ディエゴ・レルマンの『家族のように』*ラテンビート2017 ⑦ ― 2017年10月23日 16:30
バルバラ・レニーの力演は報われたか?
★前回ルクレシア・マルテルの『サマ』の原作者アントニオ・ディ・ベネデットを紹介したおりに、彼が軍事クーデタ勃発の1976年3月24日に、ビデラ将軍率いる軍事評議会によって即日逮捕されたことに触れました。その同じ日に産声を上げたのが本作の監督ディエゴ・レルマンでした。フィルモグラフィについては、当ブログでは度々触れていますので、紹介はそちらに譲りますが、アルゼンチンの若手監督としては実力派の一人に数えてよいでしょう。
*『家族のように』の内容、監督紹介記事は、コチラ⇒2017年9月3日/2014年5月11日
A: 今年のサンセバスチャン映画祭SIFFに正式出品されたディエゴ・レルマンの第5作 “Una especie de familia” が『家族のように』の邦題で上映されました。SIFFには主なスタッフ、キャストが揃って現地入りして金貝賞を狙いましたが、監督と共同執筆者マリア・メイラの脚本賞受賞にとどまりました。個人的にはちょっと意外でしたが、アルゼンチン社会の非合法養子縁組にメスを入れ、スリラー仕立てで観客を飽きさせなかったことが評価されたのかもしれない。
B: 養子縁組法の不備を利用した乳児の不正取引に医師や看護師、弁護士が絡んでいること、裏にはマフィアの存在がそれとなく暗示されていました。
(トロフィーを手に喜びのレルマン監督とマリア・メイラ、授賞式にて)
A: 女性医師マレナを演じたバルバラ・レニーの女優賞受賞を予想する批評家が多かったようですが、外れてしまいました。同じアルゼンチンからエントリーされたアナイ・ベルネリの “Alanis” で、子持ちの娼婦を演じたソフィア・ガラ・カスティリオーネが銀貝賞、その捨て身で運命に立ち向かうバイタリティーあふれる演技が審査員の心をつかんだようです。
B: ベルネリ監督も銀貝賞をゲット、監督賞と女優賞のダブル受賞でした。
A: これは追加作品、ときどきこういう番狂わせがあります。「初の女性監督受賞」とプレゼンテーターが紹介していましたが、こちらのほうが驚きでした。ディエゴ・レルマンの作品は、テーマが重く、マレナのヒステリックな母親願望の発端が観客に伝わりにくく、テーマ的にも少し欲張りすぎの感がありました。
(バルバラ・レニーとディエゴ・レルマン監督、サンセバスチャン映画祭にて)
「女性がもつ力強さと壊れやすさというか脆さに興味がある」
B: レルマン監督が女性をヒロインにすることが多いのには、何か理由がありそうです。
A: ワールド・プレミアされたトロント映画祭でのインタビューで、「女性がもつ力強さと壊れやすさというか脆さに興味があり、男性中心の権力構造を描くドラマより興味がある」と語っていました。まさにマレナのような女性です。女性医師というステータス、中流家庭でなに不足なく育ち、教養も経済力もあるのに、死産という経験を契機に平常心を失って深みにはまっていく。
B: どうしてこんなにしてまで赤ん坊に執着するのか、最初は観客に分からない。
A: 本当のテーマが見えてくるのは、生みの親の家族が赤ん坊引き渡しに1万ドルを要求してからです。これは最初から仕組まれていた強請りだと、平常心なら即座にわかるはずです。
B: マレナの救世主だと思われていたコスタス医師が本性を現す瞬間ですね。これはドラマですが、アルゼンチンではこのような実態があるのでしょうか。
A: 製作の意図を「乳児養子縁組をした知り合いからそれとなく聞いて興味をもった。取材をして分かったことは、さまざまなケースがあって、証言もまちまちだった。そこで(舞台となった)ミシオネス州に出かけ、あらゆる階層の人々、自分の赤ん坊を売った母親、看護師、警官、裁判官、弁護士・・・」などから証言集めた。
B: 国の養子縁組法の複雑さと後進性、貧富の格差が、映画のような実態を生み出しているのですね。
A: 簡単に言えば、需要と供給のあるところ、必ずやお金が動き、意図したことではなかった裏社会との結びつきができてしまうということです。南米でもアルゼンチンは経済の二極化が激しい。
B: 養子をとって新しい家族をつくりたい人、経済的に子供を育てられないため我が子を手放す人がいるわけ。ここでは法的抜け穴の存在を知りながら、何の手も打たない国の責任が問われている。
A: 男性の存在が希薄ですね。出稼ぎ先で大怪我を負ったことにされたマルセラの夫、マレナとは別居しているような夫マリアノも、最初は携帯の声だけで姿を現さない。もともと夫は養子縁組に反対していたこと、別居していたことも分かってくる。
B: 既に夫婦の仲は壊れている。そのことがマレナの苛立ち、感情の激発の根源かもしれない。
(主な登場人物が勢揃いした重要なシーン、左からマルセラの父、マレナ、
生みの母親マルセラ、ペルニア、マレナの夫マリアノ、コスタス医師)
ヒロインにバルバラ・レニーを選んだ理由は?
A: バルバラ・レニーは、両親が軍事独裁の手を逃れスペイン亡命中にマドリードで生れたが(1984)、生後すぐに民主化なったばかりのアルゼンチンに帰国した。しかし6歳で再びスペインに戻っている。スペイン女優だが、やはり両親の故国でもあるアルゼンチン映画に出演したいと思っていた。すんなり決まったわけではなく、紆余曲折を経ての決断だったようです。
B: マレナに命を吹き込むのに複雑すぎて時間がかかったということですか。
A: 母親になりたいために社会的、道徳的な規範を冒してまで人生の全てを賭ける役ですからね。実人生で自分がまだ子供をもったことがないのも躊躇の一因だった、とSIFFで語っていた。
B: 監督は監督で、アルゼンチンでも問題山積の地域、快適とは程遠いミシオネスでの撮影を案じていたようです。彼女の出演映画のほとんどを見て、強い印象を受けていたので粘った。
(乳児誘拐の廉で留置所に入れられたマレナ、映画から)
A: 最初からバルバラを念頭に入れていたようですから。トロントのインタビューでは、彼女のことを「限度のない可能性を秘めた女優」とぞっこんでした。でもSIFFでは女優賞は逃した。カルロス・ベルムトの『マジカル・ガール』(14)でも取れず、SIFFとは相性が悪い。
B: 冷静さを取り戻したときのマレナ、狂気に走ったかのようなマレナ、そのアップダウンの演技にバルバルを疲労困憊させたと監督。あの謎めいた美しさはどこからやってくるのかなぁ。
(赤ん坊に最後の別れの愛撫をするマレナ、映画から)
A: コスタス医師を演じたダニエル・アラオスは、ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーンの『ル・コルビュジエの家』で、不気味な隣りの男を演じた俳優。赤ん坊の生みの親になったヤニナ・アビラは映画初出演でしたが、我が子を手放す母親の微妙な心理状態を演じて上手かった。
B: 夫のクラウディオ・トルカチル、ブラジル女優のパウラ・コーエン、総じて良かったです。
A: 撮影期間が長かったこともあり、互いに信頼が生まれてチームワークが良かったのかもしれない。
B: スタッフでは、撮影監督ヴォイテク・スタロンの映像は際立ってました。
A: スタロンとは4作目になる “Refugiado”(14)からタッグを組んでいる。1973年生れのポーランド人、主にドキュメンタリーで国際的に活躍している。夫の家庭内暴力から逃れて7歳の息子を連れて逃げ回る母親の話。物語も込み入って一筋縄ではいかないのだが、その映像の美しさは抜群だった。
B: 『家族のように』よりいいね。それに7歳の子供を演じた子役が上手すぎて、どうやって演技指導したのかと驚きました。他にも子供が大勢出演していて、レルマン映画では珍しい。
A: 東京国際映画祭で上映された第3作目の『隠れた瞳』(10)と”Refugiado” と本作を「女性三部作」というらしいのだが、一応これで終りにしたいということです。
B: 一方バルバラ・レニーは、ラモン・サラサールの “La enfermedad del domingo” が来年1月スペイン公開が決定しています。
A: ハイメ・ロサレスの最新作 “Petra”(主役のペトラ役)の撮影が終了したばかり。他に当ブログでも紹介したことのあるアスガル・ファルハーディの “Todos lo saben” にも出演する。『彼女が消えた浜辺』『別離』『セールスマン』などヒット・メーカーのイラン監督作品。主役はハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、それに加えてリカルド・ダリンという豪華版、いずれも2018年公開がアナウンスされています。
*バルバラ・レニーのフィルモグラフィ紹介記事は、コチラ⇒2016年2月15日
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