サンティアゴ・ミトレの『アルゼンチン1985』*プライムビデオ鑑賞記2022年11月23日 18:05

          アカデミー賞2023のアルゼンチン代表作品『アルゼンチン1985

   


     

★アルゼンチン初となるアマゾン・オリジナル作品となったサンティアゴ・ミトレ『アルゼンチン1985は、1021日から配信が始まりました。サンセバスチャン映画祭2022の作品紹介で140分が長かったか短かったか試されると書きましたが如何でしたでしょうか。本作のように生存者の証言記録、法廷内の写真などが残っている場合は、ドラマとは言え事実にお化粧直しはできません。その当時、リアルタイムで新聞を読みラジオの特別放送を聞いていた国民のなかには、封印してきた過去の亡霊に直面して眠れなかった人もいたはずです。コロナ禍の中にも拘わらず、公開3週間で約60万人が映画館に足を運んだ。

 

★実在した重要人物が多いのも本作の特徴です。実在あるいは架空の登場人物紹介を兼ねながら物語を進めたい。なお本作は第95アカデミー賞国際長編映画賞ゴヤ賞イベロアメリカ映画賞のアルゼンチン代表作品に選ばれ、ホセ・マリア・フォルケ賞のイベロアメリカ映画部門にノミネートされました。

作品、監督キャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ20220906

 

データ『アルゼンチン1985~歴史を変えた裁判~(原題「Argentina, 1985」)アルゼンチン=米国合作、2022年、スペイン語、歴史・法廷ドラマ、140分、1021日からプライムビデオ独占配信開始。

映画祭・受賞歴:第79回ベネチア映画祭2022コンペティション部門正式出品、FIPRESCI(国際映画批評家連盟賞)、SIGNIS 佳作(カトリックメディア協会賞)の2冠、第70回サンセバスチャン映画祭ペルラス部門の観客賞受賞、ラ・ロッシュ・シュル・ヨン映画祭(仏)観客賞受賞、他チューリッヒ、ハンブルグ、ロンドン、リオデジャネイロ、ニューポートビーチ、ベルゲン、各国際映画祭で上映された。

    

     

       (ミトレ監督、リカルド・ダリン、ピーター・ランサニ、ベネチア映画祭2022)

 

あらすじ1983103日、軍事独裁から政権が民政に移管された。ラウル・アルフォンシは大統領に就任した1213日に「大統領政令158/83」に署名し、司法手続きが開始された。軍事独裁政権時代(197683)の3人の大統領を含む陸海空三軍の軍人9名を「拉致・拷問・殺害の大量虐殺」の罪で起訴した集団裁判、いわゆる「軍事評議会裁判または評議会裁判」(フンタス裁判)が1985422日に始まった。約4か月半後の814日までに、延530時間、833人の証人が証言し、結審した129日までを物語った法廷ドラマ。この映画は、主任検事フリオ・ストラッセラと副検事ルイス・モレノ・オカンポの実話に触発されて製作されました。

 

主なキャスト紹介

リカルド・ダリン(フリオ・ストラッセラ主任検事、19332015、享年81歳)

ピーター・ランサニ(ルイス・モレノ・オカンポ副検事、1952~)

アレハンドラ・フレヒナー(ストラッセラ妻シルビア、実名マリサ)

サンティアゴ・アルマス・エステバレナ(ストラッセラ息ハビエル、実名フリアン)

ジーナ・マストロ二コラ(ストラッセラ娘ベロニカ)

ノーマン・ブリスキ(ルソ、ストラッセラの先輩弁護士、架空)

クラウディオ・ダ・パッサノ(ストラッセラの友人〈ソミ〉作家カルロス・ソミリアナ、享年54歳)

ガブリエル・フェルナンデス(ブルッゾ、架空)

パウラ・ランゼンベルク(ストラッセラ付の司法職員スサナ)

ラウラ・パレデス(アドリアナ・カルボ・デ・ラボルデ、最初の証言者、19472010、享年63歳)専攻

  

カルロス・ポルタルッピ(レオン・カルロス・アルスラニアン裁判長)

アレホ・ガルシア・ピントス(判事)

ウォルター・ジェイコブ(判事)

エクトル・ディアス(被告側の主任弁護士バシーレ)

リカルド・セペタ(同上)

ソフィア・ラナロ(コルドバ出身の証人)

ロベルト・マウリ(同上)

他に判事、証言者多数

 

9名の被告

マルセロ・ポッツィ(ホルヘ・ラファエル・ビデラ陸軍総司令官、期間1976329日~81328日、終身刑及び永久資格剥奪)

エクトル・バルコネ(ロベルト・エドゥアルド・ビオラ陸軍総司令官、期間1981329日~1211日、禁固17年)

カルロス・Ihler(レオポルド・フォルトナート・ガルティエリ陸軍総司令官、期間19811222日~1982616日、無罪)

ホセロ・ベジャ(エドゥアルド・マセラ提督、ビデラ政権、終身刑)

ホルヘ・バラス(アルマンド・ランブルスキーニ海軍、ビオラ政権、禁固8年)

ホルヘ・グレゴリオ(オルランド・アゴスティ陸軍准将、禁固46ヵ月)

セルヒオ・サンチェス(ホルヘ・アナヤ海軍准将、ガルティエリ政権、無罪)

マルセロ・ロペス(バシリオ・ラミ・ドソ空軍司令官、ガルティエリ政権、無罪)

ホルヘ・ルイス・コウト(オマール・グラフィグナGraffigna空軍総司令官、ビオラ政権、無罪)

 

若手司法チームのメンバー

マヌエル・カポニ(ルーカス・パラシオス)、ブリアン・シチェルSichel(フェデリコ・コラレス)、アルムデナ・ゴンサレス(ジュディス・ケーニッヒ)、フェリックス・ロドリゲス・サンタマリア(マコ・ソミリアナ、作家ソミの息)、アントニア・ベンゴエチェア(マリア・エウヘニア)、サンティアゴ・ロビト(エドゥアルド)、レイラ・ベチャラ(イサベル)、他

 

その他

アドリアン・マンペル(ラウル・アルフォンシン大統領)

フィト・ヤネリ(国土安全保障長官/内務大臣アントニオ・トロッコリ)

ロサナ・ヴェツィニVezzoni5月広場の母)

アナイ・マルテジャ(同上)

スサナ・パンピン(オカンポ副検事の母ペルラ)

アンドレス・スリタ(オカンポ副検事の伯叔父、大佐)

ギジェルモ・ジャクボウィッツ(ストラッセラの身辺警護官オルミガ)

マルティン・ガジョ(同上ロメロ)

海外メディアを含む新聞社、ラジオ・テレビ局の記者、制作者、カメラマン、「5月広場の母たち」のメンバーなど多数

 

                    良くも悪くもリカルド・ダリンの独壇場

 

A: サンティアゴ・ミトレ監督とリカルド・ダリンがタッグを組むのは、『サミット』(17)に続いて2作目です。2011年の単独長編デビュー以来5作しか撮っていない熟慮タイプの監督です。しかしミトレはパブロ・トラペロの『檻の中』(08)、『カランチョ』(10)、『ホワイト・エレファンテ』(12)の共同脚本家としても知られ、『カランチョ』には出演もしている。

B: ダリンは『カランチョ』や『ホワイト・エレファンテ』の主役、二人の接点は早く付き合いは長い。彼は元もとコメディ役者ですから、ストラッセラ検事のような役は打って付けです。

 

A: ミトレは硬派の監督ですがコメディも撮っています。実際のストラッセラはユーモアに富んだ人柄だったようで、例えば被告席で無罪を信じきって談笑する空軍の将軍たちに怒りを抑えられないフリオは、卑猥な行為で挑発、さらに鼻を摘まむしぐさをして副検事を慌てさせた。このシーンは事実で、エンディングの写真に採用されていたが本物は眼鏡をかけていない。(笑)

B: ざわつく法廷に副検事のルイス・モレノ・オカンポが驚いて「落ち着いてください」と制していた。写真がバッチリ残っていますね。空軍は大量虐殺には関与していなかったのですか。

 

A: 主に失踪者の秘密の拘置センター間の移動を請け負った。全国に散らばったセンターは340ヵ所もあったという。そのうち遠方からの移送では空軍が担った。運ぶだけでなく纏めて殺害したい場合は睡眠薬で眠らせて生きたまま海中に落とした。全員死亡したからあの時点では証拠収集が難しかったのです。エンディングで採用されたた船のデッキから海へ花束を投げ入れている写真は、彼らを弔っている遺族たちです。

B: 強制収容所は街中の空き地に建てたバラック小屋からパタゴニアまで広範囲に散らばっていた。

   

        

      

    (メガネかけていない。鼻を摘まむストラッセラ、写真とフレームから)

 

A: また偉ぶらないし、礼儀を重んずる人だったようで、被告側弁護士バシーレが傍聴席に座っていた「5月広場の母たち」が被っていた白いスカーフに難癖を付ける。理由は法廷内では「政治的シンボルとなる色や形は禁ずる」という規則を盾にした。

B: 副検事ルイスと連れ立って「ご不満でしょうが、ご理解ください」と丁重にお願いに出向く。裁判の重要性を熟知していた母親たちは受け入れる。

  

A: このシーンも写真が残っています。あのスカーフは確かに政治的シンボルでした。というのも「行方不明者」になった我が子が赤ん坊のとき実際に使用していたオムツで、1977年のグループ結成時には見ず知らずだった母親たちが知り合うために子供の実名を書いていた。向こうのオムツは真四角の風呂敷タイプです。劇中のスカーフには〈Aparición con Vida de los Desaparecidos Madres de Plaza de Mayo〉と書かれていた。行方不明者たちを生きて返せということですから、鉄面皮の軍人たちとはいえ母親たちの運動が目障りで面白くなかった。 

   



               

           (5月広場の母たちの席に頼みに行くシーン)

 

B: 本作では母親たちの証言は多くありませんでしたが、彼女たちの粘り強い地道な努力や協力が裁判では大いに役立ちました。それはグループが援護射撃した証言者たちが証明した。

A: 独裁政権時代に母親たちが舐めつくした恐怖と暴力、世間の無関心は想像を超えています。待ちに待った裁判を台無しにしたくなかったから検事の要請を受け入れたのです。母親たちを主役にした名作が沢山製作されていますが、ここでは深入りしません。とにもかくにも本作はリカルド・ダリン映画、彼なくして成功はなかったでしょう。

 

B: 副検事役のピーター・ランサニは、上記のパブロ・トラペロの『ザ・クラン』に主演、民政直後に誘拐ビジネスを稼業としたプッチオ一家の長男役を演じた。

A: この映画も同時代に「プッチオ誘拐事件」として世間を騒がせた実話に基づいています。現在メキシコTVシリーズで『グレコ家の秘密』としてリメイクされ、Netflixで配信中です。

 

B: ストラッセラは2015年に鬼籍入りしましたが、モレノ・オカンポは、当時32歳で上流階級に属しており、「ビデラに質問するなどは一族にとって裏切り行為でした」という家庭に育った。しかし家族と仕事を冷静に区別することのできる人でした。

A: 2003年国際刑事裁判所の最初の主任検察官に就任するなど国際的に活躍しています。当時は1980年から司法長官の法務秘書官を務めていたに過ぎず起訴経験ゼロでした。呆れたストラッセラが「敵側から送り込まれたトロイの木馬だ」と揶揄したが、結局この相棒なくして裁判には勝てなかったと脱帽したのでした。今でも弁護士として現役、最近当時を語った Cuando el poder perdió el juicio(仮題「権力が理性を失ったとき」2022刊)を出版した。取材を受けたモレノ・オカンポは、ストラッセラの13箱というヘビースモーカーには困ったと語っている。

 

B: 大量殺戮を信じようとしなかった大多数の国民に、犠牲者に何が起こったかを判断できるよう顔と声を与え、大量殺害などでっち上げと考えていた人々の考えを変えた。

A: その一人が高祖父の時代から軍人家庭に育ち、日曜日にはビデラ将軍と同じ教会にミサに行くという実の母親でした。ビデラはストラッセラの論告求刑のさい聖書を読むなどして国民の目を欺こうとした姑息な男、今なら法廷侮辱罪ものです。

  

B: 多くのカトリック教会関係者が独裁政権に加担して私腹を肥やしていた。教区司祭だけでなく高位聖職者の多くが見て見ぬふりどころか、権力者たちに阿って追従した。

A: 横道に入りますが、現在では他のカトリック国同様信者の数は減り続けていますが、当時の国民の大多数はカトリック信者でした。多くの信者を抱えていながら中南米からローマ教皇が一人も選出されなかった理由の一つが彼らの独裁政権への加担でした。この事実を掴んでいたバチカンは、危険を察知して選びたくても選べなかったようです。

 

B: 史上初となるアメリカ大陸出身の現教皇フランシスコは協力者ではなかったが、後に自身の無関心を国民に謝罪していた。予定になかった選出だったと言われていますが、バチカンはイタリア人の新教皇を熱望していた。彼がイタリア系アルゼンチン人だったことが幸いしたとも言われています。

 

A: アレハンドラ・フレヒナー演ずるストラッセラの妻シルビア(実名マリサ・トバル)は、劇中では夫以上に時代の流れに勇敢で分析力もあった。「何を怖れているの? 裁判が行われること、行われないこと」と詰め寄り、「あなたならできるわよ」とけしかけていた。

B: 夫は「裁判をするかどうかは判事が決めることだ。どうせ認めないよ」と応酬、「怖いのは当たり前だ、家族の命も掛かっている」と。引き受ける本人にしてみれば、笑い者になるか英雄になるか、一か八かの賭けでした。

    

    

        (シルビア役のアレハンドラ・フレヒナー、フレームから)

 

A: 愛称のハビで呼ばれていた息子ハビエルの本名はフリアン、現在51歳になるフリアン・ストラッセラは弁護士となっている。「母親はフィクションでの映画化に反対しており、ドキュメンタリーに拘っていた」とメディアに語っている。また「ラウル・アルフォンシン大統領が前面に出てこないことに不満を洩らしていた」ということです。

B: ハビエル役のサンティアゴ・アルマス・エステバレナは、現在14歳で10歳の頃から舞台に立っている。スパイを勘づけられた判事から買ってもらったアメ玉をしゃぶりながら父親を援護していた。現在はイケメンもプラスして目下人気上昇中です。

 

A: 押し付け役ガブリエル・フェルナンデス扮する「ブルッゾ様」は架空の人物、互いにブルッゾ、フリオと呼び合っていましたから、複数の司法官を合成したモデルがいるのかもしれません。期待以上のストラッセラの活躍にビビッて、「まだ軍は蜂起する力をもっている。求刑には気を付けろ」と、遠回しに空軍の求刑をセーブしに現れる。ルイスがトイレまで押し掛けて内容を聞きたがるが、フリオはのらりくらりとかわしていた。

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A: やはり人物造形にはモデルらしき人はいるのでしょうが架空の人物だそうです。ユーモアたっぷりの皮肉やだが、飄々と演じて好印象を残しましたが、少し出過ぎでしたでしょうか。ベテラン俳優ノーマン・ブリスキに敬意を払ったからでしょう。

  

B: ストラッセラを支える相談役の友人「ソミ」は、実在していました。

A: カルロス・ソミリアナというアルゼンチン60年世代の中心的な作家でアーティスト、クラウディオ・ダ・パッサノが演じた。結審2年後の19871月に54歳の若さで惜しくも鬼籍入りしてしまったが、劇中では若い調査員チームの選抜から論告求刑の草案作りにまで参加していた。

    

            

          (ありし日のカルロス・ソミリアナとフリオ・ストラッセラ) 

 

          裁判を決定づけた最初の証人アドリアナ・カルボの証言

 

B: パウラ・パレデス扮するアドリアナ・カルボは誤認逮捕でした。197724日自宅で逮捕されたとき、妊娠22週目の身重でした。

A: 裁判は1985422日に開始されましたが、被告側の証人から始まり、検察側は429日から、彼女が最初の証人でした。ラプラタ大学で物理学を専攻、その後博士号を取得して同大の物理学教授でした。誤認逮捕の経緯は彼女が所属していたアルゼンチン精神科医連盟と、1968年に設立された都市ゲリラ及びテロ組織のペロニスト軍隊の頭文字が同じFAPでした。その後ブエノスアイレス大学工学部で化学の教鞭をとっていた夫ミゲル・アンヘル・ラボルデも逮捕されています。

  

B: 検察側の作戦勝ち、よく調査もせず手当たり次第に拉致していた実態が明らかになった。彼女は人権無視、赤裸々な出産の様子なども臆せず証言した。さすがのバシーレ被告側弁護士もショックを受けたのか、裁判長から反対尋問を促されても「ありません」と答えるしかありませんでした。

     

A: 移送中の車中で目隠しされ後ろ手に手錠をはめられ、どうやって出産したか記憶がとんでいた。415日出産だと8ヵ月ぐらいの早産になり、よくぞ生き延びたと涙した人も多かったでしょう。誘拐、拷問、人権無視は、彼女のような身重の女性でもお構いなし、後は推して知るべしでした。

B: 裁判に同行していた女の子ですね。傍聴席にいたから本人も聞いたはずです。

  

A: 当時ペロニスト軍隊は分裂を繰り返してかなり弱体化しており脅威ではなかったのですが、FAPを根こそぎにしたい権力側は片っ端から逮捕、リーダーたちは拷問を受けて亡くなり、結局主導者が誘拐され拷問のすえに死亡、19798月に解体しています。

  

           

   

    (収監中の拷問や人権無視の証言をするアドリアナ・カルボ、フレームから)

 

B: 被告らが実行犯ではないけれども彼らの有罪を国民に印象づけた。誤認逮捕と判明した段階で闇に葬ることもできたから、釈放したことを軍人たちは心から後悔したにちがいない。

A: 証言者アドリアナ・カルボは、出産から1ヵ月後に誤認逮捕と分かって釈放された。釈放後は人権活動家として活躍、行方不明者協会のメンバーの一人、アルゼンチンではよく知られた女性でしたが、2010年亡くなりました。

 

     フンタス裁判の証拠収集に寄与したコナデプの報告書 ”Nunca más”

 

B: 映画は198474日、国土安全保障長官アントニオ・トロッコリのテレビ特別放映〈Nunca más 二度と再び〉で幕が開く。このネバー・アゲインは、国家失踪委員会CONADEPが纏めた報告書 ”Nunca más” から採られている。

A: トロッコリは日本でいうと旧内務省の大臣に当たり、絶大な権力をもつ中央警察官庁の長です。国家失踪委員会の ”Nunca más” は、まだ大統領には届けられていませんでしたが、目にした国民の大多数がショックを受ける内容でした。そこで先回りして、この報告書が「アルゼンチンが破壊工作とテロリズムの嵐に襲われたときのもので、片方からの見解にすぎない」と述べ、返す刀で被害者を批判さえした。

 

B: 帰宅したストラッセラが「マセラを呼べ!」と怒鳴ってテレビを消し、熱心にテレビを見ていた家族の顰蹙を買う。

A: マセラというのは、ビデラ政権時代の海軍提督エドゥアルド・エミリオ・マセラのこと、大量虐殺の実行犯のリーダー的存在でビデラ大統領よりも憎まれていた。大統領でもなかったのにビデラと同じ「終身刑」を受けた人物でした。

 

B: また918日のストラッセラの論告求刑にもこのフレーズが登場した。彼は「判事の皆さま、二度と再び」と論告を締めくくった。

A: 国家失踪委員会はアルフォンシン大統領が就任後5日めの1215日に署名した「政令187/83」を指し、軍事政権時代(1970年代から80年代初頭)に発生した人権侵害、特に3万人とも言われる失踪者(行方不明者)の調査を目的とした委員会です。

 

CONADEPLa Comisión Nacional sobre Desaparición de Personas)国家失踪委員会:19831215日創設、完成した報告書 ”Nunca más” を大統領に届けた1984920日をもって解散した。わずか280日間の期限付きだったが、340ヵ所の秘密拘置センター(強制収容所)の所在目録、8960人の行方不明者リストなど、釈放者の同意を受けて情報を収集した50,000ページにわたる膨大な報告書。主な委員会メンバーは、委員長エルネスト・サバト(作家、物理学者)、ブエノスアイレス大学元学長、法学者、弁護士、神学者、人権活動家、ジャーナリストなどで構成されていた。委員長サバトは処女作『トンネル』(48)がカミュに絶賛されて一躍国際的な名声を受けた。2作目『英雄たちと墓』(61)など小説は3作しか発表していないが、1984年にスペインのセルバンテス賞を受賞している。

 

     

    (報告書の表紙、アルフォンシン大統領に報告書を手渡すエルネスト・サバト)

 

B: この報告書はフンタス裁判の基礎的データとして使用され、駆け出しの若い司法調査官チームが4ヵ月と2週間という短期間に証拠固めの書類を作成できたのも、この報告書のお蔭でした。

A: しかし先述した5月広場の母たちは、この報告書が犯罪の手打ち式になることを警戒して評価していなかった。実際3万人が約9000人だったことを悪用され、3万人はフェイクだと非難されました。

 

B: 1984925日に軍最高評議会(Consejo Supremo de las Fuerzas Armadas)がサインした通知を検察に送り、102日に検察が受理したことをストラッセラがタイプして裁判が始まる。

A: 同年1025日に傍聴人を入れない、つまり非公開での予備審問があり、9名の被告は当然のごとく無罪を主張したが受け入れられなかった。カルロス・ポルタルッピ演じるレオン・カルロス・アルスラニアン裁判長を含む6人の判事が連邦議会のメンバーなど、日本とは司法制度の違いもあって分かりにくい部分がありますね。実際のアルスラニアンは太めですがポルタルッピほどではなかったし髭を生やしていました。ポルタルッピは人気TVシリーズに出演して認知度があり、冷静で公平な裁判長役でトクをしました。

  

         

   

          (左から2人めがアルスラニアン裁判長、フレームから)

 

B: 反対にソンしたのは、ビデラ将軍を筆頭にした9名の軍人たち、メイクのせいかもしれませんがよく似ていましたが、演りたくなかったかもしれません。

A: 特にビデラの後を受けて軍政2人目の大統領となったロベルト・ビオラ役などね。彼は禁固17年の刑を受け退廷するとき、国旗のほうに顔を向け何か口走った。字幕には「くそったれ」とあった(笑)。多くの記者が侮蔑語「Hijo de puta」と彼が叫ぶのを聞いたから、脚本家の創作ではないようです。

  

       

         

      (論告求刑日の9名の被告、右から3人目がビデラ陸軍司令官、フレーム)

 

B: ビオラが終身刑でなかったのは、期間が短期だったことと、大量虐殺の多くがビデラ時代の5年間に行われていたからですね。マルビナス(フォークランド)戦争を指揮した3人目の大統領レオポルド・ガルティエリが無罪になったのも、一つにはそれがあった。

A: 多くの未訓練の若者が戦死したのは「誘拐、拷問、殺害」とは違うからです。この裁判では無罪でしたが、後に別の裁判で有罪になりました。1990年、フンタス裁判で有罪判決を受けた全員が、次期大統領カルロス・メネムの恩赦で自由の身になりました。終身刑がたったの5年で釈放でした。しかし大統領が変わるたびに別の裁判が起され有罪判決となり、刑務所を出たり入ったりしていた。結局のところ刑務所内で人生を終えた人物は、クリスティナ・デ・キルチネルが大統領だった2010年に「人道に対する罪」で起訴され終身刑を受けたビデラ一人でした。

 

            歴史上初となる軍事政権を裁いた民政の裁判

 

B: 分かりにくい固有名、ペロニストは分かるとして、マンリケ派とか、ESMAとか、モントネーロス、などの立ち位置が分かりにくかった。

A: ESMAはアルゼンチン海軍技術学校の頭文字で検事側からすると強敵でした。劇中ではESMAに利用されたというリスクの高いビクトル・バステラが検事側の証人として証言したが、当然のごとく被告側弁護士から猛烈な反対尋問を受けた。

     


              (証言するビクトル・バステラ、7月22日)

 

B: この722日の法廷には『伝奇集』で知られた小説家で詩人のホルヘ・ルイス・ボルヘスが傍聴席にいた。作家はあまりの恐ろしさに耐えかねて席を立つ写真が残っている。その後、その傍聴記事をスペインのEFEに寄稿している。   

       

           

         (詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス、1985722日)

  

A: 86歳でジュネーブで死去するおよそ1年前です。また寄り道になりますが、アルゼンチンを代表する詩人ボルヘスは、50歳前から視力が衰え始め、当時は失明していた。同年肝臓癌であることが分かり、初冬の11月イタリア旅行を楽しんだの最後に、翌年1月終焉の地と定めていたジュネーブの病院に入院して、故郷のメディアから遠く離れて旅立った。

 

B: モントネーロスというのは1969年結成されたペロニスト過激派の都市ゲリラ、大統領を誘拐殺害して世界に衝撃を与えた。1973年ペロンが復帰してからもテロ行為を止めなかったので非合法組織にされた。

A: ペロン亡き後、副大統領だった夫人のイサベル・デ・ペロンが世界初となる女性大統領となった。しかし政治経済に無能ぶりを露呈、2年未満で崩壊した。1976324日にビデラが軍事クーデタを起してもアルゼンチン人は誰も驚かなかった。それくらい暴力は日常的だったわけです。ビデラは徹底的にペロニスト軍隊同様モントネーロスを弾圧して壊滅状態にした。

 

B: トロッコリ国土安全保障長官の見解もデタラメではない部分を含んでいる。目下世界はサッカーのワールドカップで湧いていますが、優勝候補アルゼンチンは多くの血が流された国ですね。

A: 2回の世界大戦には参加しませんでしたが、右も左もごちゃごちゃ入りまじった移民国、ナチスも反ナチスも、反米も親米も分け隔てなく受け入れ、国家破産で世界に迷惑かけても平気の平左衛門の国家でしょうね。

 

B: 本作は歴史上初となる軍事政権の犯罪を民政が裁いた裁判の記録ですが、泥縄式で結成された若い司法調査員チームの活躍は感動ものでした。

A: この裁判は「自分は絶対正しい」と疑わなかった軍人たちの裁判でもありました。被告側弁護士が「カブスカウト」と冷笑した司法チームは、164000ページの膨大な資料を作成しました。資料が運び込まれるのを目撃して、強気だったバシーレ弁護士も不安に駆られていた。

 

B: メンバーは法律を学ぶ学生2人、司法省職員8人、国家失踪委員会CONADEPメンバーの弁護士など15名、主に学生で構成されていた。19歳から20代後半までの若者ですね。

A: 劇中でバシーレを「ファシスト的とはあなたみたいな人です」と答えたジュディスは21歳で司法長官から送り込まれている。カルロス・ソミリアナの息子マコは23歳、法学と人類学の学生、父親と同姓同名なので愛称マコで呼ばれていた。後に国家検察庁の「人道に対する犯罪」の法医学人類学チームの先駆者の一人になった。司法関係者でもあった父親もチームの一人として協力していたがメンバーではなかった。ダリンの姪アントニア・ベンゴエチェもマリア・エウヘニア役で出演している。彼女はトラペロの『ザ・クラン』にピーター・ランサニの妹役で共演している。

  

B: しかし法廷にはチームと一緒にいましたね。駆けだしとはいえ若い調査チームのトータル833人の証言なしには勝てなかった裁判でした。彼らこそ英雄です。

A: アルフォンシン大統領は求刑前夜に検事を呼び出したり、他にも裏で裁判官と取引しようとしたようですが、6人の裁判官は考慮したくなかった。三権分立が機能したのでした。

     

   

     (2人の検事を取り囲んだ司法チーム、後列左に作家ソミリアナの姿も)

   

B: 大統領の出番がチラリだった理由の一つかもしれない。

A: 大統領はブエノスアイレス大学で法学を専攻して弁護士になった経歴の政治家でしたが、ハイスクールは軍学校で学んでおり、同級生には3人目の大統領ガルティエリがいた。なかなか難しい立ち位置にいたわけでした。裁判中止の車爆弾事件や家族への脅迫電話、ストーカー行為など盛り沢山でしたが長くなりました、ここいらでお開きに。

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