アンドレス・ウッドの新作 『蜘蛛』 鑑賞記*ラテンビート2019 ⑭ ― 2019年12月01日 17:49
「1972年はそんなに遠い昔ではありません」とアンドレス・ウッド監督

★サンセバスチャン映画祭SSIFF 2019「ホライズンズ・ラティノ部門」で作品・監督・キャスト紹介はアップ済みですが、今回ラテンビートで実際に『蜘蛛』(原題「Araña」チリ・アルゼンチン・ブラジル、105分)を観て、「1972年はそんなに遠い昔ではありません」とアンドレス・ウッド監督が語っていたことが納得できました。また主役のイネス役にチリ人ではなく、スペインのマリア・バルベルデと、アルゼンチンのメルセデス・モランを起用したには何か訳があるのかと考えさせられました。監督はスペイン公開(11月22日)に合わせて来西、エル・パイス紙以下多くのメディアからインタビューを受けていました。スペイン人は40年という長きにわたって独裁政権を体験しているので、興味深いテーマだったようです。この年月はピノチェト独裁の倍になりますから、観客の受け止め方も世代によって違いがあるようでした。 (管理人10月16日鑑賞)
*「Araña」の紹介記事は、コチラ⇒2019年08月16日
主なキャスト:イネス(マリア・バルベルデ&メルセデス・モラン)、フスト(ガブリエル・ウルスア&フェリペ・アルマス)、ヘラルド(ペドロ・フォンテーヌ&マルセロ・アロンソ)
ストーリー:1970年代初頭のチリ、イネス、夫フスト、友人ヘラルドの3人は、1971年11月成立したサルバドル・アジェンデ政権の打倒を旗印にした国粋主義的な極右グループ「祖国と自由」のメンバーだった。イネスをめぐる危険な三角関係のもつれや裏切りにより3人は袂を分かつことになる。40年後、ねじけた社会正義のため復讐に燃えるヘラルドが起こしたセンセーショナルな事件により、安穏を満喫していたイネスとフストは、社会的名声と豊かさを脅かされることになる。ブルジョア階級のエリート子息たちが、自分たちの特権を守るために陰で画策した闇が語られる。(105分)
「私の国チリは、今でも過去の亡霊が彷徨っている国です」
A: 東京会場第2週目の最初に観た作品、長尺ではありませんでしたが体力が要求される映画でした。南米の「優等生」と言われるチリでは、10月6日に発表された30ペソ(約4.5円)の地下鉄運賃値上げをきっかけにした反政府デモで混乱していました。しかし値上げはきっかけでしかなく、国内の所得格差、高い失業率、年金・教育などに関する政策に関する国民の異議申し立てでした。
B: デモ隊を抑え込もうとして、軍部隊を出動させ、夕方から早朝までの外出禁止令を出したことが、国民にピノチェト時代を思い起こさせたようですね。混乱の鎮静化を図ったことが反対に国民の怒りを買ってしまった。
A: 結果、サンティアゴで開催されるはずだった「APEC」の首脳会談と地球温暖化対策会議「COP25」を、ピニェラ大統領は断念せざるを得ませんでした。監督が本作製作の意図を「私たちは民主主義を失うことへの恐怖をもち続けています」と述べているのと相通じるものがあります。
B: 70年代当時、監督も含めて若者だった世代は納得できないことでも声をあげることをしなかった。しかし今の若者は、「連帯して抗議の意思表示として払わない」と決めてデモを始めた。
A: 公開に先立って来西した折り、「私たちの頭の中は、目の前にニンジンをぶら下げられて走る馬のようでしたが、突然のごとく蜂起して政府を当惑させた」と、チリ国民が起した反政府デモについて語っていた。
B: ウッドの新作『蜘蛛』は、チリの政治システムの不名誉となった過去の泥まみれの恥を説明するのに役に立ちそうです。

(自作を語るアンドレス・ウッド監督、2019年11月20日マドリードにて)
A: イネスたちが所属していた極右グループ<祖国と自由>は、ピノチェト将軍の軍事クーデタが成功した2日後の9月13日にあっさり解散した。何故かというと軍事クーデタのお蔭でブルジョア階級がアジェンデ政権成立前に持っていた有利な権益を回復することができたからです。
B: 彼らはどんな犠牲を払ってでもエリート階級の特権を回復させたかった。安物パイのエンパナーダと赤ワインではなく、高級ウィスキーとキャビアのある生活が必要だった。
A: 彼らのテロリズムや破壊活動が、<ウィスキーとキャビア革命>と言われる所以です。
B: この<祖国と自由>の起源は、リーダーのパブロ・ロドリゲス・グレスが1970年9月10日に結成、翌年4月1日に、社会主義政策を掲げるサルバドル・アジェンデ現政権打倒のためテロリズムと破壊活動を選択したファシストのグループです。
A: 資金は南米の赤化を食い止めたい米CIAからもらっていた。映画の登場人物のモデルは同定できるメンバーもいるようですがフィクションです。クーデタ成功後はピノチェト政権内で活動、民主化後も勿論親玉が裁かれなかったのだから罪は帳消し、今日でも現役で活躍している人もいる。

(形が蜘蛛に似ている祖国と自由のマーク)
B: グループのリーダー的な女性として登場させたイネスのモデルになった人もいますが、お化粧がほどこされているのは当然です。
A: イネスを演じたマリア・バルベルデ(マドリード1987)のキャリアは、作品紹介記事に戻っていただくとして、映画デビューは2003年15歳でしたから結構長い芸歴です。イネスは1970年当時22歳ぐらいに設定されており大分若返りしたことになります。夫フストはかなり年上の28歳、ヘラルドが23歳ということでした。

(イネスとフスト役のガブリエル・ウルスア、背後に祖国と自由のポスター)
B: サンセバスチャン映画祭にはウッド監督の姿は見かけませんでしたが、映画祭開催前にチリでは公開されており、普通このようなケースは賞に絡まない。
A: 赤絨毯を踏んだのはベルベルデと2017年2月に結婚したばかりのベネズエラの指揮者グスタボ・ドゥダメルでした。彼は再婚、2015年に<和解できない意見の相違>で離婚したばかりでした。彼については、その天才ぶりがつとに有名、紹介不要でしょうか。
B: 彼女にとってイネスのような役柄は難しかったのではないですか。
A: 同じスペイン語でもチリ弁独特の訛りがあり、「よく聞き取れないから字幕を入れて」と冗談が言われる。先ず「役作りよりチリのアクセントを学んだ。役作りでもっとも難しかったのは複雑なイネスの人格で、イネスを理解するために自分自身を捨て、イネスを裁かないようにした」と語っていました。

(アツアツぶりを披露したバルベルデとドゥダメルのカップル、SSIFF 2019にて)
B: 名声とお金をほしいままにしている40年後のイネスを演じたメルセデス・モラン(サン・ルイス1955)は、昨年のLBFF、アナ・カッツの『夢のフロリアノポリス』でお馴染みになっている。
A: 冒頭から権勢をほしいままに振る舞う女性実業家を演じて貫禄をしめしていた。40年前に消えたはずのヘラルドが突然現れ、現在の地位を脅かすようになる。孫はともかく息子とは上手くいっていない。過去の秘密を共有する夫は、今や役立たずになっている。
B: むしろ重荷になっている。しかし築いた裏の人脈がものを言う。

(ヘラルド出現に動揺するイネス役のメルセデス・モラン)
A: チリはピノチェトの後、21世紀に入ってからは中道左派のラゴス大統領の後を受けて当選したバチェレが2006年から10年まで、中道右派のピニェラが2010年から14年まで、第2期バチェレが2014年から18年まで、再び第2期ピニェラという具合に左派と右派が交代で政権を執っている。
B: 40年後というのは中道右派である第1期のピニェラ政権時代に相当します。
A: そういう時代背景を知って本作を観ると、イネスの画策が成功するのも分かりやすくなる。2006年12月に死去したピノチェトの葬式を、その年の3月に就任したばかりのバチェレ大統領は国葬にすることを断固拒否したが、陸軍による葬式は認めざるを得なかった。
B: 葬式には極右グループ<祖国と自由>の元メンバーも参列したということでした。チリとはそういう国です。
A: 上述したラゴス大統領は、1987年12月にピノチェトの軍政継続を問う国民投票を実施した立役者の一人です。いわゆる「イエス」か「ノー」選挙です。
B: それをテーマにしてパブロ・ララインが製作したのが『NO』(12)でした。ガエル・ガルシア・ベルナルが出演したこともあって、ラテンビート上映後公開もされた。
A: 『NO』はララインの「ピノチェト政権三部作」の最終編でした。彼の父親はチリでは有名な保守派の大物政治家、母親は第1期ピニェラ政権の閣僚を務めている。つまりラライン一族はチリ富裕層に属している。
B: 40年後のヘラルドを演じたマルセロ・アロンソはチリの俳優、彼は3人の中で唯一エリート階級に属していない登場人物でした。自分たちの手はなるたけ汚さずにすませたいブルジョアの子息たちに利用される役目。
A: 『トニー・マネロ』や『ザ・クラブ』、『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』などラライン映画の常連です。狂気の目が印象的でしたが、実際にこういう立ち位置のメンバーがいたのかどうか。

(40年間持続しつづけていた復讐と狂気の人、ヘラルド役のマルセロ・アロンソ)
B: チリ映画の躍進は目覚ましいものがありますが、才能流失は今も昔も続いている。経済格差にも拘わらず不寛容な社会が続いている。
A: アンドレス・ウッドの久々の長編映画ですが、本作を手掛ける前の数年間はプロデューサーとしてTVドラマシリーズ「Mary y Mike」(18、メアリとマイク)を製作していた。ピノチェト時代に組織されたDINA(チリの国家情報局)のエリート諜報員マリアナ・カジェハスと元CIAスパイの米国人マイケル・タウンリーという実在した夫婦の物語でした。

(「Mary y Mike」のポスター)
B: 反ピノチェト派の殺害を子供も暮らしていた自宅の隠し部屋で遂行したという大胆不敵なカップルだった。ウッド監督は『マチュカ―僕らの革命―』(04)だけでなく軍事政権時代に拘っている監督。
A: このTVドラマも『蜘蛛』同様、独裁政権側の視点から描いている。ベルリン映画祭2018「ドラマ・シリーズ・デイ」で上映された。チリのTVドラマがベルリンで紹介される第1号でした。
*「Mary y Mike」の紹介記事は、コチラ⇒2018年03月04日

(『マチュカ―僕らと革命―』 のポスター)
B: チリで起こっていることは多くの要因が重なっている。過去の影が今日でも浮遊していることがチリを分かりにくくさせている。チリの独裁政権を糾弾し続けているパトリシア・グスマンの『光のノスタルジア』(10)『真珠のボタン』(15)も忘れるわけにいきません。
A: 才能流失組の大物、老いを感じさせないドキュメンタリー作家グスマンの最新作「La Cordillera de los sueños」は、カンヌ映画祭2019で特別上映された。ウッド監督が「気をつけて、政治的ライバルを見誤ることは重大な誤りです。私たちはピノチェトの知性を軽視しました。それは間違いでした」と警告したことを忘れないでおこう。
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