フアン・ホセ・カンパネラ*メネンデス・ペラーヨ国際大学で講演 ― 2014年08月02日 15:04
★フアン・ホセ・カンパネラが、メネンデス・ペラーヨ国際大学UIMPの招きでサンタンデール(カンタブリア自治州)に滞在、映画についての講演が目的、午後には彼の映画が連続上映されたようです。例年多くの大学が夏期限定の特別講座を一般公開する。なかでもUIMPは夏のリゾート地マグダレナ半島の先っぽに建てられたマグダレナ宮殿に本部がある。この宮殿は1908年アルフォンソ13世の夏の離宮として建造されたが1931年に閉じられていた。UIMPの沿革は、1932年に「サンタンデール夏季国際大学」として創立されたこともあって、避暑地での夏季講座は講師陣にも参加者にも人気です。
(サンタンデール、マグダレナ半島に建つUIMP本部)
★カンパネラといえば『瞳の奥の秘密』です。2010年アカデミー賞外国語映画賞をアルゼンチンにもたらした映画、日本でも劇場公開されました。2009年暮に開催された「スペイン映画祭2009」でアジアン・プレミアされました。スペイン文化省と在日スペイン大使館が主催した映画祭で、スペインはまだEU のお荷物ではなかった頃でした。個人的には「来年のゴヤ賞はコレで決まりだね」と確信した映画祭、コレとは『瞳の奥の秘密』でなく、ダニエル・モンソンの『第211号監房』のことで、主役の「マラ・マードレ」のルイス・トサルにしびれた映画祭でもありました。
★映画にテレビに舞台にと、二足どころか三足の草鞋を履いて大忙しのカンパネラ監督、アニメーション“Metegol”(2013、スペイン題“Futbolín”)が今年のゴヤ賞最優秀アニメーション賞を受賞した。とにかく新しい技術ズキ、「いの一番」ズキ、政治的な目配りも怠りなく、それでいてユーモアに富んだエンターテインメントの急所を押さえている。その代表作が『瞳の奥の秘密』でした。
(オスカー監督アルモドバルから祝福を受けるカンパネラ 2010年)
★ひどい風邪を引いていたらしく咳で中断しながらも、「見渡したところ私が一番の年寄りかな」と冗談を飛ばすことは忘れない監督。1959年ブエノスアイレス生れの55歳、まだ老人の仲間には入れてやらない。アメリカのTVドラマ・シリーズで出発、アメリカでキャリアを積んだ。そういう経験もオスカーに繋がったかもしれない。“Strangers with Candey”(2000、6話)、“Law & Order”(2006、17話)、“Dr. House”(2007~10米、5回)などが代表作。『瞳の奥の秘密』以下4作でタッグを組んだ盟友リカルド・ダリンについては、いずれUPしたい映画なのでそちらに回します。2006年に外国人に与えられるスペインの市民権を貰っている。
★舞台監督としては、アメリカのハーブ・ガードナーの作品を自身で翻案した“Parque Lezama”を演出している。ガードナー作品は日本の演劇界でも公演されてますね。ブエノスアイレスのレサマ公園で知り合った仲の良い二人の老人に暗雲が垂れ込めるシリアス・コメディ。二人にはカンパネラ映画でもお馴染みのエドゥアルド・ブランコと一時期下院議員(1993~2001)でもあったルイス・ブランドニが扮した。ブランドニはカンパネラ映画には出演していないと思う。
★カンパネラによれば、テレビの仕事が続いていたのでそちらは暫くお休みして、今後は舞台と映画に交互に取り組みたいと語っておりました。「映画の場合では1ヵ月とか2ヵ月、編集室に籠ってやる作業が一番好き」とニヤリ、「自分が気に入ってみんなも見たい映画にコントロールしていき、ただし撮影したものがもっていた要素を残して再創造していく」。ただちに大笑いする個所と静寂の個所の違いをセリフではっきりさせる。多分職人仕事が好きなんだろう。「演劇は映画のように多くの観客をカバーできない。自分のやるべき仕事は映画かな」と考えているようです。演劇の演技はそのとき限りだが、フィルムは残っていく。しかし200年経てばネガだってすべて消滅してしまう。まあ、200年先を心配しても仕方がない。
★アルゼンチンのアカデミー賞と言われる「スール賞」(Premios Sur)は、12月上旬に授賞式が行われる。2013年はルシア・プエンソの『ワコルダ』が独り勝ちしたような印象だったが、カンパネラのアニメ“Metegol”も脚色・撮影・録音・作曲の4賞受賞と奮闘した。現会長でもあるカンパネラにとって、「スール賞」の授賞式はフィエスタ、「クリスマス・イブのようなものだと理解している。会員すべてに意思表示の権利があるが、公的な声明を発表するというより気晴らしなんだよ」とコメント。
★アルゼンチン映画アカデミー
AACCA は2004年に設立された比較的新しい組織である。前身は1941年に設立されたが1955年のクーデターで崩壊した。現アカデミー会員は約290人ほど、プロデューサー、監督、脚本家、音楽家、撮影監督、等などで構成されている。スール賞、オスカー賞、ゴヤ賞、アリエル賞などの選出を行っている。
★『瞳の奥の秘密』と“Metegol”の共同執筆者エドゥアルド・サチェリは、1967年ブエノスアイレス生れの作家、脚本家。大学では歴史学を専攻し、実際に大学や高校で歴史を教えている。第1作は“Esperandolo a Tito y otros cuentos de futbol”(2000刊)というサッカーをめぐる物語のようです。ディエゴ・マラドーナに捧げられた短編(‘Me van a tener que disculpar’)が含まれているようです。大のサッカー好きとして有名、最もアルゼンチン男性でサッカー嫌いを探すのは大変だ。
(エドゥアルド・サチェリ)
★もうひとり“Metegol”で撮影監督賞を受賞したフェリックス・モンティは、フェルナンド・E・ソラナスの『タンゴ ガルデルの亡命』(1985)や『スール、その先は愛』(88)、ブラジルのブルーノ・バレットのリオで起きたアメリカ大使誘拐事件をテーマにした『クアトロ・ディアス』(97)、『瞳の奥の秘密』も撮っているベテランです。
(フィギュアに囲まれたカンパネラ監督)
★サッカー・ファンではありませんが、“Metegol”の公開を待ちわびております。
アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』③ ― 2014年08月06日 10:42
★間をおかずに③をアップするつもりが、目下公開中とかアレックス・アングロの訃報などでモタモタしているうちに気が失せて、でもやはり落ち穂拾いをして締めておこう。
孤独と自由は同じです
A: 半世紀前にパントマイムのマルセル・マルソーと来日していたのはトレビアを読んで知ってましたが、25年前にも『サンタ・サングレ』のプロモーションで来日していたそうです。
B: 今回の来日はイベント出演やら座禅説法やらと老体に鞭打って駆け回りました。
A: 日本では禅は宗教ですが、アジア以外の外国人にとっては哲学、彼の場合も同じです。メキシコで禅僧高田慧穣に出会ったことが決定的でした。出会いについては自伝的回想録に詳しいが、入手したカタログには人生で出会った「誠実な5人のうちの1人」とありました。
B: ほかの4人は誰なのか知りたいですね。
A: 自分を肯定できなかった「少年時代を振り返る個人的なカタルシス」と前回書きましたが、自分を好きにならないと人生の再出発はできない。なりたい自分でなく、親が求める別人になるよう強いるのは、一種の精神的虐待ですが、少年は「別人になること」を選んでいる。確かに少年時代の「ウクライナの家」は「棘の家」であったかもしれないが、少年は孤独と引き換えに自由を獲得しています。孤独を選んだのも少年だし、孤独と自由はイコールです。
B: 少年は両親に愛されたくて別人になることを選んだのだから、親に強いられたように見えても選択したのは少年自身でした。
(セット用に再建された「ウクライナ商店」、火事で焼失していた)
A: それにしても、こんな個人的なカタルシスに多くの観客が共感していることがちょっと不思議です。『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』に較べたら余程分かりやすいから安心できたのかもしれない。
B: 分かりやすくなったとはいえ、カメラに映らなかった、映像に現れなかった背後の難解さは健在です。サーカスとか火事のシーンの色彩の美しさ、暗殺やら自殺のショッキングなシーン、加えて瞑想やサイコマジックなど舞台装置は色どり豊かですが、映画の本質は別ですね。
A: 虚栄心の強いバランスの崩れた父親でしたが、商才に長けた働き者で心身ともに強健、学歴もなく後ろ楯もないウクライナからのユダヤ系移民が、短期間にあれだけの成功をおさめるのは並みの努力ではなかったはずです。
B: あの世界的な不況時代に少年は餓えることもなく、父ハイメや友達カルリートスのように働かずに過ごせたのは、逆に幸せな少年時代だったといえます。高価だったアイスクリームも食べられた(笑)。
A: 父のような貧乏が故の屈辱は受けずにすんだ。孤独には違いないが、一歩先を歩く人は同時代人には理解されにくく常に孤独です。チリの代表的な舞踊音楽の<クエッカ>は、一組の男女が組になって踊る。しかし赤い靴と空色の長ズボンを履いた少年は一人で踊る。白人だから当然「ミルク脚」をしているので他の子供のように半ズボンは履けない。そう「リアリティのダンス」は「孤独のダンス」なのです。
(孤独だったアレハンドロ少年)
自分が信じたいものだけを信じる
B: 若い時は当たり前ですが、誰でもたいてい不遜で成功を夢見ています。オレのゲイジュツは分かる人だけが分かればいい、と分からない人を排除してしまう。
A: インタビューのなかで1970年代は「選ばれた観客に対して芸術を作っていたと思います」と語ってますね。また歳を重ねることは「素晴らしいこと」だとも。見ない夢は実現できませんが、他人を無視して生きることもできません。賢く歳を重ねることは至難ですが、ホドロフスキーはわがままだが頑固ジイサンにならなかった、そこが魅力。本作は自伝をベースにしていますがあくまでフィクッション、人は自分が信じたいものだけを信じて生きることしかできません。
B: 転機はやはり三男テオの若すぎる死でしょうか。自分のエゴが崩壊したと言ってます。それがなかったら『リアリティのダンス』は生れなかっただろうとも。
A: 既に述べたことですが、24歳で亡くなった1995年には、実父ハイメはイスラエルで生きてましたね。監督には詩人の実姉ラケルがいましたが、他に1970年代にイスラエルで生れた2人の異母弟妹もおり、テオと同年齢くらいでした。
B: テオにとっては叔父叔母になるんですね。
A: 幸せとはいえなかった母親は四男アダンが生れたと同じ年(1979)に、実姉が暮らしていたペルーのリマで亡くなっています。「家族の癒しと再生」がテーマと言われていますが、家族とは既にこの世に存在していない両親ではなく、必ずしも良き父親ではなかった自分と子供たちとの関係修復だったと思うんです。更に言うなら映画のなかのハイメに自分自身を重ねているのではないかと。
B: 独裁者イバニェスがピノチェトの写し絵だったようにね。3人の息子を含めて家族ぐるみで作った映画です。特に主人公のハイメをブロンティスに演じさせた。長男に祖父を演じさせることで監督は息子と和解したかったように感じました。
(ハイメ役のブロンティス・ホドロフスキー)
A: ブロンティスが6歳になるまで父親としての責任を放棄していた。代わって今度は生母ベルナデット・ランドリューに捨てられ父に引き取られた。それからは異母弟クリストバルたちと一緒に継母ヴァレリーに育てられた。慈み育てられたとしても心に傷が残らないはずはないでしょう。兄弟でも弟たちとは立ち位置が違うのです。
B: 両親を理解できたとしても小さい心は納得できなかったでしょう。理解と納得は違います。母ランドリューが飛行機事故で急逝したとき、父の胸に顔を押し当て何時間も悲しみに耐えたと回想録にありますが、自分を見捨てた母親でも子供は許すのですよ。
「過去というのは主観的な見方」
A: 映画のなかのハイメはかなりカリカチュアされています。自己流に解釈したコミュニストであったようですが独裁者に正義の鉄槌を下そうとするほど狂気の人ではない。過去の記憶は書換えが可能です。科学的データの書換えではありませんから捏造ではなく、視点を変えれば別の過去が現れるというだけのことです。
B: 「過去というのは主観的な見方だ」と語ってます。「この映画では主観的過去」を掘り起こして過去を変えようと意図したようです。
(消防隊員のマスコットになった少年、最左翼がアナーキスト役のアダン)
A: 第一次大戦が始まる前にウクライナからフランス経由でチリに逃れてきた一家は、イディッシュ語とロシア語(あるいはウクライナ語)しか話せなかった。チリの国語がスペイン語だったことも知らずに来たのではないか。とにかく一家を受け入れてくれた国がたまたまチリだった。
B: 「ロシア系ユダヤ人の子としてチリのトコビージャで生れた」には違和感があります。
A: 「ユダヤ系ロシア人の・・」でしょうね。ユダ王国の選民という意味でのユダヤ人はもはや存在しませんから厳密には「ユダヤ人」は存在しない。存在するのは「イスラエル人」です。時代によってユダヤ人の定義は変化しています。以前のように「ユダヤ教を信じている人」も当てはまりません。
B: ハイメは無宗教を信仰し、サラはロシア人のゴイだった実父の立場をとっていました。だから息子アレハンドロに宗教教育はしなかった。
A: ヨーロッパでは以前のように「ユダヤ人の母親から生まれた人」だけでなく「ユダヤ人を親にもつ人」と父親も含めるのが現在の定義のようです。ブロンティスたちの母親はユダヤ系ではありませんが、父親は4分の1ユダヤの血が入っています。息子たちは以前でしたらユダヤ系に含まれない。以下の数値がどちらを採用しているか不明ですが、ラテンアメリカ諸国に暮らすユダヤ系の人口は、一番がアルゼンチン(184,000人)、次がチリ(20,700人)でした。
B: さて、ホドロフスキーの次回作はタイトルが『フアン・ソロ』(“Juan Solo”)と決定しているようです。「個人的ではないストーリーを語ります。底辺の底辺にいる一人の人間」が幸せになるという話のようです。
A: 底辺ですか、そうですか、こういう上から目線の言葉は<癒し>以上に嫌いです。「ひとりぼっちのフアン」の完成は早くして下さい、23年は待てません(笑)。メキシコで撮影、長男ブロンティスが出演するのですね。彼はピーター・サースガードのソックリさんだとアメリカでは話題になっていますが、ホントによく似ています。ビリー・レイの『ニュースの天才』で全米映画批評家協会賞の助演男優賞をもらってオファーが増えたとか。関係ないね。
フアン・ホセ・カンパネラ 『瞳の奥の秘密』 ― 2014年08月09日 12:47
★フアン・ホセ・カンパネラの近況記事を前々回アップした流れで、彼の代表作『瞳の奥の秘密』を再考してみました。これは以前カビナさんブログにコメントしたものに新たに加筆訂正をして再構成した改訂版です(従って部分的にカビナ・ブログと連動しております)。2009年12月に開催された「スペイン映画祭」直後にコメントしたもので、まだオスカー賞も日本公開も視野に入っていない時期のものがベースになっております。まさか監督がオスカーを手にするなんて思いもしませんでした。
*“El secreto de sus ojos”(”The Ssecret
of Their Eyes”)*
製作:Tornasol Eilms, Haddock Films, 100 Bares, Televisión Federal(Telefe),
Televisión Española(TVE)
製作者:ヘラルド・エレーロ、ダニエラ・アルバラード 他
監督・脚本・製作・編集:フアン・ホセ・カンパネラ
脚本・原作:エドゥアルド・サチェリ(原作“La pregunta de sus ojos”)
撮影:フェリックス・モンティ
音楽:フェデリコ・フシド、エミリオ・Kauderer
美術:マルセロ・ポント・ベルジェス
視覚効果(特撮):ロドリーゴ・トマッソ
データ:アルゼンチン≂スペイン、スペイン語、製作2009年、製作費300万ドル、129分、撮影地:最高裁判所、レティロ駅、パトリシオス公園、チビルコイ(ブエノスアイレス郊外)、スタジオ他、日本公開2010年8月
受賞歴:第82回アカデミー賞外国語映画賞/第24回ゴヤ賞イスパノアメリカ映画賞・新人女優賞(ソレダ・ビジャミル)/メキシコ・アリエル賞/クラリン・エンターテインメント賞(以上2010)/ハバナ映画祭2009監督賞・観客賞他。英バフタ賞、仏セザール賞、ヨーロッパ映画賞、伊ドナテッロ賞などノミネーション多数。
キャスト:リカルド・ダリン(ベンハミン・エスポシト)/ソレダ・ビジャミル(イレーネ・メネンデス・ヘスティングス)/ギジェルモ・フランセージャ(パブロ・サンドバル)/ハビエル・ゴディノ(イシドロ・ゴメス)/カルラ・ケベード(リリアナ・コロト)/パブロ・ラゴ(リリアナ夫リカルド・モラレス)/マリオ・アラルコン(フォルトゥーナ判事)/マリアノ・アルヘント(ロマーノ)/ホセ・ルイス・ヒオイア(バエス警部)他
プロット:舞台は1999年のブエノスアイレス。刑事裁判所を定年退職したベンハミンは、1974年6月に起きた謎に包まれた女性レイプ殺人事件をめぐる小説を書こうと決意する。かつての職場を訪れ、元上司の検事イレーネと再会したベンハミンは、殺人事件の裏側に潜む恐怖を迫うことが、長年自らに封印してきたイレーネへの愛であることに気づかされる。25年前の過去をフラッシュバックさせながら、さらにベンハミンの進行中の小説を絡ませるという複雑な三重構造を見事なエンターテインメントとして作り上げた。最後に衝撃の愛のかたちに出会うことになる。(文責管理人)
カンパネラ監督はご不満でした!
A: カビナさんブログでは、タイトルのsus ojos の瞳が「誰の瞳」かで始めました。というのもスペイン語のsu(sus)は、彼の・彼女の・あなたの・それの、各複数と多義にわたり、文脈から判断するわけです。大変便利な反面曖昧でもあるんです。結果、英語タイトルは、”The Secret
of Their Eyes” になりましたが、カンパネラ監督は納得していません。
B: カビナさんが翻訳してくれたインタビュー記事によればそうですね。
A: まあ監督としては、ちゃんと私の映画を見てくれたら幾らなんでもTheirにはならないでしょう、と言いたいわけです。これを受けてかどうか分かりませんが、アメリカ公開タイトルは、Her Eyesに変更された。しかし「彼女」はどの彼女? 今では犯人ゴメスの目が正解でした。
B: 「彼女」だとますます分からなくなって・・・イレーネ、殺害されたリリアナ、その夫モラレス、犯人と複数の目のほうがまだよかったかも。英題が混乱したのも映画の作り方に原因があったと思う。
A: 後でフラッシュバックと分かる冒頭部分、イレーネの目がクローズアップされ、ベンハミンは愛するひとの目が語りかけてくる問いを読み取ろうとします。これは叶わぬ「愛の物語」なんだからイレーネの瞳なんだ、殺人事件とは無関係なんだと。でも原作のタイトルは「秘密」じゃないんですね。
B: 原作は ”La
pregunta de sus ojos”(2005刊)、どうして変えたんでしょうか。今じゃ小説も映画に合わせているようです。
A: とにかく日本語は「誰の瞳か」なんて考えなくてもタイトル付けができて幸いでした。しかし、定冠詞losではなく所有形容詞susなんだから挑戦すべきでした。
B: 先ほど冒頭部分のフラッシュバックの話が出ましたが、あのフフイに転勤するベンハミンとそれを見送るイレーネの別離シーンは実際にあったことではなく、彼が書き始めている小説の再現シーンじゃないかな。
A: もう一度後半にも少し違って出てくる。実際にはあのようなロマンチックな別離はなかった。女は男と違ってもっとプラグマティズムです(笑)。フフイは首都から遠く離れたチリと国境を接した州ですから辛い都落ちです。この映画のフラッシュバックには、事実と虚構の2種類あって気をつける必要があります。さらにモラレスの犯人ゴメスを「車のトランクに押し込めて殺害した」という虚偽の証言も含まれています。リリアナが殺害された6月21日の朝食風景やサンドバル殺害の様子は、ベンハミンの小説の一部というか彼の想像です。彼はロマンチストで犯罪小説向きではない(笑)。
(レティロ駅での別離シーン)
B: 書き出しの5行でストップしている(笑)。フラッシュバックが多すぎました。技術的なことは分かりませんが、デジタルだと長回しもできるし、挿入も簡単なんでしょうか。
A: もう少し刈り込んで2時間ぐらいに短縮したほうがよかった。複雑な時代背景や厳しい社会情勢は別として、要するにこの映画のテーマは、愛であり、友情であり、正義とは何かです。20世紀後半の民主主義とは名ばかりのアルゼンチンを生き抜いてきた二人の男の「究極の愛の物語」なんです。ベンハミンは気づかない振りしてますが、イレーネの愛を確かめるために書こうとするのであって、その逆ではありません。
B: ベンハミンが冒頭部分で「Temo」(怖い)とメモを走り書きしますが、最後にこのメモに「Te Amo」(愛している)と「A」を書き入れます。彼が現役時代に使用していたタイプライターは壊れていて「A」が印字されなかったことが伏線としてあった。これは「愛は成就されます」という観客へのメッセージです。
A: イレーネが待っていたのはその「Te Amo」です。だからその後のシーンはカットです。
B: 階級差、学歴差を超えるのに25年もかかった。
(「A」を書き入れたメモ)
事件を時系列に並び替えてみよう
A: リリアナ殺害事件は1974年6月21日、第41代フアン・ドミンゴ・ペロン大統領(1973~74、享年78)政権時代に起きた。ペロンは7月1日に心臓発作で急死するから、この月日は重要ですね。副大統領だった妻マリア・エステラ・マルティネス・デ・ペロン、通称イサベリータが即日大統領に就任する。
B: 誤認逮捕というかデッチ上げ逮捕などがあって、真犯人のゴメスが逮捕されるのが1年後。
A: モラレスがニュース番組で、服役中のはずのゴメスがイサベリータ大統領のボディガードとして娑婆に戻っているのを見てベンハミンに電話をかける。ここが何時かですね。
B: 1975年後半から軍事クーデタが起きる翌年3月24日の間が想定できます。モラレスが逮捕後のゴメスの処遇を追跡していないのを奇異に感じた人が多いのではと思う。あれだけ犯人捜しに人生をかけていたのに。
A: 裁判などなかったと言いたいのかも。ゴメスが所属していた非公式の私設警察(fuerza parapolicial)は、ペロン政権から引き続き社会福祉大臣だったホセ・ロペス・レガJosé López Regaが、イサベリータの要請で創設、総指揮した秘密警察のようなものです。ですからゴメス逮捕以前からあった組織です。
B: カンパネラ監督もインタビュアーにロペス・レガについてのMarcelo Larraquyの著書を薦めていましたね。
A: 彼はトリプルA(Alianza Argentina Anticomunista)という右派のテロ組織の創設者としても有名。一方イサベリータは夫より強権的な体制を敷き、就任後には反政府派を弾圧、人権活動家の投獄・殺害を行い、支持母体であるペロニスタ陣営からも反感を買ったお粗末な大統領でした。強権的なうえに経済・政策にも疎く、取り巻きも脳なし揃いだったから、「軍事クーデタが起きても国民は驚かなかった」と歴史書に書かれる始末でした。
B: だからゴメスのような極悪人が必要だった。ベンハミンとイレーネが抗議しに行ったのが、その社会福祉省です。二人が乗ったエレベーターにゴメスが無理矢理ドアをこじ開けて乗り込んできて、リボルバーかなにかを取り出す息づまるシーンがありました。
A: 名場面の一つです。これは偶然ではなくロマーノが脅すよう連絡したのですね。アルゼンチンでも、そういう目にあった観客が当時を思い出して身震いしたそうです。
B: 誤認逮捕で左遷されたはずのロマーノが返り咲いている。彼のような打たれ強いヘイコラ役人が必要悪として存在するのも万国共通です。
(左から、銃をもてあそぶゴメス、イレーネ、ベンハミン)
A: 原作では殺人事件発生が1968年、犯人の身元割り出しから逮捕に漕ぎつけたのが1973年。映画では殺害が1974年6月21日、犯人逮捕が1年後、とちょっと強引な筋運びです。今の子供たちは学校で国家が正義を行わなかった時代は「軍事独裁の時代」(1976~1983)と教えられている。だがそうなるにはそれなりの前哨戦があったことを知らせたかった、と監督は語っています。
B: 主人公たちは、アルゼンチンのデモクラシーが名ばかりで、軍事独裁の危険を肌で感じていました。
A: 監督は「学校が教えないなら市井のオジサンが教えないと」とも語っています。ペロン→イサベリータ→軍事独裁→デモクラシーと4つの時代にまたがった激動のアルゼンチンを描きたかったのだと思います。
魅力のポイント、選りすぐりの脇役陣
B: この映画の見どころの一つは、主役は勿論ですが、脇役陣の充実です。ベンハミンのライバル、ロマーノ役などやりたくない役でしたが、マリアノ・アルヘントの憎々しさ横柄ぶりは上出来でした。
A: ベンハミンたちがせっかく逮捕したゴメスをペロン党のシカリオとして雇い入れる。いわばイレーネやベンハミンへの報復、まさに権力闘争です。
B: 復讐として殺人犯を自由にしてライバルを脅す。何でもありの時代でした。アルゼンチンの俳優は尻込みしたのかゴメス役にはスペインのハビエル・ゴディノ、悪役をやると映画と現実を錯覚して憎まれるから辛いところ。
A: モラレス役のパブロ・ラゴの情熱を秘めた目、ベンハミンはレティロ駅で犯人を追い続けるモラレスの亡き妻への一途な愛に、自分のイレーネへの想いを重ねて再調査に着手する。鋭い目と重厚な声は適役でした。
B: ベンハミンは10年後の1985年にフフイから帰京するとイレーネは結婚、二人の子供の母親になっている。1975年以降、モラレスもゴメスも行方知れずになっている。自分に残された人生にも小説の完成にもリリアナ殺害事件の真相解明は欠かせない。そしてブエノスアイレス郊外に引っ越していたモラレスの居場所を突き止める。後半のモラレスの物静かだが頑として譲らないその眼光にはは衝撃を受けます。
A: スリラー仕立ての展開は飽きさせませんでした。ベンハミンを突き動かしていた情熱は、自分の身代りになって殺害されてしまった相棒サンドバルの「誰もパッションを変えることはできない」という言葉でした。
B: 本作でもっとも絶賛された俳優は、サンドバル役のギジェルモ・フランセージャでした。テレビ界の大物コメディアンだそうです。牛乳ビンの底みたいなレンズのメガネをかけて、ガス抜きして笑わせました。
A: この作品がコメディ・ドラマのフィルム・ノワールと言われる所以です。
B: コメディ犯罪映画というのもおかしい。カビナさんブログにもピーター・セラーズのブラック・ユーモアとの指摘がありましたが、『ピンク・パンサー』のクルーゾー警部を思い出しました。第1作目の『ピンクの豹』ではクルーゾー警部は脇役のはずが主役を食ってしまうほどの名演技でした。
A: どの俳優も適材適所の感がありますが、特にフランセージャの演技を褒める批評家や観客が多かった。それだけ人気もあったということで、彼の起用は大当たりでした。機知に富み、友情に熱く、仕事も粘りがあって緻密、論理的な思考もできるが、唯一の欠点はアルコールに飲まれていたことでした。これがサンドバルのパッションでしたし、ゴメスのパッションはサッカーでした。
B: バエス警部役のホセ・ルイス・ヒオイアもテレビ界の喜劇俳優とか、分別臭い顔してにこりともしませんでした。映画出演は初めてだそうです。カンパネラはTVドラマを数多く手掛けているから抜かりがない。
A: ベンハミンは司法刑事、日本でいうと私服で犯罪捜査を行う司法警察職員に近くノンキャリア組。一方イレーネはコーネル大学出身の裁判官秘書官、出世が約束されたキャリア組、年下ながらベンハミンやサンドバルの上司として登場する。端から階級差や学歴差を観客に印象づける。
B: イレーネは美貌にして才識兼備、時代の空気を正確に察知し、世の中を複眼的に観察できる。恋愛と結婚は別と考え、親の決めた相手を受け入れる。
A: イレーネの長所は、長い目で見れば短所でもありますね。ソレダ・ビジャミルは声に張りがあって、上背があるせいか堂々としている。スクリーンで見るのはこれが初めてです*。リカルド・ダリンはルシア・プエンソの『XXY』がラテンビート2007で上映、カンパネラの4作品に出演、ご紹介するまでもないですね。
*アナ・ピーターバーグの『偽りの人生』(Todos
tenemos un plan 2012)が2013年公開された。ヴィゴ・モーテンセンが一卵性の双子を演じ、ビジャミルは弟の妻に扮した。公開作品はこの2作だけ。
130万の観客が映画館に足を運んだ
B: アルゼンチンでは2009年8月13日に封切られ、5週目統計が130万人。海外に目を向けると、トロント映画祭(9月12日)、1週間遅れでサンセバスティアン映画祭、リオデジャネイロ映画祭(9月28日)、そしてスペイン公開は9月25日でした。
A: 130万のなかにリピーターがいるのは、寄せられたコメントからも窺えます。本映画祭でも上映されたダニエル・モンソンの『第211号監房』が1週間統計で20万人、トップを走り続けていたアメナバルの“Agora”(公開邦題『アレクサンドリア』)を押さえての快挙と報じられましたが、それを超えています。
B: 多分、大方の観客はこの時代の空気を吸っていた人々でしょう。
A: 出演者も同様で、リカルド・ダリン、ギジェルモ・フランセージャ、マリアノ・アルヘント、マリオ・アラルコン(フォルトゥナ判事)などが1950年代生れ。一回り下がソレダ・ビジャミル、パブロ・ラゴ、ゴメス役のハビエル・ゴディノはスペイン人だから除外するとして、カンパネラ監督自身は1959年生れです。ただし原作者のエドゥアルド・サチェリは1967年生れ、2005年の出版ですから執筆は40歳前となります。
B: 意外に若い、サチェリについては後で触れるとして、犯罪者が大手を振って自由に町を闊歩し、無実の人は刑務所に収監されていたと言われる時代を知っている人々が行列したということです。
A: 見ても幸せになれない人まで見に来てくれたし、なかには「こんな映画は成功しない」と忠告する人もいたと監督は語っています。映画の成功は、咽喉に刺さった小さなトゲを抜く時が、やっとアルゼンチンにも訪れたということかもしれません。脆弱ながら民主化されて約20年、長くかかりました。
B: 「あれは私のことだ」と、登場人物の誰かれに重ね合わせて見た観客も多かった。映画が自分の現実にあまりに近くて、区別するのに時間がかかったという人も。
A: 小説を読んで映画化されるのを待っていた、反対に映画を見て小説を手に取ったという人も。また「小説のほうがずっと面白い」と言う人、さまざまです。サンセバスティアン映画祭では金貝賞こそ逃しましたが、観客、審査員ともに好評でした。細かいことを言えば不満は多々ありますが。
B: 不要なフラッシュバックとか、サッカー場の雑踏に張り込むとか、刑事たちが犯人の顔を知らないで張り込むとか、ちょっとあり得ない。
撮影技術のレベルの高さ
A: 撮影技術のレベルの高さ、特にサッカー場の特撮を担当したロドリーゴ・トマッソについては賞讃の言葉が多い。
B: お金と時間をかけただけのことがあった。映画を映画館で見る醍醐味ですね。アルゼンチンでは初めての試みだったようです。
A: カンパネラは新しいことが大好き人間です。あのシーンを見ると、アルゼンチン人がサッカーに寄せるパッションとか国民性まで分かります。
B: バルでのサンドバルとサッカー狂との丁々発止は、ここに辿りつくまでの前段として挿入されていた。
(逮捕劇が繰りひろげられたサッカー場のシーン)
A: 原作者エドゥアルド・サチェリは前述したように1967年生れ。第1作は“Esperandolo
a Tito y otros cuentos de futbol”(2000刊)というサッカーをめぐる物語のようです。ディエゴ・マラドーナに捧げられた短編(‘Me van
a tener que disculpar’)が含まれているようです。歴史学を専攻し、現に大学や高校で歴史を教えています。
B: 70年代にはホンの子供だったのに詳しいのは専門家だからなんだ。
A: 小説では1968年から76年の事件と前述しました。現在は同じようなので映画が25年前に対して原作は30年前となるようです。ベンハミンの名字も‘Chaparro’(上背が低い、ずんぐりした人の意味)で、終わり方も違うようです。
B: 映画の‘Esposito’も<捨て子>で、どっちにしろ実際にある名字でしょうか。
A: サチェリは脚本を監督と共同執筆していますが、ほんとに骨の折れる難しい仕事だったと述懐しています。カンパネラが1年もかけて推敲に推敲を重ねたこと、互いに議論をした結果、彼の視点を通したことで、登場人物の人格もより深く複雑になったとも語っています。
B: 映画の成功で単行本も増刷され、相乗効果があった。
A: 想像以上のサプライズだったとか。サチェリは監督とは対照的に物静かでちょっとはにかみ屋さん。人生の先輩者としての礼節という面もあるのか、共同作業で学んだことは数限りないと感謝の言葉を口にしています。
B: カンパネラ監督の撮影現場は、「まさにお祭り騒ぎの賑やかさ」と、リカルド・ダリンがエル・パイスの記者に語っています。
A: サンセバスティアン映画祭2009に来西した時の記事、「大声で叫んだり、泣き落しにかかったりしたあげく、役者たちを魅了してしまう」、彼の映画を見れば納得です。
B: 2009年はフェルナンド・トゥルエバ監督の『泥棒と踊り子』も上映されましたから、ダリンにとっては嬉しい年になりました。「スペイン映画祭2009」でも両方上映され、ダリン・ファンにとっても嬉しい年でした。
A: トゥルエバ監督は「静の人」だから、ダリンも面食らったのでは(笑)。監督は、モラレス夫婦が『三ばか大将』を見ながらお昼を食べるというセリフを何気なく挿入してアメリカ映画への目配せをしたり、誤認逮捕したボリビア人の職人を拷問して自白を強要したり、「大統領は宣伝家」とペロニスタを揶揄している。拷問、暗殺は過去のことになったとはいえ、軍事独裁を許した責任の一端は国民にもあったと言いたげです。
「レック4」 がトロント映画祭2014にノミネーション ― 2014年08月13日 15:27
トロント国際映画祭2014*ノミネーション
★秋の映画祭の季節がめぐってきました。今年のトロント映画祭は9月4日から14日まで。開催日が近いサンセバスティアン映画祭(9月19日~27日)とノミネーションが重なりますが、今年もフランソワ・オゾン(仏)の“The New Girlfriend”やクリスチャン・ペツォルト(独)の“Phoerix”などがダブっています。スペイン語映画に絞って列記いたしますと:
★ミッドナイト・マッドネス部門 Midnight Madness
“[REC] 4:
Apocalypse” 「レック4 アポカリプス」西 ワールド・プレミア 2014 ホラー
製作:フリオ・フェルナンデス、カルロス・フェルナンデス
監督・脚本:ジャウマ・バラゲロ 助監督:フェルナンド・イスキエルド
脚本:マヌ・ディアス
撮影:パブロ・ロッソ
キャスト:マヌエラ・ベラスコ(アンヘラ・ビダル)、パコ・マンサネド(グスマン)、エクトル・コロメー(リカルテ医師)、イスマエルIsmael Fritschi(ニック)、クリスプロ・カベサス(ルーカス)、パコ・オブレゴン(ジナルド医師)、マリア・アルフォンサ・ロッソ(老婦人)
ストーリー:TVレポーターのアンヘラ・ビダルは、汚染されたビルから兵士たちによって救出され検査のためオイル・タンカーに隔離される。しかし彼らはアンヘラが未知の伝染性の種を運んできたことに気づいていない。
○パコ・プラサが監督した「レック3」は、前2作と同じレック・シリーズでも独立していましたが、第4作はバラゲロ監督に戻り、ストーリーでも分かるように「レック」「レック2」に繋がっています。完成予定は2013年でしたが、同年7月にクランクイン、7週間かけてバルセロナ、カナリア諸島、スタジオで撮影した。本作では赤と青が、つまり血と海がたっぷり目にできると監督が請け合っています。また「レック2」の最後に突然現れたニーニャ・メデイロスのような驚きもたくさん用意しているそうです。受賞に関係なく日本公開も間違いなしです。
★バンガードVanguard 部門
“Shrew’s Nest(Musarañas)”西 ワールド・プレミア 2014 スリラー・ホラー 95分
エグゼクティブ・プロデューサー:アレックス・デ・ラ・イグレシア、カロリーナ・バング他
監督・脚本:フアン・フェルナンド・アンドレス、エステバン・ロエル(共に長編第1作)
音楽:ジョアン・バレント
撮影:アンヘル・アモロス
製作:Pokeepsie Films
キャスト:マカレナ・ゴメス(モンセ)、ナディア・デ・サンティアゴ(モンセの妹)、ルイス・トサール(姉妹の父親)、ウーゴ・シルバ(隣人カルロス)、カロリーナ・バング(カルロスの婚約者)、グラシア・オラヨ(モンセの顧客)、シルビア・アロンソ、他
フアンフェル、カロリーナ)
ストーリー:1950年代のマドリード、母親が赤ん坊を残して死んでしまうと、臆病な父親は耐えられなくなって蒸発してしまう。広場恐怖症のモンセは家から外に出られず、ただ姉としての義務感から不吉なアパートの中に閉じこもって赤ん坊を育てることになる。苦しみから主の祈りとアベマリアの世界に逃げ込んで、今では既に成長した妹を通してだけ現実と繋がっている。ある日のこと、この平穏が断ち切られる。若くて無責任な隣人カルロスが不運にも階段から落ち、唯一這いずってこられるモンセの家の戸口で助けを求めていた。誰かがトガリネズミの巣に入ってしまうと、たいてい二度と出て行かれない。
(左から、エステバン・ロエル、フアンフェル・アンドレス)
○両監督とも本作が長編デビュー作となる。二人はマドリードの映画研究所のクラスの受講生だった。彼らの短編“036”(2011)は、Youtube で200万回のアクセスがあり数々の賞を受賞した。本作はデ・ラ・イグレシアがファンタジー、スリラー、ホラーと才能豊かな若い二人に資金援助をして製作された。エステバン・ロエルはテレビ俳優としても活躍しているようです。カロリーナ・バングはデ・ラ・イグレシアの異色ラブストーリー『気狂いピエロの決闘』(2010)に曲芸師として出演していた女優、プロデューサーの仕事は初めて。“036”に出演している。何かの賞に絡みそうですが、蓋を開けてみないことには分からない。
★スペシャル・プレゼンテーションSpecial Presentations部門
“Learning to drive” 米国 英語 2014 ワールド・プレミア
監督:イサベル・コイシェ
脚本・原作:サラ・ケルノチャン
撮影:マネル・ルイス
キャスト:パトリシア・クラークソン(ウェンディ)、ベン・キングズレー(ダルワーン)、グレイス・ガマー(娘ターシャ)、ジェイク・ウェバー(夫テッド)
ストーリー:ウェンディはマンハッタンで活躍する批評家で、最近結婚生活が破綻してしまった。常に夫の車に頼っていたが、これからは自分で運転しなければならない。教習所の教官ダルワーンはシーク教徒で彼自身の結婚もダメになっていた。やがて二人の人生が交差し、予期しないかたちで転機が訪れる。大人のラブロマンス。
○9-11以後、ニューヨークを舞台に映画を撮るのが夢だったという監督は、これで夢を叶えました。立て続けに新作を発表していますが、本作では教習所教官ダルワーンをシーク教徒のインド系アメリカ人に設定しているところから、アメリカの人種差別問題にも踏み込んでいるのでしょうか。英語映画で本ブログの対象ではありませんが、コイシェの近況報告ということでアップいたしました。
(イサベル・コイシェ)
○コイシェの“Mi otro yo”をアップした折り、次回作は、『エレジー』に出演したベン・キングズレーとパトリシア・クラークソンとがタッグを組んだ“Learning to
drive”で、ニューヨークでの撮影も昨年終了しましたと書きましたが、早くもトロントにエントリー、英語だと本当に早いです。アメリカ公開も10月に決定しています。テレビでの仕事が多いグレイス・ガマーの母親はメリル・ストリープです。いずれコイシェの映画に出演するのでしょうか。
○サラ・ケルノチャンの同名エッセイの映画化。前回の繰り返しになりますが、ケルノチャンはロバート・ゼメキスが監督した『ホワット・ライズ・ビニース』(2000)の原作者、ハリソン・フォードとミシェル・ファイファーが主演したサスペンス・スリラーでした。テレビ放映もありましたね。
続・トロント映画祭2014 ノミネーション ― 2014年08月15日 18:27
★今年は「ガラ・プレゼンテーション」部門にはスペイン語映画のノミネーションないようです。「スペシャル・プレゼンテーション」部門で、イサベル・コイシェの英語映画“Learning to Drive”(米国)をご紹介したのに、肝心の Damian Szifronの“Relatos salvajes”(Wild
Tales アルゼンチン≂西 2014)が洩れていました。追加いたします。
★これは5月開催のカンヌ映画祭2014コンペティションに正式出品された映画で、その折りに2回にわたってご紹介しております。スピールバーグ製作総指揮のTVシリーズ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1985~87)が下敷きになっています。一話完結のオムニバス・ドラマ、コメディ、スリラー、バイオレンスなど6話で構成され、リカルド・ダリン、レオナルド・スバラグリア、ダリオ・グランディネッティ、エリカ・リバス、オスカル・マルティネス、リタ・コルテセ、フリエタ・ジルベルベルクなどの豪華キャスト。
(リカルド・ダリン 映画のワンシーン)
★監督は、1975年ブエノスアイレス生れ、脚本家、監督、エディター、プロデューサー。長編第2作“ El fondo del mar”(2003、Bottom
Sea)、第3作アクション・コメディ“Tiempo de valientes”(2005、On Probation)が、 ビアリッツ映画祭(ラテンアメリカ部門)で観客賞を受賞、マラガ映画祭では主役2人のうちルイス・ルケがベスト男優賞(銀賞)を受賞、ペニスコラ・コメディ映画祭では、作品賞、監督賞の他、もう一人の主役ディエゴ・ペレッティが男優賞を受賞した。最近はテレビの仕事が多く、次回作が待たれていた。
(ポスターをバックにしてDamian Szifron 監督)
★本作にはアメリカで活躍中のグスタボ・サンタオラジャが故郷ブエノスアイレスに戻って音楽を担当したことでも話題になった。『ブロークバック・マウンテン』と『バベル』で2005年、2006年と連続でアカデミー作曲賞を受賞、その他『アモーレス・ペロス』、『21グラム』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』、『ビューティフル』など数えきれない。サンタオラジャによれば、ロック、ソウル、アフリカのリズム、ラテンアメリカのポピュラー音楽をミックスさせたとのこと。
★もう一つの話題は、アルモドバル兄弟の製作会社「エル・デセオ」が共同製作に参画、二人ともカンヌには応援に馳せつけましたが、残念ながら賞には絡めませんでした。しかしカナダ・プレミアとしてトロント映画祭にノミネーションされたのは喜ばしい。
モントリオール映画祭2014*ノミネーション① ― 2014年08月17日 18:48
★秋の第一陣として8月下旬から9月にかけて、ヴェネチア映画祭(8月27日~9月6日)より一足先にモントリオールで開催される国際映画祭、正式名称は「Festival des Films du Monde--Montréal」、今年は8月21日から9月1日まで。モントリオールはカナダでもフランス語圏なので英語よりフランス語映画が多く、受賞作もそのような傾向がある。スペイン語映画はフランシスコ・ロンバルディの『豚と天国』(1990ペルー≂西合作)から絶えて受賞がない。
★順当にご紹介するなら、ワールド・コンペティション部門から始めるべきですが、今年のマラガ映画祭の目玉の一つTodos
están muertos がノミネートされていましたので、まずそこから入ります。
★ファースト・フィルム部門(First
Films World Competition)
Todos
están muertos (They
Are All Dead)ベアトリス・サンチス 2014、西≂ メキシコ≂独
*第17回マラガ映画祭2014の審査員特別賞・最優秀女優賞(エレナ・アナヤ)・青年審査員特別賞(マラガ大学が選考)・オリジナル・サウンドトラック賞(Akrobats)を受賞した。最優秀作品賞の次に大きい賞が審査員特別賞、デビュー作ながら閉幕後の3月30日にスペイン公開を果たしている。(マラガ映画祭2014で既にご紹介している作品⇒コチラ4月11日)
キャスト:エレナ・アナヤ(ルぺ)、アンヘリカ・アラゴン(母パキータ)、ナウエル・ペレス・ビスカヤルト(兄ディエゴ)、クリスティアン・ベルナル(息子パンチョ)、マカレナ・ガルシア(ナディア)、パトリック・クリアド(ビクトル)他
ストーリー:1980年代には兄ディエゴとロックバンド「グリーンランド」を結成、ポップ・ロック歌手のスターとして輝かしい成功をおさめたルぺの15年後が語られる。時は流れ、当時のルぺたちの活躍が話題になることはない。引退した彼女の人生に過去のある幻影が忍び寄ってくる。兄の死後、メキシコ出身の迷信深い母親パキータとちょうど思春期を迎えたテーンエイジャーの息子パンチョと暮らしているが、広場恐怖症のうえパニックに陥りやすいルぺは愛情こまやかな母親なしでは生きていけない。息子はエゴイストの母を嫌っており、二人の関係はぎくしゃくしている。折りも折りパキータは自分に残された時間が少ないことを知り、<死者の日>に戻ってくる亡き息子のディエゴに相談しようと決心する。
★エル・パイスのコラムニスト、ジョルディ・コスタによると、「完璧に仕上がった映画ではないが、デビュー作としては大胆なアイデンティティに溢れた」作品と評価は高い。既に忘れられた1980年代のノスタルジーやあの世とこの世の境界線のないファンタジックなストーリーを嫌う人は辛口批評になっている。悲劇、コメディ、ドラマ、ファンタジーなどの要素が作用しあった不思議なカクテルとなっているようです。フランコ体制後のスペインは、民主主義移行期を過ぎて1980年代に入ると、アルモドバルを筆頭に新しい才能がスペイン映画界に輩出された。彼のデビュー作『ペピ、ルシ、ボム、その他大勢の娘たち』や、イバン・スルエタの第2作“Arrebato”(エウセビオ・ポンセラ/セシリア・ロス主演)など、1980年の製作である。両作とも公開もDVDも発売されなかったが、『ハモン、ハモン』(1992)でブレイクする以前のビガス・ルナも含めて再評価されるべきと思います。観念的とか美学とは無縁ながら社会を解体するエネルギーがほとばしっている。個人的には20世紀では1980年代の映画が一番面白いと思います(アルモドバル以外の二人は鬼籍入りしています)。
★ベアトリス・サンチスは、1976年バレンシア生れ、監督、脚本家、アート・ディレクター。2008年の“La clase”がゴヤ賞2009短編ドキュメンタリー賞にノミネート、2010年の短編“Mi otra mitad”がワルシャワ映画祭にノミネートされている。エレナ・アナヤとの5年間(2008~13)にわたるパートナー関係を昨年の夏解消した。
(マラガ映画祭授賞式でのベアトリスとエレナのツーショット)
★エレナ・アナヤは、1975年パレンシア生れ、アルフォンソ・ウングリアの“Africa”(1996)でデビュー、フェルナンド・レオンの『ファミリア』(1996)、これは「スペイン映画祭1998」で上映されたので、比較的早く日本に紹介された。その後も次々に話題作に引っ張りだこ、最近ではフリオ・メデム『ローマ、愛の部屋』(2010)、アルモドバル『私が、生きる肌』(2011)などで認知度バツグン、マラガ映画祭2012の大賞「マラガ賞」受賞者でもある。
(ルぺに扮したエレナ・アナヤ)
★アンヘリカ・アラゴンは、1953年メキシコ・シティ生れ。カルロス・カレーラの『アマロ神父の罪』(2002)でヒロインのアメリア(アナ・クラウディア・タランコン)の母親を演じ、アリエル賞の助演女優賞を受賞したベテラン。昨年のラテンビート2013で上映されたラファ・ララの『5月5日の戦い』(2013)では、ドーニャ・ソレダー役を演じた。
(アンヘリカ・アラゴン『5月5日の戦い』のプレス会見で)
★他にパブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』(2012)の白雪姫役でデビュー、翌年ゴヤ賞新人女優賞をいきなり受賞したシンデレラ女優マカレナ・ガルシアが出演している。
モントリオール映画祭2014*ノミネーション② ― 2014年08月18日 16:23
ファースト・フィルム部門(続)
★“Schimbare”(西)2014 アレックス・サンパジョ Alex Sampayo Parra 監督・脚本
*製作:Ficcion Producciones、 共同脚本:ボルハ・カーマニョ、言語:スペイン語、スリラー
*監督紹介:1978年ガリシアのポンテベドラ生れ、監督・脚本家・プロデューサー他。14歳のときから短編を撮り始めたという経歴の持ち主。2000年に短編“Alzheimer”で監督デビュー、ガリシアTVドラマ“Terra de Miranda”(2007、14話、ガリシア語)、同“Padre Casares”(2008、4話、ガリシア語)他、多数の短編のあと、本作で長編デビューを果たした。
キャスト:カンデラ・ペーニャ(エルビラ)、ルイス・カストロ・サエラ(ルイス)、サンドラ・Mokrycka(少女)他
ストーリー:ルイスとエルビラは、東欧の犯罪組織と接触してルーマニアに行くことになる。二人は目的地近くでルート変更の連絡を受け取る。ブダペストに止まってあるものを収集しなければならなくなる。最初は簡単に思えたが、「ある収集物」とは8歳の少女であった。この瞬間から彼らは人生の岐路に立たされる。計画続行か、または少女解放かの決断を迫られる。彼らの決断次第で誰かが命を落とすことになるだろう。
*まずタイトルの“Schimbare”は、「交換」を意味するルーマニア語から取られており、ゾッとするような違法臓器密売の事実が背景にあるようです。前半が社会派ドラマ、後半はスリラー仕立てになっている。監督によると、ベルギーのダルデンヌ兄弟の影響を受けているとインタビューで語っていますが、多分、前半と後半のトーンが分かれる『ロルナの祈り』あたりを念頭においているのかもしれない。ショッキングなテーマであるが、脚本執筆には世界保健機構WHOのデータを使用したと語っており、絵空事ではないようです。世界で行われている臓器移植の10%は違法臓器で、ヨーロッパでは組織されたグループによって主に東欧諸国が提供している。
(撮影中の左から、監督、ルイス・サエラ、カンデラ・ペーニャ、サンドラ)
*撮影は2013年11月にルゴ近郊のコルゴO Corgoでクランクイン、ルーマニアの部分はハンガリーで4週間かけて撮影された。キャスト陣は、カンデラ・ペーニャ、ルイス・サエラとベテランが演じているので自分は安心していられたとも。子役のサンドラは、ポーランド人で初出演、勘がよく、想像力豊かな少女で、実年齢は9歳だった由。カンデラ・ペーニャは、デビュー作『時間切れの愛』(1994)でゴヤ賞助演・新人女優賞を異例のダブルノミネート、『テイク・マイ・アイズ』(2003)他で助演女優賞を受賞した実力派、ゴヤ賞2013予想と結果②⇒コチラでご紹介済みです。ルイス・サエラは1966年サンチャゴ・デ・コンポステラ生れのベテラン、すでに『月曜日にひなたぼっこ』(2002)、『アラトリステ』(2006)、『第211号監房』(2009)などに出演しております。
モントリオール映画祭2014*ノミネーション③ ― 2014年08月21日 17:13
★今年はメキシコが元気で2本ノミネート、「ワールド・コンペティション部門」にもルイス・ウルキサ・モンドラゴン、短編部門には3本もノミネートされています。
ファースト・フィルム部門(続)
★“Los bañistas”(Open
Cage)メキシコ、マックス・スニノ(監督・脚本・製作)
2014、コメディ
*共同脚本:ソフィア・エスピノサ、撮影:ダリエラ・ルドロウ、音楽:セバスチャン・スニノ
音響:アシエル・ゴンサレス、編集:ヨアメ・エスカミラ、製作:Casas Productoras他
プロデューサー:グロリア・カラスコ他
キャスト:フアン・カルロス・コロンボ(マルティン)、ソフィア・エスピノサ(フラビア)、ハロルド・トーレス(セバスチャン)、スサナ・サラサール(エルバ)、アルマンド・エスピティア(ペドロ)他
ストーリー:経済が麻痺状態に陥り、そのせいで周囲の状況は道徳的貧困さえきたしている。甘やかされて育ったティーンエイジャーのフラビアは、アーティスト希望だが大学受験に失敗、挫折感を味わっている。そんなとき彼女は、自分とは正反対の堅物、大人の隣人マルティンと知り合いになる。初めはぶつかり合って上手くいきそうには思われなかったが・・・
(フラビア役のソフィア・エスピノサ、映画のシーン)
*監督紹介:マックス・スニノ Max Zuninoはウルグアイ生れ、子供のときにメキシコに移住してきた。監督、脚本家、プロデューサー。情報科学技術科を卒業後、キューバのサン・アントニオ・デ・ロス・バニョスの映画&テレビのコースで学ぶ。短編“Recuerdo del mar”(2005)、本作が第29回グアダラハラ国際映画祭(FICG29)「イベロアメリカ・コンペティション部門」に正式出品、長編フィクションGuerrero de la Prensa(Press Warrior) 賞を受賞する。
(左から、カラスコ、コロンボ、監督、ソフィア、FICG29にて)
*ソフィア・エスピノサはマリサ・Sistachの“La niña en la piedra”(2006)で翌年のアリエル賞女優賞にノミネートされている。フアン・カルロス・コロンボは、ギジェルモ・デル・トロの『クロノス』(1993)やルイス・エストラーダの“La ley de Herodes”(1999)に出演、多くの国際映画祭で数々の賞に輝いた作品、本作でアリエル賞にもノミネートされたベテラン俳優。ペドロ役のアルマンド・エスピティアはアマ・エスカランテの『エリ』で主役エリを演じた俳優です。
★“Gonález”メキシコ、クリスチャン・ディアス・パルド(監督・脚本)
2013、スリラー、102分、メキシコ公開6月
*共同脚本:フェルナンド・デル・ラソ、撮影:フアン・パブロ・ラミレス、
音楽:ガロ・ドゥラン、編集:レオン・フェリペ・ゴンサレス、
プロデューサー:ラウラ・ピノ、ハロルド・トーレス、製作:FOPROCINE、Chacal
Filmes他
キャスト:ハロルド・トーレス(ゴンサレス)、カルロス・バルデム(エリアス牧師)、オルガ・セグラ(ベトサベ)、ガストン・ピーターソン(パブロ)他
ストーリー:平凡な若者ゴンサレスは長らく失業中であり、借金に苦しんでいる。大都会の片隅にある賃貸アパートに住んでおり、母親を養わねばならないが、心配をかけたくないので失業を隠している。ゴンサレス同様ここで暮らす多くの人が借金を抱えており、解雇されれば返済は滞り借金は増え続けるだけである。ゴンサレスはある教会付属のコール・センターで交換手の職を得る。仕事は主イエス・キリストの名において、彼より貧しい<隣人>からカネを毟るとることであった。このインチキ宗教のトップはブラジル人のエリアス牧師でかき集めたお布施を洗浄している。現代のペテン師は本当の<神性>とは程遠い典型的な社会の害虫だった。お金を生みだす簡単な方法を発見した無神論者のゴンサレスは、この汚いシステムに急降下していく。
*監督紹介:クリスティアン・ディアス・パルドChristian Diaz Pardoは、監督・脚本家・製作者。第11回モレリア国際映画祭FICM(2013、10月下旬開催)正式出品、第6回メキシコ映画祭FCM(2013)で批評家賞を受賞した。短編“Los esquimales y el cometa”(2005、モノクロ、
8分)、“Antes del desierto”(2010、カラー、16分)。
(クリスチャン・ディアス・パルド、メキシコ映画祭にて)
★貧者の信仰を利用して大金を溜めこみ権力をほしいままにしている宗教活動家の問題についての映画である。ディアス・パルド監督によると、最初は同僚の女性から、ある宗派の教会をテーマにしたドキュメンタリーが提案された。調査を始めてみると、どうもドキュメンタリーは制約が多く難しいことが分かり、つまり撮影を断られたのでフィクションに変更したようです。暗部を描くわけだから当たり前ですよね。トーレスによって演じられたゴンサレスの人物造形はとても複雑で難しかった。孤立無援の社会に幻滅したただのワルにはしたくなかった。同時に大衆を魅了し、彼と接することで人々が一体感を持てるような人格にしたかった。またカフカの『変身』を自由に翻案して、心理的な色調の強いスリラーになっているということです。キャスティングはトーレスと一緒に選んだ。
★ハロルド・トーレスは、“Los bañistas”にも出演していますが、カルロス・キュアロン(クアロン)の『ルドとクルシ』(2008)、キャリー・フクナガの『闇の列車、光の旅』(09)に脇役で出演、リゴベルト・ペレスカノの話題作“Norteado”(2009)で主役アンドレスを射止めた。翌年のアリエル賞主演男優賞にノミネートされている。豊かな北を目指すという『闇の列車、光の旅』と同じテーマながら、より現実に近い印象を受ける。かねてから知り合いであったバルデムにエリアス牧師役を打診したのがトーレスだった。
★カルロス・バルデムは、メキシコ映画出演は3本目だそうで、トーレスからのオファーを即座にOKした由。ブラジルに4年間過ごした経験のあるバルデムはポルトガル語に堪能、ポルトニョル(ポルトガル風スペイン語)で教区民にミサを説教する。バルデムは「メキシコは良きにつけ悪しきにつけダイナミックな社会、伝統をもち端正な美しさも凄まじさも兼ね揃えている。自分にとっては魅力的、撮影中はごきげんだった。この手の教会の裏側を炙りだす物語は、資金の集め方、マネーロンダリングの枠組みなど興味は尽きない。メキシコだけでなくスペインもその他のヨーロッパ諸国もやってること」と語っています。
★オルガ・セグラは製作者・女優とやり手の才媛、メキシコ・シティ生れだがパナマで育った。Jesse Bagetの“Cellmates”で映画デビュー、Omar
Ynigoのコメディ“Malcelo”(2012)など。ガストン・ピーターソンは、メキシコ版“Marcelino Pan y Vino”(2010)のパピージャ神父役で出演している。
モントリオール映画祭2014*ノミネーション④ ― 2014年08月23日 17:34
★最後にペルー映画のご紹介、2005年に刊行されたアロンソ・クエトの同名小説“La hora azul”の映画化、同年エラルデ賞*を受賞した作家自身もカメオ出演したという熱の入れようです。テロ・グループのセンデロ・ルミノソとペルー政府の対立をめぐる骨太な小説です。切り口は異なりますが、1980~90年代に吹き荒れたペルー内戦の傷跡をテーマにしたクラウディア・リョサの『悲しみのミルク』(2009)を思い出させます。
*アナグラマ社(バルセロナ)の創業者エラルデの名を冠した文学賞。原作は、「青い時」とか「青い時間」というタイトルで紹介されていますが未訳です。ロベルト・ボラーニョも1998年に『野生の探偵たち』で受賞しており、⇒コチラで紹介。
ファースト・フィルム部門(続き)
★“La hora azul”(The
Blue Hour)ペルー、Evelyne Pégot-Ogier 監督・脚本、2014、90分
*助監督:ホルヘ・プラド(“Koko”)、スクリプト:Nury Isasi、 製作:Panda Films(ペル ー)、プロデューサー:グスタボ・サンチェス、フランク・ペレス・ガルランド他、撮影:ロベルト・マセダ、照明:フリオ・ペレス、美術:セシリア・エレーラ、衣装:エリザベス・ベルナル
キャスト:ジョヴァンニ・チッチャCiccia(アドリアン・オルマチェ)、ジャクリン・バスケス(ミリアム)、ロザンナ・フェルナンデス≂マルドナド(アドリアン妻クラウディア)、アウロラ・アランダ(アドリアン秘書ジェニー)、ルーチョ・カセレス(ルベーン)、ハイディ・カセレス(ビルマ・アグルト)他
(ロザンナ・フェルナンデス≂マルドナドとジョヴァンニ・チッチャ)
ストーリー:アドリアンは体面を重んじる成功した中年の弁護士、理想的な家族と暮らしている。それも過去の暗い秘密が明るみに出るまでのこと、というのはセンデロ・ルミノソが猛威を振るった内戦時代に政府軍の指揮官であった父親オルマチェの残虐行為を知ってしまったからだ。テロリストだけでなく彼らの支持者を含めて拷問、特に女性はレイプされ消されていった。ある日のこと、部下たちがしょびいてきた美しい娘ミリアムに一目惚れした指揮官は、娘を保護し捕虜として兵舎に留めておくが、このアヤクーチョの生き残りのミリアムは逃亡してしまう。このミステリアスな女性の存在がアドリアンの人生を脅かすようになる。彼女こそ父親が犯した残虐行為の唯一の目撃者であるからだ。やっと彼女を見つけ出したアドリアンに口を閉ざし続けるミリアムだが・・・
★テーマはクエトによれば「探求」、父と息子の関係、父は国家の代表として、息子は成功したリッチな弁護士としてミリアムに会い共に魅了される。母と息子の関係、息子は母と一体化している。魅力的な妻はどうなる? センデロ・ルミノソのテロリスト、バイオレンス、神への信仰、マイナイの聖女信仰、そして死などが語られる。
監督紹介:Evelyne Pégot-Ogier(エブリン・ペゴト・オジェ?)はペルーの監督、脚本家。目下詳細が入手できませんが、スタッフにペルー・カトリカ大学PUCP**の卒業生が多いことから、本校のオーディオビジュアル情報科で学んだのかもしれない。「この映画は1990年代末のリマに設定した物語で、私にとってはテロリズムの映画ではありません。背景は内戦時代にアヤクーチョで生き抜いたミリアムとアドリアンの父親の過去を辿りますが、それは画布にしかすぎません」と語っています。「小説がとても気に入り、クエトにコンタクトをとると、映画化を承知してもらえた。個人的には最近父親を亡くしており、これも重要な動機の一つです」とインタビューに答えています。この物語が「探求と和解」を描いたという点で作家と監督は一致しており、これが二人を結びつけたようです。“El vestido”(17分)がカンヌ映画祭2008の短編部門で上映され、これはYouTube で見ることができます。
**PUCP(Pontificia Universidad Católica del Perú):1917年設立のペルー初の私立大学、首都リマにあり、私立名門校の一つ。撮影監督のロベルト・マセダ、照明のフリオ・ペレスなどが学んでおり、彼らの参加がクエトの小説の映画化を可能にしたと言われている。
★アロンソ・クエトAlonso Cueto(1954年リマ生れ)は、弁護士アドリアンの依頼人としてカメオ出演、「少し恥ずかしかったよ」と。かなりの映画ファンで「映画を見るのは人生の一部、セットの中にいるときはとても興味深かった。もっとも以前、フランシスコ・ロンバルディが私の“Grandes miradas”(2003)を“Mariposa Negra”(2006)のタイトルで映画化したときセットを訪れたことがあった。監督については「出来栄えに満足している。彼女は感受性がつよくインテリジェンスに優れている。脚本を読ませてもらって、小説をよく理解していることが分かった」とベタ褒め。リマを訪れた人がよく口にするように、「リマは金持ちと貧しい人が交錯しながら暮らしている都会」とも語っておりました。
(自作の映画化について語るアロンソ・クエト)
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