『ライフ・アンド・ナッシング・モア』*東京国際映画祭2017 ③2017年11月05日 16:23

            5年もかかったアントニオ・メンデス・エスパルサの第2作目

 

               

         (スペイン題 La vida y nada más のポスター)

 

アントニオ・メンデス・エスパルサ『ライフ・アンド・ナッシング・モア』は、トロント映画祭2017でワールド・プレミアした後、サンセバスチャン映画祭では国際批評家連盟賞FIPRESCIを受賞しました。今回、本映画祭でアジアン・プレミアされ、デビュー作『ヒア・アンド・ゼア』12)に続いての上映となり、前回同様に監督が来日、上映後にQ&Aがもたれました(1026日、29日)。当ブログでは既にサンセバスチャン映画祭2017で監督キャリア及び作品紹介をしております。

Life And Nothing More 及び『ヒア・アンド・ゼア』の紹介記事は、コチラ2017910

 

  

(アンドリュー・ブリーチングトン、監督、レジーナ・ウィリアムズ、サンセバスチャン映画祭)

 

         母親を演じたレジーナ・ウィリアムズとの出会いから始まった

 

A: デビュー作『ヒア・アンド・ゼア』は、主人公になったペドロ・デ・ロス・サントスとの偶然の出会いから始まった。監督によると第2作も「レジーナ・ウィリアムズとたまたま出会って、最初は彼女を主人公にして撮ろうと考えていた」ということです。彼女の実体験や他の人の経験をミックスさせて人物造形をしていった。

B: 第1作同様ドキュメンタリーでなくフィクションで撮りたかった。映画のなかの母親レジーナの性格は攻撃的だが、実際のレジーナは勝気な性格ではあるが別の人格です。

 

A: 勿論シナリオは存在したが出演者には台本を渡さず、その日の撮影に必要なシチュエーションだけ教えて撮っていった。これは2作に共通したことです。

B: 俳優にとっては先が見えないぶん厳しいですね。「レジーナからクレームがついたが、結果的には自然な演技が引き出せた」と監督。

A: 同じやり方をして撮った映画にパブロ・ララインの『ザ・クラブ』(チリ、2015)があります。こちらはアルフレッド・カストロを筆頭に演技派揃いでしたが、わざと誰も自分が演じる役柄の準備をできないようにして、緊張感を持続させて撮っていった。

 

    

    5年前より額が後退したぶん髭が長くなったメンデス・エスパルサ監督、Q&Aにて)

 

B: メンデス・エスパルサ監督も「知らないことが重要だった」と強調していた。息子アンドリューと母親の怒鳴り合うシーンも大部分アドリブ、二人が考えたセリフだったという。

A: ずっと堪えつづけてきた寡黙な少年の言い分に共感しました。出演者の信頼を得ることを心掛け、元の台本が変わってしまっても構わなかったとも。これはちょっと驚きでした。演じているうちにアマチュアもプロに成長するということ、もともと人間は演技する動物ですから。

 

      リハーサルをせずに自然な流れで常に同じシーンを撮っていった

 

B: 冒頭に出てくる老人もアマ、さらに駐車場に現れた神父さんは台本になかった登場人物、折悪しく昼休み時間でスタッフが現場にいなかった。急いで呼び寄せてもう一度やり直してもらったが前のようにいかなかった(笑)。

A: 後にレジーナの愛人となるロバートがソフトな物言いで口説くシーン、レジーナが「男はこんなことしている女が好きなのよ」と、駐車場の柱につかまってポールダンスの真似をする。ここはレジーナのアドリブ、そのまま取り入れた。

B: もう一度演じてもらっても上手くいかなかったろうと。反対にラストに近いシーン、レジーナが仕事場で泣くシーンは27回やっても涙が出てこない。プッシュをあきらめてスタッフに引き揚げてもらったら、彼女が追いかけてきて「もう一度やりたい」、28回目でやっと涙が出た。

 

A: レジーナは、このシーンで泣く理由が理解できなかったのではないか。つまり泣いてる場合じゃないと考えたのではないか。一緒に来日していたら訊いてみたかった。駆け出しの子役だって指示されれば、ちゃんと泣けるからね。

B: 全員アマチュアだからカメラに慣れてもらうためもあって、「リハーサルをせずに自然な流れで常に同じシーンを撮っていた」のかもしれない。アメリカンフットボールのシーンなど余計な印象を受けたが、あれが日常なんだと思う。

A: あそこはドキュメンタリーのようでした。編集のサンティアゴ・オビエドは、さぞかし大変だったでしょうね。彼はキャスティングも担当しています。他にはエクアドルのセバスティアン・コルデロの Pescador2011、「釣師」)の編集も手掛けています。

 

B: 『ヒア・アンド・ゼア』でコラボした撮影監督のバルブ・バラソユは、5年間の間にテクニカルな部分が進歩して、前回では不可能だったカメラワークが今度は可能になった。

A: 光の取り込み方が印象的でした。撮影現場が住んでいるところだったのもプラスになった。前回は主役ペドロの故郷、メキシコのゲレーロが舞台だったから互いに距離を感じて、エキストラ出演してくれたコミュニティの人々とも今回のようにスムーズにいかなかった、と当時を振り返っていた。

 

           肯定にも否定にもとれる題名に込めた思い  

 

B: 最初から決めていたタイトルだったようですね。早い段階から決めていたと。意味的には肯定とも否定とも解釈される題名です。

A: 映画祭タイトルはカタカナ起こしですが、過去にアッバス・キアロスタミのLife and Nothing More1992、英題)というのがあり、邦題は『そして人生はつづく』でした。こちらもドキュメンタリーと現実をミックスした作り方、監督の出身国スペインのタイトルは、邦題と同じ Y la vida continua でした。監督が意識していたかどうかは分かりません。

 

B: イラン映画は肯定的でしたが、こちらは微妙、レジーナ親子に光は射すように見えますが、少なくともレジーナは、前途多難が予想される終わり方でした。

A: 西題は「人生とはこんなもの」くらいです。テーマの一つが父親不在ですが、まだ7年以上の刑期が残っている父親からの手紙を読むシーンで、ラストが予想できるような映画でした。予想通りになり、少なくともアンドリューは前に向かって歩き出したことが暗示されるから肯定かな。

 

B: 3人の子持ちになってしまったレジーナは微妙ですが、各自想像すればいいことです。「ザバッティーニのエッセイに『ドラマを追うのでなく、人生を追う映画でいい』とあり、それを実践した」と答えていましたからね。

A: チェザーレ・ザバッティーニ(190289)は脚本の神様みたいな人、デ・シーカの名作を多数手がけた映画史に残る脚本家でした。Q&Aで彼の名前が飛び出すなんて、これは想定外でした。

 

B: よく出る質問に主人公の <その後> がありますが、ドキュメンタリーではないのですから愚問かな。

A: 今回も訊かれた監督が想定外の質問に「1回勝って3回負けるのが人生、いいことばかりではない。辛い愛もあることを描きたい」と応じていた。

 

          噛みあわないロバートとレジーナのダイヤローグ 

 

B: プロットは取りたてて新鮮味がありません。「クソったれ」みたいな男の口説きにほだされ、結局女は一緒に住むことにする。女に保護観察中の年頃の息子がいれば男との軋轢が生まれるのは当然。アンドリューには居場所がない。

A: 息子は母親を愛しており母親も息子を愛しているのに上手くいかない。行き着く先は男の望まぬ女の妊娠、男は息子の反抗を理由に体よく逃げる。すごくありきたりのプロット。それでも何か光るものを感じるから不思議です。

 

          

           (初対面のレジーナを言葉巧みに口説くロバート)

 

B: ロバートが口達者な嘘つきのダメ男と気づきながら受け入れてしまうレジーナ。彼女が直面している過酷さと孤独が際立ちますが、誰も孤独を責めることはできません。

A: 「男はこどもをつくるだけ、女は育てなければならない」と分かっているのに一縷の希望に縋りつく弱さが哀しい。「母は強し」より「女は弱し」が優先されてしまう。レジーナが最後に流す涙の意味は、観客に委ねられるが、自分の弱さ愚かさに対する悔し涙かもしれない。

 

    

     (息子のアメリカンフットボールの試合を観戦する、幸せだった頃の家族)

 

B: もう一つのポイントが、ホワイト特権と組織全体が複雑に入り組んでおこなう人種差別

A: 家族が住んでる近くに私有地公園があり、アンドリューのような黒人は中に入れない。丁寧だがねちねちと少年を追い詰めていく白人男性の陰険さ。いつどんなかたちで爆発するか緊張する。

B: 飛び出しナイフをいじっている伏線が敷かれてあり、ああ、このシーンのためだ、と思った観客もいたはずです。振り回しただけで大人の裁判に回されるんですかね。

 

A: アメリカの裁判制度は皆目分かりませんが、ハイスクールの生徒が保護観察中だったとはいえ大人扱いされるなんて。白人の子供だったらこうはならないのではありませんか。監督は入念な下調べをして臨んだと言ってましたから事例があるのでしょう。

B: 時代背景は2016年の大統領選挙戦中のフロリダ、「どっちが大統領になっても同じ」とレジーナに言わせていましたが、現実は大分違うのではないか。

A: ヒスパニックやアジア人を含めて、白人以外はどっちみち差別されるという意味でしょう。

 

B: エンド・クレジットのサンクス欄にアルモドバルの名前があったことで質問が出ました。

A: 資金調達の協力をお願いしたからで、彼の映画に影響されたわけではないということでした。アルモドバルはデビュー当時の苦労を忘れず、若い監督の後押しに熱心です。アレックス・デ・ラ・イグレシア、『人生スイッチ』のダミアン・ジフロン、『サマ』のルクレシア・マルテル、と枚挙に暇がありません。映画の好き嫌いは別にして、スペイン人で彼ほど映画向上に貢献している監督はいないのではありませんか。今ではデ・ラ・イグレシアは、より若い監督をプロデュースする立場です。

 

B: とにかくQ&Aで印象的だったのは、その誠実な人柄ですね。スペイン人には珍しいタイプの監督さんです。次回は5年もあけずにトーキョーに戻って来られたらと締めくくっていました。