第10回ラテンビート2013① ― 2013年09月21日 10:19
第10回ラテンビート2013①
★第10回という節目の年になる今年のラテンビートは、アンコール作品を含め充実のラインナップとなりました。勿論これじゃ物足りないという方もいらっしゃるでしょうけど。既に劇場公開が決定している4作品、ドキュメンタリー3本も今年の特徴かもしれません。
★今秋から来年にかけて公開されるペドロ・アルモドバル、パブロ・ベルヘル、フェルナンド・トゥルエバ、セバスティアン・レリオの4作品、ほか2012年東京国際映画祭TIFFコンペ部門上映のパブロ・ララインの情報は入手が比較的簡単なこと、ネタバレになりかねないこと、既にご紹介済みのものも含まれておりますので、ちょっとしたトレビアだけに致します。
★ペドロ・アルモドバル“I’m So Excited !”:やっとコメディに戻ってきてくれたと喜んでいます。『オール・アバウト・マイ・マザー』のアカデミー賞受賞(外国語映画賞部門)以来、そろそろ荒唐無稽な母物路線を終りにして軌道修正をと願っていたからです。彼の映画はジャンル―コメディ、スリラー、ホラー、ドラマ―が巧みにミックスされておりますが、基本的にはメロドラマ(褒め言葉)です。もともとプロットで観客を引っ張るタイプの監督ではないのです。スペイン・コメディの大御所、あちらで最も愛された映画監督と言えば、サウラ、エリセ・・・いいえ、文句なしにルイス・ガルシア・ベルランガです。残念ながら映画祭上映以外劇場公開は1本もありません(!)。このベルランガ学校の一番の優等生こそアルモドバル、ベルランガの訃報を知っていち早く馳せつけたのもアルモドバルでした。ということで、いずれ二人の監督についてはじっくりご紹介したいと思っています。
*音楽監督アルベルト・イグレシア、撮影監督ホセ・ルイス・アルカイネと申し分ありません。今回も製作者の弟アグスティンが出演していますから探してみて下さい。
*9月16日に今年の「ヨーロッパ映画賞」の名誉賞受賞がアナウンスされました。いわば映画功労賞ですね。1988年、ヴィム・ヴェンダースやベルイマンが中心となってベルリンで設立された映画賞、開催地はヨーロッパ各国の持ち回りです。しかしベルリンが中心開催地、今年もベルリンで12月7日に授賞式があります。アカデミー会員約2000人の投票によって決まり、作品賞、監督賞、俳優賞・・・など、他のアカデミー賞とだいたい同じです。アルモドバルは1989年『神経衰弱ぎりぎりの女たち』で新人監督賞を受賞したほか、2006年『ボルベール』で5賞も獲得しました。スペインがらみでは、2004年バルセロナ開催のとき、カルロス・サウラが名誉賞、アメナバルが『海を飛ぶ夢』で監督賞を受賞しています。
*20日開幕のサンセバスティアン国際映画祭SIFFの「メイド・イン・スペイン」部門で上映されます。このセクションは既に劇場公開された作品から選ばれ金貝賞・銀貝賞には絡みません。
★パブロ・ベルヘル『ブランカニエベス』:最初「ブランカ・ニーヴス」という不思議なタイトルでしたが、クレームがついたせいか修正されました(公式サイトはママです)。どういう邦題にするかの権限は配給元にありますが、スペイン語映画もうるさ型が増えましたのでご注意ですね。DVDなど特に原題になかなか到達できなくて困ることもありますが、個人的には公開してくれるだけでありがたく、○が×でなければ許すほうです。何しろサウラの名作『カラスの飼育』の伝統も守らねばなりません(笑)。アナが飼育していたのはウサギでカラスじゃないと怒った人もいたとか。言いだしたらきりがない。
*「ゴヤ賞2013予想と結果①」でアウトラインはご紹介いたしましたので、雑音はいずれ公開後にでもデビュー作“Torremolinos 73”(2003)とも合わせてアップいたします。
★フェルナンド・トゥルエバ『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』:SIFF2012の銀貝賞(監督部門)を受賞した作品。残念ながらゴヤ賞は13部門ノミネートながら無冠に終わりました(オスカー賞などでも結構こういう例ありますね)。原題はピカソのEl artista y la modelo(芸術家とモデル、または画家とモデル)シリーズ作品から取られたようです。ピカソとマリー=テレーズのことです。
*『ベル・エポック』(1992)の成功で世界のひのき舞台に立ったトゥルエバについては紹介不要でしょうか。オスカー受賞の喜びを語るなかで「受賞できたのは神様のお蔭、信じていてよかった。しかし本当はビリー・ワイルダーのお蔭です」と。すると翌日「やあ、フェルナンド、私だ、神様だよ」とワイルダー本人から電話がかかってきた(笑)。お茶目なワイルダー先生、素敵な映画を沢山ありがとう。
*本作は最初、彫刻家の弟マキシモとのコラボで企画されたのですが、1990年代に彼が亡くなってしまい頓挫してしまった。その後も何とか完成させたいと脚本家のラファエル・アスコナ(2008年没)と取り組んだが上手くいかなかった。アスコナは気難しい人でしたが名脚本家として3本の指に入るのではないでしょうか。「ベルランガ映画」は彼なくしては生れなかったと思っているくらいです。今回フランスの老大家ジャン=クロード・カリエールとの共同執筆でやっと日の目を見ることができたのでした。
*モデル役のアイダ・フォルチはこの映画のためにパリに留学、数カ月間フランス語を学んだ由。お手伝い役のチュス・ランプレアベ以外もご老体揃いなので、一日に撮影できる時間が限られてしまったそうです。
★
セバスティアン・レリオ『グロリア』(仮題):こちらは、「トロント国際映画祭②」をご参照ください。
★パブロ・ラライン『No』:SIFF2012のZABALTEGIのパールズ部門にエントリーされ、観客総立ちのオベーションを受けた作品。続いてTIFF 2012のコンペティション部門でも上映されたので詳細はそちらで入手できます。ピノチェト政権三部作の最終作。第一部が今回アンコール上映されるアルフレッド・カストロ主演の『トニー・マネロ』(2008)で1970年代後半のチリ、第二部が同カストロ主演の“Post mortem”(2010)、時代背景が1973年のアジェンデ政権末期、第一部同様ちょっと不気味な別世界に迷い込んでしまいます。時代は二部→一部→三部の順になります。本作が一番分かりやすい作品、しかし「No」派はほんとうに勝利したのでしょうか。
* パブロ・ラライン監督の来日はなかったのですが、東京国際映画祭 TIFF 上映時のQ&Aをコンパクトに纏めますと、出席:製作者ダニエル・マルク・ドレフュス/司会:ディレクター矢田部吉彦/通訳者英語。ダニエルはロス在住のアメリカ人、ラライン兄弟の映画には初参加です。
Q:本作の製作をすることになった経緯は?
A:ラライン監督の兄フアン・デ・ディオス(実際は弟です)とロスで会ったとき、二人が進めていたプロジェクトに参加を依頼された。いつもは即答しないのだが、プロットを聞いて直ぐに決めた。理由はアメリカ人ではあるが生れはスコットランド、独裁政権時代だったブラジルで6歳まで育った。父親は政治学者だったので政治色のつよい家庭環境、アメリカに移住してからもピノチェト軍事独裁のテーマに興味をもっていて、チリの話とはいえ普遍的なテーマであると思った。
Q:事実に題材を取っているということだが。
A:そうには違いないが、当時「イエス」側にいた人には当然ながら参加してもらえなかったので、「ノー」側にいた人に「イエス」側に出演してもらった。「ノー」は勝利者だから喜んで出演してくれた。ガエル(・ガルシア・ベルナル)が演じた主人公の人物造形には、二人の人物がミックスされています。
Q:実写の部分の粒子が粗いのは当然だが、フィクションの部分も同じだったのはどういうカメラを使用したのでしょうか。
A:同じフッテージにするため、いろいろ試した結果、1983年のソニー製のカメラにしました。フアン(・デ・ディオス)から電話で、監督が当時のカメラで撮りたがっていると聞いた時は、正直困ったと思いました(笑)。
*この質問者は多分映画関係者で、確認のための質問でしょう。80年代当時のフッテージ映像が映画になじむようアナログのソニー製ビンテージカメラで撮影された。また監督や出演者が来日できなくて残念という感想には、ラライン兄弟は共に次回作の撮影に入っており、極寒の場所にいて果たせなかった。二人から日本の皆さまによろしくと言付かってきました。
最近のコメント