アイ・ウェイウェイの『ビボス』 鑑賞記*ラテンビート2020 ⑯2020年12月21日 12:33

         政府を信用しない国民、加害者が罰せられない国メキシコ

 

     

 

オンライン上映は終わってしまいましたが、滑り込みで鑑賞できた『ビボス~奪われた未来~』は、2014926日の夜、メキシコ南西部ゲレロ州イグアラ市で起きたアヨツィナパ教員養成学校学生43名の集団失踪事件をめぐるドキュメンタリーです。監督は自身も中国政府から北京の自宅監禁を余儀なくされた経験をもつ、現代美術家、社会評論家、人権活動家としても有名なアイ・ウェイウェイ、本作は、パコ・イグナシオ・タイボ二世2019年に撮った『アヨツィナパの43人』192部構成、Netflix配信)と同じ事件をテーマにしていますが、若干方向性が異なります合わせてご覧になると理解しやすい。本作はサンダンス映画祭2020でプレミアされました。

  

    

               (アイ・ウェイウェイ監督)

 

 

 『ビボス~奪われた未来~』(原題Vivos

製作:AWW Germany / No Ficción

監督:アイ・ウェイウェイ

撮影:アイ・ウェイウェイ、エルネスト・パルド、カルロス・ロッシーニ、ブルノ・サンタマリア・ラソ、マ・ヤン

音楽:Jens Bjorn Kjaer

編集:Niels Pagh Andersen

プロダクション・マネージメント:ラウラ・ベロン、エンリケ・Chuck

製作者:アイ・ウェイウェイ、(ユニット)エルネスト・パルド、(顧問)マリア・ルイサ・アギラール・ロドリゲス、(共同)ダニエラ・アラトーレ、エレナ・フォルテス、(ライン)エンリケ・Chuck、フリーダ・マセイラ

 

データ:製作国ドイツ=メキシコ、2020年、言語スペイン語・英語、ドキュメンタリー、112分、撮影期間20183月~20193月、配給Cinephil

映画祭・受賞歴:サンダンス映画祭ドキュメンタリー・プレミア部門、ベルゲン映画祭(ノルウェー)、コペンハーゲン・ドキュメンタリー映画祭(CPHDOX)、ミュンヘン・ドキュメンタリー映画祭、他ノミネーション、ラテンビート・オンライン上映

 

失踪者家族の証言者:一人息子マウリシオ(・オルテガ・バレリオ)の父親、(生存者、脳死)アルド(・グティエレス・ソラノ)の両親・兄弟、ドリアン&ホルヘ・ルイス(・ゴンサレス・パラル)兄弟の両親・祖母、クリスティアンの父親・祖母・姉妹、(死亡者)教師フリオ(・セサル・モンドラゴン)の妻、その他名前が伏せてある家族多数、生存者エンリケ・ガルシア(仮名?)

★失踪者に顔をもたせるため、分かる範囲で実名を入れました。

   

重要協力者

フランシスコ・コックス(米州人権委員会のGIEIメンバー、チリ出身の弁護士)

テモリス・グレコ(ジャーナリスト、The Historic Lieの著者)

ケイト・ドリル(国家安全保障文書館のラテンアメリカ政策シニア・アナリスト、米国人)

ジョン・ギブラー(ジャーナリスト、That They Would Kill us他の著者)

ヒメナ・アンティロン・ナイリス(心理学者、アヨツィナパに関する心理学的なリポートの著者)

エルネスト・ロペス・P・バルガス(人権・都市治安プログラムNPO代表者、メキシコ人)

印はNetflix配信の『アヨツィナパの43人』にも出演している人。

GIEIGrupo Interdisciplinario de Experto y Experto Independientes、米州人権委員会がアヨツィナパ事件の失踪者43名を捜索するための技術的支援を目的とした第三者委員会専門家グループ。フランシスコ・コックスを含めて、チリ、コロンビア(2名)、グアテマラ、スペイン出身の弁護士、判事、医学者5名の専門家で構成されていた。

 

    

 (アヨツィナパの住民に調査打切り報告をするGIEIメンバー、左から2人目がコックス弁護士)

 

解説2014926日の2130分、ゲレロ州イグアラ市でアヨツィナパ教員養成学校の活動家学生を乗せた5台の長距離バスを警察が襲撃した。5人が死亡、数十人が負傷、43名が行方不明者となった。学生たちは1968102日に起きたトラテルロコ大虐殺事件の学生弾圧追悼デモに参加するためメキシコシティに向かう途中であった。数日前からバス数台をチャーターして参加するのが恒例だった。先住民の多くが通うこの教員養成学校は、歴史的にも連邦政府、地方自治体の抑圧の対象となっており、この強制失踪事件はイグアラ市、地元警察、連邦検察庁、陸軍、麻薬カルテル「ゲレロス・ウニドス」やペーニャ・ニエト大統領を頂点にした国家権力が結束して、捏造と隠蔽を繰り返した国家的犯罪です。上記の『アヨツィナパの43人』は事件の背景並びに経緯を時系列的に追って製作されておりますが、本作は事件4年後の行方不明者や死亡者の家族、重篤な負傷者ほか生存者の怒りと悲しみに寄り添って製作されています。          (文責:管理人)

 

       「歴史的真実」とは何か、「あったことはなかったことにできない」

 

A: アイ・ウェイウェイ監督の過去の『ヒューマン・フロー 大地漂流』17)をご覧になった方は、23ヵ国40ヵ所の悲惨な難民キャンプ地を巡ったドキュメンタリーながら、その映像美に心打たれたのではないでしょうか。新作も同じ印象をもちますが、何故バスが襲撃され、かくも多くの学生が強制的に失踪者になったか、事件の前段階の知識がないと分かりにくのではないか。

B: 『アヨツィナパの43人』を見ていたり、6年前世界に衝撃を与えたニュースを多少とも聞きかじっていないと、冒頭に流れたテロップだけでは事件の全体像はつかめない。

 

        

       (2019年に公開された『ヒューマン・フロー 大地漂流』のポスター)

 

A: 926日の夜930分ごろ最初の発砲があり翌朝にかけて何回か繰り返された。死亡者は全体では8名、その内訳は5名が学校関係者、そのほかサッカーの試合が終り帰途についていたチームのバスが間違われて発砲を受け、選手、バス運転手、たまたまタクシーに乗っていた民間女性の3人が巻き込まれて犠牲になった。

B: 43名というのも正確には、麻薬カルテルによってゴミ集積所コクラで焼却された灰の中に入っていた1名を含めている。死者の数はウィキペディアでもスペイン語版、英語版、日本語版とも錯綜していて、どれが正確なのか迷います。

 

A: 後にオーストリアのインスブルック大学に DNA 鑑定を依頼して判明したことなので、最初の43名をスローガンとして踏襲している。学生アレクサンデル・モラ・ベナンシオの家族が納得しないこともありますが、そもそも43人を一晩で焼却することは不可能という専門家の指摘を政府は黙殺している。

B: 高温になるゴミ焼却炉ではない、灰にするには最も不向きな森の中では、60時間という長時間、薪にしろ古タイヤにしろ膨大な量が必要ということ、しかも当夜は一晩中土砂降りだった。ある父親は「にわとり1羽でも灰にするのは簡単ではない」と証言していた。ひらたく言えば「バカにするな」ということです。

 

A: 国の公式発表は「警察が学生43人を地元の麻薬組織に引き渡し、組織が彼らを殺害、遺体は森の中で焼いて近くの川に遺棄した」と断定、連邦検察庁はこれを「歴史的真実」(la verdad histórica)と宣言した。拷問の末に無実の罪を着せられた人々も言わば被害者です。

B: 政府も最初は本当のところを把握していなかったのではないか、といわれていますね。

 

A: しかし、どうしてこんな稚拙な嘘をついたのか気がしれないが、灰になってしまうとDNA鑑定が難しいからでしょう。袋詰めにして近くのサンフアン川に流した。その袋に入っていた骨が一致したのは「歴史的真実だから、43人は焼却された」と、あくまで当局は主張する。

B: とにかくできるだけ早く終止符を打って「あったことをなかったことにしたい」焦りが見え見えです。政権の中枢に批判が波及しないよう隠蔽工作に奔走した。

 

A: 責任逃れをしたい州警察や連邦検察庁の誤算は、教養のない先住民を騙すのは簡単と勘違いしたことです。時間が経てば泣き寝入りするだろうと捏造を繰り返したことが、家族だけでなく多くの国民の怒りに火をつけた。

B: 家族たちの強い絆や諦めないパワーに押されて後手後手に回ってしまった。1989年、米国のCIAをお手本にして設立されたメキシコ国家安全調査局 CISENもグルになって指揮したと言われていますが、お粗末です。

 

A: 内務省に所属している情報機関ですが、バス襲撃に27歩兵大隊が関与していたことを掴んでいたからではないでしょうか。メキシコ陸軍となるとこれは大ごとですから。学生たちの携帯電話の発信地が陸軍基地からだったことが、電話会社の追跡で確認されている。

B: バスを降ろされ連行されていった所が軍基地だったことを意味している。

 

A: 軍部には国家機密保持のため、外部からの調査を拒否する権利があって踏み込めないことが、調査の壁になった。この拒否権が米州人権委員会GIEI が調査打ち切りを決定した大きな要因でした。

B: 本作でもメンバーの1フランシスコ・コックス弁護士が語っていました。『アヨツィナパの43人』のなかで、調査打ち切りの報告集会の席上、家族から「帰らないでください!」という悲痛な叫び声に涙が隠せなかったと語っていました。GIEI は行方不明者家族にとって、いわば最後の砦だった。

  

      「乗ってはいけないバスに乗ってしまった」アヨツィナパの学生たち

 

A: 学生たちの乗った長距離バス5台は、正規にバス会社と契約していたわけではなく、いわばハイジャックした。その中にはイグアラからシカゴに運ぶ麻薬カルテルのヘロインが多量積み込まれていたバスがあった。だから学生たちが乗った時点からずっと追跡されていたようです。

B: 5台のうち襲撃された2台から犠牲者が出た。学生たちはバスではなく霊柩車という「乗ってはいけないバスに乗ってしまった」と言われる所以です。

 

A: 最初の犠牲者はフリオとして登場していた引率教師、「仲間をおいて逃げられない」と妻に携帯で電話、夫の最後の言葉は「娘のことをよろしく頼む」だった。その女の子は34歳に見えたから当時は赤ちゃんだったでしょう。屈託なさそうな娘さんを見るのが辛いシーンでした。

B: 最初の証言者、一人息子マウリシオの父親は「息子の夢をよくみます。4年の時が経ちましたが、心は止まったまま」と物静かに語る。

 

     

            (マウリシオ・オルテガ・バレリオの父親)

 

A: 夫が失踪してアメリカに働きに行き115時間も働きづめだった母親に「必ず恩返しするから」と語っていた息子、母親は彼の無事を信じて今では家族会のリーダー役を務めている。他のグループとの共闘を示唆したのが、心理学者のヒメナ・ナイリス、本事件に関するインパクトのある著書がある。トラテルロコ大虐殺事件当時ラテンアメリカ政策担当者だったケイト・ドイル(現国家安全保障文書館シニア・アナリスト)やジャーナリストなど、抵抗の運動を応援する識者に支えられている。

 

B: 2人の息子ドリアンホルヘ・ルイスが行方不明になっている父親は、妻は「体調を崩して病気になっている」と。ある家族の「犯人が政府でないなら死体は見つかる。なぜなら麻薬カルテルが犯人なら死体は放置したままにするからだ」という指摘は的を射る。

 

      

            (強制失踪者のリーダーとして活動する母親)

 

A: カルテルなら灰にして川に流すような面倒な手間暇をかけない。フェルナンダ・バラデスの『息子の面影』にあったように遺体は見つかる。あの映画の燃え上がる炎のシーンは、アヨツィナパ事件の遺体がコクラで焼却されたというニュースに着想を得ているとバラデス監督は語っている。『息子の面影』はこの事件とリンクしています。

 

          アヨツィナパ事件はペーニャ・ニエト政権最大の汚点

 

B: 本作では行方不明の学生たちは、写真のみに存在している。監督は第三者の視点をできるだけ排除して家族の悲しみと怒りに寄り添うことにしている。そのため監督を含めて5人のカメラマンが現地入りしている。難を逃れた生存者の証言は多くない。

A: 負傷者の1人は「正義と権利を求めると弾圧される」と語っており、なかで脳死状態のアルド・グティエレス・ソラノの家族は、院内感染を怖れて息子を引き取るため自宅を新築した。母親は「何年後か分からないが息子が目覚めるときを待っている」と。

 

        

      (行方不明者の拡大写真を手にメキシコシティで怒りのデモ行進をする家族たち)

 

B: デモ行進中に「ペーニャ・ニエトはくそったれ」とシュプレヒコールされていた前大統領、任期中(201218)の最大の汚点と称されるのがアヨツィナパ事件です。

A: 2006年から始まった麻薬戦争で、25万人以上が殺害、4万人が行方不明となっているメキシコで、彼らと<アヨチィナポ/教養のない人>と陰で差別されている「アヨツィナパの43人」の違いは何か。それは固い絆で結束して、行方不明者を可視化したことだと思います。

 

         

       

                       (写真を手にした行方不明者の家族たち)

 

B: 階級間格差や地域間格差はどこでも見られることですが、その他にメキシコは人種間格差を抱えている。ハンスト、座り込み、人間の鎖などは、権力者の目に入らないが、国民の目には入った。政府の繰り返される捏造に家族は苦しめられたが屈しなかった。そのことが多くの国民の賛同を得たのではないか。

A: アヨツィナパ事件の真実と正義を解決すると強調していた現大統領ロペス・オブラドールは、当選3日目に連邦裁判所の判決に従って「真実と正義委員会」を設立した。アレハンドロ・エンシナスを長とするこの委員会には、学生の家族、市民団体の代表者が含まれている。

 

B: これとは別に国家検察庁(FGR)は、検察チームが率いる行方不明者捜索に焦点を絞った特別部隊も設立して、少しずつながら進展がみられるようになった。ドキュメンタリーの撮影は20183月からの1年間ですから、当然触れられない。

A: 重要な進歩が見られるようになったのは、20203月、事件に関わった政府高官、軍人を司法妨害で逮捕、5名中4名が現在も拘束されている。6月には麻薬カルテルのゲレロス・ウニドスの指導者、46名に及ぶ自治体職員も逮捕され、捜査は進んでいる。

 

B: しかし当時、事件の証拠隠滅、犯罪現場の変更、拷問に関与したと言われる司法長官トマス・セロンには捜査の手が及んでいない。現在逃亡中のイスラエル政府に引き渡しを要請している。しっぽ切りにならないことを祈りたい。

 

A: 家族の諦めない団結が、43人のみならず行方不明者全体の捜索に寄与している。行方不明者4万人と先述しましたが、国家捜索委員会(CNB)のリストによると、2006年以降20207月までの総数は73,000と倍近い。この数は近年増加傾向にあるということですが、危機が国内のより広範な地域にわたっていることを物語っている。その原因解明も検証しなければならない。

B: それには予算が必要、この圧倒的な数に対処するには増やした予算では足りないでしょう。アメリカに運び込まれるコカインの90%は、コロンビアからメキシコを経由している。強大な隣国アメリカに最も近い国メキシコの悲劇です。

 

A: 捜査の進展は、学生の家族を筆頭に、家族を支える組織、特別検察官オマル・ゴメス、真実と正義委員会などの努力によります。ドキュメンタリーその後に触れたのは、まだ緒に就いたばかりとはいえ、少しだが光が射してきたことを述べたかったからです。


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