『シークレット・ヴォイス』カルロス・ベルムト*他人の人生を生きる2019年03月13日 21:32

           他人の人生を生きることの痛みと悲しみが語られる

 

  

     

カルロス・ベルムトの第3作目『シークレット・ヴォイス』(原題Quién te cantará)が、公開されたばかりなのに早くもNetflix に登場しました。いろんな読みが楽しめたり、悪意が滲みでてくるような前作『マジカル・ガール』を期待していたファンには肩透かしだったでしょうか。シネマニア向きということに変わりありませんが、突飛さは影を潜めプロットもより近づきやい。相変わらず長すぎてオカンムリの批評家もいたようですが、日本の折り紙、カラオケ、『裸の島』、キティーのヘアバンドなどを登場させて日本贔屓も健在、エバ・リョラチナイワ・ニムリの女優対決に魅了された125分だったか。本作は一応ミステリーなので、公開は終了していますがネタバレに気をつけながら進めます。果たして上手くいくでしょうか。

『マジカル・ガール』の作品紹介は、コチラ2015012120160215

 

ナイワ・ニムリ Najwa Nimriは、1972年パンプローナ生れの女優、歌手。母親はナバラ出身ですが、父親がヨルダン人ということで変わった名前だったせいか日本での表記が定まらなかった一人です。映画デビューは1995年、『インベーダー・ミッション』が公開されたダニエル・カルパルソロのデビュー作Salto al vacioでした。当時二人は結婚しており、彼の作品にはAsfalto00)他4作に主演している。並行してアメナバルの『オープン・ユア・アイズ』やフリオ・メデムの『アナとオットー』、『ルシアとSEX』、ラモン・サラサールの『靴に恋して』などに出演しています。歌手としても知名度があります。現在は2015年から始まり現在も続行中のTVシリーズVis a visのスレマ役がブレークしている。映画はフリオ・メデムのEl árbol de la sangre18)に出演、本作は『ファミリー・ツリー~血族の秘密』の邦題でNetflixプレゼンツとして配信されている。

Salto al vacio」の作品紹介は、コチラ20160703

       

     

(復帰間近のリラ・カッセン役のナイワ・ニムリ)

 

エバ・リョラチ(ムルシア1970)は、『マジカル・ガール』に出演していましたが記憶している方は少ないでしょう。映画、舞台、TVと活躍しているベテランですが、本作でスペインの代表的な映画賞の数々を手にするまで賞とは無縁の女優でした。ゴヤ賞新人女優賞以下、今までにフォルケ賞女優、フェロス賞主演女優、シネマ・ライターズ・サークル賞などを制覇しています。残すはイベロアメリカ・プラチナ賞2019ですが果たして受賞と相成りますか。ノミネーション発表は321日と間もなくです。目下スペインからは彼女のほか、ナイワ・ニムリペネロペ・クルススシ・サンチェス4人が候補になっており、誰が最終4候補に残れるかです。ガラは512日、メキシコのリビエラ・マヤで開催されます。

    

        

     (元の自分に戻りたくないリラ・カッセンとリラと共生したいビオレタ)

 

 

『シークレット・ヴォイス』(原題「Quién te cantará」)

製作:Apache Films / Aralan Films / Les Films du Woros / RTVE / 

   Canal Sur Televisión / Orangr Studio / Vodafone / Canal France / 

   協力ICAA / Junta de Andalucia / Le Pacto

監督・脚本:カルロス・ベルムト

音楽:アルベルト・イグレシアス

撮影:エドゥアルド・グラウ

編集:マルタ・ベラスコ

キャスティング:サラ・ビルバトゥア、マリア・ロドリゲス

プロダクション・デザイン:ライア・アテカ

美術:クララ・アルバレス

衣装デザイン:アナ・ロペス・コボス

マイクアップ&ヘアー:アナベル・ベアト、ラファエル・モラ

録音:ダニエル・デ・サヤス、エドゥアルド・カストロ、マリオ・ゴンサレス

サウンドトラック・パーフォーマー:エバ・アマラル

製作者:エンリケ・ロペス・ラビニュ、アレハンドロ・アレナス、マル・イルンダイン、(以上エグゼクティブ)、シルビエ・ピアラト、マルタ・ベラスコ(以上共同製作者)

 

データ:製作国スペイン=フランス、スペイン語、2018年、ミステリー・ドラマ、125分、撮影地カディス湾沿いの町ロタ。公開:フランス20181024日、スペイン同年1024日、日本201914日、ネットフリックス・プレゼンツ同年3

映画祭・受賞歴:トロント映画祭2018年、サンセバスチャン映画祭(フェロス・シネマルディア賞)、チューリッヒ映画祭、ワルシャワ映画祭、ロス・カボス映画祭(メキシコ)、マル・デル・プラタ映画祭など、いずれも2018年。

 

キャスト:エバ・リョラチ(ビオレタ)、ナイワ・ニムリ(リラ/リリ)、カルメ・エリアス(ブランカ・ゲレロ、リラのエージェント)、ナタリア・デ・モリーナ(ビオレタの娘マルタ)、フリアン・ビリャグラン(ニコラス、バーの客)、イグナシオ・マテオス(ブランカの助手)、カロリナ・ジュステ(マルタの友人アナ)、カタリナ・ソペラナ(ディアナ)、ホセ・チャベス(ドクター)、ビセンタ・N'Dongo(病院理事)、インマ・クエバス(弁護士オルガ)、Per-Olov Kindgren(海兵隊のギタリスト)ほか。(人名表記は公式サイトと若干異なる場合があります)

 

物語90年代のポップ界の歌姫シンガー・ソング・ライターのリラ・カッセンは、人気絶頂のさなか突然表舞台から姿を消すが、10年間のブランクを経て復帰ツアーが発表された。しかし直前の事故により記憶喪失に見舞われ復帰が危ぶまれる。25年間リラに人生を捧げてきたマネジャーのブランカは窮地に立たされる。リラの熱烈なファンのシングルマザーのビオレタは、カラオケバーでリラそっくりの物まね歌手をしながら、精神が常に不安定で制御のきかない娘マルタと暮らしている。ブランカはビオレタに近づくと、記憶をなくしたリラに元のリラに戻れるよう秘密裏に教えて欲しいと願い出る。アイデンティティの本質と喪失、夢を放棄した母の寛容と牙を剥きだす娘の残酷さ、他人を生きる人生の苦しさと痛み、ここでは粉々に砕かれた二人の女性、ビオレタとリラの死と再生が語られる。       (文責:管理人)              

 

        粉々に砕かれた女性たちVS均衡の取れた模範的女性

 

A: 前作の『マジカル・ガール』(14)は、サンセバスチャン映画祭で作品賞(金貝賞)と監督賞(銀貝賞)を受賞した。カンヌ映画祭と同じように受賞をダブらせない方針を敢えて枉げて与えたから、会場の一部から「こんなオタク映画に」とブーイングが起きた。これが尾を引いたかどうか分かりませんが、ゴヤ賞はノミネーション数こそ多かったが、受賞はバルバラ・レニーの主演女優賞1個に止まりました。

B: 第3作もサンセバスチャンに出品されましたが大きな賞には絡めませんでした。しかしゴヤ賞ではエバ・リョラチが新人女優賞を受賞した。新人というのも変でしたが。

 

              

      (重要なシーンを打ち合せする、カルメ・エリアスとベルムト監督)

 

A: ナイワ・ニムリが主演に回った都合ではないでしょうか、ゴヤ賞ノミネートは初めてだし助演ではないから押し込めない。新人枠なら彼女の受賞は100%確実でした。ゴヤ賞で紹介したようにカルロス・ベルムトのデビュー作Diamond flash11)では主役を演じました。ベルムト映画全3作に出演しているのは、本作ではエバだけで、監督のお気に入りぶりがのぞけます。

 

        

        (エバ・リョラチ主演の「Diamond flash」のポスター)

 

B: 第1作は監督・脚本・製作・撮影・編集などお金も時間もナイナイ尽くしだったから一人でこなし、201211月マドリードで限定公開された。

A: 映画館はガラ空き(笑)、ネット配信は良かったので DVD 化されています。鑑賞の仕方はいろいろあっていいと言ってますね。現在では「テレビ、YouTube、携帯、インスタグラムなど毎日私たちが受け取る画像は多く、絶え間なく砲撃されていることを考えると、映画の言語は別の方向を模索すべきとき」とも、昨年のサンセバスチャンで語っていました。

 

B: リラとビオレタは、他人の人生を生きねばならない粉々に砕かれた女、片やカルメ・エリアス演じるブランカは、あまりに均衡がとれすぎ、模範的というか静的な人格設定でした。

A: 人生のすべてをリラに捧げた女性の失意と悲哀が残酷でした。ハビエル・フェセル『カミーノ』08)で難病に苦しむ少女カミーノの母親に扮し、オプス・デイの敬虔な信者の頑迷さを好演、ゴヤ賞主演女優賞ほか多数映画賞を受賞している。実話にインスパイアされた作品だったことが、後に遺族から裁判を起こされ訴訟問題でフェセル監督が苦慮した話題作でした。1951年バルセロナ生れ、舞台俳優を目指し、ニューヨークのリー・ストラスバーグ演劇学校でメソッド演技法を学んでいる。

 

          

       (ビオレタに初めて対峙するリラと不安を隠せないブランカ)

 

B: 他にもベネズエラのクラウディア・ピントLa distancia más larga13)で主役を演じています。本作は昨年10月にインスティトゥト・セルバンテス東京で開催された、第1回ベネズエラ映画祭で上映されています。

A: 若干古い映画上映でしたが、ピント監督が「グラウベル・ローシャ賞」や第2回イベロアメリカ・プラチナ賞2015初監督作品賞を受賞している作品です。

La distancia más larga」の紹介記事は、コチラ20130905

 

B: ブランカと対照的なのがビオレタの娘マルタの制御不能な人格でした。傷つきやすく、母親の愛を確信できない。23歳になるのにどうやって人を愛したらいいのかを学ばなかった娘を演じた。自分が祝福されて生れた子供でないことが、彼女の成長を阻み、攻撃性を生んでいる。

A: 母親の自分に対する愛情の多寡を脅しで図る幼稚さが痛々しかった。1989年ハエン生れのナタリア・デ・モリーナは、ダビ・トゥルエバ『「僕の戦争」を探して』でゴヤ賞2014新人女優賞を皮切りに、フアン・ミゲル・デル・カスティジョTecho y comidaでゴヤ賞2016主演女優賞と文字通りのシンデレラガール、演技の幅を広げてパコ・レオンKIKI~愛のトライ&エラー』、最近ではイサベル・コイシェに切望されてElisa y Marcelaでレスビアン役に挑戦した。本作は Netflix オリジナル作品ですから、いずれ字幕入りで観ることができるでしょう。

Elisa y Marcela」の作品紹介は、コチラ20190211

 

        

             (大人になれない迷える子羊マルタ)  

 

     「1つのネガティブ評価は10のポジティブ評価に勝る」とベルムト

 

B: 批評家や観客の評価は気にするが、興行成績は気にしないタイプの監督とか。

A: でもある程度考えないと次のチャンスが回ってこない。資金が集まらないことには話にならない。しかし「自分が好きになれない映画は作りたくない。納得できない映画を作って自分を台無しにするのが怖いと自問している」そうです。またアルモドバルに『マジカル・ガール』を「21世紀を代表する映画の一つ」と絶賛してもらったが、1つのネガティブ評価は10のポジティブ評価に勝る」と十の誉め言葉を警戒する慎重さを持っている。

 

B: 自分が好きでも観客がいないと次が作れない。映画は観客と共に生きるアートです。

A: たいていの監督がそうですが、彼も他の監督作品と比較されるのが嫌い。本作のプロデューサーの一人エンリケ・ロペス・ラビニュが、ベルイマンバホ・ウジョアのあいだを交差している映画だと言ったのに対して、ベルイマンの『仮面/ペルソナ』(66)との関連性は否定しています。

B: 他にもベルイマンを思い出した批評家がいますね。失語症になった舞台女優、それを支える看護婦、海辺の別荘・・・一見すると舞台設定が似ているがテーマは異なると思う。

 

A: バホ・ウジョアについては「あるかもしれない。彼の「La madre muerta」(仮題「死んだお母さん」)や「Alas de mariposa」(同「蝶の羽」)が大好きだから。ベルイマンも好きだが『仮面/ペルソナ』はそれほどじゃない。むしろ本作は、フェルナンド・フェルナンデス・ゴメスが自作自演した「La querida」(同「愛人」)の要素を持っている」と語っています。歌手を夢見るアンダルシア娘(歌手ロシオ・フラドが演じた)がマドリードで成功、彼女の恩人とも言うべき年上の作曲家(F.F.ゴメス)を捨て、新しい恋人に走るお話でした。

 

B: 大好きなロバート・アルトマンの『三人の女』(77)との関連性を指摘され、それは肯定している。

A: 主演のシェリー・デュバルがカンヌ映画祭で女優賞を受賞した作品、無関係だった3人の女性が絡みあっていくミニ群像劇でした。それはともかく、リラ・カッセンを母の死を切っ掛けに「歌を忘れたカナリア」に設定したのは、1992年に夫が急逝したあと歌えなくなった日本の歌手ちあきなおみにインスパイアされたからだそうです。

B: 活動休止がそのまま引退に繋がった。もう年齢的に復帰はあり得ないが本人もその気はない。ベルムトの日本贔屓もここまでくると病膏肓に入るだね。

 

          謎解き、メタファー探し、伏線、『裸の島』

 

A: 日本関連では、折り紙のメタファーは何か。小舟を折ったのはブランカ、を折ったのはビオレタ。折り鶴は想像できますが、小舟はどんな意味?

B: 冒頭に登場させている。リラはブランカという母船に乗っているがもう下船したい。再び小舟が登場するのはビオレタが歌っているカラオケ・ウニカで、ブランカがビオレタの歌を聴きに来ていたことが暗示される。小舟にビオレタが気づいて飲み残しのコンプに沈める。

 

              

A: ブランカとの決別後にリラが小舟を壊してしまうシーンを思い出してください、その折り紙でビオレタが鶴を折るのです。伏線の張り方が面白い。冒頭の浜辺のシーンで失くした左手薬指にはめていた銀色のネイルチップを偶然見つける。ジグソーパズルの最後の1片が嵌った瞬間です。リラはそのネイルチップを小舟に乗せようとするが小舟を広げてしまう。西條八十の「歌を忘れたカナリヤは、象牙の船に銀の櫂、月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す~」をふと思い出してしまった。

   

B: もう逃げない、母船には乗らないということですか。日本の童謡の歌詞には実に残酷な内容が裏に隠されていますよね。この童謡の前半は「歌を忘れたカナリヤは~」後ろの山に捨てるか、背戸の小藪に埋めるか、はたまた柳の鞭でぶちましょかと実に恐ろしい。価値がなくなった人間は生きる資格がないのか。自分の居場所を見つけられない西條とリラがリンクした。

 

A: カナリヤは当時失意の日々を送っていた西條自身でした。それでは如何にも可哀そう、象牙の船に乗せたらと、西條夫人が言ったのでした。最後にリラは銀色のネイルを全部外して真っ赤なマニキュアで登場する。ネイルチップと折り紙、マルタが粉々にしたアパートのガラス戸、それにビオレタが被る日本人形に似せたカツラやリラの髪型に注意すると、二人の女性の心の動きが分かり小道具として重要でした。

 

B: 好きな映画としてリラが選ぶ『裸の島』を登場させたのは?

A: 新藤兼人が瀬戸内海の小島を舞台にして1960年に発表した作品でしょうか。モノクロ、無声映画、主な出演者は監督夫人の乙羽信子と殿山泰司が夫婦役、それに2人の子供だけ。国内より海外での評価が高かった。日本映画百選に入る傑作、今の誰彼と比較するのは何ですが、二人のような役者は日本から消えました。

  

B: セリフがなく肉体だけで物語る映像の凄さに打たれます。音楽をこれまた日本を代表する作曲家林光が手掛け、これも素晴らしかった。多分、ベルムトの日本映画へのオマージュかもしれないし、他に何かあるのかもしれない。

A: 一人では歩行が大変なハイヒール、二人が着るラメ入りの舞台衣装、何着もある中からどれを選ぶのか。リラが冒頭の海岸で着ていたドレスは銀ラメ入りの衣装、後に母親が着ていた舞台衣装であったことが明かされるが、事情を知らないビオレタが偶然選んだ衣装でもあった。

 

     母と娘の確執、父親不在――負のスパイラルにブレーキをかける

 

B: 前作『マジカル・ガール』では劇中で起きていることが解明されないまま閉じられた。例えば、バルバラ・レニー扮するバルバラとホセ・サクリスタン扮する教師の間に何があったのか、教師は何の罪で服役していたのか、観客を置き去りにしたまま進行する。

A: バルバラが必要に迫られて入る「秘密の部屋」では何が行なわれていたのか。マジカル・ガールは余命幾ばくもない12歳の少女なのかバルバラなのか、はたまた両方なのか。父親の破滅を知りながら高価な衣装を欲しがる少女の残酷な真意は何か。

 

B: その謎解きが魅力でもあったわけだが、今回は海辺のシーンで始り、同じ海辺で終わったように円環的ではあるが、スパイラルにブレーキがかかった。

A: 監督によると、前2作にはある仕掛けや形式を導入して、どうやって登場人物たちを冷酷にできるかに苦心した。しかし本作ではそういう要素を入れたくなかった。パズルをばらばらのまま閉じたくなかった。リラの独白を入れることで、スパイラルにブレーキをかけた

 

B: ブランカにさえ語らなかった真実、母の死を機に歌わなくなった本当の理由を、リラに語らせたかったわけですね。

A: 「リラのモノローグを書いているとき何かぼうっとしてた。でも次回作でどうするかは決めてないよ」ということでした。どんな独白をしたかは、ここでは書けない。

B: フィナーレで描かれた部分は、何かクラシック映画を見ているようで呆気にとられました。

 

            

         (ある決断をしてコンサート会場を出るビオレタ)

 

A: 前作は母親不在の父親に対する意識的な娘たちの残酷物語、本作は父親不在の娘たちの母親に対する意識的な残酷物語と括れるか。「意識と無意識は区別すべきで、意識は映像化できるが人生で常に起きている行為は無意識です」と語っている。

B: ラモン・サラサール『日曜日の憂鬱』でも、かつて自分を捨てた娘(バルバラ・レニー)が社会的成功を収めた母親(スシ・サンチェス)を破滅させた。ここでもリリやブランカ、ビオレタのように忍耐力を試された。

A: スシ・サンチェスはこの役でゴヤ賞2019主演女優賞を受賞した。ではビオレタを追い詰めるマルタはどうなるかだが、公開は終了しているけど書けません。プロットで死と再生が語られると書きましたが、これまた書けません。二人の女性によって歌われる曲は、ドラマの内容とリンクしているから少し触れておきたい。

 

B: エバ・リョラチが歌う部分をロックやポップで活躍するシンガー・ソング・ライターのエバ・アマラルが担当した。

A: 1972年サラゴサ生れ、2010年には国民音楽賞を受賞しているほどのベテラン、それで「二人のエバが歌っている」と話題になった。なかで「Somos su nuevo invitado」や「Como un animal」、後半の山場というか映画のクライマックスである最後の20分間に歌われるProcuro olvidarteが心に残る。劇中ではビオレタの曲とされていたが、1980年代初め、シンガー・ソング・ライターのマヌエル・アレハンドロと夫人のアナ・マグダレナが作曲した。複数のバージョンがあり、ラファエルやロシオ・フラドも歌っている。訳詞が少し違う印象でしたが、ドラマの内容にそっている。ナイワ・ニムリは勿論、自分自身で歌っている。他の誰かであることのゲームに別れを告げることができるのか。

 

   

(カラオケ・ウニカで「まるで動物のように」と「Como un animal」を歌うビオレタ)

  

B: シャキーラやレディー・ガガの名前を出していましたが、選んだことに深い意味があるのかどうか。死とか痛みにコネクトした映画が好きというカルロス・ベルムト、現役監督ではポール・トーマス・アンダーソンのファンで、最新作『ファントム・スレッド』がお気に入りとか。次回作を期待しよう。

  

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