『瞳は静かに』 ダニエル・ブスタマンテ2015年07月11日 16:23

         モンスターを生む土壌、見えない戦争を生き抜く知恵

 

★スペイン内戦もの同様、アルゼンチンの軍事独裁政時代を描いた映画はそれこそ枚挙に暇がない。アルゼンチンに初めてオスカー像をもたらしたルイス・プエンソの『オフィシャル・ストーリー』(1985)を始めとして、エクトル・オリベラの『ミッドナイトミッシング』(86)、フィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(01)、アドルフォ・アリスタラインの『ローマ』(04)、軍事独裁崩壊の引き金となったマルビナス戦争を描いたトリスタン・バウエルの『火に照らされて』(05)、政権末期のエリート校を舞台にしたディエゴ・レルマンの『隠れた瞳』(10)など、日本語字幕で見られた映画もたくさん紹介されている。日本未紹介作品、軍事独裁政をメタファーとして取り込んだ映画を含めると相当な数になります。しかし本作のように子供の目線で撮られた映画は今まで少なく最近目立つようになったのは、当時子供であった世代がやっと映画を発信できる年齢になったからでしょう。

 

   『瞳は静かに』Andrés no quiere dormir la siesta2009

製作:El Ansia Producciones / San Luis Cine

監督・脚本:ダニエル・ブスタマンテ

撮影:セバスチャン・ガジョ

音楽:フェデリコ・サルセド

編集:ラファエル・メネンデス

美術:ロミナ・カリオラ

プロデューサー:カロリナ・アルバレス、ダニエル・ブスタマンテ

データ:アルゼンチン、スペイン語、2009108分、撮影地サンタ・フェ、ブエノスアイレス、

サン・ルイス、アルゼンチン公開20102月、日本公開201112

受賞歴:マル・デル・プラタ映画祭2009 FEISAL&スペシャル・メンション

モントリオール映画祭2009グラウベル・ローシャ賞(ラテンアメリカ映画に与えられる)

審査員特別賞受賞。トリエステ映画祭2009観客賞受賞

 

キャストノルマ・アレアンドロ(祖母オルガ)、コンラッド・バレンスエラ(アンドレス)、ファビオ・アステ(父ラウル)、セリナ・フォント(母ノラ)、ラウタロ・ブッチア(兄アルマンド)、マルセロ・メリンゴ(情報局員セバスチャン)、エセキエル・ディアス(母の恋人アルフレド)、マリア・ホセ・ガビン(叔母カルメン)他


      

    (ノルマ・アレアンドロと眼力でアンドレス役を射止めたコンラッド・バレンスエラ)

 

ストーリー:アルゼンチンの地方都市サンタ・フェ、1977年の夏、秋、冬、春、そして再び夏が廻ってくる。交通事故で突然母を失った8歳の少年アンドレスの心の軌跡が語られる。1976324日、軍事クーデタが勃発、市内の道路は戦車によって占領された。少年は兄アルマンドと既に離婚していた父ラウルと共に祖母オルガの家で暮らすことになる。軍事政権下のサンタ・フェで何が起こっていたのか、子供たちを守るために大人がしたことは何か、子供たちが本当に知りたかったことは何か、表面は平穏なオルガの翼の下で少年は次第に居場所を失っていく。繊細で残酷な小さなモンスターの誕生が語られる。オルガの家族というミクロな社会から国家というマクロな社会を照射する。                               (文責:管理人)

 

             強制収容所はコミュニティの中にあった

 

A: 子供の視点というのは、当時子供だった監督の視点と言えそうです。監督はサンタ・フェ出身、当時10歳だった。自分が通った小学校の近くに情報局の地下組織つまり逮捕した反体制派の人々、いわゆる行方不明者(デサパレシド)を収監していた強制収容所のことですが、それが近所にあったことを大人になってから知った。子供には知らされなかったが大人は皆な知っていた。

B: それが本作を撮ろうとしたそもそもの動機でした。映画の中でアンドレスはその前を通って学校に通っていた。偶然中から出てきた情報局のセバスチャンと遭遇したり、情報局の車フォードの「ファルコン」が出入りしていた場所ですね。

 

A: このファルコンという車種は情報局のイコンで、最後のほうでアンドレスが復讐する車と同じ車種で伏線になっている。また冒頭で子供たちが刑ドロごっこをして遊んでいた空き地こそ強制収容所に隣り合った危険な場所なのです。だからこのシーンを冒頭にもってきた意味はとても重要なのです。

B: 別の日、サッカーをしていてボールが誤って高い塀を飛び越えて入ってしまう場所は、強制収容所の中庭または裏庭です。空き地の隣りが危険な場所と教えられている子供は恐ろしくなって逃げ出した。知らない子供はボールを取り返そうと塀によじ登るが、ちょっとドキドキするシーンでした。

 

                

             (看護師の母親ノラ、セリナ・フォント)

 

A: 強制収容所は人里離れたところにあるのではなく、ここのように街中にあった。大人は知っているから、恐怖で「沈黙の壁」を築く。しかし「無関心」と「嘘」というのは一種の精神的暴力ですから、結局は代償を払うことになる。しかしいつの時代でも生き残るためには「沈黙」は「金」なのです。一概に非難できません。

B: しかし「沈黙」は「承諾」でもあるから、当然責任はついてまわる。「知りませんでした」は通りませんが、では何でも知っていたコミュニティのドーニャ、アンドレスの祖母オルガはどうすればよかったのか。ここは唯のサンタ・フェではなかったのですから、単純に批判できない。

 

A: 本作には「五月広場の母親たち」は登場しませんが、母親たちが一番苦しんだのは、軍部や警察の圧力や暴力ではなく、世間の無関心だったと語っています。アルゼンチンは民政と軍政が代わりばんこに繰り返され、民主主義は常に脆弱、結局200112月の国家破産デフォルトを出来させた。

B: 民政と軍政の失敗の歴史がアルゼンチン史です。少年アンドレスは30歳ぐらいになっている計算ですが、どんな仕事をしていたか興味が湧きます。

 

A: スリラー仕立ての群集劇、マルセロ・ピニェイロの『木曜日の未亡人』(2009)に出てくる誰かになるかな。登場人物の年齢は、アンドレスより少し年長ですが。デフォルトは90年代末から推進されてきた経済の、社会の、モラルの亀裂が一挙に噴き出した結果ですが、アルゼンチンに常に存在する近代国家としての民主主義の脆弱さが根底にあると思う。特に7年間の軍事独裁政が中間層を根こそぎにしましたから。

B: 90年代の政治経済だけに問題があるのではない。「サムライ債」が償還されなかった日本の機関投資家も莫大な損失を被った。だから15年経った今でもアルゼンチンをドロボウ国家呼ばわりしている()

 

        連想ゲーム―『ブラック・ブレッド』から『白いリボン』へ

 

A: ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2009)の謳い文句は、「大人の嘘は小さなモンスターを生みだす」だったが、本作にも繋がります。アグスティ・ビリャロンガの『ブラック・ブレッド』(2010)の少年アンドレウと本作のアンドレスは、時代も国も状況も異なりますが、ぴったり重なる。

B: ハネケが描いた子供たちは、やがてナチズムに心酔する青年に成長し、ビリャロンガの描いた子供は40年も続いたフランコ時代を巧みに泳ぎ抜く術を学んで生き残った。

A: それぞれ代償を払ったのではありませんか。フランコ再評価なんてことも聞こえてきて、ドッコイ生きているのかなあと思いますけど。

 

     

    (ゴヤ賞新人男優賞を受賞したフランセスク・コロメル、『ブラック・ブレッド』)

 

B: オリジナル・タイトルは「アンドレスはお昼寝なんかしたくない」ですが、少年は昼寝よりテレビで大好きな「カンフー」を見たいだけです。しかし大人にとっては深い意味がある。邦題は直訳のほうがよかったのではないか。

A: 父親ラウルは「見たくない聞きたくない」ことだらけ、怒りの矛先を子供にぶつけてくる。親としての責任を果たしていない。母親の死を知ったとき抱きつくのは、傍にいた父親でなく戸口に佇んでいた兄アルマンドです。本当に細かい演出で感心しました。

 

               

          (祖母オルガと感情がコントロールできない父ラウル)

 

B: 祖母オルガのセリフは極力抑えられていて、目だけの演技が求められていた。誰にでもできる演技ではない、ノルマ・アレアンドロだからこそできた。

A: 主婦たちは毎朝玄関前を掃除する、汚れていなくても掃除する。そうやって目で情報を交換する。伊達に掃除しているのではないわけです。

B: すぐ傍に強制収容所があるのですから、マテ茶を飲みに行ったり来たりすれば怪しまれる。

 

               

      (目に多くを語らせたノルマ・アレアンドロ、ノラの告別式のシーン)

 

A: 情報局の忌まわしいセバスチャンが親しげにアンドレスに近づくのは、オルガの動きを探るためでもあり、母親の恋人だった反体制派のアルフレドの尻尾を掴みたいからでもある。アンドレスはアルフレドが母に渡した反体制の宣伝ビラの隠し場所を知っている唯一人の人物。

B: アルフレドは後に大人の嘘に鍛えられ、モンスター化したアンドレスに密告されて行方不明者の一人になる。

 

A: アンドレスが主役のように見えますが、主役はオルガです。唯のオルガでなくドーニャ・オルガです。この界隈のすべてを熟知している。知っては都合の悪い事柄は、「悪夢」として片づけ、「あったこと」も「なかったことにする」才覚がある。

B: しかし「あったこと」を「なかったこと」にはできない。最後に勝利するのはアンドレス、実にアンハッピーな勝利ですが。真実を知ることが恐ろしい、鉛のように重たい時代でした。

 

           子供の視点でブラックな時代を描いた若い監督たち

 

A: アルゼンチンのベンハミン・アビラのデビュー作Infancia clandestina2011)は、12歳の少年の視点で撮られたドクドラマ(ドキュメンタリーとドラマが合体)です。少年の父親は実在の反体制グループ「モントネーロス」のメンバー。官憲から逃げ回っているため少年の家族は偽名を使い別人になって暮らしている。踏み込まれたときの用心のため隠れ場を作り、まるでからくり屋敷のような家に住んでいる。

B: いわゆる地下に潜っている。少年エルネスト(テオ・グティエレス・モレノ)はフアンとして学校に通っているが、本名でないからバレそうになって観客もどきどきする。

 

A: 結局父親は逮捕されるのだが、その逮捕劇はテレビニュースで放映された実写が使用されている。サンセバスチャン映画祭2011で「カサ・デ・ラス・アメリカス賞」を受賞した。翌年のカンヌ映画祭にも招待された話題作。

B: スペイン公開は2012年なので、翌年のゴヤ賞「イベロアメリカ映画賞」部門のノミネーションをうけたが、受賞は逃した。グアダラハラ映画祭でも上映されました。

 

A: エルネスト・アルテリオが少年の叔父役で出演していましたが、この人格はフィクションでした。

B: 他にはルシア・プエンソの『ワコルダ』(2013)に母親役で出ていたナタリア・オレイロが、ここでも少年の母親で出演していた。

A: まあ、軍事独裁時代を生き抜くために少年が何を学んだかについての映画です。『瞳は静かに』同様、ここでもテーマは軍事独裁政そのものを描く映画ではなかった。

 

             

         (左側がアルテリオ、中央がオレイロ、右側がテオ少年)

 

B: もう1作がパウラ・マルコビッチ監督の自伝的映画El premio2011)。これも長編映画デビュー作です。

A: 彼女はアルゼンチンの脚本家ですが、もっぱらメキシコで仕事をしています。東京国際映画祭2008のワールド部門で上映されたフェルナンド・エインビッケの『レイク・タホ』や『ダック・シーズン』の脚本を監督と共同執筆しています。監督の生れ育ったサン・クレメンテ・デル・トゥジュという湯治場を舞台に映画は繰り広げられますが、製作国は主にメキシコ、仏・ポーランド・独の合作です。

B: だから正確にはアルゼンチン映画とは言えませんが。

 

A: 最初はアルゼンチンのマグマ・シネも参加予定でしたが降りたようです。2010年公開を目指していたのが遅れたのには、製作会社が二転三転したことがあったようです。

B: 主役の女の子セシ役にはパウラ・ガリネリェが扮した。セシの視点はマルコビッチ監督の視点でもある。目ぼしい受賞歴はベルリン映画祭2011で銀熊賞、ハバナ映画祭でも第1作監督に与えられる賞、その他相当の数になる。

A: 何よりもメキシコ映画として「アリエル賞」作品賞を受賞しました。監督三人の共通項は軍事独裁政時代に子供だったことでしょうね。いずれ記事にしたい映画です。

 

    

 (二人のパウラ、映画より大人っぽくなったガリネリェと監督。メキシコ公開時の記者会見)