ボラーニョのドキュメンタリー上映とトーク2013年08月27日 23:10

ボラーニョのドキュメンタリー上映とトークのお知らせ
★「ロベルト・ボラーニョに捧ぐ」
場所:セルバンテス文化センター地下1階オーディトリアム
日時:『2666』に因んで9月26日(木)19:00~
*日本語字幕付・トーク日本語・入場無料・要予約
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 http://reservas.palabras.jp/ja/

上映されるのはYouTube でも見られるスペイン国営テレビが制作した
コチラだと思います。”El ultimo maldito” (Docmental TVE)
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http://www.youtube.com/watch?v=J8OvU9SmxhI

★コンパクトながらボラーニョ理解に役立ちます。
ボラーニョ自身へのインタビュー、バルガス=リョサ、フアン・ビジョロ(メキシコ)など作家、長編『2666』『野生の探偵たち』を出版したアナグラマ社の編集者ホルヘ・エラルデ他、17年間過ごしたブラネス(ジローナ県)の友人、ボラーニョ一家の珍しい写真なども。
ボラーニョだけでなくスペイン、ラテンアメリカの作家にも言及していて、見てから作品を読むと2倍楽しめます。

コルタサル『石蹴り遊び』刊行50周年2013年08月27日 23:35

コルタサル『石蹴り遊び』刊行50周年
★恒例のマドリード・コンプルテンセ大学の夏期講座が、今年もサン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル市で開催されました(7月1日~26日)。第26回目を迎えるこの講座に「コルタサルとラテンアメリカ文学ブーム」というタイトルで、アウロラ・ベルナルデスとバルガス=リョサの対談形式の企画が登場して話題になりました。アウロラさんというのは最初のコルタサル夫人(1953~67)で、作家の著作権所有者です。というのも晩年に再婚した娘ほども年の違うキャロル・ダンロップがコルタサルより先に鬼籍入りしたからです。今年は『石蹴り遊び』刊行50年にあたるのでスポットが当てられたようです。

★来年の生誕100年、没後30年の先行企画かもしれませんが、個人的には生誕や没後より『石蹴り』刊行50年のほうが意味深いと思っています。昨年は『クロノピオとファマの物語』(未訳)刊行50周年、あまり表面に出ることをしなかった<クロノピア>・アウロラも、残された時間をコルタサルの未発表書簡の刊行に注いでいるようです。

★会場に現れた二人の御髪はともに真っ白、それはそうです、御年93歳と76歳ですから。アウロラさんはセルバンテス文化センターで開催された写真展、講演会(2008)に来日が予定されながら体調不良で叶いませんでした。しかし今回は白地にピンクの可愛い蝶々や傘マークを散らした若々しいブラウス姿、ウィットに富んだ受け答えから100周年も元気に迎えられるだろうと推測致しました。

★コルタサル夫妻とノーベル賞作家の出会いは1958年、当時二人が住んでいたパリの家だそうです*。時代を感じますが、家の玄関口は新聞の切り抜きなど雑多なものが崩れんばかりに積んであった由。御存じの通り当時二人はユネスコの翻訳官をしており、アウロラさんはサルトル、発売されたばかりのロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』(1957)、イタロ・カルヴィーノなどを訳していたそうです。その他フロベール、フォークナー、ナボコフ等々、母語のスペイン語以外に英仏伊に堪能な女性、才色兼備というのはこういう人を言うんですね。勿論『石蹴り』の最初の読者でした。

★因みにダレルの『アレキサンドリア四重奏』第1部「ジュスティーヌ」はジョージ・キューカーによって映画化されました(1969)。ジュスティーヌにアヌーク・エーメ、僕ダーリーにマイケル・ヨーク、メリッサにアンナ・カリーナと異色のキャスティングでしたね。同年『アレキサンドリア物語』の邦題で劇場公開されました。

★『石蹴り』に話を戻すと、成功はまさに衝撃的だったそうで、同時に多くのライバルを持つことにもなった。当時、アウロラさんは読者から「ラ・マーガのモデルはあなたか」とよく質問されたそうです。バルガス=リョサも「あなたでしょ?」と質問、「いいえ」と頬笑みながらもやんわり否定。「でも、あなたに似てますよ」と執拗に食い下がるも、やはり「No です、とんでもありませんわ」。それでも当時コルタサルを取りまいていた「ある女性からインスピレーションを受けたのは確か、でも本人は気を悪くしたの」と悪戯っぽく答えた由。

★プラトニックに終わった「ラ・マーガ」ことエディット・アロンのことを指しているんですね。知ってて聞いたとしたらペルーの作家も人が悪い。アウロラが言うように「感情を害した」と本人もきっぱり否定しています。この三角関係はちょっと興味深い。その後アロンは結婚して娘も生れ、三十年以上前からロンドン暮らしです。面食い<頭食い>だったフリオを取りまく女性の共通点は、<クロノピア>だったこと、フランス女性じゃなかったことです。

★最後に『石蹴り』が古典として残ると思うかの質問には、「もう50年待たないと」が答えでした。老いてますます冷静です。

(*バルガス=リョサが、「1960年代にパリで出会った」と話したことがあるようですが、1958年に夫妻と一緒にギリシャ旅行に出かけたときの写真がありますから勘違いですね。破局の時期を1966年ごろと推定しておりますが、二人の結婚は1953年8月22日パリ、アウロラの友人夫妻を介添え人として市民婚。正式離婚は1967年ですが、感情のちぐはぐはかなり前から始まっていたようです。ガリマール社の超美人編集者ウグネ・カルヴェリスの出現が破局の理由という説もあるのですが、既に壊れていたのかもしれません。アウロラはパリを離れてブエノスアイレスで翻訳してはパリに届けに戻るという二重生活だったようです(ユネスコの翻訳官を1983年までしていた)。カルヴェリスとは正式に入籍しませんでしたが、キャロル・ダンロップ(カナダ出身の作家・写真家)が登場するまでのパートナーでした。コルタサルだけでなくネルーダ、カルペンティエル、パスなどラテンアメリカの作家たち以外にもミラン・クンデラなどの編集者でした。1970年、アジェンデの招待でチリのサンチャゴに同行した女性でもあり、コルタサルの左傾化に影響を与えたといわれる女性です。このリトアニア出身の女性闘士はアウロラとは対照的な強さと行動力のある才媛、惜しむらくは極端な嫉妬心や飲酒癖があり、二人は1979年に関係を解消しています。2002年に死去しています。コルタサルが「疲れを知らない旅人」として1970年代を世界行脚に費やしたのは、もしかして逃避旅行でもあったか。)