『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』*東京国際映画祭2015 ④2015年11月03日 16:46

 

★ロドリゴ・プラ監督とサンディノ・サラビア・ビナイ(プロデューサー)氏を迎えてのQ&Aがあり、個人的に来日を期待していたプラ夫人ラウラ・サントゥリョさんの登壇はありませんでした。本作は夫人の同名小説の映画化(2013Estuario社刊)今回も脚本を担当しています。監督のデビュー作以来、二人三脚で映画作りをしています。既に「ベネチア映画祭2015」で作品紹介をしておりますが、まだデータが揃っておりませんでした。今回監督のQ&Aを交えて改めて再構成いたしました。上映は3回あり最終日の1030日に鑑賞、Q&A司会者はコンペのプログラミング・ディレクター矢田部吉彦氏。部分的にネタバレしております。(写真下は小説の表紙)

 


    『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』原題Un monstruo de mil cabezas

製作:Buenaventura

監督・プロデューサー:ロドリゴ・プラ

脚本・原作:ラウラ・サントゥリョ

撮影:オデイ・サバレタ(初長編)

音楽:レオナルド・ヘイブルム(『マリアの選択』)、ハコボ・リエベルマン(“Desierto   adentro”)

音響:アクセル・ムニョス、アレハンドロ・デ・イカサ

美術:バルバラ・エンリケス、アレハンドロ・ガルシア

衣装:マレナ・デ・ラ・リバ

編集:ミゲル・シュアードフィンガー

プロデューサー(共同):アナ・エルナンデス、サンディノ・サラビア・ビナイ

データ:製作国メキシコ、スペイン語、2015、サスペンス、75分、アジアン・プレミア、撮影地メキシコ・シティー、公開:フランス2016316日、メキシコは未定

*ベネチア映画祭2015「オリゾンティ」正式出品、モレリア映画祭メキシコ映画部門、その他ロンドン、ワルシャワ、ハンプトン(USAバージニア州)各映画祭に正式出品

 

キャストハナ・ラルイ(ソニア・ボネ)、セバスティアン・アギーレ・ボエダ(息子ダリオ)、エミリオ・エチェバリア(CEOサンドバル)、ウーゴ・アルボレス(ビジャルバ医師)、ダニエル・ヒメネス・カチョ、マルコ・アントニオ・アギーレ、ベロニカ・ファルコン(ロレナ・モルガン)、ハロルド・トーレス、マリソル・センテノ 

 

プロット:癌でむしばまれた夫を自宅介護する妻ソニアの物語。夫婦は医療保険に加入しているが、保険会社の怠慢やシステムの不備や腐敗で正当な治療を受けられない。怒りと絶望におちいったソニアは、ある強硬手段に訴える決断をする。息子ダリオと一緒に保険会社を訪れたソニアは、無責任と不正義、汚職の蔓延に振り回され、事態はあらぬ方向へと転がりだしていく。ソニアは夫を救えるか、本当の目的は果たして何だったのか、前作『マリアの選択』のテーマを追及するスピード感あふれる社会派サスペンス。

 

     不正がまかり通ると何が起こるかについての教科書

 

A: 何が起こるかというと、怒りが爆発して人間は猪突猛進するというお話しです。イエロー・カードでは済まされないソニアの憤激は頂点に達する。

B: 日本のような公的医療保険のないメキシコでは、ソニアの家族のようなミドル階級は私的な医療保険に加入している。映画でも夫婦は15年以上支払っているという設定になっていた。

A: 然るにいざ病気になっても医療費は下りない。いろいろ難癖をつけて支払いを拒絶する。日本のように国民皆保険の国では少し分かりづらいかもしれない。先述したように本作はラウラ・サントゥリョの同名小説の映画化、彼女によると複数の友人たちから医療費を請求しても支払いを拒絶され、担当医師とも悶着がおこるという話を聞いた。試しにネットで検索したら文句を書きこんでいる人がゾロゾロ出てきた。それでこれは小説になる。

 


B: ソニアの家族のような保険金不払いが実際起こっていたのですね。Q&Aでも監督が「メキシコではこういう事件が起こってもおかしくない」とコメントしていた。

A: 勿論、ソニアのような行動に出た人が実在したわけではありませんよ()。保険加入者は支払っている間は大切なお客さんだが、病人になったら厄介者でしかない。保険会社は営利団体だから利益を上げなければならない、公的医療の不備を補う人権団体ではないというわけです。

 

B: 医師も平気でカルテに嘘の記述をする。そうすれば見返りの礼金が舞い込むシステムになっている。人権とか倫理とかの意識はなく、贅沢三昧の生活を選択する。映画を見ればだいたい想像できますが、タイトルについての質問がありました。

A: ソニアが盥回しになるのは、会社の無責任体制、命令系統が縦割りでCEOにさえ決定権がない。脳みその足りない頭が千もあるモンスターということからついた。組織の安全弁として誰も責任をとらないで済むようにしているわけです。黒幕の顔は見えない、保険会社のCEOでさえ将棋の駒なんです。

B: サンドバルは最高責任者だと思っていたのに自分のサインだけじゃドキュメントが有効にならないのに呆れていた。凄いブラックユーモア、これはシリアス・コメディでもあるね。

 

      実は観客が見ているシーンのメインはフラッシュバック

 

A: 一番感心したのは映画の構成、途中から観客が見ているというか見せられているシーンが過去の出来事と分かる仕掛けをしている。刻一刻と近づいてくる夫の死をなんとか押し止めようと強硬手段に打って出たと思っていたのに、裁判シーンでの<影の声>が聞こえてきて「これはフラッシュバックじゃないか」と初めて気が付く。

B: 時系列に事件を追っていると思っていたのに、現在点はあくまで目下進行中のソニアの裁判だと分かってくる。

A: 短い<影の声>の証言が挿入されると、それにそってスクリーンに事件の推移が映し出される。見なれたフラッシュバックはこれと反対ですものね。

B: ラストに法廷シーンが映しだされる。やっと現在に戻ってきたと思いきや、2分割4分割されてどうもおかしい。開廷が宣言され被告人ソニアが入ってくるはずが別の女性が入ってくる。このシーンは実際に行われた本当の裁判を特別の許可を得て撮影したと明かしていました。最後の最後まで観客を翻弄して監督は楽しんでいたのでした()

 

A: 監督は結構お茶目だと分かった。今回のQ&Aの質問者は映画をよく見ていた人が多く、監督から面白い話を引き出していた。他にも笑える仕掛けがしてあって、保険会社の重役宅で息子がテレビでサッカー中継を見ている。解説者が「レフリーが公平じゃない、あれは賄賂を貰っているからだ」と憤然とする。

B: 映画の内容とリンクさせて、不正は何も保険会社に限ったことじゃない。スポーツ界も、政治家も、警察官も、製薬会社もみんな汚職まみれ、グルになって国民を苦しめているというわけです。

A: メキシコに限りませんけど、これはホントのこと。人を地位や見掛けで簡単に信用しちゃいけないというメッセージです()。ラストでまたサッカー中継の<影の声> が「ゴール!」と言うがこれも八百長ゴールというおまけ付き、次回作はコメディを撮って欲しい。

 

      ソニアの本当の目的は夫を救うことだったのか

 

B: 脅しで携帯したはずのピストルだが、一発火を噴いたところから歯止めが効かなくなっていく。最初は冷静だったソニアも自分の本当の目的が何だった分からなくなっていく。

A: 義理の姉から夫が急死したことを知らされても暴力の連鎖は止まらない。なんとか踏みとどまるのは、自分がダリオたちの母親だということです。ダリオは既に父親を諦めているが、母親に付き添うのは只ならぬ気配の母親まで失いたくないからです。

 

B: 高校3年生という設定、もう子供じゃないが大人でもない微妙な年齢にした。狂気に陥った母親をはらはらしながら健気に守っていく役割た。

A: 怒りが大きいとアドレナリンがどくどく出て交感神経を刺激、分別が効かなくなる。大脳は不正を許さない。夫を救うことができなかった怒りは、さらに増幅して社会的不正義の糾弾に向かう。破れかぶれは自然なことだと思いますね。

 

B: ソニアにどんな刑が言い渡されるか、または無罪かは観客に委ねられる。

A: 観客が見ているフラッシュバックは裁判中の証言にそっているから、本当はどうだったかは闇です。人間の記憶は時とともに薄れ脚色もされて変貌するから真実は曖昧模糊となる。時々映像がぼやけるのはそれを意図しているのではないか。

B: この映画のテーマの一つは記憶の不確かさ、仮りに真実があるとしても、それは<藪の中>です。

 

       ヒロインを支えた贅沢な脇役陣

 

B: カタログの紹介記事に、前作より「アート映画としてもエンタメ映画としても通用する作品に進化している」とありました。

A: 前作というのは『マリアの選択』のことで、監督夫妻の故郷ウルグアイのモンテビデオが舞台だった。メキシコに戻って撮った本作は4作目にあたる。以前海外勢は3作目あたりまでがコンペの対象作品だったが、最近はそうでもなくなった。プラ監督も中堅クラス入り、キャストも脇は豪華版です。

 

B: デビュー作“La zona”の主役ダニエル・ヒメネス・カチョも保険会社の役員として出演している。ソニアに脚を打たれて悲鳴を上げていた。まさか彼のふりチン姿を見せられるとは思いませんでした()

A: ブラック・ユーモアがところどころにちりばめられたフィルム・ノワールだ。彼はメキシコのベテラン俳優としては一番知られているのではないか。マドリード生れのせいかアルモドバルの『バッド・エデュケーション』、パブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』などスペイン映画出演も多い。それこそ聖人から悪魔までオーケーのカメレオン俳優、アリエル賞のコレクター(5個)でもある。

 

B: 発砲を目撃したもう一人のふりチンが逃げ込んだ先は、女の子たちが水泳の授業を受けているプールサイドだった()。次に知名度がある俳優はサンドバル役のエミリオ・エチェバリア、アレハンドロ・G・イニャリトゥのあまりにも有名な『アモーレス・ペロス』第3話の主人公エル・チボになった。

A: TIFF2000の東京グランプリ受賞作品、当時の最高賞です。監督と一緒に来日している。同監督の『バベル』やアルフォンソ・キュアロンの『天国の口、終りの楽園』ではディエゴ・ルナの父親に扮した。ヒメネス・カチョもナレーターとして出演していた。ほかに未公開作品だがデンマーク出身のヘニング・カールセンがガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』を映画化、そこでは語り手のエル・サビオに扮した。

 

B: ビジャルバ医師役のウーゴ・アルボレスほかの俳優は、メキシコのTVドラ・シリーズで活躍している人で占められている。

A: ソニア役のハナ・ラルイ(カタログはジャナ、スペイン語読みにした)は、1998TVドラの脇役でデビュー、主にシリーズ物のTVドラに出演している。映画の主役は本作が初めてのようです。すごい形相のクローズアップが多かったが、かなりの美人です。

 


              (ハナ・ラルイ、カンヌ映画祭にて)

 

B: 来日した製作者のサンディノ・サラビア・ビナイの謙虚さと若さに驚きました。

A: カンヌにも参加、プラ夫人や撮影監督のオデイ・サバレタの姿もあった。音楽監督のレオナルド・ヘイブルムは、『マリアの選択』以外にマルシア・タンブッチ・アジェンデの『アジェンデ』(ラテンビート2015)やディエゴ・ケマダ≂ディエスの『金の鳥籠』などを手掛けたベテラン。

B: 無駄を省いた75分、映画も小説も足し算より引き算が成功の秘訣。どこかが配給してくれたら、もう一度見たいリストに入れときます。

 


   (左から、オデイ・サバレタ、ハナ・ラルイ、プラ監督、ラウラ・サントゥリョ、

サンディノ・サラビア・ビナイ、カンヌ映画祭にて)

 

 

監督キャリア& フィルモグラフィー

ロドリゴ・プラRodrigo Plá1968年、ウルグアイのモンテビデオ生れ、監督、脚本家、プロデューサー。「エスクエラ・アクティバ・デ・フォトグラフィア・イ・ビデオ」で学ぶ。後Centro de Capacitacion CinematograficaCCC)で脚本と演出を専攻。ウルグアイ出身の作家、脚本家のラウラ・サントゥリョと結婚。デビュー作より二人三脚で映画作りをしている。

 


1996Novia mía短編、第3回メキシコの映画学校の国際映画祭に出品、メキシコ部門の短編賞を受賞、フランスのビアリッツ映画祭ラテンアメリカ部門などにも出品された。

2001El ojo en la nuca”短編、グアダラハラ映画祭メキシコ短編部門で特別メンションを受ける。ハバナ映画祭、チリのバルディビア映画祭で受賞の他、スペインのウエスカ映画祭、サンパウロ映画祭などにも出品された。

2007La zona”監督、脚本、製作、ベネチア映画祭2007で「ルイジ・デ・ラウレンティス賞」、「平和のための映画賞」、「ローマ市賞」の3賞を受賞、トロント映画祭で審査員賞、マイアミ、サンフランシスコ両映画祭2008で観客賞受賞

2008Desierto adentro”監督、脚本、製作、グアダラハラ映画祭2008で観客賞ほか受賞、

アリエル賞2009で脚本賞受賞

2010Revolución”(10名の監督による「メキシコ革命100周年記念」作品)『レボリューション』の邦題でラテンビート2010で上映

2012La demora 『マリアの選択』の邦題でラテンビート2012で上映、ベルリン映画祭2012「フォーラム」部門でエキュメニカル審査員賞受賞、アリエル監督賞、ハバナ映画祭監督賞、ウルグアイの映画批評家連盟の作品賞以下を独占した。

2015Un monstruo de mil cabezas”割愛。

 

 

『光のノスタルジア』 星と砂漠*パトリシオ・グスマン2015年11月11日 11:39

★東京国際映画祭で見たホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』を先にアップするつもりでおりましたが、鑑賞しているあいだ最近見たばかりの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の寡黙でありながら雄弁な語り口が思い出され、ゲリンになかなか入りこめなかった。このパトリシオ・グスマンの作品を先に文字にしないと先に進めない。と言っても語る言葉が容易に見つからないんだが。まずデータでウォーミングアップしよう。

 


     『光のノスタルジア』“Nostalgia de la luz 2010

製作:Atacama Productions () / Blinker Filmproduktion & WDR () / Cronomedia (チリ)

監督・脚本・編集:パトリシオ・グスマン

撮影:カテル・ジアン

音響:フレディ・ゴンサレス

音楽:ミランダ&トバール

編集(共同):エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ

データ:製作国フランス=ドイツ=チリ、言語スペイン語、英語、ドキュメンタリー、90分、カラー(資料映像のモノクロを含む)、チリ公開未定、フランス、ドイツ、USA、イギリス、日本などで公開

受賞歴:ヨーロッパ映画賞2010ドキュメンタリー賞、アブダビ映画祭2010ドキュメンタリー「ブラック・パール賞」、国際ドキュメンタリー協会賞2011IDA賞」、シェフィールド・ドキュメンタリー映画祭2011スペシャル・メンション、ロサンゼレス・ラテン映画祭2011審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011最優秀賞、トロント映画祭2012TFCA賞」などを受賞

映画祭ノミネーション:カンヌ映画祭2010コンペ外正式出品、ほかにメルボルン、トロント、サンセバスチャン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ビアリッツ(ラテン部門)、テッサロニキ・ドキュメンタリーなどの国際映画祭で上映された。

 

登場する主な思索者たち

ビクトリア・サアベドラ(行方不明者デサパレシードの弟ホセの遺骨を28年間探し続けている)

ビオレータ・べりオス(デサパレシードのマリオの遺骨を28年間探し続けている)

ガスパル・ガラス(軍事クーデタ後に生れた若い天文学者、人類と宇宙の過去を探している)

ラウタロ・ヌニェス(数千年前のミイラと遺骨を探す女性たちと語り合える考古学者)

ミゲル・ローナー(強制収容所から生還できた記憶力に優れた建築家)

ルイス・エンリケス(星座を観察することで生き延びた強制収容所体験者、アマチュア天文学者)

ビクトル・ゴンサレス(ヨーロッパ南天天文台のドイツ人技師)

V・ゴンサレスの母(クーデタ後ドイツに亡命、現在は遺族のヒーリングマッサージをしている)

バレンティナ・ロドリゲス(両親がデサパレシード、天文団体の職員、二児の母)

バレンティナの祖父母(誕生したばかりのバレンティナを養育した)

ジョージ・プレストン(人間は星の中に住む宇宙の一部と語る天文学者)

 

プロット:チリの最北端アタカマ砂漠では、天文学者たちが約138億年前に誕生した宇宙の起源に関する答えを求めて星を見つめ続けている。一方地表では、考古学者が数千年前の人類の歴史を探して発掘している。更に女性たちがピノチェト独裁政権時代に殺害され砂漠に遺棄された家族の遺骨を求めて掘り続けている。共に目的の異なる過去への旅をしているが、もう一人の過去の探求者グスマンに導かれ砂漠で邂逅する。                  (文責:管理人)

 

       グスマンを駆り立てた二人の女性のパッション

 

A: フィルモグラフィーを見ると、2005年に「私のジュール・ヴェルヌ」を撮った後、少し長い4年間のブランクがある。テーマははっきりしているのにカチッと鍵が回らない。このブランクは自問しながら格闘している監督の時間です。ところが28年間も家族の遺骨を探し続けている二人の女性に出会って、突然砂漠と星がシンクロする。こういう瞬間を体験することってありますね。

B: 彼は子どもの頃からの天文学ファンで最初のガールフレンドは考古学者だった。しかし天体望遠鏡を通して見える宇宙の過去とか、砂漠を発掘して過去を辿る話を撮りたかったわけではない。

 

A: 付録として最後に簡単なプロフィールを紹介しておいたが、彼の原点は「もう一つの911」と言われる、1973年のピノチェト軍事クーデタにある。常にその原点に立ち戻っている。5年後に撮った『真珠のボタン』も本作に繋がり、テーマは円環的だから閉じることがないのかもしれない。

B: 一応二部作のようだが、「チリの戦い」のように三部作になる可能性もあるね。

 

A: 監督はクーデタ後、逮捕されて2週間国立競技場に監禁されるという体験の持ち主、まかり間違えば行方不明者デサパレシードになる可能性があった。

B: 日本でも多くのファンがいるシンガー・ソング・ライターのビクトル・ハラが監禁されたと同じ競技場ですか。

A: 彼はチリ・スタジアムのほうで、5日後の916日には銃殺されています。サンチャゴの親戚を訪問中に偶然クーデタに遭遇したロベルト・ボラーニョも逮捕監禁された。なんとか友人たちの助けで無事メキシコに戻れましたが、人権などクソみたいな時代でした。

B: 行方不明者の6割が未だに分かっていないそうだから、まだ終わっていない。世界の映画祭で上映され公開もされていますが、本作も『真珠のボタン』もチリ国民は、見ることができません。

 

A: 映画の存在さえ知らないのではないか。30年前に起こったことを教科書は載せていないから、チリの子どもたちが学校で学ぶことはない。ということはクーデタ以後に生れた世代はクーデタがあったことさえ知らないですんでいる。死者の中には先住民、外国人、未成年者も含まれている。逮捕され強制収容所に送られた人数が3万人とも10万人とも言われているのに、チリの夜明けは遠い。

B: アジェンデ大統領の孫娘が撮った『アジェンデ』の中で、「祖父のことを話すことは家族のタブーだった」と監督が語っていたが、家族どころか国家のタブーなんだ。

 


A: 事実の検証はチリ国民が抱える負の遺産だが「あったことをなかったことにすることはできない」。チリの慣例では元大統領は国葬ということですが、2006年当時の大統領ミシェル・バチェレが拒否した。父親が犠牲者だったことや自身も亡命を余儀なくされたのを配慮して見送られたとも。しかし、陸軍主催の葬儀は認めざる得なかった、それが当時の限界だった。

B: 日本でもその盛大な葬儀の模様がニュースで流れたが複雑な感慨を覚えた。遺骸に唾を吐きかける人、チリ国民をアカの脅威から守った偉大な大統領と賞讃する人、対話が始まるのは半世紀先か、1世紀後か。映画から伝わってくるのは今でもチリ社会は暗闇の中ということ。

 

           これはドキュメンタリーですか?

 

A: さて映画に戻して、ドキュメンタリーではなくフィクションを見ていると感じた人が多かったかもしれない。でもドキュメンタリーって何だろうかドキュメンタリーの定義は、一般的には作り手の主観や演出を加えることなく記録された映像作品を指すのだろうが、実際そんなドキュメンタリーは見たことない。この定義だと「できるだけ客観性や中立性を重んじる」報道とどこが違うのか。個人的にはドキュメンタリーもフィクションの一部と思っている。

B: 報道が客観性を欠くとプロパガンダになりかねないから当たり前です。本作はメタファーを媒介して監督の世界観が語られているから、定義を尊重するとドキュメンタリーではないことになるね。

 

A: 世界の代表的なドキュメンタリー作品は、すべて「ドキュメンタリーではない」ことになる。以前、ゴンサレス・ルビオの“Alamar”(2010メキシコ)がトロント映画祭で上映され、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか曖昧だということで、「これはどちらですか」と訊かれた監督、「これは映画です」と返事していた()

B: 蓋し名答だ。役者が台本通りまたは監督の演出通りに演技するかしないかの違いだ。本作でも登場人物の中には監督の意図を慮って発言しているように感じられる人もいた。編集に苦労したんじゃないかと思う。

A: 特に『真珠のボタン』にはその傾向が強かった。例えばヘリコプターから行方不明者を海に投下する映像は再現ドラマだった。事実だから捏造ではないが、もし報道だったら許されないシーンだ。

B: ドーソン島にあった強制収容所の生存者を一堂に集めて、「ドーソン島の方角を指して下さい」というヴォイスが流れると、多くの人が同じ方向を指すシーンなんかも演出があったかも。

 

           過去を語る記憶­―現実は存在しない

 

A: 天文学者のガスパル・ガラスが、「現実で経験することはすべて過去のことです」と語るが、確かに宇宙的時間では現在という時間は存在しないに等しい。彼らは138億前のビッグバンで生れた宇宙の過去を探しているが、二人の女性はおよそ30年前の過去を探している。同じ過去を探しているが、「私は夜になればぐっすり眠れる。しかし彼女たちは朝起きれば苦しみが始まる」とガラス。

B: ここに登場する人々は、おしなべて思索者、寡黙だが心に響く言葉の持ち主だ。グスマン監督を尊敬し、監督も彼らを尊重しているのが伝わってくる。上から目線ではない。

A: 監督が自問しながら、観客に問いかけているのが伝わってくる。これが魅力の一つ。

 

B: 考古学者のラウタロ・ヌニェスの言葉も重い。もし自分の子どもが虐殺されたとしたら遺骨を探し続けるし、決して忘れない。何びとも死ぬ運命に変わりはないが、どこで眠っているのか分からなければ葬ってやれない。

A: まだ答えを見つけていないし、「遺骨を探すのは、マリオを見つけてきちんと葬ってやりたいから」とビオレータ・ベリオス。遺骨がなければ「弟が死んだという事実を受け入れることができない」と語るビクトリア・サアベドラ30年前の家族の骨を探す人々なんか、頭のおかしい人という批判に抵抗している。

B: 軍事政権を支えた人たちには、先住民と同じように彼らは目障りな存在なんだ。

 


   (デサパレシードを探し続ける遺族たち、左端ビオレータ、右から2番目ビクトリア)

 

A: 一番記憶に残った人というのは、孫のバレンティナ・ロドリゲスを育てたという祖父母、ソファに座り失語症になったかのように無言、凄いインパクトだった。

B: バレンティナは「私の両親が高い理想と勇気をもった素晴らしい人たちだったこと、私に人生の喜びを教え、幸せな子供時代を送らせてくれた人」と敬意をこめて語っていた。

 


               (我が子を抱くバレンティナ)

 

A: 建築家のミゲル・ローナーの記憶力には驚かされた。5カ所の強制収容所の体験者、その収容所の図面を正確に記憶して、亡命後そのイラストを本に纏めて出版した。彼が再現した記憶術の方法は「基本のキ」だ。図面を書いたらすぐさま粉々に破り捨ててしまう。処分したので覚えていられたと思う。

B: 発見される危険と語っていたけど。チリ国民が「そんなことあったなんて知らなかった」と言わせたいために記憶した。記憶も本作の主題だね。

A: 映像の美しさは言葉にしても何の意味もありません、スクリーンで見てください。

 


                (建築家ミゲル・ローナー)

 

監督キャリア&主なフィルモグラフィー

パトリシオ・グスマンPatricio Guzmán 1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。彼によると、生れはサンティアゴだが「うちは一個所にとどまって暮らすことがなく遊牧民家族のように放浪していた。そのたびに学校も変わり、ビニャ・デル・マルに住んでいたこともあった」と語っている。1960年チリ大学の演劇学校で歴史学科(61)と哲学科(6265)に所属していたが経済的理由で中途退学した。4年間出版社で働き、その間小説や短編を執筆している。

 

しかし仕事に情熱がもてず映画に転身、8ミリで短編を撮り始める。1965年、カトリック大学の映画研究所とのコラボで短編デビュー作“Viva la libertad”(18分)を撮る。毎年1作ずつ短編を撮りつづけるが満足できず、海外の映画学校を目指す。しかし奨学金が下りず、当時の妻パメラ・ウルスアが家財道具をすべてを売却してマドリードへの切符を調達してくれた。マドリードでは国立映画学校の入学資金を得るため広告代理店で働き、1969年入学、翌年監督科の資格を取得。スペインでも大きい広告会社モロ・スタジオではたらいた後、19713月、前年に誕生していたアジェンデ政権の母国に戻る。 


最初の長編“El primer año”を撮る。1973911日ピノチェトの軍事クーデタが勃発、逮捕される。2週間国立競技場に監禁されるが、妻や友人たちの助けでチリを脱出、ヨーロッパへ亡命する。フランスの友人クリス・マルケル監督と一緒に仕事を開始、フランスのシネアストとの友好関係を維持しながら、キューバのICAICの援助を受けてドキュメンタリーを完成させている。

 

1997年サンティアゴ・ドキュメンタリー映画祭の創設者(Fidocs)、若いシネアスト・グループの援助や指導に当たっている。ヨーロッパやラテンアメリカの映画学校でドキュメンタリー映画の教鞭を執っている。現在は再婚したプロヂューサーのレナーテ・ザクセRenate Sachse(ドイツ出身)とパリ在住。先妻との間に二人の娘がおり共にシネアスト、しばしば父とコラボしている。

 

 

主な長編ドキュメンタリー

1972El primer año”「最初の年」100

アジェンデ政権最初の1年間を描く。友人クリス・マルケル監督のプロローグ入り

197579La batalla de Chile”「チリの戦い」(19757679)長編三部作、270

アジェンデ政権と軍事クーデタで政権が失墜するまでを描くドキュメンタリー

1987En nombre de Dios”「神の名において」100

ピノチェト軍事政権下で人権のためにチリのカトリック教会と闘ったドキュメンタリー

1992La cruz del sur”「サザンクロス」80

ラテンアメリカの庶民の信仰心についてのドキュメンタリー

1997Chile, la memoria obstinada”「チリ、執拗な記憶」58分中編、

チリ人の政治的記憶喪失についてのドキュメンタリー

2001El caso Pinochet”「ピノチェト・ケース」110

元独裁者ピノチェトのロンドンでの裁判についてのドキュメンタリー

2004Salvador Allende”「サルバドル・アジェンデ」102分、私的ポートレート

2005MI Julio Verne「私のジュール・ヴェルヌ」52分中編、フランスの作家の伝記

2010Nostalgia de la luz『光のノスタルジア』90分、省略

2015El botón de nácar『真珠のボタン』82分、省略

多数の短編、フィクションは割愛した。

 

国立映画学校1947年創立の国立映画研究所が、1962年改組されたもの。フランコ没後の1976年にマドリード・コンプルテンセ大学情報科学学部に発展吸収され現在は存在しない。卒業生にアントニオ・デル・アモ、アントニオ・バルデム、ガルシア・ベルランガ、ハイメ・チャバリ、イマノル・ウリベ、ホセ・ルイス・ボラウ、カルロス・サウラ、ピラール・ミロ、ビクトル・エリセなど他多数。スペインの映画史に名を残すシネアストが学んだ映画学校。

 

『真珠のボタン』 水の記憶*パトリシオ・グスマン2015年11月16日 16:31

サンチャゴで公開された『真珠のボタン』

 

★遺骨を探し続けている二人の女性が談笑しながら星の観察をしている。初めて見せる二人の笑顔で前作『光のノスタルジア』は幕を閉じました。かすかな希望を抱いて『真珠のボタン』を続けて見ました。自然が作りだす驚異的な美しさに息をのみましたが、人間のあまりの愚かさ残酷さにスクリーンがぼやけてしまう作品でした。929日、やっとチリの首都サンチャゴで初めて公開されたということは、チリにも一筋の光が射してきたということでしょうか。

 

   

      『真珠のボタン』“El botón de nácar”(“The Pearl Button”)

製作Atacama Productions / Valdivia Film / Mediapro / France 3 Cinema

監督・脚本パトリシオ・グスマン

助監督:ニコラス・ラスにバット

撮影:カテル・ジアン

音響:アルバロ・シルバ、ジャン・ジャック・キネ

音楽:ミランダ & トバル

編集:エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ、フェルナンド・ラタステ、ジャウマ・ロウレス他

データ:製作国フランス、チリ、スペイン、スペイン語、2015年、82分、ドキュメンタリー、主な撮影地:西パタゴニア、チリ公開:929

受賞歴:ベルリン映画祭2015銀熊脚本賞・エキュメニカル審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015山形市長賞、ビオグラフィルム・フェスティバル2015(ボローニャ)作品賞・観客賞ほか、エルサレム映画祭2015ドキュメンタリー賞、フィラデルフィア映画祭2015審査員賞、各受賞。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品、他ノミネーション多数。

 

登場する主な語り部たち

ガブリエラ・パテリト(カウェスカル族の末裔、推定73歳。手工芸品製作者)

クリスティナ・カルデロン(ヤガン族の末裔、86歳。文化・歴史・伝説の伝承者、

  手工芸品製作者)

マルティン・G・カルデロン(クリスティナの甥、古代からの製法でカヌーを製作している)

ラウル・スリタ(拷問を受けた共産党活動家、詩人。2000年国民文学賞を受賞)

ガブリエル・サラサール(アジェンデ政権時の極左派MIRの活動家。チリ大学哲学科・法科の教授、2011年国民賞受賞)

クラウディオ・メルカド(人類学者、実験音楽の作曲家・演奏家、伝統音楽の継承者)

ラウル・ベアス(ボタンが付着したレールを引き上げたダイバー)

フアン・モリナ(197911月のデサパレシード投棄に携わったヘリコプターの元整備士)

アディル・ブルコヴィッチ(ヘリコプターで海中に投棄されたマルタ・ウガルテの弁護士)

ハビエル・レボジェド(遺体を海中に投棄するため胸にレールを括りつける行程を再現したジャーナリスト・作家)

パトリシオ・グスマン<影の声>

パス・エラスリス(写真家、カウェスカル族の写真提供者)

マルティン・グシンデ(写真家・司祭、セルクナム族のモノクロ写真提供者)

 

プロット:大洋は人類の歴史を包みこんでいる。海は大地と宇宙からやってくる声を記憶している。水は星の推進力を受け取って命ある創造物に伝えている。また水は、深い海底で廻りあった二つのミステリアスなボタンの秘密を守っていた。一つはパタゴニアの先住民の声、もう一つは軍事独裁時代の行方不明者の声、水は記憶をもっている。宇宙に渦巻く水の生命力、パタゴニアに吹く乾いた風、銀河系を引き裂く彗星、チリの歴史に残る悲劇的なジェノサイド。チリの片隅から眺めたすこぶる個人的な要素をもつパトリシオ・グスマンの<影の声>は、純粋さと怒りに溢れている。これは記憶についてのエレガントで示唆に富む美的思索のドラマ。      (文責:管理人)

 

         チリの歴史を凝縮した水の言葉―-二つのボタン

 

A: チリの北部アタカマ砂漠から始まった水と宇宙についての物語のテーマは、アンデス山脈に沈み込む最南端の西パタゴニアの水と氷の世界に私たちを導いてゆく。

B: 白ではなくまるで青いガラスの壁のような氷河の映像には息を呑みます。宇宙飛行士ガガーリンのように宇宙に飛びださなくても、地球が水の球体であることが実感できる。

A: 「地球は青かった」は不正確な引用らしいが、とにかく約70パーセント以上は海という球体です。なかでも全長4600キロに及ぶチリの国土は太平洋に面している。だから海洋国家なんですね。でも海の恵みを無視してきた歴史をもつ国家でもある。 

 


B: 自然の驚異を見せるための自然地理学の映画ではない。海に眠っていた二つのボタン、一つは19世紀末にやってきた白人によって祖国と自由を奪われた先住民の声を語るボタン、もう一つはピノチェトの軍事クーデタで逮捕されたデサパレシードの声を語るボタンです。

A: この二つのボタンの発見がなければ、このように理想的なかたちの映画は生れなかったかもしれない。このミステリアスなボタンが語り出すのは、闇に葬られたチリの歴史です。

B: 抽象的で思索的なメッセージなのに分かりやすく、ストレートに観客の心に響いてくる。忘れぽいチリ人に記憶の重要性を迫っていた前作よりずっと深化している。

 

  • desaparecido:広義には行方不明者のことですが、ラテンアメリカ諸国、特にアルゼンチンでは軍事政権下(197684)で政治的に秘密警察によって殺害された人々を指し、航空機・海難事故などの行方不明者は指しません。隣国チリでもピノチェト軍事政権下(197390)の行方不明者を指し、本作でもその意味で使われています。

     

           先住民やデサパレシードたちの墓場は海の底

     

    A: 遺族並びに体験者の最大の苦しみは、差別や迫害ではなく無関心だということです。たくさんの語り部たちの他に、例えば17回も南極大陸に旅し、冒頭シーンの撮影に協力した二人の冒険家、チリの完全な地図を制作した画家エンマ・マリク、先住民の写真を提供してくれた二人の写真家などが本作を支えています。

    B: 19世紀の初めにパタゴニアにやってきたイギリス船に乗せられて、石器時代から産業革命のイギリスに旅をして、ジェミー・ボタンと名付けられた悲劇のインディオ。1年後に戻ってきたが元の自分に戻れなかった。

 

               

                (パタゴニアの先住民)

 

  • A: 船長フィッツロイの任務は土地の風景や海岸線を描くことで、彼の地図は1世紀にわたって使用された。つまり白人の入植者に役立ったことが、皮肉にも先住民の文化破壊や、ひいてはジェノサイドにつながった。

    B: 当のフィッツロイ船長に悪意はなかったが、150年後に押し寄せた入植者には、先住民の存在は邪魔で目障りだったということです。

     

    A またヘリコプターから太平洋に投棄され、1976912日にコキンボ州の海岸に打ち上げられたマルタ・ウガルテ、レールが外れて浮上した。海底を捜索したらもっとレールは見つかるはずだと監督。

    B: 殺害された人数は約3000人、うち1200人から1400人が海や湖に沈められたからですね。

     

  •         

  •          (軍事独裁時代の犠牲者を船中から探すグスマン監督)

     

    A: 800個所もあったという強制収容所の一つ、ドーソン島に収監されていた人々の声を拾っている。逮捕監禁され拷問を受けた人数は35,000人ともその倍とも言われている。アジェンデ派の政治犯や反体制活動家だけでなく、存在そのものが目障りだった先住民、学生、未成年者もいた。アルゼンチンと傾向は同じです。

    B: 先住民のジェノサイド、18世紀には8000人が暮らしていたという西パタゴニアの先住民は、現在たったの20人しかいない、にわかには信じられない数字です。

     

    A: カウェスカル族の末裔ガブリエラが「神は持たないから、警察は必要ないから」カウェスカル語にはないとインタビューに答えていた。警察がないのは当たり前、聞くまでもないか。『光のノスタルジア』でも言ったことだが、本作にはドキュメンタリーとしてギリギリの演出がありますね。

    B: ヘリコプターからのダミー投棄の再現はいい例です。

    A: フレデリック・ワイズマンとの対談で「ドキュメンタリーが情報伝達だけのメディアにならないように」したかったと語っていましたが。

     

  •     

  •           (カウェスカル族の末裔ガブリエラ・パテリト)

     

          記憶をもたない国にはエネルギーがない

     

    B: 国際映画データバンク(IMDb)にも載っていなかったし、まさかサンチャゴで公開されていたなんて驚きです。現在の政権ミシェル・バチェレ(第2期)が影響してるのか、ベルリン映画祭の銀熊賞を無視できなかったのか()

    A 現在グスマンはパリに住んでおり、彼が創設者である「サンチャゴ・ドキュメンタリー国際映画祭(Fidocs)」で本作がエントリーされ帰国していた。「海を介して過去と和解する映画」と観客に紹介したそうです。「記憶を検証しなければ未来は閉じられる」とも。

     

    B: ベルリンのインタビューでは、チリではデサパレシードをテーマにした映画を作る環境にない、それが唯一できるのはアルゼンチンだけで、ブラジル、ウルグアイなどおしなべてNOだと語っていた。

    A: 「恐怖の文化」が国民を黙らせている。スペインの「エル・パイス」紙が反フランコで果たしたようなことを、チリの「エル・メルクリオ」紙は果たしていない。それは「報道の自由、映像の自由」がないからです。軍事独裁が16年間に及んだこと、民政化は名ばかりで、グスマン監督も「暗黙の恐怖が支配している。政治に携わる人たちは、今もってアジェンデの理想を裏切っている」と語っていた。

     

    B: アルゼンチンの民主主義も脆弱と言われていますが、それでも民生化3年後にルイス・プエンソが『オフィシャル・ストーリー』(86)を撮ることができた。アカデミー賞外国語映画賞を初めてアルゼンチンにもたらし、今や古典といってもいい。

    A: ルクレシア・マルテルのメタファー満載の「サルタ三部作」も軍事独裁時代の記憶をテーマにしている。ここでは深入りしませんが字幕入りで見られる映画が結構あります。

     

    B: チリでもベテランのミゲル・リティンの“Dowson Isla 10”(直訳「ドーソン島1009)アンドレス・ウッドの『マチュカ』(06)や『サンチャゴの光』(08)、若いパブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」**など力作がありますが、アルゼンチンには遠く及ばない。

     

    「サルタ三部作」:『沼地という名の町』(La cienaga 01)、『ラ・ニーニャ・サンタ』(La nina santa 04)、『頭のない女』(La mujer sin cabeza 08

    **「ピノチェト政権三部作」:『トニー・マネロ』(Tony Manero 08)、“Post mortem10、『NO』(12

     

           私の家族はノマドでした―移動もテーマ

     

    A: 監督は「私の家族はノマド(放浪民)」と言うように子供の時から国内をあちこち移動している。チリは旧大陸からの移民国だから彼に限ったことではないが、ラテンアメリカ映画のテーマの一つは移動です。

    B: カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した、セサル・A・アセベドの『土と影』も移動が重要なテーマでした。

    A: 映画仲間もすこぶる国際的、デビュー作El primer año”(1972)にはフランスの友人クリス・マルケル監督のプロローグ入りだった。サンティアゴで公開されたときには、彼も馳せつけ、フランスやベルギーでの上映にも寄与してくれたし、三部作「チリの戦い」(“La batalla de Chile”)の撮影にも協力を惜しまなかった。

    B: 2012年に91歳で鬼籍入りしたが、ゴダール、アラン・レネ、ルルーシュ、アニエス・ヴァルダなどが好きなシネマニアには忘れられない監督です。

     

    A: 「チリの戦い」の編集を担当したペドロ・チャスケル1932年ドイツ)は、7歳のときチリに移民、1952年にチリ国籍を取っている。共にチリの新しい映画運動を担ったシネアスト、軍事クーデタでキューバに亡命、1983年帰国、キューバではICAICで編集や監督の仕事をしていた。

    B: 彼もノマドかな。

    A: 本作には関わっていないが、彼のドキュメンタリーというジャンルの的確な判断の手法が影響しているそうです。「クール世代」と言われる前出のアンドレス・ウッドやパブロ・ララインを育てたカルロス・フローレス・デルピノなども、チリの民主化に寄与しています。彼は1994年設立の「チリ映画学校」の生みの親、2009年まで教鞭をとっていた。

     

                不寛容と偏見に終わりはない

     

    A: 現代のチリでは、ホモセクシャルの人間に権利はないと監督、『家政婦ラケルの反乱』で大成功をおさめながらニューヨークに本拠を移したセバスチャン・シルバなどがその好例です。チリではパートナーと一緒に暮らすなどできない。それに彼は自信家でハッキリものを言うタイプだから、先輩シネアストの心証が良くないのかもしれない。

    B: ラテンビートで『マジック・マジック』と『クリスタル・フェアリー』がエントリーされたが、英語映画にシフト変更です。彼もララインの仲間ですが、現状が続くと才能流出も止まらない。

     

    A: 今ではラテンアメリカ諸国の軍事独裁政は、赤化をなんとしてでもキューバで食い止めたいCIAの指導援助の元に行われたことが明らかです。

    B: 拷問の手口が金太郎の飴だった。ベトナムで培った方法を伝授した。商社や大使館の職員に身をやつしてパナマにある養成機関で教育した。

    A: チリの「No」か「Yes」の国民投票をピノチェトに迫ったのも事態を沈静化したいCIAの思惑で行われたが、結果は逆方向になってしまいました。

     

    B: アンデス山脈を中心に第三部が作られる話が聞こえてきています。

    A: チリは有数の火山国でアンデス山系には多くの活火山がある。火口や火口湖にもデサパレシードを投棄したからじゃないか。アタカマ砂漠、太平洋、アンデス山脈、この三つに犠牲者は弔ってもらうことなく眠っています。

     

    パトリシオ・グスマン監督のキャリア&フィルモグラフィーは、前回の『光のノスタルジア』を参照してください。

     

ゴヤ賞2016 「栄誉賞」 はマリアノ・オソレス監督が受賞 ①2015年11月18日 17:33

                                 ゴヤ賞2016「栄誉賞」はコメディ監督マリアノ・オソレス

 

★ゴヤ賞授賞式は来年2月と大分先ですが、ゴヤ賞2016の「栄誉賞」はコメディ監督マリアノ・オソレスが選ばれました。昨年のアントニオ・バンデラスのように日本での知名度はありませんが、スペイン人で彼の映画を見たことがない人は少ない。ゴヤ賞とは無縁の監督でしたが、40年間で96作、低予算、短期間で1年間に5作品撮った年もあるとか。どの作品も観客に受け入れられた、つまり映画館に足を運んだ観客は延べ8700万人、総人口の倍近いそうです。スペイン人がコメディ好きなのは、暗い時代が長かったから、せめて映画館の中だけでも笑いたかったのかもしれません。

         

        

               (ゴヤ賞2016の栄誉賞に選ばれたマリアノ・オソレス監督)

 

1926年マドリード生れ、監督、脚本家。両親は俳優だったが監督の道を選んだ。俳優を選んだのは兄弟のホセ・ルイスとアントニオ、最近では姪のエンマ・オソレス、アドリアナ・オソレスなど。「考え深い人で、とても控えめだが、人々を幸せにできる人。驚くべきことは、常に誇りをもって映画に取り組んだ監督、受賞にふさわしい人は彼以外にいない」と映画アカデミー会長アントニオ・レシネスの弁。ゴヤ賞が近づいたら、改めてご紹介いたします。

 

『ミューズ・アカデミー』 がセビーリャ・ヨーロッパ映画祭「金のヒラルダ」受賞2015年11月18日 18:26

        セビーリャ・ヨーロッパ映画祭「金のヒラルダ」を受賞

 

★記憶が残っているうちにアップしようと思っている『ミューズ・アカデミー』「金のヒラルダ」Giraldeillo de Oro)を受賞しました。例年11月半ばにセビーリャで開催される映画祭の最高賞です。ヨーロッパ映画賞の前哨戦の意味合いがあり、この映画祭でノミネーションが発表される(今年は既に発表)。ここでの受賞作品はヨーロッパ映画賞ノミネーションの確率が高く、ただ『ミューズ・アカデミー』は選ばれませんでした。ヨーロッパ映画賞のうち技術部門(音響・衣装デザイン・編集など)は10月末に受賞者が決定されている。

 

    

       (ラファエレ・ピント教授と妻 『ミューズ・アカデミー』から)

 

★『ミューズ・アカデミー』受賞はちょっと意外、というのも下馬評ではポルトガルのミゲル・ゴメスのArabian Nights(“As mil e una noites”ポルトガル、仏、独、スイス)か、トルコ映画“Mustang”が高得点だったこと、既に発表されていたヨーロッパ映画賞の作品賞以下のノミネーションがゼロだったからでした。“Arabian Nights”は「銀のヒラルダ」Giraldeillo de Plata)を受賞、ヨーロッパ映画賞(技術部門)の音響デザイナー賞の受賞が決定しています。

 

★その他では、観客賞受賞のトルコのMustang(監督Deniz Gamze Erguven 仏、独、トルコ、カタール)が作品賞とディスカバリー賞にノミネーションされています。トルコ映画ですがフランス、ドイツが製作国に参加ですから対象作品です。カンヌ映画祭と並行して開催される「監督週間」の話題作、カンヌ以来、世界各地の映画祭、ベネチア、トロント、バジャドリード、ニューヨークと次々に招待され、フランス、ベルギー、アルゼンチンなどで公開、来年にかけても続々公開が決まっています。両親が亡くなり孤児となってしまったトルコ北部の村で暮らす5人姉妹のドラマ、祖母と叔父の庇護のもと、彼女たちがボーイフレンドたちと巻き起こす自由奔放な行動、フリーダム、女性の権利、親族によるレイプ、スキャンダル、死、社会的圧力など、現代トルコが抱える問題が描かれる。

               

                (“Mustang”のポスター)

 

★今年のセビーリャ・ヨーロッパ映画祭の授賞式は、パリで起きた同時多発テロの影響でキャンセルされました。セビーリャのロペ・デ・ベガ劇場で行われる予定だったアメリカの歌手ソフィー・オースターのコンサートも中止となり、テロの影響は深刻です。

 

★『ミューズ・アカデミー』のアップは、1回鑑賞ではすこぶる心もとないですが、「金のヒラルダ」を受賞したことだし、時間が経つと億劫になりそうなので、次回にまとめます。

 

フアン・ディエゴ & アイタナ・サンチェス=ヒホンに「金のメダル」2015年11月20日 11:55

 

「金のメダル」受賞者はスペイン映画界きっての論客の手に

 

★今年はスペイン映画アカデミー設立30周年の年、新会長アントニオ・レシネスの手から、「金のメダル」が師弟愛で固く結ばれているシネアストフアン・ディエゴアイタナ・サンチェス=ヒホンの二人に贈られた。二人揃って記者会見に臨んだが、何しろ名うての論客だから例年より盛り上がったようです。二人とも映画のみならず舞台にテレビにと幅広く活躍しており、特にアイタナ・サンチェス=ヒホンは最近、映画から遠ざかって舞台に専念していたので予期せぬ受賞だったようです。 

 

  (メダルを手に喜びのフアン・ディエゴとアイタナ)

 

アイタナ・サンチェス=ヒホン(1968年、ローマ生れ)は、ゴヤ賞の候補にさえ選ばれなかったのに、スペイン映画アカデミーの最初の女性会長を務めた稀有の女優。「わたしが16歳でデビューしたとき、フアンが近づいてきて話しかけてくれた。お世辞を言う人ではない、そのとき以来のわたしの助言者、先生です。演技のメソッドについての本をプレゼントしてくれた。彼は私のピグマリオンです。30年後に先生と一緒にメダルがもらえるなんて夢みたい」と、傍らの恩師に言及しながら喜びを語った。「(アカデミー会長の)アントニオから電話で知らせがあったとき、本当は当惑したの。受話器を置いてからも呆然としてしまって、この私がフアン・ディエゴと一緒? まさか。現在は映画に出演していないし、でも結局、アカデミーの意向を受け入れようと。メダルが私を元気づけてくれたことに気がついた」と、受賞をまったく予期していなかったようです。受賞がアナウンスされたときにキャリアとフィルモグラフィーをご紹介しています。

*コチラ⇒201581

 

★受賞がアナウンスされたとき、「現在はとてもワクワクしている。ずっと前から待っていたからね」と語っていたフアン・ディエゴ1942年、セビーリャのボルムホス生れ)の喜びの弁は、「アイタナと一緒の受賞は素晴らしいことだよ。重要なのはまだ若くて人を愛せる年齢の人に与えることだ」と。金のメダルは功成り名遂げた人に与える名誉賞ではないということか。自分は遅すぎたという感慨があるのかもしれない。ゴヤ賞主演助演を含めて3個を受賞している実力者の言葉は重いです。受賞は逃したが、彼の代表作の一つが、カルロス・サウラの“La noche oscula”(「暗夜」1989)、16世紀の聖人、神秘思想家サン・フアン・デ・ラ・クルスに扮した作品です。タイトルは彼の有名な詩集『暗夜』から取られた。当ブログには度々登場してもらっています。特に「マラガ映画祭2014」で輝かしい受賞歴、主なフィルモグラフィーをご紹介しております。

*コチラ⇒2014421

 

   

   (“La noche oscula”でサン・フアン・デ・ラ・クルスに扮したフアン・ディエゴ)

 

★女優が40代に入ると、だんだん舞台にシフト替えしていくのは、舞台のダイレクトな反応に魅了されることも大きいが、オファーが減ることにも一因がある。アイタナも「スペインでは円熟した女性を主人公にした映画があまりない。フランスではジュリエット・ビノシュやイザベル・ユペールのために映画が製作される。スペインは18歳から35歳まで、36歳過ぎると母親役が回ってくる。そういう風潮を変えることが必要」と。40歳は95歳と言われるハリウッドほどではないが女優業は年齢との戦いだ。売れっ子女優シャーリー・マクレーンのオスカー賞受賞の弁「あまりに遅すぎます」は有名ですが、彼女も40代初めは一時引退状態だった。『愛と追憶の日々』(83)で受賞したときには49歳だった。娘になったデブラ・ウィンガーは、干されないうちに早々と引退してしまった。大きな損失だと思いますね。

 

           実るほど頭を垂れる稲穂かな

 

フアン・ディエゴ:「女性は突然やめてしまい、結果的に舞台に鞍替えする。せっかくお金をかけて育てたのに、映画界にとってはとても残念なことだ」。彼も一人芝居の魅力にとり憑かれている。平土間の観客から受ける反応が堪らないからのようだ。しかし来年2月に30万ユーロで映画を撮る予定、「それは映画が好きだし、映画の仲間も好きだから」だそうです。彼は内戦終結直後の生れ、つまりフランコ体制時代の教育を受けて育っている。独裁制と民主主義移行期の混乱を体験している。社会に対して仲間に対しての義務を果たすことにも精を出している。だから皆から信頼されるのだろうと思う。役者が天職という彼だが、「身を粉にして一生懸命学び、はたらき、真実を求める」が信条、これからの活躍を期待したい。そのための「金のメダル」だから。

 

アイタナ・サンチェス=ヒホン「フアンほど真摯な人にはあったことがない。年を重ねるごとに顕著になっていく」と言うアイタナだが、「ビガス・ルナが亡くなってほんとに寂しい。私にとって仕事の上でも個人的なことでも重要な監督だった」と鬼籍入りした監督を懐かしむ。彼女にサンセバスチャン映画祭1999の最優秀女優賞をもたらした『裸のマハ』の監督です。主役はアルバ公爵夫人を演じたアイタナでしたが、日本ではペピータ役のペネロペ・クルスが話題をさらった。ビガス・ルナ監督も正当に評価されているとは思えない。個人的には銀幕にカムバックして欲しい。 

 

    (ゴヤの「着衣のマハ」のポーズをとるアルバ公爵夫人、『裸のマハ』から)

 

アルモドバル、新作タイトル”Silencio”を”Julieta”に変更2015年11月21日 14:32

        スコセッシの新作“Silence”との「将来的な混乱」を避けるため

   

1119日、製作会社「エル・デセオ」を通して正式に発表された。予てから、同年公開、同タイトルではややこしいなと思っていたので、タイトル変更は歓迎です。両作とも劇場公開は100パーセントですから。新タイトルはヒロインの名前「フリエタ」から採られた。日本メディアはヒロイン名を「ジュリエッタ」と紹介しているので、どうなるかは不明です。既にクランクアップしており、音楽担当のアルベルト・イグレシアスもすべての作曲を終了した由、2016318日スペイン公開が決定しております。

 

  

          (二人のフリエタ、左からエンマ・スアレス、アドリアナ・ウガルテ)

 

★アルモドバルによると、タイトルは「沈黙」と同じでも、‘Silencio’と‘Silence’と違うし、物語や製作国はまったく異なるから問題なしと考えていたようです。しかし将来的には混乱が起きる可能性無きにしも非ずと思い直したようです。スコセッシの方は遠藤周作の同名小説の映画化だから、改題はありえないと考えたのかもしれません。

 

★アルモドバルは、13日に起きたパリ同時多発テロに言及、「エル・デセオの仲間は13日以来喪に服している」と、犠牲者の家族とパリを愛する多くの人々への連帯を表明した。

 

            マーティン・スコセッシ念願の“Silence

   

★マーティン・スコセッシの「Silence沈黙」は、ご存じ遠藤周作(192396)の同名小説の映画化、1966年、谷崎潤一郎賞ほかを受賞したベストセラー歴史小説。監督が企画してから数年経ち、スケジュールの関係でキャストも二転三転、やっと陽の目を見るとこになった監督念願の大作。江戸時代初めのキリシタン弾圧下の日本に潜伏して布教するポルトガル青年司祭ロドリゴが主人公、懐疑と内面的な救いにもがく姿を描いた。「沈黙」とは「神の沈黙」です。1971年、篠田正浩監督が『沈黙 SILENCE』のタイトルで映画化している。今回はロドリゴにアンドリュー・ガーフィールド、師フェレイラ神父にリーアム・ニーソン、通詞に浅野忠信(前は渡辺謙だった)、塚本晋也監督もモキチ役で登場します。台湾で撮影中セットが崩れて死者一人が出るなどの不幸もあったが、撮影終了、来年公開です。 

 ◎関連記事*管理人覚え

Silencio”製作発表の記事は、コチラ⇒2015315

エンマ・スアレスとアドリアナ・ウガルテの紹介記事は、コチラ⇒201545

クランクアップの記事は、コチラ⇒2015818



『ミューズ・アカデミー』 ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ⑤2015年11月24日 12:34

1111日から開催されたセビーリャ・ヨーロッパ映画祭で「金のヒラルダ」を受賞した作品。ロカルノ映画祭でワールド・プレミアしたときから、東京国際映画祭TIFFでの上映を確信していました。その通りになったのですが、作品解説にいささかたじろぎながらも見に出かけました。危惧したとおりセリフの多さに圧倒されてしまいました。これはQ&Aが必要な映画ですね。ロカルノでも「フィクションかノンフィクションか」に質問が集中したようです。まずはデータから。

 

  『ミューズ・アカデミー』(“La academia de las musas”)

製作:Los Films de Orfeo

監督・脚本・編集:ホセ・ルイス・ゲリン

録音:アマンダ・ビジャビエハ

音響:ジョルディ・モンロス、マリソル・ニエバス

カラーリスト:フェデリコ・デルペロ・ベハル

特別エディター:ヌリア・エスケラ

 

データ:製作国スペイン、スペイン語・イタリア語・カタルーニャ語、2015年、92分、ドラマ、

受賞歴・ノミネーション:セビーリャ・ヨーロッパ映画祭2015「金のヒラルダ」賞、ロカルノ映画祭2015ワールド・プレミア

 

キャスト:ラファエレ・ピント(哲学教授ピント)、ロサ・デロル・ムンス(教授夫人ロサ)、エマヌエラ・フォルゲッタ(生徒エマヌエラ)、ミレイア・イニエスタ(同ミレイア)、パトリシア・ジル(同パトリシア)、カロリナ・リャチェル(同カロリナ)

 

作品紹介:バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における「女神論」を講義する。社会人の受講生たちも積極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて数名の受講生の個性も前景化し、次第に教授の行動の倫理が問題となってくる・・。ドキュメンタリーとフィクションの境目を無効にするJL・ゲリン監督の本領が発揮される新作。(中略)ピント教授は実際のピント教授が演じており、その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する。・・・(TIFFカタログより抜粋)

 

    レトリックや文学、詩、言葉がもつ美しさへのオマージュ

 

A: セビーリャ・ヨーロッパ映画祭の最高賞を受賞したわけですが、上映会場はスペインでの上映を待っていた批評家、ゲリン賛美者、シネアスト、学生、シネマニアなどで超満員だった。

B: 8月上旬に開催されたロカルノ映画祭の好評を聞きつけて、賛美者以外のファンも待ち構えていたというわけですね。

A: フィクションは、2007年の『シルビアのいる街で』以来8年ぶりですから、フィクションを待っていた観客も詰めかけたのでしょう。前作はセリフが極力抑えられ無声映画に近かったのに、新作はレトリックや文学、詩、つまり言葉がもつ美しさへのオマージュという対照的な作品です。

B: ロカルノでも「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとゲリンはコメントしていた。

 

   

  (トレードマークのハンチングを被ったホセ・ルイス・ゲリン、ロカルノ映画祭にて)

 

A: また監督は「とりたてて事件は起こらない」と語っていましたが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおく監督は、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。

B: プロット的にはやや強引な設定でしたが、観客は満足した。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは受け手に委ねられた。

 

A: セビーリャでの拍手喝采は熱狂的、満場を沸かせたようです。だからこそ「金のヒラルダ」を受賞できたのでしょう。上映はパリ同時テロの2日前だったから、今思うと感慨深いです。

B: 結局、授賞式や関連イベントは中止になりましたけど。

 

フィクションかノンフィクションかの区別がはっきりしなくてよい

 

A: 「どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか」という質問については、「観客にとってはよく分からないほうがいい、そう思いませんか」と答えている。フィクションかドキュメンタリーか、喜劇か悲劇か、そのような映像の区別は重要でないということですかね。

B: 区別は必要ないという意見に賛成ですが、生徒の質問のどこまでが本人のもので、どこからがセリフなのか気になります。

 

A: 新作の導入部はバルセロナ大学でのピント教授の授業風景から始まる。沈黙の重さに支配された過去の作品への〈言葉による〉過激な返答という意味合いがある。導入部のダイアローグの応酬はつむじ風、サイクロン級でした。

B: 教授の講義も生徒の質問もレベルが高くて、ドキュメンタリーとはとても思えません。ただ境目がわからなかった。でも曖昧でいいのですね。

 

A: 道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、教授夫人も彼の妻、生徒たちもバルセロナ大学で講義を受けているノンプロの人たちで自分自身を演じている。しかしこれは100パーセントフィクションだと。そもそもドキュメンタリーというジャンルはないという立場の監督です。

 

B: 教室を一歩出ると、夫婦間で火花が飛び散っている。夫婦の危機が表面化し、教授と生徒の間に新しく生まれたロマンスも進行していく。

A: 観客は次第に、ダンテの「神曲」における女神の役割論から異なったテーマ、例えば理性より感情、欲望、性、嫉妬、夫婦などをテーマにした議論に巻き込まれていく。

 

         

               (新しいロマンスの相手と教授)

 

B: 東京も含めてどこの会場でも、教授夫妻の迫真の口論には笑い声が上がったと思う。

A: 論客ピントも皮肉やの夫人に押され気味、ここがいちばん自然で本物らしく見えたが、「勿論実人生ではない。しかしある瞬間は真実が入っている、なぜならエモーションは本物だから。二人には予めこれはフィクションだからと言っておいた。でもカメラが回り始めると二人は自分の信じていることを話し始めた。もし彼らが信じていなければ、あのダイアローグは不可能だった」と監督。

 

B: 教授は実人生でもバルセロナ大学の文学教授、ロサ・デロル・ムンスはカタルーニャ文学や言語学の研究者だそうですが。

A: 教授は1951年ナポリ生れ、ダンテ心酔者、1974年からバルセロナ大学でイタリア哲学、特にダンテと文学を専門に教えている。デロル・ムンスは1943年バルセロナ生れ、バルセロナ大学の文献学を卒業、“Salvador Espriu (1929~43)”など何冊か研究書を上梓している。映画でもピント教授より年長に見えましたが、大分離れている。

 

       

          (ガラスを透して口論する教授夫妻を撮影している)

 

B: 「私がもっと若かったら」と真情を吐露している。女性は疑り深く独占欲が強く、嫉妬深い。

A: 嫉妬深いのは同じだが、男性は女性より上位にいたがり、常に自分が正しく、相手を自分好みに変えたがる。悲喜劇としか思えないが、それでも夫婦をやっている。このシーンは、ウディ・アレンの映画を彷彿させる。

 

         中心テーマは知の変化――教授法は一種の変化に貢献する

 

B: TIFFの解説に「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」とありましたが、講義内容はレベルが高すぎ、生徒はおろか登場人物の誰とも同化できませんでした。

A: 講義は一方的に与えるだけでなく、生徒に反論させている。生徒が変化するだけでなく、教授自身も「君の視点が私を変えた」と語っていた。優れた教授法は知の変化に貢献する。教師という仕事は生徒を餌食にするが、生徒も教師を餌食にしている。互いに変化するところが面白い。

B: 知識は変化によって価値、重要性、満足度というか喜びをはかっている。

 

A: 生徒の一人が、地中海にあるイタリア領の島、サルディーニャ島に案内する。そこで出会った牧人詩人が披露してくれた先祖伝来だという歌は素晴らしかった。

B: 現在でもこんなアルカディアが存在するなんて。この牧人には同化できますね。サルディーニャ語はイタリア語の方言ではないと言っていた。

    

 

    (小型カメラで撮影する監督、サルディーニャ島にて)

 

A: 本当の羊飼いで、ゲリンも生徒の一人(多分イタリア語を話していたエマヌエラ・フォルゲッタと思うが)に案内してもらうまで、その存在を知らなかったそうです。自然が生みだす異なった音色の洗練さに感動したとロカルノで語っていた。内容は羊飼いの古典的神話を詩の世界に調和さたものらしい。サルディーニャ島に出掛けて撮影することは最初からのプランで、作品に新しい視点を与えてくれたとも。

B: サルディーニャ語はラテン語を起源とするロマンス語に属し、フェニキア語、カタルーニャ語、スペイン語の影響も受けているとウィキペディアにあった。

 

A: サルディーニャ島シリゴ出身の言語学者ガヴィーノ・レッダを思い出しました。彼も羊飼いで20歳になるまで文字が読めなかった。父親が羊飼いには必要ないと受けさせなかった。その後軍隊で初等教育を受け、ローマ大学の言語学科を卒業したときには32歳だった。自伝『パードレ・パドローネ』(1975)がベストセラーになり、日本でも翻訳書が出ている。

B: タヴィアーニ兄弟が映画化して、カンヌ映画祭1977のグランプリを受賞、これも劇場公開されたから、見た人多いと思う。今は引退して生まれ故郷シリゴで農業と牧畜に携わっている。

 

A: スペインでも詩人ミゲル・エルナンデスは、子供時代から羊飼いをして正規の学校教育を受けていない。貧しいからという理由でなく、父親が必要ないと受けさせなかった。だから独学ですね。大体ロルカと同じ時代を生きた詩人です。

B: 内戦では共和派、終結後に収監されて生まれ故郷アリカンテの刑務所付設の病院で31歳の若さで亡くなった。スペインではロルカよりファンが多いとか。羊飼いは自然と対話していないと成り立たないから自ずと思索的になるのかもしれない。

 

    

          (カロリナ・リャチェルとエマヌエラ・フォルゲッタ)

 

     有力な映画祭出品は肌に合わない――ドキュメンタリー映画祭が好き

 

A: 『シルビアのいる街で』はベネチア映画祭に出品されたが、もみくちゃにされたのがトラウマになっているのか、有力な映画祭は好きではないという。良かった映画祭はドキュメンタリー映画祭だと。

B: 映画の宣伝には役立つが、フィクションかドキュメンタリーか、悲劇か喜劇か、カンヌなんかはジャンル分けがうるさいと聞いています。それぞれセクションごとに上映するから仕方ない。

A: ベネチア映画祭では、映画祭の喧騒を逃れて小型のデジカメを手に土地の人々や風景を収めていた。本作は世界各地の映画祭に招待されたが、映画祭はそっちのけで気軽に町中に出かけて取材していた。そうして出来たのが『ゲスト』(10)でした。

B: プレミアはコンペではないが同じベネチア、同年TIFFでも上映された。

 

A: 撮影監督の名前がIMDbにもカタログにもクレジットされていない理由は推測するしかないが、ガラスを透して撮影するシーンが記憶に残った。

B: 前作『シルビアのいる街で』と似ていた。キャストとの心理的な距離を表現したいのか、機会があれば質問したいね。

 

A: ゲリンは完璧主義者に思われているが、素描の性格をもっている映画が好みで、技術的な凝り過ぎは最低だと語っている。確かに何回も撮り直しをするタイプじゃない。

B: 夫婦の口論も1回勝負だから、観客は騙された。

 

A: 自分で編集を手掛けるから観客第1号は自分、これは素晴らしい体験だと言う。かつての映画小僧も、今はあちこちの映画学校で講義をしている。映画を撮るべきかどうか質問されたら、最初の助言は止めなさいです。それでも中には止めないクレージーな学生がいて、そういう学生には手を差し伸べます。映画監督はクレージーでないと務まらない。

 

バヨナ、新作「怪物はささやく」の予告編を披露した2015年11月26日 13:02

            公開は1年先の201610月に決定

 

★昨年12月にキャストやスタッフなど大枠をアップいたしましたが、先日最初の予告編が監督のツイッター上に登場しました。1分ちょっとの本当に短いものですが見上げるようなイチイの大木です。リーアム・ニーソンがこのイチイのモンスターになります。スペイン語題はUn monstruo viena a vermeですが、言語は英語です。邦題がどうなるか分かりませんが、パトリック・ネスの同名小説“A Monster Calls”が既に『怪物はささやく』として翻訳されておりますので、決定するまで当ブログではこれを採用します。

 

      

              (イチイの大木を見上げるコナー少年)

 

★フアン・アントニオ・バヨナの「母子三部作」の最終回です。「母子三部作」というのは、2007年の『永遠のこどもたち』2012年の『インポッシブル』のこと、テーマ的には第1作に近い。というのは「現実的な家族を描きますが、領域的には死が身近にあり、エモーショナルな激しさを共有しているから」だそうです。『インポッシブル』は、昨年のOcho apellidos vascosが記録を塗り替えるまで、スペインでの興行成績ナンバーワン、国内でこそ記録は破られましたが、世界記録は保持しています。本作でバヨナはゴヤ賞監督賞のみならず、最年少「国民賞」(映画部門)受賞者にも輝いた。今年の受賞者がフェルナンド・トゥルエバでしたから、いかに異例の受賞だったかが分かります。

 

主役のコナー少年にはオーディションを受けた約1000人の中から選ばれたルイス・マクドゥーガル、ほか主な登場人物は、癌闘病中の母親にフェリシティ・ジョーンズ、祖母にシガニー・ウィーバー、『永遠のこどもたち』にも出演したジェラルディン・チャップリンなどがクレジットされている。リーアム・ニーソンを含めて大物俳優が脇を固めている。

 

   

(最後列L・ニーソン、脚本家P・ネス、S・ウィーバー、前列L・マクドゥーガル)

 

本作“Un monstruo viena a verme”のデータは、コチラ⇒20143171213