イサキ・ラクエスタの『二筋の川』*スペイン映画祭2019 ③ ― 2019年07月06日 12:26
サンフェルナンドの現実を切りとったラクエスタの新作『二筋の川』
(挨拶に登壇したイサキ・ラクエスタ、本映画祭にて、6月25日)
★スペイン映画祭2019のオープニング作品だったイサキ・ラクエスタの『二筋の川』、想像通り作家性の強い映画でした。初日ということもあってインスティトゥト・セルバンテス東京館長の挨拶、家族同伴で初来日したラクエスタ監督の挨拶と前座が長かった。作品そのものも2時間16分という長尺で、長い緊張が強いられました。12年前の『時間の伝説』(「La leyenda del tiempo」)にストーリーがリンクしているので、未見の観客には分かりにくかったのではないでしょうか。上映後にラクエスタ監督のQ&Aがもたれましたが管理人は不参加、Marysolさんがブログにアップして下さいましたので、了解のうえ参考にして以下の記事を纏めました。マリソルさん、ありがとうございました。
★本作は、第66回サンセバスチャン映画祭2018のセクション・オフィシアル部門にノミネートされ、大方の予想を裏切って、2011年の「Los pasos dobles」に続く2度目の金貝賞を勝ち取りました。金貝賞2回受賞のスペイン人監督では、マヌエル・グティエレス・アラゴン、イマノル・ウリベに次ぐ3人目となったことでも話題になりました。既に作品&監督フィルモグラフィーを紹介しております。当時はキャスト名のクレジットは主役のゴメス・ロメロ兄弟、スタント・コーディネーターのオスカル・ロドリゲスのみでしたので、以下キャスト紹介欄に分かる範囲で追加しておきます。
*「Entre dos aguas」の作品&監督フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2018年07月25日
* サンセバスチャン映画祭2019 金貝賞授賞式の記事は、コチラ⇒2018年10月03日
『二筋の川』(「Entre dos aguas」)2018、スペイン、スペイン語、ドラマ、映倫G16
製作:La Termita Films / All Go Movies / Mallerich Films / Bord Cadre Films /
Studio Indie Productions / Paco Poch AV
監督:イサキ・ラクエスタ
脚本:フラン・アラウホ、イサ・カンポ、イサキ・ラクエスタ
音楽:ラウル・フェルナンデス・ミロ(Refree)、キコ・ベネノ
撮影:ディエゴ・ドゥスエル Dussuel
編集:セルジ・ディエス
美術:ダビ・ヒメネス
プロダクション・マネージメント:アイトル・マルトス
プロデューサー:アルバロ・アロンソ、イサ・カンポ、アレックス・ラフエンテ、イサキ・ラクエスタ(以上エグゼクティブ)、パコ・ポシェPoch、他
スタント・コーディネート:オスカル・ロドリゲス
映画祭・受賞歴:サンセバスチャン映画祭2018コンペティション部門正式出品(金貝賞受賞)、ガウディ賞2019(9部門ノミネーション、カタルーニャ語以外の作品賞・監督賞以下7冠)、アセカンASECAN 2019(作品賞・新人賞イスラエル・ゴメス・ロメロ、オリジナル作曲賞)、フォトグラマス・デ・プラタ作品賞、マル・デ・プラタ映画祭2018(インターナショナル部門作品賞、男優賞イスラエル・ゴメス・ロメロ)、他ノミネーション多数、ゴヤ賞2019(作品・監督賞)とフォルケ賞は無冠。
(ガウディ賞2019受賞のイスラエル・ゴメス・ロメロとイサキ・ラクエスタ監督)
キャスト:イスラエル・ゴメス・ロメロ(イスラ)、フランシスコ・ホセ・ゴメス・ロメロ(チェイト)、ロシオ・レンドン(イスラの妻)、ヨランダ・カルモナ、ロレイン・ガレア、オスカル・ロドリゲス(スタント)、イスラの3人娘ダニエラ、エリカ、マヌエラなど、ほか多数
ストーリー:異なった道を歩んできたイスラとチェイトのロマ兄弟の物語。イスラは麻薬密売の廉で刑に服している。一方チェイトは海軍に志願して入隊している。イスラは刑期を終えて出所、チェイトも長期のミッションを終えて、二人はカディスの生れ故郷サンフェルナンド島に帰ってきた。再会したとき二人は今まで以上にかけ離れていることに気づくが、まだ二人が幼かったときに起きた父親の悲劇的な死に思いを馳せる。兄弟が負った過去の傷痕は開いたままであり、彼らは文字通りの社会的な孤児であった。イスラは妻と娘たちとの関係を取り戻すために帰郷したのだが、スペインで最も失業率の高い地域でいかにして人生を立て直そうとするのか。本作は暗い未来に抗して人生をやり直そうとする兄弟の物語である。ラクエスタの『時間の伝説』から12年、成人したイスラとチェイト兄弟の現在がゴメス・ロメロ兄弟によって演じられる。 (文責:管理人)
12年間の傷痕を放浪する旅――自分自身との和解を求めて
A: 監督は『時間の伝説』から二人の登場人物を引っ張り出して、現実とフィクションが混在する作品を撮った。下準備をして臨んだのですが、やはり集中力を保つのが難しかった。
B: 評価が分かれる理由が分かりましたね。二人の兄弟は異なった道を歩いて来て、大人になって再会したとき、自分たちが今まで以上に離れてしまっていることに気づく。
A: 当夜の監督挨拶から始めようと思いますが、「父に連れられて初めて見た映画が、黒澤明の『デルス・ウザーラ』だった。学生時代には小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、今村昌平などの作品を見た」とスピーチしました。
B: 『デルス・ウザーラ』(ソ連=日本合作)は1975年のアカデミー外国語映画賞を受賞したのでスペインでも上映されたようですね。
A: スペイン公開は1976年10月ですが、監督は1975年生れだから公開時に見たはずはありません。何歳ごろ見たんでしょうか。舞台は1900年初頭のシベリア、言語はロシア語と中国語、キャストも日本人はゼロ、2部構成で2時間越え、しかし少数民族の猟師デルス・ウザーラが素晴らしく、これは間違いなく黒澤映画でした。
B: 本作は何回か上映される機会があったので若い方もご覧になっているかと思います。『影武者』などを貶すファンもこの時代のクロサワ作品は評価しているのではないか。
A: さて、プロデューサーで脚本を共同執筆した監督夫人のイサ・カンポ、彼女の初監督作品『記憶の行方』完成時にはまだ生まれていなかった娘さんも一緒に来日しました。マラガ映画祭2016で評価された『記憶の行方』でも夫妻のキャリア紹介をしています。その際に新作でリンクさせていた12年前の『時間の伝説』にも触れています。こちらは4年後の2010年6月に、当時はセルバンテス文化センターという名称だったインスティトゥト・セルバンテス東京で上映されました。
*『記憶の行方』の作品&共同監督フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2016年04月29日
B: 当夜のQ&Aで、『時間の伝説』のタイトルの由来は、カマロンの歌からとったと答えています。確かにストーリーより、アーカイブ映像で登場したカマロン・デ・ラ・イスラやトマティトのほうが記憶に残っています。
A: 物語はフラメンコ歌手カンタオールの家系に生まれたイスラは、父の悲劇的な死以来、歌えなくなってしまう。一方、カンタオーラを目指して日本からやって来たマキコは、父の訃報を受け取る。同じ父親の喪失という現実を共有した二人を交錯させてドラマは進行する。
B: カマロンはサンフェルナンド出身、1992年に41歳という若さで亡くなった、文字通り伝説的な天才カンタオール、生れ故郷サンフェルナンドに眠っています。
A: 一方『二筋の川』はパコ・デ・ルシアの曲からとった。<Entre dos aguas>をググると、こちらが先にでてくる。マリソルさんブログを拝借すると、監督は「川というより水域であり、地中海と大西洋を指す。また、二人の子供時代と大人になったときも意味する」と由来を語っている。
B: 二つの海洋を隔てるジブラルタル海峡はすぐそばにある。兄弟がそれぞれ選ぶ生き方の違いを指していると思っていた。
A: 二人は共に人生を再建しようとしている点では同じ、過去の傷口が癒えていないことでも同じだから、方向も違うようで違わない。違いはイスラが自身との和解ができていないことです。
B: ハンサムな男の子であったイスラ(イスラエル・ゴメス・ロメロ)は、帰郷しても妻から歓迎されず、家族から追放されて心身ともに路頭に迷っている。環境の悪化と人生を見通す力に欠けており、復讐と屈服の狭間で揺れている。
A: 一方ハンサムではなかったチェイト(フランシスコ・ゴメス・ロメロ)は、確実に大人としての着地点を見つけている。他人に寛容で優しく、今や幸福であることのモデルになっている。
(3人とも若かった『時間の伝説』撮影時のイスラエル、監督、フランシスコ)
境界が曖昧なフィクションとドキュメンタリーに戸惑う
B: 現実とフィクションの境界が曖昧で戸惑いますが、それは作品的に問題ではない。
A: 前作より境界は希薄化され、フィクションが勝っている。二人は演技しているわけです。ただ冒頭のイスラの娘マヌエラの衝撃的な出産シーンはドキュメンタリー、イスラエルの奥さんロシオ・レンドンも本人です。これはプレミアされたサンセバスチャン映画祭 SSIFFのインタビューで語っていた。本映画祭にはイスラエルの3人の娘、来日した監督夫妻の娘も赤絨毯を一緒に歩いた。チェイト役のフランシスコ・ゴメス・ロメロは参加できなかったようでガラではスマホで感謝のスピーチをしていた。
(イスラエルの家族と監督、サンセバスチャン映画祭2018にて)
B: 登壇したイスラエルは感激の涙でスピーチできなかった。Q&Aで出産のシーンは「そのときでしか撮れないので、5年前に取りあえず撮っていた・・・入れ墨シーンもドキュメンタリー」と語っていました。
A: 過去の苦しみから解放されたくて、父の死を自身の背中に刻み付ける。衝撃的なシーンのもう一つは、チェイトと妻のセックスシーンです。スペインでは16歳以下保護者同伴の制限がついて公開されたのでした。
(本物だったイスラエルの刺青)
B: チェイトは軍人になり、家族の責任ある父親になっている。イスラは麻薬取引の廉で服役、出所しても妻から拒絶されている。しかしイスラエルは一度も刑務所に入っていない。
A: 子供だった頃の二人は、いろいろ将来の夢を描くことができた。しかし大人になった二人の道は狭まり、特にイスラは夢とはほど遠い現実に閉じ込められている。誰も彼を助けてくれないし、誰も彼らが直面している現実を見たくないし、知りたくない。もっと別の方向を見たい。
B: しかし彼らは排除されても、将来が見通せない時代を生きねばならない。
A: この映画はここ海抜ゼロメートル地帯のカセリアの浜辺で、二人の兄弟のキャラクターでしか撮れなかったという意味で、これはドキュメンタリーなのかもしれない。しかしイスラはイスラエルではない。彼は子供のときから映画俳優になること、ジャッキー・チェンのようになることが夢だった。
B: 『時間の伝説』の俳優募集を見て真っ先にオーディション会場に馳せつけた。
(舞台になったカセリアの浜辺を散策するイスラエル・G・ロメロ、2019年3月)
A: 400人の応募の列の一番前だった(笑)。意気込みが伝わりますよ。ラクエスタ監督との出会いは12歳のとき、父親は映画通りで亡くなっていたそうです。出会いからしてドラマだった。SSIFFで感涙にむせんだのも当然でした。
B: イスラが貝取りをしている浜辺は、泥の沼沢地のようだった。彼は子供のころ貝取りの名人、仕事は漁師になるか魚関係の仕事しかないところで、麻薬取引は隠れてやるというよりヘリを利用した大掛りなものでした。
A: これが監督の言う現実を刻みつけるということなのでしょう。
イスラとチェイトに尊厳をあたえたい――三部作の構想
B: 同じ人物を起用して、時間をおいて製作された作品には、フランソワ・トリュフォーの「アントワーヌ・ドワネル」シリーズが先ず思い出される。
A: ジャン=ピエール・レオを主人公に1959年に発表された『大人は判ってくれない』で始まる自伝的なシリーズ、1978年の『逃げ去る恋』で締めくくられた5作。すべてが自伝的とは言えなかったと思いますが。サンセバスチャンで「トリュフォーが映画は時間を捉えるのに役立つということを私に教えてくれた」と語っていた。
B: 前者はカマロンのファンタズマが音楽を通して常にコラボしているが、後者は音楽担当のラウル・レフェレとキコ・ベネノのバンドが語ってくれている。
A: とにかく社会的なポートレートは描きたくないようで、ホセ・ルイス・ゲリン、イランのアッバス・キアロスタミ、アルベルト・セラなどが好きな方には本作はお薦めかな。
(音楽を手掛けたラウル・レフェレとキコ・ベネノ、製作者アレックス・ラフエンテ
サンセバスチャン映画祭 2018 プレス会見にて)
B: 『二筋の川』に続く第3作目を構想中、三部作にしたいようですね。
A: インドの監督サタジット・レイの「オプー三部作」*のように登場人物に尊厳をあたえたい。完結編では二人はハッピーエンドになるだろうとも語っている。
B: 当夜のQ&Aでは、プロデューサーであり共同脚本家でもあるイサ・カンポには質問がなかったのでしょうか。
A: 彼女なくして作品は完成しなかった。本作の制作会社の一つLa Termita Films は、2011年に二人が設立した制作会社、主にイサ・カンポが担っている。
*「オプー三部作」とは、インドのベンガル出身の映像作家サタジット・レイ(1921~92)が、ベンガルの貧しい下級官吏の息子オプー少年の成長課程を追った作品。1955年の『大地のうた』、56年の『大河のうた』、59年の『大樹のうた』三部作。
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