『ミューズ・アカデミー』J・L・ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ②2015年10月06日 12:35

        ロカルノ映画祭の話題作は、言語についてのパッションがテーマ?

 

★日本ではビクトル・エリセのお墨付き監督ということで(実際にお弟子さん)、ゲリンを待っているコアなファンが多く、東京国際映画祭TIFFの常連さんでもある。『シルビアのいる街で』(08)のヒット以来、ドキュメンタリー『ゲスト』(10)、同『メカス×ゲリン 往復書簡』(11)と今回で4本は異例の多さではないでしょうか。『シルビアのいる街で』が20108月に公開されたのを機にイメージフォーラムで特集が組まれ、全作品が1週間にわたって上映されました。勿論ゲストとして来日、その驕らない誠実さでファンを魅了、彼がQ&Aに出席した回は満席だった。

 

★製作国はスペイン、言語はスペイン語、カタルーニャ語、イタリア語が混在、TIFFの原題がイタリア語のL’Accademia delle Museなのは、ロカルノ映画祭がワールド・プレミアだったことと思われます。スイス南部に位置するロカルノ市はイタリア語圏、IMDbが採用しているのはスペイン語題のLa academia de las musasです。英題が“The Academy of Muses”、邦題は英題のカタカナ起しといういささか込み入っています。込み入っているのは言語やタイトルだけでなく、テーマそのものらしい。これについては鑑賞後に回すとして、TIFFの作品解説からもその一端が窺えます。

 


★前回「ジャンルはドキュメンターとあるが・・・」と疑問を呈しておきましたが、道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、これは紛れもなく「フィクション」です。作品解説に「バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテの『神曲』における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における〈女神論〉を講義する・・」とあるように、導入部は同大学での授業風景から始まる。ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、その他のキャスト、講義を受ける学生たちも実際のファーストネームで登場するようです。

 


★ゲリンは「とりたてて事件は起こらない」とロカルノでのインタビューで語っているが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおくゲリンは、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは観客に委ねられた。セリフは極力抑えられ無声映画に近かったと思います。しかし新作は「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとコメントしている。

 

★哲学論の講義など、普通は退屈のあまり睡魔と闘うものだが、ここでは白熱すようだ。「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」、同化できるかどうか、試してみるのも面白いか。


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