリゲス・ラプン)

      

★しかしラプンではなく、実は「最後のアマンテは私です」というフアン・ラミレス・デ・ルカスの告白を載せた本が出版された。それが冒頭に書いたマヌエル・レイナのLos amores oscuros2012)です。1917年アルバセテ生れ、1934年にマドリードでロルカと出会ったとき未だ17歳だった。愛は詩人の死で終止符がうたれたが、彼は長生きして2010年に93歳で没した。無名の人ではなく、日刊紙「ABC」などに芸術コラムを執筆していた有名なジャーナリストだった。レイナは1974年カディス生れ、小説家、詩人、脚本家、戯曲家、一時期「ABC」紙のコラムニストだった。ギブソンを責められないが聞き書きという作業の落とし穴をみる思いです。

 


         (美青年だったというフアン・ラミレス・デ・ルカス

 

★ロルカの親しい友人たちは皆知っていたが、内戦が激しくなったうえ、ロルカが殺害されたことを考えると沈黙を守らざるを得なかった。ロルカからの「メキシコに一緒に亡命しよう」という内容の手紙があるようです。ロルカにはコロンビアとメキシコの両国から亡命の許可が下りていたから、亡命しようと思えばできたというのは最初から言われていたこと。何故メキシコ亡命を選ばず危険なグラナダに帰郷したかが謎だったはずです。デ・ルカスは亡命には親の承諾が必要な年齢だったので同行できない、ロルカは彼が一緒でなければ亡命したくない、ということなのでしょうか。ロルカは彼のために秘密を墓場まで持っていった。これは別テーマなので深入りしませんが、アグスティン・ペノンが後にフアン・ラミレス・デ・ルカスと会っているという事実です。ペノンが公刊しなかった理由の一つかもしれません。

 


     (Los amores oscuros のポスターを背にしたマヌエル・レイナ)

 

イアン・ギブソン『ロルカ』(中央公論社1997刊)
Federico García Lorca: A Life”(英語版、ロンドン19892部立てのスペイン語版を1冊にまとめたもの(11985年、21987年、バルセロナ)

**イアン・ギブソン『ロルカ・スペインの死』(晶文社1973年刊)、“La represión nacionalista de Granada en 1936 y la muerte de Federico García Lorca”(パリ、1971


アントニオ・レシネス*映画アカデミー新会長2015年05月11日 16:27

         厄介ごと“marrón”を引き受けたアントニオ・レシネス

    

59日、正式に新会長に承認されました。本当は引き受けたくなかったようですが、真面目で誠実、ユーモアのセンスで困難を乗りきるだろう、というのが巷の大方の意見です。第一副会長のグラシア・ケレヘタ監督並びに第二副会長の製作者エドモン・ロチの3人の顔ぶれについては既に紹介しております(コチラ⇒4月3)。

 

            

            (スペイン映画アカデミーの新旧二人の会長)

 

★基本路線は前会長エンリケ・ゴンサレス・マチョを踏襲すると明言して承認されたわけですが「行政機関との関係には流動性をもたせたい」と新会長は語っている。これから理事会というか執行部のメンバー14名の選出が始まりますが、各々専門分野から満遍なく選ばれるようです。監督、脚本、撮影、音楽、美術、特殊効果、衣装デザイン、編集、アニメ、等などです。理事会の任期は6年、選挙は本部での投票、郵便、オンラインから選ぶことができる。

 

★ラホイ国民党政権というか文化省との不協和音はずっと鳴りっぱなしですが、去る4月半ば、関係修復改善の昼食会が、モンクロアの首相官邸で行われました。モンクロアは17世紀に建造された宮殿ですが、1977年よりスペイン首相官邸となっています。政府側からはラホイ首相、マリア・ドロレス・コスペダル幹事長、アカデミー側からはレシネス新会長、製作会社モレナ・フィルムのフアン・ゴルドン、ダニエル・カルパルソロ監督などが出席した。どうして肝心の文化相以下、お役人たちが出席していないかというと、コスペダル幹事長の肝いりで開催されたから。文化省内には自分たちの頭越しに企画された会合が気に入らずカンカンに怒っている人もいるとか。いやはや、こんなことで修復改善はできるのでしょうか。

 

Morena Films 1999年設立の映画製作会社、フアン・ゴルドンは設立者の一人。ダニエル・モンソンの『プリズン211』(09)、イシアル・ボジャインの『雨さえも~ボリビアの熱い一日~』(10)、パブロ・トラペロの『ホワイト・エレファント』(12)、ダニエル・カルパルソロの『インベーダー』(12)など話題作を送り出している。

 

★アメリカとキューバも仲直りしたいと握手しましたが(脚は蹴飛ばしあっている?)、こちらの対立はなかなか根深い。2時間半の昼食会で、何が話題になったかというと、勿論映画は当然ですが、映画新法、負債の割り当て、消費税21%の削減、ラホイとレシネス両人が最近読んだという推理作家フィリップ・カー(1956年エディンバラ)にまで及んだとか。推理小説「ベルリン三部作」、ファンタジー・シリーズ「ランプの精」など邦訳も多い英国スコットランドの作家。日本ではちょっと考えられない話題だよ()

 

★消費税21%は如何にも高い、EU内でも最高らしく、これは交渉の余地があるようだ。しかし経済・大蔵省の管轄で文化省がどうこうできる問題ではない。政府が約束した助成金の支払いも遅れているようで、プロデューサーたちからは多くの不満が噴出している。総額1400万ユーロに達する支払いを分割して支払うことが決まっているが実行されていないようです。銀行側が製作側を信用してくれることが必至だが、政府が資金を渡してくれないので信用して貰えない。どうも上手く機能してないようです。

 

             アカデミーはどんな仕事をするの?

 

★大きい仕事はゴヤ賞の選定、授賞式の開催ですが、その他にも上記のような交渉をやらねばならない。今年、第8回を数える「映画フェスティバル」の企画もその一つ。間もなく始まります(51113日)が、各セッション総入れ替えでチケット代3分の12.90ユーロで見ることができる。昨年は延べ8700万人の観客が押し寄せた。ハリウッドに代表される外国映画がお目当てですが、スペイン映画も見てもらえる。今年はまだ大ヒット作はないようですが、「マラガ映画祭」でご紹介した作品賞受賞のダニエル・グスマンのデビュー作Cambio de nada、ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスのTiempo sin aire、時間切れでご紹介できなかったマヌエラ・モレノのCómo sobrevivir a una despedida、アレホ・フラのSexo fácil, pelicula tristes、他にガルシア・ケレヘタの悲喜劇、マリベル・ベルドゥ主演Felices 140などが人気を呼んでいる。

 

★スペイン国営テレビの「La 2 de TVE」を通して、“Historia de nuestro cine”というプログラムが始まる。1930年代から2000年まで言わば「スペイン映画史」みたいな番組、厳選した6903年がかりでゴールデン・タイムに放映する。こんな企画もアカデミーの仕事です。お茶の間が名画劇場に早変わりする。古くはエドガル・ネビーリェ、ブニュエル、ガルシア・ベルランガ、まだフラメンコ映画など撮っていなかった頃のサウラ、初期のアルモドバル作品、などが続々登場します。これについては次回にUPします。

 

         

        (ガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』1952

 

ダニエル・グスマンの記事は、コチラ⇒2015412

ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスの記事は、コチラ⇒2015426

グラシア・ケレヘタの記事は、コチラ⇒201517

 

 

今年はスペイン映画界は「黄金の年」だった2014年12月30日 23:07

 スペイン製映画が健闘した1年だった

★間もなく2014年も幕を閉じますが、ハリウッドに負けず劣らずメイド・イン・スペイン映画が健闘した年でした。全体の25.5%は37年ぶり「夢でしか見たことのない」数字だそうです。37年前の1977年がどういう年であったかといえば、フランコ没後2年、民主主義移行期、検閲制度廃止(19764月)後に作られた映画が上映された年ということです。

 

 1977年にブレークした映画

★まず、スペイン映画界を長らく牽引してきたフアン・アントニオ・バルデム19222002)監督のシリアス・ドラマ“El puente”(仮題「夏季休暇」)、これはゴヤ賞2014作品・監督賞を含めて6賞を勝ちとったダビ・トゥルエバの“Vivir es fácil con los ojos cerrados”(ラテンビート上映)にアイデアを与えたという作品です。マヌエル・グティエレス・アラゴン(1942~)の“Camada negra”(映画講座邦題『黒の軍団』、ベルリン映画祭監督部門の銀熊賞)、フェルナンド・フェルナン≂ゴメスの“Mi hija Hildegart”(仮題「わが娘ヒルデガルト」)、ビセンテ・アランダの“Cambio de sexo”(同「性転換」)、ほかハイメ・チャバリ、フェルナンド・コロモ、エトセトラ。

 

★また今年Ocho apellidos vascas5600万ユーロという驚異的な収益金を上げたエミリオ・マルティネス≂ラサロが“Las palabras de Max”(同「マックスの言葉」)でデビューしている。他にもホセ・ルイス・ガルシが“Asignatura pendiente”(同「保留科目」)でデビューし、しばらく検閲に苦しんでいた、スペインで一番愛された映画監督と言われるルイス・ガルシア・ベルランガ19222009)の「ナシオナル」三部作の第1作ブラック・コメディ“La escopeta nacional”(78、仮題「国民銃」)がクランクインして話題を呼んだ年でもあった。

 

 25.5%は今年だけ?

25.5%は2013年の89%増、金額的にいうと、12300万ユーロだそうで、2100万人がスペイン映画を見た勘定になるらしい(消費税増税21%は20134月からだから単純に比較できないと思うが)。その内訳がびっくりもの、第1位“Ocho apellidos vascos”が前述のように5600万(約1000万人)、第2位モンソンの『エル・ニーニョ』1620万ユーロ(270万人)、第3位セグラのトレンテ・シリーズ“Torrente V1070万ユーロ(180万人)、第4位アルベルト・ロドリゲスの“La isla mínima600万ユーロ(100万人)、最近公開されたハビエル・フェセルのシリーズ“Mortadelo y Filemón contra Jimmy el Cochondo”が1128日封切りわずか12日目でチケット売上げが48万枚にも驚きます(3Dのアニメーション)。日本でもいずれ劇場公開間違いなしです。

    

               

                     (フェセル監督を挟んでモルタデロとフィレモン)

 

 全館満席だった「映画フィエスタ」

★ベスト・テンが大方を占めたということはこれまた由々しきこと、ほうっておいていいのかどうか。誰がみても2015年が25.5%を超えられないことは自明のことですから知恵を絞らないといけない。2009年から始まった映画フィエスタ(年1回)を今年は3月末と10月末の2回開催した。これは3日間に限り半額以下の2.90ユーロで見られるという「映画の日」(第7回は1027日~29日の3日間、平日にもかかわらず最高の2196000人が全国361館のスクリーンで見た!)。これは値段が手頃なら観客を映画館に呼び戻せるということです。

 

               

                        (マドリードの映画館での行列、1028日)

 

★また“Ocho apellidos vascos”の快進撃にはバスク自治州政府の熱意と努力も大いに功績があった。マドリード公開時には、「バスクの食と映画」のようなキャンペーン行事を行い、ビトリア市長、バスクの有名シェフ、出演者のカラ・エレハルデが応援に駆け付けて宣伝に一役買った。他にも「ロケ地巡り」の撮影バスツァーを企画、映画のリピーターが押し寄せたとか()。パコ・レオンが“Carmina y amén”の「1日限定の無料上映会」をしたり、それなりの新機軸を出したお蔭だと思います(コチラ⇒1227)。

 

     

      (左ビトリア市長ハビエル・マロト、右カラ・エレハルデ、料理は残念ながらフォト)

 

 トレンタッソ torrentazo とは?

★サンチャゴ・セグラのトレンテ・シリーズは毎回大当たりする、それでトレンタッソという新造語ができてしまった。新作Torrente VOperación Eurovegas”は、ハリウッド・スターのアレック・ボールドウィンを起用したり、盛大に物を壊したせいか製作費が850万ユーロ掛かっている。1070万ではとても喜べない。もっとも10月初めの公開だからこれから数字は伸びると思います。『トレンテ4 』(2011、ラテンビート上映)は、封切り3日間で110万人、840万ユーロを叩きだした。トータルでは1957万ユーロ(製作費1000万)、これは2011年のスペイン製映画の総売上高の5分の1に相当するという。ウディ・アレンのアカデミー賞脚本賞受賞の『ミッドナイト・イン・パリ』でさえ790万ユーロと後塵を拝した。

 

        

          (サンチャゴ・セグラ監督とアレック・ボールドウィン)

 

★ゴヤ賞2012の大賞(作品・監督・脚本・主演男優など6部門)制覇のエンリケ・ウルビスの『悪人に平穏なし』(400万)、アルモドバルの『私が、生きる肌』(460万)などと比較しても、貢献度はピカイチだった。しかしゴヤ賞はノミネーションさえゼロだった。「清く正しく美しく」はありませんが、多くの観客が楽しんだのです。トレンテ・シリーズにはもっと敬意をはらってほしい。 


★第1作にあたる“Torrente, el brazo tonto de la rey”(98)で新人監督賞を受賞しているからゴヤ賞無冠というわけではありませんが、ハビエル・カマラのコメディアンとしての才能に目が止まった作品でした。ゴヤ賞がらみでは、1993年に撮った短編“Perturbado”で短編映画賞、今年のラテンビートで再上映されたアレックス・デ・ラ・イグレシアの『ビースト獣の日』(95)で新人男優賞を貰っている。この二人ほど才能豊かなシネアストは他にそんなにいないのではないか。2015年には揃って50歳になる、大暴れして欲しい。

 

 鬼が笑うノミネーション予想

★“Ocho apellidos vascos”は、フォルケ賞に作品賞と男優賞(カラ・エレハルデ)、今年から始まったフェロス賞に作品賞(コメディ部門)、助演男優・女優とトレーラー賞の4個にノミネートされている。ゴヤ賞の作品賞はドラマとコメディに分かれていないのでノミネーションはアリと思うが受賞は難しいかな。期待できるのは助演の2人カラ・エレハルデとカルメン・マチでしょうか。主演の2人ダニ・ロビラとクララ・ラゴもノミネーションはアリでしょう。作品賞はフォルケ賞に重なるような気がする。発表前にアレコレ言っても始まらないから新春を待つことに。

ダビ・トゥルエバ新作がアカデミー賞2015のスペイン代表に決定2014年10月24日 12:44

★ラテンビート上映の『Living Is Easy with Eyes Closed』(“Vivir es fácil con los cerrados”)がアカデミー賞スペイン代表作品に決定、ダビ・トゥルエバ監督がプロモーションを兼ねてロスアンジェルス入りしました。ロスで開催された「スペイン映画祭」のオープニング作品になりました(1016日)。梅田ブルク7は間もなく(1025日)、横浜ブルク13はちょっと先になります(118日)。このスペイン的色彩の濃い映画がノミネーション5作品まで生き残れるかどうかは難しそう。今年は最多の83カ国が参加、当ブログ紹介の作品もアルゼンチン、チリ、ベネズエラなどが顔を見せています。

この映画祭は、スペイン映画アカデミーICAAと教育文化スポーツ省、及び視聴覚製作者の権利運営機関EGEDAが主催しています。

 


★この映画祭のためトゥルエバの他、Caemina y aménの監督パコ・レオン、エミリオ・マルティネス・ラサロのバスク・コメディOcho apellidos vascos主演女優クララ・ラゴ、ハビエル・ルイス・カルデラのTres bodas de más主演男優マルティン・リバスも現地入りしてスピーチしました。いずれも今年のスペイン映画の話題作です。トゥルエバ曰く、「クララとリバスは英語でスピーチしたんだよ、観客の多くはヒスパニック系でスペイン語が分かるんだけど」。「コッチで映画に出ることを熱望してるんだ」と皮肉やのトゥルエバは冗談を飛ばしていました。他にも『スガラムルディの魔女』、ダニエル・サンチェス・アレバロのLa gran familia espanolaも上映されました(ゴヤ賞2014やマラガ映画祭などで既に紹介しています)。

 

               

                        (スペイン映画祭でのダビ・トゥルエバ)

 

★最終候補に残るには、少なくともロスで1週間以上の一般公開が必要条件です(アメリカ主催の映画祭上映、映画祭で受賞してもダメ)。勢い配給会社の力関係が決め手になるようです。トゥルエバ作品は、Outsider Picturesと小さいところなので、とても難しいと悲観的。それでも「この映画はアメリカ人好みではないかもしれないが、アカデミーのメンバーはシネアストで無知ではない。彼らはスペインの歴史にも詳しく、サウラからアルモドバルの映画を見てきているからね。会員は一般の米国人とは違って、エリート集団だ」と望みを託している。一般の米国人はエリートではない?

 

★会員の加齢が進んで最近の受賞作を見ると、老いとか死がテーマになっていると強い。例えば『みなさん、さようなら』(03)、『海を飛ぶ夢』(04)、『おくりびと』(08)、『愛、アムール』(12)、または信念を持って権力と闘う人がテーマ『善き人のためのソナタ』(06)、『瞳の奥の秘密』(09)など。発表は来年1月中頃、監督にとって今年は長い冬になりそうです。

 

ラテンアメリカ諸国の代表映画リスト

 

◎ アルゼンチンRelatos salvajesWild Tales)ダミアン・ジフロン (西合作)

カンヌFF 522日/トロントFF 815

 


   ウルグアイ Mr. Kaplan  アルバロ・Brechner

   エクアドル  En la tierra de los SueñosSilence in Dreamland)ティト・モリナ

   キューバ ConductaBehavior)エルネスト・ダラナス

マラガ映画祭2014「ラテンアメリカ部門」で作品賞・監督賞他を受賞(44

  ダラナスは2回目、『壊れた神々』(2008、ラテンビート2009)がキューバ代表作品だった。

 

                

               (女優賞受賞のアリーナ・ロドリゲスとアルマンド・バルデス)

   コスタリカ Princesas rojas Red Princesses)ラウラ・アストルガ(ベネズエラ合作)

  マラガ映画祭(44)、ベルリン映画祭、グアダラハラ映画祭、各出品

   コロンビア Mateo マリア・ガンボア(仏合作)

   チリ Matar a un hombreTo Kill a Man)アレハンドロ・フェルナンデス・アルメンドラス

ラテンビート2014『殺せ』の邦題で上映 108

 


   ベネズエラ LibertadorThe Liberator)アルベルト・アルベロ(西合作)

ラテンビート2014『解放者ボリバル』の邦題で上映

トロントFF 2013 「ガラ・プレゼン」2013916

 

        

       (宣伝ポスターをバックにアルベロ監督)

   ペルー El evangelio de la carne エドゥアルド・メンドーサ・エチャベ

   ボリビア Olvidados カルロス・ボラド

   メキシコ Cantinflas セバスティアン・デル・アモ

 

★今年のメキシコは良作揃いで予想できませんでしたが、“Cantinflas”は意外でした。ペルーはモントリオール映画祭2014「ワールド・コンペ」出品の“Perro Guardián”(監督:バチャ・カラベド他)を予想しておりました(94)。ショートリスト9作品は12月中、ノミネーションは年が明けた1月中頃になるはずです。