『ペドロ・パラモ』ロドリゴ・プリエトが初監督*ネットフリックスで鑑賞①2024年11月17日 18:04

         ペドロ・パラモの内面と外面の映像化に成功したか?

    

     

 

116日ネットフリックス配信直前の113日、ラテンビート映画祭の特別企画としてヒューマントラストシネマ渋谷で1回切りのスクリーンでの上映会がもたれた。2021年夏、ネットフリックスがフアン・ルルフォの中編小説『ペドロ・パラモ』Pedro Páramo  1955年刊)の映画化を発表した。「ウソでしょ、いったい誰が監督するの?」。1年後、ロドリゴ・プリエトが本作で監督デビューすることが発表された。プロダクションデザインにエウヘニオ・カバジェロ、衣装デザインにアンナ・テラサスが担当することもアナウンスされた。どうやら本当だったらしく、ペドロ・パラモ役にマヌエル・ガルシア=ルルフォ、フアン・プレシアド役にテノッチ・ウエルタで、翌20235月クランクイン、8月に撮影が終了した。本当に驚きました。

    


      (撮影中のロドリゴ・プリエト監督とペドロ役のマヌエル・ガルシア=ルルフォ)

   

★なお原作に言及するので、以下に翻訳書を明記しました。『ペドロ・パラモ』岩波文庫、199210月刊、杉山晃/増田義郎訳、管理人は第1刷を使用した。製作スタッフ、キャスト、ストーリーとデータのみアップしておきます。監督キャリア&フィルモグラフィー、原作者紹介は別途に予定しています。

   


    

 『ペドロ・パラモ』(原題「Pedro Páramo」)

製作:Redrum Production / Woo Films

監督:ロドリゴ・プリエト

脚本:マテオ・ヒル、ロドリゴ・プリエト

原作:フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(Pedro Páramo 

音楽:グスタボ・サンタオラジャ

撮影:ニコ・アギラル、ロドリゴ・プリエト

編集:ソレダド・サルファテ

キャスティング:ベルナルド・ベラスコ

プロダクションデザイン:エウヘニオ・カバジェロ、カルロス・Y・ジャック

美術:エズラ・ブエンロストロ 

衣装デザイン:アンナ・テラサス

製作者:sutacy Perskieペルスキー(Redrum Production)、 ラファエル・レイ(Woo Films)、フランシスコ・ラモス、Gildardo Martinez マルティネス

 

データ:製作国メキシコ、2024年、スペイン語、ドラマ、131分、撮影地メキシコ、期間20235月~8月、配給Netflix、配信開始2024116

映画祭・受賞歴:第49回トロント映画祭2024プラットフォーム部門プレミア上映

 

キャスト

マヌエル・ガルシア=ルルフォ(ペドロ・パラモ)

テノッチ・ウエルタ(フアン・プレシアド、ペドロの息子)

ドロレス・エレディア(エドゥビヘス・ディアダ)

イルセ・サラス(スサナ・サン・フアン、ペドロの最後の妻)

エクトル・コツィファキス(フルゴル・セダノ、パラモ家の管理人)

マイラ・バタジャ(ダミアナ・シスネロス、メディア・ルナの女中頭)

ロベルト・ソサ(レンテリア神父)

ジョバンナ・サカリアス(ドロテア〈ラ・クアラカ〉、フアンと同じ墓に埋葬)

イシュベル・バウティスタ(ドロレス・プレシアド、ドロリータス、ペドロの妻、フアンの母)

ノエ・エルナンデス(ロバ追いのアブンディオ・マルティネス、ペドロの息子)

サンティアゴ・コロレス(ミゲル・パラモ、パブロが認知した息子)

ジルベルト・バラサ(ダマソ〈エル・ティルクアテ〉)

オラシオ・ガルシア・ロハス(ドニス)

ヨシラ・エスカルレガ(ドニスの妹)

アリ・ブリックマン(バルトロメ・サン・フアン、スサナの父親)

ガブリエラ・ヌニェス(マリア・ディアダ、エドゥビヘスの姉)

サラ・ロビラ(子供時代のスサナ・サン・フアン)

セバスティアン・ガルシア(子供時代のペドロ・パラモ)

マイラ・エルモシージョ(ペドロの母)

フリエタ・エグロラ(ペドロの祖母)

フェルナンダ・リベラ(マルガリータ、パラモ家の女中)

アナ・セレステ・モンタルボ(アナ、レンテリア神父の姪)

イリネオ・アルバレス(トリビオ・アルドレテ、不動産鑑定士、縛り首)

エドゥアルド・ウマラン(使い走り)

ほか多数

 

ストーリー:ペドロ・パラモという名の顔も知らない父親を探しておれはコマラにやって来た。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町であった。複数の生者と死者の声が錯綜しながら、切り離すことのできない死と生、存在しない死と生の境界、終わりのない死、人間の欲望、権力の乱用と腐敗、殺人、罪と贖罪、想像と記憶、メキシコ革命、繁栄と没落、ペドロ・パラモの不毛の愛、スサナ・サン・フアンを絶望から救う狂気の世界、ささめきに殺られたフアン・プレシアドの人生が円環的に語られる。            (文責:管理人)

 

 

        本当の主人公「コマラ」の町のコントラストが語られる

 

A: 原作を読んだ人には物足りなく、小説はおろか原作者の名前も初めてという人には時系列がバラバラなので、なかには睡魔に襲われた人もいたのではないか。特に冒頭部分の語り手が頻繁に入れ替わることで時代が行ったり来たりするので、原作を読んでいても記憶が曖昧ですと戸惑います。

B: 原作は70の断片で構成されており、短いのはたったの3行、長いのは数ページに及ぶ。誰が語り手か分かるのと、誰の声なのか分かりづらいのもあるが、冒頭部分を見落とさないようにすれば、全部過去の話だと分かる仕掛けがしてある。

 

A: 映画を機会にこれから小説を読もうとするなら、作家は読者が迷子にならないよう工夫を施していますから、コツを掴むとついていけないほどではありません。点ではなく線と面で登場人物を可視化することをお奨めします。いわゆるペドロ・パラモ「人物相関図」というやつで、ハマります(笑)。

B:最初の語り手は、顔も知らない父親ペドロ・パラモを探しにコマラにやって来たフアン・プレシアド、「おれ」という一人称の語りで始まる。コマラに来る途中で、異母兄弟だというアブンディオというロバ追いに出遭い案内してもらえる。彼が町に着いたらエドゥビヘスの奥さんを訪ねるといいと教えてくれる。

   

     

      (ペドロ・パラモの息子フアン・プレシアド役のテノッチ・ウエルタ)

 

A: フアンが最初に出合った人物が異母兄弟と知らされた私たちは呆気にとられる。どうやら異界に足を踏み入れてしまった。コマラは『百年の孤独』(1967刊)のマコンドと同じ架空の町です。コマラ以外に実際にある町の名の変形版もあったが、最終的には地域を限定したくなかったので Comalaにした。Comal はメキシコ料理の代表格トルティージャを焼く素焼きの薄い皿のことで、熱い火に焼かれる。ロバ追いがコマラは「地獄で火にあぶられる」ように暑い(熱い)とフアンに語っている。伊達にコマラにしたわけではない。

    

B: コマラに入ると、通りがかったショールを被った女にエドゥビヘスの家を教えてもらえ辿り着ける。このショールの女がドロテア、別称〈ラ・クアラカ〉です。ドロテアは産んでもいない息子を探すため寂れてしまってもコマラを去ることができない。一方フアンは母親の遺言を果たすため顔も知らない父親を探しにコマラにやってくる。二人ともこの世に存在しないものを探している。

            

            

         (産んでもいない息子を抱えてコマラを彷徨うドロテア)

 

A: ドロテアはとても重要な登場人物です。半ばに大きな段落が用意されていて、教会の広場で野垂れ死にしていたフアンを埋葬した後、自身もこの世を去る。そういうわけで二人は一緒の墓に眠っている。私たちはフアンの語りの相手が自分たちではなくドロテアだったことに気づかされ、ショックで腰を抜かします。

 

B: フアンの母親ドロレス・プレシアド、愛称ドロリータスは、メディア・ルナの若い女あるじ、ペドロの財産目当ての求婚を愛と勘違いしてしまう甘やかされた女性です。そしてドロリータスの親友だったというドロレス・エレディア1966生れ)扮するエドゥビヘスは、ドロレスより年も若く肌の色も少し白かった女性ですが、映画ではかなり年上で反対に見えた。  

    

   

 (エドゥビヘス役のドロレス・エレディア、ドロリータス役のイシュベル・バウティスタ、

     赤ん坊のフアンを抱く女中のダミアナ・シスネロス役のマイラ・バタジャ)

 

A: 人によって自分が描いていたイメージと違うわけですが、青春時代と後年犯した罪の重さから逃れるために自死してしまうエドゥビヘスを同じ女優に演じさせたことが一因かもしれません。どんなベテラン女優でも年齢には限界があります。後半キャスト紹介を予定しておりますが、フアンより先に死んでいるアブンディオも彼より10歳くらい年上に見えます。小説と映画は別の作品という考えもありますが、本作にはキャスティングミスが幾つかある印象です。

    

      

            (コマラの町を見下ろすフアンとアブンディオ役のノエ・エルナンデス)

 

B: 本作では二人ともペドロが父親という立ち位置は変えられません。エドゥビヘスのケースとは話が違います。ペドロとスサナは、子供時代と中年時代という違いがあるから違和感ありませんが、小説では伏線が張ってあるペドロの生来の悪の部分が見えにくかった。

 

A: エドゥビヘスにペドロのもう一人の息子、17歳で旅立ったミゲル・パラモの死を語らせます。それぞれ息子たちはペドロの分身ですが、ミゲルが一番悪の性格を受け継いでいます。一方ペドロに憧れの女性で最後の妻となるスサナ・サン・フアンを詩的なモノローグで語らせます。あまり幸せそうでないペドロの母親祖母、そして祖父が既に旅立ったことなども語られて、つまり冒頭のいくつかの断片でこの作品の重要人物の大方が出揃うことになります。

B: 欠けているのはレンテリア神父とパラモ家の悪辣な管理人フルゴル・セダノ、貞操を守ったことでパラモ家の女中頭になったダミアナ・シスネロスあたりでしょうか。

  

A: ペドロやドロリータスのモノローグから、コマラという「露の滴る緑豊かな実りのある町」が紹介され、フアンやアブンディオが「泥と粘土に蔽われた死者の町」を紹介します。このコマラという町の二面性がペドロ・パラモを象徴しており、「コマラが本当の意味での主人公」と称される所以です。特にペドロのモノローグは詩的な抒情性に富んでいて、父親ルカス・パラモの殺害者が特定できないので、居合わせた人間を片っ端から殺してしまう残忍さと対照的です。

 

B: 小説と違って、映画ではあっという間に字幕が消えるので、コントラストの違いが分かりづらいかもしれません。セリフはリアリズムで押していくので、その落差が際立ちます。

A: 謎めいたセリフもあるにはありますが、概ねリアリズムです。

 

          ペドロの偶像スサナ・サン・フアンの狂気

      

B: レンテリア神父は、父親をミゲル・パラモに殺された姪アナと暮らしている。神父は兄弟を殺されているわけです。アナはペドロの負の部分を受け継いだ息子ミゲルにレイプされている。

A: 告解室では「ペドロ・パラモの子供を産みました」、または「ペドロ・パラモと寝ました」という女性たちの告解をうんざりするほど聞かされます。しかしペドロは一度として許しを請いに来たことがありません。赤子に罪はないのに神父は、死んだ母親から託されたミゲルをペドロに引き取らせたのでした。

 

B: お産で死んだ母親の代わりにミゲルを育てたのが、パラモ家の女中頭のダミアナ・シスネロスでした。この登場人物もドロテア級の重要さを秘めています。

A: 夫の嫌がらせに心が壊れてしまっていたドロリータスが、フアンを連れて家を出るまでの短期間でしたが、母親の代わりにフアンを育てたのがダミアナでした。後で触れますが、彼女はアブンディオ・マルティネスが父親であるペドロを刺し殺す現場にいて巻き添えになって命を落とします。何が重要かと言うと、フアンとペドロ・パラモを死の世界に呼び入れ付き添っていく女性だからです。エドゥビヘスの家へメディア・ルナからフアンを迎えに駆けつけ、彼を死の世界へ導いていく女性です。登場は遅いですが女性の重要人物 5人のなかの一人です。

   

     

 (上段左から、ドロテア、ドロリータス、中段スサナ、下段ダミアナ、エドゥビヘスの5人)

 

B: ダミアナはコマラではなくメディア・ルナで眠っているから、フアンを迎えに来るのに「時間がかかってしまった」と語っている。映画はエドゥビヘスが手にする明りを蝋燭、ダミアナにはランプを持たせることで、二人が死んだ時代の違い、刻の流れを語らせているようです。ルルフォは明りとするだけで区別はしておりませんが。

 

A: 時代考証をしたのでしょう。小説でも二人の突然の入れ替わりの理由が分かるまで時間が必要な断片です。映画では猶更ですね。5人目となるスサナ・サン・フアンは、母親の死を機に鉱山で働いていた父バルトロメ・サン・フアンと大嫌いなコマラを去る。しかし革命の噂に不安を感じたバルトロメは、嫌な予感を振り払って、不穏になった町から未だ影響の少なかった地方の町コマラに娘と30年ぶりに戻る決心をする。

B: 実はペドロが手をまわして帰郷させたわけですね。コマラを出たのが12歳かそこいらとすると42歳くらいになっている。日本でも認知度の高いイルセ・サラスをがちがちに減量させている。

   

     

                (悔い改めるべき罪は犯していないスサナ・サン・フアン)

  

A: 既に心が折れてしまっていたスサナに昔の面影はない。年代が特定できる手掛かりはメキシコ革命(191017)と、その後のクリステロスの反乱(192629)だけですから、逆算すると二人は1869年か1970年くらいに生まれていたことになる。母親の死が7日前とか、ペドロとドロレスの結婚式は43日、またはスサナ死亡は128日のように、月日は明確にしているが何年かは示さないので類推するしかない。おそらくスサナが戻るのは1910年以降に設定されている。

   

        

           (旅立つスサナとレンテリア神父、なすすべのないペドロとダミアナ)

 

B: 「バルトロメ女房のスサナが戻った」とペドロに知らせるのがフルゴル・セダノ、ペドロから女房でなく娘だと訂正される。するとフルゴルもペドロのスサナへの愛を知らないことになりますね。

A: 人を介してずっと探し回っていたのに、自分の弱みを腹心の部下フルゴルにも悟られないようにしていたわけです。この用心深さ、用意周到さがなければ地方地主とはいえ権力者にはのし上がれない。父娘は近親相姦の関係にあり、ペドロにとってバルトロメは邪魔者、バルトロメにとっても憎しみそのものでしかない。ペドロは「邪魔者は消せ」とフルゴルに指示、トリビオ・アルドルテをエドゥビヘスのバルの奥の部屋で縛り首にしたように、さっそく事故に見せかけて亡き者にしてしまう。スペイン語の Fulgor の意味は皮肉にも文章語で使用する「光輝、見事」という意味なのです。

   

B: スサナは自分の意図に反してだが罪を犯しているので天国には行けないと思っている。トラウマを克服するための避難所として狂気の世界に逃げ込んでいる。

A: 結果、フロレンシオという想像の夫をつくり出す。小説に現れるのも名前だけで謎の人物です。スサナは父親とだけ暮らしていて、誰とも結婚していない。スサナのモノローグから、彼女が「あの人」と呼ぶ男性と海で裸で泳ぐシーンが挿入されています。スサナは実際の海を知らないはずですが、ここはトラウマがつくり出す想像が記憶の一部となっている部分で、記憶を改竄しているのではない。

     

         

               (盛装してスサナを迎え入れるペドロ・パラモと女中頭ドロレス)

   

B: スサナのモノローグを聞いたのはフアンである。彼とドロテアはスサナの墓の近くに埋葬されているから、フアンはスサナのモノローグを聞くことができた。

A: この断片は、スサナの声をフアンとドロテアが聞くという複雑な構造をしていて、小説でも面白い部分です。ほかにもスサナが死んだ母親のことを語る部分をフアンとドロテアに語らせる断片もあります。

B: プリエト監督は、撮影監督としてスタートしただけに映像は抜群に素晴らしかったが、スサナの箇所は引っ張りすぎかな。

 

         謎の登場人物ドニスとその妹――フアンが生み出した幻覚 

   

A:  スサナが生み出したフロレンシオのほかに、フアンが死ぬ間際に出合うドニスとその妹も謎の人物です。フアンが出合ったとき、二人が生きているのか死んでいるのか彼には分からない。

B: 私たちにも同じく分からない。フアンは二人を夫婦と思っていたが、女は「妹だ」と応えている。

A: 女は罪を犯したので「体の内側は土と粘土でどろどろしている」とフアンに語る。ルルフォによると、二人はそもそも「存在していない」とインタビューで語っている。フアンの「死の恐怖がもたらした幻覚だ」としている。フアンを捉えている死を先導する幻覚だというわけです。だから女がどろどろに溶け出すのも不思議ではないわけです。

   

        

                     (ヨシラ・エスカルレガが演じたドニスの妹)

 

B: しかし小説では、ドロテアが教会の広場で死んでいるフアンを見つけたとき、彼女はドニスが通りがかるのを見ている。ドニスも幻覚だと変に思えるが。

A: 謎の多い断片ですね。最初何が起きたのか分からない断片でも、作家は予期しないところで突然種明かしをする。しかしここはしていないのでよく質問されるそうです。複雑だが独立しているように思えます。とにかくルルフォは人が悪い作家、読者を翻弄するのが好きなのです。

 

B: 死者の世界では人物は時間を無視して交錯するが、死者と生者は交わらないようです。

A: もっとも死と生は切り離すことができないし、その境界もあいまいです。ペドロは息子と称するロバ追いのアブンディオに刺されて死ぬのですが、スサナを失ったときから少しずつ体の一部が死んでいく。それより前のミゲルの死から既に始まっているとも言えます。

 

B: メディア・ルナの玄関先に置かれた籐椅子に案山子のように座ったままのペドロは、刺される前に既に死んでいるとも解釈できる。

A: まだこちら側にいますが、ペドロより少し前に息を引き取ったダミアナ・シスネロスが、彼の肩に手を置いて「お昼ご飯もってきましょうか」と尋ねる。ペドロは「あっちへ行くよ。今行くよ」と答えるシーンでやっと此の世を去ることができた。

 

B: 最後のシーンには呆気にとられましたが。

A: 最後のシーンからフアン・プレシアドがコマラに到着した冒頭に戻り、円環的にぐるぐる回って終りがない小説だと思っていました。解釈は複数あって当然ですが、これでは冒頭に戻れないのではないか。積み残しのテーマが幾つかありますが、長くなったので一旦休憩して、原作者、監督、脚本家、キャスト紹介をしながら、最後のシーンにも触れたいと思います。


ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』②*原作者紹介2024年11月22日 19:25

            フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』の映画化

 

★前回ロドリゴ・プリエトが監督した『ペドロ・パラモ』の鑑賞記をアップしましたが、原作者並びに監督以下のスタッフ、キャスト紹介が積み残しになっていました。原作者の詳細な紹介までしないのですが、今回は作家の人生が映画(小説は勿論)と深く関わっているのでアップすることにしました。日本語版ウイキペディアからも情報を得られますが、生まれた年に1917年と1918年の2説あることもあり、また過去に製作された『ペドロ・パラモ』、短編集『燃える平原』に収録された短編のなかから選ばれて映画化された短編映画などを紹介したい。

 

       

 (ヘビースモーカーだったフアン・ネポムセノ・カルロス・ペレス・ルルフォ・ビスカイノ)

 

フアン・ルルフォ Juan Nepomuceno Carlos Perez Rulfo Vizcaino1917516日(1918年説あり)、メキシコのハリスコ州のサユラ地区アプルコ生れ(198617日、メキシコシティ没)、作家、写真家、歴史家、会社員。1922年、ホセフィナ学校に入学、初等教育を受ける。翌年6月、牧場主であった父親が殺害され、母親も4年後の192711月に亡くなった。学校がクリステロの反乱192629)で閉鎖されたため、1927年、叔父の判断でグアダラハラのルイス・シルバ学校に入学する。1929年、母方の祖母が住んでいたサン・ガブリエルに移り一緒に暮らすことになったが、その後グアダラハラのルイス・シルバ孤児院に預けられる。両親の死、続いて起きたクリステロの恐怖を目撃するという幸せとはほど遠い少年時代を送ったことになる。

 

クリステロGuerra Cristeraの反乱:1917年メキシコ憲法第130条でカトリック教会の権力制限が強化され、政教分離に基づき国家が宗教に優先することが決定される。教会や神学校の閉鎖が相次いだ。19266月カジェス大統領が第130条に違反した聖職者および個人に対して特定の罰則を定めた「刑法改正法」(カジェス法)に署名、同年8月にグアダラハラで暴動が発生、内戦状態になった。多くの司祭が追放並びに殺害されたが、1929年カジェスの傀儡だったエミリオ・ボルテル・ヒル臨時大統領が譲歩して、1929年、一応の終結を見た。193812月、ラサロ・カルデナス大統領によりカジェス法は廃止された。他国と戦った戦争ではない内戦だったので反乱とした。

 

1930年、雑誌「メキシコ」に参加する。1933年、グアダラハラ大学への入学を考えていたが、大学がストライキ中であったため、メキシコシティのコレヒオ・デ・サン・イルデフォンソ(メキシコ自治大学UNAMの大学予備校)の聴講生になり、1934年から4年間、UNAMのメキシコ哲学文学部での講義に出席した。大学進学過程を終了していなかったので入学資格はなかった。

 

1937年、内務省の文書係に採用され、同年詩人のエフレン・エルナンデスと親交をもち友情を築いた。後には作家フアン・ホセ・アレオラと出合い終生友情を育んだ。翌年には内務省の委託を受けてメキシコの各地を巡る視察の旅をするという幸運に恵まれた。これはその後の彼の作品に生かされることになる。1934年ころから書き始めていた短編を雑誌に発表し始め、1941年からはグアダラハラの出入国移民局に勤務し、次いで1947年から5年間、グッドリッチ・エウスカディ社の職長として働いている。ほか1962年から没するまで、メキシコシティの国立先住民協会のエディターを務めました。1944年に知り合ったクララ・アパリシオ1947年(英語版ウイキペディア1948年)に結婚、4人の子供の父親になった。因みに1964年に生まれた末子フアン・カルロス・ルルフォ・アパリシオが、後述するように映画監督として現在活躍中である。

 

         文学的なキャリアとレガシー、写真集の出版

 

★作家としては、1945年から1951年にかけて雑誌「パン・イ・アメリカ」などに発表した短編15作を収録した『燃える平原』を1953年に上梓した。なかで1950年に発表された El llano en llamas がタイトルに選ばれ、妻クララに捧げられている。1953年から翌年にかけて、1955年に中編小説『ペドロ・パラモ』として出版されることになるオリジナル原稿を3つの異なる雑誌に発表、1つ目のタイトルは Una estrella junto a la runa(仮訳「月のかたわらの星」)、2つ目は Los murmullos(同「ささめき」)、3つ目が小説の舞台である田舎町の名前 Comala でした。しかし最終的には主人公の名前 Pedro Páramo で刊行されたが、真の主人公はコマラです。

      

     

              (『ペドロ・パラモ』の初版表紙)

 

★『燃える平原』の翻訳書は、アンデスの風叢書の1冊として、199011月に刊行され、のち文庫化された。以下の邦題は訳者杉山晃の邦訳によった。代表作は1945「おれたちのもらった土地」1946「マカリオ」1947「おれたちは貧しいんだ」1948「コマドレス坂」1950「タルパ」とタイトルになった「燃える平原」、1951「殺さねえでくれ」、先述したように1953年に『燃える平原』として刊行している。最初のオリジナル版のタイトルは、Los cuentos del tío Celerino(仮訳「セレリノおじさんの寓話」)で15作でした。セレリノ叔父は実在の人でルルフォを旅に連れだして見聞を広めてくれた人だと後年語っている。1971年に「犬の声は聞こえんか」「マティルデ・アルカンヘルの息子」2編が追加され、現在の17作になった。またフレディ・シソが映画化した「殺さねえでくれ」は、メキシコ革命時代にあった実話をベースにしているということです。

 

       

                (『燃える平原』の表紙)

 

★『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』の2冊だけでラテンアメリカ文学を代表する作家になったわけですが、ほかに短編集に入らなかった初期の作品、語り手が女性という Un pedazo de noche(仮訳「夜の断片」、1980年刊 El gallo de oro y otros relatos に収録)などがある。さらに1956年から1958にかけて2番目となる小説 El gallo de oro を書いた。ガルシア・マルケスカルロス・フエンテスが脚本を共同執筆したことで知られる、ロベルト・ガバルドン1964年に監督した『黄金の鶏』(邦題は「メキシコ映画祭1997」による、未公開)である。映画の台本として書かれたという理由で小説と見なされなかった。

  
  

                           (2017年刊のソフトカバー版の表紙)

 

★しかしルルフォによると「印刷される前に、ある映画プロデューサーがこの小説に興味をもち、映画の台本用に脚色されたのです。この作品も以前の作品同様、そのような目的で書かれたのではありません。要するに、台本としてしか私の手に戻っこず、再構築するのは容易でなくなった」。台本として書いたのではなく、これまでと同様、小説として書いたということです。この小説は1980年まで出版されなかったが、ずさんな版だったようで、本作のほかに、短編集に選ばれなかった初期作品など14編が含まれている。スペイン語版ウイキペディアによると、2010年版で多くの誤りが訂正され、独語、伊語、仏語、ポ語への翻訳が行われた。

     

        

★写真家として、6000枚のネガを残しました。作家の死後、遺族によって設立されたルルフォ財団が所蔵しており、選ばれた一部が刊行されている。El Mexico de Juan Rulfo 1980)、"100 Fotografias de Juan Rulfo"2010)など。また私たちは私たちの過去を知ることが必要であると、ハリスコ州の征服と植民地化についての書籍もあり、彼は歴史家でもあった。

 

           映像作家を刺激し続けるルルフォの作品たち

 

★ルルフォの作品は、短編を含むと結構の数が映画化されている。玉石混淆ですが、以下に年代順に列挙します。映像は保証の限りではありませんが、YouTubeで見ることができるものもあります。本作『ペドロ・パラモ』も、1967年にカルロス・ベロがペドロにジョン・ギャビンを起用して撮ったモノクロ版があり、カンヌ映画祭1967のコンペティション部門に選ばれている。撮影監督がメキシコ映画黄金期を代表するガブリエル・フィゲロアで、先述のガバルドンの『黄金の鶏』も彼が手掛けている。メキシコ時代のルイス・ブニュエルと『忘れられた人々』、『ナサリン』、『砂漠のシモン』など何作もタッグを組んだ撮影監督としても有名です。

 

      

     

              (ペドロの二人の息子の出合い、フアンとアブンディオ)

 

        

        

        (ドロレスに求婚するようフルゴル・セダノに指示するペドロ)

        

★ルルフォの創作の主軸には、父親の不在と憎悪があり、背景にはメキシコ革命とクリステロの反乱の結果がある。革命によって土地所有者の権利がなくなったわけでもなく、ルルフォに限らず多くの家族の崩壊をもたらした。特別なことを何も持たない「普通の人々」を登場人物にしたルルフォの作品には、孤独が付きまとう、彼にとって書くことは苦しみであったに違いない。作家が寡作なのは、2冊ですべてを書ききったからでもあるでしょうが、この絶対的な孤独の存在も理由の一つだろうと思います。

  

1956年「タルパ」長編、監督、短編集『燃える平原』収録作品の脚色

1964年『黄金の鶏』(邦題メキシコFF1997による)長編、監督ロベルト・ガバルドン

1965年「La fórmula secreta」中編42分、監督ルベン・ガメス、

    1980年刊の El gallo de oro に含まれた詩がベース

1967年「ペドロ・パラモ」監督カルロス・ベロ、カンヌFF1967正式出品

1972年「El Rinn de las Vírgenes」監督アルベルト・アイザック、

    短編集収録の「アナクレト・モローネス」と「大地震の日」の脚色

1985年「殺さねえでくれ」ベネズエラ製作、監督フレディ・シソ、短編集収録作品の脚色

1986年「El imperio de la fortuna」監督アルトゥーロ・リプスタイン、

            “El gallo de oro がベース

1991年「ルビーナ」監督ルシンダ・マルティネス、短編集収録作品の脚色

1996年「Un pedazo de noche」短編30分、監督ロベルト・ロチン、初期短編の脚色

2008年「Burgatorio」(仮訳「煉獄/苦悩」)短編23分、監督ロベルト・ロチン、

    短編集収録「北の渡し」、初期短編「Un pedazo de noche」、「Cleotilde」を脚色、

    アリエル賞2000短編賞を受賞

2014年「マカリオ」短編24分、監督ジョエル・ナバロ、短編集収録作品の脚色

2024年『ペドロ・パラモ』監督ロドリゴ・プリエト

(以上、TVシリーズは割愛)

 

★映画監督になった末子フアン・カルロス・ルルフォ・アパリシオは、ドキュメンタリー映像作家として、パートナーのバレンティナ・ルダック・ナバロと二人三脚で活躍している。IMDbによると、代表作は監督が父親ルルフォを探してハリスコを旅する「Del olvido al no me acuerudo」(99)で、アリエル賞のオペラプリマ賞、編集賞ほか、モントリオールFFの初監督作品賞など多数の受賞歴がある。作家で親友だったフアン・ホセ・アレオラ、母クララなどが出演している。父親に関係する作品は本作だけのようです。2006年に撮った「En el hoyo」は、国際映画祭巡りをした話題作、アリエル賞2007のドキュメンタリー賞他、サンダンス、カルロヴィ・ヴァリ、グアダラハラ、リマ、マイアミ、各映画祭の受賞歴多数。メキシコ先住民のサンダル履きのマラソンランナーを描いた、『ロレーナ:サンダル履きのランナー』201928分)が、ネットフリックスで鑑賞できる。100キロのウルトラマラソンの勝者、美しい風景と民族衣装、感動します。

 

★次回は監督以下、スタッフ、キャスト紹介を予定しています。

  

ロドリゴ・プリエトの『ペドロ・パラモ』③*監督&スタッフ紹介2024年11月26日 16:09

          『ペドロ・パラモ』で監督デビューしたロドリゴ・プリエト

   

      

      (Deadline のインタビューを受けるプリエト監督、20241124日)

 

ロドリゴ・プリエトといえば、一般的にはマーティン・スコセッシの『沈黙―サイレンス』(16)、『アイリッシュマン』(19)、最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(23)、アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』(05)、ベネチア映画祭2007の金のオゼッラ賞受賞作『ラスト・コーション』、ベン・アフラックの『アルゴ』(12)、グレタ・ガーウィグの『バービー』とアメリカ映画の撮影監督として知られています。上記のデッドラインのインタビューで、『バービー』と『キラーズ~』の撮影の合間を縫って『ペドロ・パラモ』を何回も読み返し推敲したと語りました。

  

      

       (『沈黙―サイレンス』撮影中のマーティン・スコセッシと)

 

★しかしスペイン語映画ファンとしては、もうアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのデビュー作『アモーレス・ぺロス』に尽きます。2000年、カンヌ映画祭併催の「批評家週間」で鮮烈デビュー、作品賞を受賞した。第1話に主演したガエル・ガルシア・ベルナルは、メディアのインタビュー攻めに「天地がひっくり返った」と語ったのでした。その後の快進撃は以下のフィルモグラフィーの通りです。2009年、ペドロ・アルモドバルの『抱擁のかけら』でタッグを組み、アルモドバル嫌いからは「どこを褒めたらいいか分からない」と酷評されましたが、プリエトの映像美は高い評価を受け、スペインのシネマ・ライターズ・サークル賞を受賞した。

   

     

 (『BIUTIFULビューティフル』撮影中のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥと)

  

キャリア紹介1965年メキシコシティ生れ、撮影監督、映画監督。国籍はメキシコと米国、ロサンゼルス在住。祖父はサンルイス・ポトシ市長、メキシコシティ知事、下院議長を務めた政治家、政治的対立で迫害されテキサスに亡命、後ロサンゼルスに移る。父はニューヨークで航空工学を専攻、結婚後メキシコに戻りロドリゴが誕生した。彼は1975年設立された国立機関の映画養成センターCCCCentro de Capacitación Cinematográfica)で学んでいる。2021年ヴィルチェク財団が選考するヴィルチェク映画賞を受賞、2023年にはモレリア映画祭の審査員を務めている。監督として、2013年、製作国米国の短編「Likeness」(9分、英語)をトライベッカ映画祭に正式出品、2019年には「R&R」(6分、米、英語)を撮っている。『ペドロ・パラモ』で長編監督デビューした。

   

      

  (金のオゼッラ賞を受賞した『ラスト、コーション』撮影中のアン・リーと)

 

フィルモグラフィー(本邦公開作品、短編、TVシリーズ、ミュージックビデオは割愛)

1991El jugador」メキシコ、デビュー作、監督ホアキン・ビスナー

1996Sobrenatural」メキシコ、監督ダニエル・グルーナー、1997アリエル賞初受賞

1996『コロンビアのオイディプス』(「Oedipo alcalde」邦題はキューバFF2009による)

   コロンビア・スペイン合作、監督ホルヘ・アリ・トリアナ

作品紹介記事は、コチラ20140427

1998Un embrujo」メキシコ、監督カルロス・カレラ、

   1999アリエル賞サンセバスチャンFF受賞

2000『アモーレス・ぺロス』メキシコ、監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

   2001アリエル賞、ゴールデン・フロッグ賞受賞

2001『ポワゾン』米国、監督マイケル・クリストファー

20028 Mile』ミュージカル、米国・独、監督カーティス・ハンソン

200225時』米国、監督スパイク・リー

2002『フリーダ』米国・カナダ合作、監督ジュリー・テイモア

2002『彼女の恋から分かること』米国、監督ロドリゴ・ガルシア

 

200321グラム』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

2004『アレキサンダー』米国、監督オリバー・ストーン

2005『ブロークバック・マウンテン』米国、監督アン・リー、アカデミー賞ノミネート

   シカゴFFダラス・フォートワースFFフロリダFF、各映画批評家協会賞受賞

2006『バベル』米国、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、

2007『ラスト、コーション』米国、監督アン・リー、ベネチアFF金のオゼッラ賞受賞

 

2009『抱擁のかけら』スペイン、監督ペドロ・アルモドバル、

   シネマ・ライターズ・サークル賞受賞

2009『消されたヘッドライン』米国、監督ケヴィン・マクドナルド

2010BIUTIFULビューティフル』スペインとの合作、スペイン語、

   監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、アリエル賞受賞

2010『ウォール・ストリート』米国、監督オリバー・ストーン

2011『恋人たちのパレード』米国、監督フランシス・ローレンス

 

2012『アルゴ』米国、監督ベン・アフラック

2013『ウルフ・オブ・ウォールストリート』米国、監督マーティン・スコセッシ

2014『ミッション・ワイルド』米国・フランス合作、トミー・リー・ジョーンズ

2014『夏の夜の夢』米国、監督ジュリー・テイモア

2015『沈黙-サイレンス』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート

 

2016『パッセンジャー』SF、米国、監督モルテン・ティルドゥム

2019『アイリッシュマン』米国、監督マーティン・スコセッシ、アカデミー賞ノミネート

2020『グロリアス 世界を動かした女たち』米国、監督ジュリー・テイモア

2023『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』米国、監督マーティン・スコセッシ、

   アカデミー賞ノミネート、サンディエゴFFサンタ・バルバラFFダブリンFF

   各映画批評家協会賞受賞

2023『バービー』米国、監督グレタ・ガーウィグ、

   ナショナル・ボード・オブ・レビュー、他多数

2024『ペドロ・パラモ』メキシコ、監督、共同撮影ニコ・アギラル

 

★以上、公開作品、受賞作品を中心に列挙しました。映画祭ノミネートがトータル129という驚異的な数には恐れ入ります。ノミネートはオスカー賞4作(スコセッシ3作、アン・リー1作)のみアップしました。イニャリトゥがオスカーを受賞した『バードマン~』と『レヴェナント 蘇えりし者』の撮影監督はエマニュエル・ルベッキでした。プリエトと同世代の彼はオスカー像を3個も貰っています。「賞を貰うために仕事をしているわけではない」ですけど。

 

★脚本を共同執筆したマテオ・ヒル・ロドリゲス Mateo Gilは、1972年カナリア諸島のラス・パルマス生れ、スペインの監督、脚本家、製作者。アレハンドロ・アメナバルのデビュー作『テシス、次に私が殺される』(96)の共同脚本家、助監督としてスタートした。長編デビュー作「Nadie conoce a nadie」(99)が東京国際映画祭2000に『ノーバディ・ノウズ・エニバディ』の邦題で正式出品され、翌年『パズル』で公開された。『アモーレス・ぺロス』が作品賞を受賞した年でした。

  

★2004年のアメナバルの『海を飛ぶ夢』では、監督と脚本を共同執筆、ゴヤ賞オリジナル脚本賞を受賞、さらに本作はアカデミー賞2005の外国語映画賞受賞作品でした。ネットフリックスTVシリーズ『ミダスの手先』(206話)のクリエーター、脚本も執筆している。

(写真下は視聴覚媒体におけるアーティストの福利厚生及びプロモーションを援助する財団AISGE のインタビューを受けたときの最新フォト)

   

      

      (AISGEのインタビューを受けるマテオ・ヒル、2024114日)

 

★かつて「ペドロ・パラモ」を監督する企画があり脚本も執筆した。しかし資金が底をついて実現に至らなかった。舞台となるコマラの町のセットも二つ必要でしたから、ネットフリックスの資金援助がなければ難しかったと思われます。その際の脚本がたたき台になったようですが、監督と脚本家もそれぞれ異なるビジョンがあり、削除したいシーン、追加したいシーンを徹底的に議論したようです。今回は脚本を手掛けているので、脚本に絞ってキャリアを紹介したい。

(短編は割愛しました)

 

1996『テシス、次に私が殺される』監督アレハンドロ・アメナバルとの共同執筆

1997『オープン・ユア・アイズ』同上

1999『パズル』(TIFFタイトル「ノーバディ・ノウズ・エニバディ」)監督、

   脚本はフアン・ボニジャとの共同執筆

2001『バニラ・スカイ』(『オープン・ユア・アイズ』のリメイク版

   監督、脚本キャメロン・クロウ、原案アレハンドロ・アメナバル&マテオ・ヒル

2004『海を飛ぶ夢』監督アメナバル、監督との共同執筆、

   ゴヤ賞2005オリジナル脚本賞受賞

2005El método」アルゼンチン・伊・西、監督マルセロ・ピニェイロ、監督との共同執筆

   ゴヤ賞2006脚色賞受賞、アルゼンチン映画アカデミー賞脚色賞受賞

2009『アレクサンドリア』監督A・アメナバル、監督との共同執筆、

   ゴヤ賞2010オリジナル脚本賞受賞

2016RealiveSF、監督&脚本マテオ・ヒル、ファンタスポルト作品賞&脚本賞受賞

2018『熱力学の法則』監督&脚本マテオ・ヒル、マイアミFF監督賞受賞、Netflix配信

2024『ペドロ・パラモ』監督ロドリゴ・プリエト

  

2011『ブッチ・キャシディ―最後のガンマン―』は監督のみで、脚本はミゲル・バロスが執筆した。トライベッカFFでプレミア、トゥリア賞2012新人監督賞受賞、ゴヤ賞2012監督賞にノミネートされた。

 

El método」の紹介記事は、コチラ20131219

『熱力学の法則』の紹介記事は、コチラ20180402

 

★音楽を手掛けたグスタボ・サンタオラジャ(ブエノスアイレス1951)は、アルゼンチンのミュージシャン、『バベル』と『ブロークバック・マウンテン』でオスカー像をゲットしたほか、オンライン映画テレビ協会賞、ほかラスベガスとサンディエゴ映画批評家協会賞など受賞歴多数。『アモーレス・ぺロス』とBIUTIFULビューティフル』ではアリエル賞、ウォルター・サレスの『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)とダミアン・シフロンの『人生スイッチ』(14)でアルゼンチン映画批評家協会賞など活躍の舞台は国際的です。

『人生スイッチ』での紹介記事は、コチラ20150119同年0729

  

    

               (グスタボ・サンタオラジャ)

  

★次回はキャスト紹介を予定しています。