『フラワーズ』*東京国際映画祭2014 ① ― 2014年11月09日 15:42
★台風接近でラテンビートでの鑑賞を断念した『Flowers』を、共催上映した東京国際映画祭TIFFで見てきました。こちらのタイトルは『フラワーズ』、原題の“Loreak”の意味は「花」です。既にラテンビート2014③で作品データ・監督・キャスト他を紹介した記事(⇒9月22日)を、下記にコンパクトに纏めて再録しております。
サンセバスチャン映画祭オフィシャル・セレクションに初のバスク語映画
A: バスク自治州の都市サンセバスチャンで開催される映画祭も今年で62回を迎えました。まあ老舗の映画祭と言えますね。そこで話題になったのが本映画祭コンペ部門でバスク語映画が初めて選ばれたということでした。
B: オフィシャル・セレクション以外なら当然過去にもあった、お膝元の映画祭ですから。
A: フランコ時代は使用禁止言語だったからバスク語映画そのものが作れなかったし、学校で生徒が喋ろうものならムチで叩かれた。
B: でも考えると不思議ですよね。もうすぐフランコ没後40年になるんだから。
A: いいえ、当事者にとったらたったの40年です。ETAのテロが頻発したのはフランコ没後、最も血が流れた年は1980年、200回のテロで95人が犠牲になった。その「1980年」をタイトルにしたイニャーキ・アルテタのドキュメンタリー“1980”が、バジャドリード映画祭で上映され話題になりました。アルテタはETAにテーマを絞って映画作りをしている監督です。
B: 今年前半のメガヒット、エミリオ・マルティネス・ラサロの“Ocho apellidos vascos”は、テロだの爆弾だのは一切出てこないコメディ、そしてスリラーを加味させたヒューマンドラマの本作と、バスク映画も多様化の時代になりました。
A: サンセバスチャンには、プロモーションも兼ねて主演女優3人が花束を抱えて登場しました。大スクリーンで本作を見たエル・パイス紙の批評家カルロス・ボジェロは、「登場人物が自分たちが日常使っている言語で自然に演じていた。もしこれがカスティーリャ(スペイン)語だったら、こんなにしっくりした自然体で演じられなかったろう」と述べています。
B: セリフは多くなかったと思いますが、母語で演じることは論理的なことですよ。
(左から、ガラーニョ監督、ベンゴエチェア、アランブル、アイツプル、イトゥーニョ、
ゴエナガ監督 サンセバスチャン映画祭にて)
A: サンセバスチャンでの評価が高く、10月末に全国展開されることになりましたが、コピーはスペイン語吹替版になったようです。「この映画は登場人物の声で届けるべきですが、バイリンガルでの製作は資金的にできなかった」と、二人の監督は吹替版を残念がっていました。それでも国内の多くの観客に見てもらえるチャンスを喜んでいました。
B: 現在生粋のバスク人は、バスク語とスペイン語のバイリンガルなんでしょうね。日本ではバスク語版で見られたが、いずれにしろどちらでも分かりません。でも日本語吹替えだったらと思うとゲンメツです(笑)。スペインの吹替版上映は曲がり角にきています。そういう意味では、日本は本当に字幕上映<先進国>です。
孤独とコミュニケーションの難しさがテーマか
A: 花束は口を利きませんが、ここでは雄弁に語る、「花束は口ほどに物を言う」です。此岸の人のために、向こう岸に渡ってしまった彼岸の人のためにも語りかける花束だ。言葉で言えないことを表現するための有効な道具になっている。
B: 花に隠された言葉ですね。直線コースに突然現れるカーブ、暗い歩道を照らす街灯、ガードレール、ざわめく黒々とした木々、標識に固定された二つの花束が浮かび上がる、テレとアネが手向けた花束だ。
A: 道行く人、運転する人、旅する人が、この美しい花束に心が和らぐ。花束に添えられた思い出のカードや写真も静かに物語を奏でている。孤独と伝達の難しさを描いた点では、第1作“80 egunean”*の続編かもしれない。
(花束に添えられていたカードを読むアネ)
B: この物語は不安のなかに或る種のロマンを忍びこませて進んでいく。
A: アネと夫の関係はそれぞれ自分の殻に閉じこもって互いに無関心、だから喧嘩も起きない。そこへ匿名の花束が突然やってくる。空気がピーンと張りつめる。
B: 不信と不安を隠しきれない夫は、「匿名の人に住所も訊かず花を売っていいのか」と花屋にねじ込んで、花屋を呆れさせる。
A: そんな義務も法律もありません(笑)。医者から更年期を宣告され塞ぎこんでいたアネだが、夫以外の男性からの思いがけない花束に何故か心が華やぐ。
B: 一方テレは、息子ベニャトがバツイチのルルデスと結婚したのは仕方ないが、夫婦がもう子供はいらないと決めているのが納得できない。テレにとってルルデスの連れ子は孫ではない。この母子も夫婦も普通の会話が成り立たない。賢いベニャトは母の味方も妻の味方もせず、三人は孤立している。
A: ベニャトはアネと同じ職場で働いている。彼は大型クレーンの操縦をしており、高い操縦室から下界を双眼鏡で眺めている。この危険な個室にいるときが一番心が安らぐのだ。
B: ルルデスの職場はハイウエーの料金所のブース、やはり狭いボックスに閉じ込められている。これは象徴的なメタファーです。
*“80 egunean”(2010バスク語)のストーリー:少女だった遠い昔、親友だったアスンとマイテの二人はひょんなことから50年ぶりに邂逅する。アスンは農場をやっているフアン・マリと結婚するため引っ越して以来田舎暮らしをしていた。両親と距離を置きたい娘は離婚を機にカリフォルニアに移り住んでいる。レズビアンのマイテはピアニストとして世界を飛び回ってキャリアを積んでいたが既に引退して故郷サンセバスチャンに戻ってきた。別々の人生を歩んだ二人も既に70歳、不思議な運命の糸に手繰り寄せられて再び遭遇する。この偶然の再会はアスンに微妙な変化をもたらすことになる、自分の結婚生活は果たして幸せだったのだろうか。マイテにサンタ・クララ島への旅を誘われると、アスンは自分探しの旅に出ることを決心する。アスンにテレ役のイツィアル・アイツプル、マイテにマリアスン・パゴアゴが扮した。トゥールーズ・シネ・エスパニャ2011で揃って女優賞を受賞した。パゴアゴは本作がデビュー作。年輪を重ねた知性豊かな二人の女性のナチュラルな演技が観客賞に繋がった。
(アスン役のアイツプルとマイテ役のパゴアゴ)
巧みに張られた伏線を楽しむ
A: ベニャトの突然の事故死に三人の女性は直面する。もうアネに花束は届かない。ルルデスは夫がベランダで丹精をこめて育てていた花の鉢植えを残さず粉々に割る。自分に不意に訪れた不幸に耐えられない。
B: 観客には贈り主が分かるのだが、当事者たちが知るのはもっと後、特にルルデスは職場の同僚と暮らし始めている5年後だ。この同僚とは生き方の違いが伏線として張られており、幸せからはほど遠い。
A: アネが決定的に贈り主を知るのは職場で失くしたネックレスがクレーンの操縦室にあったから。冒頭で医者から更年期の始まりを聞いていたとき、ずっと弄っていたネックレスだ。かつて夫からプレゼントされたものだから唯のネックレスではない。それを知っててベニャトは操縦室にぶら下げていたのだ。 アネと一緒にいたかったのだ。
B: 嫁姑のいがみ合いの遠因の一つとして、夫婦がテレ名義のピソに住んでいたことが挙げられる。綺麗好きのテレには、嫁が掃除嫌いなのが耐えられない。自分が穢されていると感じる。
A: 夫婦の留守中にテレが部屋をピカピカにする理由を、観客はベニャトが死んで初めて知る。
B: ベニャトが双眼鏡で放牧されているヒツジを眺めるシーンが繰り返し出てくる。
A: 事故死の直接の原因は、夜道に迷い込んだヒツジを避け損ねたからだ。
B: 同じようなシーンが最後にもう一度出てきますね。
A: 死者というのは残された人々が想っているあいだは生きている。死者は生きてる人々を支配するのだ。残された人々が記憶を消したい、記憶が重荷になったとき、初めて本当の死者になる。
B: テレは息子を失った苦しみから逃れるように痴呆が始まる。時折り息子の名前さえ思い出せない。
A: アネにもベニャトは死者になりつつある。花束はもう手向けない。過去から逃れたいからだ。
B: ルルデスは夫が別の女性を想っていたことが許せない。もうこの世の人ではないというのに。5年後、医学用に献体していたベニャトが <灰になって> 帰還する。
A: ベニャトの遺灰はルルデスの手元に置かれることになるだろう。結局、花束は花束でしかなかったのかもしれない。
音楽監督パスカル・ゲーニュ
A: まだゴヤ賞予想は早すぎますが、音楽監督パスカル・ゲーニュ*が、もしかしたら候補になるかもしれない。彼はノルマンディー地方のカーン生れのフランス人ですが、1990年から本拠地をサンセバスチャンに移して、主にスペイン映画の音楽活動をしています。ビクトル・エリセやイマノル・ウリベ、モンチョ・アルメンダリスとコラボしています。
B: 前作“80 egunean”も、両監督のそれぞれ第1作も彼が担当。ラモン・サラサールの『靴に恋して』(02)は公開された。
A: ラテンビート2007で上映されたダニエル・サンチェス・アレバロの『漆黒のような深い青』や「スペイン映画祭2009」上映の『デブたち』、イシアル・ボリャインの『花嫁の来た村』や新作ドキュメンタリー“En tierra extraña”も担当している。
B: サンセバスチャンFFのパブロ・マロの“Lasa y Zabala”(コンペ外)も担当、つまり1914年製作の話題作3作を手掛けていることになる。
A: どれかがゴヤ賞候補になるのは間違いない、複数もありえるか。大分前になるがエドゥアルト・チャペロ≂ジャクソンの話題作“Verbo”が、2012年ゴヤ賞オリジナル歌曲賞にノミネートされた。
B: 本作で流れるシングソングライター、セシリアのベストセラー『スミレの小さな花束』(Un ramito de violetas)は、35年前にLPで発売された曲だそうです。
A: 今回調べたのですが、1974/75年、まだフランコ体制のときです。少し体制批判の匂いがあって検閲を受けたようです。映画ではスミレの花束ではありませんが、この歌を口ずさんで育った観客には懐かしいのではありませんか。
B: 二人の監督が生れた頃流行った曲、彼らの母親世代、テレの世代のの曲ですかね。
A: 両映画祭ともバスク語映画は初めてと思いますが、しみじみとわが身を振り返った味わい深い映画でした。
*パスカル・ゲーニュ Pascal Gaigne:1958年フランス生れ、1990年よりサンセバスチャン移住。作曲家、映画音楽監督、演奏家。ポー大学で音楽を学ぶ。トゥールーズ国立音楽院でベルトラン・デュプドゥに師事、1987年、作曲とエレクトロ・アコースティックの部門でそれぞれ第1等賞を得る。映画音楽の分野では短編・ドキュメンタリーを含めると80本を数える(初期のアマヤ・スビリアとの共作含む)。演奏家としてもピアノ、シンセサイザー、ギター、バンドネオン他多彩。『マルメロの陽光』ではバンドネオンの響きが効果的だった。以下は話題作、代表作です(年代順)。
1984『ミケルの死』 監督:イマノル・ウリベ(アマヤ・スビリア共作、スペイン映画祭1984)
1992『マルメロの陽光』 監督:ビクトル・エリセ(公開)
1998“Mensaka” 監督:サルバドール・ガルシア・ルイス
1999『花嫁の来た村』 監督イシアル・ボリャイン(シネフィルイマジカ放映)
2001 “Silencio roto” 監督:モンチョ・アルメンダリス
2002『靴に恋して』 監督:ラモン・サラサール(公開)
2003“Las voces de la noche” 監督:サルバドール・ガルシア・ルイス
2004“Supertramps” 監督:ホセ・マリ・ゴエナガ(デビュー作)
2006『漆黒のような深い青』 監督:ダニエル・サンチェス・アレバロ(LB2007上映)
2007“siete mesas de billar francés” 監督:グラシア・ケレヘタ
2009『デブたち』 監督:ダニエル・サンチェス・アレバロ(スペイン映画祭2009上映)
2010“Perurena” 監督:ジョン・ガラーニョ(バスク語、デビュー作)
2010“80 egunean” 省略
2011“Vervo” 監督:エドゥアルト・チャペロ≂ジャクソン(2012年ゴヤ賞歌曲賞ノミネート)
2014“En tierra
extraña” 監督イシアル・ボリャイン
2014『フラワーズ』 省略
2014“Lasa y Zabala” 監督:パブロ・マロ
*“Loreak”『フラワーズ』データ*
製作:Irusoin / Moriarti Produkzioak
監督:ジョン・ガラーニョ& ホセ・マリ・ゴエナガ
脚本:アイトル・アレギAitor Arregi /ジョン・ガラーニョ/ホセ・マリ・ゴエナガ
製作者:アイトル・アレギ/ハビエル・ベルソサ Berzosa/フェルナンド・ラレンドLarrondo
撮影:ハビエル・アギーレ
音楽:パスカル・ゲーニュ
データ:スペイン、2014、バスク語、99分 スペイン公開10月17日
*サンセバスチャン映画祭オフィシャル・セレクション(9月22日)、チューリッヒ映画祭(9月28日)、ロンドン映画祭(10月18日)など多数。
キャスト:ナゴレ・アランブル(アネ)、イツィアル・アイツプル(テレ)、イツィアル・イトゥーニョ(ルルデス)、ジョセアン・ベンゴエチェア(ベニャト)、エゴイツ・ラサ(アンデル)、ジョックス・ベラサテギ(ヘスス)、アネ・ガバライン(ハイオネ)、他
プロット:三人の女性に人生の転機をもたらした花束の物語。平凡だったアネの人生に、ある日、匿名の花束が家に贈り届けられる。それは毎週同じ曜日、同じ時刻に届けられ、やがて、その謎につつまれた花束は、ルルデスとテレの人生にも動揺を走らせることになる。彼女たちが大切にしていたある人の記憶に結びついていたからだ。忘れていたと思っていた優しい感情に満たされるが、夫婦の間には嫉妬や不信も生れてくる。結局、花束は花束でしかない。これはただの花束にしか過ぎないものが三人の女性の人生を変えてしまう物語です。 (文責:管理人)
★監督紹介
*ジョン・ガラーニョ Jon Garano :1974年サンセバスチャン生れ、監督、脚本家、製作者、編集者。2001年短編“Despedida”でデビュー、短編、ドキュメンタリー(TVを含む)多数、短編“Miramar Street”(2006)がサンディエゴ・ラティノ映画祭でCorazón賞を受賞。長編第1作“Perurena”(バスク語2010)のプロデューサーがホセ・マリ・ゴエナガ、彼とコラボしてバスク語で撮った第2作“80 egunean”(“80 Days”2010)が、サンセバスチャン映画祭2010の「サンセバスチャン賞」を受賞したほか、トゥールーズ・シネ・エスパニャ2011で観客賞、女優賞(イツィアル・アイツプル、マリアスン・パゴアゴ)、脚本賞を受賞したほか、受賞多数。イツィアル・アイツプルは第3作“Loreak”でテレを演じている。
*ホセ・マリ・ゴエナガ Jose Mari Goenaga:1976年バスクのギプスコア生れ、監督、脚本家、製作者、編集者。短編“Compartiendo Glenda”(2000)でデビュー、長編第1作“Supertramps”(2004)、第2作がジョン・ガラーニョとコラボした“80 egunean”、受賞歴は同じ。本作が3作目となる。
(チューリッヒ映画祭で歓迎を受ける両監督、左ゴエナガと右ガラーニョ、9月28日)
★キャスト紹介
*ナゴレ・アランブル(アネ役)Nagore Aranmburu:バスクのギプスコア(アスペイティア)生れ。1998年TVドラマでデビュー、フェルナンド・フランコの“La herida”(2013、ゴヤ賞2014作品賞受賞他)に出演している。
*イツィアル・アイツプル(テレ役)Itziar Aizpuru:1939年生れ。2003年TVドラマでデビュー、前述の“80 egunean”以外の代表作はオスカル・アイバルの“El Gran Vazquez”(2010)、TVドラマ、短編など出演多数。
*イツィアル・イトゥーニョ(ルルデス役)Itziar Ituño:1975年バスクのビスカヤ生れ。Patxi Barkoの“El final de la noche”(2003)の地方紙のデザイナー役でデビュー、サンセバスチャン映画祭のオフィシャル・セレクション外にエントリーされたパブロ・マロの“Lasa y Zabala”に出演(時間切れで未紹介ですが、1983年のETAのテロリズムがテーマ)。ほかバスク語のTVドラマに出演している。
最近のコメント