『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑮ ― 2020年12月15日 10:49
アナベル・ロドリゲスの長編ドキュメンタリー

★アナベル・ロドリゲス・リオス(カラカス1976)の長編ドキュメンタリー『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』(20)は、チャベス大統領亡き後、政情不安が続くベネズエラ北西部ソリア州のマラカイボ湖に浮かぶ消えゆくコミュニティ、コンゴ・ミラドール村が舞台です。作品・監督キャリア&フィルモグラフィー紹介済みですが、以下に鑑賞後に分かった出演者などを補足して再構成したデータをアップしておきます。
*『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』紹介記事は、コチラ⇒2020年10月17日
データ:製作国ベネズエラ=イギリス=ブラジル=オーストリア、言語スペイン語・英語、ドキュメンタリー、99分、撮影2013年~18年、撮影地コンゴ・ミラドール、州都マラカイボ、他
重要関係者:タマラ・ビジャスミル(コンゴ・ミラドール地区代表者、チャベス派支持者)
ルイス・ギジェルモ・カマリジョ(コンゴの住民、元クラブ歌手・ギター演奏)
特別出演者:ナタリア・サンチェス(ナタリ、小学校教師)とその家族、セルヒオ・サンチェス、リカルド・サンチェス、エディン・エルナンデス(コンゴ地区の警察官)、フランシスカ・エルナンデス(教育委員会職員)、ビクトル・ナバロ・ピニェロ、ジョアニー・ナバロ、フィデリア・ロサ・ビジャスミル、ルイス・ダビ・ソト・ビジャスミル(エル・カティレ)、他
解説:カタトゥンボの<無音>の稲妻が出る南米最大の塩湖マラカイボ南部、コンゴ・ミラドールと呼ばれる水に浮かぶ村がある。ベネズエラを変貌させた大油田が横たわっている。基礎杭の上に建てた家で暮らす貧しい村である。当面、村民は近づく議会選挙の準備に追われている。村のチャビスタ支持者の代表タマラは、できるだけ多くの投票用紙を集めるために奔走している。野党を支持する小学校教師ナタリにとって、タマラと政治的に対立することは職を失う恐れがあった。一方、村民は気候変動による自然現象や湖に堆積する汚泥がもたらす不衛生や沈降に脅かされており、村を離れる漁師たちが後を絶たない。汚職や環境汚染、政治的荒廃をどうやって生き延び、<自分自身の存在>を救済すればいいのだろうか。

(ベネズエラ北西部スリア州にある塩湖マラカイボ)
政情不安を極めるベネズエラの子供たちに未来はあるのか?
A: 永遠に大統領でいたかったベネズエラ統一社会党のウーゴ・チャベスが、2013年4月に死去した。その後継者が元労働組合の書記長だったマドゥロだった。タマラ・ビジャスミルが支持するいわゆるチャビスタ派、対する野党は反チャベス派選挙連合の民主統一会議、小学校教師のナタリア・サンチェスが支持している。
B: 近づく議会選挙の投票日が2015年12月6日、その前後が前半の中心でした。タマラが村民の買収に躍起になっていることから、統一社会党の劣勢がはっきりする。
A: 1票の値段は2000~3000ボリバル、4000と言われて迷う人、食料品をちゃっかり貰いながらも今回は反対派に投票すると説得に応じない女性、コンゴ村を出ていくので投票しないという男性、結果は統一社会党55議席、反対派112議席とチャビスタの惨敗に終わった。
B: マラカイボ市長からは1票2000ボリバルが届いていた。「チャベス派に入れないなら、棄権して」と選挙妨害を躊躇しないタマラの説得も空振りに終わった。「社会主義くたばれ!」と祝杯をあげる反対派の住民の喜びも一晩だけ、マラカイボ湖の汚泥を攫う浚渫船はやってこなかった。急速に中央からは忘れられた村になっていく。

(チャベスの写真や人形に囲まれたタマラの家、写真にキスしない人は我が家に入れない)
A: 買収工作は隠れてやると思っていたから、タマラのようにあっけらかんと、カメラに堂々とおさまるとは驚きです。チャベスにぞっこんの彼女は死んでも忠誠を誓っている。「マドゥロではなくチャベスに投票している」と説明する。
B: 買収=悪という概念はなく、私腹を肥やしているがコンゴ村のために全力を尽くしている。最初は自己中心的、肉の塊のような体形と押しの強さに辟易したが、だんだん憎めなくなってきた。監督が<盲目的信仰>と評した人物の一人かもしれない。
A: 1998年の大統領選挙でチャベスがやったことも踏襲しているだけです。将来が見通せない村を捨てていく村民を非難できない。かつては700人いた村民も常住しているのは30所帯、湖底は虫やネズミの死骸で10年前より1メートル50センチも浅くなった。浚渫工事は選挙用の空手形、そもそもやる気などなかった。溜まった汚泥で漁業もできない、衛生環境も悪く、教育も受けられない。こうナイナイ尽くしでは村を出るのが現実的です。

(マラカイボ湖に基礎杭を打って建てられた家に暮らすコンゴ・ミラドールの住民)
B: 国民も政府を信用しておらず、約束は反故になることを知っている。1年後、結局ナタリの家族も「泥とヘビしかいない」村を出ていく。生徒がいなくなった学校に教師は不要だ。屋根が半分無くなり雨漏りのする朽ち果てた校舎の扉を閉めるナタリ、基礎杭から家を切り離し、ゆらゆらと湖を漂いながら向かう先は何処なのだろう。タマラとは違う考えでコンゴを愛していたナタリ、汚職まみれの無能な為政者を頂く国家に勝者なく、非情な現実があるだけです。

(タマラと対立する小学校教師ナタリ)
A: 2017年3月29日、最高裁が議会の立法権を掌握すると決定、選挙から17ヵ月後、マドゥロは制憲議会の設置を指示、選挙で過半数を得た野党から国会を奪還した。
B: どういうことか理解に苦しみますが、これが現実です。2020年段階で約300万人が難民という記事もあり、桁が間違っていると思いたいです。隣国コロンビア自身も難民を抱えているから、コロナ禍でどうなっているのだろうか。
尊厳を取り戻す方法があるという盲信に支えられていると語る監督
A: 重要関係者欄にタマラの名前がクレジットされていたが、タマラなくして本作は撮れなかったろう。もう一人がギターの弾き語りをしていたカマリジョ、恋人が去っていく悲しみと次々に故郷をを後にする村民を重ねている。プロの歌手だった若い頃を懐かしむ。今は小鳥を友人に一人暮らし「鳥に守られて生きている」と語る。
B: 本作の進行役を果たしており、陸に打ち上げられた外輪船のある森に案内してくれる。こんな大きな船がと驚いたが、以前はマラカイボ湖に流れ込むカタトゥンボ川まで航行していたと語る。

(陸に打ち上げられた外輪船の説明をするカマリジョ)
A: タマラも買収する村民がいなくなり、マラカイボ市長から届いていたお金も届かないのか、現金が無くなったら売ると語っていたブタを売却する。
B: コンゴを出ていかないのは、タマラとカマリジョだけかもしれない。
A: 1918年の大油田の発見以来、腐敗と汚職、地球規模の気候変動ともあいまって、政治的腐敗が価値を生み出している。監督は「この映画を撮ることで学んだのは苦痛です。しかし政治的腐敗が価値を生み出すことに気づかせてもくれた。国の再建において私たちに大きな影響を与えています。理由はさまざまですが、何百万もの国民が国を出てしまいましたが、尊厳を取り戻す方法があるという盲信に支えられています」と、マラガ映画祭のインタビューで語っていた。
B: 監督自身も治安悪化と経済的困難で家族とベネズエラを離れ、現在はウィーンに移住しています。本作が5年もかかった理由の一つです。いつの日か戻れる日は来るのでしょうか。

(アナベル・ロドリゲス・リオス監督、マラガ映画祭2020年8月)
A: 本作でも冒頭ほかで登場した、字幕で<静かな雷>とあった、マラカイボ湖の超常現象「カタトゥンボの無音の稲妻」の謎については、前回の記事で触れています。観光資源の一つだそうです。またカマリジョが「破滅の夜がやって来た~」と歌っていた“La Noche de Tu Partida”は、ベネズエラの作曲家オズラルド・オロペサ(1939~98)の代表作の一つです。エンディングで歌っていたのは、同じくベネズエラの歌手エンリケ・リバスでした。

(原因が解明されていないカタトゥンボの<無音>の稲妻)
ベネズエラのアナベル・ロドリゲスのドキュメンタリー*ラテンビート2020 ④ ― 2020年10月17日 18:32
宿命論的諦観には反対するベネズエラのドキュメンタリー

(スペイン語タイトルのポスター)
★今年のオンライン上映作品6作のうち、一番興味をそそられたのがベネズエラの政治的二極化で沈降しそうなマラカイボ湖の水の村<コンゴ・ミラドール>の現状を切りとったドキュメンタリーでした。アナベル・ロドリゲス・リオス(カラカス1976)の初長編ドキュメンタリー『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』は、サンダンス映画祭2020ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門に正式出品された。コロナ禍をかいくぐって国際映画祭で次々に上映されている。なかで政治的二極化が国民を分断している米国からのオファーが群を抜いている。前回のリストアップ段階では触れられなかった作品誕生の経緯、監督が寄せるベネズエラへの思いを追加したい。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』
(西題「Érase una vez en Venezuela, Congo Mirador」)
製作:Sancocho Público / Spiraleye Productions / Golden Giirs Filmproduktion / TRES Cinematogrefía
協賛 Sundance Film Festival
監督:アナベル・ロドリゲス・リオス
脚本:アナベル・ロドリゲス・リオス、マリアネラ・マルドナド、リカルド・アコスタ、
セップ・ブルダーマン、他
撮影:ジョン・マルケス
編集:セップ・R・ブルダーマンSepp R. Brudermann
音楽:ナスクイ・リナレス
製作者:セップ・R・ブルダーマン、カルメン・リバス・アルバレス、マルコ・ムンダライン、
(エグゼクティブ)クラウディア・レパへ、他
データ:製作国ベネズエラ=イギリス=ブラジル=オーストリア、スペイン語・英語、ドキュメンタリー、99分、撮影地コンゴ・ミラドール、撮影期間2013~18年
映画祭・受賞歴:サンダンス映画祭2020ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門、マイアミ、カルタヘナ、HotDocsホットドックス、ヒューストン・ラテン、サンディエゴ・ラテン、アトランタ、セーレム(マサチューセッツ州)、CPH:DOXコペンハーゲン、マラガ、リマ、各映画祭のドキュメンタリー部門で上映された。
出演:タマラ・ビジャスミル(チャビスタ政府の代表者タマラ)、ナタリエ・サンチェス(野党支持者の小学校教師ナタリ)、ジョアニイ・ナバロ(少女ジョアニイ)他
ストーリー:カタトゥンボの<無音>の稲妻が出る南米最大の塩湖マラカイボの南にコンゴ・ミラドールと呼ばれる水の村がある。ベネズエラを変貌させた大油田が眠っている。基礎杭の上に建てられた家で暮らす極貧の村落であり、当面、村民は近づく議会選挙の準備に追われている。村のチャビスタ支持者の代表タマラは、できるだけ多くの投票用紙を集めるために奔走する。野党を支持する小学校教師のナタリにとって、タマラと政治的に対立することは職を失う恐れがあった。一方、少女ジョアニイは堆積する汚泥のためにコミュニティが泥まみれになるのを見ている。村民は気候変動による自然現象や湖に堆積する汚泥がもたらす沈降に脅かされており、地元の漁師たちの生活も破壊されている。汚職や環境汚染、政治的荒廃をどうやって生き延び、<自分自身の存在>を救済すればいいのだろうか。

(マラカイボ湖の浅瀬に基礎杭を打って建ち並ぶ家々とボートで移動する村民)
ベネズエラを荒廃させている政治的二極化、腐敗は価値を生み出す
★アナベル・ロドリゲス・リオスのキャリア&フィルモグラフィー。カラカス出身のドキュメンタリー監督、脚本家、製作者。ロンドン・フィルム・スクールの映画製作の修士号取得、シリーズ「Why Poverty」に含まれた短編ドキュメンタリー「The Barrel(12)」や「El galón」(13)は、50以上の国際映画祭で上映された。例えばHotDocsや、アムステルダム・ドキュメンタリー映画祭IDFAなどが挙げられ、トライベッカ映画祭の奨学金を得ている。貧困層と富裕層を対置しながら、子供の目をとしてベネズエラの石油工業を描いた短編。他に「Letter to Lobo」(13)やシリーズ「Somos terra fertil」(14)がある。
★『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ』が初の長編ドキュメンタリー。2012年10月、治安悪化、経済的困難のため、息子を連れてウィーンに移住している。本作は両国を行ったり来たりして進行、ベネズエラの非営利人権団体PROVEAの協力を得て5年掛かりで完成させた。

(撮影中のアナベル・ロドリゲス・リオス監督)
★本作は8月下旬に開催された第23回マラガ映画祭2020長編ドキュメンタリー部門でも上映されました。監督がAFP通信のインタビューで語ったところによると、本作のアイディアは2008年に「カタトゥンボの<無音>の稲妻」のTVドキュメンタリーを撮ったころに遡るという。南アメリカ大陸最大のマラカイボ湖に注ぐカタトゥンボ川河口上空に現れる気象現象です*。取材中にコンゴ・ミラドールの人々と知り合ったときから構想していた由。20世紀初頭に発見されたマラカイボ湖の大油田は、ベネズエラに大きな富と腐敗をもたらした。石油産出にともなう周辺の地盤沈下も引き起こしている。

(マラカイボ湖はベネズエラ湾からカリブ海に繋がっているから海ともいえる)

(原因が解明されていないマラカイボ湖の超常現象、カタトゥンボの<無音>の稲妻)
★国を分断している最近の政治の二極化は、監督の目には1998年の大統領選挙で、如何にしてウーゴ・チャベスに投票させたかを思い出させるという。腐敗は<価値>を生み出すとも。この映画は、腐敗、汚職について、または食物や金銭と引き換えに票をかき集めるタマラに象徴されるような登場人物について語っている。それはロムロ・ガジェゴスの小説『ドニャ・バルバラ』**の人格と重なり、「一部は盲目的信仰から、一部は日和見主義から、自分たちの責任と全権限を軍人と地方政治ボスのガウディリョに手渡してしまう」と付け加えた。タマラは抜け目のない地方の実業家とチャビスタ党の代表者、彼女はあらゆる手段を講じて票集めに精を出す。

(チャビスタの代表者タマラ・ビジャスミル、映画から)
★対する野党を支持するナタリエ・サンチェスにとって、政治に深入りし対立することは教師という職業を失う危険がある。タマラとナタリという二人の女性を軸に、堆積する汚泥はコンゴ・ミラドールのコミュニティを沈める。「この映画を撮ることで学んだのは苦痛です。しかし政治的腐敗が価値を生み出すことに気づかせてくれた。国の再建において私たちに大きな影響を与えています。理由はさまざまですが、何百万もの国民が国を出てしまいましたが、尊厳を取り戻す方法があるという盲信に支えられています」と微笑する監督。ベネズエラに止まって活動する制作会社のお蔭で完成させることができたし、彼らがベネズエラにいるという事実が力を与えてくれている。問題解決に立ち上がる組織だった政党は見当たらないが、独裁政権でも人生は続くわけだから、活動のスペースを作りだしたいとも。

(ナタリエ・サンチェス、映画から)
★スペインでは10月中の公開が予定されており、ベネズエラでも映画館での上映がアナウンスされたが「これは大きな賭け」になる。7月1日、全国選挙評議会(日本の選挙管理委員会)が野党が過半数を占める国会の議員選挙を12月6日に実施すると発表した。勿論野党は反対しているが、「政治的議論のきっかけ」として、議会選挙前の上映を期待しているようです。

(アナベル・ロドリゲス・リオス、後方に見えるのはマラガ大聖堂でしょうか)
*ウイキペディア情報の英語版とスペイン語版の記述は異なっており、スペイン語版では年間およそ260夜、一晩に10時間ほど続き、1分当たり60回も発生する無音の稲妻、つまり他の雷と違ってピカッだけでゴロゴロがない。原因は地形とか気候のほかにメタンの発生が考えられているが、どうも決定打は未だのようです。危険だがこの超常現象はオーロラ・ツアーのような観光資源になっている。本作とは直接関係ないが2014年、この<無音>の稲妻はギネスブックにも登録された。日本語版は英語版によっている。
**ベネズエラを代表する小説家にして政治家のロムロ・ガジェゴス(1884~1969)の代表作。1947年大統領選挙に出馬、当選するもクーデタで失脚、1958年に帰国するまでキューバ、メキシコに亡命していた。『ドニャ・バルバラ』は翻訳書が出版されている。
グスタボ・ロンドン・コルドバの「La familia」*カンヌ映画祭2017 ③ ― 2017年04月28日 21:37
ベルリナーレ・タレントからカンヌの「批評家週間」へ

★ベネズエラは南米でも映画は発展途上国、当ブログでもミゲル・フェラリの「Azul y no rosa」(13)、アルベルト・アルベロの『解放者ボリバル』(ラテンビート2014)、マリオ・クレスポのデビュー作「Lo que lleve el rio」(15)、ロレンソ・ビガスがベネチア映画祭2015で金獅子賞を受賞した『彼方から』(ラテンビート2016)など数えるほどしかありません。国家予算の大半をアブラに頼っているベネズエラでは、最近の原油安はハイパー・インフレを生み、カラカスでは先月から1か月も抗議デモが続いています。マドゥロ大統領は催涙ガスでデモ隊に応戦、町中はガスが充満して、デモでの死者は24人と海外ニュースは報じています(4月26日調べ)。国債急落、貧困や犯罪に苦しむ国民は、大統領選挙と総選挙を求めていますが、マドゥラ大統領にその気はないようです。そんな困難をきわめるベネズエラから今年のカンヌの作品紹介を始めたいと思います。
★グスタボ・ロンドン・コルドバのデビュー作「La familia」は、イベロアメリカ諸国の映画製作を援助しているIbermediaプロジェクトのワークショップ、オアハカ・スクリーンライターズのラボなどを経た後、2014年の「ベルリナーレ・タレント・プロジェクト・マーケット」(デモテープや未完成作品を専任の審査員が選ぶ)から本格的に始動した。続いてカンヌ映画祭2014の「ラ・ファブリケ・シネマ・デュ・モンド」(若い才能の発掘と促進を目指す組織)で完成させ、今年の「批評家週間」に正式出品されることになった作品。
「La familia」 2017
製作:Factor RH Producciones / La Pantalla Producciones(ベネズエラ)/ Avira Films(チリ)
/ Dag Hoels(ノルウェー)/ 協賛:CNAC Centro Nacional Autónomo de Cinematografía
監督・脚本・製作者:グスタボ・ロンドン・コルドバ
助監督:マリアンヌ・Amelinckx
撮影:ルイス・アルマンド・アルテアガ
録音:マウリシオ・ロペス、イボ・モラガ
製作者:ナタリア・マチャード、マリアネラ・イリャス、ルベン・シエラ・サリェス、
ロドルフォ・コバ、ダグ・ホエル、アルバロ・デ・ラ・バラ
データ:製作国べネズエラ=チリ=ノルウェー、スペイン語、2017年、ドラマ、82分、プログラム・イベルメディア、ノルウェーのSorfondの基金をうけている。
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2017「批評家週間」正式出品
キャスト:ジョバンニ・ガルシア(父親アンドレス)、レジー・レイェス(息子ペドロ)他


(ペドロとアンドレス、映画から)
プロット:35歳のアンドレスは12歳になる息子のペドロとカラカス近郊のブルーカラーが多く暮らす地区に住んでいたが、二人は互いに干渉し合わなかった。アンドレスは日中は掛け持ちの仕事に明け暮れ、ペドロは仲間の少年たちとストリートをぶらつき、彼らから暴力の手ほどきを受けていた。彼を取りまく環境は日常的に暴力が支配していた。ある日ボール遊びの最中、ペドロは喧嘩となった少年を瓶で怪我させてしまう。それを知ったアンドレスは、復讐の予感に襲われ息子をこのバリオから避難させる決心をする。この状況は息子をコントロールできない若い父親の身を危うくすることになるだろうが、同時に意図したことではないが、二人を近づけることにもなるだろう。
「La familia」のアイディアはどこから生まれたか
★表面的には取りたてて大きな事件が起こるわけではないが、目に見えない水面下では変化が起きているという映画のようです。監督は上記の「ラ・ファブリケ・シネマ・デュ・モンド」のインタビューで、本作のアイディア誕生について「数年前にある事件に巻き込まれたメンバーの家族を助けるということがあり、それがきっかけで家族をテーマにした短編を撮りたいと考えるようになった。だから最初は短編『家族』プロジェクトとしてスタートさせた」と答えている。だから非常に個人的な動機だったようです。ベネズエラと暴力はイコールみたいですが、監督は好きな作品として、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(84、パルムドール)や、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランの『冬の街』(03、カンヌ・グランプリ)を挙げている。特に『冬の街』については、「ストーリーはシンプルだが深い意味をもっていて、ラストシーンの美しさは忘れがたい」と語っている。表面的には静かだが、水面下では動いている映画が好みのようです。シンプルなストーリーで観客を感動させるのは難しい。
★他にアルゼンチンのリサンドロ・アロンソの『死者たち』(04「Los muertos」)、ダルデンヌ兄弟の『少年と自転車』(11、カンヌ・グランプリ)に影響を受けたと語っている。おおよそ本作の傾向が見えてきます。リサンドロ・アロンソについては、『約束の地』(14「Jauja」)が公開された折に作品紹介と監督紹介をしております。「フランスの好きな映画監督2人を挙げてください」というインタビュアーに対して、ロベール・ブレッソンとジャック・オーディアールを挙げていました。ブレッソンは若手監督に人気がありますね。
*『約束の地』の記事は、コチラ⇒2015年7月1日
★グスタボ・ロンドン・コルドバGustavo Rondón Córdovaは、1977年カラカス生れ、監督、脚本家、編集者、製作者。ベネズエラ中央大学コミュニケーション学科の学位取得、チェコのプラハの演出芸術アカデミーからも映画演出の学位を取得している。ベネズエラ中央大学は1721年設立された南米最古の伝統校。本作は長編映画デビュー作であるが、過去に6作の短編を撮っており、ベルリン、カンヌ、ビアリッツ、トゥールーズ、トライベッカなどの国際映画祭に出品されている。「La linea del olvido」(05、14分)、コメディ「¿Qué importa cuánto duran las pilas?」(05、10分)、中で最新作の「Nostalgia」(12)は、ベルリン映画祭短編部門に正式出品された。

★キャスト紹介:ジョバンニ・ガルシアは、ロベール・カルサディリャの「El Amparo」(16、ベネズエラ=コロンビア)に出演している。サンセバスチャン映画祭2016「ホライズンズ・ラティノ」などにエントリーされた後、ビアリッツ映画祭(ラテンアメリカ・シネマ)観客賞、サンパウロ映画祭で脚本賞・新人監督賞、ハバナ映画祭でルーサー・キング賞を受賞するなどの話題作。1988年ベネズエラのエル・アンパロ市で実際に起きた、14名の漁師が虐殺された実話に基づいて映画化された。同作の編集を担当したのがグスタボ・ロンドン・コルドバ、またガルシアはプロデューサーとしても参画している。

『彼方から』 ロレンソ・ビガス*ラテンビート2016 ③ ― 2016年09月30日 15:40
金獅子賞を初めて中南米にもたらしたベネズエラ映画
★若干古い作品のうえ複数回にわたって紹介しているので、分類(2)再構成して1本化したほうがいいものとして纏めてみました。ロレンソ・ビガスの『彼方から』(“Desde allá”)は、ベネチア映画祭2015では、“From Afar”(「フロム・アファー」)の英語題で上映されました。従って当ブログでも同じタイトルでアップしていたものです。2015年のベネチアは世界の巨匠たち――アレクサンドル・ソクーロフ、アトム・エゴヤン、それにアモス・ギタイ――などの力作が目立った年でした。ビガス監督も「同じ土俵で競うなんて、本当に凄い。まだノミネーションが信じられない。デビュー作が三大映画祭のコンペティションに選ばれるなんてホントに少ないからね」と興奮気味でした。だから金獅子賞受賞など思ってもいなかったことでしょう。しかし長編は初めてですが、短編“Los elefantes nunca olvidan”(2004、監督・脚本・製作、製作国メキシコ)が、カンヌ映画祭、モレリア映画祭その他で上映されるなど、ベネズエラではベテラン監督です。

(金獅子賞を掲げたビガス監督、 ベネチア映画祭2015授賞式にて)
『彼方から』(“Desde allᔓFrom Afar”)
製作:Factor RH Producciones(ベネズエラ) / Lucia Films(メキシコ) / Malandro Films(同)
監督・脚本・製作:ロレンソ・ビガス
脚本(共同):ギジェルモ・アリアガ
撮影:セルヒオ・アームストロング
製作者:エドガー・ラミレス(エグゼクティブ)、ガブリエル・リプステイン(同)、ギジェルモ・アリアガ、ミシェル・フランコ、ロドルフォ・コバ
データ:製作国ベネズエラ=メキシコ、スペイン語、2015年、93分、撮影地カラカス
映画祭・映画賞:ベネチア映画祭金獅子賞、サンセバスチャン映画祭ホライズンズ・ラティノ部門ベストパフォーマンス(ルイス・シルバ)、ビアリッツ(ラテンアメリカ・シネマ)映画祭男優賞(ルイス・シルバ)、ハバナ映画祭第1回監督作品賞、マイアミ映画祭脚本賞、テッサロニキ映画祭脚本賞&男優賞(アルフレッド・カストロ)、映画祭上映はトロント、ロンドン、モレリア他、世界の映画祭を駆け巡った。第25回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭2016(7月17日)上映作品。
キャスト:アルフレッド・カストロ(アルマンド)、ルイス・シルバ(エルデル)、ヘリコ・モンティーリャ、カテリナ・カルドソ、ホルヘ・ルイス・ボスケ、スカーレット・ハイメス、他初出演者多数
プロット:義歯技工士アルマンドの愛の物語。アルマンドはバス停留所で若い男を求めて待っている。自分の家に連れ込むためにはお金を払う。しかし一風変わっているのは、男たちが彼に触れることを受け入れない。二人のあいだにある「エモーショナルな隔たり」からのほのめかしだけを望んでいる。ところが或るとき、不良グループのリーダー、エルデルを誘ったことで運命が狂いだす。アルマンドを殴打で瀕死の状態にしたエルデルの出会いを機に彼の人生は破滅に向かっていく。タイトルの“Desde allá”は「遠い場所から」触れることのない関係を意味して付けられた。「愛の物語」ではあるが、ベネズエラの今日を照射する極めて社会的政治的な作品。

(二人の主人公、アルマンドとエルデル、映画から)
*主役のアルフレッド・カストロはチリのベテラン俳優、パブロ・ララインの「ピノチェト三部作」ほか全作の殆どに出演しており、当ブログでも再三登場させています(ララインの最新作“Jackie”はアメリカ映画で例外です)。他のキャストはテレビや脇役で映画出演しているだけのC・カルドソやS・ハイメス以外は、本作が初出演のようです。ベネチアでは「エルデル役のルイス・シルバは映画初出演ながら、ガエル・ガルシア・ベルナルのようなスーパースターになる逸材」と監督は語っておりましたが、その後の映画祭受賞歴をみれば当たっていたようです。

(アルフレッド・カストロ、映画から)
★プロットからも背景に政治的なメタファーが隠されているのは明らかです。ベネズエラのような極端な階層社会では今日においても起こりうることだと監督。プロデューサーの顔ぶれからも想像できるように、ベネズエラ(エドガー・ラミレス『解放者ボリバル』、ロドルフォ・コバ“Azul y no tanto rosa”)、メキシコ(ギジェルモ・アリアガ『21グラム』『アモーレス・ペロス』、ミシェル・フランコ『父の秘密』『或る終焉』)と、ベテランから若手のプロデューサーや監督が関わっています。ミゲル・フェラーリ監督の“Azul y no tanto rosa”は、ゴヤ賞2014イベロアメリカ映画賞受賞作品です。
*監督キャリア&フィルモグラフィー紹介*
★ロレンソ・ビガスLorenzo Bigas Castes:1967年ベネズエラのメリダ生れ、監督、脚本家、製作者。大学では分子生物学を専攻した変わり種。それで「分子生物学と映画製作はどう結びつくの?」という質問を度々受けることになる。後にニューヨークに移住、1995年ニューヨーク大学で映画を学び、実験的な映画製作に専念した。1998年ベネズエラに帰国、ドキュメンタリー“Expedición”を撮る。1999年から2001年にかけてドキュメンタリー、CINESA社のテレビコマーシャルを製作、2003年、初の短編映画“Los elefantes nunca olvidan”(13分、プレミア2004年)を撮り、カンヌ映画祭2004短編部門で上映され、高い評価を受ける。製作国はメキシコ、スペイン語。カンヌの他、モレリア映画祭、ウィスコンシン映画祭に出品された。共同製作者としてメキシコのギジェルモ・アリアガ、撮影監督にエクトル・オルテガが参画して撮られた。
★その後メキシコに渡り長編映画の脚本を執筆、それが“Desde allá”である。“Los elefantes nunca olvidan”から十年あまりで登場した長編がベネズエラに金獅子賞を運んできた。しかし「皆が気に入る映画を作る気はありません。ベネズエラを覆っているとても重たい社会的政治的経済的な問題について、人々が話し合うきっかけになること、隣国とも問題を共有していくことが映画製作の目的」というのが受賞の弁でした。政治体制の異なる隣国コロンビアやアルゼンチンの映画を見るのは難しいとビガス監督。
★また「映画は楽しみであるが、問題山積の国ではシネアストにはそれらの問題について、まずディベートを巻き起こす責任がある。だから議論を促す映画を作っている」と明言した。「階層を超えて、指導者たちも同じ土俵に上がってきて議論して欲しい。映画は中年男性の同性愛を扱っていますが、それがテーマではありません。最近顕著なのは混乱が日常的な国では、階層間の緊張が高まって、人々の感情が乏しくなっていること、それがテーマです。また父性も主軸です」とも。義歯技工士はお金を払った若者に触れようとせず彼方から見つめるだけ、父親と息子の関係を象徴しているようです。

(左から、アルフレッド・カストロ、監督、ルイス・シルバ 2015年ベネチアにて)
★今年のベネチア映画祭ではコンペティション部門の審査員の一人になり選ぶ立場になりました。彼自身もベネズエラではよく知られた画家だった父親オスワルド・ビガスを語ったドキュメンタリー“El vendedor de orquídeas”(ベネズエラ、メキシコ)が特別上映される機会を得た。制作過程でメキシコのシネアスト、バレンティナ・レドゥク・ナバロの援助を得ることができた。オフェリア・メディーナがフリーダ・カーロに扮した『フリーダ』(83)やカルペンティエルの短編『バロック』(88)を映画化したポール・レドゥク監督の娘です。「感謝を捧げるドキュメンタリーにする気は全然なかった。父を特徴づける暗い痛ましい部分もいれて、70年代当時の美術界の動向を中心にすえた」と監督。「父は2014年4月に90歳で死ぬまで毎日描き続けた」とも。
★ミシェル・フランコの新作“Las hijas de abril”のプロデュースを手掛けているが、来年には長編第2作“La caja”に着手する。短編“Los elefantes nunca olvidan”と『彼方から』、次回作の3本を合わせて三部作にしたい由。

ベネズエラ映画*マリオ・クレスポのデビュー作”Lo que lleva el r:io” ― 2015年12月28日 12:25
オリノコ・デルタで暮らす少数民族女性の向上心と愛の物語
★本作はアカデミー賞とゴヤ賞2016のベネズエラ代表作品でしたが、前者はプレセレクションの段階で落選、後者もノミネーションには至りませんでした。主人公ダウナDaunaは、ベネズエラのオリノコ・デルタに暮らす少数民族ワラオWarao(またはグアラオGuarao)語族の若い女性、彼女は女性特有の役割を強制する「共同体」から脱出して、町の学校で勉強したいと願っている。年々グローバル化する多文化の世界で、二つの社会を行ったり来たりする女性の困難さが語られる。ヒロインのダウナにはグアラオ語族出身のヨルダナ・メドラノが扮する。

(ダウナ役のヨルダナ・メドラノ、映画から)
“Dauna, Lo que lleva el río”(“Gone with the River”)2014
製作:Asociación Civil Yakari / Alfarería Cinematográfica
監督・脚本・プロデューサー:マリオ・クレスポ
脚本(共同)・プロデューサー:イサベル・ロレンス
音楽:アロンソ・トロ
撮影:ヘラルド・ウスカテギ
編集・プロデューサー:フェルミン・ブランヘル
衣装デザイン:フアン・カルロス・ビバス
メイクアップ:グスタボ・アドルフォ、ゴンサレス・バレシリョス
プロダクション・マネジメント:アドリアナ・エレラ
助監督:ルイス・フェルナンド・バスケス
音響:ガブリエル・デルガド・ペーターセン、グスタボ・ゴンサレス、他
データ:製作国 ベネズエラ、言語 ワラオ語・スペイン語(ワラオ語にはスペイン語字幕入り)、2014年、104分、製作費予算:約626,500ドル(IMDbデータ)、撮影地 オリノコ・デルタ、カラカス、協賛CNAC Centro Nacional Autónoma de Cinematografía / IBERMEDIA 他、ベネズエラ公開3月20日
受賞歴・映画祭上映:ベルリン映画祭2015正式出品、サンパウロ映画祭、モントリオール映画祭、ハバナ映画祭サラ・ゴメス賞、ウエルバ・イベロアメリカ映画祭スペシャル・メンションとイベロアメリカの現実を反映した映画に贈られる作品賞を受賞、バルセロナ・ラテンシネマ限定上映
キャスト:ヨルダナ・メドラノ(ダウナ)、エディー・ゴメス(タルシシオ)、ディエゴ・アルマンド・サラサール(フリオ神父)、他
プロット:オリノコ・デルタの北西で暮らす少数民族女性ダウナの向上心と愛の物語。語学の習得に優れた才能をもつダウナは、家族やフリオ神父の助けを借りて勉学に励んだ。子供の頃に将来を誓い合った恋人タルシシオも忍耐強く彼女を支えた。しかしどうしたらワラオ共同体の社会的圧力をはねつければいいのか、その術が分からなかった。ダウナのタルシシオへの愛に偽りはなかったが、彼が共同体の伝統に縛られ、いずれ敗北してしまうのではないかと怖れていた。

(ダウナとタルシシオ、映画から)
★マリオ・クレスポ Mario Crespo 監督は、1949年キューバ生れ、脚本家、製作者、監督。チャベス政権初期の2000年、話者およそ35,000人を有する国内第2位のワラオ語消滅の危機を回避するためと少数民族の歴史的記憶の復権などの目的でベネズエラに赴いた。2001年、共同体のメンバーにビデオ撮影の技術指導をするため現地入りした。以後ベネズエラに定住しで映画製作に携わっている。ドキュメンタリー作家としての経歴が長く、65歳にして今回初めて長編劇映画に挑戦した。本作の構想は10年前から始まり、現地の数家族と居を共にして日常生活を観察しながら取材を重ねた。その後、共同脚本家のイサベル・ロレンスと二人で構想を練った。

(ポスターを背にマリオ・クレスポ監督)
★イサベル・ロレンスは、脚本家の言葉として〈闘う女性〉の姿を描き出したかった。例えばダウナは映画の4分の3、約1時間もスクリーンに登場、少数民族の女性が負わされている複雑に絡みあった困難に直面している。「どんな環境に暮らそうとも、いかなる人も、男でも女でも、何かを学びたいと考えるのは自然だ」というクレスポの言葉に共感していると語っている。
★本作はワラオ語とスペイン語のバイリンガルで撮られた世界初のフィクションになる。監督によると、「まずスペイン語の脚本をワラオ語に翻訳することから始めた。ところが出演者の大多数は字が読めないからワラオ語の台本作りは徒労に終わった。それでこれから撮影するシーンを何回も口頭で説明した。どんなシチュエーションなのか、彼らが理解しやすく内面化できるように記述を工夫した」と語っている。
★少ない資金のため夜間のシーン以外は照明を使用せず、撮り直しを避けて2台のカメラで撮影した。それは本作がドキュメンタリー要素の強いフィクションなので、即興で起る新鮮さを失わないためでもあった。例えば、まだ子供だったタルシシオが友達のダウナにプロポーズするシーンを撮っているとき、彼は恥ずかしくて両手で顔を被ってしまった。これはホンにはなかったことで、繰り返し撮ろうとしても上手くいかなかったろう。ワラオの人はとても控えめで、撮影の中断や繰り返しを自分たちのせいと思ってしまうのだろう。製作費はベネズエラのCNACやIBERMEDIAの援助を受け、最終的には750万ボリーバル(約120万ドルに相当)だった。

(ヨルダナ・メドラノ、クレスポ監督、ベルリン映画祭にて)
★配給会社探しは困難を極めたらしい。ワラオ語の映画と聞けば、大抵の配給元は尻込みするだろう。移動スクリーンを使用して現地で撮影会をした。集まった出演者の驚きは相当なものだったらしい。映画後進国ベネズエラの近年の躍進には目を見張るものがあり、当ブログで記事にしたロレンソ・ビガスの“Desde allá”(ベネチア映画祭2015金獅子賞)、マリアナ・ロンドン“Pelo malo”(サンセバスチャン映画祭2013金貝賞)、ミゲル・フェラリ“Azul y no rosa”(ゴヤ賞2014イベロアメリカ映画賞)などが記憶に新しい。
★つい最近12月6日にあった議会選挙では、1999年より政権をとっていたベネズエラ統一党が大敗を喫し、反チャベスの民主統一会議が勝利した。中国の出方にもよるが政治地図は大きく変わらざるをえない。国家の予算の大半を原油に頼るベネズエラでは、昨今の原油安は危急存亡の秋かもしれない。マドゥロ大統領の任期は2019年まであるが、ハイパー・インフレに苦しむ国民の忍耐が何時まで続くか、前途は厳しいのではないか。映画文化も無縁ではいられない。
オスカー賞代表に選ばれなかった金獅子受賞作品「フロム・アファー」 ― 2015年10月09日 14:42
ベネズエラ映画アカデミーの不可解な選択
★ラテンビートまたは東京国際映画祭で見たかった作品の一つがロレンソ・ビガスの“Desde allá”(“From Afar”「フロム・アファー」)でした。初めて中南米に金獅子賞のトロフィーをもたらした作品。ベネチア後も次々に上映される映画祭廻りに奔走するビガス監督に代わって、テレビに引っ張りだこのルイス・シルバ(主演男優)、映画祭など興味のなかったお茶の間の皆が知ってる映画だった。ところがベネズエラはオスカー賞代表作品に選ばなかったのだ。何故選ばなかったのか、宣伝費ゼロで世界の映画市場に乗りこめたはずなのに。教会には行かないがカトリック教徒が多数派のベネズエラでは、愛の許容度が狭く同性愛に触れるのは今でもタブーということなのだろうか。

★パブロ・ララインのお気に入り俳優アルフレッド・カストロがチリを離れてベネズエラ映画に出ると聞いて興味津々でした。2014年の年初から首都カラカスの街中で始まった撮影は、かなり大掛かり、街頭での撮影は何枚も書類を書かなければオーケーが出ない。多分当時は詳しい内容が分かっていなかったから可能だったのかもしれない。
★ビガス監督によると「これは同性愛についての映画ではなく愛の物語」だそうです。男と女のノーマルな愛とは違うが、じゃノーマルとは何かということですね。主人公のアルマンドの人格はかなり複雑だが、構図的にはそんなに複雑ではないように思える。魅惑と憎しみが混在しているアルマンド(50代の義歯技工士、裕福、陰気、不実)VS街中をうろつく逃げ場のないエルデル(17歳の不良少年、貧乏、純粋、孤立無援)と、メタファーも分かりやすい。最初から悲劇に終わる予感を抱かせる映画だが、問題はエンディングが観客に充分説得力をもっていたかどうかだろう。

★ベネチアの後、トロント映画祭、サンセバスチャン映画祭、ビアリッツ・ラテン映画祭、そして10月にはロンドン映画祭上映が確定した。サンセバスチャンではエル・パイスのインタビューに応じた。結構面白いQ&Aで、かいつまんでご紹介すると、自分の人生を変えた映画は、イングマール・ベルイマンの映画だそうです。「人間の内面、無意識についての映画だと気づいたとき、とても興奮した」と。具体的には1960年代に撮られたリヴ・ウルマンが主演した『仮面/ペルソナ』(66)と『情熱』(『沈黙の島』69)を挙げているが、すべての作品にインパクトを与えられたそうです。彼は1967年生れ、当然リアルタイムではない。
★本作ではリハーサルをせず、朝食をすますとセットに出向き、撮影20分前に出演者たちに脚本を渡した。つまり俳優たちは以前に脚本を読んでいない。これはララインが『ザ・クラブ』で同じ方法をとった。「出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入った。つまり誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした」と語っていた。両方に出演したアルフレッド・カストロは経験済みだが、なかには不安を覚えた出演者もいたのではないかと想像する。
★映画祭で隣り合って着席したい人は誰かと訊かれて、トルコの「ヌリ・ビルゲ・ジェイラン」と即答、「今一番尊敬している監督、今回の(ベネチア)映画祭の閉会式後に食卓を一緒に囲んで歓談でき、希望が叶った」と、彼は審査員の一人でした。金獅子受賞は審査委員長キュアロンの後押しだけではなかったようです。勿論、アトム・エゴヤンの“Remember”を推していた審査員もいたでしょうが。誇りに思うことは二人の俳優(カストロと青年役のルイス・シルバ)と仕事ができたこと、そして審査員が映画を気に入ってくれたことだそうです。
★人生の初めにどんな映画を見たらいいか、「もし私が5歳だったら、想像力をふくらます映画、例えば宮崎駿の作品、映画を作りたい若い人にも同じことを薦める」そうです。エレベーターで偶然乗り合わせたい人はスカーレット・ヨハンソン、好きな場所はカラカスの自宅、週末には友人たちとお喋りしたい、メッシとクリスティアーノ・ロナウドではどちらの贔屓、両方のファンだよ、でもメッシかな・・・、もう映画とは関係ない。
★短編“Los elefantes nunca olvidan”(2004、監督・脚本・製作、製作国メキシコ、スペイン語)は、カンヌ映画祭の他、モレリア映画祭、ウィスコンシン映画祭で上映された(英語字幕付きがYouTubeで見ることができます)。この短編と受賞作、既にタイトルも決まっている次回作“La caja”の3本を合わせて三部作にしたい由。

★キャスト、プロット、ロレンソ・ビガス監督のキャリアとフィルモグラフィー紹介、並びに金獅子賞受賞の記事はアップ済みなので繰り返しません。
*作品・監督紹介記事は、コチラ⇒2015年8月8日
*金獅子賞受賞のニュース記事は、コチラ⇒2015年9月21日
金獅子賞はベネズエラの「フロム・アファー」*ベネチア映画祭2015 ⑤ ― 2015年09月21日 18:34
さようならアジア、こんにちはラテンアメリカ
★ロレンソ・ビガスの“Desde allá”(“From Afar”「フロム・アファー」)金獅子賞受賞のニュースには心底驚きました。当ブログを開設して2年になりますが、こんなサプライズは初めてです。仮に5年前に開設していたとしても驚きは同じだったかもしれません。とにかくノミネーションで驚いていたのですから。知名度もありベネチアとは相性のいいパブロ・トラペロの“El clan”(“The Clan”「ザ・クラン」)が、何かの賞に絡む可能性はあると思っていました。だからトラペロの監督賞(銀獅子)受賞だけでしたら驚きませんでしたが、金銀のアベック受賞となると話は別でしょう。

(金獅子賞のトロフィーを手に、ロレンソ・ビガス監督)
★カンヌと違ってベネチアは、1989年の台湾のホウ・シャオシェン(今回審査員の一人)『悲情城市』以来、北野武97、チャン・イーモウ98、ジャファル・パナピ2000、ミーラー・ナーイル01、ジャ・ジャンクー06、アン・リー07、キム・ギドク『嘆きのピエタ』2012までアジア勢が目立っていた。ラテンアメリカは、同時期開催のサンセバスチャン、またはベルリン、カンヌに向かっていた印象でした。ベネズエラがコンペティションに選ばれたのも初めて、金獅子賞が大西洋を越えてラテンアメリカ大陸に届いたのも初めてです。今回のアベック受賞が刺激になって流れが少し変わるかもしれません。
「皆が気に入る映画を作る気はありませんが」とビガス監督
★テーマも映画手法も異なる映画がベネチアで評価された、これはアクシデントではないか。ラテンアメリカ諸国は、1国だけでは経済規模も市場も小さくて映画産業が成り立たない。逆にこれが幸いしたと思う。スペインだけでなくフランス、ドイツ、イタリアまたはラテンアメリカ諸国同士の合作が大勢を占める。ラテンアメリカと一括りされるが各国ともその成り立ちや人種構成が違うから当然国民性にも特徴がある。異文化同士が集まれば摩擦も起きるが、それ以上にカルチャーショックがプラスに転じ、得るところのほうが多くなる。ベネズエラのロレンソ・ビガスの“Desde allá”の主人公の義歯技工士にはチリのベテランアルフレッド・カストロが扮した。パブロ・ララインの「ピノチェト三部作」ほか全作の殆どに出演しています。二人はラテンビート2015の『ザ・クラブ』で三度目の登場となりますが、本作はベルリン映画祭2015のグランプリ審査員賞受賞作品です。
★盆とお正月が一緒にきたような金獅子受賞ですが、「皆が気に入る映画を作る気はありません。しかしベネズエラを覆っているとても重たい社会的政治的経済的な問題について、人々が話し合うきっかけになること、隣国とも問題を共有していくことが映画製作の目的」というのが受賞の弁です。政治体制が異なるから隣国コロンビアやアルゼンチンの映画をベネズエラで見るのは難しいとビガス監督。また、「映画を見るのは楽しみでもある。しかし問題山積の国では、シネアストにはそれらの問題について、ディベートを巻き起こす責任がある。だから議論を促す映画を作っている」と明言した。「階層を超えて、指導者たちも同じ土俵に上がってきて議論して欲しい。映画は中年男性の同性愛を扱っていますが、それがテーマではありません。最近顕著なのは混乱が日常的な国では、階層間の緊張が高まって、人々の感情が乏しくなっていること、それがテーマです。また父性も主軸です」とも。義歯技工士はお金を払った若者に触れようとせず離れたところから見つめるだけ、父親らしい関係を象徴しているようです。

(左から、アルフレッド・カストロ、監督、ルイス・シルバ ベネチアにて)
★長編デビュー作と言っても、既に短編がカンヌで評価されたベネズエラではベテラン監督です。オリジナル脚本はメキシコのギジェルモ・アリアガ、主役をチリのベテランを起用、これで面白くならなかったらおかしいくらいです。タイトル“Desde allá”の意味、監督キャリア&フィルモグラフィー、アルフレッド・カストロ紹介などは、アップ済みなので繰り返しません。金獅子賞受賞作品はおおかた劇場公開されています。大いに期待したいところですが、その折りには別の角度から記事にしたいと考えています。
*“Desde allá”(「フロム・アファー」)紹介の記事は、コチラ⇒2015年8月8日
*『ザ・クラブ』の記事は、
★先ほど「これはアクシデントではないか」と書きましたが、パブロ・トラペロは、「ラテンアメリカ映画が受賞したのは決して偶然のことではない」とはっきり。確かにここ15年間ぐらいのラテンアメリカ映画の躍進を見れば、新しい波ヌーベル・ヴァーグが押し寄せていると実感できます。アルゼンチンだけでなく、メキシコ、ブラジル、特に最近のチリ、コロンビア、そして「フロム・アファー」のベネズエラなど。ベルリン、カンヌ、サンセバスチャン、トロントと受賞作が増加していますね。トラペロ自身は、「今回は受賞なし」と判断して発表前の水曜日夜にブエノスアイレスに帰国してしまっていた。ところが「監督賞をあげるから早く戻ってきて」という本部からの電話で急遽金曜日にリド島にリターン、日曜日のガラに無事間に合ったということです。受賞後のまだ興奮冷めやらぬ廊下でスペイン・メディアに打ち明けたらしい(笑)。どうやら受賞作品は二、三日前に決定していることがあるみたいです。

(授賞式に間にあったパブロ・トラペロ、銀獅子賞のトロフィーを手に)
★まあ、審査委員長がメキシコのアルフォンソ・キュアロンだったことも否定しません。しかし、審査団にはポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ、台湾のホウ・シャオシェン、伊フランチェスコ・ムンズィ、英のリン・ラムジー、仏のエマニュエル・カレル、トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランなどの監督たち、ハリウッドで活躍中の女優、米のエリザベス・バンクス、独のダイアン・クルーガーと国際的にも偏りがなかった。ノミネーション作品もM・ベロッキオ、A・エゴヤン、A・ソクーロフ、イエジー・スコリモフスキ、A・ギタイなど大物監督が顔を揃えていたから、ロレンソ・ビガスが金獅子賞など誰が予想していたでしょうか。

(プッチオ家ファミリーをバックにしたポスター、中央がフランセージャ)
★「ザ・クラン」は実在のアルキメデス・プッチオの犯罪にインスパイアーされて製作された。主役のアルキメデス・プッチオにカンパネラの『瞳の奥の秘密』でリカルド・ダリンの相棒になって洒脱な演技を披露したギジェルモ・フランセージャが扮した。TVでは知らない人がいないといわれるコメディアン、そのミスマッチが見どころ。プッチオのような犯罪が罰せられずにいられたのは、1980年初頭、軍事独裁政権の最後を支えていた人々の無責任と自由放任を利用できたからだという。

(逮捕されたアルキメデス・プッチオ)
★「映画は本来、私たちをワクワクさせ、私たちの考えに変更を加える可能性をもっている。だから映画を作る人は責任をもたなければいけない。映画は娯楽や興行でもあるが、同時に助言でもある」と主張する。「観客におもねる映画に抵抗するには、よい映画を作りつづけるしかない」と監督。トラペロらしい発言ですが、今回の受賞作は以前よりエンターテイメントの部分があり公開が期待できそう。本作も既に監督のキャリア&フィルモグラフィーをアップしております。
第72回ベネチア映画祭2015*ノミネーション発表 ② ― 2015年08月08日 18:35
ベネズエラ初のコンペティションに選ばれたロレンソ・ビガスの快挙
★初監督作品とはいえビガス監督はベテランです。前回パブロ・トラペロの“El clan”をご紹介いたしましたが、彼と同じ傾向の気難しい社会派監督の印象です。今年のベネチアは世界の巨匠たち、粒揃いの力作が目立ちますが、「アレクサンドル・ソクーロフ、アトム・エゴヤン、それにアモス・ギタイと同じ土俵で競うなんて、本当に凄い。まだノミネーションが信じられない。デビュー作が三大映画祭のコンペティションに選ばれるなんてホントに少ないからね」とビガス監督もかなり興奮しています。まずは作品紹介から。
“Desde allá”ロレンソ・ビガス、ベネズエラ、2015
製作:Factor
RH Producciones / Lucia Films / Malandro Films
監督・脚本・プロデューサー:ロレンソ・ビガス
脚本(共同):ギジェルモ・アリアガ
撮影:セルヒオ・アームストロング
プロデューサー:ギジェルモ・アリアガ、ミシェル・フランコ、ロドルフォ・コバ、エドガー・ラミレス(エグゼクティブ・プロデューサー)、ガブリエル・リプステイン(同)
データ:ベネズエラ=メキシコ、スペイン語、2015、ドラマ、93分
キャスト:アルフレッド・カストロ(アルマンド)、ルイス・シルバ(エルデル)、カテリナ・カルドソ、ホルヘ・ルイス・ボスケ、スカーレット・ハイメス、他初出演者多数
プロット:歯科技工士アルマンドの愛の物語。アルマンドはバス停留所で若い男を求めて待っている。自分の家に連れ込むためにはお金を払う。しかし一風変わっていて、男たちが彼に触れることを受け入れない。二人のあいだにある「エモーショナルな隔たり」からのほのめかしだけを望んでいる。ところが或るとき、彼を殴打で瀕死の状態にした男に出会ったことで、彼の人生は突然破滅に向かっていく。タイトルの“Desde allá”は「遠い場所から」触れることのない関係を意味して付けられた。

トレビア:短編“Los
elefantes nunca olvidan”から十年余の沈黙を破って登場した長編は、プロットからも背景に政治的なメタファーが隠されているのは明らかです。ベネズエラのような極端な階層社会では今日においても起こりうることだと監督。プロデューサーの顔ぶれからも想像できるように、ベネズエラ(エドガー・ラミレス『解放者ボリバル』、ロドルフォ・コバ“Azul y no tanto rosa”)、メキシコ(ギジェルモ・アリアガ『21グラム』『アモーレス・ペロス』、ミシェル・フランコ『父の秘密』“Chronic”)と、ベテランから若手のプロデューサーや監督が関わっている(E・ラミレスはボリバルに扮した)。本作と短編、既にタイトルも決まっている次回作“La caja”の3本を合わせて三部作にしたい由。
*主役のアルフレッド・カストロはチリのベテラン俳優、パブロ・ララインのピノチェト三部作ほか殆ど全作に出演しており、当ブログでも再三登場してもらっています。他のキャストはテレビや脇役で映画出演しているだけのC・カルドソやS・ハイメス以外は、本作が初出演のようです。監督によると、エルデル役のルイス・シルバは映画初出演ながら、ガエル・ガルシア・ベルナルのようなスーパースターになる逸材とか。しかし、かなり厳しい内容なのでベネチアの審査員や観客を説得できるかどうか。(アルフレッド・カストロ、映画から)

*監督キャリア
& フィルモグラフィー紹介*
★ロレンソ・ビガスLorenzo Bigas Castes:1967年ベネズエラのメリダ生れ、監督、脚本家、製作者。クリスチャン・ネームは一応スペイン語表記にしましたが、イタリア語のロレンツォかもしれません。大学では分子生物学を専攻した変わり種。それで「分子生物学と映画製作はどう結びつくの?」という質問を度々受けることになる。後にニューヨークに移住、1995年ニューヨーク大学で映画を学び、実験的な映画製作に専念した。1998年ベネズエラに帰国、ドキュメンタリー“Expedición”を撮る。1999年から2001年にかけてドキュメンタリー、CINESA社のテレビコマーシャルを製作、2003年、初の短編映画“Los elefantes nunca olvidan”(13分、プレミア2004年)を撮り、カンヌ映画祭2004短編部門で上映され、高い評価を受ける。共同製作者としてメキシコのギジェルモ・アリアガ、撮影監督にエクトル・オルテガが参画して撮られた。その後メキシコに渡り長編映画の脚本を執筆、それが今回ベネチア映画祭ノミネーションの“Desde allá”である。

2004“Los elefantes nunca olvidan”短編、監督・脚本・製作、製作国メキシコ、スペイン語。カンヌ映画祭の他、モレリア映画祭、ウィスコンシン映画祭で上映される(写真下)。
2015“Desde allá”長編第1作、監督・脚本・製作

*関連記事・管理人覚え
『解放者ボリバル』の記事は、コチラ⇒2013年9月16日/2014年10月27日
“Azul
y no tanto rosa” ゴヤ賞2014イベロアメリカ部門紹介記事は、コチラ⇒2014年1月15日
『父の秘密』の記事は、コチラ⇒2013年11月20日
“Chronic” カンヌ映画祭2015の記事は、コチラ⇒2015年5月28日
ゴヤ賞2015ノミネーション*落ち穂拾い ③ ― 2015年02月07日 17:39
フアン・ディエゴを応援していたのに
★脚色賞:チェマ・ロドリゲスのデビュー作“Anochece en la Indía”は、マラガ映画祭2014でフアン・ディエゴが男優賞を受賞、館内が一番沸いた映画でした。他にホセ・マヌエル・ガルシア・モヤノが編集賞を受賞しました。当時ゴヤ賞受賞が云々されていましたが、結局ノミネーションされたのは、パブロ・ブルゲス、ダビ・プラネル、チェマ・ロドリゲス共同執筆の脚色賞1個、どうも選出方法に問題があるのじゃないかと勘ぐりたくなります。かつて選出法に疑問を呈してアカデミーと絶縁した大物監督がいましたけど。公開が4月11日と大分前なのも損しているんです。
ストーリー、下半身不随の老リカルドの車椅子冒険ロード・ムービー。かつてオリエントをトラックでヒッピーしていたリカルドは、人生の最期をインドで迎えようと時間を遡る旅を決心する。しかし今や老いと病で車椅子生活、ルーマニア女性ダナを介助者にして陸路をインドへと向かう。ヨーロッパを横断してトルコ、イラン、パキスタンを経てインドへ。孤独な二人の旅は、人生にけりをつける口実となり、やがて愛と時の経過についての、現在の価値と失われた時間の回復の大切さについての物語に変貌していくだろう。

(リカルドとダナ、映画から)
★フアン・ディエゴ(1942年セビリャ生れ)が下半身不随の老ヒッピーのリカルドを演じます。車椅子で出発、ヨーロッパを横断してインドに到達しようと旅に出る。勿論死出の旅です。わざわざ何でインドまで行って死にたいのか。ずっと車椅子の撮影だから、ディエゴは断るだろうと思ったと監督。ディエゴ自身も「自分とかけ離れたもの、下半身不随とかヒッピーとかね、そういう役は好きじゃない」と。まず撮影前の5カ月間、車椅子で暮らしてみることにした(!)。散歩も車椅子、知り合いやファンが「どうしたんだい?」と(笑)。座りづめで体は浮腫むし、車椅子から転落しそうになるしで恐怖だったそうです。しかしそうこうしているうちに何故リカルドがインドで死にたいかが理解できるようになった。萎えた足で椅子に縛り付けられた人生がどんなものかが理解できたと。「死を望むのは、人生をこよなく愛しているから」です。ノミネーション1個でも日本上陸が待たれます。
★監督をご紹介しておきます。チェマ・ロドリゲス、1967年セビリャ生れ、作家、監督、脚本家。テレビ・ドキュメンタリー映画ではベテラン。2006年の “Estrellas de la Linea” が、ベルリン映画祭パノラマ部門で観客賞を受賞。またマラガ映画祭2006審査員特別メンション、サンセバスチャン映画祭でセバスチャン賞、カルロヴィ・ヴァリ、モントリオール、エジンバラ、シカゴ等々に正式出品。他に“Coyote” (2009)、“El abrazo de los peces” (2011)が代表作。
*マラガ映画祭2014は、コチラ⇒2014年04月11日¨
*フアン・ディエゴ紹介は、コチラ⇒2014年04月21日

(フアン・ディエゴ、監督、共演のハビエル・ペレイラ。マラガ映画祭記者会見にて)
イベロアメリカ映画賞は確定している!
★“Relatos
salvajes”受賞が確実だからもうイイヤ、というわけにいかないか。かつて当ブログでとり上げた2作品がノミネーションされているのでちょっと触れておきます。
★クラウディア・ピントの“La distancia más larga”(2013)は、ベネズエラ=スペイン合作、113分。ハビエル・フェセルの『カミーノ』で信仰に凝り固まった母親に扮したカルメ・エリアスが、人生にけりをつけようと生れ故郷に戻ってくる60代の女性を演じる。映画初出演の子役オマール・モヤ、カラカス生れのアウレック・ワイートAlec Whaite(1990)など。過去を辿る死出の旅、家族の出会いなどを、ベネズエラ南西部にあるグラン・サバナ(ヒロインの生れ故郷)、雄大なテーブルマウンテンのロライマ山を背景に描く。
受賞歴:モントリオール映画祭2013「グラウベル・ローシャ賞」受賞、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭2013観客賞受賞。クリーブランド映画祭2014優れた女性監督に贈られる賞を受賞。ヒホン映画祭2013コンペティション正式出品、ハバナ映画祭2013初監督作品正式出品など他多数。

(カルメ・エリアスとオマール・モヤ、映画から)
★クラウディア・ピントClaudia Pinto Emperador:ベネズエラの監督、脚本家、製作者。TVシリーズで出発、長編第1作で数々の賞を受けた。ベネズエラの二つの顔、首都カラカスの喧騒、遠く離れたグラン・サバナのロライマの静寂、そこで描かれるのは「生を語るための死」、何故なら死は時間より前にやってくるからである。「家族の別れと和解、許しと希望が語られる」と監督。ゴヤ賞にノミネートされたのは、「とても光栄です、なぜなら各国レベルが高くノミネーションは容易じゃありませんから」と。
*モントリオール映画祭2013の紹介は、コチラ⇒2013年09月05日

★エルネスト・ダラナスの“Conducta”は、2013年イカイクICAICが唯一資金を提供して製作したキューバ映画。そういうわけでキューバ代表作品として選ばれる場合は必ず本作になります。ゴヤ賞以外にも米国アカデミー賞も本作でした。マラガ映画祭2014「ラテンアメリカ」部門も同じですが、幸運にも最優秀作品賞を受賞しました。監督賞にエルネスト・ダラナス、女優賞にアリーナ・ロドリゲス、審査員スペシャル・メンション賞をアルマンド・バルデス、さらにディエゴ・フェルナンデス・プジョルの“Rincón de Darwin”(ウルグアイ=ポルトガル)と観客賞を分け合いました。グアダラハラ映画祭他にも出品。
*マラガ映画祭2014ラテンアメリカ映画部門紹介は、コチラ⇒2014年04月04日

(アリーナ・ロドリゲスとアルマンド・バルデス、映画から)
ラテンビート2014*あれやこれや ① ― 2014年10月27日 22:56
★新宿会場バルト9上映前に記事にした10作品のうち、『Flowers』を台風直撃で断念、25日やっと東京国際映画祭TIFFで観てきました(UPはTIFFコーナーで)。アレックス・デ・ラ・イグレシア特集の作品はQ&Aのかたちで既にアップ済み、残る6作品の感想を「とても良かった(期待以上だった)」あるいは「期待したほどじゃなかった(普通)」など、あれやこれやと落ち穂拾いします。
もう少しヒネリがあると思っていた「デリリオ」
A: 10月11日(土)上映5本のうち『デリリオ―歓喜のサルサ』(LB④9・25)が一番席が埋まっていた。これを意外と感じたのは管理人だけかしら。チュス・グティエレス監督の持ち味である「二つの文化や価値観の違い」の描かれ方が曖昧だったせいか。
B: 期待しすぎ、“Retorna
a Hansala”(2008)のイメージが強かったのではないか。
A: 社会的不平等や政治腐敗をやんわり批判するのにロマンティック・コメディは最適なんですが。
B: 全く描かれなかったわけではないし、ダメ男に見切りをつけ、サルサのダンサー兼振付師として、頑張って娘を育てている主人公アンジーに共感する女性観客は多かったのではないか。サルサのレベルについては知識がありませんが、とても愉しめました。

A: 当たり前の話ですが、街中のクラブで踊られるサルサとサルサ・ショー用のサルサはまったく別のものですね。
B: クラブであんなに飛んだり跳ねたりしたら周りに怪我人続出です(笑)。タンゴやフラメンコも同じことがいえます。
A: TIFFで同じカリを舞台にした映画『ロス・ホンゴス』を観たのですが、あれもカリ、これもカリ、同じ都会でもさまざまな顔を持っているから、一つだけで分かったと思わないことですね。
B: 政治や歴史の本を読まなくても、映画は楽しみながら他国の理解を深められる素晴らしいガイドブックです。心の窓を開けて、知るのではなく自然体で感じることが大切。
観客が望んだ英雄像を描いた「解放者ボリバル」
A: アルベルト・アルベロの『解放者ボリバル』(トロント④2013・9・16)は、オスカー賞2015ベネズエラ代表作品に選ばれましたが、どうせ選ぶなら昨年にすればよかった。
B: トロント映画祭2013のガラ・プレゼン、2013年は「ボリバル生誕230年」ということで盛り上がった年でした。
A: ボリバルになったエドガー・ラミレスは、オリヴィエ・アサイヤスの『カルロス』で、伝説のテロリスト「ザ・ジャッカル」を演じた俳優。なかなかの力演でしたが、ボリバルはもっと複雑な人物だったのではないか。勿論これは役者の責任ではないが。
B: 監督は、ベネズエラ国民なら誰でも知ってる英雄、何を入れて何を省くか、テーマが大きすぎて何から手をつけていいか悩んだそうです。

(資産家のお坊ちゃんでしかなかった頃のボリバルと未来の妻マリア・テレサ・デ・トロ)
A: それにしてはフィクション部分が多すぎました。史実とは開きがあって、まだプリンスだったときのスペイン国王フェルナンド7世と今のテニスみたいな競技をするなんて全く根拠がない(笑)。当時、貴族の間で大流行していたのは本当ですが。
B: 伯父さんと違って、そもそも彼はスペイン宮廷に出入りできなかった。しかし将来ボリバルが戦うことになる人物ですから伏線を張りたかったのでしょう。
A: 細かいことですが、フランス語は堪能でも英語は映画のように流暢には話せなかったそうです。扮したラミレスは、武官だった父親が欧州各国を転任したことで英伊独仏とできるから吹替えなしでした。
B: 新婚早々黄熱病であえなく亡くなってしまうマリア・テレサの美しさは飛びぬけている。
A: マヌエル・マルティン・クエンカの長編第1作“La flaqueza del bolchevique”(03)でデビューしたときは、「スペインの名花」と言われた少女マリア・バルベルデ(1987マドリード)も大人の女性になりました。この愛妻の早すぎた死をずっとボリバルは引きずっていたと言われている。
B: ボリバルが新妻の紹介を兼ねてイマノル・アリアス扮する植民地行政官ドミンゴ・デ・モンテベルデを昼食に招くシーン、アリアスは実に憎たらしかった(笑)。
A: 贔屓の俳優ですけど。あのシーンもフィクション、軍人政治家でしたから立派な軍服姿のドミンゴ・デ・モンテベルデはボリバルの家族とは会っていない。資産家とはいえ統治国のトップが昼食に出向くはずがない、そういう時代です。ボリバルの少年時代からの恩師シモン・ロドリゲスもマリア・テレサと面識がなかった。彼は1802年当時にはカラカスではなくヨーロッパ、多分パリ在住だった。
B: 監督がラテンアメリカから選んだのが、人生後半にエクアドルのキトで出会うマヌエラ・サエンス役のフアナ・アコスタ。実在の女性で、ボリバルの永遠の<愛人>と言われた女性。

(雪のアンデス越えをした解放者ボリバル)
A: エクアドルのマヌエリータを演じたフアナ・アコスタは、美人量産国コロンビアはカリ生れ(1976)、アルゼンチンの俳優エルネスト・アルテリオと結婚、子供もおります。
B: 同じくラテンアメリカからは、ボリバルが唯一信頼していたというスクレ将軍には、ベネズエラのエーリッヒ・Wildpred、似せるため髪の毛を巻き毛にしたそうです。
A: 彼がボリバルと初めて会ったときは16歳で、まだ映画のような成人ではなかった。最後の別れも直接の別れではなく、スクレが訪ねたときには、ボリバルは既に出発してしまっていた。
B: アイルランド出身のボリバルの副官ダニエル・オレリー将軍にはイギリスのイワン・レオン、ジェームズ・ルーク大佐にはスコットランド出身のゲイリー・ルイスなど国際色豊か。
A: ストーリーも虚実豊か。実はアンデス越えを指揮したのはボリバルではなく配下のパラモ・デ・ピスバだった。そういうわけで彼は映画には登場しなかった。ダニー・ヒューストン扮する英国人など実在していた証拠がない、あの戦場にボリバルはいなかった、あの頃はまだ誰々とは出会っていなかった、エトセトラ、エトセトラ。伝記映画にはよくある話です。

(ダニー・ヒューストン、実在しなかったといわれる英国人)
B: 一万人のエキストラ、何百頭もの馬、セットも大掛かり、スペインのマドリード、カディス、セビリャのカルモナでも撮っている。
A: 製作費はトータルで約5000万ドル、その中にはベネズエラ政府から提供された資金も含まれている。スペインやドイツが約3000万ユーロを負担したという。
B: だからあのような大掛かりな撮影も可能になったというわけですね。
A: 何はともあれ、製作費は回収できなくても、ベネズエラの若い観客には受け入れられたようです。2013年製作された他のボリバル映画はイマイチで、アルベロ<ボリバル>が一番評価が高かったようです。映画は少年時代から始まっており、もっと時代とかテーマを絞ったほうがよかったかもしれない。なお、監督の他作品紹介、音楽監督、エドガー・ラミレスについてはトロント映画祭2013にアップしております。
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