『そして彼女は闇を歩く』Netflix 鑑賞記*SSIFF2025 ㉓ ― 2025年11月23日 11:44
アグスティン・ディアス・ヤネスの新作「Un fantasma en la batalla」

★サンセバスチャン映画祭2025アウト・オブ・コンペティションで上映された、アグスティン・ディアス・ヤネスの7年ぶりの新作「Un fantasma en la batalla / She Walks in Darkness」(『そして彼女は闇を歩く』)は政治スリラードラマ、「バスク祖国と自由」ETAの解体のために組織に潜入して無事生還できた唯一人の女性潜入捜査官エレナ・テハダ(偽名アランサス・ベラドレ・マリン)の実話に着想をえて製作されたフィクションです。2024年、アランチャ・エチェバリアが同一人物を主役に据えた「La infiltrada / Undercover」を撮っており、今年のゴヤ賞で作品賞と潜入捜査官を演じたカロリナ・ジュステが主演女優賞を受賞したばかりです。『アンダーカバー 二つの顔を持つ女』の邦題でWOWOWが放映した。両作ともフィクションですが、先行したエチェバリアのほうがエレナ・テハダの伝記に近いようです。基本データは作品紹介記事に譲り、キャスト陣とストーリー紹介だけアップします。本祭には監督、製作者、主要キャストが「ジェノサイド・ストップ」のバッチをつけて参加しました。
*「Un fantasma en la batalla」の紹介記事は、コチラ⇒2025年07月16日
*「La infiltrada」の作品とエレナ・テハダの紹介記事は、コチラ⇒2025年01月15日

(監督と出演キャスト、サンセバスチャン映画祭、9月24日フォトコール)
キャスト:
スサナ・アバイトゥア(偽名アマイア・ロペス・エロセギ/アマヤ・マテオス・ヒネス)
アンドレス・ヘルトルディクス(フリオ・カストロ中佐)
イライア・エリアス(ベゴーニャ・ランダブル、バスク語学校校長)
ラウル・アレバロ(アリエタ/ソリオン)
アリアドナ・ヒル(ギプスコア1961、ソレダード・イパラギレ・ゲネチュア/通称アンボト)
ミケル・ロサダ(ギプスコア1954、イグナシオ・グラシア・アレギ/
筆名イニャキ・デ・レンテリア)
アナルツ・スアスア(サンセバスティアン1961、アンボトのパートナー、ミケル・アルビス・イリアルテ/ミケル・アンツァ)
ハイメ・チャバリ(チキTxiki /エル・ビエホ)
クリス・イグレシアス(治安警備隊員アデラ、アマイアの連絡係)
アンデル・ラカリェ(アンドニ)
ディエゴ・パリス(エスケルティア)
フェルナンド・タト(ビスカヤ1966、フランシスコ・ハビエル・ガルシア・ガステル/
チャポテ)
ミケル・ララニャガ(ダゴキ)
アルフォンソ・ディエス(イスンツァ)
エドゥアルド・レホン(内部告発者)
イニャキ・バルボア(ヨス・ウリベチェベリア・ボリナガ)
エネコ・サンス(チェリス)
アルマグロ・サン・ミゲル(アマイアの恋人アントニオ)、フアナ・マリア(アマイアの偽の母親)、イゴル・スマラベ(ホセ・マリア・ムヒカ、フェルナンド・ムヒカの息)、ほか多数
◎ETA による誘拐&殺害された政府要人など
アルベルト・サンチェス(グレゴリオ・オルドニェス、国民党PPバスク州議会議員、
1995年1月23日、享年36歳)
ホルヘ・ウエルゴ(ホセ・アントニオ・オルテガ・ララ、刑務官、
1996年から532日間幽閉後救出)
フアン・モントーヤ(フェルナンド・ムヒカ、弁護士、活動家、社会労働党PSOE党員、
1996年2月6日、享年62歳)
ホセ・マリア・エルナンデス(フランシスコ・トマス・イ・バリエンテ、法学教授、
元憲法裁判所長官、歴史家、1996年2月14日、享年63歳)
ウィリアム・モンラバル・クック(ミゲル・アンヘル・ブランコ、PP議員、
1997年7月10日誘拐、13日死去、享年29歳)
ベナン・ロレヒ(フェルナンド・ブエサ・ブランコ、政治家、PSOEバスク社会党PSE-EE、
2000年2月22日、享年53歳)
ストーリー:1990年、バスク祖国と自由(ETA)の解体に寄与した潜入捜査官アマイアの恐怖の10年間が語られる。アマイアのミッションは、ETAがフランス南西部バスクに武器弾薬などを隠し持つ重要な秘密のアジト(スロ)を突き止めることであった。フランコ没後激化した実際に起きた要人暗殺、自動車爆破事件の数々を背景に、スペインの歴史的、政治社会的文脈に根ざした捜査官たちに触発されたフィクション。90年代後半から21世紀初頭の治安部隊による「サンクチュアリ作戦」をベースにしている。
生還できた唯一人の女性潜入捜査官の人生に触発されたフィクション
A: まだ進行中の事案ですから評価は別れます。ジャンルとしては実際に起きた殺害事件をドラマ化して挟みこんだドキュメンタリー・フィクションです。ヒロインの潜入捜査官アマイアのモデルは、アランサス・ベラドレ・マリンという偽名をもつ国家警察所属の警官エレナ・テハダと思われますが、ドラマでは治安警備庁の隊員になっています。人物造形もかなり違っていて、アマイアの上司カストロ中佐も当然違うわけです。
B: アマイアは実在しません。冒頭で「これはある捜査員の物語かもしれない」と、フィクションだと予防線を張っています。しかしETA側の主だった登場人物は虚構の人もいますが、多くは同じ名前(通称、あるいはニックネーム)や行動から本人と同定できるケースが多いから混乱します。
A: 先行して製作されたアランチャ・エチェバリアの『アンダーカバー』(「La infiltrada / Undercover」)を視聴した人は混乱するかもしれません。あちらは同じフィクションでもドキュメンタリー・ドラマに近く、よりテハダの実像にそっている。当時の治安警備庁は警察庁と同じ内務省に所属していましたが、どちらかというと国防省所属の三軍統合本部(陸海空)に近い仕事をしており、現在では国防省に所属しています。
B: 実際は二つの組織が手柄を競い合って反目していた部分があった。プライドが高いといえば聞こえがいいが、スペイン人の妬み深さは定評がある。先行作品はゴヤ賞作品賞とカロリナ・ジュステが主演女優賞をゲットしたばかり、まだ余韻が残っているからタイミングが悪かったかもしれない。
A: テロリスト・グループ「コマンド・ドノスティ(サンセバスティアン)」というのは、ETAのなかでも最も過激な集団だったということです。バスク自治州ギプスコアの県都サンセバスティアンの責任者であったアリアドナ・ヒル扮する通称アンボトは実在しており、以下チャポテ、イニャキ・デ・レンテリア、ミケル・アンツァなどのテロリストたちも実在の人物です。
B: チャポテ、本名フランシスコ・ハビエル・ガルシア・ガステルは、劇中でも再現されたグレゴリオ・オルドニェスの暗殺者、ミゲル・アンヘル・ブランコやフェルナンド・ムヒカの暗殺などにも関与している。

(アンボトの沈黙にビビるアマイア)
A: 劇中、数本の短編映画を撮り、脚本家、ミュージシャンでもあるフェルナンド・タト扮するチャポテは、サンセバスティアンの旧市街のレストラン「ラ・セパ」で食事中のオルドニェスを殺害したとき、赤いカッパを着用していたが、実際も赤いカッパだったということです。ミゲル・アンヘル・ブランコ議員誘拐の後に起きたスペイン全土で200万人とも250万人とも言われる抗議デモのシーンも、アーカイブ映像とそっくりでした。
B: 死刑廃止のスペインでは、殺害件数が多すぎて刑期はトータルすると三桁と寿命より長い。ギプスコアの幹部アンボトは冷静沈着、美人で風雅なのも実像に近いとか。

(殺害決行日は雨が降っていたので赤いカッパでも怪しまれなかった)
A: アンボトの通称は1994年秋ごろから使用、スペインとフランスを往復して「血なまぐさい」メンバーの一人と言われ、多くの殺害に積極的に関わっています。ETA中央委員会の二人目となる女性執行委員、軍事作戦を担当する4人のメンバーの一人でもあり、部下にも厳しかったそうです。2004年フランスで、1999年からパートナーだった筆名ミケル・アンツァことミケル・アルビス・イリアルテと共に逮捕された。アンツァはETA の創設者の一人ラファエル・アルビスの長男でETA メンバーでしたが作家でもあり、現在は執筆活動をしている。劇中ではアナルツ・スアスアが扮している。
B: 治安部隊が2004年に決行した「サンクチュアリ作戦」でアンボトとアンツァは逮捕されるのですが、映画はもっと前の印象でした。現実に起きた部分とフィクション部分が入れ子になっています。これはドラマであってドキュメンタリーではない。
A: アマイアが結婚を諦めて現場に復帰するのは、1997年夏のミゲル・アンヘル・ブランコ議員の誘拐、続く殺害の後ですからズレを感じました。商業映画ですから観客サービスも必要です。ただ埋め草的なシーン、ウエディングドレスを着せるなどやりすぎ、諸所に挟みこまれた二人の逢瀬も緊張が途切れて、個人的には残念でした。ただ起こらなかった事件のでっち上げはしていない。
B: 実際に起きたグレゴリオ・オルドニェスやブランコ議員の殺害シーンなどいやにリアルな部分がある半面、アマイアとカストロ中佐の密会シーンもかなり無防備でした。ミケル・ロサダ演じるイニャキ・デ・レンテリアも実在の人ですか。
A: 詳細が分からないようですが、グループのイデオロギー指導者ミケル・アンツァに次ぐリーダーと言われ、アルジェリアでゲリラ訓練を受けた。2000年9月フランス南西部のバスクで逮捕されている。
B: アンボトが二重スパイではないかとアマイアの身元確認を依頼したハイメ・チャバリ扮する「チキ/エル・ビエホ」は架空の人物でしょうか。

(ハイメ・チャバリ、2022年頃)
A: フェロス栄誉賞2025の受賞者チャバリ監督がスクリーンに登場しました。自作にも出演する他、ベルランガやアルモドバル作品にも小さな役ですが出演している。本作の「チキ/エル・ビエホ」は、ETA の象徴的な人物で、フランコ総統が死去する直前の1975年9月、21歳の若さで銃殺刑になったフアン・パレデス・チキ(1954)をシンボライズしているように思いました。他にも同定できない登場人物としてイスンツァがいる。1996年1月、ログローニョの刑務官オルテガ・ララを誘拐してギプスコアのモントラゴンに幽閉、翌年夏に彼が救出されるまでの532日間の監視役を務めた人物でした。
B: イライア・エリアス扮するバスク語学校の校長ベゴーニャは実在しませんね。

(エタ組織に入った理由をアマイアに問い詰めるベゴーニャ)
A: アマイアと同じようにベゴーニャに近いモデルはいるそうです。来年のゴヤ賞助演女優賞ノミネートは期待できます。同じくラウル・アレバロのアリエタも架空の人物に思われますが、指導部の一人に同名の人がいるようです。アリエタはバスク語で「石の多い場所」をさし、慎重で猜疑心のかたまりのような人物造形にぴったりです。しかし隙のないアマイアの身辺を探るため彼女のアパートに同居したのに、盗聴器を発見できないなんてあり得ない。
B: 治安警備隊の上層部がエタの動きを探るため彼を同居させるようアマイアに指示していたわけですから、狐と狸の化かし合いです。アレバロは視聴者を不安にさせることに成功していた。誘拐したブランコ議員の処遇を決める指導部の会議でも、殺害に迷わず挙手したリーダーでした。

(アマイアを監視するアリエタ)
A: アマイアの身辺警護のため多くの治安警備隊員が張り込んでいる。時間稼ぎのためエレベーターを故障に見せかけたり、クリス・イグレシアスのアデラも危険な連絡役を受け持っている。
B: エレベーターを修理するふりをしていたのは仲間ですね。エレナ・テハダを守っていた12人の警察官は「十二使徒」と呼ばれていたそうですが、テハダは顔を知らなかったと語っている。怪しまれないようにわざとそうしていた。
A: 劇中でも空軍大尉の身元がバレて、彼女が運転している車中で射殺されたり、アマイア自身が知らずに同僚を撃ってしまったりなど、用心のため互いに知らされていない。
B: アンドレス・ヘルトルディクスが演じたフリオ・カストロ中佐のモデルは、何人かがミックスされている印象です。

(アマイアの情報を受け取るカストロ中佐)
A: 『アンダーカバー』でルイス・トサールが演じたアンヘル・サルセド警部のモデルは、国家警察のフェルナンド・サインツ・メリノ長官だそうです。1990年初頭にはギプスコアのスペイン警察の指揮を任されていた。取り調べには拷問も辞さなかったそうです。長官は『アンダーカバー』の脚本作成に参加しており、中佐の造形には彼が部分的に取り入られているように感じました。ETAに顔が割れているエレナ・テハダは、1999年3月、任務終了後スペイン内をあちこち移動させられ、最終的にアンドラ公国大使館の治安機関に配属され慎重な活動をしている。
B: 塀の中とはいえ未だほとんどが存命、裁判が続行中ですから、映画にするにはどちら側にも不満が残ります。

(先行作品『アンダーカバー』)
A: スペイン内戦ものとは訳が違う。映画の冒頭部分でフランコ将軍の腹心で後継者だったルイス・カレロ・ブランコ首相暗殺のアーカイブ映像が流れました。1973年12月、ETA が得意とした自動車爆破で即死、彼の乗っていた車は20メートル空中に飛びあがり6階建てのビルを飛び越えて隣りのビルの2階屋根部分のパティオというか3階のバルコニーに落ちた。
B: 凄い破壊力です。1979年、この爆破テロ事件は『アルジェの戦い』で金獅子賞を受賞したジッロ・ポンテコルヴォが「Operación Ogro」(「鬼作戦」)として映画化した。
A: フランコ没後4年足らずの映画化で物議を醸したが、これはフランコ政権時代のテロ事件であり、バスク語使用も自治権も復権した90年代のテロとは区別して考えるべきです。かつて長いあいだ自分たちを容赦なく苦しめたスペイン人を懲らしめる目的のテロに民主化も正義の欠片もないでしょう。監督が冒頭に入れた目的は何かです。
B: 後継者を失ったフランコ政権はETA弾圧の強化に拍車をかけ、犠牲者を増やしていった。彼らは自分たちはバスク人でスペイン人ではないと考えている。
A: 『鬼作戦』以外にも、エタラを描いた作品は量産されている。本作にも挿入された2000年2月22日に起きたPSOEのフェルナンド・ブエサ・ブランコ殺害事件をバスクの監督エテリオ・オルテガがドキュメンタリー「Asesinato en febrero」(01、「2月の暗殺」)のタイトルで撮った。製作者のエリアス・ケレヘタもギプスコア県エルナニ出身(1934)です。カンヌ映画祭併催の「批評家週間」でプレミアされ、マラガ映画祭でドキュメンタリー賞を受賞している。
B: ケレヘタは、カルロス・サウラやビクトル・エリセ、モンチョ・アルメンダリス、レオン・デ・アラノアなどを国際舞台に連れ出したスペインを代表する製作者でした。
A: 監督、脚本家でもあった。当ブログでは、その他ルイス・マリアスの「Fuego」(発砲)、ボルハ・コベアガのコメディ仕立ての「Negociador」(交渉人)、アイトル・ガビロンドのTVミニシリーズ「Patria」(祖国)、イシアル・ボリャインの「Maixabel」(マイシャベル)などをアップしています。
B: ボリャイン映画のモデルになったマイシャベル・ラサは、2000年7月に暗殺された政治家フアン・マリア・ハウレギの未亡人です。どうやらディアス・ヤネスの新作がお気に召さなかったようでした。
A: エタ犠牲者の当事者ですから商業映画は受け入れがたいでしょう。真実も正義もどちらの目線に立つかで意見は別れる。すべて真実、すべて虚偽です。冒頭の「これはある捜査員の物語かもしれない」を空々しく思った人がいて当然です。本作は、自分の身元が割れることへの恐怖、自分が誰であるかを忘れることへの恐怖を描いているわけです。ベゴーニャに組織に入った理由を問い詰められて「居場所探し」と応じていたが、ベゴーニャがそんな理由を納得したとは思われない。
B: 当時の女性の居場所は決まっていた。ミーナの「あまい囁き」(「Parole, parole」)が小道具として使用されていたが、劇中で「パロール、パロール」と歌っていたのはミーナでなく、フランス語版のダリダ&アラン・ドロンのデュエットの「Paroles, paroles」でした。歌うのはダリダでドロンは語りです。
A: 「口先だけの甘い言葉では騙されないわよ」と手強いのは、登場人物の誰でしょうか。
★アグスティン・ディアス・ヤネス監督、スサナ・アバイトゥア、アンドレス・ヘルトルディクス、イライア・エリアスのキャリア紹介はアップしています。以下のフォトは本作がSSIFFでプレミアされたときのもです。






* ハイメ・チャバリのキャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2025年02月02日
*「Fuego」の作品紹介は、コチラ⇒2014年03月20日/同年12月11日
*「Negociador」の作品紹介は、コチラ⇒2015年01月11日
*「Patria」の作品紹介は、コチラ⇒2020年08月12日
*「Maixabel」の作品紹介は、コチラ⇒2021年08月05日
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