マルク・レチャ、息子への愛の賛歌*サンセバスチャン映画祭2015 ⑩2015年10月01日 15:08

        テーマは父性についての考察

 

★結果は無冠に終わりましたが、オフィシャル・セレクションにノミネートされていたマルク・レチャUn dia perfecte per volar (Un dia perfecto para volar)が静かな感動を呼び起こしていたようです。オリジナル版はカタルーニャ語です。父親と7歳になる息子ロックの物語。子供は父親手作りの凧を空高く揚げたいと思っている。風が吹いてくるが一人で揚げられない、凧の糸が灌木の茂みに引っ掛かってしまって解けない、父親の手助けが必要だ。自然のまっただ中で、父と子はゆったりと過ごす。息子にせがまれて、父親はいつもお腹をすかしている巨人の話、幻覚キノコや赤い耳のウサギの話を語っている。次第に現実と幻想の境がぼやけていく。これは父性とは何かについての個人的な考察だ。

 


    (サンセバスチャン映画祭に出席した出演者とスタッフ、右端がレチャ監督)

 

  Un dia perfecte per volar (Un dia perfecto para volar)

製作:Batabat / カタルーニャTV / スペイン国営テレビTVE

監督・脚本:マルク・レチャ

撮影:Helene Louvart

音楽:パウ・レチャ(監督の兄弟)

データ:スペイン、カタルーニャ語、2015年、ミニ長編の70分、撮影地バルセロナ近郊のガラフGarraf自然公園(シッチェス市)、スペイン公開1023

キャスト:セルジ・ロペス(父親)、ロック・レチャ(息子)

 


           (凧を飛ばそうとするセルジ・ロペスとロック少年)

 

★子を演じるのは、いや演じているのではないようだが、監督自身の息子ロック、未だ上の前歯が生えかわっていない。幼児というほど幼くないが少年ともいえず、現実と幻想の垣根が低い年頃だ。サンタの存在に疑いを抱き始めているが、毎年枕元にあったプレゼントを忘れない。この年頃は短く、総じて体験主義者だから存在しているほうに傾く。カメラの前でも物怖じしない。撮ってるのは大好きなパパだし、パパ役はお隣りの小父さんだから、子供は自由で自然にふるまっている。ここに出てくる父親は、私たちが見なれている、生涯にわたって息子を苦しめる映画の対極にあるようだ。

 


           (大空に舞い上がった凧、ガラフ自然公園にて)

 

★父親にはセルジ・ロペス、セルジ・ロペスで思い出すのは、ギジェルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』で憎きファッシスト、少女の義父になったビダル大尉だ。しかしここでは息子に限りない愛をそそぐ父親になった。レチャ監督とロペスは友人というよりお隣りさん、だからロックにとっては隣りの小父さんにすぎない。「カメラの前でも緊張せず、つまり息子を俳優にする必要がなかったんだ」と監督。ドキュメンタリーの手法を活用しているが、これはあくまでもフィクション、撮影は地中海沿岸近くのガラフ自然公園で期間はたったの5日間だった由。テクノロジーを使用せず、大量消費とは無縁だが、こういう映画の編集は難しかったのではないかと想像する。

 


           (撮影中の監督とロック、こちらは実際の父子)

 

★ここに出てくるのは、手作りの凧、子供とその父親、人気のない小高い山、鄙びた自然の美しさ、父親が語る巨人の話、多くのスタッフや多額の資金も必要なく、ささやかな家族の物語が綴られる。しかし最後に観客は一緒に歩いてきた小道に落ちていたものが何だったかを理解するのではなかろうか。イングマール・ベルイマンのように生涯子供を罰したり苦しめたりする映画の対極にあるように思えます。テクノロジー優先の映画に食傷気味のシネマニアにも殊のほか好評で、特に子供のいる人々にはある種の感動を呼び起こしたようです。勿論退屈だった観客もいたわけで、みんなを満足させる映画などありません。それでもセルジ・ロペスの素晴らしい演技を褒める批評家が多かった。商業的な成功を求めずに撮ったにもかかわらず、1023日にスペイン公開が決定している。

 

   監督紹介&主なフィルモグラフィー

マルク・レチャ監督は、1970年バルセロナ生れ、監督、脚本家、デビュー作のEl cielo sube1991)以外、カタルーニャ語で映画を撮っており、ドキュメンタリーの映像作家としての評価も高い。1988年から数多くの短編を発表、デビュー作“El cielo sube”は、トゥリア賞(第1作作品賞1993)、ムルシア・ウイーク・オブ・スパニッシュ・シネマ賞(第1作作品賞1992)を受賞した。第2L’arbre de les cireres(“Tree of Cherries1998)が、ロカルノ映画祭で国際映画批評家連盟賞、トゥリア賞の新人監督賞、シッチェス映画祭カタラン賞などを受賞、第3Pau i el seu germa(“Pau and His Brother2001)が、

カンヌ映画祭にノミネートされ国際的な知名度をあげたほか、オンダス賞の監督賞を受賞した。第6Petit indi(“Little Indi2009は、ガウディ賞にノミネートされ、新作の主役セルジ・ロペスが出演している。基本的にはカタルーニャ語にこだわって映画を撮っているが、スペイン語、英語などが混在している作品も多い。

 

 

オスカー賞2016のスペイン代表はバスク語映画『フラワーズ』2015年10月03日 13:39

            決定しても米国では未公開、プレセレクションへの道は遠い

 

グラシア・ケレヘタ(“Felices 140”)とカルロス・ベルムト(“Magical girl”)は残念でした。“Magical girl”はアカデミー会員の年々上がる平均年齢から判断して、まず選ばれないと考えていました。こういうオタクっぽいミステリーは好まれない傾向にあるからです。“Felices 140”はかなりスペイン的なシリアス・コメディだから無理かなと。消去法と言ってはなんですが、結局ジョン・ガラーニョ&ホセ・マリ・ゴエナガ『フラワーズ』が残ったのではないでしょうか。しかし、選ばれてもアメリカでは映画祭上映だけで、目下一般公開のメドが立っていません。最終候補に残るには、少なくともロスで1週間以上の一般公開が必要条件です。アメリカでの映画祭上映、映画祭で受賞してもダメです。本作はパーム・スプリングス映画祭のラテン部門で受賞していますが、これは条件を満たしたことになりません。

 


12月中頃に9作品のプレセレクション発表、ノミネーションは年明け114日です。短期間の勝負だから多くの国はプロモーションの人手は足りても資金が続かない。二人の監督はスペイン映画アカデミーに感謝の言葉を述べていますが、ちょっと神経質になっているようです。何しろゴヤ賞でさえビビっていたのですから。反対にプロデューサーのハビエル・ベルソサは意気軒高、初のバスク語映画、この稀少言語を逆手にとって、他との差別化を図りたい。以前モンチョ・アルメンダリスの『心の秘密』(1997)がノミネートされ、舞台がバスクだったので若干バスク語が入っていたが、本作は全編バスク語だ。「この特異性は強いカードだ」と言う。「目下新作を製作中だが一時中断してプロモーションに出掛ける」そうです。

 


★バスク自治州政府も後押ししている。スペインで一人当りの平均収入が最も高い豊かな州だが、過去に起きたETAの暴力テロで国際的にはイメージがよいとは言えない。またバスク語は放置すれば消滅してしまう言語ですから、バスク語映画が代表作品に選ばれたのをチャンスととらえ、バスク語普及に力を入れているバスク政府の言語政策のキャンペーンにも利用したい、あわよくば観光客も呼び込みたいと一石二鳥どころか三鳥、四鳥も狙っているようです。ま、頑張って下さい。

 

★昨年、ラテンビートと東京国際映画祭で共催上映されたから、ご覧になった方は、鋭い人間洞察、ちょっとしたユーモア、雨に濡れた森の緑の映像美、バックに流れる音楽、見事な伏線の張り方、何はおいてもテーマになった、老いや孤独、突然の死が織りなすドラマに魅了されたことでしょう。

 

★スペイン以外で決定しているラテンアメリカ諸国のうち、アルゼンチン、チリ、グアテマラなど、当ブログに度々登場させた映画も選ばれています。以下はその一例:

 

アルゼンチンEl clan 「ザ・クラン」パブロ・トラペロ、ベネチア映画祭監督賞受賞

チリEl Club”『ザ・クラブ』パブロ・ラライン、ベルリン映画祭グランプリ審査員賞受賞

コロンビアEl abrazo de la serpienteチロ・ゲーラ、カンヌ映画祭「監督週間」作品賞受賞

グアテマラIXCANUL”『火の山のマリア』ハイロ・ブスタマンテ

ベルリン映画祭アルフレッド・バウアー賞受賞

メキシコ600 Millasガブリエル・リプスタイン

ベルリン映画祭2015「パノラマ」部門で初監督作品賞受賞

ベネズエラDauna. Lo que lleva el río(“Gone With The River”)マリオ・クレスポ

パラグアイEl tiempo nublado(“Cloudy Times”)ドキュメンタリー、アラミ・ウジョン

ドミニカ共和国Dólares de arena(“Sand Dollars2014

ラウラ・アメリア・グスマン&イスラエル・カルデナ

 

★ベネズエラはベネチア映画祭で金獅子賞を受賞したばかりのロレンソ・ビガスDesde allá(「フロム・アファー」)を当然予想していましたが外れました。多分受賞前に決定していたのではないかと思います。まったくノーマークだったマリオ・クレスポの作品が選ばれましたが、ベネズエラのTVドラを数多く手掛けている監督です。

 

★パラグアイのEl tiempo nubladoは、近年増加しているというパーキンソン病に罹ったウジョン監督自身の母親を追ったドキュメンタリー、車椅子生活となった母と娘が向き合う映画、これは是非見たい映画です。下の写真は監督と母親、映画から。

 



★ドミニカ共和国の“Dólares de arenaは、2014年の作品で、主演のジュラルディン・チャップリンが第2回プラチナ賞の候補になったときご紹介した作品です。二人の監督はメキシコで知り合い結婚しています。本作は二人で撮った長編3作目になります。いずれドミニカ共和国を代表する監督になるでしょう。アグスティ・ビリャロンガの『ザ・キング・オブ・ハバナ』でも書いたことですが、若いシネアストたちのレベルは高い。

 



★奇妙なことに外交的な雪解けにも拘わらず、キューバ映画芸術産業庁は今回代表作品を送らないことに決定したそうです。送らないのか送れないのか、どちらでしょうか。2016年のゴヤ賞やアリエル賞も参加しないようです。面白いことにアイルランド代表作品Vivaは、キューバの俳優を起用してハバナで撮影、言語はスペイン語、ハバナで暮らすドラッグ・クイーンの若者が主人公のアイルランド映画。当ブログはスペイン語映画のあれこれをご紹介していますが、こういう映画は想定外でした。18歳の若者に長編デビューのエクトル・メディナ、刑務所を出所したばかりの父親に名優ホルヘ・ペルゴリア、他ルイス・アルベルト・ガルシアなどベテランが脇を固めています。「父帰る」で対立の深まる父と子の物語。

 


                       (エクトル・メディナ、映画から)

★監督は1964年ダブリン生れのパディ・ブレスナック、すべて未公開作品ですが、DVD化されたホラー映画2作とファミリー映画1作があるようです。トロント映画祭やコロラド州のテルライド映画祭(9月開催)でも上映された。テルライド映画祭は歴史も古く審査員が毎年変わる。今年はグアテマラ代表作品IXCANULも上映された。アイルランド映画委員会が資金を出して映画振興に力を注いでいるようで、本作のような海外撮影を可能にしたようです。

 

★アイルランドの公用語は勿論アイルランド語ですが、400年にも及ぶイギリス支配で、国民の多数は英語を使用しています。国家がアイルランド人としてのアイデンティティ教育の一環として学校で学ぶこと義務づけられています。しかし学ぶには学ぶが、日常的には英語だそうです。最近EUの公用語に指定された。支配下にあった時代のスウィフトの『ガリヴァー旅行記』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』も英語で書かれた。

 

 

ロドリーゴ・プラの新作はサスペンス*東京国際映画祭2015 ①2015年10月04日 17:23

          スペイン語映画が3作上映されます

 

★東京国際映画祭TIFFの大枠がはっきりしてきました。見落としがなければスペイン語映画は、コンペティションにロドリーゴ・プラの『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』、ワールド・フォーカスにホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』と、ラテンビート共催上映のセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』の合計3作がアナウンスされました。

 

★コンペ上映の『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』メキシコ)は、ベネチア映画祭2015でご紹介したUn monstruo de mil cabezasの英題をそのまま仮名で表記したものです。作品解説によると「~平凡な主婦が絶望的な行動に走る様を、抜群のテクニックで描くノンストップサスペンス」と紹介されています。また「~前作『The Delay』において~」とあるのは、La demoraの英題、「ラテンビート2012」で『マリアの選択』の邦題で上映された映画です。生れ故郷ウルグアイに戻って製作、主人公マリアに扮したロクサナ・ブランコが高い評価を受けた映画でした。監督と脚本家のラウラ・サントゥリョは夫婦で共にウルグアイ出身です。新作はメキシコに戻って撮ったメキシコ映画、既にスタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介しています。

Un monstruo de mil cabezasの記事は、コチラ⇒2015810

  


セサル・アウグスト・アセベドの『土と影』については、ラテンビート2015、またはカンヌ映画祭2015に、スタッフ、キャスト、監督キャリア&フィルモグラフィーなどトレビアを含めてご紹介済みです。ラテンビートは1011日(日)21001回だけの上映です。遅い時間帯だけに帰宅の足が心配な方は、是非TIFFで。

カンヌ映画祭2015の記事は、コチラ⇒201551 9


8月の暑い盛りに開催されるスイスのロカルノ映画祭の話題作、ホセ・ルイス・ゲリンの久々の新作『ミューズ・アカデミー』については、次回アップいたします。TIFFの公式サイトに「ドキュメンタリー」とありましたが、さて、これはドキュメンタリーでしょうか。


                (ホセ・ルイス・ゲリン監督)


『ミューズ・アカデミー』J・L・ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ②2015年10月06日 12:35

        ロカルノ映画祭の話題作は、言語についてのパッションがテーマ?

 

★日本ではビクトル・エリセのお墨付き監督ということで(実際にお弟子さん)、ゲリンを待っているコアなファンが多く、東京国際映画祭TIFFの常連さんでもある。『シルビアのいる街で』(08)のヒット以来、ドキュメンタリー『ゲスト』(10)、同『メカス×ゲリン 往復書簡』(11)と今回で4本は異例の多さではないでしょうか。『シルビアのいる街で』が20108月に公開されたのを機にイメージフォーラムで特集が組まれ、全作品が1週間にわたって上映されました。勿論ゲストとして来日、その驕らない誠実さでファンを魅了、彼がQ&Aに出席した回は満席だった。

 

★製作国はスペイン、言語はスペイン語、カタルーニャ語、イタリア語が混在、TIFFの原題がイタリア語のL’Accademia delle Museなのは、ロカルノ映画祭がワールド・プレミアだったことと思われます。スイス南部に位置するロカルノ市はイタリア語圏、IMDbが採用しているのはスペイン語題のLa academia de las musasです。英題が“The Academy of Muses”、邦題は英題のカタカナ起しといういささか込み入っています。込み入っているのは言語やタイトルだけでなく、テーマそのものらしい。これについては鑑賞後に回すとして、TIFFの作品解説からもその一端が窺えます。

 


★前回「ジャンルはドキュメンターとあるが・・・」と疑問を呈しておきましたが、道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、これは紛れもなく「フィクション」です。作品解説に「バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテの『神曲』における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における〈女神論〉を講義する・・」とあるように、導入部は同大学での授業風景から始まる。ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、その他のキャスト、講義を受ける学生たちも実際のファーストネームで登場するようです。

 


★ゲリンは「とりたてて事件は起こらない」とロカルノでのインタビューで語っているが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおくゲリンは、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは観客に委ねられた。セリフは極力抑えられ無声映画に近かったと思います。しかし新作は「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとコメントしている。

 

★哲学論の講義など、普通は退屈のあまり睡魔と闘うものだが、ここでは白熱すようだ。「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」、同化できるかどうか、試してみるのも面白いか。


オスカー賞代表に選ばれなかった金獅子受賞作品「フロム・アファー」2015年10月09日 14:42

       ベネズエラ映画アカデミーの不可解な選択

 

★ラテンビートまたは東京国際映画祭で見たかった作品の一つがロレンソ・ビガスDesde allá(“From Afar”「フロム・アファー」)でした。初めて中南米に金獅子賞のトロフィーをもたらした作品。ベネチア後も次々に上映される映画祭廻りに奔走するビガス監督に代わって、テレビに引っ張りだこのルイス・シルバ(主演男優)、映画祭など興味のなかったお茶の間の皆が知ってる映画だった。ところがベネズエラはオスカー賞代表作品に選ばなかったのだ。何故選ばなかったのか、宣伝費ゼロで世界の映画市場に乗りこめたはずなのに。教会には行かないがカトリック教徒が多数派のベネズエラでは、愛の許容度が狭く同性愛に触れるのは今でもタブーということなのだろうか。

 


★パブロ・ララインのお気に入り俳優アルフレッド・カストロがチリを離れてベネズエラ映画に出ると聞いて興味津々でした。2014年の年初から首都カラカスの街中で始まった撮影は、かなり大掛かり、街頭での撮影は何枚も書類を書かなければオーケーが出ない。多分当時は詳しい内容が分かっていなかったから可能だったのかもしれない。

 

★ビガス監督によると「これは同性愛についての映画ではなく愛の物語」だそうです。男と女のノーマルな愛とは違うが、じゃノーマルとは何かということですね。主人公のアルマンドの人格はかなり複雑だが、構図的にはそんなに複雑ではないように思える。魅惑と憎しみが混在しているアルマンド(50代の義歯技工士、裕福、陰気、不実)VS街中をうろつく逃げ場のないエルデル(17歳の不良少年、貧乏、純粋、孤立無援)と、メタファーも分かりやすい。最初から悲劇に終わる予感を抱かせる映画だが、問題はエンディングが観客に充分説得力をもっていたかどうかだろう。

 


★ベネチアの後、トロント映画祭、サンセバスチャン映画祭、ビアリッツ・ラテン映画祭、そして10月にはロンドン映画祭上映が確定した。サンセバスチャンではエル・パイスのインタビューに応じた。結構面白いQ&Aで、かいつまんでご紹介すると、自分の人生を変えた映画は、イングマール・ベルイマンの映画だそうです。「人間の内面、無意識についての映画だと気づいたとき、とても興奮した」と。具体的には1960年代に撮られたリヴ・ウルマンが主演した『仮面/ペルソナ』66)と『情熱』(『沈黙の島』69)を挙げているが、すべての作品にインパクトを与えられたそうです。彼は1967年生れ、当然リアルタイムではない。

 

★本作ではリハーサルをせず、朝食をすますとセットに出向き、撮影20分前に出演者たちに脚本を渡した。つまり俳優たちは以前に脚本を読んでいない。これはララインが『ザ・クラブ』で同じ方法をとった。「出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入った。つまり誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした」と語っていた。両方に出演したアルフレッド・カストロは経験済みだが、なかには不安を覚えた出演者もいたのではないかと想像する。

 

★映画祭で隣り合って着席したい人は誰かと訊かれて、トルコの「ヌリ・ビルゲ・ジェイラン」と即答、「今一番尊敬している監督、今回の(ベネチア)映画祭の閉会式後に食卓を一緒に囲んで歓談でき、希望が叶った」と、彼は審査員の一人でした。金獅子受賞は審査委員長キュアロンの後押しだけではなかったようです。勿論、アトム・エゴヤンの“Remember”を推していた審査員もいたでしょうが。誇りに思うことは二人の俳優(カストロと青年役のルイス・シルバ)と仕事ができたこと、そして審査員が映画を気に入ってくれたことだそうです。

 

★人生の初めにどんな映画を見たらいいか、「もし私が5歳だったら、想像力をふくらます映画、例えば宮崎駿の作品、映画を作りたい若い人にも同じことを薦める」そうです。エレベーターで偶然乗り合わせたい人はスカーレット・ヨハンソン、好きな場所はカラカスの自宅、週末には友人たちとお喋りしたい、メッシとクリスティアーノ・ロナウドではどちらの贔屓、両方のファンだよ、でもメッシかな・・・、もう映画とは関係ない。

 

短編Los elefantes nunca olvidan2004、監督・脚本・製作、製作国メキシコ、スペイン語)は、カンヌ映画祭の他、モレリア映画祭、ウィスコンシン映画祭で上映された(英語字幕付きがYouTubeで見ることができます)。この短編と受賞作、既にタイトルも決まっている次回作La caja3本を合わせて三部作にしたい由。

 


★キャスト、プロット、ロレンソ・ビガス監督のキャリアとフィルモグラフィー紹介、並びに金獅子賞受賞の記事はアップ済みなので繰り返しません。

作品・監督紹介記事は、コチラ⇒201588

金獅子賞受賞のニュース記事は、コチラ⇒2015921

 

 

パブロ・ラライン 『ザ・クラブ』 *ラテンビート2015 ④2015年10月18日 15:11

         今年の目玉は『ザ・クラブ』か?

 

★朝から夜まで3日間で10本の強行軍、いささか疲れました。一応映画祭前にご紹介した作品は鑑賞できましたが、なかには掘り下げが中途半端で期待外れもありました。逆に『アジェンデ』のように予想以上によかった作品もありました。なかで一番興奮したのがパブロ・ララインの『ザ・クラブ』、まだ充分内容が咀嚼できておりませんが、時間が経つと記憶が薄れて書けなくなるので、勘違いを覚悟でアップいたします。部分的にネタバレしております。

222日「ベルリン映画祭審査員グランプリ受賞」の記事と重複している部分を含みます)

 

 

『ザ・クラブ』El ClubThe Club”)2015

製作:Fabula (ラライン兄弟が設立した製作会社)

監督・脚本・製作者:パブロ・ラライン

脚本(共同):ギジェルモ・カルデロン、ダニエル・ビジャロボス

音楽:カルロス・カベサス

撮影:セルヒオ・アームストロング

編集:セバスティアン・セプルベダ

美術・衣装・デザイン:エステファニア・ラライン

製作者:フアン・イグナシオ・コレア、マリアネ・アルタルド、ロシオ・Jadue(以上エグゼクティブ)、フアン・デ・ディオス・ラライン(監督の弟)

 

データ:チリ、スペイン語、2015年、98分、撮影地:チリ第6区リベルタドール・ベルナルド・オイギンス州ラ・ボカ・ナビダード

公開:チリ528日、ブラジル101日、スペイン(限定109日)、ポーランド1016日、デンマーク1029日、他フランスとドイツ11月、イギリス20163月公開がアナウンスされている。

受賞歴:ベルリン映画祭2015審査員グランプリ(銀熊賞)受賞作品

ノミネーション:トロント映画祭917日、ロンドン映画祭108日、他多数

 

キャスト:アルフレッド・カストロ(ビダル神父)、ロベルト・ファリアス(サンドカン)、アントニア・セヘルス(シスター・モニカ)、アレハンドロ・ゴイク(オルテガ神父)、ハイメ・バデル(シルバ神父)、アレハンドロ・シエベキング(ラミレス神父)、ホセ・ソーサ(マティアス・ラスカノ神父)、マルセロ・アロンソ(ガルシア神父)、フランシスコ・レジェス(アルフォンソ神父)他  


                    (薄暮の海岸で犬の調教に熱中するビダル神父)

 

プロット:かつて好ましからぬ事件を起こして早期退職を余儀なくされた神父4人のグループを、教会が海岸沿いの人里離れた村の一軒家に匿っている。神父たちはカトリック教会のヒエラルキーのもと共同生活を送っており、シスター・モニカが神父たちの世話をして生活を支えている。彼女が外と接触できる唯一の人物であり、神父たちが飼っている狩猟犬グレーハウンドの世話もしている。ある日、この「クラブ」に5人目の神父が送りこまれてきたことで、秩序ある静穏さが一変してしまう。                              (文責:管理人)

 

             拘りつづけるチリ社会の闇

 

 ベルリン映画祭の審査員グランプリ受賞のさい記事をアップいたしましたので、ラテンビート(LB)としては鑑賞後に回しました。サンセバスチャン映画祭「ホライズンズ・ラティノ」では無冠だったので、やはりベルリンは特殊なのかと思っていました。

: 『パウリーナ』が独占しましたからね。これについては疑問を呈していましたが、審査員も観客も違えば評価も違うということでしょう。

: 合唱劇ではありませんが、キャスト紹介からも分かるように複数の神父が出てくるので、それぞれどういう罪で<クラブ>に閉じ込められているのか、その理由が分かるまでうろうろします。鑑賞1回でアップするのはちょっと冒険です()

 

: 性的虐待の廉でクラブ入りした最重要人物ビダル神父役のアルフレッド・カストロ以外は区別が難しい。前作NOに出演した俳優が殆どですが、ラライン映画のファンでも、サンドカンを演じていたのがロベルト・ファリアスだったのに気が付くのは終りのほうになってからです。

: 何しろ顔が髭だらけで顔が見えなかった()サンドカン役も重要人物の一人、NO』で主役を演じたガエル・ガルシア・ベルナルの別れた妻ベロニカのパートナーになった。アントニア・セヘルスが扮した訳ありシスター・モニカ役がもう一人の重要人物、彼女はNO』でコミュニストのベロニカを演じた女優、この三人を中心にドラマは進行していく。

 


        (髭で素顔が見えないサンドカン役のロベルト・ファリアス

 

: キャストはラライン映画専属俳優と言ってもいいくらい、監督は気に入った俳優を起用しつづけるタイプ、1回起用に徹しているアメナバルの対極にある監督です。

: アルフレッド・カストロは、「ピノチェト政権三部作」全てに出演、『トニー・マネロ』がLB2008で上映された折り来日しております。監督夫人でもあるアントニア・セヘルスも同じように全3作に出ており、『トニー・マネロ』では脇役のTVプロデューサー、第2作“Post Mortem”で主役を演じた。子供の時から女優になるのが夢だったという根っからの女優志願。

 

: 女優、テレビ製作者、ラライン同様セレブ階級に属しており、結婚は2006年、既に2人子供がいる。神父たちを甲斐甲斐しく世話しているが、その実クラブを牛耳っている抜け目のないシスター役は秀逸でした。よく透る美しい声の持主。

: 彼女は家政婦であると同時に看守であり、つまりクラブはカトリック教会直属の私設刑務所でもあるからです。教会のルールに従って神父たちの連禱などを先導、男たちの気まぐれを許しながら、緻密な管理能力で調和を保つよう細心の注意を払っている。正式な尼僧ではないらしく過去のある謎のシスター、下界と接触できる唯一の人物。カトリック教会のヒエラルキーの末端にいるが、彼女なしにはクラブは存在できない。

 


           (シスター・モニカ役のアントニア・セヘルス

 

: しかし、彼女自身もクラブなしには生きていけないという共犯関係にある。全員で所有している狩猟犬グレーハウンドと一緒に土地のドッグレースに出場できるのもシスターだけ、闇にまぎれて夜間しか外出できない神父たちは遠くから双眼鏡でレースを見守るしかない。

: 神父たちがささやかとはいえ、教会が禁止している賭け事に興じているのも皮肉です。このグレーハウンド犬はバイブルに登場するただ一つの犬種で、この犬の辿る運命が大きなメタファーになっているのでしょう。ビダル神父が海岸沿いでラヨと名付けた犬を訓練している美しい映像が上記の写真です。

 

: 神父たちは各自一定の距離を保ってバランスをとっている。そうすることが生き延びる最低条件だと分かっているからです。

: それぞれクラブに入らざるをえなかった理由が違います。二人目のシルバ神父はピノチェト軍事独裁政の弾圧機関によって送りこまれた反体制派の神父、三人目はオルテガ神父、違法な赤ん坊の養子縁組を告発されて送りこまれてきた。四人目がラミレス神父、老いのせいか長い隔離が原因か分からないが、認知症でシスターにお下の世話をしてもらっている。クラブで何十年もの年月を過ごしている最高齢者である。

 


          (左から、ビダル神父、オルテガ神父、シルバ神父)

 

: そこへ五人目の小児性愛の罪でラスカノ神父が到着、間もなく神父を追ってサンドカンがクラブの庭先に現れたことで、危うい均衡を保っていた調和が脆くも崩れてしまう。

: ラスカノ神父は自分は小児性愛者ではなく、皆さんのような罪は犯していないと主張するが、庭先でのサンドカンの喚きがすぐさまそれを打ち消す、彼は神父を「マティアス」とクリスチャン・ネームで呼んでいる、これがミソです。

: 神父を告発するためにこの僻地まで追ってきたのでないことが明らかになっていくが、その真の理由は誰にとっても秘密にしたいことだった。

 

: サンドカンを追い払うために渡したピストルで、あろうことかラスカノ神父が自殺してしまう。前半のクライマックスです。ここでクラブの性格が一気に判明してしまう。

: クラブの存続を脅かす性的虐待と自殺行為が神父たちを恐怖に陥れる。

: 正式に神父たちには告解を聞いたり葬儀を行う権限がなく、中央からアルフォンソ神父が派遣され葬儀が執り行われる。そして原因糾明を担ったガルシア神父が登場、これですべての神父が出揃うことになる。

: 直にガルシア神父到着の本当の理由が、クラブ閉鎖であることが分かってくる。この若い教養ある革新主義者の神父が、シスターぐるみの神父たちの抵抗に手こずるところは、ブラック・コメディですね。

 

: カリカチュアぎりぎりかな。これ以上落ちるところのない、海千山千の歴戦の戦士たちは保身のためなら嘘をつくことも躊躇しない。

: クラブ全員の憂慮は、サンドカンが当地に住みつきそうなことだ。全員一致で追い出しに奔走することになる。ここから後半が猛スピードで展開していく。

: 最後のどんでん返しに観客は驚くが、さすがにネタバレできない()。因みに、ラスカノ神父役のホセ・ソーサはララインのデビュー作Fugaに出演、アルフォンソ神父を演じたフランシスコ・レジェスはアンドレス・ウッドの『マチュカ』に出ていた。ガルシア神父役のマルセロ・アロンソは『トニー・マネロ』や“Post Mortem”などラライン映画に複数出演している。

 

      カトリック系の学校に通った少年時代

 

: これはあくまでもフィクションですね。

: この映画のアイディアは、チリでは有名なラ・セレナ市の大司教も務めた神父フランシスコ・ホセ・コックス神父が住んでいた牧歌的なスイスの館の写真を見て生れたということです。同性愛や小児性愛で告発された神父です。ですからこういう施設は実際にあったわけです。監督は少年時代は、カトリック系の学校に通ったから、カトリック教会のシステムを熟知している。さまざまなタイプの神父を観察してきたと語っています。

 

: 幽閉されていた神父たちにはモデルとなる神父たちの誰彼が投影されているのでしょうか。

: 詳しいことは知りませんが、マティアス・リラの“El bosque de Karadima”(2015)という映画は、1930年チリ生れのフェルナンド・カラディマ神父の実話です。1980年代から2000年にかけて性的虐待をしていたことを、2011年にバチカンも認めた。そういう現存している人物が『ザ・クラブ』の神父の誰かに投影されていると考えるのは自然なことでしょう。

 

: カトリック教会のモラルの衰退が大きなテーマですが、同性愛と小児性愛は別の次元の問題です。

: 問題なのは小児性愛、事実はどうあれビダル神父は同性愛だけを認めていました。神は子孫を残すために男と女をお創りになった。子孫を残せない同性愛を教会は認めない。しかし「同性愛者も神がお創りになったのだ」とビダル神父は語る。現在もバチカンは認めていないが、エルトン・ジョンの国が合法化したのは1967年でした。第2次世界大戦下、ドイツ軍の暗号エニグマ解読に成功した天才数学者チューリングも犠牲者だった。スコットランド、北アイルランドの合法化は1980年代、ついこの間のことなのです。

: エイゼンシュテインもメキシコから帰国したあと10年のシベリア送りになったと『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』のエンディングにあった。

 

: このクラブの4人の住人は贖罪などしない。代わりに夜間の散歩や狩猟犬のトレーニングにのめり込んでいる。贖罪すべき罪を犯していないからか、許されるチャンスが与えられていないからか。

: 終身刑ですから言葉悪いですが飼殺しです。反体制派のシルバ神父など全く救われないです。

: チリはピノチェトの時代が18年間と長かったから、民主主義は名ばかりで実体は脆弱なのかもしれません。スタイルは違うが、「ピノチェト政権三部作」の続編だと言えますね。

 

: 『NO』のときは、80年代当時のフッテージ映像が映画になじむようアナログのソニー製ビンテージカメラで撮影された。今作はピントをゆがませたり、カメラを固定して広角レンズを多用していた印象でした。

: 相変わらず凝り性ですね。クローズアップが多かったように思いましたが、個人的には好きになれません。テレビで見ることを想定していると勘ぐってしまいます。

 


            (ビダル神父役のアルフレッド・カストロ)

 

: 凝るのはカメラだけじゃない、出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入ったそうですね。誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした。

: 撮影期間は2週間ちょっと、邪魔が入るのを恐れて秘密裏に行い、編集は自宅でやったという。ベルリンまでの道のりは綱渡りでスリル満点だったでしょう。弟で製作者のフアン・デ・ディオス・ララインの協力なしには不可能だった。

 


   (左から、J・デ・D・ラライン、ファリアス、監督、カストロ ベルリン映画祭)

 

: ラライン監督は、21世紀に入ってからのチリ映画を牽引している代表選手です。

: 監督紹介でも触れておりますが、自作に止まらず他監督の製作にも協力を惜しみません。セバスティアン・シルバの新作Nasty Baby”は、ベルリン映画祭2015「パノラマ」部門で上映された英語映画です。現在ニューヨークのブルックリンに本拠を移し、パートナーと暮らしています。映画もそれがヒントになってでいるそうです。LB2013に来日しています。

 

ララインの次回作はNerudaとアナウンスされています。再びG.G.ガエルが出演とか。

: 時代背景は1940年代後半、ビデラ政権によって共産党が非合法化され、ネルーダが国外逃亡を余儀なくされた頃を描いたもの。ガエルはそのネルーダを追い回す刑事役です。ネルーダにはチリの大物コメディアン、ルイス・グネッコ(1962、サンチャゴ)が扮します。『NO』ではキリスト教民主党の政治家ホセ・トマス・ウルティアを演じたベテラン俳優、どんなネルーダになるんでしょうか。

: 同じ逃亡中のネルーダを扱ったマイケル・ラドフォードの『イル・ポスティーノ』(94)とは全く別の顔を見せるはずです。2016年チリ公開が決まっている。

  

監督キャリア&フィルモグラフィー

★パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDIUnion Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。母親マグダレナ・マッテも政治家で前政権セバスチャン・ピニェラ(201014)の閣僚経験者、つまり一族は富裕層に属している。6人兄妹の次男、2006年アントニア・セヘルスと結婚、一男一女の父親。 


★ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟フアン・デ・ディオス・ララインとプロダクション「Fabula」設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備、デビュー作“Fuga”を発表した。<ジェネレーションHD>と呼ばれる若手の「クール世代」に属している。現在はラライン、セバスティアン・シルバ、セバスティアン・レリオがチリの三羽鴉か。プロジェクトを組んで互いに協力し合っている。

 

*長編映画(短編・TVシリーズ省略)

2006Fuga監督・脚本

2008Tony Manero”『トニー・マネロ』監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第1 LB2008

2010Post mortem 監督・脚本「ピノチェト政権三部作」第2

2012NoNo』監督「ピノチェト政権三部作」第3 LB2013

2015El club”『ザ・クラブ』監督・脚本・製作 LB2015

*他監督の主な製作作品Fabula製作

2007La vida me mata”セバスティアン・シルバ

2011El ano del tigre セバスティアン・レリオ

2011Ulises”オスカル・ゴドイ

2012Joven y alocada”マリアリー・リバス

2013Gloria”『グロリアの青春』 セバスティアン・レリオ LB2013

2013Crystal Fairy 『クリスタル・フェアリー』セバスティアン・シルバ LB2013

2015Nasty Baby セバスティアン・シルバ

 

「クール世代」のメンバー:『マチュカ』『サンティアゴの光』のアンドレス・ウッド、『盆栽』『ヴォイス・オーヴァー』のクリスチャン・ヒメネス、『家政婦ラケルの反乱』『マジック・マジック』のセバスティアン・シルバ、『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ、『プレイ/Play』のアリシア・シェルソンなどがメンバー(邦題は映画祭上映時のもの)


家族がテーマの一つだった*ラテンビート2015 ⑤2015年10月21日 11:10

 

3日間にわたって短編を含めると11本見たことになるのですが、「例年より小ぶりな作品が多いなぁ」と思っていました。しかし前回アップした『ザ・クラブ』のようにぐったり疲れる映画も含めて、結果的には結構楽しめたのではないか。「映画は映画館で」を再認識した映画祭でもありました。

 

★鑑賞した映画のリストは以下の通り(タイトル・監督名はプログラム表記による):

1日目:『選ばれし少女たち』(ダビ・パブロス)、『The Wolfpack』(クリスタル・モーゼル)、『ザ・クラブ』(パブロ・ラライン)

2日目:『アジェンデ』(マルシア・タンブッティ・アジェンデ)、『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ)、『Paco de Lucia』(クロ・サンチェス)、『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』(ピーター・グリーナウェイ)

3日目:『パーカー』(ガブリエル・セラ・アルゲージョ)、『パウリーナ』(サンティアゴ・ミトレ)、『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』(アレックス・デ・ラ・イグレシア)、『ザ・キング・オブ・ハバナ』(アグスティ・ビジャロンガ)

『土と影』(セサル・アウグスト・アセベド)は、東京国際映画祭で鑑賞予定です。

 

 家族vs疑似家族、家族の定義は複雑

 

A 最初の日に見た3作が、期せずして「家族とは何?」というテーマを扱っていた。『ザ・クラブ』のように一つ屋根に閉じ込められている疑似家族もある一方、『選ばれし少女たち』の家族は両親と二人の息子は実の親子でも、息子は少女売春の手先となって餌食となる少女のスカウトに加担している。

B 四、五人いた幼児たちは売春させている女性たちが生んだ子供で、彼女たちの逃亡を防ぐ「人質」に過ぎない。また「しあわせ家族」を演出するための小道具としても利用している。ここにあるのは愛ではなく、欺瞞と暴力と恐怖だ。(中央がソフィア)

 


A 息子ウリセスの挫折は餌食にしようとした少女ソフィアを不覚にも愛してしまったことでした。彼女を救い出すために身代わりになる餌食を探すウリセス、彼は自己改造するには幼なすぎる。苦労が実って救い出せるが、二人のあいだに以前のような愛は永遠に戻ってこない。ソフィアの目にウリセスは両親から自立できない悪の手先にしか映らない。向き合った二人の間には深い谷底が横たわっている。

B ソフィアを働かせるのを渋る息子に「わたしたちは家族なんだから協力し合わなくちゃ」と諭すセリフには背筋が凍った。最後の長閑な一家団欒のピクニックのシーン、幸せ家族がするだろう日常会話にも監督の怒りがにじみ出ていた。画面構成、照明なども優れていました。

 

A カンヌの「ある視点」に選ばれただけあってレベルの高さを感じた。麻薬戦争映画のように実弾こそ飛びかいませんが、メキシコにはびこる裏社会の恐怖を静かに告発していた。さて、ニューヨークはロウアー・イーストサイドのアパートに両親に監禁されていた7人兄妹の<解放物語>は、「子供は親を選んで生れることはできない」ということを、今さらながら恐怖させる映画でした。

B 21世紀のアメリカに『The Wolfpack』のような家族が存在していたとは信じがたい。末娘は知的な障害があるように見えた。ペルー出身の父親の「理想」に固執した手前勝手な哲学、それを疑いながらもアクションを起こさなかったアメリカ人の母親には怒りすら覚えた。
(写真下、監督と6人の兄弟)

 

 

A 「女性は子供を3人生んだら哲学者になれる」と言ったのはバーナード・ショーだが、彼女は7人も生んだのだ()。このドキュメンタリーは子供の視点で作られていたが、問題は両親、とくに父親にあるのだから、もっと父親の主張の掘下げに焦点を当てるべきだった。

B 悪に満ちた社会から子供たちを守るために監禁したと主張する父親、部屋の鍵はこの父親だけが持っていた。この看守でもあった父親への切り込みが中途半端、インタビュアーが未熟の印象を受けた。母親は聡明な片鱗をうかがわせましたが、夫の共犯者として自分を正当化しようとしていた。子供たちは逞しかったが、兄弟の一人が「父を許さない」と語っていた。

 

A 彼の社会復帰は難しそうです。このアパートを出て自立し始めた子供もいましたが、子供の性格、解放された年齢が何歳だったかにも左右されるのでは。刷り込み期間が長いと容易じゃない。父親は社会批判を楯に「働かない」のだが、この9人家族の生活費をどこから得ていたのか分からなかった。集中力を欠いていたから見落としているかもしれない。

B 母親が家庭教師をしていたようだが充分だとは思えないね。サンダンス映画祭2015の受賞作品のようですが、『The Wolfpackその後』みたいな続編を撮るべきです。この家族がどのように変容していくか追跡して欲しい。これは一家族の話ですが、似たような国家もあります。

 

       視点が複眼的になっていく『アジェンデ』の構成力

 

A: 家族を描きながら結果的に国家にも言及したのが『アジェンデ』でした。悲劇の一族アジェンデ大統領の孫娘が撮った、いわゆる家族史です。3月に軽い気持ちで紹介記事を書いたのですが、その後カンヌと並行して開催される「監督週間」に出品され、「ゴールデン・アイ」まで受賞したので「もしかして」と期待していたのです。

B 期待を裏切りませんでした。一族のタブーだった祖父のことが知りたくて始まった極めて個人的な企画が、次第に厚みを帯びチリ現代史になっていく台本が優れていた。

 

A 沈黙の一つの理由が「祖母の名誉を守る」目的だったことが分かる件りに、人間知らなくてもいいことがあるのだという複雑な感慨を覚えさせた。ユーモアに富み、みんなから愛された人でしたが<mujeriego>としても有名な「色を好む」御仁でもあった()。企画から完成まで長い年月を要しているから、監督自身の人間としての成長もあり、家族の重い口を開かせる努力や辛抱強さが監督を成長させたのでしょう。(在りし日の母娘、中央がアジェンデ夫人)

 


B 登場人物で一番変身したのが監督自身でした。視点が複眼的になっていく、優れたインタビュアーでもあった。完成前の祖母の死、その棺を先頭で支えた義母兄の自死という辛い現実にも直面した。

A しかし残された人は生きていくんですね。予告編で母親や伯母たちが笑い転げるシーンがあるのですが、この最後のシーンでは上映会場でも同じことが起こりました。この資料映像はどこにあったのでしょうか。お茶目な大統領でもあった、お薦めドキュメンタリーです。

 

B Paco de Lucia』は息子と娘が撮ったドキュメンタリー。心臓を患っていたのは本人も承知していたようですが、あんなストックでは病気でなくても寿命は縮まります。

A パコはメキシコにも別の家庭を持っていて、スペインとメキシコを行ったり来たりしていた。パコと一緒に映像に出てくるディエゴ少年は監督たちの異母弟に当たる。メキシコで亡くなったのは偶々メキシコに行っていたときだったからです。映画製作中に父親の死にあい、ショックで中断していた。もしそんなことがなければ映画は違う展開をしたかもしれません。

 

B 『グラン・ノーチェ! 最高の大晦日』の主役ラファエルの若いころの映像が出てきたり、二度と現れないだろうと言われるフラメンコ界のキング、カマロンのデビューしたての美声も楽しめます。

A 内気で自分の演奏に厳しかったパコ、音楽ファンでなくても楽しめる構成になっています。是々非々はともかく家族のかたちも変わりつつあるという感慨に浸りました。

 


       (向こうに逝ってしまったフラメンコ界の天才、カマロンとパコ)

 

管理人覚え

『選ばれし少女たち』(カンヌ映画祭2015「ある視点」)の記事は、コチラ⇒2015531

『アジェンデ』の紹介記事は、コチラ⇒201539

Paco de Lucia』(ゴヤ賞2015)の記事は、コチラ⇒2015131

 

『ザ・キング・オブ・ハバナ』 エロスとタナトス *ラテンビート2015 ⑥2015年10月24日 11:58

愛だけでは生きていけない・・・

 

アグスティ・ビリャロンガの新作『ザ・キング・オブ・ハバナ』には、社会から落ちこぼれてしまった人間の悲惨というより孤独や優しさゆえの脆さが充満していた。愛だけでは生きていけないのはどこでも同じだが、愛するゆえに一緒に暮らしていけないこともある。エロスとタナトスは紙一重、ハバナの特殊な時代の極貧がなくても起こりうる物語だ。性と生にもう一つの政が加わって、三つ巴の組んずほぐれつの悲喜劇が猛スペードで終盤まで疾走する。性と生と政は、『ザ・クラブ』や『選ばれし少女たち』のテーマでもあったが、本作がより鮮明であったように感じた。作品データ、原作者ぺドロ・フアン・グティエレスなどについてはアップ済みなので割愛します。(コチラ⇒2015917

 

            忘れられた革命の落とし子の逞しさと脆さ

 

A: 撮影はICAICに拒否されたことで、急遽ドミニカ共和国のサン・ドミンゴに変更された。両方をご存知の方は違和感を感じたでしょうか。製作国とスタッフはスペインとドミニカ共和国、主なキャストはキューバ人という複雑な構成をしています。「あまりに人種差別的、性差別的、戯画化的、捉え方も表面的で悪すぎる」が拒否の理由でした。

B: 個人的には拒否するほどの内容じゃなかったと思う。監督の過去の作品を見ていたら分かったはずです。カストロ体制を批判しつづけている原作者ぺドロ・フアン・グティエレスに対する拒絶反応が作用したのではないか。 


           (若いキャストに囲まれた監督、サンセバスチャン映画祭にて)

 

A: ビリャロンガ監督は寡作ですが生と性に拘って撮りつづけている監督、話題作『ブラック・ブレッド』(2010)の他、『月の子ども』(1989)や『海へ還る日』(2000)など評価の高い記憶に残る映画を撮っています。未公開ですが『アロ・トルブキン――殺人の記憶』(LB2004上映)も忘れられない。

B: 『海へ還る日』は東京国際レズ&ゲイ映画祭上映時は、「エル・マール~海と殉教」だった。本作を見ながらちょっと思い出した映画です。本作の幕開きはグロテスクだがコメディタッチ、ところがあっという間に悲劇が起きる。

A: まさにジェットコースター、冒頭描写は過不足がない。母親を失うシーンでは一瞬『黒いオルフェ』(1959)を思い出した。横道になるが、オルフェには2通りあり、マルセル・カミュが撮ったほう、パルムドール受賞作品です。しかし映画としては後発のカルロス・チェギスの『オルフェ』(1999)のほうがよかった。

 

B: 端から死の匂いが漂っているが、時々織りこまれる笑いのタイミング、緩急のつけ方も上手かった。何の前触れもなく訪れる不幸が観客の意表をつく。

A: 1990年代のキューバは特殊な時代かもしれないが、革命の理想が崩壊、カストロ体制が「ルンペン」と称する革命の落後者に行き場はない。冤罪で少年院に放り込まれたレイナルドは読み書きができない孤児、観光資源として国家に寄与しているのに埒外に置かれる売春婦マグダや男娼ユニスレイディ、島脱出を夢想するマグダの兄ラウリート、逞しく脆くこんなに刹那的では濁水にまみれるしかない。 


               (マグダとレイナルド、映画から)

 

B: 自分に余裕がないと他人に優しくなれないから、彼らを外へ弾きだしてしまう。彼らも自分に敬意を払えないから救いの手を求めない。確かに最初から最後まで辛い話、カストロ政権が革命史から抹消したい時代にちがいない。

A: 彼らの辞書に「希望」とか「可能性」いう言葉はない。僅かな可能性があれば人間は死を選ばない。永遠の眠りについたマグダの傍らで、レイナルドがゴミに埋もれていくシーンは凄まじい。ハバナを見下ろすこの場所が安らかに眠れる彼らの終の棲家だと映画は言っている。

B: しかし、これは体制批判の部分が色濃いですが、愛があり、勿論セックスもある、一風変わった「ラブ・ストリー」ですね。

 

A: 前回「ラテンビートで上映される時には、サンセバスチャンの受賞結果が分かっています」と書きましたが、マグダ役のヨランダ・アリオサが見事銀貝賞の最優秀女優賞をゲットした。受賞に値する気迫に満ちた演技でした。監督からは「命をかけて演技してと要求された」とか。

B: 生き残りをかけてセントロハバナを駆け抜けていく、逞しさと脆さが共存する難しい役でした。メキシコからの観光客に披露するしなやかなダンスには、遠いアフリカから運んできたリズムがこだまして美しいシーンだった。

 


      
      (最優秀女優賞の銀貝賞トロフィーを手にしたヨランダ・アリオサ)

 

A: 観光旅行は売春旅行の側面をもっている。さて、『ブラック・ブレッド』の成功から5年、寡作家とはいえ長い沈黙だった。1953年生れだから日本風に言うと既に還暦も迎えていることになる。

B: パルマ・デ・マジョルカ生れ、バルセロナ派のベテランですね。

A: 声高でない静の人だが、逆に映画は雄弁です。「何かの賞に絡めば、『ブラック・ブレッド』同様、公開が期待できるかもしれません」とも書きましたが、どうでしょうか。

 

B: 目下IMDbにはキューバ公開、例年12月開催のハバナ映画祭などの上映はアナウンスされていません。難しそうですね。

A: マグダ役のヨランダ・アリオサがサンセバスチャンで、「この映画がキューバで公開されないのは正当なことじゃない、だってキューバ人には必要でしょ。上映しない正当な理由などないはず」と語っていた。以前からこの小説に興味をもち映画化の権利を買おうとした人たちがいたが纏まらなかった。例えばまだ夫婦であった頃のバンデラスとメラニー・グリフィスとか。今回成功したのは時の流れもあるが、水面下で進行していた雪解けが関係していたのかもしれない。来年、再来年を期待しましょう。


『火の山のマリア』 *ラテンビート2015 ⑦2015年10月25日 15:45

          べルリン映画祭「アルフレッド・バウアー賞」受賞作品

 


★今回見たなかで来日ゲストがあった唯一の映画が『火の山のマリア』でした。来春日本公開が決まっているのも目下のところこれ1作です。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」部門で上映されるにつき、作品データ、スタッフ&キャスト、プロット、受賞歴、監督紹介などを既にアップしています。ハイロ・ブスタマンテ監督来日が予告されていたので、ラテンビート鑑賞後に記事を纏めることにしておりました。Q&Aを織りこみ部分的にネタバレしています。 

サンセバスチャン映画祭2015の記事は、コチラ⇒2015828

 

     もしかして邦題は『火の山の母』ではなかったか

 

A: 本作の主役は娘マリアではなく、マリア・テロンが演じた母親フアナではないかと予想しておりましたが、その通りでした。移動劇団を結成して先住民の村々を回っているプロの女優、ただし映画出演は初めてです。Q&Aではマリアを置き去りにするペペ役のマルビン・コロイも仲間の一人、彼は詩人で戯曲家、脚本家でもあると紹介していた。

S: マリアを演じたマリア・メルセデス・コロイほか殆どがアマチュア、もっとも先住民のプロは少なく、映画はオール初出演です。

 

A: 前回の記事にも書いたことです。主役の二人はスペイン語とマヤのCakchiquelカクチケル語のバイリンガルです。公用語のスペイン語ができないことが謂われなき差別の温床なっていることを映画は浮き彫りにしていた。スペイン語の分かるコーヒー園主イグナシオが、分からないマリアの両親を私利私欲で裏切っていく件りは切なかった。

 


         (見事な演技を見せたマリア・テロン、ベルリン映画祭)

 

S: この映画のアイデアは、「マリアに起こったような事件が新聞に掲載されたことが発端だった」と監督は述べておられたが、後継者が欲しい富裕層に嬰児売買に近い養子縁組をさせたことだけを指しているのか、スペイン語を解さないことを悪用して親を騙して養子縁組させたのか、そこらへんがよく分からなかった。

A: そこが重要ですよ、もし後者なら立派な犯罪だ。グアテマラ政府が早急にすべきことは、先住民に止まらず全国民の教育の普及です。マヤの人々も「スペイン語を学ぶと民族のアイデンティティーが失われる」などと拒絶せずに学ぶことです。マヤ民族の言語は21もの集団に分かれており、グアテマラに吹き荒れた36年間にも及ぶ内戦前は、言語集団を超えて接触することは稀れだったようです。

 

S: この映画にはマヤ民族のジェノサイドと言われる内戦の傷跡は登場しませんが、虐殺を逃れて言語を異にする多くの老若男女が否応なく国内難民となって移動、接触した。

A: マリアの両親は年齢的に体験者世代です。犠牲者20万人の大半が先住民のマヤ族だったから、互いの融和は口で言うほど簡単ではない。1992年のノーベル平和賞を受賞したリゴベルタ・メンチュウに対する一般国民の反応は冷たく、当時の国際世論との乖離が際立っていた。

S: 平和賞は誰が貰ってもケチがつく()。彼女も毀誉褒貶相半ばする受賞者でしたが、両者の溝は深そうです。監督は「この映画が自分の国を知る機会になった」と意識変化に寄与したことを語っていましたが、どこまで信じていいか疑問かな。

 

             意思疎通の難しさもテーマの一つ

 

A: 足が地についていないペペを誘惑したのはマリアのほう、レイプされたわけではない。コーヒー園主の後妻となって先妻の残した子供の世話などしたくない、17歳だから当たり前だ。パカヤ火山の裾野の村から脱出して「自由な女」になりたいのは分かりますね。

S: 二人はそれほど真剣に愛し合っていたようには見えなかったし、目指すアメリカがどんな国なのか想像できないのに憧れていた。身ごもる前のマリアは幼すぎる。

 

A: 母は娘の希望が何であるか、妊娠するまで知ろうとしなかったし、娘も男に捨てられるまで母と向き合わなかった。この意思疎通もテーマの一つですね。

S: 妊娠が分かると母は流産させようとするが、反対にマリアは生みたかった。母娘は意思を確認しあっていないのだ。岩石を飛び降りるのもいやいやだったし、あんな飛び降り方では胎児は流れない。

A: どんな御まじないも効かない、お腹の子ども自身が生まれたがっていることを母親が納得するところが実に感動的、自己主張したのはまだ生れてもいない胎児でした。

 

S: 人生の選択権は誰にあるかですね。

A: マリアも母になることで強くなる、初めて現実の自分と向き合うことになるからだ。この「母になること」も大きなテーマでしょう。これは監督よりマリア・テロンの意向で膨らませていったテーマかもしれない。ベルリンの記者会見でも、マヤの女性たちから多くのサジェスチョンを受けたことで脚本が豊かになっていったと語っていた。

 

S: ハッピーエンドにはなりませんでしたが、これがぎりぎりの限界なのでしょう。

A: でもマリアは昔のマリアではない、時代は変わり始めていることをマリアの顔が語っていた。 


            (マリア役のマリア・メルセデス・コロイ、映画から)

 

S: 監督の優れているところは、自分の未熟に謙虚で自分一人の手柄にしなかったことです。脚本が特に優れていたという印象はありませんが、「アルフレッド・バウアー賞」にふさわしい映画でした。


A: 「アルフレッド・バウアー賞」というのは新しい視点を示した作品に贈られる賞ですね。ともあれ、岩波ホールでの公開が決定しています。あそこが発行するカタログだけは高いと感じたことがない()。どんな解説が載るか今から楽しみだ。

  

『土と影』家と巨木*東京国際映画祭2015 ③2015年10月31日 17:16

       

★ラテンビートLB共催上映だったセサル・アウグスト・アセベドの『土と影』、LBのセッションが最終回だったので東京国際で見ることにしました。カンヌ映画祭と並行して開催される「批評家週間」で既に記事にしています。その折り「秀作の予感がする“La tierra y la sombra”」と書いた通り、カメラドールを含む4つの賞を受賞、コロンビア映画初の快挙でした。簡単な作品データ、スタッフ・キャストなどアップ済みですが(コチラ⇒2015519)、加筆して再構成いたします(ネタバレしています)。

 


     (カメラドールを手にしたセサル・アウグスト・アセベド、カンヌ映画祭)

 

    『土と影』La tierra y la sombra(“Land and Shade”)2015

製作:Burning Blueコロンビア/ Cine-Sud Promotion/ Tocapi Films/

 Rampante Filmsチリ/ Preta Porte Filmesブラジル

監督・脚本:セサル・アウグスト・アセベド

撮影:マテオ・グスマン

音響:フェリペ・ラヨ

編集:ミゲル・シェベルフィンゲル

特殊効果:Storm Post Production

製作者:ホルヘ・フォレロ、ディアナ・ブスタマンテ、パオラ・ペレス・ニエト

製作国:コロンビア、フランス、オランダ、チリ、ブラジル

 

データ:言語スペイン語、97分、撮影地コロンビアのバジェ・デル・カウカ、製作費約57万ユーロ、ワールド・プレミアはカンヌ映画祭2015「批評家週間」 コロンビア公開518

受賞歴:カルタヘナ映画祭2014で監督賞。カンヌ映画祭2015カメラドール、フランス4ヴィジョナリー賞、SACDのトリプル受賞の他、グランド・ゴールデン・レール賞(観客賞)を受賞。

援助金2009年コロンビア映画振興基金より5000ドル、2013年「ヒューバート・バルス・ファンド」**より脚本・製作費として9000ユーロなどの援助を受けて製作されている。

La Societe des Auteurs et Compositeurs Dramatiques の略

**Hubert Bais FundHBF’(1989設立):オランダのロッテルダム映画祭によって「発展途上国の有能で革新的な映画製作をする人に送られる基金」、ラテンアメリカ、アジア、アフリカの諸国が対象。コロンビアの監督では、昨年東京国際映画祭で上映された『ロス・ホンゴス』オスカル・ルイス・ナビアが貰っています。本作にはアセベド監督も共同脚本家として参画している。

キャスト:アイメル・レアル(アルフォンソ)、イルダ・ルイス(妻アリシア)、エディソン・ライゴサ(息子ヘラルド)、マルレイダ・ソト(嫁エスペランサ)、ホセ・フェリペ・カルデナス(孫マヌエル)他

 

プロット:アルフォンソと妻アリシアの物語。アルフォンソは17年前、土地を手放すことを拒んだ妻と一人息子ヘラルドを置いて故郷を後にした。老いて戻ってきた故郷は自分の知らない土地に変わり果てていた。肺の病で床に臥す息子の代わりに妻と嫁エスペランサは、サトウキビの刈取り人として過酷な労働に懸命に耐えていた。アルフォンソを戸口で迎えた孫マヌエルは、焼畑の灰塵が降りかかる荒廃のなかで成長していた。もはやよそ者でしかないアルフォンソが崩壊寸前の家族のためにできるのは何か。厳しい現実と過去の誤りに直面して、アルフォンソの模索が始まる。サトウキビ畑に取り囲まれた粗末な家と1本のサマンの巨木の下に置かれた小さなベンチ、三世代にわたる親子の歴史をミクロな視点からマクロな世界を照射する。       (文責:管理人)

 


   (小鳥を呼び寄せる台を囲む祖父と孫、ベンチに座る父、三世代が一つになるシーン)

 

セサル・アウグスト・アセベドCésar Augusto Acevedoは、1984バジェ・デル・カウカの県都カリ生れ、監督、脚本家、製作者。バジェ大学の社会コミュニケーション学部卒、卒業制作は『土と影』の脚本だった。短編“Los pasos del agua”や“La campana”(12)を撮る。後者ははコロンビア映画振興基金をもとに製作された。『土と影』は完成まで8年もの歳月を費やしており、20歳のとき母親が亡くなり、妻の死に遭遇した父親が亡霊のようになってしまったことが製作の動機。2009年コロンビア映画振興基金より援助を受け、翌年コロンビアのカリ映画祭のワークショップに参加、同年ハバナ映画祭のイベロ≂アメリカ交流のイベント、2012年ウエルバ映画祭、2013年カルタヘナ映画祭のエンクエントロス賞、サンセバスチャン映画祭のイベロ≂アメリカ共同製作フォーラムでのスペシャル・メンションを受けて完成させた。その間オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の助監督と脚本を共同で執筆した。他に同監督のデビュー作“EL vuelco del cangrejo ”、ウイリアム・ベガの La Sirga”などの製作に参画している

 

      作品を語り尽くす冒頭シーン

 

A: 白い帽子を被った初老の男が遠くから1本道を歩いてくる、やがて大型トラックが埃を巻き上げて疾走してくる、男は鬱蒼と生い茂ったサトウキビ畑に逃げ込んで難を避ける、視界が晴れるのを待って再び歩きはじめる、これが冒頭シーンです。

B: 誕生祝いに買ってやった凧をもった孫と一緒に通る道であり、息子を町の病院に運ぶため馬車で透った道でもある。タルコフスキーとかソクーロフの世界を思い浮かべさせるシーンでした。

A: この冒頭シーンが作品全体のメタファーとなっていることを観客に伝えようとしている。ダイアローグを切り詰め、映像の力でメッセージを伝えようとする監督の強い意思が窺える。

B: 撮影監督マテオ・グスマンの強い意思でもあるか。

 


           (撮影中のマテオ・グスマンとアセベド監督)

 

A: コロンビアの若いシネアストに強い影響をあたえているのが、旧ソ連時代のアンドレイ・タルコフスキー(193286)とか現在活躍中のアレクサンドル・ソクーロフ(1951)だそうです。

B: カメラドール受賞後テレビのインタビューや特別番組に引っ張りだこ、なかで彼自身も影響を受けている監督にタルコフスキーを挙げていましたね。

A: 彼の生れ故郷カリ市は、かつては麻薬密売の総本山メデジン・カルテルの解体後を継いだカリ・カルテルの本拠地として知られていますが、今ではコロンビア映画のメッカだそうです。『ロス・ホンゴス』のナビア監督、話題作“Perro come perro”の先輩監督カルロス・モレノもカリ生れです。

 

B: キャリア紹介からも、カンヌの4賞受賞が根拠のないことではないのが分かります。若い監督が足の引っ張り合いをせずに、互いに協力しているなかで刺激を受けて成長している。

A: コロンビアは長い麻薬密売抗争やそれに惹起したゲリラ戦争で土地を奪われた農民が未だに国内を放浪し続けている国内難民500万人を抱えている国でもあるから、この映画は見る人によってメタファーの受け取り方が違うと思います。

 

                                    小さな家とファミリー・ツリー

 

B: 舞台になったバジェ・デル・カウカ県は、カリ・カルテルの中心地だからコカが栽培されているのかと思っていましたがサトウキビでした。

A: 南の隣県カウカがコカ栽培発祥の地だそうで、バジェ・デル・カウカはサトウキビのプランテーションが一番盛んだった県です。経営者の顔は見えず、農民を統率している男には何の権限も与えられていない。組織犯罪のセオリー通り顔が見えるのは実行犯だけ、黒幕は闇の中と同じ構図です。

B: これはコロンビアだけに特徴的なことではなく、どこの国でも見られると思いますが。

A: 他との違いを際立たせているのが真ん中に入口のある細長い家屋と、それに寄りそうように佇んでいる1本のサマンの巨木です。主に中南米に生息している樹木で『ロス・ホンゴス』にも登場していた巨木です。

 

B: 大地tirraの母に対して、sombraとなった父を重ねているのでしょうか。

A: スペイン語のsombraの第一語義は「陰」で、邦題の「影」は比喩として使うケースが多く、幻影とか亡霊のfantasmaの意味にも使う。邦題は内容に踏み込んで付けたのではないか。

B: 主人公アルフォンソはこの巨木とその下に設えられた小さなベンチに拘っている。このベンチは彼が故郷を後にした17年前にもあったもの。

A: 昔と変わらないのは、かつては白かったであろう家、巨木、ベンチ、この三つしかない。故郷でアルフォンソはよそ者となっている。

 

B: 彼は家族との和解をしたくて帰郷したのではないことが、やがて観客にも知らされる。

A: 呼び寄せる決断をしたのは息子の妻エスペランサだ。義母アリシアと夫ヘラルドの結びつきは固く、ここから離れられない義母から病身の夫を連れ出すことは一人では不可能だからだ。
B: アルフォンソが出ていった理由が、互いの愛が冷めたせいではなかったこと、アリシアが大地にしがみつくのは、ここを出た後の青写真が描けないからということも分かってくる。

A: 大地を捨てることイコール死と滅亡なんですね。かつての母系制家族の名残りを感じました。この土地はアルフォンソのものではなくアリシアのものなんでしょうね。


                     (堅い絆で結ばれたヘラルドと母アリシア)

 

B: 農村と都会、安定または持続性と発展、伝統と近代性、過去と未来など対立するテーマが織り込まれているが、セリフは極力抑えられているから、映像を見逃すと分からなくなる()

A: そうですね、映像のほうがずっと雄弁ですから。先述したように撮影監督のマテオ・グスマンの功績は大きいです。
B
: プロの俳優はわずか、殆どが演技指導など受けたことのないアマチュアです。

A: ありのままの自分を撮ってもらっている。アルフォンソ役のアイメル・レアルは、キャスティングを行った劇場の清掃員だったそうです。エスペランサ役のマルレイダ・ソトはプロの女優さん、カルロス・モレノの“Perro come perro”で映画デビューした。(後出参照)

 


                         (アルフォンソ役のアイメル・レアル、映画から)

 

B: ヘラルドは、灰塵を避けるため窓を閉め切った暗い部屋に幽閉されている。ゆっくり動く長回しのカメラが捉えた暗闇、これは我が家なのに牢獄と同じです。

A: 一家の主であるのに何一つ決断できない。母を思って妻の希望を叶えてやることもできない。息子の誕生祝いもしてやれない。唯一できたのは、家族の誰一人として望まなかったことでした。

B: アルフォンソは、大地から解放されたエスペランサとマヌエルだけを連れて去っていく、それがアリシアの望んだことでもあるからだ。

 


   (エスペランサ役マルレイダ・ソトとマヌエル役ホセ・F・カルデナス、映画から)

 

A: ラテンアメリカ諸国でもコロンビアは6段階に分かれた極端な階層社会、貧富の二極化が進んでいる。二極化といっても富裕層はたったの2パーセントにも満たない。

B: 社会のどの階層を切り取るかで全く違ったコロンビアが見えてくる。

A: カンヌでは「この映画のテーマは個人的な悲しみから生れた」と語っていたが、病をえること、家族の死などが動機となって作品が輝きだすのは珍しいことではない。

 

B: 本作はカンヌの「批評家週間」に出品された映画ですが、専門家だけでなく観客にも受け入れられたことが嬉しかったようです。

A: 「わが国の文化に深く根ざした映画にも拘わらず、観客の方々にも感じてもらえたことは素晴らしく名誉なことです、すべての方に感謝を捧げます」が観客賞受賞の言葉でした。とうとう最後まで飛んでこなかった小鳥、空高く舞い上がったマヌエルの凧、さてどんなメッセージだったのでしょうか。

 

*付録 & 関連記事

Burning Blue:ラテンアメリカの若い世代に資金提供をしているコロンビアの製作会社。オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の他、コロンビアではウイリアム・ベガの La Sirga”(12)、フアン・アンドレス・アランゴの“La Playa D.C.”(12)など、カンヌ映画祭に並行して開催される「監督週間」や「批評家週間」に正式出品されているほか世界の映画祭に招待上映されている。ホルヘ・フォレロの“Violence”はベルリン映画祭2015の「フォーラム」部門で上映、それぞれデビュー作です。アルゼンチンのディエゴ・レルマン4作目Refugiado14)にも参画、本作はカンヌ映画祭2014年の「監督週間」に正式出品された。

 

マルレイダ・ソトMarleyda Sotoエスペランサ役)は、カルロス・モレノの力作“Perro come perro”(08)の脇役で映画デビュー、同じ年トム・シュライバーの“Dr. Alemán”では主役を演じた。麻薬戦争中のカリ市の病院に医師としてドイツから派遣されてきたマルクと市場で雑貨店を営む女性ワンダとの愛を織りまぜて、暴力、麻薬取引などコロンビア社会の闇を描いている。製作国はドイツ、言語は独語・西語・英語と入り混じっている。カルロヴィヴァリ、ワルシャワ、ベルリン、バジャドリーなど国際映画祭で上映された。本作も撮影地はLa tierra y la sombra”と同じバジェ・デル・カウカ。

 

オスカル・ルイス・ナビアの『ロス・ホンゴス』の記事は、コチラ⇒20141116