マリサ・パレデス逝く*ゴヤ賞2025 ⑫2025年02月25日 15:57

      前触れもなく旅立った〈映画界のレジェンダ〉マリサ・パレデス追悼

 

         

 

★今年のゴヤ賞ガラで多くの人が深い喪失感を味わったのが、昨年師走に前触れもなく旅立ったマリシータことマリサ・パレデス1946)の追悼でした。毎年ガラにはノミネートがなくてもプレゼンターとして姿を見せ、偉ぶることもなく各メディアのインタビューに応じ、常に女性の地位向上に言及していた。もうあの青い瞳の優雅な佇まいに接することは叶わなくなってしまった。ガラ後半、スペイン映画アカデミー会長フェルナンド・メンデス=レイテもスピーチの締めくくりはパレデス追悼でした。母親と同じ女優の道を歩む一人娘マリア・イサシが会長に伴われて壇上に登場、亡き母への想いを語った。会場には40年以上も共に人生を歩んだホセ・マリア・プラド(愛称チェマ、ルゴ1952、元国立フィルムライブラリー館長)の未だ事実を受け入れられないのか、悪い夢を見ているような、打ちのめされたような姿が印象的でした。隣席の男性はマリサの兄弟ということです。

   

       

             (感謝の辞を述べるマリア・イサシ)

 

★マリア・イサシは、「私たちと心を分かち合って下さっている全ての方々に御礼を申し上げたい、皆さまから寄せられた親愛や素晴らしい言葉、そして私たちの空虚感を共有して下さる全ての方々です。彼女は親愛、熱愛、敬意を重んじることを知っておりました。その凄さは決して想像できないほどでした」とスピーチした。マリア・イサシ(マドリード1975)は、パレデスが17歳の年齢差で結婚した監督アントニオ・イサシ・イサスメンディ19292017)の娘、母親が「私の最高作品」と称した一人娘です。共演作として、アンパロ・クリメントが同名戯曲を映画化したドキュメンタリー・ドラマ「Las cartas perdidas」(21)、カルロス・モリネロのデビュー作「Salvajes」(01)ではゴヤ賞新人女優賞にノミネートされている。母親が2018ゴヤ栄誉賞を受賞したときのプレゼンターを務めている。

 

       

          (マリサ・パレデス、第32回ゴヤ栄誉賞2018ガラ)

   

       

        (マリア・イサシ、マリサ・パレデス母娘、同フォトコール)

 

20241217日の明け方、心不全のため帰らぬ人となった。生来の優雅さをたたえた、貴婦人のお手本のようなマリサ・パレデスは、少し体調が良くないとマドリードのヒメネス・ディアス財団病院に緊急入院していた。互いに支えあった40年来のパートナーであるチェマ・プラドも、当日の朝には別れの言葉を交わすことが叶わなかったということです。元気そうに見えていたが心臓に栄養を運ぶ血管の冠状疾患を抱えていたようです。

   

      

       (チェマ・プラドとマリサ・パレデス、ベルリン映画祭2018にて)

 

★マリサの旅は、マドリードの中心街サンタ・アナ広場近くの労働者階級が多く暮らす守衛室から幕を開けた。ビール工場で働く保守的な父ルシオと建物の守衛をしていた自立心に富んだ母ペトラの末娘、家は貧しかったという。当時のスペインは階級の違いがはっきりしていて、マリサは労働者階級意識を胸に刻み付けて成長した。そして国際的な女優になった後も決してそのことを忘れることはなかった。

 

★「ママ、どうして家は貧乏なの?」と尋ねる娘に「金持ちは遺産を相続するからなの。同じように貧乏人は貧乏を受け継ぐんだよ」と、指で頭をさして「ここによーく叩き込んでおきなさい」と諭したそうです。個人の努力が足りないとか、日本の為政者や権力者が大好きな言葉〈自己責任〉ではないということです。社会がどのように変わろうともブレない彼女の強い責任感、民主主義への政治的コミットメント、義務を果たすフェミニストぶりが筋金入りなのは、この幼少期の母親の教えにあると語っている。彼女が母親を〈共犯者〉と呼ぶ所以です。

     

     

   (「品位ある民主主義のために」の会合で「今日世界は少し悲しい」と。20244月)

   

     

     (「性暴力は終わりにしよう」の団扇を手にしたゴヤ賞ガラ、20242月)

 

★家計を助けるため、小学校は11歳まで、婦人服の仕立で屋で働き始める。隣人が持っていたコミック雑誌を借りて独学した。痩せていたのでパハリート、小鳥ちゃんの綽名で呼ばれていた。母親の「いいかいマリシータ、自分のやりたいことを諦めずに闘いなさい」という言葉を終生忘れなかった。守衛室の建物の屋上からエスパニョール劇場を見下ろして「女優になる」と決めたのは5歳だった。

   

  

      (アルモドバル監督と。フォトグラマス・デ・プラタ栄誉賞2015ガラ

 


  (パレデス、チュス・ランプレアベ、ロッシ・デ・パルマ、『私の秘密の花』から

    

   

 (母娘の最後の共演作となった「Las cartas perdidas」から)

 

主な受賞歴:映画国民賞1996、芸術功労賞金のメダル2007CinEuphoria栄誉賞2011、フォトグラマス・デ・プラタ栄誉賞2015、バジャドリード映画祭栄誉賞2017、ゴヤ栄誉賞2018、ナント映画祭栄誉賞2021、ほか演技賞受賞はキャリア紹介に譲ります。2018年以降の主な出演は上記の「Las cartas perdidas」、2024年のアルバ・ソテロのドキュメンタリー「Mucha mierda」、TVミニシリーズでは、ロス・ハビスがプロデュースした「Vestidas de azul」(2324)の2話に出演している。キャリア&フィルモグラフィーは以下にアップしております。

ゴヤ栄誉賞2018とキャリア&フィルモグラフィーは、コチラ20180118

ナント映画祭2021栄誉賞と「Las cartas perdidas」作品紹介は、コチラ20210411

     

       

           (カンヌ映画祭2024のレッドカーペットにて)

 

★訃報が伝えられると、や SNS には、急逝に驚いたペドロ・サンチェス首相以下、労働大臣で副首相ヨランダ・ディアス、スペイン映画アカデミー会長フェルナンド・メンデス=レイテ、『私の秘密の花』や『ハイヒール』の監督アルモドバル、製作者のアグスティン・アルモドバル、『オール・アバウト・マイ・マザー』の共演者ペネロペ・クルス、「あまりにも早すぎます」とアントニオ・バンデラス、カンヌ映画祭の元会長ジル・ジャコブ、『ペトラは静かに対峙する』の監督ハイメ・ロサーレス、『私の秘密の花』の共演者ロッシ・デ・パルマ、フアン・ディエゴ・ボットーなど多くの仲間や友人からの感謝の言葉が投稿されている。日本では考えられないことですが、12月18日の通夜がエスパニョール劇場で行われると発表したのはサンチェス首相でした。

   

      

        (最後のアディオス、エスパニョール劇場、20241218日)


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