グティエレス・アラゴン審査委員長インタビュー*マラガ映画祭2023 ⑬2023年03月31日 18:19

              ベルリン映画祭で幸運なスタートをきる

 

★マラガ映画祭の「審査委員長にマヌエル・グティエレス・アラゴン監督」のアナウンスには、スペイン映画のオールドファンの一人として驚きを隠せなかった。民主主義移行期から1980年代を通して、多くの名作が本邦にもたらされ、若手ながら批評家の評価は高かったが、突然の引退表明から大分時が経っていたからでした。2008年製作の「Todos estamos invitados」(銀のビスナガ審査員特別賞受賞作)を最後に60代での引退はいかにも早すぎ、いずれ撤回するに違いないと思っておりましたが、TVシリーズはあっても長編映画を撮ることはありませんでした。インタビューの前段として監督キャリア&フィルモグラフィーをアップします。

 

    

  (フリックスオレのインタビューを受けるグティエレス・アラゴン、マラガFF2023

 

マヌエル・グティエレス・アラゴン1942年カンタブリア州トレラベガ生れの監督は81歳、ゴヤ賞ガラの前日に鬼籍入りしたカルロス・サウラの次の世代に当たります。ホセ・ルイス・ボラウの『密漁者たち』やハイメ・カミーノの『1936年の長い休暇』に監督とシナリオを共同執筆した名脚本家としての評価も高い。マドリード大学で哲学と文学を学ぶかたわら、1947年設立の国立映画研究所(IIEC)を1962年に組織替えした国立映画学校(EOC)に入学、監督を学び、卒業制作「Hansel y Gretel」(ヘンゼルとグレーテル)を撮る。短編数編を撮ったのち、1973エリアス・ケレヘタの製作によってデビュー作「Habla, mudita」が誕生した。当時の大物プロデューサーだったケレヘタとの出会いが幸運だった。

 

★長編第1作がベルリン映画祭に正式出品されるという幸運に恵まれただけでなく、いきなり「芸術文学科学の普及国際委員会賞」という批評家賞を受賞してしまった。非常に早い段階で成功がもたらされたことになります。本作はスペイン映画が初めて23本まとまったかたちで紹介された「スペイン映画の史的展望〈19511977」(198410月~11月、東京国立近代美術館フィルムセンター)で『話してごらん』の邦題で上映された。彼はルイス・ブニュエル以下20名の監督のなかで一番の若手でした。この映画祭終了後1週間おいて渋谷東急名画座で開催された「1回スペイン映画祭」では、1982年製作の6作目「Demonios en el jardín」が『庭の悪魔』の邦題でエントリーされた。駆け出しの監督が10年間に6作というのは、当時としては驚異的な数字でした。1986年のカルロス・サウラの映画特集に続いて、翌年「アラゴン映画特集」というミニ映画祭が開催され、以下の6作が上映された。

   

       

              (『庭の悪魔』のポスター)

 

1977年「Camada negra2作目、邦題『黒の軍団』ベルリン映画祭1978監督銀熊賞受賞

1977年「Sonámbulos3作目、同『夢遊病者』サンセバスチャン映画祭1978監督銀貝賞受賞

1978年「El corazón del bosque4作目、『森の中心』ベルリンFF 1979正式出品

1980年「Maravillas5作目『マラビーリャス』シカゴ映画祭1981銀のヒューゴー賞受賞、

    サンジョルディ賞1982受賞、フォトグラマス・デ・プラタ1982など受賞

1982年「Demonios en el jardín6作目、『庭の悪魔』サンセバスチャンFF FIPRESCI賞、

    フォトグラマス・デ・プラタ1983、イタリアのドナテッロ(ルネ・クレール賞)、

    モスクワ映画祭1983 FIPRESCI 賞などを受賞

1984年「Feroz」『激しい』カンヌ映画祭「ある視点」正式出品

 

★ミニ映画祭とはいえ、若手監督の映画特集は異例のことでしたが劇場公開には至りませんでした。サンセバスチャンFFで金貝賞を受賞した9作目「La mitad del cielo」(86)が『天国の半分』の邦題で初めて公開されたのは、1990年の年末でした。本作ではアラゴン監督のお気に入り女優アンヘラ・モリーナが女優賞(銀貝)を受賞している。スペイン内戦後のマドリードを舞台にした本作は、「2回スペイン映画祭1989」の1本でした。監督の故郷カンタブリアの州都サンタンデール出身の女性がマドリードに出て、二人の姉や成功を妬む人の密告などに苦労しながらも予知能力のある祖母の霊に守られてレストラン経営で成功する話だが、日本の観客に受け入れられたかどうか。

 

1998年、スペイン大使館主催、国際交流基金後援の「スペイン映画祭98」(会場シネ・ヴィヴァン・六本木)は本当に力作ぞろいの7作品でした。うちアラゴンはキューバの俳優とスタッフを起用した「Cosas que dejé en la Habana」(97)がエントリーされ、『ハバナから来た娘』で上映された。監督がキューバに拘るのは、祖父と父親がキューバ生れのクリオーリョということがあるようです。より良い人生を築くため祖国を離れてマドリードに移住してきた3人の娘たちの誇りと郷愁が描かれた。

 

★公開作品は上記『天国の半分』1作だけだが、キューバを舞台にした「Una rosa de Francia」(06)が、2009年に『カリブの白い薔薇』でDVDが発売された他、フェルナンド・レイとアルフレッド・ランダ主演の『ドン・キホーテ』(1991年版)がNHK衛星第2で放映された。10年後2002年に再びフアン・ルイス・ガリアルドとカルロス・イグレシアス主演のコンビで製作されたものは、前作のレベルには到達しなかったと評された。これは20155月にインスティトゥト・セルバンテス東京で英語字幕入りで上映されている。

 

      「検閲は私たちを萎縮させ、苛立ちを引き起こした」と監督

 

★以下の記事は、マラガ映画祭期間中に監督とFlixOléとのインタビューを簡単に要約したものです。まだ結果発表前に行われたインタビューなので、ノミネートされた個別の作品についての言及はありません。( )内は管理人が追加したものです。

  

Q: 審査委員長を引き受けた経緯についての質問。

A: 去年も打診がありましたがお断りしました。忘れてくれることを期待しましたが、やはり今年も要請がありましたので、やるしかないと引き受けました。私は何度もマラガに来ており、審査員になることでスペインとラテンアメリカ両方の映画を楽しんでいます。

 

Q: 今年の映画の一般的なレベルについての質問。

A: まだ審査前ですから、お話しすることはできません。しかし、ラテンアメリカ映画は多様で感銘を受けています。私たちが知らない不思議な世界を描いていて、訛りがとても魅力的なのです。今年のスペイン映画の質も高く、人々の関心を高めています。審査はラクではありませんが、有意義な時間を過ごしています。

 

Q: デビュー作がベルリン映画祭で受賞したことがキャリアにどう影響したかの質問。

A: 当時スペインでは、映画祭に出品するというのはそう多くなかったので注目されました。しかし映画祭は数が多すぎて出品しただけでは気づいてもらえず、ですから受賞はとても重要でした。注目を集めるには何かプラスが必要なのです。

 

Q: フランコ政権後期から民主主義移行期に登場した世代に属しています。その頃の映画製作の実情についての質問。

A: フランコがまだ死んでいなかったので(1975年没)、第1作(Habla, mudita73)は検閲を受けましたが、受けたのはこの1作だけです。しかし、何よりも検閲は私たちを萎縮させ、苛立ちを引き起こした。しかしそれと引き換えに、人々はどこが検閲され削られたかを見つけたりして、それなりに惹かれました。観客との一種の共犯関係があったのです。移行期にはそれが特に顕著でした。検閲を気にする必要がなくなって共犯関係は失われました。

 

Q: キャリアを最も決定づけた作品は何かの質問。

A: 私が若くて欲望が強かった頃の初期の映画によい思い出があります。70年代から80年代にスペインで映画を撮るのは非常に困難でした。撮影期間が今より長いこともありました。今は残念ながら短くなって数週間です。今よりずっと製作状況は厳しかったのに、最高の思い出は初期の作品で、記憶に残るのは(名優フェルナンド・フェルナン=ゴメス主演、1980年製作の)マラビーリャス』です。

    

      

        (最高の思い出がある『マラビーリャス』のポスター)

 

Q: 『夢遊病者』や『庭の悪魔』もお気に入りと思いますが、2作についての質問。

A: 私が映画を撮り始めたとき、『夢遊病者』や『マラビーリャス』はかなり稀な作品、破壊的でした。伝統的なスペイン映画との決別がありました。一部の人には受け入れられましたが、一方ほかの人は好きではありませんでした。それで少なくともより古典的な映画に切り替えました。私も年を取ったわけです(笑)。これは一般の観客に門戸を開きましたが、破壊的な映画の新鮮さを少し失いました。一部の人にしか受け入れられなかった映画でも、初期の作品は気に入っています。いつも批判的なサポートを受けます。ほかの監督は批判されると不平を言いますが、私の場合は専門家の評価でキャリアが推進されたので、文句は言えないのです。そうでなければ、私はここにいないでしょう。それから私の映画は緩慢な領域に入りましたが製作できただけ満足です。映画製作は高価で役に立たない複雑な面があり、最終的には批評家ではなく、多くの観客に受け入れられることを望んでいます

 

★監督が審査員になることの是非について「ご存じのように、監督は一般的に私たち自身の映画の良い判断者ではありません。ある人には共感できるが、他の人はそうではない。打ちのめされた映画というのは、それはまさにあなたが好きな映画で、あなたが良い映画だと思っているものです。自分たちの映画を審査することになると、私たちは信頼できません」ということでした。「然り」ですね。

 

FlixOlé フリックスオレというのは、月額3.99ユーロでサブスクリプションして、スペイン映画をタブレットや携帯にダウンロードして視聴できる。追加料金を払えば海外の映画も見ることができる。携帯で映画を見る時代になったのでしょうか。「映画は映画館で見る」という管理人の世代は、もはや化石人間なのでしょう。