マリサ・パレデス、ナント映画祭2021栄誉賞を受賞 ― 2021年04月11日 22:18
「決して無駄に生きてはこなかった」とマリサ・パレデス
(マドリードのカフェ・ヒホンで語るパレデス、2021年3月30日)
★マリサ・パレデス(マドリード1946)がフランスのナント映画祭2021で栄誉賞を受賞しました。受賞者の経歴については、ゴヤ賞2018栄誉賞を受賞した折りにフィルモグラフィーを紹介しておりますが、フランコ時代にデビュー、多くの先輩の薫陶を受けて舞台、映画、TV、ラジオと生きぬいてきた女優について、栄誉賞受賞を機に最近の出演映画や、今年公開が予定されているアンパロ・クリメントのドキュメンタリー・ドラマ「Las cartas perdidas」などをご紹介したい。本作はスペイン内戦を背景にした、オール女性出演のドクドラです。
★ゴヤ栄誉賞受賞後としては、バルバラ・レニーとの女優対決として話題を呼んだハイメ・ロサーレスの『ペトラは静かに対峙する』(18)をご紹介しております。75歳のバースデーを祝ったばかりですが、歩みを止めない、時間を無駄にしない女優です。詳細をまだ明かすわけにはいかないという三つの企画が、プラハ、イタリア、スペインで進行中だそうです。
*ゴヤ賞2018栄誉賞受賞の記事は、コチラ⇒2018年01月18日
*『ペトラは静かに対峙する』の紹介記事は、コチラ⇒2018年08月08日
(『ペトラ』のテーマ、エゴについて語り合うマリサ・パレデスとバルバラ・レニー、
2018年10月、エル・パイスの編集室にて)
★75歳の誕生日を数日後に控えた3月30日、エル・パイス紙のインタビューで、ウィキペディアでも触れられていない、デビューの経緯、両親、特に賢明な助言者であった母親、祖母、最初の結婚相手アントニオ・イサシ=イサメンディ、一人娘マリア・イサシ、パレデスの教師であった今は亡き先輩フェルナンド・フェルナン=ゴメスやマヌエル・アレクサンドレなどのシネアスト、スペイン映画アカデミーの会長時代のゴヤ賞ガラなどについて、マドリードのカフェ・ヒホンで語りました。
(一人娘の女優マリア・イサシからゴヤの胸像を受け取る、ゴヤ賞2018ガラにて)
★少女のときから舞台女優になるのが夢だったマリサ(マリシータ)によると、初舞台は14歳のときの「El padrino」で、「トゥリノ小父さんが殺されちゃった」と言いながらデビューした。これを見ていたビクトル・バドレイ(監督、脚本家)から、コメディ劇場でリハーサルをしているコンチータ・モンテスに会いに行くように言われたという。前向きな母親はともかく、父親は怒って反対したという。しかしマリシータの決心をもはや誰も覆すことはできなかった。まさに人生はドラマです。
★カフェ・ヒホンのテーブルをそっと撫でながら壁を見上げ、「ここの椅子に座っていたんです、フェルナンド・フェルナン=ゴメス、マヌエル・アレクサンドレ、ホセ・ガルシア・ニエト、ペペ・ディアス・・・私は15歳で、彼らが政治やアートについて、文学について議論を闘わせているのを聞いて学んだのです。自分がしなければならないこと、してはいけないことを学びました。先人の教えを忘れてはいけないのです」と。母親からは「共和政時代には認められていた女性参政権や市民婚は、フランコ体制下では取り消された」と聞かされていました。今の自分があるのも母親の支えがあったからで、彼女は言わば<共犯者>だったと。母と祖母は私に「怯えるな」と教えてくれた。祖母ガブリエラ・クリアドは、農民で11人の子供を育てた肝っ玉母さんだったらしく、うち3人が今でも健在、最年長の叔父は99歳ということです。
★コンチータ・モンテスに会いに行くとき、母親は「いいかい、マリシータ、自分が信じる道を行きなさい」と言った。相手は既にメジャーなスターで、15歳の小娘には近寄りがたい存在だったが、私はちっぽけじゃない、情熱では負けない、大きな夢をもっている、とみずからを鼓舞した。60年代の街中では小児性愛者が少女たちを追いかけまわしたり、独裁、抑圧、沈黙と恐怖が蔓延し、「皆なひそひそと話をし、秘密をもち、怯えていた。家の中も同じ、父親が怖くて、パパが帰ってくるというと、子供たちは固まった」と。
★アントニオ・イサシ=イサメンディ(1929-2017)との結婚と「私の人生の花」と形容する娘マリアの誕生(1975)については、両親の考えは違ったという。母親は17歳の年齢差と離婚ができないことから正式に籍を入れるべきでないと言い、父親はアントニオが籍を入れないなら母娘の面倒をみないと主張した。現実的な母親、世間を重んじる父親は万国共通です。後には孫娘を溺愛したそうですが。「アントニオとは同じ目的をもっていたのですが、次第に行き違いが重なり、娘が6歳のとき終わりました。多くの恋をしましたが、1983年、撮影監督、元国立フィルムライブラリー館長のチェマ・プラド(ルゴ1952、ホセ・マリア・プラド)と出会い再婚した。彼は「とても厳しく少し頑固だが誠実な人、皆がOKを出してもダメと言える人」だそうです。
(チェマ・プラドとのツーショット、カンヌ映画祭2018にて)
★忘れられない人として、「私をもっとも信頼してくれた」舞台演出家のリュイス・パスクアル、「自由な考え方、映画に起用してくれたことで私の人生を決定した」ペドロ・アルモドバルの名前を上げている。その他、監督のカエタノ・ルカ・デ・テナ、フアン・ゲレロ・サモラ、ホセフィナ・モリーナ、ピラール・ミロ、女優マリア・アスケリノも忘れられないと語った。ホセフィナ・モリーナ以外は鬼籍入りしています。彼女は映画やオーディオビジュアルで仕事をする女性の権利を守る組織CIMAの設立者で名誉会長、女性監督として2011年、初めてゴヤ賞栄誉賞を受賞した大先輩です。
(ビクトリア・アブリル、アルモドバルと。母と娘の愛憎劇『ハイヒール』から)
★2000年から3年間、スペイン映画アカデミー会長を務めた。2004年のゴヤ賞ガラも忘れられない。というのも大量破壊兵器保有を理由に米国がイラクに軍事介入した戦争に、当時のアスナール政権が同調したからだという。国民はこぞって戦争反対を表明した。仲間と「ノーモア・ウォー」のステッカーを付けてガラに出席した。いかなる戦争にも反対するのは母の教えだという。それは今年公開が予定されているアンパロ・クリメントの「Las cartas perdidas」出演にも繋がっている。
(撮影中のアンパロ・クリメント)
★新作はクリメント監督が演出をした同名戯曲の映画化、舞台は2年間のロングランをおさめたという。まだ内戦は終わっていないのです。プロットはスペイン内戦当時、追放または収監された女性たちの直筆の手紙がベースになっている、ドキュメンタリー・ドラマ、いわゆるドクドラというジャンルの映画です。共和政を支持した女性たちは、女子刑務所または強制収容所に送られた。撮影は最小のスタッフで、2020年9月24日クランクイン、撮影地は両軍の激戦地であったアラゴン州のベルチテ、カスティーリャ・デ・ラ・マンチャ、バレンシア、フランス南部など。出演はパレデス以下、ボイス出演のアナ・ベレン、『ペーパー・ハウス』のナイロビ役で知名度が上がったアルバ・フローレス、ベテランのノラ・ナバスなどオール女性、いずれご紹介する予定です。
(撮影中のマリサ・パレデス)
(全員マスク姿で撮影に臨むスタッフ)
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