アントニオ・レシネス*スペイン映画アカデミー会長を辞任 ― 2016年07月15日 09:29
不協和音がつづくスペイン映画アカデミー
★2週間前にグラシア・ケレヘタの副会長辞任が受理されたニュースをアップしたばかりですが、13日アントニオ・レシネスも会長辞任を表明、当然3人セットですから、もう一人の副会長エドモンド・ロチも右へならえです。「撤回不可能の決心」というわけで昨年5月5日に新体制が発足して以来14ヶ月の短命に終わりました。これでは都知事選同様年中行事化しかねませんが、フェルナンド・トゥルエバのように1年未満の方もおりますから、よくもったとも言えるでしょうか。混迷を深める政治経済とも絡んで現役の俳優や監督が兼職するには限界があるということかもしれません。レシネスは「アカデミーが難問山積なのは充分承知で引き受けたが、連日のように持ち込まれる些末な揉め事には対応できなかった。より作業能力に優れている人にお願いしたい」と皮肉たっぷりのコメントをいたしました。また現行の「選挙法」に問題があるという指摘もしたようです。

★野球に譬えると、現場監督(アカデミー側)と球団運営フロント(重役会)の摩擦や食い違いが常にあって、フロントからの些細な要求に納得できなかったのが背景にあるようです。前会長とポルフィリオ・エンリケスCEOとの関係は比較的良好と言われていただけに残念な結果になりました。現在の会員は約1400人、アカデミー執行部は14名、任期は6年で日本の参院選のように3年毎に半分が改選されるシステムです。次期会長はどなたになるのか、いずれにせよ会長辞任ですから再選挙がおこなわれる。
★スペイン映画芸術科学アカデミー設立の発端は、今から遡ること30年、プロデューサーのアルフレッド・マタスの呼びかけで1985年12月12日、マドリードのレストランでの会合から始まった。いわゆるマドリード派の監督ルイス・ガルシア・ベルランガやカルロス・サウラ、製作者マリソル・カルニセロ、テディ・ビジャルバ、俳優ホセ・サクリスタン、チャロ・ロペス、編集者パブロ・ゴンサレス・デル・アモ、作曲家ホセ・ニエト、美術監督ラミロ・ゴメスなどが参加した。正式な発足は1986年、ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ監督が初代会長に就任した。
★監督、脚本家のアンヘレス・ゴンサレス=シンデは初代の娘、社労党PSOEのホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ政権の文化教育スポーツ相就任のため、任期半ばで辞任した。映画産業に多くの予算を回したことで、国民党PPから「あなたは映画大臣ではなく、文化教育スポーツ省の大臣だ」と野次を飛ばされた(笑)。今思うとあの頃はPSOEとPPの二大政党だったのでした。『プリズン211』、『悲しみのミルク』、『瞳の奥の秘密』、『デブたち』、『ナイト・トーキョー・デイ』、『泥棒と踊り子』の名作が上映された「スペイン映画祭2009」の企画者が彼女でした。
*歴代スペイン映画アカデミー会長*
初代 1986~88 ホセ・マリア・ゴンサレス・シンデ
2代 1988 フェルナンド・トゥルエバ
3代 1988~92 アントニオ・ヒメネス・リコ
4代 1992~94 フェルナンド・レイ
5代 1994 ヘラルド・エレロ
6代 1994~98 ホセ・ルイス・ボラウ
7代 1998~2000 アイタナ・サンチェス=ヒホン
8代 2000~03 マリサ・パレデス
9代 2003~06 メルセデス・サンピエトロ
10代 2006~09 アンヘレス・ゴンサレス=シンデ
11代 2009 エドゥアルド・カンポイ
12代 2009~11 アレックス・デ・ラ・イグレシア
13代 2011~15 エンリケ・ゴンサレス・マチョ
14代 2015~16 アントニオ・レシネス
15代 2016~ ?
★13代のゴンサレス・マチョのように2期目途中での辞任は少数派、1年未満が3人もいて3年の任期を全うするのは難しいようです。
*グラシア・ケレヘタ副会長辞任の記事は、コチラ⇒2016年7月5日
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