ポルトガル映画 『モラル・オーダー』*ラテンビート2020 ⑧2020年11月01日 22:37

       ポルトガル映画――マリオ・バローゾの第3作目『モラル・オーダー』

 

      

 

『モラル・オーダー』は、東京国際映画祭TIFFTOKYOプレミア2020」部門でスクリーン上映される作品。マリオ・バローゾ1947年リスボン生れ、マノエル・ド・オリヴェイラジョアン・セーザル・モンテイロの撮影監督として知られている。本作は20世紀初頭に実在した大新聞社の相続人マリア・アデライデ・コエーリョ・ダ・クーニャがヒロイン、ポルトガル映画ではないがフィリップ・カウフマンの『ヘンリー&ジェーン/私が愛した男と女』(90)や、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』(94)に出演したマリア・デ・メディロスが扮する。特に後者はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したこともあって脇役ながら注目された。ポルトガル語のほか幼少期をウィーンで過ごしたことからドイツ語、更にフランス語、英語、スペイン語、イタリア語と6ヵ国語を駆使して120本もの映画に出演、活躍の舞台は広い。フィルモグラフィーについては後述します。

  

      

 

『モラル・オーダー』(「Ordem Moral」)

製作:APMAna Pinhão Moura Produções / Alfama Films / Leopardo Films 

監督・撮影:マリオ・バローゾ

脚本:カルロス・サボーガ

音楽:マリオ・ラジーニャ

編集:パウロ・MilHomens

美術:パウラ・Szabo

衣装デザイン:Rucha Orey

プロダクション・マネージメント:フィリペ・フェレイラ

製作者:パウロ・ブランコ、(エグゼクティブ)Ana Pinhão Mouraアナ・ピニャン・モウラ?

 

データ:製作国ポルトガル、ポルトガル語、2020年、実話、101分、撮影地リスボン、公開ポルトガル99日、フランス930日、スペイン10

映画祭・受賞歴:バレンシア映画祭202010月)、サンパウロ映画祭(1022日)、東京国際映画祭(11月)、ラテンビート(オンライン上映11月)

 

キャスト:マリア・デ・メディロス(マリア・アデライデ・コエーリョ・ダ・クーニャ)、マルセロ・ウルジェージェ(アルフレド・ダ・クーニャ)、ジョアン・ペドロ・マメーデ(マヌエル・クラロ)、ジョアン・アライス(ジョゼ・エドゥアルド)、アルバノ・ジェロニモ、他多数

 

ストーリー19181113日、日刊紙「ディアリオ・デ・ノティシアス」の相続人マリア・アデライデは、何の前触れもなく22歳年下の家族お抱えの運転手マヌエル・クラロと姿を消す。マヌエルの生れ故郷に隠れ住んでいたが、間もなく夫アルフレドによって探し出される。第一次世界大戦後の混乱期、愛を貫徹するために精神病院に入れられても闘い続け信念を貫き通した女性の物語。大スキャンダル事件として歴史に残る。

 

★ポルトガル社交界の一大スキャンダルだったこの失踪事件は、かなり詳細な史実が書き残されている。しかしどれくらいお化粧直しされて映画化されているかは、実際に鑑賞してみないと分からない。これは愛ゆえの単なる駆け落ち事件ではなく、当時のポルトガルで女性がおかれていた社会的地位の低さを糾弾した勇気ある女性の物語です。続きは鑑賞後に回したい。下の写真は実際の登場人物。

 

      

    (左から、一人息子ジョゼ、マリア・アデライデ、夫アルフレド・ダ・クーニャ)

    

   

           (マリア・アデライデの恋人マヌエル・クラロ)

  

               マノエル・ド・オリヴェイラとの初仕事は俳優でした

 

マリオ・バローゾMário Barroso は、1947年リスボン生れ、監督、脚本家、撮影監督、俳優。バローゾの他、バーローゾ、バロッソなどに表記されるため解説書によってはマリオ・バロッソの表記もある。1968年ベルギーで舞台演出、1973年からパリの映画高等学院IDHECで演出と撮影技術を学び、1967年ポルトガルに帰国した。当時のポルトガルはカーネーション革命(19744月)と称される無血革命後の混乱期であったが、48年間に及ぶ独裁体制が倒れて民主主義に移行した新しい時代だった。もっぱらTVドラマの撮影を担当している。TVドラマの監督デビューは2000年、長編映画デビューは2004年のO Milagre segundo Salomé(ポルトガルのゴールデングローブ賞2005ノミネート)だった。2008年に撮った第2作目Um Amor de Perdiçãoでは、同ゴールデングローブ賞2010作品賞を受賞した。第3作目が本作である。4作手掛けているTVドラマでは撮影は担当していないが、映画は3作とも撮影を兼ねている。現在はIDHECで後進の指導にも当たっている。

   

               

          (ポルトガル・ゴールデングローブ賞2010受賞の第2作)

  

   

                    (最近のマリオ・バローゾ監督)

 

マノエル・ド・オリヴェイラ(ポルト19082015)の作品に出演していた女優マリア・バローゾが叔母ということで、早くから監督とは面識があった。撮影監督を希望していたが、初仕事は『フランシスカ』81)に俳優として起用された。それは登場人物の19世紀ロマン派の大作家カミーロ・カステーロ・ブランコに顔が似ていたからだそうです。撮影監督としてオリヴェイラ作品には合計6作を手掛けています。俳優としては作家の晩年を描いた第3作目『絶望の日』92)と、2014年の短編O Velho do Resteloに同じカミロ役で出演しています。以下にオリヴェイラ作品を羅列しておきますが、本格的な監督デビューが遅いと言っても、普通なら引退していてもおかしくない年齢の1992年から95年まで、毎年1作ずつ送り出していたオリヴェイラの執念に圧倒されます。

 

             

 (カミーロ・カステーロ・ブランコを演じた『絶望の日』から)

   

         

                          (撮影監督マリオ・バローゾ)

  

 *マノエル・ド・オリヴェイラ作品*

1981年『フランシスカ』俳優、1993年ポルトガル映画祭上映

1986年『私の場合』初撮影監督、未公開

1988年『カニバイシュ』撮影監督第2作目、1993年ポルトガル映画祭上映

1992年『絶望の日』撮影監督第3作目、俳優、未公開

1993年『アブラハム渓谷』撮影監督第4作目、語り手、1994年公開

1994年『階段通りの人々』撮影監督第5作目、俳優、1995年公開

1995年『メフィストの誘い』撮影監督第6作目、1996年公開

    

★第4作目の『アブラハム渓谷』はカンヌ映画祭併催の「監督週間」に出品され審査員特別賞を受賞した作品。本作ではナレーターにも起用されている。バローゾによると「子供のころ詩の朗読をしたおかげで一語一語はっきり発音する訓練をしたから」オリヴェイラが気に入ったのではないかと語っている。オリヴェイラは厳しい人だったが寛容な人で、信条の人、理念の人でもあったとも語っている。

   

          

       (話題作『アブラハム渓谷』から主演のレオノール・シルヴェイラ)

 

                   ジョアン・セーザル・モンテイロの撮影監督時代

 

★オリヴェイラ作品の以後タッグを組んだのがジョアン・セーザル・モンテイロ(コインブラ県フィゲイラ・ダ・フォス1939~リスボン2003)で、モンテイロの「ジョアン・デ・ゼウス」三部作、シリーズの第2作目『神の喜劇』と3作目『神の結婚』を手掛けている。このシリーズでは監督自身がポルトガル生れの聖人ジョアン・デ・ゼウスを演じている。モンテイロは200323日癌に倒れたから、結果的には彼の晩年の作品すべてを手掛けたことになる。マリオ・バローゾはポルトガルでも実に個性的な二人の監督とタッグを組んだことになる。それはショットとかフレーミングのとり方、または照明などに強く影響をうけていることが分かる。

 

        

     (ジョアン・セーザル・モンテイロ、『神の喜劇 / ジェラートの天国』から)

   

 *ジョアン・セーザル・モンテイロ作品*

1995年『神の喜劇』撮影監督、「ジョアン・デ・ゼウス」シリーズ第2作目。

   ベネチア映画祭出品、シネフィル・イマジカで『ジェラートの天国』の邦題で放映

1997年『J..の腰つき』撮影監督、ポルトガル映画講座1999上映

1999年『神の結婚』撮影監督、「ジョアン・デ・ゼウス」シリーズ第3作目。

    カンヌ映画祭「ある視点」出品、ポルトガル映画祭2000上映

2000年『白雪姫』撮影監督、ベネチア映画祭出品、未公開

2003年「Vai e Vem 」(行ったり来たり)遺作、撮影監督、カンヌ映画祭出品

 

★製作者のパウロ・ブランコ(リスボン1950)は、1981年の『フランシスカ』からオリヴェイラの長編をプロデュースしており、バローズとは彼の長編第1作、2作に続いて今回も担当した。第1O Milagre segundo Salomé」では、バローゾ自身は監督賞を逃したが、ブランコがポルトガル・ゴールデン・グローブ作品賞を受賞した。エグゼクティブ・プロデューサーのAna Pinhão Mouraは、第1作ではライン・プロデューサーとして参画している。

   

★脚本家のカルロス・サボーガは、1936年モンテイロと同郷のコインブラ県フィゲイラ・ダ・フォス生れの監督、脚本家。国内外の受賞を多数手にしたラウル・ルイス『ミステリーズ 運命のリスボン』10、仏=ポルトガル)、チリ出身の監督バレリア・サルミエント『ナポレオンに勝ち続けた男~皇帝と公爵』12DVDタイトル)、両作ともパウロ・ブランコが製作、サルミエントは前者で編集を手掛けている。監督自身も73歳と決して若いといえないが、スタッフ陣ではベテランに支えられていることが分かる。

   

      ファシズムの復活は一種の国際的な錯乱――マリア・デ・メディロス

 

★キャスト紹介:マリア・デ・メディロスは、1965年リスボン生れ、監督、脚本家、女優(LB公式サイトに合わせてりますが、Medeiros メデイロスではないかと思います)。フランスで演技を学ぶ。映画デビューは1981年ジョアン・セーザル・モンテイロのSilvestre主役シルビア/シルヴェストレに抜擢された。当時15歳だったから既に40年のキャリアがある。今でもポルトガル映画が公開されることは稀なことだが、当時はより珍しいことだった。彼女の公開作品の多くがフランス映画ということもあってフランス女優と思われている。上述したように6ヵ国語に精通していることから海外からのオファーが顕著です。公式サイトにあるようにフィリップ・カウフマン『ヘンリー&ジェーン 私が愛した男と女』アナイス・ニン役、クエンティン・タランティーノ『パルプ・フィクション』のファビアン役は、彼女の紹介文では必ず引用される映画です。

 

  

 (ヘンリー・ミラー夫人ジェーン役のユマ・サーマンとマリア、『ヘンリー&ジェーン』から)

 

フィルモグラフィー紹介120本以上になるので、公開、または映画祭上映になった作品に絞って列挙しておきます。必ずしも代表作品ではありません。

監督名、製作国、主要言語を補足しました。

1990『ヘンリー&ジェーン 私が愛した男と女』(アメリカ)フィリップ・カウフマン、英語

1991年『神曲』(ポルトガル)マノエル・ド・オリヴェイラ、ポルトガル語

   ポルトガル映画祭1993上映

1993年『ゴールデン・ボールズ』(スペイン)ビガス・ルナ、西語

1994年『パルプ・フィクション』(アメリカ)クエンティン・タランティーノ、英語

1996年『私家版』(フランス)ベルナール・ラップ、仏語

2002年『死ぬまでにしたい10のこと』(スペイン=カナダ)イサベル・コイシェ、英語

2003年『ぼくセザール 10歳半1m39cm』(フランス)リシャール・ベリ、仏語

2007年『あたたかな場所』(フランス=イタリア)マルコ・S・プッチオーニ、伊語

   大阪ヨーロッパ映画祭2007、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭2008上映

2011年『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(フランス=ドイツ=ベルギー)

    マルジャン・サトラピ&バンサン・パロノー、仏語

2017年『荒野の殺し屋』(ブラジル)マルセロ・ガルヴァオン、ポルトガル語、Netflix配信中

2020年『モラル・オーダー』省略

 

      

 (マリアとマチュー・アマルリック、『チキンとプラム~』から)

    

   

                         (『モラル・オーダー』から)

 

★第51回ベネチア映画祭1994の最優秀女優賞ボルピ杯をテレサ・ビリャベルデTres Irmãos(ポルトガル=フランス=ドイツ合作、ポルトガル語・スペイン語)で受賞している。バレンシア映画祭2020棕櫚栄誉賞を受賞したばかりです。当映画祭でのインタビューでは、「ファシズムの復活は一種の国際的な錯乱、映画をつくるのは闘いです」と語っている。クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』で監督に同行してカンヌ入りしたときの逸話、監督作品Aos Nossos Filhos19)などは鑑賞後にアップしたい。

   

                   

               (バレンシア映画祭2020にて)