「アディオス」、チュス・ランプレアベ、そして「グラシアス」2016年04月08日 13:57

          スペイン映画の象徴的な顔、チュス・ランプレアベ逝く

 

★だいぶ前から生れ故郷アルメリアの自宅に閉じこもっていたというチュス・ランプレアベの訃報が、44日に知らされました。85歳の旅立ちでした。目が悪く日常は牛乳びんの底のような強度の眼鏡をかけていた。マルコ・フェレーリEl pisito1958、「小さなアパート」)で映画デビュー、続いてEl cochecito60、「電動車椅子」)、そしてルイス・ガルシア・ベルランガとの出会い、彼の社会批判をブラックユーモアで包んだ象徴的なコメディEl verdugo63.「死刑執行人」)に出演、「ナショナル三部作」といわれる全3作に起用された。スペインでもっとも愛された監督と言われながらも映画祭上映だけに終わったベルランガに、その類まれな知的ユーモアのセンス、独特な甲高い声、誰かと混同することのない強烈な個性、少しずれたおかしみによって気に入られた。フェレーリ、ベルランガ、トゥルエバと脚本でタッグを組んだ、女嫌いと言われたラファエル・アスコナのお気に入りでもあった。あちらで旧交を温めていることだろう。

   

     

          (眼鏡をかけていないチュス・ランプレアベ、1989年)

 

★女優になりたかったわけではないのに女優になってしまった。マリア・ヘスス・ランプレアベ・ペレスChusチュスは愛称、19301211日アルメリア生れ、女優。脇役に徹し、出演本数70本は60年の映画人生で多いのか少ないのか、どっちだろうか。ガルシア・ベルランガ、ハイメ・デ・アルミニャン、アルモドバル、フェルナンド・トゥルエバ、フェルナンド・コロモ、サンティアゴ・セグラなどなど、実力派の監督たちに愛された。画家を目指してマドリードの「サン・フェルナンド美術アカデミー」に20歳のとき入学した。ビクトル・エリセのドキュメンタリー『マルメロの陽光』の画家アントニオ・ロペスとも或る期間同じ空気を吸っていた名門美術学校です。卒後出版社アギラルでイラストレーターとして働いていた。その後、映画学校の監督特別コースに入学、そこで多くのシネアストの友人たちができ、なかにハイメ・デ・アルミニャンがいた。彼を介して1958年テレビ出演、同年マルコ・フェレーリの“El pisito”でデビューした。後にデ・アルミニャンのMi querida señorita1971「我が愛しのセニョリータ」)に出演している。

 

「アルモドバルの娘たち」の一人、しかし彼のデビュー作『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の女の子たち』、第2作『情熱の迷宮』はオファーを断っている。初参加は1983年の『バチ当たり修道院の最期』から、『グロリアの憂鬱』『マタドール』1988年の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』で一区切りする。フェルナンド・コロモ、ホセ・ルイス・クエルダ、F・トゥルエバなどを挟んで、1995年の『私の秘密の花』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール〈帰郷〉』、最後が『抱擁のかけら』2009)合計8作でした。『ボルベール』でカンヌ映画祭2006の最優秀女優賞にカルメン・マウラやペネロペ・クルスなど6人で受賞した。その他、俳優組合賞助演女優賞を受賞、ゴヤ賞は『私の秘密の花』でノミネーションを受けている。

 

 

(ロッシ・デ・パルマとチュス、電話の相手は娘役のマリサ・パレデス、『私の秘密の花』)

 

★アルモドバルによると、「しばしば起こったことなのだが、自分にふさわしい役柄に出会えないときには悔しがった」、そういう意味では「アルモドバルの正真正銘の娘」として評価できるというわけです。「アルモドバルの娘たち」のなかでも、ロッシ・デ・パルマとチュスは、その異色さにおいて双璧をなす。前者は本日封切られる“Julieta”に出演している。

    

 

  (女優6人がカンヌ映画祭女優賞を受賞した『ボルベール』から)

 

フェルナンド・トゥルエバとの出会いは、彼のヒット作となった4作目Sé infiel y no mires con quién1985「他人を気にせず浮気なさい」)、翌年の『目覚めの年』、そしてオスカー賞を受賞した『ベルエポック』に、マリベル・ベルドゥの婚約者ガビーノ・ディエゴの母親役で出演、ゴヤ賞1993助演女優賞を受賞した。ノミネーション4度目の実に60歳を超えての初受賞だった。結局これ1個にとどまった。そしてトゥルエバが初来日したことでも話題になった『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』2012)の家政婦役、これがトゥルエバ作品の最後となってしまった。「人格者というのでも、女優というのでもなかったが、ただそこにいるだけでよかった。彼女の中にはなにか小天使のような雰囲気があった」「他の誰とも似ていない女優だった」とトゥルエバ監督。

 

     

  (首吊り自殺をする神父役アグスティン・ゴンサレスとチュス、『ベルエポック』から)

 

★テレビドラマには出演しておりましたが、長編映画としてはサンティアゴ・セグラのトレンテ・シリーズ第5Torrente 5: Operación Eurovegas2014)が最後の出演となりました。だいぶ痩せた印象を受けますね。第1Torrente, el brazo tonto de la ley1998)にも出演した。いささか下品だとゲイジュツ映画ファンには不人気だったが、戯画化された人格造形の上手さにセグラの才能を感じさせるブラックコメディでした。結局シリーズ化され、毎回トレンテ・ファンを喜ばせている。

 

   

       (最後の出演となったサンティアゴ・セグラの「トレンテ 5」から)

 

★こうして振り返ってみるとノミネーションはかなりあるが受賞歴は少ない印象を受けます。2005年、フォトグラマス・デ・プラタを受賞している。アルモドバルの『グロリアの憂鬱』、『マタドール』、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』、トゥルエバの『目覚めの年』などでノミネートされたが受賞にはならなかった。だから2005年の受賞はいわば栄誉賞のようなもので全作品に対して贈られた。トロフィーは長年の盟友カルメン・マウラから手渡された。

 

 

  (プレゼンターのカルメン・マウラとチュス、フォトグラマス・デ・プラタを受賞、2005年)

 

★『ベルエポック』で共演したフェルナンド・フェルナン=ゴメスも逝き、同い年のアグスティン・ゴンサレスも既に10年ほど前に旅立ってしまった。チュス・ランプレアベ、画家にならなくて本当によかった。楽しい映画をたくさんありがとう。