フェルナンダ・バラデスの 『息子の面影』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑪ ― 2020年11月26日 10:20
豊かなアメリカに一番近い国メキシコの苦悩――メタファーを読みとく

★フェルナンダ・バラデスの『息子の面影』は、北の豊かな大国アメリカに一番近い国メキシコの不幸と苦悩を静かに訴えている。バラデス監督が主役マグダレナにメルセデス・エルナンデスを念頭に脚本を書きすすめていき、メルセデスも台本を見ることなしにオーケーしたという信頼関係が伝わってくる秀作でした。自然の静寂と人間の暴力のコントラスト、秩序の崩壊、自分探しの若者たち、麻薬密売カルテルの恐怖、母親の揺るぎない子供への愛、苦悩するメキシコから届いた苦いクリスマス・プレゼント。2014年9月26日の夜に起きた、メキシコ南部ゲレロ州イグアラ市アヨツィナパ教員養成学校の学生たち43名の謎の失踪事件や、2018年6月に起きたオカンポ市長選挙候補者の射殺事件などが背景にあるようです。本日から配信が開始されたアイ・ウェイウェイのドキュメンタリー『ビボス~奪われた未来』は前者がテーマ、この世界の注目を集めた未解決事件の不条理が今日のメキシコを象徴している。
『息子の面影』(原題「Sin señas particulares」、
英題「Identifying Features」)
製作:Corpulenta Producciones / Avanti Pictures
監督:フェルナンダ・バラデス
脚本:フェルナンダ・バラデス、アストリッド・ロンデロ
撮影:クラウディア・べセリル・ブロス
美術:ダリア・レイェス
編集:フェルナンダ・バラデス、アストリッド・ロンデロ、スーザン・コルダ
録音:ミサエル・エルナンデス、(サウンド・デザイン)オマル・フアレス
音楽:クラリス・ジェンセン(オリジナル・ミュージック)
製作者:フェルナンダ・バラデス、アストリッド・ロンデロ、ジャック・サガ・カバビエ、ヨシー・サガ・カバビエ、ほか
データ:製作国メキシコ=スペイン、スペイン語・サポテコ語・英語、2020年、ドラマ、97分、公開スペイン11月27日、ドイツ12月10日、フランス12月16日
映画祭・受賞歴:SSIFF2019「シネ・エン・コンストルクシオン36」受賞、サンダンス映画祭2020ワールド・シネマ部門観客賞&特別審査員脚本賞、トゥールーズFFシネラテン部門オフィシャル・セレクション、MOOOVE映画祭(ベルギー)ユース賞、カルロヴィ・ヴァリFFオフィシャル・セレクション、平昌ピョンチャンFFグランプリ、サンセバスチャンFFホライズンズ・ラティノ部門オリソンテス・ラティノス賞&スペイン協力賞、ロンドンFF、東京国際FFワールド・フォーカス部門、チューリッヒFF作品賞ゴールデン・アイ賞、モレリアFF観客賞・女優賞・作品賞、テッサロニキFFコンペティション部門、ストックホルムFFコンペティション部門、トリノFFオープニング作品、他インターネット、バーチャルシネマ多数

(オリソンテス・ラティノス賞&スペイン協力賞の賞状を手にした監督、SSIFF授賞式)
キャスト:メルセデス・エルナンデス(マグダレナ)、ダビ・イジェスカス(ミゲル)、フアン・ヘスス・バレラ(メルセデスの息子ヘスス)、アナ・ラウラ・ロドリゲス(オリビア)、アルマンド・ガルシア(リゴ)、ラウラ・エレナ・イバラ(リゴの母チュヤ)、シコテンカティ・ウジョア(リゴの父ペドロ)、ジェシカ・マルティネス・ガルシア(看護師)、リカルド・ルナ(国家公務員)、フリエタ・ロドリゲス(検視官)、ベルタ・デントン・カシーリャス(レヒス)、カルメン・ラモス(レヒスのボイス)、マヌエル・カンポス(アルベルト・マテオ)、アルカディオ・マルティネス・オルテガ(マテオのボイス)、ナルダ・リバス(マテオの孫)、ほか宿泊施設やバス会社の職員、麻薬カルテルのシカリオなどエキストラ多数
ストーリー:マグダレナは2ヵ月前、国境行きのバスに乗ってアメリカに向かったまま連絡の途絶えた息子を探す旅に出る。一緒に出掛けた友人が無言の帰宅をしたからだ。メキシコの寂れた町や静かな自然の中を旅するなかでミゲルと名乗る青年に出会う。アメリカから強制退去されたばかりの青年は、長い不在のあと、母親との再会を求めて故郷オカンポを目指していた。道連れになった二人、一人は愛する息子を探す母親マグダレナ、もう一人は故郷の母親に許しを求めたい青年ミゲル、二人の犠牲者は危険な加害者たちが蔓延している危険地帯を一緒にさまようことになる。たとえ罪びとになろうとも母の深い愛に変わりはない。 (文責:管理人)
★監督紹介:フェルナンダ・バラデス、1981年グアナフアト生れ、監督、脚本、製作、編集。2006年メキシコの映画養成センターCCCに入学、既に26歳とかなり遅い出発だった。2014年、アストリッド・ロンデロと制作会社EnAguas Cineを設立する。ロンデロは本作の共同脚本家・編集者、また美術を手掛けたダリア・レイェスのChulada Films ともコラボしている。製作者としては自身の3作を含めて7作ほどプロデュースしている。代表作がアストリッド・ロンデロのデビュー作「Los días más oscuros de nosotras」(17)である。ボゴタ映画祭2018の作品賞、ロス・カボス映画祭2017のメキシコ賞を受賞している。ロンデロもバルデスの長編デビュー作や短編2作をプロデュースしている。女性作家輩出の胎動を予感させる。現在はメキシコシティに住んでいる。

(バラデス監督と脚本&編集を手掛けた盟友ロンデロ監督、サンダンス映画祭2020にて)
★短編映画デビューは、2010年「De este mundo」(26分)監督、脚本、製作、編集。長編デビュー作のもとになった短編第2作目「400 Maletas」(14、23分、CCC製作)でも監督、脚本、製作、編集を担当、サンティアゴ短編映画祭、サンパウロ・ラテンアメリカ映画祭に出品された。メルセデス・エルナンデスが母親マグダレナ、長編で合衆国から退去させられるミゲルを演じたダビ・イジェスカスが行方不明になるマグダレナの息子に扮している。短編完成後に起きたアヨツィナパ失踪事件に着想を得て脚本を推敲、完成させたのが長編デビュー作である。

(本作とリンクする短編2作目「400 Maletas」のポスター)
★メルセデス・エルナンデスは舞台女優と二足の草鞋を履いている。ラテンビートで上映されたフランシスコ・バルガスの『バイオリン』(05)、ホルヘ・ペレス・ソラノの「La tirisia」ではアリエル賞2015の助演女優賞ノミネート、本作でモレリア映画祭2020の女優賞を受賞している。ほかTVシリーズ出演、アニメのボイス出演もしている。ダビ・イジェスカスは、ビューティフル・ロードムービーと言われた、ディエゴ・ルナの『ミスター・ピッグ』(16)に出ている。これからの俳優です。

(ある決心をしてミゲルの家に戻ろうと帰路を急ぐマグダレナ)

(ミゲルの家の前に佇むマグダレナ、窓際にミゲルの姿、本作から)
2014年のアヨツィナパの謎の集団失踪事件が背景にある
A: 本作はスクリーンで見たい映画、多分印象がかなり変わると感じました。裏で繰り広げられている暴力を無視したように進行のテンポはゆったり、荒涼としたグアナフアトの自然は、母親マグダレナの心象風景のようでした。彼女を取りまく空虚感に胸が塞がる。
B: 静寂そのもののオカンポのダム湖を飛び立つ自由な鳥、風にそよぐ木々や草、人間の不自由さや愚かさが迫ってきます。
A: 本作には上記したように2014年9月26日に突発したアヨツィナパ教員養成学校の学生43名の失踪事件が絡んでいます。真相と称されるものが一転二転して、謎は深まるばかり今もって未解決の事件、政府は解決済みとしたいところだが、犠牲者の家族のみならず国民の大半は納得していない。
B: 配信開始のドキュメンタリー『ビボス~奪われた未来』と合わせてご覧になると、現代メキシコの傷痕の深さが浮き彫りになります。
A: もう一つ、2018年6月のメキシコ中西部ミチョアカン州オカンポ市長選挙中に候補者が射殺された事件もヒントになっている。オカンポという地名は何か所かあり、ミゲルの故郷のオカンポとは別のようです。本作には何本もの柱があって、中心は母親の息子への変わらぬ愛ですが、メキシコが抱える苦悩を背景にしている。
B: 母親は生死が分からなくては生きていくことができない。生きているなら連絡があり、連絡がないならば死んでいると当局は言うが、証拠がなくては受け入れられない。息子ヘススと一緒に国境に向かったリゴは無言の帰宅をした。一緒に死んだなら遺体があるはずだ。ないならどこかで生きてるはず。
A: リゴの父親ペドロは、暮しに困っていたわけでもないのに「自分の人生を探し」に北に行きたいという息子に激怒して、親身に話し合わなかった自分を責める。息子を探しに行くマグダレナを車で国境まで送ってくれる。
B: 母親チュヤは、マグダレナに必要なら使ってとお金を渡す。麻薬密売組織の残虐性と対照的に、市井の人々の優しさが丁寧に挿入されていて、希望のほのかな明かりを感じさせた。

(アリゾナ行を母親に告げるヘスス)

(母親に別れの手を振るヘススとリゴ)

(軽トラで国境までメルセデスを送っていくペドロ)
A: メキシコ人の連帯感は強い。バス会社の受付の年配の男性、移民用の宿泊施設の係官、ボートでダムの対岸まで運んでくれた漁師など、記憶に残る人物を多々登場させている。
B: それに対して若者たちはどうでしょうか。北に向かう理由は経済的理由だけでない、今より少しでも良くなりたい、自分には違う人生があるはずだ、という若者が抱く願望が不幸を呼び込んでいる。常に危険が待ち受けていることを無視している。
A: 最初は身の危険を感じてマグダレナを故郷に帰そうとする人々も、結局は情報を与えてマグダレナを助ける。例えばヘススと同じバスに乗り合わせて生き残った老人マテオの居場所を教えるレヒナの例、カメラは後ろ姿を映すだけで会話は声だけでした。レヒナもさりげなくお茶をすすめるなどゲイが細かい。
B: 風景描写だけでなく室内シーンでも、撮影監督クラウディア・べセリル・ブロスのフレームは素晴らしかった。ボイスにしたのは「壁に耳あり障子に目あり」で、職務上知りえた事実も知らなかったことにする。他言は直ちに危険が身に及ぶという事実を示唆している。
A: 国境地帯では他人を信用してはならないのです。マグダレナはレヒナにとって他人です。次々に身元不明の遺体が運び込まれてくるのが現状です。因みにレヒナのボイス出演をしたカルメン・ラモスは、短編「400 Maletas」に出演、他に当ブログでご紹介したアロンソ・ルイスパラシオスのデビュー作『グエロス』(16)に出ている。
マグダレナ、チュヤ、オリビア、息子を探す3人の母親と父親の不在
B: 冒頭部分で白内障の手術をしているシーンがあり、思わずブニュエルの『アンダルシアの犬』を思い出してしまった。この眼科医が4年前にモンテレイの友人を訪ねると言い残したまま行方不明になった息子ディエゴの母親であることが分かってくる。
A: 眼科医オリビアを演じたアナ・ラウラ・ロドリゲスについては、本作では重要な役柄ですが、IMDbにも載っていなかった。冒頭の4~5分で行方不明の息子を探す3人の母親が出揃う。白内障手術のメタファーは、国民が目を覚ましてほしいという願望がこめられているようだが、シカリオの残虐をとどめるのは、利害が複雑に絡まって絶望的です。

(字の読めないマグダレナを手助けするオリビア)
B: 政治家と警察がカルテルから雁字搦めにされている。アヨツィナパ然り、オカンポ市長候補者殺害然り、調査に入った世界も沈黙させられてしまっている。隣国の大国が絡んでいるから複雑です。
A: ディエゴのように何かの事件に巻き込まれて突然姿を消すことは、ここメキシコでは珍しくない。消息不明のケースもさまざま、合衆国への越境だけが理由ではない。
B: オリビアは、検視官から「2週間前のバス襲撃事件の犠牲者の一人」と説明されるが、焼け焦げた息子の遺体からは識別は難しい。
A: しかしDNA判定が一致したことで自身を納得させるしかない。そうしないと息子を弔うことすらできないからです。マグダレナにもオリビアにも、夫の存在が希薄でした。最後にマグダレナが法的に独身だった事実を観客は知るのですが。
B: ヘスス、ディエゴ、さらにいえばミゲルにも父親が不在だった。父親不在はラテンアメリカ映画の特徴の一つです。

(米国からメキシコに帰国するミゲル)
A: マグダレナが非識字者なのは早い段階で観客に知らされるが、襲撃されたバスに乗り合わせた老人マテオはスペイン語を解さなかった。先住民の言語サポテコ語しか分からない。
B: 主にオアハカ州で話されている言語のようですが地理的には離れている。スペイン語を解さない人口が3%以上いるということですから、相当な数です。
A: ナワトル、マヤ、ミシュテカなどが有名ですが、時間とともに消滅していく言語もある。サポテコ語は国民同士の意思疎通の困難さのメタファーとして挿入されている。
B: 本作では森の中で死体を焼く炎の中から現れる悪魔のシルエットなどメタファーが多い。悪魔は悪の象徴として登場させているのでしょうが、残虐性、秩序の崩壊のシンボルでもある。最後にマグダレナが見る悪魔はどう理解したらよいか、観客に委ねられる。
A: 映画のなかで暴力をただの暴力として描くのは避けたい。私たちはあまりに多くの暴力を目にしていますからストレートな暴力は見たくない。勢い観客の想像力に頼ることになる。
B: 本作では焚火の炎、蝋燭の炎、暖房の炎、車のライトや懐中電灯の灯り、月光などが効果的に使われていました。全体が暗い色調なのでコントラストが際立っていた。半月から満月に移り変わることで時間の流れを表現しているなど、本作は見る人によって感想が違うかもしれない。

(炎の中から立ち現れる悪魔は何を意味しているのか?)
A: 衝撃の結末については、配信中ですからさすがに書けない。しかし注意深くダイヤローグに耳澄ませば、伏線が張ってあるので想像できなくはありません。
最近のコメント