F・トゥルエバの新作はコロンビア映画*サンセバスチャン映画祭2020 ⑱2020年10月10日 10:25

      クロージングに選ばれたコロンビア映画「El olvido que seremos

 

      

 

★カンヌ映画祭2020のコンペティション部門にノミネートされた作品El olvido que seremosは、コロンビアの医師で人権活動家のエクトル・アバド・ゴメスの伝記映画、1987825日、メデジンの中心街でパラミリタールの凶弾に倒れた。アバド・ゴメスの息子エクトル・アバド・ファシオリンセの同名小説の映画化。カンヌFFはパンデミックのせいで開催できなかった。その時点でサンセバスチャン映画祭上映が視野に入っていたのだが、結果は予想通りになった。既に本国で公開されていたことも考慮されたのかアウト・オブ・コンペティションながらクロージング作品に選ばれた。コロンビア映画なのに監督も主役も脚本もスペイン人になった経緯は、カンヌFFの紹介記事で既にアップしています。他に小説家アバド・ファシオリンセのキャリア、ボルヘスのソネットから採られたという原題の経緯なども紹介しています。部分的に重なりますが、ラテンビート一押しの作品として再度アップすることにしました。フェルナンド・トゥルエバ監督もハビエル・カマラも、ラテンビートが縁で来日したシネアストですから脈があるかもしれない。

El olvido que seremos」の作品紹介は、コチラ20200614

  

  

             (エクトル・アバド・ファシオリンセ)

 

   

 「El olvido que seremos(「Forgotten We'll Be」)2020

製作:Dago García Producciones / Caracol Televisión

監督:フェルナンド・トゥルエバ

脚本:エクトル・アバド・ファシオリンセ(原作)、ダビ・トゥルエバ

撮影:セルヒオ・イバン・カスターニョ

音楽:ズビグニエフ・プレイスネル

編集:マルタ・ベラスコ・ディアス

美術:カルロ・オスピナ

衣装デザイン:アナ・マリア・ウレア

メイクアップ:ラウラ・コポ

プロダクション・マネジメント:マルコ・ミラニ(イタリア)

助監督:ロレナ・エルナンデス・トゥデラ(マドリード)

録音:ヌリア・アスカニオ

視覚効果:ブライアン・リナレス

スタント:ミゲル・アレギ、ジョン・モラレス

製作者:マリア・イサベル・パラモ(エグゼクティブ)、ダゴ・ガルシア、クリスティナ・ウエテ

 

データ:製作国コロンビア、スペイン語、2020年、136分、カラー&モノクロ、伝記、撮影地メデジン、ボゴタ、マドリード、トリノ。公開コロンビア2020822日、スペイン20213月予定

映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2020コンペティション部門正式出品(パンデミックで上映なし)、サンセバスチャン映画祭2020クロージング作品(926日)

 

キャスト:ハビエル・カマラ(エクトル・アバド・ゴメス)、パトリシア・タマヨ(妻セシリア・ファシオリンセ・デ・ゴメス)、フアン・パブロ・ウレゴ(長男エクトル・アバド・ファシオリンセ)、セバスティアン・ヒラルド(アルフォンソ・ベルナル)、ダニエラ・アバド、アイダ・モラレス、ホイット・スティルマン(ドクター・リチャード・サンダース)、他多数

 

ストーリー1987825日メデジンの中心街、医師でカリスマ的な人権活動家のエクトル・アバド・ゴメスは、二人組のパラミリタールのシカリオの凶弾に倒れた。アバドが撃たれた日は、子供たちが最愛の父親を、妻が善き夫であり優れた同志を奪われた日でもあった。1980年代、暴力が吹き荒れたメデジンで、アバドは医師として家族の長として、また大学教授として後進を育てていた。我が子たちは教育を受け寛容と愛に包まれていたが、恵まれない階級の子供たちのことが常に心に重くのしかかっていた。悲劇が顔を覗かせていた。

  

         

           (ハビエル・カマラ扮する父と息子、映画から)

 

          カラーとモノクロで描く暗殺された父に捧げる永遠の愛

 

★原作はベストセラーだったが、映画化までの道のりは長かった。一つには複雑なコロンビアの社会状況と無縁ではなく、およそ3年前、コロンビアのカラコルTV社長ゴンサロ・コルドバ(2012~)の発案で映画化が企画され、オスカー監督フェルナンド・トゥルエバに白羽の矢が立った。交渉に当たったのは副社長ダゴ・ガルシアで、長い紆余曲折の後、本格的に始動したのは2019年だった。紆余曲折については、後ほど監督に語ってもらいます。本作では女優として出演しているダニエラ・アバドは、主人公の孫娘、つまり作家エクトル・アバドの娘です。彼女は映画監督として祖父暗殺をめぐるアバド家の証言集Carta a una sombra15)というドキュメンタリーを撮っています。

 

     

              (エクトル・アバド・ゴメスと娘たち)

 

 

★予告編から推測するに、本作は作家アバド・ファシオリンセ(メデジン1958)がまだ少年だった1970年代前半はカラーで、成人した80年代はモノクロで撮るという2部構成になっているようです。下の家族写真によれば、作家は6人姉弟の第5子にあたる。

 

   

   (父親役のハビエル、一人置いて母親セシリア役のパトリシア・タマヨ)

 

   

 (就寝前に父親に絵本を読んでもらうエクトルと妹)

 

                   

                  (80年代の父とフアン・パブロ・ウレゴ扮する息子)

    

    

      (息子とその恋人か)

           

★エクトル・アバド・ファシオリンセの小説「El olvido que seremos」が上梓されたのは200511月、年内に3版したというベストセラー、スペインでの発売は2006年だった。サンセバスチャン映画祭上映に合わせて現地入りしたトゥルエバ監督と主人公アバドを演じたハビエル・カマラにインタビューしたエルパイス紙の記事によると、「何年ものあいだ、私はこの本に敬意を表してきた。私の人生に贈られてきたと思っていた」、しかし「ハビエル・カマラを主人公にした映画化の依頼には最初は断りました」と監督。依頼を受けて監督するという経験はなく、「私は個人的な映画をつくるだけで、というのも映画は第三者を介しないのが一番いいからです。もし外部から提案がきた場合、内面化できるなら引き受けるだけです。小説については視覚化できると感じていました」と説明する。

 

        

      (監督とハビエル・カマラ、マリア・クリスティナ・ホテル、926日)

 

★「小説は私的な絆が感じられるアングルを多く持っている。例えば家族物語、父と息子の関係などが語られている。私にとってこの映画は、幸福について、愛について、素晴らしいあわだちについて語っており、そして現実がいかにしてフィエスタを台無しにしてしまうかを伝えている。更に5人の姉妹や母親、メイドやシスターなど女性ばかりに囲まれて育つ男の子エクトルの魅力の虜になった。私が好きな映画や本をいくつも思い出させた」。にもかかわらずコロンビアのプロデューサーの提案をできるだけかわそうとした。それは「映画館に連れ出すのは難しそうに思えたからです。私の母が人生で再読した2冊のうちの1冊だったのですが」と苦笑する。幾度となく会合がもたれたが、ありがたいことだがその都度お断りした。

            

             

                (撮影中の監督とカマラ)

 

★彼の背中を押したのは製作者の妻クリスティナ・ウエテだった。彼女はたった一日で再読してしまうと、同意してしまった。それで彼も受け入れることにした。「不可能もここで受け入れるなら可能になるかもしれない。クリスティナはいつも不意を衝く」と思ったそうです。コロンビア行きが決定した。斯くのごとくこのカップルは夫唱婦随ならぬ婦唱夫随なのでした。クリスティナ・ウエテについては、本作の脚色を手掛けた義弟ダビ・トゥルエバが、ゴヤ賞2014を総なめにした「『ぼくの戦争』を探して」でご紹介しています。主役のハビエル・カマラと監督が宿願のゴヤの胸像を初めて手にした映画です。ウエテはスペインの女性プロデューサーの草分け的存在であり牽引役を担っている。

「『ぼくの戦争』を探して」の主な紹介記事は、コチラ201401301121

クリスティナ・ウエテについては、コチラ20140112

   

     

               (監督とカマラ、サンセバスチャンFFフォトコール、9月26日)

 

    

  

     (上映後のプレス会見、同上)

 

★実話を題材にするということはデリケートさが求められる。「二人(監督とカマラ)にとって資料集めをするのは興味あることだったが、私は映画を撮るためにここに来て、現実は既に滑走路で待機していた」と監督。「最初に私が考えた心配の種は、カマラがコロンビア人でないことでした。そのとき作家アバドから監督を引き受けてくれた感謝と、父親そっくりの俳優ハビエル・カマラは理想的だというメールが届いた」。父親を演じる俳優はコロンビア人から探すのが理想だと返事した。カマラはコロンビア訛りも分からないしメデジンもよく知らない。それだけでなくエクトル・アバド・ゴメスとは違いが大きすぎる。しかしハビエルは多くの好条件を兼ね備えていた。例えば非常に優秀な役者であることに加えて、アバド・ゴメスのように人生を愛し、生きることを謳歌している。これは上手く化けられるかもしれない。

 

★当のカマラはアバドの人格を「アメリカ人がよく口にする、実際より大きい」と定義した。また「ほとんど捉えどころのない」驚きの人だったとも。資料集めの段階でコロンビアにはアバドも載っていた脅威のリストというのがあるのを知った。このリストに載っている人は急いでコロンビアから出ていった。このリストに載っていたある人物から、例えばもしシンボリックな存在で親切で良心的な人なら残ってはいけなかった、とカマラは聞かされた。「そのとき、現実のアバドという人間の重みを感じ、撮影からは切り離そうと思った」。「とても興味深いのは、それぞれがエクトルに親切にしてもらったとか、娘たちは娘たちで父は優しいパパだったとか口にした。どうも彼は感動を演出する才に長けていたようだ」とカマラ。

 

    

(現地入りしたハビエル・カマラ、マリア・クリスティナ・ホテル玄関前、923日)

 

★作家が脚本を辞退したのは「小説を書いていたときの苦しみを二度と味わいたくなかった」からだと監督。それに脚本執筆の経験がなかったからとも語っているが、作家は娘ダニエラのドキュメンタリーの脚本を手掛けていた。撮影が始まると邪魔をしたくないと、ヨーロッパへ旅立ってしまった。「しかし最終的にはお会いできた」とカマラ。「3年前に監督に頂いた小説にサインしてもらいたかった。そして彼は彼で姉妹たちに渡したい私の写真を撮った。私が彼に映画は見たかと尋ねると、『いや、あなたが私のお父さんと同じだと思ったら興奮してしまうだろうね』と返事した。これ以上の褒め言葉はなかったでしょう」とカマラは述懐した。

 

 

        マジックリアリズムが今でも浮遊するコロンビア

 

★撮影中は実際のドクター・アバドの逸話が溢れていたとご両人。「脇役の俳優が背広を着てやってくると、私はアバド先生に2度お会いしています。2度目のときこの背広を着ていました。もし映画で着ることができたらと思ってと話した。ある女優さんは私の夫はアバド先生に命を助けてもらいました」など。カマラは「こういうことが次々に起こったのです」と強調する。通りで行き会う人々は、彼があたかも実際のドクターであるかのように接した。「マジックリアリズムはここコロンビアでは実際に存在しています。本の中だけでなく人々の中に存在し、彼らの視線を通してそれに気づかされます」。同じように憎しみも感じます。例えば埋葬のシーンを撮るための建物が必要だったが、教会はどこも拒絶したのです。

 

★トゥルエバ監督は「コロンビアはまだ闘いが終わっていないのです」と力をこめる。「アバドと妻セシリアが最後の会話をするシーンを撮ろうとした日、いくつかの道路が通行止めになった。そのニュースをラジオで聞いた未亡人セシリアは、直ぐタクシーで現場に駆けつけ、警察のバリアの前に立っていた。彼らに『どこに行くつもりだ』と尋問されると、『うるさいわね、通しなさい、私が主人公よ!』」ww。おそらく90歳はとうに過ぎていると思うが、かつての闘士の面目躍如。

 

       

     (セシリア・ファシオリンセ・デ・ゴメス、息子とのツーショット、201711月)


追加情報: 英題 『Forgotten We'll Be  の邦題で、ラテンビート2020のオープニング上映が決定。
        本作はオンラインではなく劇場上映です。

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