『苺とチョコレート』のナンシー*ミルタ・イバラ、スペインにリターン2016年04月10日 16:18

            自作自演の二人芝居、演劇のスペシャルな夕べ

 

★企業家を引き連れてのオバマのキューバ訪問、季節外れのハリケーン級の老人パワーを見せつけたローリング・ストーンズのハバナ公演と、退屈だったカリブの小島も一時世界の注目を集めました。公演中は長時間におよぶ停電に悩まされた近隣住民もヤレヤレでしょうか。そんな小島から時を同じくして、トマス・グティエレス・アレアの『苺とチョコレート』でナンシー役に扮した監督夫人ミルタ・イバラ15年ぶりにマドリードに戻ってきました。映画ではなく自作自演の舞台Neurótica Anónima出演のためです。キューバ出身のジョエル・アンヘリノとの二人芝居、脚本も彼との共同執筆のようです。マドリードでの上演は47日マチネーで1回のみ、その後、カナリア諸島のサンタ・クルス・デ・テネリフェでは10回の予定。

 

 

 (トンボ眼鏡を右手にチャーミングなミルタ・イバラ、マドリードのカサ・アメリカにて)

 

★『苺とチョコレート』のあれこれには触れないとして、相手のジョエル・アンヘリノは彫刻家ヘルマンになった俳優、思い出せない方はホルヘ・ペルゴリア扮する同性愛者ディエゴのアーティスト仲間、意見の相違で口論となり、自作を壊してしまった彫刻家と言えば思い出していただけるでしょうか。彼は約15年前にキューバを出てスペインに亡命しました。現在はサンタ・クルス・デ・テネリフェに定住、映画やTVドラ、演劇で活躍しており、才能国外流出の一人です。『苺とチョコレート』のセネル・パスの原作「狼と森と新しい人間」のディエゴのモデルになったというロヘール・サラスも、実は1981年にスペインに亡命してしまった流出組の一人です。ミルタ・イバラとジョエル・アンヘリノの二人は、2000年から翌年にかけて、Obsesiones Habanerasの舞台で共演しており、先述の「15年ぶりにマドリードに戻ってきました」は、そういう意味でした。

 

  

 (ヘルマン役ジョエル・アンヘリノ、『苺とチョコレート』から)

 

ロヘール・サラスは、セネル・パスにディエゴの人格形成の資料を提供した人、グティエレス・アレアが映画で描いたディエゴ像に抗議したことで知られています。彼はtravesti女装愛好者、亡命するまでハバナの国立美術館に勤務していました。現在は欧米のバレエ衣装や舞台装置のデザインを手がけているほか、「エル・パイス」紙の舞踊欄のコラムニスト、コンプルテンセ大学付属の音楽研究所教授。

 

 

 (“Obsesiones Habaneras”の二人、20006月、カナリア諸島プエルト・デル・ロサリオ)

 

ミルタ・イバラ19462月ハバナ南東30キロにあるサン・ホセ・デ・ラス・ラハス生れ、女優、脚本家、監督。父親は鋳物工場の経営者、国立芸術学校で学び、1967年在学中に舞台デビューする。同年フランス人と結婚、最終学年の1970年に男子を出産する(現在では孫もいる由)。ハバナ大学でラテンアメリカ文学を専攻する。略奪愛と話題になったトマス・グティエレス・アレア(192696)と再婚したのは1973年だった。

   

★初の出演映画が長編劇映画7作目の『最後の晩餐』1976、キューバ公開77年)のチョイ役、本格デビューは9作目『ある視点まで』83,キューバ公開84年)、女優としての地位を確立した。続いて『公園からの手紙』88)、『苺とチョコレート』(93)、遺作となった「グアンタナメラ」95)に出演した。最後の2作は監督の癌手術と療養のため、義兄弟のようだったフアン・カルロス・タビオとの共同監督でした。この2作におけるブラックユーモアは、アレアのものというよりタビオのものです。彼とはキューバ=スペイン合作Aunque estés lejos03)、スペインのクラシック映画、ガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』へのオマージュと言われたEl cuerno de la abundanciaほかに出演しています。最近はアントニオ・HensLa partida13,西=キューバ)、ホルヘ・ペルゴリアのFatima14、キューバ)に出演、前者は同性愛と女装愛好家の人生を語るもの、後者もファティマと呼ばれた若いゲイの娼婦、夜の女王にまつわる物語のようです。

 

   

   (ミルタに演技指導をするグティエレス・アレア、『苺とチョコレート』から)

 

 

    

          (グティエレス・アレアとフアン・カルロス・タビオ)

 

★「キューバでは1年に1本出演できるかどうかの少なさです。私のようにテレビ出演をしない女優にとって映画で食べていくことは難しい」とミルタ。できやすい目の下の隈を隠すように大きなサングラスを手放さないミルタ、「スケジュールの変更があって眠れなかった。それでいくつも台本を私に持たせるの」と微笑みを絶やさずユーモアを連発する。来西する前にアルトゥーロ・サンタナのデビュー作Bailando con Margotの撮影を済ませてきたばかり、「若い監督たちが独立系のプロデューサーと組んで映画作りを始めている。アメリカの経済ブロック解除が庶民の生活を向上させることを期待していますが、それが映画作りにも及ぶかどうかは別のこと」とも付け加えている。かつてのようなキューバがラテンアメリカ映画のメッカとなるのは大分先と考えているようです。ミルタのような待ったなしの年齢では、どうしても現実的にならざるをえません。

 

   

               (ミルタ・イバラ、“Neurótica Anónima”の舞台から)

 

★「私の家はまだティトンの持ち物で所狭しです」と5年前のインタビューで語っていたが、今も同じでしょうか。ティトンとはグティエレス・アレアのことですが、多分彼に囲まれていることで落ち着くのでしょう。初監督作品Titón, de la Habana a Guantanamera2008)は、アレア監督についてのドキュメンタリー.。著書として“Volver sobre mis pasoas”を刊行、これにはティトンからの書簡類の編纂も含まれている。またICAICについての意見や不安、ティトンとの再婚にいたる経緯、そのエネルギュッシュなアタックぶりも詳しく書かれているそうです。

 

★長編映画デビューが『苺とチョコレート』だったジョエル・アンヘリノにとってミルタはどう映っていたか。「常に私を魅了し続けている女優、ミルタは私がまだハバナの国立舞台芸術学校で学んでいた頃、既に神話化された存在でした」と語る。「再び舞台で一緒に演じられるなんて。必ずお客さんを楽しませることができると思う」とも。生年は1970年代初めと推測するが、キューバを離れた後はスペイン映画やシリーズTVドラ(「アイーダ」)出演、映画編集、舞台俳優、サルスエラ出演などで活躍、詩人でもある。最近キコ・カストロが撮った短編“Cristales rotos”は、彼の詩の1編がベースになって製作された。

   

主なフィルモグラフィー

2001Buñuel y la mesa del rey Salomón”監督カルロス・サウラ

2001I Lave You Baby ”同アルフォンソ・アルバセテ、他

2003El misterio Galíndez”同ヘラルド・エレロ

 

 

     (ジョエル・アンヘリノ、“Neurótica Anónima”の舞台から)

 

★もう間もなくグティエレス・アレアの命日が巡ってきます。今年は没後20周年の節目の年(1996416日)、キューバでは何か催し物が企画されているのでしょうか。