ペネロペ・クルスとフリオ・メデム*新作”Ma ma”が公開2015年09月04日 17:54

             ペネロペが身重の乳癌患者を力演する

 


★お正月に今年公開される映画をいくつかご紹介いたしましたが、フリオ・メデムMa maもその中の一つ、いよいよ911日にスペインで公開されます。ペネロペ・クルスはスペイン映画としては、アルモドバルの『抱擁のかけら』以来、約6年ぶりのヒロイン役マグダに扮します。脚本に惚れこんで、初のプロデューサーにも挑戦しました。演技をしているときは女優に、製作側に立つときはプロデューサーに徹し、二つの狭間で苦労したとも語るPP、第二子誕生後、押し寄せる出演依頼にいささか疲労困憊、なかでも彼女の「ステージ・パパ」とも言われた父親を6月に見送ったことが打撃だったようです。

Ma ma”の紹介記事は、コチラ⇒2015年01月05、フリオ・メデム監督の「キャリア&フィルモグラフィー」も紹介しております。

 

     Ma ma2015 スペイン

製作(共同)Morena Films(スペイン) / Mare Nostrum Productions

監督・脚本・プロデューサー・編集:フリオ・メデム

撮影:キコ・デ・ラ・リカ

音楽(サウンドトラック) アルベルト・イグレシアス

美術:モンセ・サンス

編集:イバン・アレド、ヤゴ・ムニィス

衣装デザイン:カルロス・ディエス

メイクアップ:(特殊メイク)ラケル・アルバレス、ルベン・セラ、他

プロダクション・マネージメント:マリア・モレノ

プロデューサー(共同):アルバロ・ロンゴリア(エグゼクティブ・プロデューサー、代表作『ローマ、愛の部屋』)、ペネロペ・クルス、他

 

データ:スペイン、スペイン語、2015、ドラマ、111分、撮影地マドリード、テネリフェ島など

公開:フランス2015521日、ドイツ730日、スペイン911日、カナダ915


キャスト:ペネロペ・クルス(マグダ)、ルイス・トサール(アルトゥロ)、アシエル・エチェアンディア(フリアン)、ジョン・コルタハレナ、アレックス・ブレンデミュール(ラウル)、シルビア・アバスカル(看護師)、アナベル・マウリン(放射線専門医)、ビルヒニア・アビラ(ICU看護師)、サムエル・ビジュエラ、エレナ・カランサ(TVレポーター)、シロ・ミロー、ノルベルト・トルヒージョ B、他

 

プロット:小さな息子を抱え癌と闘う女性マグダの物語。死の淵にありながら新しい命と新しい家族を組みたてようとする。厳しい状況に直面したマグダは、ただ現実を受け入れるだけでなく、そうすることが自分の命を縮めるかもしれないが、積極的に勇気をもって内側から人生の立て直しを決心する。辛い映画ではあるが打ちひしがれる映画ではない。どうしたら心の平静をたもち、充実した人生を送れるのかという「生き方のレッスン」に観客は出遭うだろう。そして予想もしないユーモアある光景や心こまやかな幸せを目にすることができる。     (文責:管理人)

 

       

         (環境破壊NOキャンペンのシャツを着たトサール、ペネロペ、メデム監督)

 

  
トレビア

★ペネロペ・クルスの役柄についての拘りというか研究熱心はつとに有名ですが、今回もインターナショナル・ルベン・クリニックの婦人科医エレナ・カリージョの指導を受けて、誇りを持って不自然にならないよう癌患者の役に取り組んだという。「エレナは、友人としても私をサポートしてくれた」とPP。癌と闘うスペイン協会、乳癌病理学スペイン協会、国立癌協会の手になる情報を提供してくれた。実際の乳癌患者にも取材をして生の声を聞いたようで、「彼女たち全員が傷痕と心の内を見せてくれた」とも。

 

★今回は役者とプロデューサーの二足の草鞋、メデム監督との関係は、「演技しているときは女優と監督、製作については噛みあわず議論もしたけれど、最終的には合意できた。彼と一緒に仕事ができたことは素晴らしい経験だった」と語る。テネリフェ島の撮影は、好い天候に恵まれて、二人の男性共演者ルイス・トサールアシエル・エチェアンディアとも良好、「だって、これは落胆したり暗い気持ちになる映画ではないの。むしろ恐怖より光が差し込む映画。でも撮影終了のパーティは楽しめなかった。喪失感と大きな困惑を覚えた。面食らうこともあったし、確かなことは一風変わったセンセーショナルな仕事だったけれど、疲れは感情的なものだった」そうです。撮影中に15カ国の配給元が契約してくれ、現在は25カ国に増えた。

 


     (ルイス・トサールとペネロペ、映画から)

 

★スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙を飾ったペネロペ・クルス、Ma ma”を含めた乳癌征圧の特集号のようです。1冊につき0.50ユーロが「スペイン癌征圧協会」に寄付される。週刊誌『エルパイス・セマナル』821号の表紙にも選ばれた。嬉しい話題が溢れているが、以前から心臓病を患っていた父親がムルシアで亡くなった(618日、享年62歳)。海外で撮影中だったので死に目にはあえなかった。

 


              (スペイン版『ヴォーグ』9月号の表紙)

 

10代でデビューした彼女を業界やマスコミの餌食から守ってくれた「ステージ・パパ」でもあった。父親のサポートなしで今日のPPはない。ペネロペ三人姉弟の母親とは離婚しており、再婚したカルメン・モレノとの間に3歳の娘がいる。「まだ62歳と若かったのよ、私たちは常に結束していて、多くの場合、海外ロケも一緒だった。だから仕事復帰は難しかった。というのもコメディだったから、人を笑わせる演技が辛かった。セリフが多いシークエンスでは集中できなかった」とPPは打ち明ける。コメディとはベン・スティラーの『ズーランダー 2のことだ。コイシェ監督が「へとへとになるまで笑わせてくれた」と言っていた『ズーランダー』(01)の続編。撮影中に今度はスティラー監督の母親が亡くなって、撮影は数日間頓挫してしまった。「どうやって立ち直ったんだい?」と質問されたそうです。来年211日アメリカその他で公開が決定している。いずれ日本も公開されるでしょう。

 


      (マドリードの遺体安置所に駆けつけたペネロペとハビエル・バルデム)

 

フェルナンド・トゥルエバ『美しき虜』98)の続編La reina de Eapaña2016年公開予定)で同じマカレナ・グラナダを演じる。主要キャスト、アントニオ・レシネス、ホルヘ・サンス、サンチャゴ・セグラなどは前回と同じ、既にシナリオの読み合せもしたそうです。その後、前評判が大分先行しているフェルナンド・レオン・デ・アラノアAmando a Pablo, odiando a Escobarが予定されている。ビルヒニア・バジェッホの同名回想録(2007年刊)の映画化。コロンビアのメデジン麻薬カルテルのドン、パブロ・エスコバルの80年代の愛人。作家でジャーナリスト、コロンビア女性は美人が多いと言われるが、彼女もその例に漏れない、現在はマイアミ在住。パブロにハビエル・バルデム、愛人ビルヒニア・バジェッホにペネロペが扮する。間もなくクランクイン「彼と一緒の仕事はちょっと不安がある」とPP、結婚前の『ハモンハモン』や『それでも恋するバルセロナ』のように簡単ではないということか。リドリー・スコットの『悪の法則』では共演と言っても撮影は交差しなかったが、今度はそうはいかない。

 

★『ハモンハモン』の少女も今では一男一女の母親、どうやって美しく年を重ねていけるか。スペインでは『抱擁のかけら』で母娘を演じたアンヘラ・モリーナ、また『NINE』で共演したソフィア・ローレンが理想とか。二人とも子供と仕事を両立させている女優、アンヘラは確か5人ぐらいいるし、長女オリビア(『地中海式人生のレシピ』のヒロイン)に子供が生まれたからお祖母さんでもある。

  

ダニエル・グスマン”A cambio de nada ”*マラガ映画祭2015 ④2015年04月12日 18:17

                  コンペティション第2弾


★オフィシャル・セレクション
13作品のなかで賞に絡みそうなダニエル・グスマンのデビュー作“A cambio de nada”のご紹介。ワーナー・ブラザーズが配給元になり早くも58日のスペイン公開が決まっています。

 

  A cambio de nada ダニエル・グスマン 2015 スペイン 114分 悲喜劇

製作La Competencia / El Nino produccioners / Ulula Films / La Mirada Oblicua
     y Zirco Cine
ほか

監督・脚本:ダニエル・グスマン

キャスト:ミゲル・エラン(ダリオ)、アントニオ・バチジェル(ルイスミ)、ルイス・トサール(ダリオの父)、マリア・ミゲル(ダリオの母)、アントニア・グスマン(アントニア)、フェリペ・ガルシア・ベレス(フスト‘カラリンピア’)、パトリシア・サントス、ミゲル・レジャン、フェルナンド・アルビス、マノロ・カロ、ルイス・サエラ、ロベルト・アルバレス、ほか

 

             

          (バイクで疾走するダリオと親友ルイスミ、映画から)

 

解説:マドリードの労働者地区で暮らす16歳の若者ダリオの物語。両親の別居でダリオは辛い日々を送っている。ルイスミは近所に住んでいる無二の親友。二人は盗んできたバイクの部品を落ちぶれた工場の経営者フスト‘カラリンピア’に売りつけている。見た目はこの界隈の成功者だが幸せとは言えない人生を送っている。ダリオは「棘の家」を逃れて.‘カラリンピア’の工場で働き始める。間もなく物忘れがひどくなっている年老いたアントニアと親しくなる。捨てられた家具を拾い集めて「蚤の市」で売っている。それぞれ自身の不幸には蓋をして一日一日を生き延びている。やがてダリオ=ルイスミ=アントニア=カラリンピア4人の三世代からなる疑似家族が大都市マドリードの片隅で始まる「ひと夏の物語」。

 

           

       (左から、ミゲル・エラン、ルイス・トサール、マリア・ミゲル)

 

監督紹介&フィルモグラフィーダニエル・グスマン Daniel Garcia-Pérez Gusmán1973年マドリード生れ、俳優、監督、脚本家。早くから演劇を学び1989年の“Sueño de una noche”で初舞台を踏む。TVドラマ“Colegio Mayor”(1995)でデビュー、俳優としてのキャリアは長い。よく知られるようになったのは、TVシリーズAquí no hay quien viva200306アンテナ3)の75話に出演してから。フェルナンド・テヘロのように、このTVシリーズをジャンプ台にして有名になった俳優は数多い。

映画デビューはイシアル・ボリャインのデビュー作Hola, ? estás sola ?95)、他にマリアノ・バロッソの“Extasis”(96)、フェルナンド・レオンの“Barrio”(98)にバルのボーイとしてカメオ出演している。セサル・マルティネス・エラーダのCuando todo esté en ordenでマラガ映画祭2003最優秀男優賞を受賞、ほかに“Extasis”ではスペイン俳優組合賞の新人男優賞にノミネートされた。現在も俳優として舞台、TV、映画を掛け持ちしている。


監督歴:2003年に撮った短編Sueñosがいきなりゴヤ賞2004短編映画賞、バリャドリード映画祭の短編映画部門で「金の穂」賞、トゥールーズ・スペイン映画祭スペシャル・メンションなどを受賞する。他にドキュメンタリー Mar de fondo”、短編“Inseguridad”、“Takeando”など。

 

トレビア:長編デビュー作、監督の自伝的な要素が含まれているようだが、ユーモア、楽観主義、喜び、痛みが溢れている悲喜劇。全く演技経験のないミゲル・エランとアントニオ・バチジェルの二人の青年、監督の実の祖母さんアントニア・グスマンを起用して、ルイス・トサール、マリア・ミゲル、フェリペ・ガルシア・ベレス、ミゲル・レジャンなどのベテラン勢が脇を固めている。構想9年、脚本に5年、プロジェクトを立ち上げ資金調達に奔走、撮影準備に3カ月、マドリードの数か所で6週間かけて撮影された。9年越しの「夢」がようやく叶えられた。

 

            

         (撮影中の祖母アントニアと孫のグスマン監督)

 

若いころは‘Tifon’(台風)のペンネームで湾岸戦争などに抗議する反戦絵画を描いていた。またスポーツマンでもあり、2005年にレオン市で開催された赤十字社チャリティー・ボクシング大会にプロの選手としてデビューしている。その後フアン・ビセンテ・コルドバの“A golpes”(05)ではボクサー役を演じた。オートバイレーサーとしてレースに参加、慈善オートレースにも出場している。本作のダリオもバイクでマドリードを疾走する(上記写真)。

 

                

               (ボクサー、ダニエル・グスマン)

 

本作にはスペイン国営テレビ(TVE)、Canal SurRTVA)、Canal +が参画している。

  

イサベル・コイシェの新作*ベルリン映画祭2015 ③2015年03月01日 18:50

            オープニング作品だったコイシェの新作

   

★昨年のような目玉作品がなかったせいか、金熊賞のジャファル・パナピの“Taxi”が頭ひとつ出ていただけでチャンスは誰にもあった。テレンス・マリックの“Knight of Cups”の前評判はイマイチだったらしく、それでも主催者からオープニングを打診されたとき「とても名誉なことだけれど、しかし・・・」と、コイシェ監督は躊躇したそうです。結局主催者はマリックを選ばなかった。ベルリナーレのディレクター、ディータ・コスリックDieter/Kossilick は、「極限状況におかれた二人の女性の迫力ある直観的な物語」が気に入ったようです。

 


Nobody Wants the Night(西語題“Nadie quiere la noche2015、西≂仏≂ブルガリア、118分、撮影地ブルガリア、ノルウェー、カナリア諸島のテネリフェ)は、結果的には無冠に終わりましたが、コイシェ監督はここ毎年新作を発表している。言語は英語だがAnother Me2013、“Mi otro yo”)、昨年のトロント映画祭出品のLearning to drive2014、資金難に喘ぐスペインの監督としては珍しいことです。やはりバルセロナを離れてニューヨークに居を定めたことが、人的交流にも恵まれ創作意欲も刺激しているようです。残念ながら新作もイヌイット語を含む英語映画です。1909年、初めて北極点に到達したと言われるアメリカの探検家ロバート・ピアリーの妻ジョゼフィーンにジュリエット・ビノシュ、イヌイット女性アラカに菊池凛子、ロバートにガブリエル・バーンが扮する。監督によると「実在した人物が主人公ですが、物語はフィクション、文明とは何か、野蛮とは何かが語られる」、ということは極めて今日的なテーマとも言えます。

    

      

        (イサベル・コイシェとジュリエット・ビノシュ、ベルリン映画祭にて)

 

★初の極点到達を目指している夫ロバート・ピアリーを追って、アメリカからグリーンランドへ旅立ったジョゼフィーンの物語。ロバートは妻と娘をワシントンに残して極点到達の探検に出掛けた。留守がちの夫の帰りを待つだけの暮らしにウンザリしていたジョゼフィーンは、初到達を夫と共有しようとグリーンランドを目指すことにする。イヌイットの女性アラカの助けを借りて夫の後を追う。

 

★ロバート・ピアリーはイヌイット女性との間に二人の子供があり、この女性の導きで極点に向かったと言われている。裕福なブルジョア階級に属し、教養の高い女性だったジョゼフィーンは、食べるのがやっとの一般庶民が夫の探検を軽蔑していると感じていた。しかし極点初到達は、現在では真偽のほどが疑問視されている、いや否定されているようだが、本作においてはあまり関係ないようだ。何故なら彼らにとって重要なことは栄光、初到達はどうでもよいことだったからだ。

 

          

                 (ジョゼフィーン・ディウベッツチ・ピアリー 18631955

 

コイシェ監督談4年前にミゲル・バロスから脚本を受け取り、とても興奮した。アメリカの多くの女優に声を掛けたが「素晴らしい役柄で気に入ったわ、だけど撮影条件に対応するのは難しい」と次々に断られた。結局「ジュリエットのようなぶっ飛んだ女優でないとやれないと分かったの」と監督。「テント小屋の暖房は灯油ストーブでも文句を言わない、プラスチックの袋に用を足せる強靭さがないと務まらない。更にある種の高揚感や本質を見抜ける力がある女優でなければ」というわけです。

 

★広大な北極で迷ってしまったジョゼフィーンをロバートは救出に行かなかった。彼にとって気がかりなのは極点に早く到達すること、そしてその偉業を喧伝することだった。後に妻は見せかけの人生を送ることになるのだが、ワシントンに戻ってから夫がどんな人間だったかを思い知る。「そのとき本当の北極の夜が始まった。悲しいけれどこれが現実」と監督。つまりタイトルに繋がる。名声と栄光を求めるだけの偽りの芸術家夫婦は、周りにたくさんいるとも。

 

                

                           (ジョゼフィーンと夫ロバート)

 

★ジョゼフィーンと冬を過ごすアラカについて、「その無垢さ、しなやかなインテリジェンス、高貴さに打たれる。若いけれど無知ではない」。グリーンランドで撮影中、イヌイットの素晴らしい女性と大いに語り合った。その識者の高祖母(ひいお祖母さんの母)がアラカの姉妹の一人だったという。スクリーンの最後に出てくるようです。キャストについてはジュリエットは言うまでもなく大いに満足している由、新婚ほやほやの凛子さん、良かったですね。

 

            

          (ジョゼフィーン役のビノシュとアラカ役の菊池凛子)

 

★ジュリエット・ビノシュによると、凍てつくようなノルウェーでの撮影を思い出して「実際のところ、撮影の3日間は凍えそうだった。残りは6月のテネリフェのスタジオで、毛皮にくるまって撮影した」。6月のテネリフェは暑いから相当過酷な仕事だったことが想像できます。「演技とは感覚的なもので知的な仕事ではない」、頭脳労働じゃない。「この映画は七面鳥であることを止めて犬に変身しようとした女性の物語」だそうです()

 

★コイシェ監督近況、現在3本の脚本を抱えている。その一つが英国のペネロペ・フィッツジェラルドのブッカー賞受賞作“The Bookshop”(1978、“La libreria”)の映画化。ニューヨーク市ブルックリン区のマンションに戻って執筆中。他にダーウィンの玄孫を主人公にした脚本をマシュー・チャップマンと執筆している。ニューヨークも寒いが「鼻がもげそうなほど寒かった」ノルウェーに比べればなんてことはないですね。「どこに住んでいようが、気分がいいときも悪いときもある・・・不安定な綱渡りのロープに立っていると感じることもあるが、必要があればウズベキスタンでもモンゴルでも行きます」、「ハイ、スタート、カット」と言いながら死にたい。

 

共同脚本家マシュー・チャップマン1950年ケンブリッジ生れ、監督・脚本家・製作者。1980年代にアメリカに渡り、ロスに10年余り暮らした後ニューヨークへ。『殺しに熱いテキーラを』(1986脚本)、『ニューオーリンズ・トライアル』(2003共同脚本)、話題となった心理サスペンス『ザ・レッジ 12時の死刑台』(2011監督・脚本・製作)など。

 

*関連記事:管理人覚え

◎“Another Me”(英西、英語)については2014727

◎トロント映画祭2014「スペシャル・プレゼンテーション」部門“Learning to drive
 (
米国、英語2014813