『ミューズ・アカデミー』 ゲリンの新作*東京国際映画祭2015 ⑤2015年11月24日 12:34

1111日から開催されたセビーリャ・ヨーロッパ映画祭で「金のヒラルダ」を受賞した作品。ロカルノ映画祭でワールド・プレミアしたときから、東京国際映画祭TIFFでの上映を確信していました。その通りになったのですが、作品解説にいささかたじろぎながらも見に出かけました。危惧したとおりセリフの多さに圧倒されてしまいました。これはQ&Aが必要な映画ですね。ロカルノでも「フィクションかノンフィクションか」に質問が集中したようです。まずはデータから。

 

  『ミューズ・アカデミー』(“La academia de las musas”)

製作:Los Films de Orfeo

監督・脚本・編集:ホセ・ルイス・ゲリン

録音:アマンダ・ビジャビエハ

音響:ジョルディ・モンロス、マリソル・ニエバス

カラーリスト:フェデリコ・デルペロ・ベハル

特別エディター:ヌリア・エスケラ

 

データ:製作国スペイン、スペイン語・イタリア語・カタルーニャ語、2015年、92分、ドラマ、

受賞歴・ノミネーション:セビーリャ・ヨーロッパ映画祭2015「金のヒラルダ」賞、ロカルノ映画祭2015ワールド・プレミア

 

キャスト:ラファエレ・ピント(哲学教授ピント)、ロサ・デロル・ムンス(教授夫人ロサ)、エマヌエラ・フォルゲッタ(生徒エマヌエラ)、ミレイア・イニエスタ(同ミレイア)、パトリシア・ジル(同パトリシア)、カロリナ・リャチェル(同カロリナ)

 

作品紹介:バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における「女神論」を講義する。社会人の受講生たちも積極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて数名の受講生の個性も前景化し、次第に教授の行動の倫理が問題となってくる・・。ドキュメンタリーとフィクションの境目を無効にするJL・ゲリン監督の本領が発揮される新作。(中略)ピント教授は実際のピント教授が演じており、その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する。・・・(TIFFカタログより抜粋)

 

    レトリックや文学、詩、言葉がもつ美しさへのオマージュ

 

A: セビーリャ・ヨーロッパ映画祭の最高賞を受賞したわけですが、上映会場はスペインでの上映を待っていた批評家、ゲリン賛美者、シネアスト、学生、シネマニアなどで超満員だった。

B: 8月上旬に開催されたロカルノ映画祭の好評を聞きつけて、賛美者以外のファンも待ち構えていたというわけですね。

A: フィクションは、2007年の『シルビアのいる街で』以来8年ぶりですから、フィクションを待っていた観客も詰めかけたのでしょう。前作はセリフが極力抑えられ無声映画に近かったのに、新作はレトリックや文学、詩、つまり言葉がもつ美しさへのオマージュという対照的な作品です。

B: ロカルノでも「言葉の力に捧げた」と、「パッションやアートについて、人生や創造について、特に詩について語った」映画だとゲリンはコメントしていた。

 

   

  (トレードマークのハンチングを被ったホセ・ルイス・ゲリン、ロカルノ映画祭にて)

 

A: また監督は「とりたてて事件は起こらない」と語っていましたが、『シルビアのいる街で』でも事件はこれと言って起こらない。偶然性やコントロール不可能なものに重きをおく監督は、昔の美しい恋人を求める主人公の主観的な視線と、偶然カメラが捉えてしまう客観的な視線を行ったり来たりさせた。

B: プロット的にはやや強引な設定でしたが、観客は満足した。本当にシルビアという女性がいたのかどうかは受け手に委ねられた。

 

A: セビーリャでの拍手喝采は熱狂的、満場を沸かせたようです。だからこそ「金のヒラルダ」を受賞できたのでしょう。上映はパリ同時テロの2日前だったから、今思うと感慨深いです。

B: 結局、授賞式や関連イベントは中止になりましたけど。

 

フィクションかノンフィクションかの区別がはっきりしなくてよい

 

A: 「どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか」という質問については、「観客にとってはよく分からないほうがいい、そう思いませんか」と答えている。フィクションかドキュメンタリーか、喜劇か悲劇か、そのような映像の区別は重要でないということですかね。

B: 区別は必要ないという意見に賛成ですが、生徒の質問のどこまでが本人のもので、どこからがセリフなのか気になります。

 

A: 新作の導入部はバルセロナ大学でのピント教授の授業風景から始まる。沈黙の重さに支配された過去の作品への〈言葉による〉過激な返答という意味合いがある。導入部のダイアローグの応酬はつむじ風、サイクロン級でした。

B: 教授の講義も生徒の質問もレベルが高くて、ドキュメンタリーとはとても思えません。ただ境目がわからなかった。でも曖昧でいいのですね。

 

A: 道具としてドキュメンタリー手法を多用して、単純を装いながら虚実を混在させるのが好きな監督、ピント教授は、実際に40年前から同大学の文学教授、教授夫人も彼の妻、生徒たちもバルセロナ大学で講義を受けているノンプロの人たちで自分自身を演じている。しかしこれは100パーセントフィクションだと。そもそもドキュメンタリーというジャンルはないという立場の監督です。

 

B: 教室を一歩出ると、夫婦間で火花が飛び散っている。夫婦の危機が表面化し、教授と生徒の間に新しく生まれたロマンスも進行していく。

A: 観客は次第に、ダンテの「神曲」における女神の役割論から異なったテーマ、例えば理性より感情、欲望、性、嫉妬、夫婦などをテーマにした議論に巻き込まれていく。

 

         

               (新しいロマンスの相手と教授)

 

B: 東京も含めてどこの会場でも、教授夫妻の迫真の口論には笑い声が上がったと思う。

A: 論客ピントも皮肉やの夫人に押され気味、ここがいちばん自然で本物らしく見えたが、「勿論実人生ではない。しかしある瞬間は真実が入っている、なぜならエモーションは本物だから。二人には予めこれはフィクションだからと言っておいた。でもカメラが回り始めると二人は自分の信じていることを話し始めた。もし彼らが信じていなければ、あのダイアローグは不可能だった」と監督。

 

B: 教授は実人生でもバルセロナ大学の文学教授、ロサ・デロル・ムンスはカタルーニャ文学や言語学の研究者だそうですが。

A: 教授は1951年ナポリ生れ、ダンテ心酔者、1974年からバルセロナ大学でイタリア哲学、特にダンテと文学を専門に教えている。デロル・ムンスは1943年バルセロナ生れ、バルセロナ大学の文献学を卒業、“Salvador Espriu (1929~43)”など何冊か研究書を上梓している。映画でもピント教授より年長に見えましたが、大分離れている。

 

       

          (ガラスを透して口論する教授夫妻を撮影している)

 

B: 「私がもっと若かったら」と真情を吐露している。女性は疑り深く独占欲が強く、嫉妬深い。

A: 嫉妬深いのは同じだが、男性は女性より上位にいたがり、常に自分が正しく、相手を自分好みに変えたがる。悲喜劇としか思えないが、それでも夫婦をやっている。このシーンは、ウディ・アレンの映画を彷彿させる。

 

         中心テーマは知の変化――教授法は一種の変化に貢献する

 

B: TIFFの解説に「その講義は自然に傾聴させる力を持ち、観客は生徒に同化する」とありましたが、講義内容はレベルが高すぎ、生徒はおろか登場人物の誰とも同化できませんでした。

A: 講義は一方的に与えるだけでなく、生徒に反論させている。生徒が変化するだけでなく、教授自身も「君の視点が私を変えた」と語っていた。優れた教授法は知の変化に貢献する。教師という仕事は生徒を餌食にするが、生徒も教師を餌食にしている。互いに変化するところが面白い。

B: 知識は変化によって価値、重要性、満足度というか喜びをはかっている。

 

A: 生徒の一人が、地中海にあるイタリア領の島、サルディーニャ島に案内する。そこで出会った牧人詩人が披露してくれた先祖伝来だという歌は素晴らしかった。

B: 現在でもこんなアルカディアが存在するなんて。この牧人には同化できますね。サルディーニャ語はイタリア語の方言ではないと言っていた。

    

 

    (小型カメラで撮影する監督、サルディーニャ島にて)

 

A: 本当の羊飼いで、ゲリンも生徒の一人(多分イタリア語を話していたエマヌエラ・フォルゲッタと思うが)に案内してもらうまで、その存在を知らなかったそうです。自然が生みだす異なった音色の洗練さに感動したとロカルノで語っていた。内容は羊飼いの古典的神話を詩の世界に調和さたものらしい。サルディーニャ島に出掛けて撮影することは最初からのプランで、作品に新しい視点を与えてくれたとも。

B: サルディーニャ語はラテン語を起源とするロマンス語に属し、フェニキア語、カタルーニャ語、スペイン語の影響も受けているとウィキペディアにあった。

 

A: サルディーニャ島シリゴ出身の言語学者ガヴィーノ・レッダを思い出しました。彼も羊飼いで20歳になるまで文字が読めなかった。父親が羊飼いには必要ないと受けさせなかった。その後軍隊で初等教育を受け、ローマ大学の言語学科を卒業したときには32歳だった。自伝『パードレ・パドローネ』(1975)がベストセラーになり、日本でも翻訳書が出ている。

B: タヴィアーニ兄弟が映画化して、カンヌ映画祭1977のグランプリを受賞、これも劇場公開されたから、見た人多いと思う。今は引退して生まれ故郷シリゴで農業と牧畜に携わっている。

 

A: スペインでも詩人ミゲル・エルナンデスは、子供時代から羊飼いをして正規の学校教育を受けていない。貧しいからという理由でなく、父親が必要ないと受けさせなかった。だから独学ですね。大体ロルカと同じ時代を生きた詩人です。

B: 内戦では共和派、終結後に収監されて生まれ故郷アリカンテの刑務所付設の病院で31歳の若さで亡くなった。スペインではロルカよりファンが多いとか。羊飼いは自然と対話していないと成り立たないから自ずと思索的になるのかもしれない。

 

    

          (カロリナ・リャチェルとエマヌエラ・フォルゲッタ)

 

     有力な映画祭出品は肌に合わない――ドキュメンタリー映画祭が好き

 

A: 『シルビアのいる街で』はベネチア映画祭に出品されたが、もみくちゃにされたのがトラウマになっているのか、有力な映画祭は好きではないという。良かった映画祭はドキュメンタリー映画祭だと。

B: 映画の宣伝には役立つが、フィクションかドキュメンタリーか、悲劇か喜劇か、カンヌなんかはジャンル分けがうるさいと聞いています。それぞれセクションごとに上映するから仕方ない。

A: ベネチア映画祭では、映画祭の喧騒を逃れて小型のデジカメを手に土地の人々や風景を収めていた。本作は世界各地の映画祭に招待されたが、映画祭はそっちのけで気軽に町中に出かけて取材していた。そうして出来たのが『ゲスト』(10)でした。

B: プレミアはコンペではないが同じベネチア、同年TIFFでも上映された。

 

A: 撮影監督の名前がIMDbにもカタログにもクレジットされていない理由は推測するしかないが、ガラスを透して撮影するシーンが記憶に残った。

B: 前作『シルビアのいる街で』と似ていた。キャストとの心理的な距離を表現したいのか、機会があれば質問したいね。

 

A: ゲリンは完璧主義者に思われているが、素描の性格をもっている映画が好みで、技術的な凝り過ぎは最低だと語っている。確かに何回も撮り直しをするタイプじゃない。

B: 夫婦の口論も1回勝負だから、観客は騙された。

 

A: 自分で編集を手掛けるから観客第1号は自分、これは素晴らしい体験だと言う。かつての映画小僧も、今はあちこちの映画学校で講義をしている。映画を撮るべきかどうか質問されたら、最初の助言は止めなさいです。それでも中には止めないクレージーな学生がいて、そういう学生には手を差し伸べます。映画監督はクレージーでないと務まらない。