ゴヤ賞2014*作品賞候補者座談会2014年02月06日 19:28

★ゴヤ賞授賞式が目前になると、テレビ局や新聞社企画の作品賞ノミネート監督を招いての座談会が恒例となっています。ゴヤ賞、票の行方、製作の苦労、DVD海賊版、経済危機、映画界の現実など多義に渡って語りあっています(「エル・パイス」紙企画)。今年は平均年齢がぐっと下がって、グラシア・ケレヘタが≪最高齢≫と若返りました。各人賞の評判にやや神経質になっている時期なので、タテマエ&ホンネ半々の座談会となっています。授賞式前の総括も混ぜて各監督の近況をお伝えいたします。

 


★口を揃えて「映画を撮る環境でなくなった」こと、「有力なテレビのスポンサーがつかないと、仮に撮れても配給元が見つからない」など悲観的な意見が多かった。次回作が決まっていない「休閑中」の監督に顕著だった。長引く不況、脆弱な経済、政治の混迷、破格な消費税増税(チケット代の高騰)が映画界を脅かしている印象でした。しかしスペインの映画界が危機でなかった時代などなかったと思うんですよ。

(写真左より、フランコ、クエンカ、サンチェス・アレバロ、トゥルエバ、ケレヘタ)

 

 


ダビ・トゥルエバ1969年マドリード)Vivir es fácil con los ojos cerrados7部門)

現在は小説の新作を準備中、映画は目下予定がない。映画が産業として成り立たなくなって私たちは苦しんでいるが、映画館に足を運ばなくなった今の状況は1980年代の終わりに似ているという。良質の映画が沢山あったのに観に来なかった。私の世代は既に生活は安定しているはずなのにそうなっていない。以前だったら「今晩の夕食は何処で食べようか」だったが、「今晩はどうやって夕食にありつこうか」になっているという。

 

映画は社会を反映している。中流階級にボディブローが効いてきて、映画界も御多分にもれずとなっている。生き残るにはごく小さなプロジェクトだけでやるか、民間の大規模なテレビ局の援助を受けるかです。その援助を断ると、監督は(資金調達のための)別の戦いを始めなければならない。交渉が嫌だと配給元が見つからない。わたしのケースでは前作のMadrid 19872011)がそうでした(公開が翌年になり、主演の老ジャーナリスト役ホセ・サクリスタンが「フォルケ賞男優賞」を受賞したのが2013年でした。管理人)。 

 

海賊版の横行には、DVD関係者にも責任の一端があります。新聞を3カ月契約するとDVDが貰えた、と述べていました。

ゴヤ賞については、アスコナがよく言ってたことだが、疲労困憊のすえにご褒美なしで終わるのが普通なんだ、これは今でも同じことが言えると。予想は難しい、5人とも中堅だから。仮に75歳の監督がいれば間違いなくその人にいく。引退の花道になるからね。その年までは貰えなくてもいいんだよ。70ぐらいから意識しはじめて少し経って貰い引退すればちょうどいい。(ダニエル・サンチェス・アレバロから「じゃ、あなたもそうするの?」と聞かれて、「引退しないよ。ダニ、つまり私たちには挫折が必要だという意味だよ。特に君にはね。より良き人間、映画人になるためには辛い挫折の積み重ねが必要なんだ。まじめな話、幸運からさえ身を守るべきなんだ」と答えていました。受賞して欲しいのは「自分より≪戦友)ハビエル・カマラに」と言いきっています。過去に10回ノミネートされ成果はゼロだそうです(新人監督賞、脚本賞、その他を含めた数)。

アスコナRafael Azcona19262008):スペインを代表する脚本家。ゴヤ賞受賞は『ベルエポック』『にぎやかな森』『歌姫カルメーラ』『蝶の舌』、ホセ・ルイス・クエルダのLos girasoles ciegos”(2008)の脚色が遺作となった。翌年のゴヤ賞は16部門ノミネート、脚色賞を受賞した。半世紀以上に渡る彼の偉業を讃える受賞でもあった。脚本家としてのトゥルエバの才能を早くから注目して、トゥルエバのお師匠さんでもあった。

 


グラシア・ケレヘタ1962年マドリード)15 años y un día7部門)

本作が7作目になる。昨年は映画の先輩でもあった父エリアスの死去にともない数多くのセレモニーに出席して忙しかった。自分の映画人生も長くなりベテランの仲間入りになった。脚本を書いては撮り、書いては撮りして歩んできたが、今は執筆しても何時撮れるのだろうか分からない。映画を撮り続けられるかどうか不安になる。前なら良い物語に出会えば、その物語に相応しい方法を探したが、今は最初から如何に小規模に出来るか考えてしまう。いくつかシークエンスを描いて撮ることができたが、今は「シークエンスは1つ」です。若いプロデューサーに言われたことだが、「映画は既にローコストでなく、ノーコストだ」と。

 

トゥルエバの「世間では映画関係者は社会の周辺の人々だとは考えず、金持ちでいい暮らしをしていると誤解している。スペインでは、基本的に芸術を疑いの目で見ているのが大勢、こういう根本的な不一致がアート、文化、社会にはびこっていると思う。ジル・デ・ビエドマのような例が、最も悲惨な例なんだ」という意見に対して、「世間がインテレクチュアルな特質を持っている人々を理解するのは難しい」と応じていました。

Jaime Gil de Biedma 192990):スペイン≪50年世代≫のシュールリアリズムの重要な詩人の一人。同性愛者だったことで差別されペシミスティックな詩が多い。ジークフリード・モンレオンがEl cónsul de Sodoma2009)のタイトルで彼の伝記映画を撮った。主役のジョルディ・モリャが2010年のガウディ賞、ゴヤ主演男優賞にノミネートされた作品。

 

DVDの海賊版については、海賊版でタダ同然で観ることができるならそれで観るようになる。DVD市場はもはや死に体、トップ・マンタの人々を気の毒には思うが、どうしようもないと。

top manta というのは、違法コピーのCDDVDを繁華街で路上販売すること。警察が通報を受けて駆けつけると、急いでmanta(毛布)にくるんでドロンすることから付けられたようです。警官がいなくなるとまたショウバイを始める。

 

ゴヤ賞については、息子から「永遠に二番手だと」言われたらしく、「一つもないかも」と悲観的、それでも出来たら作品賞、だってスタッフ全員で頑張ったから。でもどんな賞でも嬉しい、次のプロジェクトを立ち上げる力になるから。エミリアノ・ピエドラが「どんな小さな賞でも貰うべきだよ。家に帰ったとき君がどんな賞を貰ってきたか誰も分からなくてもだよ」と教えてくれたそうです。

Emiliano Piedra193191):プロデューサー、代表作はカルロス・サウラのフラメンコ三部作(『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』)など。

 

 


マヌエル・マルティン・クエンカ1964年アルメリア)Caníbal (8部門)

次回作の予定がなく、目下休閑ちゅう。スペイン映画については、産業的に不確かだから常に不安定で、今は不確実の時代、何がモデルで、どうやるのがベターか分からない。すべてがあまりに細分化されて、どうやってプロデュースしているのかも不明です。変化が速くて、それぞれ一人で何作も掛け持ちしている。それは良くないですよ。だから突然、同時に3作ぐらいが完成している。おかしくないですか。(確かに最近の映画はプロデューサーの数が多くて誰が何を担当しているのか分からないし、俳優もじっくり一つの作品に取り組んでいる余裕はない。管理人)

 

映画を作る情熱も流行に左右される。ジャーナリズムとかコストのかからない方法の採用。これでは後退してるようなもので危険です。自分はそういうパッションとかモードを利用する気はない。配給元のチャンネルとか仲介者と交渉するのが不愉快なんです。「君はこうやって作りなさい、そうしたら私たちが配給してあげます」的なのが嫌なんです。それを飲めば大金が動きます。この世界はタダ働きになるケースが多い、例えばプジョーの工場でタダで働いたら「素晴らしい」なんて思いますか、誰も思いませんよね。

トップ・マンタについては、Caníbalを自分用に買ってしまった。トゥルエバから「消去するためにかい?」と聞かれて、「違うよ、思い出にとっとくためさ」と答えていました。

ゴヤ賞について、「決まっているよ、オリジナル作曲賞さ」と応じて皆を大笑いさせていました。何故ならノミネートされておりません!

 

 


ダニエル・サンチェス・アレバロ1970年マドリード)La gran familia española11部門)

次回作の脚本の執筆を始めており、「スリラー仕立て」のようです。キャスト陣も彼の黄金トリオ、キム・グティエレス、ラウル・アレバロ、彼の全作に出演しているアントニオ・デ・ラ・トーレに決定している。

データから判断すれば、毎年それなりに良い映画が作られていると楽観的。私たちは映画界を取りまく雑音にさらされているから、脚本は自宅で書こうとする。一方で現在生じていることを頭に叩き込むべきだし、スクリーンのなかで語るべきなんだ。また一方ですべてが悪い方向に向かっていることが僕をがんじがらめにしている。「いくつもシークエンスを書くな、どうせ撮れないのは分かってるだろ」と。

 

映画を作りつづけるのは悪いことばかりじゃない。これ以上の危機は来ない。想像力は危機を乗り越える強力な武器となるが、明らかに支配的なモデルではないかもしれない。映画祭の長い行列をみれば、この傾向が消えない限り、みんなが映画を見たがっているんだと思える。映画館に行くのは高いという考えが社会のなかに植えつけられている。(トゥルエバが「まったく馬鹿げている」と相槌をうっている。)

 

ゴヤ賞について、トゥルエバから「リラックスしてる?」と聞かれて、「僕はテニスにだって負けるのは嫌だよ」と返事して、「ゴヤ賞とテニスを比較するなんて」と呆れられていました。

La gran familia españolaがオスカー賞2014のスペイン代表作品の一つに選ばれたら、近所の人からまるで受賞したかのようにお祝いを言われた。「まだ候補者にもなっていないのにィ!」

 

 


フェルナンド・フラン1976年セビリャ)La herida6部門)

本作が長編デビュー作となるフランコは、第2作が進行中、現在次の脚本を書いている由。デビュー作がいきなりノミネートされたわけで、過去の映画界のことが分からないせいか、「自分には良くなっているのか悪くなっているのか分からないが、創造力豊かなもの、前とは異質なものが撮られている」と答えています。

 

この映画は90万ユーロしか資金がなく、プロダクションからは無理だと言われた。ストーリーが面白かったので実現できると思った。この仕事が好きだから仲間と一緒に常に映画を作ってきた。フィルム編集の仕事で生活していた。(テレビ局の援助を受けノーコストで映画を作ることには躊躇しているようだが、実績を積み上げている先輩のようにはいかない印象。)

ゴヤ賞については、「一つは欲しい。もし(主役の)マリアン・アルバレスが主演女優賞をもらえたら」と発言して、ケレヘタとサンチェス・アレバロから同時に「やめてよ、もう」と言われていました。結構みんな神経がピリピリしているようです。

 

★トゥルエバがノミネートの数を果物屋から「ゴヤ賞は1つですか」と聞かれたので、「いいや、7つだよ」と答えたら、「えっ、7つも映画つくったの?」と聞き返されてギャフンとなった話で締めくくりました。映画ファンは「ゴヤ賞、ゴヤ賞」と大騒ぎするが、関係ない人にはこんなものです。 


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