『アマンテス/ 愛人』 のビセンテ・アランダ逝く2015年06月06日 23:01

       パションを介して愛と性と死を描いて社会のタブーに挑んだ

 

★アランダが死んでしまった。訃報は気が重くて書きたくないが、ガルシア・ベルランガの次くらいに好きな監督だった。二人の共通点は、フランコ時代に思いっきり検閲を受けたことぐらいか。もう1週間以上も経つのに「もう新作は見られない」と拘っている。大分前から映画は撮っていなかったのに不思議な気がする(2009年の“Luna caliente”が遺作)。デビュー作“Brillante porvenir”(1964)が38歳と同世代の監督に比して遅かったので、88歳になっていたなんて驚いてしまった。改めてフィルモグラフィーを調べたら27作もあり、フィルムで撮っていたことを考慮すると寡作というほどではないかもしれない。日本で公開された映画は4作だけだが、映画祭上映やビデオ発売はセックスがらみで結構多いほうかもしれない

 


公開作品リスト、ほか

198811月公開『ファニー 紫の血の女』1984Fanny Pelopaja フィルム・ノアール

19942月公開『アマンテス / 愛人』1991Amantes”ビデオ

20043月公開『女王フアナ』2001Juana la LocaDVD

20043月公開『カルメン』2003CarmenDVD

 

映画祭上映及びビデオ発売(未公開)作品製作順

1972『鮮血の花嫁』“La novia ensangrentada”ゴシック・ホラー 原作『カーミラ』ビデオ

アイルランドのシェリダン・レ・ファニュ(181473)の怪奇小説の映画化

1977『セックス・チェンジ』“Cambio de sexo 東京国際レズ&ゲイ映画祭1999上映、ビデオ

1989『ボルテージ』“Si te dicen que caí原作フアン・マルセ、ビデオ発売1998

1993『危険な欲望』Intrusoビデオ発売2001

1994『悦楽の果て』La pasión turca 原作アントニオ・ガラ、 ビデオ発売1998

1996『リベルタリアス自由への道』Libertarias東京国際映画祭1996上映、審査員特別賞

1998『セクシャリティーズ』“La mirada del otro”原作フェルナンデス・G・デルガド、ビデオ

 

ビセンテ・アランダVicente Aranda Ezquerra  1926119日、バルセロナ生れの監督、脚本家(526日マドリードの自宅で死去)。7歳のときカメラマンだった父親が死去、家計を助けるため中学生の頃から働きはじめ、学校は義務教育止まりだった。一家がスペイン内戦で負け組共和派に与していたことも人生の出発には不利だった。経済的政治的な理由から、1949年ベネズエラで情報処理の分野で働くため生れ故郷を後にした。アメリカの総合情報システム会社、後には現在のNCRコーポレーションで中心的な役職についたが、1956年、映画の仕事への執着やみがたく帰国する。しかし学歴不足で希望していたマドリードの国立映画研究所入学を拒絶され、バルセロナに戻って独学で映画を学んだ(ベネズエラ移住期間195259年など若干の異同はありますが、英語版ウィキペディアを翻訳したと思われる日本語版があります。スペイン語版はごく簡単な作品紹介にとどめ、デビュー前の記載はありません)。

 

   「アランダはヒッチコックの足元にも及ばなかった」とフアン・マルセ

 

★デビュー作Brillante porvenirから遺作のLuna calienteにいたるまで執拗と言えるほど同じテーマ、つまりパションを介してEspaña negra≫の性愛と死の現実を風刺的でビターな語り口で明快に描き続けた。多くの作品が小説を題材に、または実際に起きた犯罪事件に着想を得て映画化されたが、そのことが物議をかもすことにもなった。フアン・マルセの小説を上記の『ボルテージ』を含めると4作撮っている。作家はどれも気に入らず、「アランダはヒッチコックじゃなかった、彼の足元にも及ばなかった」と不満をぶちまけた。監督も負けてはおらず、「マルセも所詮、ギュスターヴ・フローベールじゃなかった」と応酬した。後で仲直りしたから()、ちょっとした子供の口ゲンカなんでしょうね。

 

★しかし本気で怒った作家もいた。『悦楽の果て』の邦題でビデオが発売されたLa pasión turcaのアントニオ・ガラ、処女小説“El manuscrito carmesí”が『さらば、アルハンブラ、深紅の手稿』として翻訳書が出ている。原作を読んでいないから分からないが、原作とは凡そかけ離れているんだと思う。映画の結末には2通りあって、なんとなく作家の怒る理由が想像できる。個人的には小説と映画はそれぞれ独立した別の作品だから、映画化を許可した時点で我が子とはサヨナラするべき、だって小説の筋をなぞる映画など見たくもないからね。主演のアナ・ベレンの妖しい美しさを引き出しており、女優を輝かせるベテランであった。ビクトリア・アブリルは言うに及ばず、『セクシャリティーズ』のラウラ・モランテ『ファニー 紫の血の女』のファニー・コタンソンなどにも同じことが言える。

 

                 

             (“La pasión turca”のアナ・ベレン)

 

★第1Brillante porvenirF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、第2Fata Morgana65)はゴンサロ・スアレス、La muchacha de las bragas de oro80)はフアン・マルセ、Asesinato en el Comité Central82)はマヌエル・バスケス・モンタルバン、『ファニー 紫の血の女』84)はアンドルー・マルタン、Tiempo de silencio86)はヘスス・フェルナンデス・サントスなどなど。

 

★晩年のTirante el Blanco06)はジョアノ・マルトレルの Tirant lo Blanc”、『ドン・キホーテ』より先にカタルーニャ語で書かれたスペイン古典中の古典、セルバンテスが大笑いしたという騎士道物語の映画化だった。これは製作費約1400万ユーロをつぎ込んだわりに評判が悪く、しかしアランダが“Tirant lo Blanc”を撮るとこうなるんだ、という映画だった。『カタルーニャ語辞典』の著者、田沢耕氏が講演会で「この監督は何という人ですか、ひどすぎます!」とマルトレルにかわって憤慨しておられたが、小説と映画は別物なんです()。撮影にホセ・ルイス・アルカイネ、音楽にホセ・ニエト、キャストにエスター・ヌビオラビクトリア・アブリルレオノル・ワトリングイングリッド・ルビオ、などを揃えた豪華版だった。

 

          

      (左から、ワトリング、ヌビオラ、ルビオ “Tirante el Blanco”)

 

     『アマンテス / 愛人』のテーマは内戦後と愛の物語

 

★実際に起きた事件に着想を得て映画化された代表作が『アマンテス / 愛人』、『セックス・チェンジ』以来、アランダのミューズとなったビクトリア・アブリル、まだ初々しかったホルヘ・サンスマリベル・ベルドゥ3人が繰りひろげる愛憎劇。アランダはエロティシズムとやり切れない内戦後に拘った。その二つをテーマに選んだのが本作。舞台背景は内戦後の1955年、しかし主要テーマは性と愛と死、だから今日でも起こりうる物語といえる。

 

           

       (アランダとアブリル、『アマンテス / 愛人』撮影のころ)

 

★この作品はゴヤ賞1992の作品賞と監督賞を受賞している。他にノミネートこそあれ受賞はこれだけ。アカデミー会員はマドリードに多いから、どうしてもバルセロナ派は不利になる。またベルリン映画祭1991でアブリルが主演女優賞を受賞、アランダの名前を国際的にも高めた作品といえる。最後の雪が舞うブルゴスのカテドラルを前にしたサンスとベルドゥのシーンは忘れ難い。ろくでもない不実な男に一途な愛を捧げる娘のひたむきさ、二人のクローズアップからロングショットへの切り替えの巧みさなど名場面の連続だった。

             

       (ベルドゥとサンス、『アマンテス / 愛人』最後のシーン)

 

<エル・ルーテ>と呼ばれた実在の犯罪者エレウテリオ・サンチェスの自伝にインスパイアーされて撮ったのがEl Lute87)とEl Lute ,mañana seré libre88)。収監中に勉強して弁護士になったエル・ルーテにイマノル・アリアス、その妻にビクトリア・アブリルが扮した。

 

              

             (アリアスとアブリル、“El Lute”)

 

      なりたかったのは作家、小説の映画化に拘った

 

★デビュー作“Brillante porvenir”を共同監督した友人で作家のロマン・グベルンが「エル・パイス」紙に寄せた追悼文によると、アランダは「本当は監督じゃなく作家になりたかった」が物書きとしては芽が出ず映画監督に方針を変えた。グベルンは「本当は監督になりたかったが監督になれず作家になった」。「これは何というパラドックスだ」とアランダが叫んだそうです。

 

★プレス会見でもあまり胸襟を開かないと言われた監督だが、それは映画が語っているから充分と考えていたのではないか。愛の混乱と曖昧さ、愛と性は爆弾のようなもの、幸せになれない登場人物たち、性愛の解放を描いて社会のタブーに挑んだ監督だったと思う。グベルンによると、バルセロナ派の監督なのにマドリードに住んでいたのは、バルセロナ派との関係が必ずしも良好ではなかったからで、それは彼がカタルーニャ語で撮らないことも一因だったという。アランダはそういう狭量な仲間意識を嫌っていたのではないか。「高校に行くことができなかった青年は優れた観察力をもっていた。神々は運命が計り知れないことを御存じだったのだ」と温かい言葉で追悼文を締め括っている。

 

マノエル・ド(デ)・オリヴェイラ逝去*現役監督106歳2015年04月07日 16:15

    「引退と死は同時だよ・・・」

★「・・撮りたい映画が頭の中に山ほどあるから」と生前語っていたように、望み通り「引退と死」は同時でしたでしょうか。去る42日の朝、ポルトの自宅で死去したことが親族からメディアに知らされました。19081211日ポルトガルの第二の港町ポルト生れだから、1世紀を優に超える実に長い人生でした。同じ年代生れの監督としては、ジャック・タチ、ロッセリーニ、オットー・プレミンジャー、ロベール・ブレッソン・・・勿論全員アチラに集合しておりますね。10歳年下の夫人マリア・イザベルさんはご健在です。杖をついた写真が多いが、実際に使用したのは最後の数ヵ月だったらしく<伊達ステッキ>でした。授賞式でもトントンと壇上に駆けあがっていました。 

 (<伊達ステッキ>だった頃のオリヴェイラ、ポルトの自宅にて、200912月)

 

★一族は裕福なブルジョア階級で、父親は電球製造工場などを経営する実業家だった。1919年から兄と一緒に北スペインのガリシア(ポンテベドラ)にあるイエズス会の学校で4年ほど学んでいる(マノエルは三男)。読書や幾何学が好きだったが、映画に夢中になるのに時間は掛からなかったという。最初の長編となる『アニキ≂ボボ』1942、モノクロ)は戦中のこともあり興行成績は惨敗、一部の批評家にしか受け入れられなかった。こんな映画を作れる監督は、ポルトガルでは前にも後にも現れませんでした。再評価までには10年以上待たねばならなかった。以後14年間映画界を離れて家業に就いていた。長い人生といっても本格的に長編を撮り始めたのは60歳を過ぎた1970年代から、特に『過去と現在―昔の恋、今の恋』1972)が注目を集めてからでした。

 

     (スポーツマンだった頃の監督、オート・レースに出場、28歳)

 

★国際スターを起用した最初の映画『メフィストの誘い』1995)は劇場公開されましたが、彼の代表作というわけではない。しかしポルトガルの俳優にとって、特に若いレオノール・シルヴェイラ(ピエダード)にとって、カトリーヌ・ドヌーヴ(エレーヌ)やジョン・マルコヴィッチのような大スターとの共演は大きなチャンスであったろう。エレーヌとピエダードは結局同一人物なのであるが、二人の女優が同一人物を演じるわけではない。ブニュエル的ではあるが二人の女優が一人の女性を演じた『欲望のあいまいな対象』(1977)とは異なる。オリヴェイラはかつて「私はブニュエルのようなものです。・・・カトリシズム抜きではブニュエル映画は存在しないだろう」と語っていますが、怖れ、罪、性は共通のテーマでしょうか。ルイス・ブニュエル『昼顔』1966)の後日談として撮ったゴージャスな『夜顔』2006)を捧げている。

 

   (カトリーヌ・ドヌーヴとルイス・ミゲル・シントラ、『メフィストの誘い』から)

 

★最後となった短編O Velho do Restelo2014、仮題「レステロの老人」)は、ヴェネチア映画祭で上映されました。オリヴェイラ映画には欠かせないルイス・ミゲル・シントラや孫のリカルド・トレパ(『家宝』『夜顔』など)が出演しています。ヴェネチアやカンヌなど国際映画祭で高く評価されようが、「カイエ・デュ・シネマ」のアンドレ・バザンがいくら褒めようが、ポルトガル人は彼の作品を観に映画館まで足を運ばない。謎を含んだまま不可解な結末を迎える映画は単純に楽しめないからです。1974年の「カーネーション革命」を感動的に描いたマリア・デ・メデイロスの『四月の大尉たち』(“Capitaes de abril”の直訳)は国民の8割が見たという(!?)。まあ、オリヴェイラも国民のために映画を撮っていたわけではないからおあいこですが。海の向こうの遠い日本でDVD-BOX(23枚組)が発売されていると知ったら、16世紀半ばに「日本発見」(種子島への鉄砲伝来のこと)をした国民はさぞかし驚くことでしょう()

 

       (ビュル・オジエ、監督、ミシェル・ピコリの三老人、『夜顔』の撮影)

 

★「・・・撮りたい映画が頭の中に山ほどあるが、さて、すべてを完成させるまで寿命が持つかどうかは分からない」、最期の時になれば(expiración) 悪事は消え去り、贖罪(expiación) が存在するだけだから、「息を引き取るとき結局、私のすべての悪事も終るでしょう」。

 

『ビースト 獣の日』アンヘル神父アレックス・アングロ逝く2014年07月21日 22:34

             アレックス・アングロ逝く

     

★以前、管理人がよくお邪魔していたブログCabinaさんから「アレックス・アングロ急死」の訃報が届きました。 720日午後1530(現地時間)、リオハの国道で交通事故に遭遇して亡くなった。ハンドルを握っていたのはご自身らしい。アレックス・デ・ラ・イグレシアの作品で日本のファンにもお馴染みでした。名脇役者として新旧の監督に起用されたことは、公開未公開も含めて指折り数えたら結構な数になったことでも分かります。ここに哀悼の意をこめて急遽UPすることに致します。訃報を聞いた「ビースト 獣の日」の監督アレックス・デ・ラ・イグレシアは、一言「神さま・・」と絶句したと。本当に人生は儚いものです。

 

               

           (彼の誠実な人柄が知れるいい写真です)

 

★以下は劇場公開・映画祭上映・DVDなど(製作順):

1992 「ハイルミュタンテ!電撃XX作戦」 アレックス・デ・ラ・イグレシア 公開1994

1994 「わが生涯最悪の年」 エミリオ・マルティネス・ラサロ スペイン映画祭1997

1995 「ビースト 獣の日」 アレックス・デ・ラ・イグレシア 公開1995

1996 「17歳」 アルバロ・フェルナンデス・アルメロ 未公開・ビデオ・テレビ放映

1997 「ライブ・フレッシュ」 ペドロ・アルモドバル スペイン映画祭1998上映 公開1998

1999 「どつかれてアンダルシア」 アレックス・デ・ラ・イグレシア 公開2001

2001 「マイ・マザー・ライクス・ウーマン」 ダニエラ・フェヘルマン&イネス・パリス

    東京国際レズ&ゲイ映画祭2003/第1回ラテンビート2004上映

2006 「パンズ・ラビリンス」 ギジェルモ・デル・トロ 公開2007

 

★漏れがあるかもしれませんが、チョイ役も含めて結構あります。なかでも多くのファンの記憶に残るのは「ビースト 獣の日」のアンヘル神父ですね。珍しく主役でゴヤ賞1996ベスト男優主演賞ノミネート、オンダス賞とスペイン俳優組合賞の二つで受賞しました。ゴヤ賞がらみでいうと、「どつかれてアンダルシア」、未公開作品オスカル・アルバルのEl Gran Vázquez2010)で助演男優賞にノミネートされました。残念ながらゴヤ賞は受賞歴なしです。

 

    

 (「ビースト 獣の日」共演のアルマンド・デ・ラッツァとサンティアゴ・セグラに挟まれて)


★日本でもロングランになった「パンズ・ラビリンス」では、ゲリラ側にたつ医師に扮し、それが発覚して卑怯にも背後から撃たれて死ぬ役でした。本作についてはカビナさんが詳しい紹介をしております。他にも「マイ・マザー・ライクス・ウーマン」、El Gran Vázquezなども。前2作については、管理人も本ブログと同じハンドルネームでコメントしています。

 

 キャリア紹介

アレックス・アングロ Alejandro Alex Angulo Leon 1953412日、ビスカヤ県のエランディオErandio 生れ、俳優、2014720日死去、享年61歳。最初は教職を目指していたが、23歳のとき自分のやりたいことは演技者と気づき進路変更を決意した。舞台俳優から映画、テレビと活躍の場を広げ、トータルで短編、テレビを含めると90作以上になる。映画はバスク映画界を牽引してきたイマノル・ウリベのETA三部作La fuga de Segovia1981未公開)でデビュー、実話に基づくドキュメンタリー手法で撮られた力作です。

 

★アングロの人柄は、不屈、誠実、礼儀正しい教養人と、映画の登場人物に似ていて、悪口は聞こえてきませんでした。映画をご覧になった方は異を唱えないと思います。長寿テレドラ・シリーズPeriodistasの共演者ホセ・コロナドも「彼ほど大きな心をもった人を知らない・・・友よ、安らかに」とコメントを寄せています。コロナドはエンリケ・ウルビスの『悪人に平穏なし』(2011)の主役になった俳優、アングロは出演しませんでしたが、ウルビスの初期のコメディTu novia está loca1988)、Todo por la pasta1990)に出演していました。本ブログでご紹介したことがありますコチラ

 

★纏まらない記事ですが、取りあえずUPしておきます。これからなのに、本当に残念です。

ガボと映画、さよなら、ガルシア・マルケス2014年04月27日 08:25

★ガボはガブリエルの愛称だから世界にはごまんといるはずだが、ラテンアメリカでガボと言えばガルシア・マルケスとイコールです。三度の飯より権力が好きだったノーベル賞作家が旅立ちました。今年はオクタビオ・パスとフリオ・コルタサルの生誕100年の年、沢山の催し物を期待しておりますが、それにガボも加わることでしょう。

 


★未刊の中編小説En agosto nos vemos刊行の噂もあり(遺族の意向次第、未完なのかもしれない)、しばらく話題提供が続きますね。28年間欠かさず816日に母親の墓参をしている女性の話、そこからタイトルがとられた。「また八月にお会いしましょう」という意味。今年のハバナ映画祭(12月)ではガルシア・マルケス特集が組まれるらしく、どんな作品が上映されるのか、アルフレッド・ゲバラも既に鬼籍入り、今度は盟友も後を追ってしまい、今後ハバナ映画祭は何処へ向かうのでしょうか。

 

★作家の映画脚本家としてのキャリアは長い。IMDbによれば51作品ありますが、短編、テレビやドキュメンタリーも含めており、それらを除いても30作を超えます。さらに原作、原案、セグメントだけだったりするから作家が全てにコミットしているわけではないようです。日本のデータでは発売中のDVDのリストはあっても全体を見渡せるものは(あるのかもしれないが)検索できなかった。以下はIMDbをたたき台にして管理人が作成したものです。劇場未公開ながら邦題を入れたのは原作のタイトルを借用しています(例:『わが悲しき娼婦たちの思い出』など)。また公開された映画については簡単に引き出せますからデータのみに致します。

 

       主なフィルモグラフィー

2011 Memoria de mis putas tristes(原作『わが悲しき娼婦たちの思い出』)

   これについては既にアップ済み。コチラ⇒2014年0123

2011 Lecciones para un beso (共同脚本「キスのレッスン」)

   監督:フアン・パブロ・ブスタマンテ/コロンビア/撮影:カルタヘナ

2009 Del amor y otros demonios (原作『愛その他の悪霊について』)

   監督:イルダ・イダルゴ/コスタリカ・コロンビア

2007 Love in the Time of Cholera (原作『コレラの時代の愛』) 公開2008

   監督:マイク・ニューウェル/米国/言語:英語

2006 O Veneno da Madrugada (原作La mala hora『悪い時』)

   監督:ルイ・ゲーラ/ブラジル・アルゼンチン・ポルトガル/言語:ポルトガル語・西

撮影:ブエノスアイレス

2001 Los niños invisibles共同脚本『透明になった子供たち』
   セルバンテス文化センター上映

   監督・脚本:リサンドロ・ドゥケ・ナランホ/ベネズエラ・コロンビア/撮影:コロンビア

1999 El coronel no tiene quien le escriba (原作『大佐に手紙は来ない』)公開

   監督:アルトゥーロ・リプスタイン/ 製作:ホルヘ・サンチェス他 /メキシコ・仏・西 

1996 Oedipo alcalde (共同脚本『コロンビアのオイディプス』
   「キューバ映画祭
2009」上映

   監督:ホルヘ・アリ・トリアナ/コロンビア・西・メキシコ・キューバ

1994 Eyes of a Blue Dog (原案『青い犬の目』)

   監督:表記なし/米国/言語:英語

1992 Mkholod sikvdili modis autsileblad (原作 英題“Only Death Is Bound to come”)

   監督:Marina Tsurtsumia /グルジア・ロシア 言語:グルジア語・ロシア語

1989 Milagro en Roma (脚本『ローマの奇跡』) 公開1991

   「愛の不条理シリーズ」より 監督:リサンドロ・ドゥケ・ナランホ/コロンビア・西

1989 Cartas del parque (脚本 / 原案『公園からの手紙』) 公開1991

   「愛の不条理シリーズ」より 監督:トマス・グティエレス・アレア/キューバ・西

1988 Un señor muy viejo con unas alas enormes 
   (共同脚本『大きな翼を持った老人』)

   「愛の不条理シリーズ」より 監督:フェルナンド・ビリ/キューバ・伊・西、公開1990

1988 Fábula de la Bella Palomera (脚本『美女と鶏の寓話』)

   「愛の不条理シリーズ」より 監督:ルイ・ゲーラ/ブラジル・西

1987 Cronaca di una morte annunciata (原作『予告された殺人の記録』)公開1988

   監督:フランチェスコ・ロージ/伊・仏、言語:イタリア語

1986 Tiempo de morir (脚本『死の時』/ダイアローグ:カルロス・フエンテス)

       監督:ホルヘ・アリ・トリアナ/コロンビア・キューバ 

1984 『さらば箱舟』(原作『百年の孤独』/ 脚本:監督・岸田理生) 公開1984

   監督:寺山修司 /日本/言語:日本語

1983 Eréndira (原作/ 脚本 『エレンディラ』) 公開1984

   監督:ルイ・ゲーラ/仏・メキシコ・西独 モノクロ

1979 El año de la peste (共同脚本:フアン・アルトゥーロ・ブレナン「ペストの年」)

   監督:フェリペ・カサルス /メキシコ /ダイアローグ:ホセ・アグスティン
      1980年アリエル賞(監督賞)・脚本賞受賞、同年メキシコ・ジャーナリスト・シネマ賞
   (銀賞)を受賞。ガルシア・マルケスが関わった映画では唯一の受賞作。

1979 María de mi corazón (脚本/原案「わが心のマリア」)

   監督・脚本:ハイメ・ウンベルト・エルモシーリョ /メキシコ

1979 a viuda de Montiel (原作『モンティエルの未亡人』)

   監督・脚本:ミゲル・リッテン/共同脚本:ホセ・アグスティン/メキシコ・コロンビア・ベネズエラ・キューバ / ジュラルディン・チャップリン主演

1975 Presagio 共同脚本「前兆」

   監督・脚本:ルイス・アルコリサ /メキシコ

1969 Patsy, mi amor (原案「愛しのパッツィー」)

   監督・脚本・ダイアローグ:マヌエル・ミチェレ/メキシコ/オフェリア・メディーナ主演

1968 4 contra el crimen (共同脚本:アルフレド・ルアノバ「犯罪に立ち向かう四人)

   監督:セルヒオ・ベハル /原案:フェルナンド・ガリアナ /メキシコ

1967 Juego peligroso (セグメント "HO"、他ルイス・アルコリサ、
   フェルナンド・ガリアナ)

   監督:ルイス・アルコリサ、アルトゥーロ・リプスティン /メキシコ/ 
   シルビア・ピナル主演

1966 Tiempo de morir (脚本『死の時』/ダイアローグ:カルロス・フエンテス)

   監督:アルトゥーロ・リプスティン/メキシコ/モノクロ

1965 Amor amor amor (脚色/ セグメント "Lola de mi vida")

   監督:ベニト・アラスラキ、ミゲル・バルバチャノ=ポンセ他 /メキシコ

1965 En este pueblo no hay ladrones (原案『この村に泥棒はいない』)

   監督・脚本:アルベルト・イサーク/脚本:エミリオ・ガルシア・リエラ他 /メキシコ
   /モノクロ

1965 Lola de mi vida (脚色 / 脚本『愛しのローラ』)

   監督:ミゲル・バルバチャノ=ポンセ /メキシコ

1964 El gallo de oro (共同脚本『黄金の雄鶏』 原案:フアン・ルルフォ)

   監督・脚本:ロベルト・ガバルドン / 共同脚本:カルロス・フエンテス

1954 La langosta azul (共同監督、脚本、短編)

   短編は除外しましたが、本作は唯一の監督作品ということでリストに入れました。

 

    El gallo de oro1964)は、後にアルトゥーロ・リプスタインがEl imperio de la fortunaのタイトルで同じフアン・ルルフォの短編を原案にして撮っています。スタッフ、キャスト陣も別で、「メキシコ映画祭1997」上映の邦題は『黄金の鶏』、未公開です。

 

   

(写真:イグナシオ・ロペス・タルソとルチャ・ビリャ)

    1965年の『この村に泥棒はいない』では、作家はリストで分かるように原案だけで脚色にはタッチしていません。1965年の第1回長編実験映画コンクール(メキシコ)で2等に選ばれた。本作には監督以下、ルイス・ブニュエルが司祭役、フアン・ルルフォとアベル・ケサダがドミノ遊びに興じていたり、画家のホセ・ルイス・クエバスがビリヤードをやっていたり、作家本人も映画館のモギリ役で出演しています。友情出演というか映画作りに参加することが魅力的な時代でした。

 

    1966年と1986年の “Tiempo de morir” は、監督やキャストは異なりますが、脚本・ダイアローグは同じです。前者はリプスティンのデビュー作で、まだ20代の駆け出し監督でした(1943生れ)。メキシコ・シネマ・ジャーナリスト賞を受賞した。後者はホルヘ・アリ・トリアナがリメイクした。写真はダイアローグを担当したカルロス・フエンテスとガボ。

 


    寺山修司の最後の長編映画『さらば箱舟』は、2年前の1982年に完成していたが、ガルシア・マルケス側からのクレームで延期されていた。山崎勉、原田芳雄、小川真由美他。

 


    『予告された殺人の記録』の原作は、マルケスの中編では最高傑作でしょうね。しかし映画のほうはコロンビアの地元では頗る評判が悪い。それには一理あって、映画では大胆に語り手を変えている。語り手と母親の関係がなくなり30年間の空白ができているのが問題です。従って内の視点がなし崩しになり、原作とはイメージが異なってしまった。これはあくまでヴィスコンティのもとで長らく助監督をしていたイタリア人監督のイタリア映画と考えることです。1972年のカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた『黒い砂漠』の脚本を共同執筆したのが、本作と同じトニーノ・グエッラでした。グエッラと言えばシネフィルには神様みたいな脚本家、デ・シーカ、アントニオーニ、タルコフスキー、テオ・アンゲロプロスなど世界の名だたる巨匠とタッグを組んで名作を送り出した巨人である。撮影監督もパスカリーノ・デ・サンティス(ロベール・ブレッソンの遺作『ラルジャン』1983)と申し分なし。うがった見方をするならば、語り手を変えることで原作者との接触を避けたかったのではないか。実際、原作者のロケ地訪問(モンポス、カルタヘナ)を断っている。ロージの専属俳優ともいえる名優ジャン・マリア・ボロンテ、ルパート・エヴェレット、オルネラ・ムーティ、イレーネ・パパスとキャスト陣も豪華です。


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1996年の『コロンビアのオイディプス』は、「キューバ映画祭2009」で上映された作品(キ  ューバ映画と言えるかどうか)。ホルヘ・アリ・トリアナは、前述したリメイク版『死の時』も監督している。プロデューサーはホルヘ・サンチェス(『愛しのトム・ミックス』、『大佐に手紙は来ない』、『バスを待ちながら』)、撮影監督はロドリーゴ・プリエト、当時は新人でしたが、以後『アモーレス・ぺロス』、『フリーダ』、『バベル』、『抱擁のかけら』、『ラスト、コーション』では第64回ベネチア映画祭で撮影監督に与えられる金のオゼッラ賞を受賞している。本作でもその後の活躍を予感させるスマートでドラマティックなプラグマティズムなカメラ・ワークが話題になりました。ロケ地はコロンビア。
    

キャスト:ホルヘ・ペルゴリア(オイディプス)、アンヘラ・モリーナ(イオカステ)、パコ・ラバル(テイレシアース)、ハイロ・カマルゴ(クレオーン)、ホルヘ・マルティネス・デ・オジョス(司祭)

マルケスは、ソポクレスの悲劇『オイディプス・ティラーノス()』(BC 5世紀)をベーシックにして、そこから横道にさまよい出ていきます。知らずに犯してしまう禁忌タブーの近親相姦があること、神託で決められた運命は変えられないがテーマ。

オイディプスの名前は、「腫れた足」から来ている。籐の杖をついて歩く、それは神託によって捨てられ山中に鎖で繋がれていたからである。最後のシーンに繋がっていく。

(写真下はホルヘ・ペルゴリアとアンヘラ・モリーナ)

 


ホルヘ・アリ・トリアナ監督、19424月4日、コロンビアのトリマ生れ。監督・製作・俳優・脚本家。代表作:リメイク版Tiempo de morir 「死の時」(1986)。Bolivar soy yo! 「ボリバルは私だ」(2002、脚本・製作)、Esto huele mal 「変な臭いがする」(2007、製作)、舞台監督:「純真なエレンディラ」、「予告された殺人の記録」、「山羊の祝宴」など。

 

    『大佐に手紙は来ない』は、サンダンス映画祭2000ラテンアメリカ・シネマ賞受賞、カンヌ映画祭1999正式出品、ゴヤ賞2000 脚色賞ノミネート(パス・アリシア・ガルシアディエゴ、リプスタインの妻)。製作費約300万ドル。東京国際映画祭1999で上映(2004年公開は未確認)。大佐にメキシコの大物俳優フェルナンド・ルハン、その妻役ローラにスペインの大女優マリサ・パレデス、喧嘩で殺された一人息子の恋人フリアに人気急上昇中のサルマ・ハエック、ダニエル・ヒメネス=カチョなどが出演して話題になった。

  (写真下は、靴下の穴かがりをするロラと大佐)

    

    


    『透明になった子供たち』は、セルバンテス文化センター「土曜映画上映会」(20099月)で上映された。ボゴタ映画祭2001ベスト・コロンビア・フィルム賞、カルタヘナ映画祭2002作品賞他を受賞している。ジャンルはコメディ、多分未公開。

 


ストーリーは、大好きなマルタ・セシリアに透明になって近づきたいラファエル少年と仲間の友人2人のちょっとこわい冒険談。黒魔術を使って透明になろうと奔走する
3人は、恐怖を乗りこえ、道徳にも反して、ニワトリの臓物、ネコの心臓を手に入れようとする。本当に透明になれるのでしょうか。活気にあふれた1950年代のコロンビアの小村の風物(ドミノに興じる男たち、マルケスの小説によく登場する理髪店)、世界ミス・コンテストを導入されたばかりのテレビで見る庶民など、半世紀ほどタイムスリップして楽しむことができる。透明になってしまう語り手のラストシーンがお茶目です。(写真:左がラファエル)