セバスティアン・レリオ”Gloria”*トロント国際映画祭②2013年09月12日 14:51

★第2弾として、スペシャル・プレゼンにエントリーされ、「ラテンビートLBFF」上映も決定した『グロリア』(仮題2012)のご紹介。2012年のサンセバスティアン映画祭SIFFPremio Cine en Construcción(Progress Industry) 部門で見事受賞した作品。リリースが2013年なのでIMDb2013年です。LBFFのプロット紹介では「ヒューマン・ドラマ」とあるが、どちらかというと悲喜劇かな。

 

★今年のベルリン国際映画祭(ベルリナーレ)で、グロリアを演じたパウリナ・ガルシアが女優賞(銀熊賞)を受賞して一躍脚光を浴びることになった。ベルリナーレは、カンヌやヴェネチアのようにお高くとまっていない庶民的な映画祭と言われている。大都市で開催されることもあって観客動員数は約40万にも達するから「庶民的」ではある。しかし「退屈な作品ばかりでウンザリ・・・転換の時期に来ている」という批判もあって、作家性の強い映画とメジャーな大作(例えば、ガス・ヴァン・サントの『プロミスド・ランド』)の間のバランス取りに苦慮しているようです。結局金熊賞は作家性の強いルーマニアのカリン・ピーター・ネッツァーのスリラー『チャイルズ・ポーズ』(英題)、銀熊の審査員賞はボスニアのダニス・タノヴィッチが受賞した。今のところ消耗品かどうかは見てないから云々できない。

 

★今年のトロント国際映画祭TIFFにエントリーされたスペイン10作品のなかでも、こちらはチリ=スペイン合作のチリ映画だから、①でご紹介したCaníbalのように純粋にスペイン映画とは言えない。しかしSIFFの受賞がベルリナーレ成功の道を開いたことは否定できないでしょう。SIFFはゴヤ賞の石切場と言われて、ここで注目されるとゴヤ賞ノミネートに繋がることも多いのですが、本作はそうならなかった。
 

  

★プロットはLBFFのサイトや紹介記事も出ているので割愛して、監督紹介、キャスト紹介に絞ります。セバスティアン・レリオ Sebastián Lelioは、1974年アルゼンチンのメンドサ市生れのチリ人。監督、脚本家、プロデューサー。建築家(アルゼンチン人)の父親と舞踊家(チリ人)の母親のあいだの一人息子、ただし7人の異父兄妹がいる。アンドレス・ベジョ大学(Universidad Andrés Bello 1988年創立の私立大学)のジャーナリズム学科で1年学んだ後、チリ映画学校を卒業した。LBFF2006で長編デビュー作『聖家族』が上映されたときは、セバスティアン・カンポスのニックネームapodoで紹介された。2作目Navidad(09)3作目EL año de tigre(11)、『グロリア』が4作目となる。他に短編映画、ミュージカル・ビデオなど多数、いずれ受賞歴などはLBFF開催に合わせて改めてご紹介。

(写真:ビエンナーレ会場でのセバスティアン・レリオ)

 

 

パウリナ・ガルシア Paulina Garcíaは、1960年チリの首都サンティアゴ生れ。女優、監督、劇作家。チリ・カトリック教皇大学の演劇学校で演技を学び、のち同校の演劇監督、劇作家の資格を得た。現在は母校で後進の指導にもあたっている。映画デビューが2002年と比較的遅いのは、このような経歴から舞台女優として出発(1983)、合わせてテレドラ出演の成功でお茶の間の人気を博したせい。チリではPaly Garcíaのニックネームで知られている。社会学者の夫とのあいだに3人の子供がいる。この凄いバイタリティーは人生を諦めてリングにタオルを投げさせなかったグロリアにも通じているか。グロリアは58歳の設定だが本人はまだ52歳、チリではグロリアとパウリナの落差に笑えたのではないか。≪ラテンアメリカのメルリ・ストリープ≫とか、本人はどう思っているかな。9月20日から始まるSIFFの審査員の一人としてサンセバスティアン入りします。資格は十分でしょうね。

(写真:パウリナ・ガルシア、映画の1シーンから)

 

★出演作品、受賞歴については、映画に絞ってご紹介(演劇・テレビの受賞歴多数)。

2002Tres noches de un sábado(ホアキンEyzaguirre) Altazor賞ノミネート

2004Cachimba(シルビオ・カイオツィ)

2007Casa de remolienda(ホアキンEyzaguirre)

2012Gloria(セバスティアン・レリオ) 上記の通り

2013年作品として、モイセス・セプルベダのデビュー作Las analfabetas(パブロ・パレデスの同名小説の映画化)、同じくゴンサロ・ディアスの第1I am from Chileに出演している。

 

★因みにグロリアの新恋人ロドルフォ役のセルヒオ・エルナンデスは、『聖家族』で父親マルコになった俳優。また昨年の東京国際映画祭コンペにエントリーされ、今回LBFF再上映も決まったパブロ・ララインの『No』に軍人役で登場している。


『タパス』 Tapas ④2013年09月08日 18:06

 *スタッフ&キャスト紹介



ホセ・コルバチョ 
Jose Corbacho1965年バルセロナ生れ、監督・脚本家・製作者・俳優。俳優歴が長く、2006年に自身が新人監督賞を受賞したゴヤ賞授賞式以来、毎年プレゼンターとして登場している。他にサン・ジョルディ映画祭の司会者もしている。スペインでは監督より辛辣なジョークを飛ばすボードビリアンとしてファンが多い。

2作“Cobardes(2008)をフアン・クルスと共同で監督と脚本を手掛けた。ラケルの店の買い物客アナ・バラチナAnna Barrachina2004年結婚。

 

フアン・クルス Juan Crus1966年バルセロナ生れ。コルバチョの親友。監督・脚本家・製作者・俳優。脚本家としてのキャリアが長く、現在はテレビ・シリーズを執筆している。        

 

マリア・ガリアナ Maria Gariana(ドーニャ・コンチ):1935年セビリャ生れ。ベニト・サンブラノ『ローサのぬくもり』(1999)に詳しい紹介が載っている。その後の活躍は、なんといっても2001年から始まった“Cuentame”という長寿連ドラの祖母役に止めを刺します。フランコ時代、マドリードで暮らすある家族の日常が語られる現代史ドラマ。映画はアドルフォ・アリスタラインの『ローマ』(2004、ラテンビート2005)以外未紹介。エルビラ・ミンゲスと共演したフアン・カルロス・ファルコンの“La caja(06)、ホセ・ルイス・ガルシア“Maria querida(04)などに出演している。

 

アルベルト・デ・メンドサ Alberto de Mendoza(ドン・マリアノ):1930年ブエノスアイレス生れ、20111288歳でマドリードで死去。5歳のときに孤児となりマドリードにいる祖母に育てられる。1939年市民戦争終結後アルゼンチンに戻る。1960年再びスペインへ。両国を行ったり来たりの映画人生を送った。1958年“El jefe”、1982年“El infierno tan temido”でアルゼンチンの最高賞「銀のコンドル」主演男優賞を2回受賞した。

 

アンヘル・デ・アンドレス・ロペス Angel de Andres Ropez(ロロ): 1951年マドリード生れ。あの巨漢は脇役でも印象に残る。アルモドバルの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1984)、ピラール・ミロの『愛の虜』(1996)、デ・ラ・イグレシアの『800発の銃弾』(02)など。最近はもっぱらテレビ出演が多い。

 

アンパロ・モレノ Amparo Moreno(ロサリア):1949年バルセロナ生れ。コルバチョと同郷。1971年デビュー、脇役なので本数は多い。マヌエル・ロンバルデロの“En brazos de la mujer madura(1997)、アントニオ・メルセロの“Y tu quien eres?(2007)など、テレビ出演も多い。

 

エルビラ・ミンゲス Elvira Minguez (ラケル): 1965年バジャドリード生れ。本作でゴヤ助演女優賞受賞。イマノル・ウリベの『時間切れの愛』(1994)でデビュー。翌年のゴヤ賞新人女優賞、スペイン俳優組合賞にノミネートされるという幸運な出発をした。リカルド・フランコの『エストレーリャ*星のまわりで』(1997)は「スペイン映画祭98」で上映された。『タパス』以後、フアン・カルロス・ファルコン“La caja(06)でムルシア映画祭「フランシスコ・ラバル賞」他、ダビド&トリスタン・ウジョア兄弟の“Pudor(07)でもマラガ映画祭「銀のジャスミン女優賞」他を受賞しており、その演技力には定評がある。最近はテレビ出演が多い。

 

ルベン・オチャンディアノ Ruben Ochandiano (セサル): 1980年マドリード生れ。名前の表記がさまざまでしたがアルモドバルの『抱擁のかけら』(09)でやっと定着した。オチャンディアノの日本初登場は、シネフィルが放映したイシアル・ボリャインの『花嫁の来た村』(1999)ですが、脇役だったのでカタカナ表記はありませんでした。ダニエル・カルパルソルの『非情戦闘区域』(0203DVD)では、ルベン・オカンディアノ、フェリックス・サブロソの『チル・アウト!』(0308DVD)でルーベン・オカンディアノと間違った場所に長音がはいり、次のマヌエル・ロンバルデロの『抱かれる女』(0708DVD) が踏襲、アルモドバルでクレームがついて訂正されました。長音の有無は個人的には好みと考えています。『抱擁のかけら』カタログに詳しい紹介が載っています。

その後公開された最新作がイニャリトゥの『ビューティフル』(10)と大分前の映画です。モンチョ・アルメンダリスの“No tengas miedo(11)を含めて3作出演のほかテレドラが多いようです。英仏伊にカタルーニャ語もでき、短期間ながらパリに語学留学をした勉強家。好きな監督はウディ・アレン、タランティーノ、ハネケ、フィンチャー、ガレル等、好きな映画『イヴの総て』、『パルプ・フィクション』、男優ではフィリップ・シーモア・ホフマン、ルイ・ガレル、女優メリル・ストリープ、同世代ではヒース・レジャーだったと、どこまで行ってもスペイン映画は出てきません()

 

ダリオ・パソ Dario Paso : 1979年マドリード生れ。テレビ出身、俳優、監督・脚本と幅広い活躍をしている。祖父の代からの映画一家、祖父は脚本家、両親は俳優、従兄弟のラモン・パソは脚本家である。ショートながら既に4本撮っている。日本初登場は多分『トレンテ1』(1998)、他に“Mensaka(98)、シリーズのテレドラ出演が多い。

 

アルベルト・ジョー・リー Arberto Jo Lee(マオ):1979年バルセロナ生れ。本作でデビュー。ナチョ・ガルシア・ベリジャの『シェフズ・スペシャル』(08)に出演。これは「東京国際レズ&ゲイ映画祭2009」で上映された。

 

*特別出演*

ロサリオ・パルド Rosario Pardo(カルメラ役):アンダルシアのハエン生れ。マヌエル・ゴメス・ペレイラのコメディ『電話でアモーレ』(1995)、アレックス・デ・ラ・イグレシアの“Crimen ferpecto(2004)TVシリーズ“Cuentame(2001~)、“Doctor Mateo(2009~)などテレビ出演が多い。

 

フェラン・アドリア Ferran Adria1962年バルセロナ生れ。エル・ブジ(ブリ)の人気シェフだった。現在レストランは2013年まで休店。コルバチョと同郷の誼みで特別友情出演した。マオがテレビ料理番組“Bienvenidos al Show Cooking de Ferran Adria”を見ながらカタルーニャ料理を作るシーンに出ていた。テレビ、ドキュメンタリー出演は俳優より多い。ヘスス・マリア・サントスのドキュメンタリー『ペルー・サベ』(12)に出演、ラテンビート2012で上映された。

 

エドゥアルド・ブランコ Eduardo Blanco(エドガルド):1958年ブエノスアイレス生れ。フアン・ホセ・カンパネラの“El hijo de la novia(2001)、“Luna de Avellaneda(04)、ギジェルモ&ホルヘ・センペレ共同監督の“Pajaros muertos(08)など、その独特の雰囲気はコメディ・ドラマに欠かせない。

『タパス』 Tapas ③2013年09月08日 18:01


  愛に選択肢はないはずだ

 

A: ラケルとセサル。後半の山場はセサルが22歳の誕生日をロロのバルで祝うことです。二人の年齢差は二回りくらいと思うが、ふとしたきっかけで始まった火遊びが思わぬ方向に走り出してしまう。仕掛け人はラケル、彼女にはそれなりの目的と意味があったはずだが、オテントウさまというか世間体を侮ってしまった。

B: ラケルの期待と後悔がごっちゃになった最初のデートは相当笑える。

A: 二人のモルモン教徒が出現したせいですよ。今でも実際に戸別訪問して入信勧誘をしてるのかしら。

                             

B: ラケルとエドガルド。チャットで始まった疑似恋愛が突然のエドガルド出現で・・・いちばん嘘っぽい()。愛に選択肢はないと思うけど、ヒョウタンから駒が二つも。ホンモノは一体どっちなんだい。

A: 最後に姿を現す風采の上がらない中年男エドガルドに安心しますが、フアン・ホセ・カンパネラのファンには始めのチャットのときからエドゥアルド・ブランコの顔がチラついて笑えます。

B: セサルが「ネットでは嘘がいくらでも書ける」とラケルをバカにすると、彼女は気分を害して黙り込む。世代間の溝は意外と深い、と感じさせるシーンです。

 

A: オポとセサル。オポは猥褻なセリフをポンポン繰りだして男性客にサービスするが、本当は一番心の優しい若者だと思う。人を見る目があり勘の鋭い人格になっている。

B: ラケルとデートすると聞いて「マジかよ」と驚く。「死ぬほどヤリたがっている。もうヒヨッコじゃないんだから、やるだけだ」と生意気にけしかける。

A: ブルース・リーがプリントしてあるTシャツしか着ないカンフー青年。仲介だけでなく自分もやるからお師匠さんの死の真相が気がかりである。夏のリゾート地ベニカッシンにくる外国からの女の子の品定めをまくしたてる。でもホントにやったのかい? 

B: ベニカッシンはバレンシアのカステリョン州に位置するリゾート地。2万人足らずの人口が夏場には3倍以上にもなるほど若者に人気がある。もっと余裕のあるラケルの年代はイビサ島やマジョルカ島に足を延ばす。

 

A: オポとコンチ。オポはセサルの22歳の誕生日を祝ったらベニカッシンに出発だ。スーパーの裏手で商品の搬入をしていたオポをコンチが訪ねてくる。「夏のバカンスはどこに行くの」とオポ。「そうね、わたしたちどこかに行くつもりよ」とコンチ。マリアノは家から一歩も出たくないはずだ。

B: オポの手にコナの小袋をねじ込むコンチ。オポは商品のワインを1本くすねて渡す。「マリアノにプレゼントだ」と。コンチの頬に軽くキスして「アディオス」という。

A: いつもはカタルーニャ語で「アデーウ」と言っていたのに。

 

         愛は植木鉢と同じ――ハッピーエンド?                     

 

B: マオとロロ。マオがセサルの誕生パーティの後片付けをしていると、マオの恋人がいつものように向かいの道路で待っている。「もう片付けはいいよ、そのままで。でもあんたのような名料理人がどうして中国からやってきたんだい?」

A:「愛のためですよ。愛は植木鉢と同じで、毎日水やりしないと枯れてしまう」とマオ。考えこむロロ。


B: 観客はマリアノがテラスに並んだ植木鉢に毎日水やりしていたことを思い出す。

A: そして場面展開、葉が萎れた植木鉢、食べ残しのテーブルに群がるハト、ナイトテーブルに転がっている空のモルヒネ、老夫婦はフレンチ・シャンパンで≪新しい門出≫を祝ったのだった。

 

★このコメディは単純な大団円とは言えない。愛と死の要素が絡まってかなりシリアスな内容です。ロロはマオにバルを任せ「ロサリア水やり」に出発した。娼婦のカルメラからも「今度は迎えに行かなくちゃ。時は金なり、善は急げ」とハッパを掛けられていた。マオは6ヵ月の契約を結び、ロロがバカンス中の8月は倍増しの給金が貰える。これはメデタシ、メデタシ。ラケルとセサルの恋はあっけなく終り、二人ともそれなりの代償を払った。ラケルはエドガルドと新しい一歩を踏み出せるか。傷心のセサルはオポとベニカッシンに≪ティラミス≫を食べに出掛けるだろう。こちらは半メデタシ。ハッピーエンドの定義は難しいが、マリアノとコンチはどうだろうか。

 

★コメディの私なりの定義は、予期しない展開の連続、隣人家族愛、宗教、ユーモアと涙、勇気と知恵、セックス、騙し合い、為政者のカリカチュア、落とせないのが人生讃歌でしょうか。ここにいう宗教は、ローマ法王を頂点とするヒエラルキー、カトリック教会批判を指します。本作にも教区司祭が出てきましたが真の批判の対象は高位聖職者たちです。彼らが常に権力と結びつき国民の抑圧に手を貸した長い歴史があるからです。

 

★スペインを含めて厳しい検閲の時期が長かったラテンアメリカ諸国には優れたコメディが多い。これは検閲逃れの手段として有効だからです。自国の文化が最高と自負しているフランスのコメディには、自国以外の文化を笑いのタネにする傾向があってゲンナリすることがあります。この程度のエスプリで笑ってもらえると思っているのかというフレンチ・コメディを最近見たばかりです。しかし『タパス』ではアジアの代表者マオの勤勉さ、アタマの回転の良さ、深い知恵が勝利するから、終わってみれば不快感は残らない。

 

★またコメディには時代を反映するセレブや人気スポーツマン(スペインではサッカー選手)、過去の映画(たいていハリウッド)がポンポン飛び出します。オマージュだったり時には皮肉だったり、本作にも出てきました。

 

★コメディでは、怪しげな合いの手、語呂合わせのタブー語、隠語も珍しくない。本作にも末端の売人をさすCamello、ドラッグ名のSimpsonsMitshubishisなどが出てきた。シンプソンよりミツビシのほうが純度が高く入手が難しい。日本の三菱はスペインでは評価が高いから付いた隠語とか。オポに「ミツビシを30欲しい」といわれたコンチが「そんなに一度に用意できない」と答えていた。

 

『タパス』Tapas ②2013年09月08日 17:56

 

     主従関係が逆転する可笑しさ

 

A: ラケルがネットでブエノスアイレスに住むエドガルドと疑似恋愛のチャットをしている。弁護士らしい彼氏はどうやらアソビじゃないようだ。

B: ロロが女房のロサリアに口うるさく威張りちらしている。このマッチョ振りは半分客向けの演技と分かっていてもロサリアの怒り度は沸点を超えた。もう荷物を纏めて出ていくしきゃない。

A: 21世紀のノラは小型スーツケースに当座の衣類、多分銀行のカードも持って実力行使。それはないだろロサリア、オレがあんたを愛してんの分かってんだろ。でもロロ、あんたは度が過ぎるんだよ、マッチョの時代は終わったんだ()。ロサリア無しではバルを続けられないロロ、新たに料理人を雇うことにする。ブルース・リーを師と仰ぐカンフー料理人マオとロロのお膳立てができあがり、映画はいよいよ本格始動となる。

 

B: マオの面接シーンはかなり笑える。ロロは二つの条件を出す。

A: 一つ店が儲かって収入が増えること。二つ私がラクできること。儲からず私がラクできないなら、即刻クビだ。ほら、あそこにドアが見えるだろ、出口はそこだ。さらに付け足す、必ずオリーブ油を使うこと。南欧人のオリーブ油信仰も可笑しいが、居丈高な態度はその後の主従逆転の皮肉にも連動して笑えます。

B: ロロのというか当時のスペイン人一般の東洋人に対する偏見が伺える。

 

A: ヨーロッパ人全体の理由なき優越感や無知からくる勘違いを皮肉っている。例えば、ロロがマオの名前をちゃんと覚えない。Maoが正しいのだが Mahouと呼ぶ。「私は若い頃スイスで腕をみがいたベテランだが、マオウは食いつめて経験もなく手ぶらでやってきた」「香港の豪華レストランの料理人でした。それにマオウじゃなくマオです」「そうか、毛沢東のマオだね。あんたは信じないかもしれんが、私はちょっぴりコミュニストなんだよ」。Mahouはスペインの大手ビール会社のブランド名です。

B: スイスのヘルベティア連合で数年働いていたことがあるというロロは、かつてスペイン人がより豊かなピレネーの向う側を目指して出稼ぎに行っていたことを織りこんでいる。

 

A: マオは主人に対して「まったくナンにも分かっちゃいないんだから」という顔をする。監督がセリフなしの「目の演技」を役者に要求しているのも映画の特徴かな。ロロには中年男のステレオタイプが投影されている。女房に逃げられたことをバルのお客に知られたくない。「あんたをロサリアと呼ぶことにする」と宣言し、厨房にいるマオをことさら「ロサリア!」と呼ぶ。

B: バレバレなのに。

 


A: まだロサリアの家出を知らないラケルが現れてパエリャを注文する。一口食べて「うーん、これは美味しいね」とラケル。つまり何だ、ロサリアのパエリャより美味いってわけか、と複雑な顔をするロロ。ここもセリフがない。

 

B: コンチのケース、目眩で倒れた夫マリアノの相談に医者にいく。「連れてこい」と言われるが「頑固者だからダメ」とコンチ。

A: 医者から法的には「患者本人の診察なしに処方できないが・・・来たことにして・・・ほんの1滴ずつだよ」とモルヒネ6本入り1箱を渡される。コンチは灰色の小さな脳細胞をフル活動させて固まってしまう。ここもセリフなし。このモルヒネが予想もしない結果を招くことになります。

                                                                                                                                                                          

     終りは誰にもやってくる――道連れはダメよ

 

B: コンチと教区司祭。コンチは救いを求めて教会に行くが「祈りなさい」の一点張り。ひたらすら無言で拝聴するコンチ、もはや教会は助けにならない。手渡された祈祷用の3枚の聖人のカードは出口のゴミ箱に吸い込まれる。

A:「神のご加護がありますように」と司祭は言うが、神様とは助けて欲しい時いつも留守している人のことね。

 

B:「私の考えたやり方であちらに送って欲しい」とコンチに助けを求めるマリアノ。

A:「もし立場が反対だったら、マリアノ、あなたならどうするの」とコンチ。無言の夫を睨む妻。日本も「終活」ブームだそうですが、まさかこんな死生観を云々するテーマをコメディに持ち込むとは想像もしなかった。

B: アメナバルが真っ向う勝負した『海を飛ぶ夢』(2004)へのアイロニーかな()。尊厳死推進の映画と誤解している人が結構いるけど。

 

A: 二人のやり取りから、若いときに当時最も治安の悪かったチノ地区に移住してきたヨソ者であることがわかる。マリアノは当時の恐怖が忘れられない、今の自分はそのときと同じ恐怖の中にいるとコンチに訴える。バルセロナは東京と同じで地元っ子は少数派です。

B: 1992年のバルセロナ・オリンピックで再開発されるまで、旅行者が入りこんではいけない地区でした。これはホセ・ルイス・ゲリンのドキュメンタリー『工事中』(2001)を見るとよく分かる。純然たるドキュメンタリーとは言えませんけど。

A:「ずっと二人で頑張ってきた、決して負けなかったのよ。なのにどうして病気に屈服してしまうの」とコンチ。深読みかもしれませんが、ここは内戦を生き延び、フランコに飽くまで抵抗したバルセロナ人の誇りを失うな、だと思いますね。そうでなければこんな会話は不要だもの。

 

B: ロロとコンチ。ロロが店のシャッターを開けると4人の子供がコンチを訪ねてくる。中学生ぐらいの子もいたから、ギョッとするシーンです。

A: 不審顔のロロ。鈍いロロもやっと気がつき取引現場を押さえてしまう。「あんたの店では二度とやらない」とコンチ。「あんたみたいな真っすぐな人が、消費税も所得税も払わずに大儲けしてるなんて」と慨嘆するロロ。非難の鉾先がずれている()

 

B: 面白いのはこの後。「ここでコソコソやるならそれなりのショバ代を払ってくれ」。

A:「まったくあんたって人はヘビみたいにずる賢い。あたしは年だしブタ箱なんてどうってことないけど、あんたはそうじゃない」と逆ギレするコンチ。

B: 末端の売人は老婦人が多いという現実がありますね、警察もマサカと思うから警戒しない。ホント笑いごとじゃない。