『日曜日の憂鬱』 ラモン・サラサールの新作*ネットフリックス2018年06月21日 12:37

            母と娘の対決はスシ・サンチェスとバルバラ・レニーの女優対決

 

     

★ベルリン映画祭2018「パノラマ」部門に正式出品されたラモン・サラサールの第4作目La enfermedad del domingo(「Sunday's Illness」)が、『日曜日の憂鬱』という若干ズレた邦題で資金を提供したネットフリックスに登場いたしました。三大映画祭のうち大カンヌは別として、ベルリナーレやベネチアはNetflixを排除していません。観て元気がでる映画ではありませんが、デビュー作『靴に恋して』同様シネマニア向きです。母娘に扮したスシ・サンチェスバルバラ・レニーの女優対決映画でしょうか。以下に既に紹介しているデータを再構成してアップしておきます。

La enfermedad del domingo」の内容、監督キャリア紹介記事は、コチラ20180222

 

La enfermedad del domingo(「Sunday's Illness」)

製作:Zeta Cinema / ON Cinema / ICEC(文化事業カタルーニャ協会)/

     ICOInstituto de Credito Oficial/ICAA / TVE / TV3 / Netflix

監督・脚本:ラモン・サラサール

撮影:リカルド・デ・グラシア

音楽:ニコ・カサル

編集:テレサ・フォント

キャスティング:アナ・サインス・トラパガ、パトリシア・アルバレス・デ・ミランダ

衣装デザイン:クララ・ビルバオ

特殊効果:エンリク・マシプ

視覚効果:イニャキ・ビルバオ、ビクトル・パラシオス・ロペス、パブロ・ロマン、

     クーロ・ムニョス、他

製作者:ラファエル・ロペス・マンサナラ(エグゼクティブ)、フランシスコ・ラモス

 

データ:製作国スペイン、スペイン語・フランス語、2018年、113分、ドラマ、撮影地バルセロナ、ベルリン映画祭2018パノラマ部門上映220日、ナント・スペイン映画祭フリオ・ベルネ賞、観客賞受賞、スペイン公開223日、Netflix本邦放映 6

 

キャスト:バルバラ・レニー(キアラ)、スシ・サンチェス(母アナベル)、ミゲル・アンヘル・ソラ(アナベルの夫ベルナベ)、グレタ・フェルナンデス(ベルナベの娘グレタ)、フレッド・アデニス(トビアス)、ブルナ・ゴンサレス(少女時代のキアラ)、リシャール・ボーランジェ(アナベルの先夫マチュー)、デイビット・カメノス(若いときのマチュー)、Abdelatif Hwidar(町の青年)、マヌエル・カスティーリョ、カルラ・リナレス、イバン・モラレス、ほか牝犬ナターシャ

   

プロット8歳のときに母親アナベルに捨てられたキアラの物語。35年後、キアラは変わった願い事をもって、今は実業家の妻となった母親のもとを訪れてくる。理由を明らかにしないまま、10日間だけ一緒に過ごしてほしいという。罪の意識を押し込めていたアナベルは、娘との関係修復ができるかもしれないと思って受け入れる。しかし、キアラには隠された重大な秘密があったのである。ある日曜日の午後、キアラに起こったことが、あたかも不治の病いのように人生を左右する。アナベルは決して元の自分に戻れない、彼女の人生でもっとも難しい決断に直面するだろう。長い不在の重み、無視されてきた存在の軽さ、地下を流れる水脈が突然湧き出すような罪の意識、決して消えることのない心の傷、生きることと死ぬことの意味が語られる。母娘は記憶している過去へと旅立つ。                              (文責:管理人)

 

          短編「El domingo」をベースにした許しと和解

 

A: 前回触れたように、2017年の短編El domingo12分)が本作のベースになっています。キアラと父親が森の中の湖にピクニックに出かける。しかしママは一緒に行かない。帰宅するとママの姿がない。キアラは窓辺に立ってママの帰りを待ち続ける。出演はキアラの少女時代を演じたブルナ・ゴンサレスと父親役のデイビット・カメノスの二人だけです。ブルナ=キアラが付けているイヤリングをバルバラ=キアラも付けて登場する。不服従で外さなかったのではなく理由があったのです。

B: 多分家出した母親が置いていったイヤリング、アナベルなら一目で我が娘とわかる。スタッフはすべて『日曜日の憂鬱』のメンバーが手掛けており、二人は本作ではキアラが母親に見せるスライドの中だけに登場する。母娘はそれぞれ記憶している過去へ遡っていく。後述するがリカルド・デ・グラシアのカメラは注目に値する。

 

    

 (キアラが規則を無視して外さなかったイヤリングを付けた少女キアラ、短編El domingo

 

A: キアラの奇妙な要求「10日間一緒に過ごすこと」の謎は、半ばあたりから観客も気づく。お金は要らないと言うわけですから最初からうすうす気づくのですが、自分の予想を認めたくない。

B: 観客は辛さから逃げながら見ている。しかし、具体的には最後の瞬間まで分かりません。許しと和解は避けがたく用意されているのですが、歩み寄るには或る残酷な決断が必要なのです。

 

A: 二人の女優対決映画と先述しましたが、実際に母娘を演じたスシ・サンチェスバルバラ・レニーの一騎打ちでした。ほかはその他大勢と言っていい(笑)。来年2月のゴヤ賞ノミネーションが視野に入ってきました。

B: 「その他大勢」の一人、霊園で働いている飾り気のない、キアラの数少ない理解者として登場するトビアス役のフレッド・アデニスが好印象を残した。

  

    

 (撮影合間に談笑する、フレッド・アデニスとバルバラ・レニー、キアラの愛犬ナターシャ)

 

A: アデニスとベルナベの娘役グレタ・フェルナンデスは、イサキ・ラクエスタ&イサ・カンポの『記憶の行方』(「La próxima piel16Netflix)に出演している。二人ともカタルーニャ語ができることもあってバルセロナ派の監督に起用されている。グレタはセスク・ゲイの「Ficció」で長編デビュー、『しあわせな人生の選択』(「Truman)にもチョイ役で出演していた。

 

      

       (義母の過去を初めて聞かされるグレタ、グレタ・フェルナンデス)

 

B: フェルナンド・E・ソラナス作品やカルロス・サウラの『タンゴ』(98)などに出演したミゲル・アンヘル・ソラが、アナベルの現在の夫役で渋い演技を見せている。

A: アルゼンチン出身ですがスペイン映画の出演も多い。アルゼンチンの有名な映画賞マルティン・フィエロ賞を2回受賞しているほか、舞台でも活躍している実力者。フランスからアナベルの先夫マチュー役にリシャール・ボーランジェを起用、キャスト陣は国際色豊かです。

 

B: 本作と『記憶の行方』の導入部分は似てますね。ツララが融けていくシーンが音楽なしで延々と流れる。両作とも全体に音楽が控えめなぶん映像に集中することになる。

A: 音楽については後述するとして、マラガ映画祭2016の監督賞受賞作品です。カタルーニャ語映画でオリジナル題は「La propera pell」、作家性の強い、結末が予測できないスリラーでした。こちらもピレネーを挟んだスペインとフランスが舞台でした。

 

        「あまりに多くのことを求めすぎた」ことへの代償

 

B: ストーリーに戻ると、冒頭のシーンはピレネーの山間らしく樹間に湖が見える。映像は写真のように動かず無音である。祠のような大穴のある樹幹が何かを象徴するかのように立っている。若い女性が現れ穴の奥を覗く、これが主役の一人キアラであることが間もなく分かる。

A: この穴は伏線になっていて、後に母親アナベラの夢の中に現れる。湖も何回か現れ、謎解きの鍵であることが暗示される。シーンは変わって鏡に囲まれたきらびやかな豪邸の広間を流行のドレスを身に纏った女性がこちらに向かって闊歩してくる。ハイヒールの留め金が外れたのか突然転びそうになる。伏線、悪夢、鏡、悪い予感など、不穏な幕開けです。

 

       

            (樹幹の大きい穴を覗き込むキアラ)

 

B: 冒頭で二人の女性の生き方が対照的に描かれるが、最初はことさら不愛想に、無関心や冷淡さが支配している。なぜ母親は娘を置いて失踪したのか、なぜ娘は風変わりな願いを携えて、35年ぶりに唐突に母親に会いに来たのか、娘はどこに住んでいるのか、謎のまま映画は進行する。

A: 復讐か和解か、キアラの敵意のある眼差しは、時には優しさにあふれ、陰と陽が交互にやってくる。謎を秘めたまま不安定に揺れ動く娘、罪の意識を引きずってはいるが早く合理的に解決したい母、歩み寄るには何が必要か模索する。日曜日の午後、派手な化粧をして出ていったまま戻ってこない。それ以来、娘は窓辺に立って母を待ち続ける。娘にとって母の長い不在の重さは、打ち捨てられた存在の軽さに繋がる。

 

B: 母親が消えた8歳から溜め込んできた怒りが「お母さんにとって私は存在しない」というセリフになってほとばしる。「木登りが大好きだった」という娘のセリフから、帰宅する母親を遠くからでも見つけられるという思いが伝わってくる。ウソをつくことが精神安定剤だった。

A: アナベラは母よりも女性を優先させた。キアラが死んだことにしたマチューとの邂逅シーンで「あまりに多くのことを求めすぎた」と語ることになる。二人の青春は1960年代末、先の見えないベトナム戦争にアメリカのみならず世界の若者が反旗を翻し、大人の権威が否定された時代でした。

 

B: アナベラもマチューも辛い記憶を封印して生きてきた。「遠ざけないと生きるのに邪魔になる思い出がある」と、今は再婚してパリで暮らしているマチュー。

A: 記憶はどこかに押し込められているだけで消えてしまったわけではない。しかし辛い過去の思い出も作り直すことはできる。楽しかった子供の頃のフィルムを切り貼りして、別の物語を作ってキアラは生きてきた。

 

         

     (光の当て方が美しかった、スライドを見ながら過去の自分と向き合う母娘)

 

B: 全体的に音楽が入るシーンは少なく、だからアナベラがママ・キャスのバラード「私の小さな夢」の曲に合わせて踊るシーンにはっとする。外にいると思っていたキアラが部屋の隅にいて、踊っている母を見詰めて笑っている。そして「楽しそうでよかった」というセリフが入る。

A: 緊張が一瞬ほどけるシーン、「私の小さな夢」は1968年発売のヒット曲、アナベラの青春はこの時代だったわけです。ママ・キャスは絶頂期の32歳のとき心臓発作で亡くなったが、父親を明かさない娘がいたことも話題になった。時代設定のためだけに選曲したのではなさそうです。

 

B: 1968年当時、アナベラがマチューと暮らしていただろうフランスでは、怒れる若者が起こした「五月革命」が吹き荒れた時代でもあった。キアラが母親を連れ帰った家は、ピレネー山脈の山間の村のようです。今はキアラが愛犬のナターシャと住んでいるが、35年前は親子三人で暮らしていた。

A: フランス側のバスクでしょうか。「ラ・ロッシュの先は迷うから危険」という村人のセリフから、レジオン的にはヌーヴェル=アキテーヌ地域圏かなと思います。実際そこで撮影したかどうか分かりませんし、この地名に何か意味があるのかどうかも分かりません。

 

          キアラは「キアラ・マストロヤンニ」から取られた名前

 

B: キアラというイタリアの名前を付けた理由は「イタリアのナントカという苗字は忘れたが、その俳優の娘から取った」とアナベル。それでマルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴの娘キアラ・マストロヤンニから取られたと分かる。

A: フランスの女優キアラ・マストロヤンニのこと。二人の初顔合せはフェリーニの『ひきしお』(71)で、正式には結婚しませんでしたが、娘は1972年生れです。ですからキアラ誕生はそれ以降となり、現在は2016年頃の設定になっているようです。多分マチューとアナベルも籍は入れなかった設定でしょうね。アナベルが消えてしまう一つの理由が映画をやりたいからでした。

 

B: 残された娘はやれ切れない。情緒不安定、起伏の激しい人格を演じるのにバルバラ・レニーは適役です。非日常的な雰囲気をつくるのが得意です。

A: スシ・サンチェスは、もっと上背があると思っていましたが、意外でした。バルセロナの豪邸では大柄に見えましたが、だんだん小さくなっていくように見えた。その落差が印象的でした。来年の話で早すぎますすが、二人ともゴヤ賞2019女優賞ノミネートは確実ですね。

 

     

                        (自宅の客間を闊歩するアナベル)

 

B: ゴヤ賞ついでに撮影監督リカルド・デ・グラシア1972年、マドリード)について触れると、こちらもゴヤ賞ノミネートは間違いないのではないか。心に残るシーンが多かった。

A: サラサール監督の第2作、コメディ・ミュージカル20 centimetros、第310.000 noches en ninguna parteほか、本作のベースになった短編El domingoも手掛けています。ほかの監督では、アレックス・ピナの「KAMIKAZE」(14)、IMDbによればTVシリーズでも活躍している。

                

   (山の斜面を急降下するアナベルとキアラ)

    

B: 冒頭のシーンから惹きつけられます。特に後半、母に抱かれたキアラが雪の積もった山の斜面に敷かれたレールを急降下してくるシーン、ジェットコースターに乗れない人は汗が出る。前方にカメラを積んで撮影したようです。

A: 夜の遊園地で回転木馬がゆっくり回る光のシーン、二人でスライドを見るシーン、最後の静謐な湖のシーン。ただ美しいだけでなく、カメラの目は二人の女優の演技を引き立たせようと周到に向けられている。総じて会話が少ない本作では、俳優の目の演技が要求されるからカメラの果たす役目は大きい。

B: 映像美という言葉では括れない。カメラが映画の質を高めていると感じました。

 

      

       (撮影中のサラサール監督と撮影監督リカルド・デ・グラシア)

 

 

  主要キャスト紹介     

バルバラ・レニーは、『マジカル・ガール』(14、カルロス・ベルムト)以来日本に紹介された映画、例えば『インビジブル・ゲスト悪魔の証明』(16、オリオル・パウロ)、『家族のように』(17、ディエゴ・レルマン)と、問題を抱えこんだ女性役が多い。サラサール作品に初出演、本作で着るダサい衣装でもその美しさは際立つ。彼女の普段着、母親アナベルの豪華な衣装は、母娘の対照的な生き方を表している。

バルバラ・レニーのキャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ2015年0327

 

    

         (35年ぶりに対面する母と娘、バルセロナの豪邸)

 

スシ・サンチェス1955、バレンシア)は、今まで脇役専門でトータル70作にも及ぶ。本作では8歳になる娘を残して自由になろうと過去を封印して別の人生を歩んでいる母親役に挑んだ。日本初登場は今は亡きビセンテ・アランダの『女王フアナ』(01、俳優組合賞助演女優賞ノミネート)のイサベル女王役か。他にもアランダの『カルメン』(04)、ベルリン映画祭2009金熊賞を受賞したクラウディア・リョサの『悲しみのミルク』(スペイン映画祭09)、ベニト・サンブラノの『スリーピング・ボイス~沈黙の叫び』(11)、アルモドバル作品では『私が、生きる肌』(11、俳優組合賞助演女優賞ノミネート)、『アイム・ソー・エキサイテッド!』(13)、『ジュリエッタ』など、セスク・ゲイの『しあわせな人生の選択』(16)でも脇役に徹していた。『日曜日の憂鬱』で主役に初挑戦、ほかにサラサール作品では、『靴に恋して』以下、「10.000 noches en ninguna parte」(12)でゴヤ賞助演女優賞にノミネートされた他、俳優組合賞助演女優賞を受賞した。TVシリーズは勿論のこと舞台女優としても活躍、演劇賞としては最高のマックス賞2014の助演女優賞を受賞している。

 

        

      (本当の願いを母に告げる娘、スシ・サンチェスとバルバラ・レニー)

 

 

  監督フィルモグラフィー

ラモン・サラサールRamón Salazarは、1973年マラガ生れの監督、脚本家、俳優。アンダルシア出身だがバルセロナでの仕事が多い。1999年に撮った短編Hongosが、短編映画祭として有名なアルカラ・デ・エナーレスとバルセロナ短編映画祭で観客賞を受賞した。長編デビュー作Piedrasがベルリン映画祭2002に正式出品され、ゴヤ賞2003新人監督賞にもノミネートされたことで、邦題『靴に恋して』として公開された。200520 centimetrosは、ロカルノ映画祭に正式出品、マラガ映画祭批評家賞、マイアミ・ゲイ&レスビアン映画祭スペシャル審査員賞などを受賞した。201310.000 noches en ninguna parteはセビーリャ(ヨーロッパ)映画祭でアセカン賞を受賞している。2017年の短編El domingo12分)、2018年のLa enfermedad del domingo」が『日曜日の憂鬱』の邦題でNetflixに登場した。