サンティアゴ・セグラ、「金のメダル」受賞のニュース ― 2016年06月11日 18:02
「そろそろ私にくれてもいいのじゃないかな・・・」
★4月半ばに発表されていたスペイン映画アカデミーの「金のメダル*」、今年はサンティアゴ・セグラ、「スペイン映画における多方面にわたる全功績に対して」贈られる。授賞式は秋なので近くなってからと思っていましたが、第3回イベロアメリカ・プラチナ賞の総合司会者に決定したこともあり、早めにアウトラインをアップすることにしました。昨年はフアン・ディエゴとアイタナ・サンチェス=ヒホンという異例の二人受賞でした*。アナウンスされるたびに、「彼(彼女)は未だ貰っていなかったのね」と驚きますが、今年も同じ感想をもちました。
(イベロアメリカ・プラチナ賞の司会者に選ばれて、右側にあるのがトロフィー)
*メダルの正式名は、Medalla de Oro de la Academia de las Artes y las Ciencias Cinematográficas de España と長く、通称金のメダルです。スペイン映画アカデミーが選考、受賞対象者は、製作者、監督、脚本家、俳優、音楽家、撮影者などオール・シネアスト。 1991年から始まり、第1回受賞者はフェルナンド・レイでした。内戦前のスペイン映画界に寄与した製作会社CIFESAの設立者であったビセンテ・カサノバに敬意を表して、1986年に設けられた賞が前身。最近の受賞者は、アンヘラ・モリーナ(13、女優)、マヌエル・グティエレス・アラゴン(12、監督)、ホセ・ルイス・アルカイネ(11、撮影監督)、ロサ・マリア・サルダ(10、女優)、カルメン・マウラ(09、同)、マリベル・ベルドゥ(08、同)、ほかジェラルデン・チャップリン(06)、コンチャ・ベラスコ(03)など女優の受賞者が目立っている。
*昨2015年の「金のメダル」の記事は、コチラ⇒2015年08月01日/同年11月20日
★サンチャゴ・セグラSantiago Segura Silva:1965年7月17日、マドリードの下町カラバンチェル生れの50歳、俳優・監督・製作者・脚本家・テレビ司会者・声優と多方面で活躍、ポルノ小説のペンネームはBeaベア、またはBeatrizベアトリス(イラストはホセ・アントニオ・カルボが描いた)、「トレンテ」と言えば彼を指す。本気でキャリアを紹介しようとすれば、二足どころか五足も六足も履いているから、そう簡単にはいかない。見た目からは窺い知れない複雑でインテリジュンスの持ち主、最近30年間のスペイン映画は、アレックス・デ・ラ・イグレシア同様彼なしには語れない。日本語ウィキペディアはスペインのシネアスト紹介としては充実しており全体像はつかめます。まずは喜びの談話から。
★「私の最初のリアクションは驚きと責任の重さです。(発表がある度に)いつももっと他に相応しい人物がいるのじゃないかと思ったり、時には自分にくれてもいいのじゃないかと思ったり」と相変わらず冗談を飛ばしながらもホンネをポロリ。「私のキャリアも既に終盤戦に入ってきているから、多分早くやらないと間に合わなくなると思ったのかもしれない。私自身はまだ将来有望な若者と思っているけれど、気がついてみれば、愛するファンに言いたい放題をしてもう30年も経っている」。アカデミーによると、授賞の知らせを伝えると、一呼吸してから、「私に票を投じてくれたアカデミーのメンバーに感謝を申し上げたいが、実は、それだけでなく反対意見の人にも敬意を表したい」と返答したそうです。
★マドリードの公立中高学校サン・イシドロで学ぶ。12歳のときマドリードの蚤の市で購入した(900ペセタ)ボレックスBolexのスーパー8ミリで3分程度の短編を撮り始める。マドリードのコンプルテンセ大学では趣味が嵩じて美術を専攻、デッサンの才能をあらわした。卒業後はポルノ小説を執筆するかたわら、声優、仲間とのインディペンデント演劇、ウエイター、書籍の訪問販売などの仕事をした。1989年、わずか6000ペセタの資金で撮った8ミリの“Relatos de medianoche”が、翌年バレンシア青年シネマ・コンクールに入賞、10万ペセタを獲得した。このコンクールの審査員の一人がフェルナンド・トゥルエバだった。バレンシアのお礼にトゥルエバ宅を訪れると、35ミリで撮ることを勧められた。この幸運の出会い、トゥルエバの賞賛と助言によって今日のセグラが存在する。(トゥルエバ作品では1995年『あなたに逢いたくて』、1998年『美しき虜』に出演している。)
★5人の仲間と協力して5本の短編を撮り、テレビ局のコンクールに応募、そのうちの“Vivan los novios”が受賞して7万ペセタを得る。最初のプロとしての短編1作目はホラー映画『エルム街の悪夢』の主人公フレディ・クルーガーのような精神病質者の物語“Evilio”(92)、第2作目は美しい女性ばかりを狙う殺人鬼の反社会的な物語“Perturbado”(93)、本作がゴヤ賞1994の短編映画賞を受賞し、国営テレビでも放映された。
★俳優としては、何といっても相性がいいのがアレックス・デ・ラ・イグレシア映画の常連、デビュー作『ハイルミュタンテ!電撃××作戦』(93)から、つづく『ビースト 獣の日』でゴヤ賞2016新人男優賞を受賞、いきなりスターダムにのし上がった。『ペルディータ』、『どつかれてアンダルシア』、『気狂いピエロの決闘』、『刺さった男』、女装して魔女になった『スガラムルディの魔女』など。もう一人がメキシコのギレルモ・デル・トロ監督、『ブレイド2』(02)を始めとして、『ヘルボーイ』、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』、最新作は『パシフィック・リム』(13)でしょうか。
ホセ・ルイス・トレンテは時代錯誤、映画はそうじゃない
★長編映画デビューは、1998年から始まった「トレンテ・シリーズ」、第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”の監督・脚本・製作者・主役と4足の草鞋を履いた。本作の邦題は『トレンテ ハゲ!デブ!大酒飲みの女好き!超肉食系スーパーコップ』というタブー語混じりのなんともはや凄まじいもの。彼はスコセッシの『レイジング・ブル』(80)で実在のミドル級ボクサーに扮したロバート・デ・ニーロに見倣って、体重を20キロ増量して悪徳警官ホセ・ルイス・トレンテになった。デ・ニーロはアカデミー主演男優賞、セグラはゴヤ賞1999新人監督賞を受賞し、三つ目のゴヤ胸像を手にしました。
(第1作“Torrente, el brazo tonto de la ley”のジャケット)
★悪徳警官トレンテの人格造形は、ピーター・セラーズ演ずるパリ警察のクルーゾー警部から1981年2月23日クーデタ、いわゆる23-Fの実行部隊を指揮した実在のアントニオ・テヘロ中佐(1996年釈放、現在故郷マラガ在住84歳)までを網羅しているといわれる。批評家と観客の乖離が甚だしい毀誉褒貶のシリーズだが、毎回興行成績は飛びぬけている。どの「トレンテ」も物議を醸したのだが、なかで『トレンテ4』が一番賑やかだった。
(いろいろあった『トレンテ4』のポスター)
★「EUの重病患者」または「EU のお荷物」と世界から批判された経済破綻の時期に製作された。タイトルもそのものずばりの“Torrente 4 : Lethal Crisis”でした。2011年のスペイン国内での観客動員数264万人、興行成績1957万ユーロを叩き出し、「スペイン映画界の救世主」とまでいわれた。しかし翌年のゴヤ賞のノミネーションはゼロ、たちまちネット上では不満や非難のつぶやきが始まり、2月20日のガラで頂点に達した。セグラ自身が舞台上で、映画初出演ながら真剣に映画に取り組んだ歌手キコ・リベラを軽視した映画アカデミーを挑発したからです。キコ・リベラは闘牛士パキーリことフランシスコ・リベラとコプラ歌手イサベル・パントーハの息子。パキーリを継いだパキリンが渾名、彼自身は「やあ皆さん、ありがとう、少し気落ちしているだけで怒っていないよ。(テレビの)授賞式は見なかった」とツイートした。
(サンティアゴ・セグラとキコ・リベラ)
★「4」はラテンビート2011で『トレンテ4』として上映された。この年は『私が、生きる肌』、『ブラック・ブレッド』、『気狂いピエロの決闘』、『ザ・ウォーター・ウォー』、アニメ『チコとリタ』など充実のラインナップでした。第5作目“Torrente 5 : Operación Eurovegas”には、ハリウッドスター、アレック・ボールドウィンが出演して話題をまいた。現在2017年公開予定の6作目が進行中(タイトルは未定)、その度に体重の20キロ増減を繰り返している(笑)。トレンテについては別項を設けたほうがいいかもしれないが、彼が出演した他の映画にも触れないと。
(「トレンテ5」出演の アレック・ボールドウィンと監督)
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