ロルカの死をめぐる謎に新資料*マルタ・オソリオ ― 2015年09月11日 22:20
恐怖 miedo から謎 enigma へ―失われた鎖の輪を探す
★毎年命日の8月18日が近づくとフェデリコ・ガルシア・ロルカの周りが騒がしくなる。2012年にはロルカ最後のアマンテは、定説になっている「ラファエル・ロドリゲス・ラプンではない」というマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”が出てサプライズがあった。今年は没後79周年、本当に「光陰矢の如し」です。スペインでもっとも有名な詩人の謎に満ちた死についての研究でタクトを振っているのが、ロルカと同郷のマルタ・オソリオです。最近新資料をもとに“El enigma de una muerte. Crónica
comentada de la correspondencia entre Agustín Penón y Emilia Llanos”という長いタイトルの研究書をコマレス社から刊行して話題になっています。直訳すると「ある死をめぐる謎:アグスティン・ペノンとエミリア・リャノスの往復書簡注釈記録」でしょうか(オソリオについては後述)。
★オソリオは15年前に同社から“Miedo, olvido y fantasía: Crónica
de la investigación de Agustín Penón sobre Federico García Lorca(1955~1956)”(2000、直訳「恐怖、忘却と空想:ロルカについてのアグスティン・ペノンの調査記録」)を上梓しています。これはペノンの資料をもとに、闇の中に埋もれていた独裁者の犯罪に光を当てたものでしたが、新作はこれを補う内容をもつようです。結論としては、往復書簡から見えてきたのは、「証言者たちが、ロルカが銃殺された場所として指し示した墓穴から、遺体は他に移されていた」ということです。オソリオは一応これでロルカの死をめぐるテーマにけりが付いたので、これからは短編や物語の執筆に戻りたい、つまり決定版ということです。
★アグスティン・ペノン(1920~1976)という人は、バルセロナ生れだが、内戦時に家族と一緒にアメリカに亡命してアメリカ国籍を取った熱烈なロルカ信奉者。アメリカのパスポートで1955年スペインに入国、バルセロナで知り合った舞台演出家ウィリアム・レイトンと一緒にグラナダに滞在して、18カ月ほどロルカの死をめぐる聞き書き調査をした。レイトンはテレノベラのラジオ版脚本で得た資金を蓄えていた。クエーカー教徒で、内戦後のスペイン旅行に費やしていた。タイトルに(1955~1956)とあるのはペノンが調査した期間を示しています。しかし、当時のフランコ体制側からの監視の目は厳しく、ゲイの<アカ>をしつこく嗅ぎまわっている男は「ロシアのスパイか、アメリカCIAのメンバーに違いない」と圧力を掛けてきた。当時のグラナダは<恐怖>が支配していて、身の危険を感じたペノンは調査を打ち切って帰国した。収集した全資料はスーツケースに収められ、当時ペノンが暮らしていたニューヨークに運ばれ保管されていた。
(左から、調査をするアグスティン・ペノンとウィリアム・レイトン)
★フランコ政権での出版は、取材相手に危険が及ぶことが考えられ時の来るのを待っていた。帰国後ペノンとレイトンは別の人生を歩いていたが、何か予感めいたものがあったのか、ペノンは「私にもしものことがあったらスーツケースを預かって欲しい」とレイトンに頼んでいた。1976年ペノンはコスタリカの首都サン・ホセに住んでいた両親に会いに行った先で突然の死に見舞われた。フランコ没後1年も経っていなかった。遺言通り資料はレイトンのもとに渡ったが出版されることもなく静かに眠っていた。レイトンは長生きして1995年に亡くなった。巡りめぐって資料は最終的にマルタ・オソリオの手に渡った。スーツケースの長い旅も詩人の死同様、数奇な運命を辿ったことになる。
(アグスティン・ペノン)
★エミリア・リャノスは、ロルカの10歳年上の親しい友人でグラナダに住んでいた。家族同士の付き合いだった。1936年7月14日、ロルカは故郷への最後の旅をした。7月20日グラナダ守備隊が蜂起、急激に事態が悪化して共和派関係者は一挙に検挙投獄された。ロルカにも危険が迫り避難先の候補の一つとして選ばれたのがリャノス家だった。結果的にはファランヘ党のリーダーだったロサレス兄弟の家に落着くのだが、兄弟の留守中に逮捕されてしまう。ペノンはこのルイス・ロサレス、ホセ・ロサレスのインタビューも行っている。
★ペノンが聞き書きをした中で特に親交を重ねた証言者がエミリア・リャノスで、彼が帰国した後も手紙のやり取りをしており、これが新作の資料になっている。リャノスは書簡で、最初は「オリーブの木の下に埋められ、その後そこから移されたのです」と書いている。秘密にしているのは「或る有力者」から口止めされているからだと。今ではその「或る有力者」が当時の極め付きのフランコ主義者、グラナダ市長ガジェゴ・ブリンだったことが分かっている(ペノンは息子アントニオ・ガジェゴにも取材している)。内戦後のグラナダは恐怖の坩堝で、<フェデリコ>は禁句だった。移された場所はどこか分からないが、ビスナルからアルファカルに行く道路沿いの何処かしか分かっていない。ビスナルというのはナショナリストたちが<好ましからざる>人物たちを処刑した場所です。「誰も何も知らないのです」とオソリオ、死後80年も経てば、生存者は殆どいない、何か新資料が出ない限り闇の中ということか。
(ロルカが唯一愛した女性といわれるエミリア・リャノス)
★マルタ・オソリオはグラナダ生れの作家、かつては舞台女優(1961~65)であった。1966年、児童図書“El caballito que queria volar”で「ラサリーリョ賞」を受賞。日本では“Jinetes en caballos de palo”(1982)が『棒きれ木馬の騎手たち』(行路社)の邦題で翻訳されている。ロルカ研究者というより児童文学者として知られていると思います。生年が確認できてないのですが(調べ方が悪い)、「レアレホにある私の家から、フランコ主義者が思想家、文学者、自由主義者、先生たちを銃殺するのを見ないで過ごすことは難しかった」と語っているところから、人生の初めに内戦を体験した世代だと思います(レアレホはグラナダ市郊外、アルハンブラの近くの地区)。
★「ペノンが残した資料に導かれて、資料に敬意を払って」編纂した。「自分を黒子にして、自分の意見を加えることをしたくなかった」とも語っている。なかなか真似できない研究態度です。志を遂げることなく旅立ってしまったペノンへの哀悼の意が感じられる。オソリオは「家族が遺体を移した可能性もあるが」、「ロルカの墓穴が共和派の聖地になるのを恐れたフランコ主義者の命令で移された」と考えているようです。ペノンが公刊しなかった理由は一つでなく、いくつか考えられると話す。「彼は感受性豊かな人で、ロルカに関して生み出された沈黙と挫折の世界を暴くのを躊躇した」とオソリオ。ロルカの死に拘りつづけたペノンとリャノスは、真相を突き止めるのを諦めなかったようです。
(マルタ・オソリオ、グラナダの自宅の庭で、2012年撮影)
★日本では翻訳書も出ているギブソンの『ロルカ』*が、日本語で読めるロルカの伝記として決定版だと思う。本書は評価も高くベストセラーにもなった。本書にもエミリア・リャノスは登場している。夥しい参考資料から分かるように力作には違いないが、今では間違いも指摘されている。特にロルカの晩年、死をめぐる記述には問題があるという。オソリオが第1作を上梓した理由もギブソンの「不完全」版を変えたかったからだと語っている。特にペノンの資料があることを知っていたのに無視したことを非難している。
★イアン・ギブソンは1939年ダブリン生まれ、フランコ時代の1965年に来西してグラナダに1年ほど取材して、『ロルカ・スペインの死』**を出版した。フランコ没後、より正確な伝記執筆を考え、1978年来西、グラナダにどっしり腰を下ろして、1984年にはスペイン国籍まで取得して完成させたのが『ロルカ』です。これにロルカ最後のアマンテとして度々登場するのがラファエル・ロドリゲス・ラプンです。
(ロルカとラファエル・ロドリゲス・ラプン)
★しかしラプンではなく、実は「最後のアマンテは私です」というフアン・ラミレス・デ・ルカスの告白を載せた本が出版された。それが冒頭に書いたマヌエル・レイナの“Los amores oscuros”(2012)です。1917年アルバセテ生れ、1934年にマドリードでロルカと出会ったとき未だ17歳だった。愛は詩人の死で終止符がうたれたが、彼は長生きして2010年に93歳で没した。無名の人ではなく、日刊紙「ABC」などに芸術コラムを執筆していた有名なジャーナリストだった。レイナは1974年カディス生れ、小説家、詩人、脚本家、戯曲家、一時期「ABC」紙のコラムニストだった。ギブソンを責められないが聞き書きという作業の落とし穴をみる思いです。
(美青年だったというフアン・ラミレス・デ・ルカス)
★ロルカの親しい友人たちは皆知っていたが、内戦が激しくなったうえ、ロルカが殺害されたことを考えると沈黙を守らざるを得なかった。ロルカからの「メキシコに一緒に亡命しよう」という内容の手紙があるようです。ロルカにはコロンビアとメキシコの両国から亡命の許可が下りていたから、亡命しようと思えばできたというのは最初から言われていたこと。何故メキシコ亡命を選ばず危険なグラナダに帰郷したかが謎だったはずです。デ・ルカスは亡命には親の承諾が必要な年齢だったので同行できない、ロルカは彼が一緒でなければ亡命したくない、ということなのでしょうか。ロルカは彼のために秘密を墓場まで持っていった。これは別テーマなので深入りしませんが、アグスティン・ペノンが後にフアン・ラミレス・デ・ルカスと会っているという事実です。ペノンが公刊しなかった理由の一つかもしれません。
(“Los
amores oscuros” のポスターを背にしたマヌエル・レイナ)
*イアン・ギブソン『ロルカ』(中央公論社1997刊)
“Federico García Lorca: A Life”(英語版、ロンドン1989)、2部立てのスペイン語版を1冊にまとめたもの(1部1985年、2部1987年、バルセロナ)
**イアン・ギブソン『ロルカ・スペインの死』(晶文社1973年刊)、“La represión nacionalista de Granada en 1936
y la muerte de Federico García Lorca”(パリ、1971)
アントニオ・レシネス*映画アカデミー新会長 ― 2015年05月11日 16:27
厄介ごと“marrón”を引き受けたアントニオ・レシネス
★5月9日、正式に新会長に承認されました。本当は引き受けたくなかったようですが、真面目で誠実、ユーモアのセンスで困難を乗りきるだろう、というのが巷の大方の意見です。第一副会長のグラシア・ケレヘタ監督並びに第二副会長の製作者エドモン・ロチの3人の顔ぶれについては既に紹介しております(コチラ⇒4月3日)。
(スペイン映画アカデミーの新旧二人の会長)
★基本路線は前会長エンリケ・ゴンサレス・マチョを踏襲すると明言して承認されたわけですが「行政機関との関係には流動性をもたせたい」と新会長は語っている。これから理事会というか執行部のメンバー14名の選出が始まりますが、各々専門分野から満遍なく選ばれるようです。監督、脚本、撮影、音楽、美術、特殊効果、衣装デザイン、編集、アニメ、等などです。理事会の任期は6年、選挙は本部での投票、郵便、オンラインから選ぶことができる。
★ラホイ国民党政権というか文化省との不協和音はずっと鳴りっぱなしですが、去る4月半ば、関係修復改善の昼食会が、モンクロアの首相官邸で行われました。モンクロアは17世紀に建造された宮殿ですが、1977年よりスペイン首相官邸となっています。政府側からはラホイ首相、マリア・ドロレス・コスペダル幹事長、アカデミー側からはレシネス新会長、製作会社モレナ・フィルム*のフアン・ゴルドン、ダニエル・カルパルソロ監督などが出席した。どうして肝心の文化相以下、お役人たちが出席していないかというと、コスペダル幹事長の肝いりで開催されたから。文化省内には自分たちの頭越しに企画された会合が気に入らずカンカンに怒っている人もいるとか。いやはや、こんなことで修復改善はできるのでしょうか。
*Morena Films :1999年設立の映画製作会社、フアン・ゴルドンは設立者の一人。ダニエル・モンソンの『プリズン211』(09)、イシアル・ボジャインの『雨さえも~ボリビアの熱い一日~』(10)、パブロ・トラペロの『ホワイト・エレファント』(12)、ダニエル・カルパルソロの『インベーダー』(12)など話題作を送り出している。
★アメリカとキューバも仲直りしたいと握手しましたが(脚は蹴飛ばしあっている?)、こちらの対立はなかなか根深い。2時間半の昼食会で、何が話題になったかというと、勿論映画は当然ですが、映画新法、負債の割り当て、消費税21%の削減、ラホイとレシネス両人が最近読んだという推理作家フィリップ・カー(1956年エディンバラ)にまで及んだとか。推理小説「ベルリン三部作」、ファンタジー・シリーズ「ランプの精」など邦訳も多い英国スコットランドの作家。日本ではちょっと考えられない話題だよ(笑)。
★消費税21%は如何にも高い、EU内でも最高らしく、これは交渉の余地があるようだ。しかし経済・大蔵省の管轄で文化省がどうこうできる問題ではない。政府が約束した助成金の支払いも遅れているようで、プロデューサーたちからは多くの不満が噴出している。総額1400万ユーロに達する支払いを分割して支払うことが決まっているが実行されていないようです。銀行側が製作側を信用してくれることが必至だが、政府が資金を渡してくれないので信用して貰えない。どうも上手く機能してないようです。
アカデミーはどんな仕事をするの?
★大きい仕事はゴヤ賞の選定、授賞式の開催ですが、その他にも上記のような交渉をやらねばならない。今年、第8回を数える「映画フェスティバル」の企画もその一つ。間もなく始まります(5月11~13日)が、各セッション総入れ替えでチケット代3分の1の2.90ユーロで見ることができる。昨年は延べ8700万人の観客が押し寄せた。ハリウッドに代表される外国映画がお目当てですが、スペイン映画も見てもらえる。今年はまだ大ヒット作はないようですが、「マラガ映画祭」でご紹介した作品賞受賞のダニエル・グスマンのデビュー作“Cambio de nada”、ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスの“Tiempo sin aire”、時間切れでご紹介できなかったマヌエラ・モレノの“Cómo sobrevivir a una
despedida”、アレホ・フラの“Sexo fácil, pelicula tristes”、他にガルシア・ケレヘタの悲喜劇、マリベル・ベルドゥ主演“Felices 140”などが人気を呼んでいる。
★スペイン国営テレビの「La 2 de TVE」を通して、“Historia de nuestro cine”というプログラムが始まる。1930年代から2000年まで言わば「スペイン映画史」みたいな番組、厳選した690本を3年がかりでゴールデン・タイムに放映する。こんな企画もアカデミーの仕事です。お茶の間が名画劇場に早変わりする。古くはエドガル・ネビーリェ、ブニュエル、ガルシア・ベルランガ、まだフラメンコ映画など撮っていなかった頃のサウラ、初期のアルモドバル作品、などが続々登場します。これについては次回にUPします。
(ガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』1952)
◎ダニエル・グスマンの記事は、コチラ⇒2015年4月12日
◎ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスの記事は、コチラ⇒2015年4月26日
◎グラシア・ケレヘタの記事は、コチラ⇒2015年1月7日
今年はスペイン映画界は「黄金の年」だった ― 2014年12月30日 23:07
スペイン製映画が健闘した1年だった
★間もなく2014年も幕を閉じますが、ハリウッドに負けず劣らずメイド・イン・スペイン映画が健闘した年でした。全体の25.5%は37年ぶり「夢でしか見たことのない」数字だそうです。37年前の1977年がどういう年であったかといえば、フランコ没後2年、民主主義移行期、検閲制度廃止(1976年4月)後に作られた映画が上映された年ということです。
1977年にブレークした映画
★まず、スペイン映画界を長らく牽引してきたフアン・アントニオ・バルデム(1922~2002)監督のシリアス・ドラマ“El puente”(仮題「夏季休暇」)、これはゴヤ賞2014作品・監督賞を含めて6賞を勝ちとったダビ・トゥルエバの“Vivir es fácil con los ojos cerrados”(ラテンビート上映)にアイデアを与えたという作品です。マヌエル・グティエレス・アラゴン(1942~)の“Camada negra”(映画講座邦題『黒の軍団』、ベルリン映画祭監督部門の銀熊賞)、フェルナンド・フェルナン≂ゴメスの“Mi hija Hildegart”(仮題「わが娘ヒルデガルト」)、ビセンテ・アランダの“Cambio de sexo”(同「性転換」)、ほかハイメ・チャバリ、フェルナンド・コロモ、エトセトラ。
★また今年“Ocho
apellidos vascas”で5600万ユーロという驚異的な収益金を上げたエミリオ・マルティネス≂ラサロが“Las palabras de Max”(同「マックスの言葉」)でデビューしている。他にもホセ・ルイス・ガルシが“Asignatura pendiente”(同「保留科目」)でデビューし、しばらく検閲に苦しんでいた、スペインで一番愛された映画監督と言われるルイス・ガルシア・ベルランガ(1922~2009)の「ナシオナル」三部作の第1作ブラック・コメディ“La escopeta nacional”(78、仮題「国民銃」)がクランクインして話題を呼んだ年でもあった。
25.5%は今年だけ?
★25.5%は2013年の89%増、金額的にいうと、1億2300万ユーロだそうで、2100万人がスペイン映画を見た勘定になるらしい(消費税増税21%は2013年4月からだから単純に比較できないと思うが)。その内訳がびっくりもの、第1位“Ocho apellidos vascos”が前述のように5600万(約1000万人)、第2位モンソンの『エル・ニーニョ』1620万ユーロ(270万人)、第3位セグラのトレンテ・シリーズ“Torrente V”1070万ユーロ(180万人)、第4位アルベルト・ロドリゲスの“La isla mínima”600万ユーロ(100万人)、最近公開されたハビエル・フェセルのシリーズ“Mortadelo y Filemón contra Jimmy el Cochondo”が11月28日封切りわずか12日目でチケット売上げが48万枚にも驚きます(3Dのアニメーション)。日本でもいずれ劇場公開間違いなしです。
(フェセル監督を挟んでモルタデロとフィレモン)
全館満席だった「映画フィエスタ」
★ベスト・テンが大方を占めたということはこれまた由々しきこと、ほうっておいていいのかどうか。誰がみても2015年が25.5%を超えられないことは自明のことですから知恵を絞らないといけない。2009年から始まった映画フィエスタ(年1回)を今年は3月末と10月末の2回開催した。これは3日間に限り半額以下の2.90ユーロで見られるという「映画の日」(第7回は10月27日~29日の3日間、平日にもかかわらず最高の219万6000人が全国361館のスクリーンで見た!)。これは値段が手頃なら観客を映画館に呼び戻せるということです。
(マドリードの映画館での行列、10月28日)
★また“Ocho apellidos vascos”の快進撃にはバスク自治州政府の熱意と努力も大いに功績があった。マドリード公開時には、「バスクの食と映画」のようなキャンペーン行事を行い、ビトリア市長、バスクの有名シェフ、出演者のカラ・エレハルデが応援に駆け付けて宣伝に一役買った。他にも「ロケ地巡り」の撮影バスツァーを企画、映画のリピーターが押し寄せたとか(笑)。パコ・レオンが“Carmina y amén”の「1日限定の無料上映会」をしたり、それなりの新機軸を出したお蔭だと思います(コチラ⇒12月27日)。
(左ビトリア市長ハビエル・マロト、右カラ・エレハルデ、料理は残念ながらフォト)
トレンタッソ torrentazo とは?
★サンチャゴ・セグラのトレンテ・シリーズは毎回大当たりする、それでトレンタッソという新造語ができてしまった。新作“Torrente V:Operación Eurovegas”は、ハリウッド・スターのアレック・ボールドウィンを起用したり、盛大に物を壊したせいか製作費が850万ユーロ掛かっている。1070万ではとても喜べない。もっとも10月初めの公開だからこれから数字は伸びると思います。『トレンテ4 』(2011、ラテンビート上映)は、封切り3日間で110万人、840万ユーロを叩きだした。トータルでは1957万ユーロ(製作費1000万)、これは2011年のスペイン製映画の総売上高の5分の1に相当するという。ウディ・アレンのアカデミー賞脚本賞受賞の『ミッドナイト・イン・パリ』でさえ790万ユーロと後塵を拝した。
(サンチャゴ・セグラ監督とアレック・ボールドウィン)
★ゴヤ賞2012の大賞(作品・監督・脚本・主演男優など6部門)制覇のエンリケ・ウルビスの『悪人に平穏なし』(400万)、アルモドバルの『私が、生きる肌』(460万)などと比較しても、貢献度はピカイチだった。しかしゴヤ賞はノミネーションさえゼロだった。「清く正しく美しく」はありませんが、多くの観客が楽しんだのです。トレンテ・シリーズにはもっと敬意をはらってほしい。
★第1作にあたる“Torrente, el brazo tonto de la rey”(98)で新人監督賞を受賞しているからゴヤ賞無冠というわけではありませんが、ハビエル・カマラのコメディアンとしての才能に目が止まった作品でした。ゴヤ賞がらみでは、1993年に撮った短編“Perturbado”で短編映画賞、今年のラテンビートで再上映されたアレックス・デ・ラ・イグレシアの『ビースト獣の日』(95)で新人男優賞を貰っている。この二人ほど才能豊かなシネアストは他にそんなにいないのではないか。2015年には揃って50歳になる、大暴れして欲しい。
鬼が笑うノミネーション予想
★“Ocho apellidos vascos”は、フォルケ賞に作品賞と男優賞(カラ・エレハルデ)、今年から始まったフェロス賞に作品賞(コメディ部門)、助演男優・女優とトレーラー賞の4個にノミネートされている。ゴヤ賞の作品賞はドラマとコメディに分かれていないのでノミネーションはアリと思うが受賞は難しいかな。期待できるのは助演の2人カラ・エレハルデとカルメン・マチでしょうか。主演の2人ダニ・ロビラとクララ・ラゴもノミネーションはアリでしょう。作品賞はフォルケ賞に重なるような気がする。発表前にアレコレ言っても始まらないから新春を待つことに。
ダビ・トゥルエバ新作がアカデミー賞2015のスペイン代表に決定 ― 2014年10月24日 12:44
★ラテンビート上映の『Living Is Easy with Eyes Closed』(“Vivir es fácil con los cerrados”)がアカデミー賞スペイン代表作品に決定、ダビ・トゥルエバ監督がプロモーションを兼ねてロスアンジェルス入りしました。ロスで開催された「スペイン映画祭」*のオープニング作品になりました(10月16日)。梅田ブルク7は間もなく(10月25日)、横浜ブルク13はちょっと先になります(11月8日)。このスペイン的色彩の濃い映画がノミネーション5作品まで生き残れるかどうかは難しそう。今年は最多の83カ国が参加、当ブログ紹介の作品もアルゼンチン、チリ、ベネズエラなどが顔を見せています。
*この映画祭は、スペイン映画アカデミーICAAと教育文化スポーツ省、及び視聴覚製作者の権利運営機関EGEDAが主催しています。
★この映画祭のためトゥルエバの他、“Caemina y amén”の監督パコ・レオン、エミリオ・マルティネス・ラサロのバスク・コメディ“Ocho apellidos vascos”主演女優クララ・ラゴ、ハビエル・ルイス・カルデラの“Tres bodas de más”主演男優マルティン・リバスも現地入りしてスピーチしました。いずれも今年のスペイン映画の話題作です。トゥルエバ曰く、「クララとリバスは英語でスピーチしたんだよ、観客の多くはヒスパニック系でスペイン語が分かるんだけど」。「コッチで映画に出ることを熱望してるんだ」と皮肉やのトゥルエバは冗談を飛ばしていました。他にも『スガラムルディの魔女』、ダニエル・サンチェス・アレバロの“La gran familia espanola”も上映されました(ゴヤ賞2014やマラガ映画祭などで既に紹介しています)。
(スペイン映画祭でのダビ・トゥルエバ)
★最終候補に残るには、少なくともロスで1週間以上の一般公開が必要条件です(アメリカ主催の映画祭上映、映画祭で受賞してもダメ)。勢い配給会社の力関係が決め手になるようです。トゥルエバ作品は、Outsider Picturesと小さいところなので、とても難しいと悲観的。それでも「この映画はアメリカ人好みではないかもしれないが、アカデミーのメンバーはシネアストで無知ではない。彼らはスペインの歴史にも詳しく、サウラからアルモドバルの映画を見てきているからね。会員は一般の米国人とは違って、エリート集団だ」と望みを託している。一般の米国人はエリートではない?
★会員の加齢が進んで最近の受賞作を見ると、老いとか死がテーマになっていると強い。例えば『みなさん、さようなら』(03)、『海を飛ぶ夢』(04)、『おくりびと』(08)、『愛、アムール』(12)、または信念を持って権力と闘う人がテーマ『善き人のためのソナタ』(06)、『瞳の奥の秘密』(09)など。発表は来年1月中頃、監督にとって今年は長い冬になりそうです。
*ラテンアメリカ諸国の代表映画リスト*
◎ アルゼンチンRelatos salvajes(Wild Tales)ダミアン・ジフロン (西合作)
カンヌFF ⇒5月22日/トロントFF ⇒ 8月15日
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ウルグアイ Mr. Kaplan アルバロ・Brechner
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エクアドル En la tierra de
los Sueños(Silence in Dreamland)ティト・モリナ
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キューバ Conducta(Behavior)エルネスト・ダラナス
マラガ映画祭2014「ラテンアメリカ部門」で作品賞・監督賞他を受賞(⇒4月4日)
ダラナスは2回目、『壊れた神々』(2008、ラテンビート2009)がキューバ代表作品だった。
◎
コスタリカ Princesas rojas (Red Princesses)ラウラ・アストルガ(ベネズエラ合作)
マラガ映画祭(⇒4月4日)、ベルリン映画祭、グアダラハラ映画祭、各出品
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コロンビア Mateo マリア・ガンボア(仏合作)
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チリ Matar a un hombre(To Kill a Man)アレハンドロ・フェルナンデス・アルメンドラス
ラテンビート2014で『殺せ』の邦題で上映 ⇒10月8日
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ベネズエラ Libertador(The Liberator)アルベルト・アルベロ(西合作)
ラテンビート2014で『解放者ボリバル』の邦題で上映
トロントFF 2013 「ガラ・プレゼン」⇒2013年9月16日
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ペルー El evangelio de la carne エドゥアルド・メンドーサ・エチャベ
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ボリビア Olvidados カルロス・ボラド
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メキシコ Cantinflas セバスティアン・デル・アモ
★今年のメキシコは良作揃いで予想できませんでしたが、“Cantinflas”は意外でした。ペルーはモントリオール映画祭2014「ワールド・コンペ」出品の“Perro Guardián”(監督:バチャ・カラベド他)を予想しておりました(⇒9月4日)。ショートリスト9作品は12月中、ノミネーションは年が明けた1月中頃になるはずです。
アントニオ・バンデラス、故郷マラガに新居購入 ― 2014年06月21日 15:08
アントニオ・バンデラス、故郷マラガに新居購入
★離婚成立後アントニオ・バンデラスがしたことは、故郷マラガに新居を購入でした。アンジェリーナ・ジョリーやブリトニー・スピアーズなど大物セレブの離婚に実績をもつローラ・ワッサー弁護士のお蔭で、5000万ドルは下らないという資産も何とか決着がつくようです。メラニーがアルコールや薬物中毒の治療の入退院の度に危機説が流れましたが、これでとうとう終止符が打たれた格好です。演技がショウバイといわれる俳優といえどもオシドリ夫婦を長らく演ってるわけにはいかない、何事にも限界があるということです。メラニー曰く、「刑務所から出所したような自由を味わっている」と。2009年夏からユタ州のクリニックに入院して治療したお蔭で、アル中からも薬漬けからも解放されたとか、よかったですね。バンデラスは女好きに違いありませんが、メラニーほどあけすけなコメントはしませんでした。さぞかし天にも昇る気分を味わっているのではないかしらん。因みにオシドリは1年ごとに相手をかえる水鳥で、1年間は仲がいいそうです、聞きかじりですけど。
(アルモドバルの『私が、生きる肌』(ゴヤ賞主演男優賞ノミネート)の2012年授賞式での二人。 「私たちの間は上手くいっている、なにも問題はない」と離婚を否定していた)
★二人の縁結びの神様はフェルナンド・トゥルエバの『あなたに逢いたくて』(“Two Much”1996)でした。だからかれこれ20年になるわけです。人気俳優同士の結婚で20年近くもったのは、二人とも見た目ほどバカじゃなかったということです。バンデラスは財テクにも長けていて不動産投資事業を展開、レストラン経営もしている。それで51億円も溜めたようです。離婚を決心したのは愛娘エステラ(ステラ)・デル・カルメンが来る9月に18歳になり大学に進学することを挙げています。これからは心おきなくマラガに帰郷できるし、長期滞在して母親孝行もできるというわけです(父親は数年前に亡くなっている。アンダルシア男は、マリア信仰とも関係あるのか概して母親孝行です)。
★今回購入した新居はマラガの中心地アルカサビーリャ通り沿いにあり、アルカサバ(イスラム時代の要塞)やローマ劇場に近く、ピカソ美術館(16世紀のブエナ・ビスタ宮殿を改修した美術館)も望める6階建て(日本風にいうと7階)の最上階のようです(写真下:バルコニーにアテネ風の柱が見える。目下改修工事中)。将来はマラガ美術館もできる中心地区、それより重要なのがマラガのセマナ・サンタの行列が通過する通りに面していること、この建て物の真下を通る。それで以前からこの地区に家を欲しがっており、離婚後いの一番にしたことがこの新居購入でした。
★バンデラスは毎年どんなに忙しい時でもセマナ・サンタには馳せつける。「出席すると約束したら必ず帰郷した」と友人たちは口を揃える。彼は大兄弟会連合Cofradias Fusionadasの会員、「悲しみと愛のマリアVirgen de Lágrimas y Favores」の聖櫃財産管理委員のことで、その一員としてセマナ・サンタには参加する。2011年、大兄弟会団体よりセマナ・サンタの開会の辞を述べる「プレゴネロpregonero」に任命された。この時はメラニーや娘も一緒に来マラガしている(写真下)。今年のセマナ・サンタには姿を見せなかったのでマラガの友人たちは「離婚は時間の問題」と感じたそうです。2013年にはメナMenaの信徒団よりマラガ名誉市民に指名されています。善き人、勤勉な働き者、国際的に活躍するマラガ人として尊敬に値する人に贈られる。スペインでの成功後ハリウッドに渡ってブレイク、一時期「ええっ、バンデラスってスペイン人だったの?」と揶揄されていましたが、ここマラガでは名士だったのです。
(セマナ・サンタのプレゴネロに任命されたときの正装したバンデラス、
メラニー、愛娘。2011年3月9日)
★1990年代にマルベーリャにも住宅を購入している。しかし仕事の本拠地はアメリカ、現在住んでいるロスは暮らすには相応しい都市ではないので、いずれニューヨークに移住する由です。
バンデラスの新作は“Los 33”の「スーパー・マリオ」
★スペイン語映画ではありませんが、メキシコのパトリシア・リヘンの新作“Los 33”(2014、米国≂チリ)に出演しています。アメリカ映画だから公開されるかもしれない。2010年8月5日にチリのサン・ホセ鉱山で起きた落盤事故を題材にして製作された。数字は地下700メートルのシェルターに69日間閉じ込められ無事生還した鉱夫の数。バンデラスは坑内の状況をビデオにおさめ地上に発信、ゲーム「スーパー・マリオ」の渾名をもらったマリオ・セプルベダに扮しています(当然ですが、似ていない)。
(「私たち33名は避難所で無事である」というメッセージを発信、
これが本格的な救出活動の始まりだった)
★他にフランスの名花ジュリエット・ビノシュが鉱夫の姉(まったく似ていない)、スペインのガラン俳優マリオ・カサス、ソダーバーグの『チェ』で全然似ていないラウル・カストロになったブラジルのロドリゴ・サントロ、バンデラスの父親にマーティン・シーンと国際色豊かなキャスト陣です。撮影はチリとコロンビアの鉱山で行われたようですが、出演者には全員英語ができることが条件だったとか。リヘン監督は、『おなじ月の下で』(2007)がラテンビート2008で上映されたとき来日しました。
(チリの首都サンチャゴのモネダ宮殿での製作発表会見、左から監督かな、
バンデラス、セバスチャン・ピニェロ大統領、ビノシェ、2014年2月1日)
★同じ実話に基づいてアントニオ・レシオが“Los 33 de San José”(2010、チリ≂西)を撮っている。こちらはスペイン語でした。
ハイビジョン化されたスペイン映画&イタリア映画300本 ― 2014年03月13日 15:25
★高解像度(ハイビジョン)されたスペイン&イタリアの主にクラシック映画が毎月10~12本のペースで発売されることになりました。最終的には300本の予定とか。2年半ぐらい掛かりますね。かなり悲惨な状態にある作品もあり厳しい作業のようです。
★価格は作品によって異なり、ブルーレイが14~18ユーロ、DVDが9.95~11.95ユーロです。初回3月発売12作品リストは以下の通り(国名表示がないものはスペイン)
1 『ベルエポック』(1992)フェルナンド・トゥルエバ
2 『マタドール』(1986)ペドロ・アルモドバル
3 El último cuplé(1957)フアン・デ・オルドゥーニャ、サラ・モンティエル主演のヒット作
4 Gringo(1963西伊合作)リカルド・ブラスコ、ジャンルはウエスタン
5 Historias
de la radio(1955)ホセ・ルイス・サエンス・デ・エレディア
6
La
Lola se va a los puertos(1947)フアン・デ・オルドゥーニャ、ジャンルはミュージカル
7 La
violetera(1958)ルイス・セサル・アマドリ、サラ・モンティエル主演、ミュージカル
8 Le
llamaban Trinidad(1970伊)エンゾ・バルボニ、ジャンルはウエスタン
9 Las 13
rosas(2008)エミリオ・マルティネス・ラサロ
10 Plácido(1961)ルイス・ガルシア・ベルランガ、ジャンルはブラック・コメディ
11 『汚れなき悪戯』(1954)ラディスラオ・バフダ
12 『自転車泥棒』(1948伊)ヴィットリオ・デ・シーカ
★お目当ての映画がありましたでしょうか。2000年以降に製作された作品も混じっておりますが、フアン・デ・オルドゥーニャ、ラディスラオ・バフダやルイス・ガルシア・ベルランガのような古典が主流のようです。また、デ・シーカの『自転車泥棒』のように粒子は悪くてもしばしばテレビで放映されている作品も選ばれています。(写真はLa Lola se va a los puertos のポスター)
★画像に「雨が降っている」のも当時が偲ばれて趣があるかかもしれません。まずオリジナル板の保存が大切で、修復はそれからだという意見もあるでしょう。絵画の修復画家のように技術だけでなく芸術としての映画の重要性を理解している人が携わるべきで、ただ画像が鮮明になっただけでは戴けません。フィルムの荒い粒子の修復だけでなく、光の入れ方、濃淡も考慮されなくてはならない。しかし音声も復元されるので、ノイズの入っていないかつてのスターたちの歌声が聴けるのは収穫です。フランコ時代には厳しい検閲を通過させるためミュージカル仕立てが多かった。
★「すごい美声だった」という話しか聞かされていない若い人、外国人には朗報、そのなかにフローリアン・レイのミュージカル“Carmen
la de Triana”(1938「トリアナのカルメン」仮題)があり、往年の大女優インペリオ・アルヘンティーナ(1910~2003)がカルメンになったのでした。ブエノスアイレスで生れたので付けられた芸名。
(写真は修復されたホセ役のラファエル・リベリェス)。
★ルイス・ガルシア・ベルランガ(1921~2010)は、スペインで一番愛された監督でありながら日本では映画祭上映のみ、公開ゼロという稀有な存在。第1回発売に“Plácido”(「プラシド」仮題)が選ばれたのは嬉しい。オリジナルのネガから修復された“Calabucu”(1956「カラブッチ」仮題)も発売予定のようです。(写真はプラシド役のカスト・センドラ“カッセン”)。
★サラ・モンティエル(1928~2013)は、インペリオ・アルヘンティーナの次の世代の大スター、昨年鬼籍入りしたときはテレビで大特集が企画されたほどでした。
(写真はLa violetera のサラ・モンティエル)
★アルモドバルの『バッド・エデュケーション』のなかで、まだ少年だったイグナシオとエンリケがサラ・モンティエルの出演した映画を見に行くシーンがありました。多分オマージュとして挿入したのでしょうね。今回の『マタドール』とデビュー作“Pepi, Luci, Bom y otras chicas del montón ”(1980)だけエル・デセオの製作ではない。
(写真は『マタドール』撮影中のアルモドバル、エバ・コボ、チュス・ランプレアベ)
『ブランカニエベス』残念*ヨーロッパ映画祭 ― 2013年12月10日 12:48
★12月7日(現地時間)に発表になりました。『ブランカニエベス』もアルモドバルの『アイム・ソー・エキサイテッド』(コメディ部門)も残念な結果となりました。ヨーロッパの心を捉えたのは、イタリアのパオロ・ソレンティーノの“La grande bellezza”(“The Great Beauty”)でした。作品賞・監督賞を受賞、主演男優賞にトニ・セルヴィッロが2008年の『ゴモラ』(マッテオ・ガローネ監督)に続いての受賞となりました。予告編で見るかぎりではイタリアの静と動、恐怖と無情、華麗さと悲惨が描かれている印象です。イタリア以外では作れない映画かもしれない。来年のイタリア映画祭上映は確定でしょうか。
★既に衣装デザイナー賞が決定していた『ブランカニエベス』のパコ・デルガード、特別賞の「ワールドシネマ貢献賞」受賞のアルモドバルは、それぞれトロフィーを手にしました。コメディ賞は、今年5月に劇場公開になったスザンネ・ビアの『愛さえあれば』(デンマーク、スウェーデン他)が受賞しました。
★ヴィム・ヴェンダース総裁は「我が親愛なるアルモドバル、君の優しい頬笑みを見られるなんて今夜はなんて素晴らしいんだろう!」とスペイン語で挨拶したようです。製作の弟アグスティンは勿論のこと、アルモドバル学校の美女美男(でない人も混じっている?)が会場に押し掛け、『アイム・ソー・エキサイテッド』の歌を合唱した模様。美女とはエレナ・アナヤ、ロッシイ・デ・パルマ、パス・ベガ、レオノール・ワトリング、ブランカ・スアレス、美男とはハビエル・カマラ、カルロス・アレセス、ウーゴ・シルバ、ミゲル・アンヘル・シルベストレ、ラウル・アレバロの生徒さん、“We love you”と斉唱しました。ハビエル・カマラとブランカ・スアレスはラテンビートにゲスト登場して大いに会場を沸かせたばかりです。
ヨーロッパ映画賞2013ノミネート ― 2013年11月12日 12:58
★パコ・デルガードの衣装デザイン賞受賞のニュースに続いて、メインの作品賞以下の候補作品が、セビリャで開催されていたヨーロッパ映画祭で発表になりました(11月9日)。前記したことがありますが、ヨーロッパ映画賞というのは、1988年ヴィム・ヴェンダース、イングマール・ベルイマン他を発起人にして始まった。「オスカー」に対抗してというか当てこすりでしょうね。ヨーロッパ映画アカデミー(EFA)が選ぶ賞で、会員2000名ぐらいで始まりましたが、現在の会員数2900人が選挙権を持っています。本部はベルリンにあり、授賞式は加入国持ち回りが原則ですが、諸般の事情で最近ではベルリンが多い。
★作品賞ノミネートにスペイン期待のパブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』、彼は監督賞にも選ばれました。今年の作品賞・監督賞は、ジュゼッペ・トルナトーレ、パオロ・ソレンティーノ、アブデラティフ・ケシシュなどダブっていて誰が貰ってもおかしくない激戦。ノミネート経験者はいても受賞者はいないから誰の手に渡っても初受賞となります。ベルヘルのノミネート喜び談話によると「ついにユーロカップの最終戦に辿りついたようなもの。私はこの素晴らしいチームのキャプテンですが、とても優れた仲間に囲まれ、驚いています。私の映画は競馬に譬えるなら優勝レースの後ろを走っている馬ですけど。授賞式に出席するかって? 勿論行きますよ、夢ですからね。もし受賞できたらチーム皆のお蔭です」だそうです。
★新設されたコメディ賞にアルモドバルの『アイム・ソー・エキサイテッド』、彼はワールド・シネマに貢献したとして栄誉賞を受賞することが決まっていましたから(9月16日)、コメディ賞受賞なら喜びも二重になります。ラ・マンチャの監督は既に1989年新人監督賞を『神経衰弱ぎりぎりの女たち』で、作品賞として1999年の『オール・アバウト・マイ・マザー』、2002年に『トーク・トゥ・ハー』と相性がよく、2006年には『ボルベール』で監督賞、他に本作は女優賞、撮影賞、作曲賞など主要5部門を制しました。この年作品賞を逃したのは、ライバル作品がフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの『善き人のためのソナタ』だったから納得です。
★フアン・アントニオ・バヨナの『インポッシブル』で主役を演じたナオミ・ワッツが、女優賞にノミネートされました。ここのレースも激戦ですね。『アンナ・カレーニナ』のキーラ・ナイトレイ、『ハンナ・アーレント』のバーバラ・スコーヴァ、ナオミ・ワッツも凄い演技だったけど(写真)、バーバラ・スコーヴァかなぁ。いずれにしても代表作の多くがアメリカ映画の女優が候補になるのは珍しいかな。
新喜劇の旗手ダニエル・サンチェス・アレバロ ― 2013年08月25日 14:27
★次回作は、“Paracuellos”というカルロス・ヒメネスの人気コミックの映画化がアナウンスされていましたが違いました。製作もヒット作を量産しているフェルナンド・ボバイラが責任者のMad Produccionesに決定していたのにね。コミックはスペインでも下降線を描いていますから頓挫したのかもしれません。
★第4作となる“La gran familia espanol”(英題“Family United”)の本国公開が9月13日と目前に迫り話題になっています。負け組5人兄弟(一人は欝病、もう一人は身体障害者、ほかの一人は知恵遅れ・・・)のミクロな世界を描きながら、今やEUのお荷物となっているスペインの、嘘でかためた社会が抱えるマクロな問題にメスを入れているようです。彼自身16年間も精神分析を受けている思惑の人だから、書くことで克服しようとしたようです。1970年生れということは年齢的に難しい時期に差しかかっているのかもしれません。背景にはハリウッドの古典、ブロードウェイでもロングランしたスタンリー・ドーネンの『掠奪された七人の花嫁』(1954)への目配せがあるということです。
★キャストは、今年4月惜しくも鬼籍入りしたビガス・ルナの『女が男を捨てるとき』(2006)やイシアル・ボジャインの“Katmandu”で主役を演じたベロニカ・エチェギ(カトマンズ入りしての過酷な条件下の撮影にカルチャーショックを受けた由)。ビガス・ルナのは日本ではクソミソだったが理解されにくいのが残念です。こちらは劇場未公開作品ですが、2012年セルバンテス文化センター土曜映画会で上映されました。男性陣は監督が「義兄ちゃん」と呼んで義兄弟同然のアントニオ・デ・ラ・トーレ(4作オール出演)、『デブたち』以外出演したキム・グティエレス、今年スクリーンで見られたら嬉しい映画の一つ。
(写真:ダニエル・サンチェス・アレバロ)
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