ベロニカ・フォルケ逝く*自ら幕引きをした66年の生涯2021年12月21日 15:17

    安住を求めて自ら幕引きをした、長くもあり短くもあった66年の生涯

 

       

  (中央に柩が安置されたお別れの会、マドリードのスペイン劇場、1215日)

 

1213日、国家警察がマドリードの自宅で自死した女優ベロニカ・フォルケの遺体を発見したと報道した。1249分救急センターに或る女性から電話があり、救急隊Summa112が駆けつけたが既に手遅れであったという。当日は自死だけが報道され、正確な死因は検死結果を待つことになった。翌日、錠剤などの痕跡がないこと、首に外傷性の傷がありタオルでの首吊りによる窒息死であったと発表された。最近鬱状態がひどく、3時間前に一人娘マリア・クララ・イボラ・フォルケがお手伝いさんと交替して帰宅したばかりだった。オレンジジュースを飲み、シャワーを浴びると言ってバスルームに入ったまま帰らぬ人となった。ホセ・マリア・フォルケ賞の顔の一人でもあったベロニカ、カルメン・マウラと8090年代のスペイン映画を代表する女優の一人だったベロニカ、常に明るく機知にとんだ会話で周りを楽しませてくれたのは表の顔、2014年の離婚以来、鬱病に苦しむ闇を抱えた人生だったということです。

 

       

            (ありし日のベロニカと娘マリア)

 

★訃報の記事はしんどい、特に書くことはないだろうと思っていた若い人の予期せぬ旅立ちはしんどい。しかしここ最近の映像を見るかぎり60代の女性とは思えない険しい顔に唖然とする。最後となったTVシリーズMasterChef Celebrity21)を「もうこれ以上続けられない」と自ら降板した彼女は、痛々しく全くの別人のようだった。今思うと管理人が魅了された1980年代後半から90年代にかけてが全盛期だったのかもしれない。

 

  

 

キャリア&フィルモグラフィー195512月生れ、映画、舞台、TV女優。監督、製作者のホセ・マリア・フォルケ1995年没)を父親に、女優、作家、脚本家のカルメン・バスケス・ビゴ2018年没)を母親にマドリードで生まれた。2歳年上のアルバロ・フォルケ2014没)も監督、脚本家というシネアスト一家。1981マヌエル・イボラ監督と結婚(~2014)、マリア・フォルケを授かる。出演映画、TVシリーズを含めると3桁に近い。1972年ハイメ・デ・アルミリャンのMi querida señoritaで映画デビュー、70年代は父親の監督作品、ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェス、カルロス・サウラなどの映画に出演している。

 

       

   (第9回ゴヤ栄誉賞受賞の父ホセ・マリア・フォルケと娘ベロニカ、1995年)

 

★突拍子もないオカマ監督と批評家から無視されていたペドロ・アルモドバルが、その存在感を内外に示した『グローリアの憂鬱』84¿Qué he hecho yo para merecer esto?)に出演したことが転機となる。その後、『マタドール』86)、『キカ』でゴヤ賞1994主演女優賞を受賞、4個目のゴヤ胸像を手にした。1987年から始まったゴヤ賞では、第1回目にフェルナンド・トゥルエバの『目覚めの年』助演女優賞、第2回目となる1988年は、フェルナンド・コロモのLa vida alegre主演、ルイス・ガルシア・ベルランガのMoros y cristianos助演のダブル受賞となった。ゴヤ胸像は4個獲得している。コロモには「Bajarse al moro」(89)でも起用されており、ゴヤ賞にノミネートされている。

   

  

         (カルメン・マウラと、『グローリアの憂鬱』から)

   

      

 (共演のロッシ・デ・パルマと、『キカ』のフレームから)

 

90年代はマヌエル・ゴメス・ペレイラのSalsa rosa91)で始まった。他にマリオ・カムスのAmor propio93)、フェルナンド・フェルナン=ゴメス、ジョアキン・オリストレル(95¿De qué se ríen las mujeres?)、ダビ・セラノ、クララ・マルティネス・ラサロ、フアン・ルイス・イボラの「Enloquecidas」(08)、1981年に結婚したマヌエル・イボラ作品には、El tiempo de la felicidad97)、カルメン・マウラと性格の異なった姉妹を演じたClara y Elena01、クララ役)、La dama boba06)などに多数出演している。最後の作品となったのが若手のマルク・クレウエトのEspejo, espejo21)で、スペイン公開は2022年になる。多くの監督が鬼籍入りしているが、例えばフェルナン=ゴメス(2007年)、マリオ・カムスは今年9月に旅立ったばかりである。他にマラガ映画祭2005の最高賞マラガ賞2014年バジャドリード映画祭エスピガ栄誉賞2018フェロス栄誉賞1986年『グローリアの憂鬱』でニューヨークACE賞、他フォトグラマス・デ・プラタ賞、サンジョルディ賞、ペニスコラ・コメディ映画祭など受賞歴多数。

 

     

       (2018年のフェロス栄誉賞のトロフィーを手にしたベロニカ)

 

TVシリーズでは、1990年のEva y Adan, agencia matrimonial20話、エバ役)と1995年のマヌエル・イボラのPepa y Pepe34話、ペパ役)でテレビ部門のTP de Oro 女優賞を受賞している。後者は2シーズンに渡って人気を博したコメディでした。TVミニシリーズDías de Navidad193話)の1話に出演している。Netflixが『クリスマスのあの日私たちは』の邦題で配信しています。最後のTV出演となった「MasterChef Celebrity」は、12歳の少女に戻れる」と語っていたが、自ら降板することになった

 

   

              (ペペ役のティト・バルベルデと、TVPepa y Pepe」から

 

   

    (共演者エドゥアルド・ナバレテと、TVMasterChef Celebrity」から)

 

★舞台女優としては、1975年のバリェ=インクランのDivinas palabras(『聖なる言葉』)、1978年のテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』1985年には後に映画化もされたBajarse al moro」、ホセ・サンチス・シニステラが1986年発表した¡ Ay, Carmela !1987年と2006年にカルメラ役で主演した。この戯曲はカルロス・サウラによって映画化され、日本では『歌姫カルメーラ』(90)の邦題で公開された。こちらはカルメン・マウラが演じている。2019年フリアン・フエンテス演出のLas cosas que sé que son de verdadで、演劇界の最高賞と言われるMax2020主演女優賞を受賞している。

 

     

Max賞を受賞したベロニカ・フォルケ、プレゼンターは盟友マリア・バランコ、

 マラガのセルバンテス劇場、202098日)

 

★ベロニカがファンや友人、そして同僚から如何に愛されていたかは、会葬者の顔ぶれを見れば分かります。ゴヤ賞のガラでもこんなに多くないでしょう。14日のサンイシドロ葬儀場でのお通夜には、MasterChef Celebrity」の共演者エドゥアルド・ナバレテ、ミキ・ナダル、タマラ、アナ・ベレンとビクトル・マヌエル夫妻、アイタナ・サンチェス=ヒホン、シルビア・アバスカル、ベレン・クエスタ、ヨランダ・ラモス、ペポン・ニエト、カエタナ・ギジョン・クエルボ、アントニオ・レシネス、エンリケ・セレソ、バネッサ・ロレンソ・・・。

 

15日のお別れの会(午前11時~午後4時)に馳せつけた友人や同僚たちは、泣き顔をサングラスとマスクで防御していた。コロナウイリスはセレブの匿名性に役立ちました。多くがマスコミのインタビューには言葉少なだったということです。11時に姿を見せたパコ・レオンは「ベロニカは陽気さと感性豊かな人でした。陽気さは皆がもつことのできる美しいものですが、彼女はそれをもっていました」と語り、午後3時に母親のカルミナ・バリオスを伴って再び姿を見せました。カルミナはテレビでの共演者、大きな赤い薔薇の花束を抱えていました。

 

★マリベル・ベルドゥとアイタナ・サンチェス=ヒホンが腕を組んで足早に立ち去った。先輩後輩の俳優たち、ベアトリス・リコ、スシ・サンチェス、マリア・バランコ、歌手マシエル、アントニオ・レシネス、フアン・ディエゴ、チャロ・ロペス、ホセ・ルイス・ゴメス、フアン・エチャノベ、ティト・バルベルデ、フェレ・マルティネス、フアン・リボ、カルロス・イポリト、ホルヘ・カルボ、ビッキー・ペーニャ、マルタ・ニエト、アントニア・サン・フアンなどの俳優たち、監督ではパウ・ドゥラ、マヌエル・ゴメス・ペレイラ、フアン・ルイス・イボラ、ハイメ・チャバリ、脚本家のヨランダ・ガルシア・セラノ、舞台演出家ダビ・セラノ、マリオ・ガスなど。通りには100人以上のジャーナリストやファンがつめかけ、彼女がスペイン魂に火をつけた80年代のコメディに感動を分かち合った。スペイン映画は80年代や90年代のコメディやドラマ抜きに理解することはできません。

 

★コメントを残した政治家たちには、文化スポーツ大臣ミケル・イセタ、マドリード市長マルティネス・アルメイダと副市長ベゴーニャ・ビジャシス、マドリード・コミュニティ会長ディアス・アヤソと文化大臣リベラ・デ・ラ・クルス、ICAA会長ベアトリス・ナバス・バルデス、他スペイン下院議員たち多数。

 

     

           (文化教育スポーツ大臣ミケル・イセタ氏)

 

★印象的なキャリアをもつアーティストのマリア・フォルケを通じてファンになった別の世代、マリアの冒険仲間のグループも駆けつけました。ベロニカに別れの手紙を捧げました。ガルシア・ロルカの最後の詩 Doña Rosita la soltera の断片が書かれたポスターが掲げられ、それは「夜の帳が降りるとき、しなやかな金属の角、そして星が流れる、風が消えるあいだに、暗闇の境めで、落葉しはじめる」(拙訳)で閉じられていた。

 

★スペイン映画アカデミー会長マリアノ・バロッソは「彼女は悲しい泣きピエロのように、自分が抱えていた痛みを隠し続けました。今私は映画界の愛と尊敬を伝えることしかできません」と。弟アグスティンと一緒に参列したペドロ・アルモドバルは「ベロニカはコメディに特別な才能を発揮しました。人々を笑わせる能力に秀でていて、幼い頃の無邪気さを失っていなかった。天使と一緒に、私は私の人生でもっとも面白い映画をつくることができました」。また最近のベロニカについては「彼女は私が知っているベロニカではありませんでした。私が覚えているのは、とても幸せで、信じられないほどコミカルな女優でした。とても世話好きで皆の力になりました。彼女は夫とうまくいかず、数年前にお兄さんを失くしました。時間は彼女の感情をうまく扱いませんでした。これらの問題と闘う武器を持っていると思っていましたが、現実は私たちにノーと言ったのです」と付け加えました。

           

            

         (インタビューに応じるペドロ・アルモドバル監督)

 

★マヌエル・イボラと離婚した同じ2014年の大晦日に、尊敬もし頼りにもしていた兄アルバロが鬼籍入りした。このことが彼女に精神的なダメージを与え、深刻な鬱状態になったことは周知の通りです。20183月の母親の旅立ちも痛手だったのではないでしょうか。午後4時からの出棺まで待っていた200人ほどの人々が数分間拍手喝采して柩を見送りしました。内輪だけで荼毘に付すため、エル・エスコリアルの遺体安置所に運ばれて行きました。嘆いてもきりがありません、「どうかよい旅でありますように、ベロニカ」

 

以下の写真は代表作としてメディアが作成したものです。上段左から、TVシリーズ「Eva y Adan, agencia matrimonial」、『キカ』、TVシリーズ「Pepa y Pepe」、舞台『歌姫カルメーラ』、下段左から、「Amor propio」、「Bajarse al moro」、「Enloquecidas」、Las cosas que sé que son de verdad」の順です。

   

     


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://aribaba39.asablo.jp/blog/2021/12/21/9449698/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。