『約束の地』 リサンドロ・アロンソ ― 2015年07月01日 22:45
大分待たされましたがいよいよロードショー
★カンヌ映画祭2014「ある視点」部門の「国際映画批評家連盟賞FIPRESCI」受賞作品。リサンドロ・アロンソの長編5作目“Jauja” が『約束の地』の邦題で公開されました。デビュー作“La libertad”がいきなり「ある視点」にノミネーション、2作目 『死者たち』、3作目“Fantasma”が、カンヌと同時期に開催される「監督週間」(カンヌとは別組織が運営)に選ばれたという、まるでカンヌの申し子みたいなアルゼンチンの若手監督です。

(カンヌに勢揃いした左から、ヴィゴ・モーテンセン、ファビアン・カサス、
ギタ・ナービュ、監督、ヴィールビョーク・マリン、エステバン・ビッリアルディ)
『約束の地』“Jauja” (“Land of Plenty”)
製作(共同):4L、Fortuna Films、Kamoli Films、Mantarraya、他
監督・脚本・製作:リサンドロ・アロンソ
脚本(共同):ファビアン・カサス
撮影:ティモ・サルミネン
音楽・製作:ヴィゴ・モーテンセン
音響:カトリエル・ビルドソラ
アートディレクター:セバスチャン・ロセス
編集:ナタリア・ロペス、ゴンサロ・デル・バル
衣装:ガブリエラ・アウロラ・フェルナンデス
製作者:イルゼ・ヒューアン、シルヴィ・ピアラ、ハイメ・ロマンディア、
アンディ・クラインマン、ヘル・ウルスティン、マイケル・ウェバー、
エゼキエル・ボロヴィンスキー、レアンドロ・プグリエセ
データ:アルゼンチン=デンマーク=米国=メキシコ=オランダ=独=仏、言語スペイン語とデンマーク語、2014年、109分、ロケ地はパタゴニア、ラグナ・アスール、リオ・ガジェゴスなどアルゼンチンが80%、残りはコペンハーゲンのLystrue 城などデンマークで撮影。タイトル“Jauja”はペルーの町の名前、コロニアル時代の最初の都、豊穣と幸福の理想郷、パラダイス。
映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2014「国際映画批評家連盟賞」、ゲント映画祭2014(ベルギー)スペシャル・メンション、ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭2014撮影賞(ティモ・サルミネン)など受賞。ロッテルダム映画祭2015ほかノミネーション多数。カンヌ映画祭以後、カルロヴィ・ヴァリ、パリ・シネマ、トロント、サンパウロ、ニューヨーク、ロンドンなど各映画祭で上映された。
キャスト:ヴィゴ・モーテンセン(グンナー・ディネセン大尉)、ギタ・ナービュ(洞穴の女性)、ヴィールビョーク・マリン・アガー(インゲボルグ)、アドリアン・フォンダリ(ピッタルーガ中尉)、ディエゴ・ロマン(兵士コルト)、エステバン・ビリアルディ(アンヘル・ミルキバル)、マリアノ・アルセ(ビリット)、ミサエル・サーベドラ(先住民)、ガブリエル・マルケス(スルアガ)、ブリアン・パターソン(犬の調教師)他

プロット:1882年パタゴニア、アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦に参加したデンマーク人エンジニア、ディネセン大尉と父に同行してきた独り娘インゲボルグの物語。文明の及ばないパタゴニア砂漠の野営地から、ある日娘は忽然と姿を消す。若い兵士コルトと恋に落ちた娘を追って、父親の狂気の捜索が始まる。過去と現実、現実と幻想、生と死の境が定かでない砂漠では、すべてのものが飲み込まれ家族も地表から消え去る運命にある。文明と野蛮、幻想でしかない愛、壊れた家族、死への憧れ、絶望に瀕したオデュッセウスの帰還は果たしてあるのか。 (文責:管理人)
*監督キャリア&フィルモグラフィー*
★リサンドロ・アロンソ Lisandro Alonso:1975年ブエノスアイレス生れの40歳、監督、脚本家、編集者、製作者。FUC(Fundación Universidad del Cine映画基金大学)で学ぶ。映画のプロデューサー、助監督などのキャリアをつみ、2001年“La libertad”で長編デビュー、カンヌ映画祭「ある視点」にノミネーションされたことは上記の通りです。
*全5作は以下の通り:
2001“La libertad”ロッテルダム映画祭2002スペシャルメンション受賞他
2004 “Los muertos”『死者たち』リマ・ラテンアメリカ映画祭2004批評家賞、トリノ・ヤング・シネマ映画祭2004トリノ市賞他、カルロヴィ・ヴァリ映画祭2005インディペンデント・カメラ賞、ウィーン映画祭2004 FIPRESCI他、エレバン映画祭2005(アルメニア)審査員特別賞受賞など
2006 “Fantasma”トロント映画祭上映
2008 “Liverpool”『リヴァプール』ヒホン映画祭2008 グランプリ・ アストゥリア賞受賞
2014 “Jauja”上記参照

脚本家ファビアン・カサスのプロフィール
★ファビアン・カサス Fabian Casas:1965年ブエノスアイレス生れの50歳、作家、詩人、ジャーナリスト、脚本家。アルゼンチンでいわゆる<90年世代>と呼ばれるグループの一人。哲学を専攻、日刊紙「クラリン」の記者として人生を出発させ、スポーツ紙「Olé」やスポーツ誌「El Gráfico」の編集に携わった後、週刊誌「エル・フェデラル」のデスクを経て編集長になった。作家としては90年代には詩作(例えば詩集“Tuca”1990)、今世紀に入ってから小説を上梓している。
*最初の小説“Ocio”(2000)が、アレハンドロ・リンヘンティ&フアン・ビジェガスの監督で映画化されている。しかし脚本はビジェガスが執筆してカサスは携わっていない。本作はアルゼンチン映画批評家協会賞にノミネートされた。脚本家デビューは『約束の地』。アロンソ=カサス=ヴィゴの関係は、だんご三兄弟みたいなところがあり、本作の脚本にはカサスの影響が強いにも拘わらず、配給元発行のカタログには言及がなかった。
キャスト陣のプロフィール
★ヴィゴ・モーテンセン、彼については公式サイト及びウィキペディアに詳しい紹介記事があるので説明不要と思うが、1958年ニューヨークはマンハッタン生れの56歳、俳優、詩人、写真家。父親がデンマーク人、母親は米国人(ヴィゴ11歳のとき離婚)。少年時代は農業経営をしていた父親の関係でベネズエラ、アルゼンチンで育った(2~11歳)からスペイン語、父親の母語であるデンマーク語、母親がノルウェー語ができたのでノルウェー語、他に仏語、伊語ができる(デンマーク語が流暢かどうか判断できないが、デンマーク人は訛りが気になったとか)。両親離婚後も共同親権なのでデンマークのパスポートを所持、監督によればこれが本作の主人公ディネセン大尉をデンマーク人にした理由とか。アロンソにとってプロの俳優起用は今回が初めて。
*公開されたスペイン語映画に限ると、アグスティン・ディアス・ヤネスの『アラトリステ』(06)とアナ・ピターバーグの『偽りの人生』(12)など。出版社Perseval
Pressを経営、ファビアン・カサスはここで詩のアンソロジーを出版している。二人はブログ「Sobrevuelos Cuervos」をもっている。現在のパートナーは『アラトリステ』の共演者だったアリアドナ・ヒル。
★ギタ・ナービュは、デンマークの国民的女優。1935年コペンハーゲン生れの79歳。出演映画は145作もあり結構公開されているようですが、管理人はベント・ハーメルのコメディ『ホルテンさんのはじめての冒険』(07)しか見ていません。間もなく80歳代になるとは思えない若々しさです。インゲボルグ役のヴィールビョーク・マリン・アガーも同じデンマークの女優、本作でデビューしました。他にデンマーク側のキャストは、最後に出てくる犬を世話している男のブリアン・パターソン。それ以外はアルゼンチン人のようです。IMDbを見ると、過去のアロンソ映画に出演した俳優の名前が散見されます。
製作者のプロフィール
★製作国7ヵ国ですから何しろ数が多すぎる。目ぼしいところでは、4L、Fortuna Filmsはアロンソの過去の映画を製作している。Kamoli Films、Mantarrayaは今回が初めてのようです。Mantarrayaはメキシコの製作会社で、カルロス・レイガーダスのデビュー作『ハポン』(2000)以下最新作『闇の後の光』(2012)全4作を手がけている。『闇の後の光』はカンヌで監督賞を受賞して拍手喝采とブーイングを同時に浴びた作品。レイガーダスもカンヌの常連監督。全作が東京国際映画祭で上映された折り来日、Q&Aに出演した。他にカンヌ映画祭2014で監督賞を受賞したアマ・エスカランテの『エリ』以下、『サングレ』『よそ者』も製作、Mantarraya出資はアロンソにとって強力な武器となった。
★解釈は見た人の数だけありそうだが、以下は個人的な印象を述べたものです。部分的にネタバレしておりますので、これから鑑賞なさる場合はご注意ください。
ストーリーはよく分からないが、映像美はよく分かる!
A : 「そこには、あなただけの≪結末≫が待っている―」というのが、チラシの謳い文句。長回しではあるが写実的、SFでもファンタジーでもない。分かりにくいのは小道具というかメタファーが多すぎて振り回されるせいか。少し困って帰りにカタログを買い求めました(笑)。
B : カンヌで紹介されたストーリーと違いました。娘と姿を消す恋人はデンマークから船で一緒に来た随行人ということでしたね。
A : 「タルコフスキー、ホドロフスキー、ヘルツォーク、そしてカウリスマキを想起させる」、確かにタルコフスキーの『惑星ソラリス』とか『ストーカー』など、特に後者は内容的にも案内人「ストーカー」が、主人公ディネセン大尉を洞穴に案内する疥癬病みの犬に重なりました。
B : この犬が重要なメタファーの一つ。人間を拒絶するような沈黙の砂漠は、すべてを飲みこんで無にしてしまう脅威を感じさせ、喉が渇いてひりひりする。
A : 眠気と闘った観客もいたのではないかと思うが、最初に「1882年 パタゴニア」が現れ、時代背景がはっきりする。そこで安心してはいけない。アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦にどうしてデンマークくんだりから軍人がやって来たのかがまず分からない。もっと不可解なのは性的欲望がむき出しになっているだろう「男の戦場」に年頃の娘を何故伴ってきたのかです。
B : これは追い追い分かる仕掛けが設えてあるのですが、出だしでは分からない。スクリーンは自慰行為に耽るピッタルーガ中尉を延々と映し出す。犬、望遠鏡、おもちゃの鉛の兵隊、磁石盤など小道具を散らばして観客を翻弄する。
女性における抑圧された男性的特性「animus」
A : インゲは一見従順で礼儀正しい娘のように見えるが、それは見せかけのようだ。間もなく自分を溺愛する父を裏切り狂気に陥れる。自分の願いは「どんな時でも離れない犬を飼うこと」という娘は、「荒々しい荒野が好き」なのだが、父親は娘を好色な目にさらすだけの、こんな過酷な場所に娘を同行してきたことを後悔して早く故郷デンマークに帰りたい。
B : この映画では男性性と女性性の特徴を逆転させている。これは若い恋人たちにも言える。兵士コルトがインゲを誘惑したのではなく、誘惑したのはインゲである。
A : インゲが上位にあってコルトを支配している。娘は自分が自由にできる犬が欲しい。娘が兵士に近づくのは、少女の幼い恋ではなく父からの脱出劇に加担させようという打算からですが、娘の自立を阻む父親からの遁走という一般的な側面を描いただけともとれる。
B : コルトは砂漠の過酷さを知りながらインゲに引きずられて遁走に手を貸す。愚かな若者ではあるが、砂漠の危険を熟知しているから行く手に死が待っていることを覚悟している。
A : 大尉も娘の謀反に気が付かないという点では愚かな父親なのです。男の好かれは独りよがりが多い。娘への溺愛ぶりは近親相姦的な雰囲気を帯びていて、これには観客には見えない妻の存在があるようだ。娘を生んだ直後に失踪してしまったという妻がトラウマになっている。妻に捨てられ娘に裏切られた男が、親を失くした孤児のように砂漠を彷徨っている。
B : 洞穴の女性が大尉の身の上話を聞いて、生れたばかりの赤ん坊をおいて姿を消す母親など珍しいと語るシーンがあるが、この女性はデンマーク語を喋り、娘が失踪するとき持ちだした大尉の磁石盤を所有している。女性は突然姿を消した妻、あるいは娘、その両方の分身でしょうか。
A : ユング心理学でいう、「animusアニムス」と「animaアニマ」の問題が織りこまれているのではないか。読みかじりですが、アニムスとは女性における抑圧された男性的特性、アニマは男性における抑圧された女性的特性のことです。アニマ(男性における女らしさ)とアニムス(女性における男らしさ)は、何かを創造する力を生みだす反面、何かを破壊してしまう危険性をはらんでいる。
B : 患者が語る夢の分析からこの理論を導き出したようですが、ユング自身にもそのような傾向があったのではありませんか。
A : 医者が患者との一線を越えて性的関係をもつなどは、フロイトが最も嫌うところでしょう。インゲが会ったこともない母親の気質を受け継いだことは否定できない。あの洞穴のシーンは大尉が既に冥界に入ってしまったという暗示ともとれます。
A : 出番は少ないのに強烈な印象を残したのが洞穴の女性、さすがにデンマークの国民的女優の名に恥じない貫禄です。理由が分からずに切り捨てられた夢想的な男と、より現実的で自己中心的な女の対比が描かれているようにも思える。
B : 洞穴に大尉を導く犬を冥府の番犬ケルベロスととると、洞穴は冥界なのかもしれない。前の晩砂漠で眠りにつくから、大尉が見ている夢かもしれない。大尉は人生の半ばで暗い森を彷徨い歩き地獄に迷い込んでしまう『神曲』のダンテじゃないか(笑)。
A : しかし『神曲』の地獄は、漏斗状の大穴で地球の中心まで到達しているが、この洞穴は地下にあるのではなく険しい岩場の上にあった。大尉は水を求めてこの岩場を登ってきて女性に遭遇する。邂逅すると言ってもよい。
B : 日本神話の黄泉の国は地下にあると思われてそのように現代語訳されているものもありますが、原文にある「坂本」は正確には坂の入り口で、そこを上ると黄泉の国がある。
A : 冥界の食事をしてしまったため黄泉から出られないイザナミを必死で振り切ろうとするイザナギは、坂本まで駆け下りてくる。岩場の上にあった洞穴より更に上にあった湧き水を大尉が飲んでしまったことは、彼が冥界の人になったことを暗示しているのかも。

(ギリシャ神話のケルベロス)
B : ギリシャ神話に出てくる冥界の番犬ケルベロスは、死者の魂が冥界から出ようとすると貪り食うが、洞穴の犬は大尉が穴から出ることを許した。内も外も地獄と変わりないのですが。この犬は大尉の姿を目にするとうずくまっていた水溜りから起き上がる。
A : デンマークの邸宅で飼われていた犬は皮膚病もやや癒えて、長い眠りから覚めた少女と森に散歩に出る。少女は途中玩具の鉛の兵隊を拾うが無造作に池に投げ捨てる。すると池に波紋ができパタゴニアの砂漠が現れる。水を介してあちらとこちらが繋がっている。
B : この人形を最後に持っていたのはディネセン大尉、だとするとさすらいのオデュッセウスは帰還できたということになる。
A : いや人形だけが時空を超えたのかも。またケルベロスには頭が三つあり、過去・現在・未来を象徴してるともいわれる。するとさらに想像の翼は広がる。なかなか「註文の多い」映画です。
女装して反旗を翻すスルアガ大佐の意味
B : 本作においては、アルゼンチン政府軍による先住民掃討作戦など添えものでしかないのですが、ディネセン大尉自身に軍人の自覚が乏しい(笑)。さて、謎の人物スルアガですが、かつて勇名を馳せた政府軍の将校、今は先住民側に寝返って政府軍を悩ましている。
A : スルアガの存在が政府の軍事作戦の実行を阻んでいる。そこから映画は始まるのですが、スルアガのような存在は現代でも珍しくない。映画で直ぐ思いつくのはコッポラの『地獄の黙示録』の狂気のカーツ大佐、マーロン・ブランドの異様な演技が今でも目に浮かびます。
B : ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』の映画化、物語の舞台をベトナム戦争後期に移して翻案した叙事詩的映画ですね。本作の脚本にはコンラッドの影響を感じます。
A :
アルゼンチン人ならホセ・エルナンデスの叙事詩『エル・ガウチョ・マルティン・フィエロ』(1872)の主人公に直結する。こちらは1968年にレオポルド・トーレ・ニルソンが映画化している。またウエスタンの古典とも言われるジョン・フォードの『捜索者』(1956)の影響も絶対受けていますね。公開当時はあまり評価されなかった作品ですが、今では『駅馬車』を凌ぐ傑作といわれ、時々テレビ放映もされているほど。

(『マルティン・フィエロ』のDVDのジャケット)
B : 優れたカメラワークはデヴィッド・リーンの『アラビアのロレンス』や『地獄の黙示録』にも活かされている。さて本作に戻って、女装でイメージできるヒーローは、俊足のアキレウス、不死の人アキレウスかな。
A : 踵に弱点があって結局パリスに矢を射られて死ぬ。オデュッセウスは冥界を訪れて死者となったアキレウスと語り合う。
B : 映画ではスルアガは、兵士コルトを殺し、ディネセンも肝心の娘の姿を見失う。ここで完全に捜索の手掛かりを失ったうえ馬まで奪われてしまう。
A : キリスト教の社会規範では女装(男装)を禁じていたから、それが背景にあるかもしれない。しかしここからが映画の本番が始まるとも言えますね。ピースがいくつも欠けていて永久に完成しないジグソーパズルのような映画だね。私たちが暮らしているところはフィクションの世界、この世は誰にとっても仮住まい、エンディングに答えはない。
ダンゴ三兄弟は揃って「サン・ロレンソ」のサポーター
B : カンヌで上映されたときのインタビューで、アロンソ監督は「ヴィゴとの出会いは、2006年のトロント映画祭だった。僕たちは、サッカーのこと、かつてヴィゴが暮らしたことのあるアルゼンチンのことで意気投合した」と語っていた。
A : トロントで第3作“Fantasma”が上映されたとき以来の親友、本作の脚本を共同執筆したファビアン・カサスとヴィゴを主人公にした映画を作ろうと考えていた。だから先にヴィゴ・モーテンセンありきなんです。カサスと知り合うのはヴィゴよりもっと後のようです。カンヌで3~4前からの友人と話していましたから。

(ブエノスアイレスに本拠地をおくサッカー・クラブ「サン・ロレンソ」の旗を手にした
カサスとヴィゴ。映画よりサッカーが大事なオジサンたち。カンヌ映画祭にて)
B : ヴィゴとカサスの出会いは上記の経歴にも書いたように、ヴィゴが経営する出版社Perseval Pressからカサスが詩のアンソロジーを出版したことからですね。
A : ですからヴィゴが結びの神、監督とカサスで脚本を練り、素案をヴィゴに見せたら気に入ってくれ出演をオーケーしてくれた。それから三人で詰めて完成させた。最初パタゴニアにやってくるのはイギリス人の設定だったが、ヴィゴがデンマークのパスポートを持っていることを思い出し書き直した。カサスによると「ヴィゴがああいう軍服を着たがったんだよ」(笑)。詩人なのになんと一男一女の父親、子供の林間学校の費用に四苦八苦している。実に魅力的な人だが、自分はプロの脚本家ではなく、「アロンソ用の脚本家」だそうです。
B : 映画祭そのものが宣伝になるから映画祭にエントリーされることは、若い監督には重要、思いがけない出会いもあるから。
A : カンヌの時のブログにも書いたことだが、監督は過去の作風から「エイリアン*宇宙人」のラベルが張られたグループと思われているが、彼自身は当然そういうレッテル張りを拒否している。映画祭用の映画を作ろうとは考えていないし、多くの観客に見てもらいたい。しかし完成したときには資金は尽きプロモーションに回せない。
B : まだヴィゴには一銭も払っていないと語っていたが、さすがにもう貰えたかな。

A : ヴィゴからは観客を惹きつけるコツみたいなものを教えてもらった。製作会社マンタラヤが参加してくれたことは本当に幸運なこと、適切なサゼスチョンには感謝していますとも語っていた。
B : ヴィゴありきの映画、日本公開も彼の知名度におんぶしている。彼が出演しているなら何でも見たいヴィゴ・ファン、満足して映画館を出られたでしょうか。
A : 海外の評価は☆セロ個から10個と真っ二つ、日本の評価は果たして何個。
『キホーテ 映画に跨って』アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ ― 2015年07月04日 16:06
6月のドン・キホーテの視点 映画上映会
★先日ご案内したセルバンテス文化センター映画上映会の『キホーテ 映画に跨って』を見てきました。20世紀初頭から現代までのドン・キホーテ映画を素材にした、実写からアニメーション、ギニョール、ジャンルはドラマからドキュメンタリー、ミュージカルなど40本近くが網羅されていました。製作国もスペインを始めとして、米国、フランス、ソ連、ドイツ、イギリス他。無声、モノクロ、カラーとそれこそバラエティーに富んでいて、これでは日本語字幕は付けられないと納得。
“Quijote,
cabalgando por el cine”
監督(共同):アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ
製作:Junta de Castilla-La Mancha(カスティージャ≂ラ・マンチャ評議会)
プロダクション:Stom Comunicacion para la Empresa Publica Don
Quijote dela Mancha 2005 S.A.
協賛:セルバンテス協会
データ:スペイン、2007、ドキュメンタリー、86分、DVD上映
*『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画されたもの。
★ドキュメンタリーに登場した目ぼしいドン・キホーテ映画(製作順)
製作国、監督、俳優(キホーテとサンチョ)をメモランダムに列挙:
1933“Don Quixote”「ドン・キホーテ」仏英独、英語、モノクロ、ミュージカル、73分
監督ゲオルク・ヴィルヘルム・パブスト、キホーテ(フェオドール・イワノヴィッチ・シャリアピン)サンチョ(ジョージ・ロビー)
*独英仏語の3バージョンのうちDVD化されフランス版使用。
1947“Don Quijote de la Mancha”『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』スペイン、西語、137分、モノクロ、監督ラファエル・ヒル、キホーテ(ラファエル・リベリェス)サンチョ(フアン・カルボ)*
1957“Don Kikhot”ソビエト連邦、ロシア語、カラー、110分、監督グリゴーリ・コージンツェフ
1965“Don Quichotte”カナダ=フランス、フランス語、TVドキュメンタリー
監督エリック・ロメール
1972“Man of La Mancha”『ラ・マンチャの男』イタリア=米国、英語、カラー、129分、公開
監督アーサー・ヒラー、キホーテ(ピーター・オトゥール)、サンチョ(ジェームズ・コ コ)、ドゥルシネーア(ソフィア・ローレン)
1973“Don Quijote cabalga de nuevo”西=メキシコ、コメディ、スペイン語、カラー、132分
監督ロベルト・ガバルドン、キホーテ(フェルナンド・フェルナン≂ゴメス)、サンチョ(カンティンフラスことマリオ・モレノ)
1992“Don Quijote de Orson Welles”(“Orson
Welles’ Don Quijote”)「オーソン・ウェルズのドン・キホーテ」スペイン=イタリア=米国、スペイン語、カラー、116分
監督オーソン・ウェルズ、ダイアローグ:ハビエル・ミナ&ヘスス・フランコ、キホーテ(フランシスコ・レイゲーラ)サンチョ(エイキム・タミロフ)
2002“El caballero Don Quijote”『エル・カバジェロ・ドン・キホーテ』スペイン、119分
監督マヌエル・グティエレス・アラゴン、キホーテ(フアン・ルイス・ガジャルド)サンチョ(カルロス・イグレシアス)ドゥルシネーア(マルタ・エトゥラ)
*本作の記事はコチラ⇒2015年6月19日
自分の中のドン・キホーテを刺激する
A: 上記の作品は記憶に残った作品の一部、1回見ただけでは全容はつかめず、かつて見たことのある映像が出ると、「ああ、『オーソン・ウェルズのドン・キホーテ』だ、ラファエル・ヒルの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』だ」と部分的に分かるだけでした。なにしろ40作近い作品を詰め込んでいるから目まぐるしいことおびただしい。
B: 子供向けに作られたアニメやギニョールの数もかなりありました。クロージングのクレジットに採用した作品のタイトル、製作年、監督名が列挙されていたので、DVDを再見すれば正確な情報が得られます。
A: 上記のように『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画された。だから商業映画として製作されたものではなく、DVDのコピーも2000部、半分が世界各国にあるセルバンテス協会支部用に、残りが公共図書館などに寄贈されたようです。商業用でないので国際映画データベースIMDbから情報を入手することができませんでした。
B: 今回の上映もそのDVDで上映されたはず。

(ロベルト・ガバルドンの「ドン・キホーテ」カンティンフラスとフェルナン≂ゴメス)
A: ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」は、以前参加した映画講座で教材として上映されたのを見ました。
B: ラファエル・ヒルはセルバンテス文化センターで上映したばかり、マヌエル・グティエレス・アラゴン作品は、5月の「ドン・キホーテの視点映画上映会」で英語字幕で上映されたようです。
A: グティエレス・アラゴン監督は1991年にTVミニシリーズで原作の正編(前編)を撮っている。これはそれに続く続編(後編)として企画された。キホーテにフアン・ルイス・ガジャルド、ドゥルシネーアにマルタ・エトゥラ、公爵夫人にエンマ・スアレスなど現在活躍中の俳優が出演している。

(ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」F・シャリアピン)
B: ガジャルドは残念ながら2012年に鬼籍入りしてしまっています。
A: イネス・パリスの“Miguel y William”(2007)でミゲル・デ・セルバンテスに扮した。セルバンテスとシェイクスピアが同じ女性に恋してしまうロマンティック・コメディ。カルロス・サウラの『タンゴ』にも出演していたが、結構重要な役だったのにカタログでさえ無視されてしまった(笑)。
B: アレックス・デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』(2011)が遺作になるのかな。

(カルロス・イグレシアスとフアン・ルイス・ガジャルド)
A: オーソン・ウェールズの「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」は、ウェールズが最後まで監督できず(1985没)ダイアローグを執筆したヘスス・フランコが引き継ぎ1992年に完成させた。フランシスコ・レイゲーラ(キホーテ)もエイキム・タミロフ(サンチョ)も故人のため、アーカイブ・フッテージ使用です。主従ボイスをペペ・メディアビジャとフアン・カルロス・オルドネスが担当した。

(「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」)
B: まだ旧ソ連時代にグリゴーリ・コージンツェフが「ドン・キホーテ」を撮っていた。
A: 彼はシェイクスピアの『リア王』や『ハムレット』を撮った監督、これは日本でも公開されたからオールドファンには懐かしい名前です。「ドン・キホーテ」はやはりというか、未公開です。
B: エリック・ロメールがTVドキュメンタリーを撮っていたなんて。
A: それぞれ自分の中のドン・キホーテ像をもっていて刺激されるのでしょう。ピーター・オトゥールと言えば『アラビアのロレンス』ですが、コメディも得意としたからキホーテ役は意外じゃない。スペインのフェルナンド・フェルナン≂ゴメスのキホーテも何度かスクリーンに登場した。実際は40作以上撮られていて、ここに登場したのもその一部というわけです。今後も作られつづけるでしょう。
テリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」
A: キホーテ映画に執念を燃やし続けている監督の一人がテリー・ギリアム。2000年9月にクランクインした「ドンキホーテを殺した男」は諸般の事情で未完に終わった。事情とは、ロケ地が洪水という災害に見舞われ撮影機材が損害を受け、ロケ地の景観も変わってしまった。おまけにキホーテ役のジャン・ロシュフォールが椎間板ヘルニアの持病持ちで、それが悪化して馬に乗れなくなった。
B: 彼は姿かたちがキホーテにそっくり、乗馬も得意でキホーテ役にはもってこい、英語も一生懸命ベンキョウして準備していたのでした。今度は7度目の挑戦とか。

(撮影中のジャン・ロシュフォールとギリアム監督、2000年)
A: この不運続きの顛末をドキュメンタリーにしたのが『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(2002)です。その損害額1500万ドルを保険会社が支払ったわけです。
B: それでも夢醒めやらず、またぞろジョン・ハートをキホーテ役に撮るそうですが。リンチの『エレファント・マン』、ハリポタのオリバンダー老人役、英語はできるから(笑)改めて勉強の必要はない。
A: お蔵入りした前作の脚本は保険会社が所有していて、リベンジにはその関係もあるのかしら。来年初めにクランクインする予定ですが、最近の報道によるとハートに膵臓癌が見つかって目下治療中、そうなるとどうなるのでしょう。難しい癌だし、トビー役のジョニー・デップも断ったそうだし。
B: 病に勝って再びスクリーンで馬上のキホーテ姿を見られたらと思います。スペイン以外の俳優のキホーテ役は多くないですからね。
サンセバスチャン映画祭2015*今年も資金不足が懸念される ② ― 2015年07月07日 10:47
オフィシャル・パートナーに援助のラブコール
★資金不足が恒常的となっている映画祭はサンセバスチャンに限りませんが、昨年度の運営費740万ユーロに到達していないため、事務局はオフィシャル・パートナーの「ガス・ナトゥラル・フェノーサGas Natural SDG, S.A.」以下にさらなる助成金の増額を要請しています。この会社は主たるスポンサーの一つで、スペインのエネルギー(ガスと電力)事業を総括している多国籍企業。協賛金の受付締め切りは6月28日、月が変わりましたがどうなったでしょうか。
(写真下は左から、アンドリュー・ブエナフエンテ、ホセ・ルイス・レボルディノス、ジョルディ・ガルシア・タベルネロ、パコ・レオン、6月17日サンセバスチャンにて)

★9月18日開催まで3カ月を切りました。ギリシャのデフォルト危機で欧州経済は混迷を深めていますが、スペインも対岸の火事と眺めてはいられないはず。取りあえずガス・ナトゥラル・フェノーサのジョルディ・ガルシア・タベルネロ氏(2009年からグループの情報及びゼネラル・マネジャー)が承諾の署名をしてくれたということです。写真の笑顔から判断するに、映画祭総括ディレクターのJ・L・レボルディノスは一応胸をなでおろしている様子。一番の大口スポンサーですから。
★アンドレウ・ブエナフエンテ氏は、バルセロナに本部をおくオーディオビジュアルのプロダクション「El
Terrat de Producciones, S.L.」(1989年設立)の創設者、作家でコメディアンと多才な人。テレビ、映画、ラジオ、インターネット、演劇のプログラムを製作している大手プロダクション。『タパス』のホセ・コルバチョ監督、俳優のパコ・レオン、『タパス』やTVドラで活躍のエドゥアルド・ソト、ブエナフエンテの奥さんシルビア・アブリルは女優でコメディアン、サンティアゴ・セグラのシリーズ「トレンテ」3・4・5に出演しているから日本でもお馴染みの女優。俳優ほかスタッフ400名が所属している大所帯のプロダクションです。
★今年のテーマはユーモアだそうで、ジャンルはコメディが多くなりそう。パコ・レオンは今年は積極的に参加するようで、映画祭用の短編をカルメン・マウラとセクン・デ・ラ・ロサ主演で撮る。他にサンティアゴ・セグラは、アナベル・アロンソ、エンリケ・ビジェン、ホアキン・レイジェスを起用、イサベル・コイシェはシルビア・アブリル、フリアン・ロペス、キラ・ミロー他、監督の要請でブエナフエンテ自身も引っ張り出されるらしい。将来のシネアストのタマゴたる学生たちの参加も予定されている。撮影には「El Terrat」のテクニカル・グループが協力、ホセ・コロナドの援助も得られるとアナウンスされた。どうやら楽しいサンセバスチャンが期待されそう。

(映画祭2015のコンペティション部門のポスター)
『瞳は静かに』 ダニエル・ブスタマンテ ― 2015年07月11日 16:23
モンスターを生む土壌、見えない戦争を生き抜く知恵
★スペイン内戦もの同様、アルゼンチンの軍事独裁政時代を描いた映画はそれこそ枚挙に暇がない。アルゼンチンに初めてオスカー像をもたらしたルイス・プエンソの『オフィシャル・ストーリー』(1985)を始めとして、エクトル・オリベラの『ミッドナイトミッシング』(86)、フィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(01)、アドルフォ・アリスタラインの『ローマ』(04)、軍事独裁崩壊の引き金となったマルビナス戦争を描いたトリスタン・バウエルの『火に照らされて』(05)、政権末期のエリート校を舞台にしたディエゴ・レルマンの『隠れた瞳』(10)など、日本語字幕で見られた映画もたくさん紹介されている。日本未紹介作品、軍事独裁政をメタファーとして取り込んだ映画を含めると相当な数になります。しかし本作のように子供の目線で撮られた映画は今まで少なく最近目立つようになったのは、当時子供であった世代がやっと映画を発信できる年齢になったからでしょう。
『瞳は静かに』(“Andrés no quiere dormir la
siesta”)2009
製作:El Ansia Producciones / San Luis
Cine
監督・脚本:ダニエル・ブスタマンテ
撮影:セバスチャン・ガジョ
音楽:フェデリコ・サルセド
編集:ラファエル・メネンデス
美術:ロミナ・カリオラ
プロデューサー:カロリナ・アルバレス、ダニエル・ブスタマンテ
データ:アルゼンチン、スペイン語、2009、108分、撮影地サンタ・フェ、ブエノスアイレス、
サン・ルイス、アルゼンチン公開2010年2月、日本公開2011年12月
受賞歴:マル・デル・プラタ映画祭2009 FEISAL賞&スペシャル・メンション
モントリオール映画祭2009グラウベル・ローシャ賞(ラテンアメリカ映画に与えられる)
審査員特別賞受賞。トリエステ映画祭2009観客賞受賞
キャスト:ノルマ・アレアンドロ(祖母オルガ)、コンラッド・バレンスエラ(アンドレス)、ファビオ・アステ(父ラウル)、セリナ・フォント(母ノラ)、ラウタロ・ブッチア(兄アルマンド)、マルセロ・メリンゴ(情報局員セバスチャン)、エセキエル・ディアス(母の恋人アルフレド)、マリア・ホセ・ガビン(叔母カルメン)他

(ノルマ・アレアンドロと眼力でアンドレス役を射止めたコンラッド・バレンスエラ)
ストーリー:アルゼンチンの地方都市サンタ・フェ、1977年の夏、秋、冬、春、そして再び夏が廻ってくる。交通事故で突然母を失った8歳の少年アンドレスの心の軌跡が語られる。1976年3月24日、軍事クーデタが勃発、市内の道路は戦車によって占領された。少年は兄アルマンドと既に離婚していた父ラウルと共に祖母オルガの家で暮らすことになる。軍事政権下のサンタ・フェで何が起こっていたのか、子供たちを守るために大人がしたことは何か、子供たちが本当に知りたかったことは何か、表面は平穏なオルガの翼の下で少年は次第に居場所を失っていく。繊細で残酷な小さなモンスターの誕生が語られる。オルガの家族というミクロな社会から国家というマクロな社会を照射する。 (文責:管理人)
強制収容所はコミュニティの中にあった
A: 子供の視点というのは、当時子供だった監督の視点と言えそうです。監督はサンタ・フェ出身、当時10歳だった。自分が通った小学校の近くに情報局の地下組織つまり逮捕した反体制派の人々、いわゆる行方不明者(デサパレシド)を収監していた強制収容所のことですが、それが近所にあったことを大人になってから知った。子供には知らされなかったが大人は皆な知っていた。
B: それが本作を撮ろうとしたそもそもの動機でした。映画の中でアンドレスはその前を通って学校に通っていた。偶然中から出てきた情報局のセバスチャンと遭遇したり、情報局の車フォードの「ファルコン」が出入りしていた場所ですね。
A: このファルコンという車種は情報局のイコンで、最後のほうでアンドレスが復讐する車と同じ車種で伏線になっている。また冒頭で子供たちが刑ドロごっこをして遊んでいた空き地こそ強制収容所に隣り合った危険な場所なのです。だからこのシーンを冒頭にもってきた意味はとても重要なのです。
B: 別の日、サッカーをしていてボールが誤って高い塀を飛び越えて入ってしまう場所は、強制収容所の中庭または裏庭です。空き地の隣りが危険な場所と教えられている子供は恐ろしくなって逃げ出した。知らない子供はボールを取り返そうと塀によじ登るが、ちょっとドキドキするシーンでした。

(看護師の母親ノラ、セリナ・フォント)
A: 強制収容所は人里離れたところにあるのではなく、ここのように街中にあった。大人は知っているから、恐怖で「沈黙の壁」を築く。しかし「無関心」と「嘘」というのは一種の精神的暴力ですから、結局は代償を払うことになる。しかしいつの時代でも生き残るためには「沈黙」は「金」なのです。一概に非難できません。
B: しかし「沈黙」は「承諾」でもあるから、当然責任はついてまわる。「知りませんでした」は通りませんが、では何でも知っていたコミュニティのドーニャ、アンドレスの祖母オルガはどうすればよかったのか。ここは唯のサンタ・フェではなかったのですから、単純に批判できない。
A: 本作には「五月広場の母親たち」は登場しませんが、母親たちが一番苦しんだのは、軍部や警察の圧力や暴力ではなく、世間の無関心だったと語っています。アルゼンチンは民政と軍政が代わりばんこに繰り返され、民主主義は常に脆弱、結局2001年12月の国家破産デフォルトを出来させた。
B: 民政と軍政の失敗の歴史がアルゼンチン史です。少年アンドレスは30歳ぐらいになっている計算ですが、どんな仕事をしていたか興味が湧きます。
A: スリラー仕立ての群集劇、マルセロ・ピニェイロの『木曜日の未亡人』(2009)に出てくる誰かになるかな。登場人物の年齢は、アンドレスより少し年長ですが。デフォルトは90年代末から推進されてきた経済の、社会の、モラルの亀裂が一挙に噴き出した結果ですが、アルゼンチンに常に存在する近代国家としての民主主義の脆弱さが根底にあると思う。特に7年間の軍事独裁政が中間層を根こそぎにしましたから。
B: 90年代の政治経済だけに問題があるのではない。「サムライ債」が償還されなかった日本の機関投資家も莫大な損失を被った。だから15年経った今でもアルゼンチンをドロボウ国家呼ばわりしている(笑)。
連想ゲーム―『ブラック・ブレッド』から『白いリボン』へ
A: ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2009)の謳い文句は、「大人の嘘は小さなモンスターを生みだす」だったが、本作にも繋がります。アグスティ・ビリャロンガの『ブラック・ブレッド』(2010)の少年アンドレウと本作のアンドレスは、時代も国も状況も異なりますが、ぴったり重なる。
B: ハネケが描いた子供たちは、やがてナチズムに心酔する青年に成長し、ビリャロンガの描いた子供は40年も続いたフランコ時代を巧みに泳ぎ抜く術を学んで生き残った。
A: それぞれ代償を払ったのではありませんか。フランコ再評価なんてことも聞こえてきて、ドッコイ生きているのかなあと思いますけど。

(ゴヤ賞新人男優賞を受賞したフランセスク・コロメル、『ブラック・ブレッド』)
B: オリジナル・タイトルは「アンドレスはお昼寝なんかしたくない」ですが、少年は昼寝よりテレビで大好きな「カンフー」を見たいだけです。しかし大人にとっては深い意味がある。邦題は直訳のほうがよかったのではないか。
A: 父親ラウルは「見たくない聞きたくない」ことだらけ、怒りの矛先を子供にぶつけてくる。親としての責任を果たしていない。母親の死を知ったとき抱きつくのは、傍にいた父親でなく戸口に佇んでいた兄アルマンドです。本当に細かい演出で感心しました。

(祖母オルガと感情がコントロールできない父ラウル)
B: 祖母オルガのセリフは極力抑えられていて、目だけの演技が求められていた。誰にでもできる演技ではない、ノルマ・アレアンドロだからこそできた。
A: 主婦たちは毎朝玄関前を掃除する、汚れていなくても掃除する。そうやって目で情報を交換する。伊達に掃除しているのではないわけです。
B: すぐ傍に強制収容所があるのですから、マテ茶を飲みに行ったり来たりすれば怪しまれる。

(目に多くを語らせたノルマ・アレアンドロ、ノラの告別式のシーン)
A: 情報局の忌まわしいセバスチャンが親しげにアンドレスに近づくのは、オルガの動きを探るためでもあり、母親の恋人だった反体制派のアルフレドの尻尾を掴みたいからでもある。アンドレスはアルフレドが母に渡した反体制の宣伝ビラの隠し場所を知っている唯一人の人物。
B: アルフレドは後に大人の嘘に鍛えられ、モンスター化したアンドレスに密告されて行方不明者の一人になる。
A: アンドレスが主役のように見えますが、主役はオルガです。唯のオルガでなくドーニャ・オルガです。この界隈のすべてを熟知している。知っては都合の悪い事柄は、「悪夢」として片づけ、「あったこと」も「なかったことにする」才覚がある。
B: しかし「あったこと」を「なかったこと」にはできない。最後に勝利するのはアンドレス、実にアンハッピーな勝利ですが。真実を知ることが恐ろしい、鉛のように重たい時代でした。
子供の視点でブラックな時代を描いた若い監督たち
A: アルゼンチンのベンハミン・アビラのデビュー作“Infancia clandestina”(2011)は、12歳の少年の視点で撮られたドクドラマ(ドキュメンタリーとドラマが合体)です。少年の父親は実在の反体制グループ「モントネーロス」のメンバー。官憲から逃げ回っているため少年の家族は偽名を使い別人になって暮らしている。踏み込まれたときの用心のため隠れ場を作り、まるでからくり屋敷のような家に住んでいる。
B: いわゆる地下に潜っている。少年エルネスト(テオ・グティエレス・モレノ)はフアンとして学校に通っているが、本名でないからバレそうになって観客もどきどきする。
A: 結局父親は逮捕されるのだが、その逮捕劇はテレビニュースで放映された実写が使用されている。サンセバスチャン映画祭2011で「カサ・デ・ラス・アメリカス賞」を受賞した。翌年のカンヌ映画祭にも招待された話題作。
B: スペイン公開は2012年なので、翌年のゴヤ賞「イベロアメリカ映画賞」部門のノミネーションをうけたが、受賞は逃した。グアダラハラ映画祭でも上映されました。
A: エルネスト・アルテリオが少年の叔父役で出演していましたが、この人格はフィクションでした。
B: 他にはルシア・プエンソの『ワコルダ』(2013)に母親役で出ていたナタリア・オレイロが、ここでも少年の母親で出演していた。
A: まあ、軍事独裁時代を生き抜くために少年が何を学んだかについての映画です。『瞳は静かに』同様、ここでもテーマは軍事独裁政そのものを描く映画ではなかった。

(左側がアルテリオ、中央がオレイロ、右側がテオ少年)
B: もう1作がパウラ・マルコビッチ監督の自伝的映画“El premio”(2011)。これも長編映画デビュー作です。
A: 彼女はアルゼンチンの脚本家ですが、もっぱらメキシコで仕事をしています。東京国際映画祭2008のワールド部門で上映されたフェルナンド・エインビッケの『レイク・タホ』や『ダック・シーズン』の脚本を監督と共同執筆しています。監督の生れ育ったサン・クレメンテ・デル・トゥジュという湯治場を舞台に映画は繰り広げられますが、製作国は主にメキシコ、仏・ポーランド・独の合作です。
B: だから正確にはアルゼンチン映画とは言えませんが。
A: 最初はアルゼンチンのマグマ・シネも参加予定でしたが降りたようです。2010年公開を目指していたのが遅れたのには、製作会社が二転三転したことがあったようです。
B: 主役の女の子セシ役にはパウラ・ガリネリェが扮した。セシの視点はマルコビッチ監督の視点でもある。目ぼしい受賞歴はベルリン映画祭2011で銀熊賞、ハバナ映画祭でも第1作監督に与えられる賞、その他相当の数になる。
A: 何よりもメキシコ映画として「アリエル賞」作品賞を受賞しました。監督三人の共通項は軍事独裁政時代に子供だったことでしょうね。いずれ記事にしたい映画です。

(二人のパウラ、映画より大人っぽくなったガリネリェと監督。メキシコ公開時の記者会見)
ダニ・ロビラ*21世紀のガラン、パパラッチが待ち伏せ ― 2015年07月14日 13:25
人気急上昇のダニ・ロビラ
★行く先々にパパラッチが待機して人気上昇中なのがダニ・ロビラ、2014年のスペイン映画界の救世主だったエミリオ・マルチネス≂ラサロの“Ocho apellidos vascas”の主人公だ。2015年のゴヤ賞授賞式の総合司会者に抜擢されたのも異例なら、共演者の恋人役クララ・ラゴとあっという間にゴールインしたのもファンを驚かせた。彼女には過去に何人も噂になった恋人がいましたからね。目下“Ocho apellidos vascas”の続編“Ocho apellidos catalanes”が進行中ですが、あいだにマリア・リポルの“Ahora o nunca”に出演、昨年11月から撮影に入っていたが完成、早々と公開された。

★“Ocho apellidos vascas”の続編は、バスクからカタルーニャに舞台を移しました。監督、脚本家は同じ、登場人物のメンバーは当然のことだがバスク編とほぼ同じ、ほかにアントニオ・レシネス、ロサ・マリア・サルダなど大物俳優が参加、ストーリーの詳細はまだ明らかになっていない。撮影続行中だが、封切りは2015年11月20日と既にアナウンスされている。柳の下の二匹目のドジョウを狙っていますが、いつもドジョウがいるとは限りません(笑)。
長編2作目“Ahora
o nunca”に出演
★肝心のマリア・リポルの“Ahora
o nunca”はロマンティック・コメディ。リポル監督については第5作“Rastros de sándalo”(2014)が「モントリオール映画祭2014」で観客賞を受賞した際に紹介しています。今年のゴヤ賞脚色賞にもノミネートされた佳作でした。その中で“Ahora o nunca”についても少し触れております。
*モントリオール映画祭2014“Rastros de sándalo”の記事はコチラ⇒2014年12月18日

(マリア・リポル監督、恋人たちに挟まれて)
“Ahora
o nunca”
製作:Atresmedia Cine / AXN / Canal+España / Zeta Cinema / Zeta Audiovisual / etc.
監督:マリア・リポル
脚本:ホルヘ・ララ、フランシスコ・ラモス
音楽:シモン・スミス、ビクトル・エルナンデス、メロディ、エリック・ナヘル
撮影:パウ・エステベ・ビルバ
録音:セルヒオ・ブルマン
衣装:クリスティナ・ロドリゲス
データ:スペイン、スペイン語、2015、コメディ、86分、スペイン公開2015年6月19日、製作費約290万ユーロ、配給元ソニー・ピクチャー
撮影地:バルセロナ、サン・ヘリウ・デ・コディナス、ヘロナ(ジローナ)県のカンプロドンの各地、アムステルダム
キャスト:ダニ・ロビラ(アレックス)、マリア・バルベルデ(エバ)、クララ・ラゴ(エバの従姉妹タティアナ)、ジョルディ・サンチェス(エバの父親フェルミン)、ホアキン・ヌニェス(アレックスの父親サンティアゴ)、グラシア・オラジョ(アレックスの母親カリティナ)、メロディ(アレックスの妹イレーネ)、アリシア・ルビオ、ヨランダ・ラモス(ニネスおばちゃん)他
ストーリー:アレックスとエバは数年間の恋人期間に終止符をうち、とうとう結婚することにした。ついては結婚式はイギリスの片田舎で挙げたい。何故かと言うと、二人はそこの語学学校で知り合ったからだ。エバは式場の準備に一足先に現地入り、かたやアレックスは招待客一行を引き連れてバルセロナを出発、ところが折悪しく航空管制官たちのストライキに遭遇、飛行機はオランダの首都アムステルダムへ。次々に降りかかる予期せぬアクシデント、はたして花婿は花嫁の待つイギリスに到着できるでしょうか。
★タイトルの「ahora o nunca」の意味は、「やるなら今でしょ」、今をおいてチャンスはないという慣用句。スペインではロブ・ライナーの痛快コメディ『最高の人生の見つけ方』(2007)とタイトルが同じでややこしい。余命6カ月を宣告されたジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、死ぬ前にやり残したことを「やるなら今しかない」と、病院を抜け出して冒険の旅にでるストーリー。日本の観客も大いに勇気をもらった映画。まあ、本作のストーリーとは関係なさそうだが。

(従姉妹同士、バルベルデとラゴ)
★ダニ・ロビラによると、ブレークした「オーチョ・アペジードス」バスク編が公開される前に脚本を貰った。公開前だからテレビで顔は知られていたとしても、当然多くのファンがいたわけではなかった。だから「海の物とも山の物とも分からない」自分を選んでくれたのは「僕を信頼してくれた」と大いに感謝した。いよいよ封切られ1週間2週間が経った頃からチケット売り場に行列ができ始めた。その後の快進撃は「あれよ、あれよ」という間だった。クチコミの凄さを実感したことでしょう。今では行く先々にパパラッチが待機、道行く人々も「あのひとオーチョに出ていた彼じゃない」という具合。名前ではなく飽くまで「オーチョの彼」だ(笑)。「目が覚めたら別の人生が始まっていた」というダニも既に34歳、これからが正念場と言えそうです。

(イギリスに向かう花婿と招待客一同)
★撮影は2014年11月4日クランクイン、バルセロナで7週間、続いてサン・ヘリウ・デ・コディナス、フランスと国境を接するヘロナ県(カタルーニャ語でジローナ)のカンプロドンの谷間の数カ所の村、ここが結婚式を挙げるイギリスの片田舎になる模様。最後がオランダのアムステルダム、スペインのコメディとしては結構お金を掛けている。製作費は約290万ユーロ、封切り2週目で354万を叩きだし、もう元は回収できました(3週目492万、Rentrak調べ)。2015年に公開されたスペイン映画では目下最高ということです。ハリウッドを含めると、勿論『ジュラシック・ワールド』がナンバーワン、桁が違います。

(アムステルダムで撮影中のダニ・ロビラ)
*キャスト紹介*
★ダニ・ロビラとクララ・ラゴは“Ocho apellidos vascas”で紹介済みなので、それ以外の主なキャストを紹介すると:
*マリア・バルベルデは、アルベルト・アルベロの『解放者ボリバル』(ラテンビート2014)で薄命のボリバル夫人を演じた女優。1987年マドリード生れ、マヌエル・マルティン・クエンカの“La flaqueza del bolchevique”(2003)でデビュー、翌年のゴヤ賞とシネマ・ライターズ・サークル賞の新人女優賞を受賞した。汚れ役が難しいほど品よく美しいから、逆に女優としての幅が狭まれている。そろそろ曲がり角に差し掛かっている。今年から来年にかけて公開作品が続く。

(結婚式の準備をするエバ)
*アリシア・ルビオは、1983年マドリード生れ、ダニエル・サンチェス・アレバロの『マルティナの住む街』(2011)、“La gran familia española”(2013)など主にコメディ出演が多い。数多い短編以外主役に恵まれない。
*ジョルディ・サンチェスは、1964年バルセロナ生れ、俳優と脚本家の二足の草鞋派。芸歴は長いがTV出演がもっぱらなので、日本での知名度は低いか。
*ヨランダ・ラモスは、1968年バルセロナ生れ、TVドラのシリーズで出発、出演多数のベテラン。映画デビューはサンチャゴ・セグラの『トレンテ4』、パコ・レオンの2作目“Carmina y amén”で「マラガ映画祭2014」助演女優賞を受賞、本作出演が3作目となる。
*メロディの本名はメロディ・ルイス・グティエレス、1990年セビーリャ生れのアーティスト、シンガーソングライター、エレクトロ、ダンサー、デザイナーと多才。今回映画女優としてデビュー、アレックスの妹役を演じた。勿論音楽も担当。YouTubeで新作を聴くことができます。

フェルナンド・トゥルエバ*映画国民賞を受賞 ― 2015年07月17日 21:19
「えっ、まだ貰っていなかったの?!」
★そう、まだ貰っていなかったんです。かく言う管理人もとっくの昔に受賞していたと思っていましたが(笑)。トゥルエバは1955年生れですから遅すぎの感じがしますね。受賞のインタビュー記事を斜め読みした印象では、本人も「今さら貰っても・・・」と思っているように感じました。例えば「ゴヤ賞は営利的な助けになるが、目下上映中の映画はない」と。受賞しても上映館がないから観客は行列できないし、DVDが飛躍的に売れ出すとかは考えにくい。ゴヤ賞は上映中のことが多いから上映が延長されたり、その後発売されるDVDが売れたりと、関係者一同で喜べる。それに新作が2012年の『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』と大分前になり、今年は時期的にもベターではないのかもしれない。新作は来年春の2月か3月にクランクイン、タイトルも“La reina de España”と決まっていて、“La niña de tus ojos”(1998、DVD『美しき虜』)の続編とか。未公開だが、ゴヤ賞1999の作品賞、ペネロペが主演女優賞を受賞した作品だったから、この年受賞するチャンスはあったかな。

(「映画製作は年々厳しくなっている」と語る、最近のフェルナンド・トゥルエバ)
★どんな賞かをおさらいすると、映画国民賞Premio
Nacional de Cinematografiaというのは1980年に始まった賞です。まだ「ゴヤ賞」(第1回1987年)が始まっていない時期で、シネアストに与えられる賞としては唯一のものでした。国民賞は他に文学賞、美術賞、科学賞などと各分野ごとに分かれています。選出するのは日本の文部科学省にあたる教育文化スポーツ省と映画部門ではICAA(Instituto
de la Cinematografia y de las ArtesAudiovisuales)です。副賞は3万ユーロと少額ですが(個人が貰う賞だから少額ではないか)、1年に1人ですからゴヤ賞とは比較にならない「狭き門」、かなりの栄誉賞です。一時期(19887~94)は2人でしたが、今は1人に戻っています。特に映画部門は監督・俳優・製作者・音楽家・脚本家と多方面にわたるから、文学のように1人というわけにいかない。
★第1回の受賞者がカルロス・サウラでした(受賞者の半分ぐらいが監督)。大体前年に活躍したシネアストから選ばれますが、受賞者の顔ぶれからある程度の年月映画界に貢献した人が貰うようです。しかし2013年のように、まだ40歳にもならないフアン・アントニオ・バヨナが『インポッシブル』の成功で最年少受賞者となりました。言語は英語、ハリウッド俳優起用と異色ずくめでしたが、製作国はスペインでした。例年7月に発表になり、授賞式は9月のサンセバスチャン映画祭です。以上は2014年に脚本家ロラ・サルバドールが受賞したときの記事に加筆したものです。他に歴代受賞者のご紹介などもしております。
*ロラ・サルバドールの国民賞受賞の記事は、コチラ⇒2014年7月24日
★『ベルエポック』(1992)は、ゴヤ賞9部門受賞、アカデミー賞「外国語映画賞」部門で受賞した。しかしこのときはまだ大物が何人も控えていたし、40歳前でしたから受賞できなくても納得できたでしょうか。スペインのアカデミー賞監督は4人で、第1号は『黄昏の恋』(1982)のホセ・ルイス・ガルシ(1944生れ)、1992年受賞、第3号が『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)のアルモドバル(1949生れ)、彼は既に1990年に受賞、第4号が『海を飛ぶ夢』(2004)のアメナバル(1972生れ)、まだ受賞していない。『アレキサンドリア』(2009)のあとブランクが長く、今年8月にスペイン=米国合作のスリラー“Regression”(英語)が米国で公開されます。
★トゥルエバの受賞を遅すぎると感じた映画批評家も多く、エル・パイス紙のカルロス・ボジェロは「知らせが届いたとき、断ろうという誘惑が即座に彼の反抗的な頭をよぎったに違いない」と書いている。何故ならこの賞は、文化の重要性に一顧だにしない政府機関がくれるものだし、常々映画や演劇のチケット代に「消費税21%もかける政府は殺人者」と批判していたからでした。だからやるほうもトゥルエバに受賞の知らせを電話で伝えたとき「断れるんじゃないか」と直感したそうです(笑)。結局受賞することになりましたが、思い出されるのは、ノーベル文学賞の大江健三郎氏が「文化勲章」を断った事件てした。かつて断った人はいなかったから、本当にこれは事件だったのです。

(『ベルエポック』アカデミー賞授賞式でのトゥルエバと製作者A・ビセンテ・ゴメス)
★長年二人三脚というか婦唱夫随で夫の映画製作を手掛けてきたトゥルエバ夫人クリスティナ・ウエテは、この暑さで窒息しそうな取材記者たちのための飲み物の準備に忙しい午後を過ごした。彼女はいろいろあるけれど受賞は嬉しいと語っている。政治的発言を少し穏やかにしてもらいたいという思惑もあるのかしらん。「私は今年60歳になって、いまだにショック状態なんだよ」、もう年だからそろそろやってもいいということなのか。でも2年前フアン・アントニオ・バヨナが受賞したときは、比較にならないほど若かった(38歳)。だから年のせいじゃないよ。ほかにも若い来日監督では、2001年のホセ・ルイス・ゲリン(1960生れ)、2010年のアレックス・デ・ラ・イグレシア(1965生れ)もいるから、引退宣告じゃない(笑)。
★「賞を貰うにしろ貰わないにしろ、言うべきことは言うから、どっちにしろ私には同じこと、貰ったからといって生き方を変えることなんかしない」、「攻撃型の人間で、人と如才なく付き合うことなんてできない。言うべきことは主張するし、いま賞を返却する必要もないから、謙虚に受けるべきと思っている」、「政府が左だろうが右だろうが、わたしには同じことで、なにも気にかけない」。どちらも映画に敬意を払わない点では同じ穴のムジナだというわけです。旗幟鮮明なシネアストが多い中で、彼はどの党派にも属しておらず、支持政党はない由。授賞式は9月のサンセバスチャン映画祭、どんな受賞スピーチをするか、ひと波乱あるでしょうか。
★フェルナンド・トゥルエバ、1955年マドリード生れ、監督、プロデューサー、脚本家。雑誌「Casablanca」の設立者。エル・パイス紙や「Guia de Ocio」で映画批評を執筆。1988年1年足らずだが、スペイン映画アカデミー会長を務めた。1980年、“Opera prima”で長編映画デビュー、ヴェネチア映画祭新人賞受賞。公開または映画祭上映などの代表作は上記の他にベルリン映画祭1987監督賞受賞の『目覚めの年』(1986)、『禁断のつぼみ』(1989)、『あなたに逢いたくて』(1994)、『泥棒と踊り子』(2009)、アニメ『チコとリタ』(2010)、『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』(2012)、列挙すると結構ありますね。最近作2本が「ラテンビート2013」で上映された折り初来日した。

(第28回ゴヤ賞授賞式でのトゥルエバ、2015年2月9日)
★ビリー・ワイルダーを映画の師と仰ぐ監督のモットーは「みんなが笑って楽しめる映画作り」だそうですが、これはなかなか難しい。以前インタビューで「とてつもなく素晴らしい人は誰?」と訊かれて、「私の母」と即座に答えるほどの親孝行息子。8人のトゥルエバ兄妹を分け隔てなく育て上げた人で、子供たちからは信頼と尊敬を受けている女性だ。内戦中どちらにも与していなかったが、共和派の民兵によって父親を銃殺された。彼女は13歳から働きはじめ、中学には1週間しか行けなかったという。「しかし、私に読み書きを教えてくれたのは母親だった」。それで「3歳半のときには『ドン・キホーテ』をすらすら読むことができたんだ。末の弟ダビは母親を図書館にして大きくなったんだ」。学齢がきても学校に行かなかった話は、“Vivir es fºácil con los ojos
cerrados”の記事で紹介いたしました。
関係記事*管理人覚え
*『ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル』のQ&Aは、コチラ⇒2013年10月31日
*“Vivir es
fºácil con los ojos cerrados”の主な記事は、コチラ⇒2014年1月30日/11月21日
*クリスティナ・ウエテの記事は、コチラ⇒2014年1月12日
*アメナバル新作“Regression”の記事は、コチラ⇒2015年1月3日
アレハンドロ・アメナバル*恋人ダビ・ブランコとゴールイン ― 2015年07月19日 19:28
結婚式にメディアはシャットアウト
★パパラッチに盗撮されて不愉快な目にあったことから、2004年『海を飛ぶ夢』公開後、雑誌でカミングアウトした。結婚相手のダビ・ブランコとは5年前から一緒に暮らしていたから、誰も驚かないか。アメナバルは1972年生れの日本で言う厄年の42歳、ブランコは11歳年下のようです。彼がマドリードの公立大学で経済学を学んでいたとき知り合ったようです。今年プレゴンpregonという教会での婚姻公告をしていたということですから時間の問題だったのでしょう。もう10年前とは違って同棲婚はめずらしくなくなっている。アメナバルはスペインの監督としては控えめで思慮深く本当に「利口」が服着て歩いているような人、パパラッチしにくいタイプです(笑)。どうぞお幸せに。

(婚姻届にサインする二人、本人がツイッターで公表したもの)
★結婚式はマドリード市の北西部に位置するビジャヌエバ・デ・ラ・カニャダの別荘で行われるが、プライベートなことなのでメディアはお断り、厳重にガードされるとのこと。招待客は彼の3人の姉妹も含めて200名が出席、結構多いですね。

(アメナバルとブランコ)
★新作“Regression”がアメリカで8月28日公開、スペインも“Regresión”(吹替え版)として10月1日封切られる。その後ヨーロッパ各国イタリア、ドイツ、イギリス、フランスなど順次公開が決まっています。来年には日本公開は決まりです。英語映画なのでストーリー、キャストなど既に日本語で読めます。当ブログでも既に1月にアップしております。まだ情報が少なかった時でしたが、大筋は間違っていなかったと思います。

第2回イベロアメリカ・プラチナ賞結果発表 ― 2015年07月21日 15:34
『人生スイッチ』が作品賞他8賞を独占

★不安が的中、『人生スイッチ』が4個ぐらいは貰うと予想しておりましたが、なんと8個とは! ということで個人的にはいささか不機嫌です。ノミネーション作品をちゃんと見ていたら、もう少しばらつくと思いませんか。カテゴリーはたったの「13」しかなく、いやしくもラテンアメリカ諸国を含め23カ国が参加する国際的な賞とは思えない。これでは「イベロアメリカ映画の<オスカー賞>」という名前が泣くし、イベロアメリカ映画の将来にもよい結果をもたらさない。
★『人生スイッチ』のコメントは、7月25日に封切られますので、鑑賞後改めてアップすることにし、今回は触れないことに致します。ジフロン監督は合計3回登壇して「素晴らしい1日でした」と挨拶。そりゃそうでしょ、彼のために開催された授賞式でした。

(トロフィーを手にした『人生スイッチ』一同)
主なカテゴリー候補と受賞作品・受賞者(ゴチック体が受賞)
*作品賞
Conducta (キューバ)『ビヘイビア』(SKIPシティ映画祭上映)ノミネーション8個
La isla mínima (スペイン)同9個
MR. Kaplan (スペイン、ウルグアイ)同9個
Pelo malo (ベネズエラ、ペルー、アルゼンチン)同8個
Relatos salvajes (アルゼンチン、スペイン)同10個、『人生スイッチ』公開
*監督賞
アルベルト・ロドリーゲス La isla mínima (スペイン)
アルバロ・ブレチネル MR. Kaplan (スペイン、ウルグアイ)
ダミアン・ジフロン 『人生スイッチ』(アルゼンチン、スペイン)(写真下)
エルネスト・ダラナス 『ビヘイビア』(キューバ)
マリアナ・ロンドン Pelo malo (ベネズエラ、ペルー、アルゼンチン)

*脚本賞
アルバロ・ブレチネル MR. Kaplan
ダミアン・ジフロン 『人生スイッチ』
エルネスト・ダラナス 『ビヘイビア』
マリアナ・ロンドン Pelo malo
ラファエル・コボス&アルベルト・ロドリーゲス La isla mínima
*男優賞
ベニチオ・デル・トロ Escobar: Paraiso perdido(スペイン、パナマ)
ハビエル・グティエレス La isla mínima (スペイン)
ホルヘ・ペルゴリア La pared de las palabras(キューバ)
レオナルド・スパラグリア 『人生スイッチ』(アルゼンチン、スペイン)
オスカル・ハエナダ Cantinflas(メキシコ)(写真下)

*女優賞(6名)
エリカ・リバス 『人生スイッチ』(アルゼンチン、スペイン)(写真下)
ジュラルディン・チャップリン Dólares de arena (ドミニカ共和国、アルゼンチン、他)
ラウラ・デ・ラ・ウス Vestido de novia (キューバ)
レアンドラ・レアル O lobo atrás da porta (ブラジル)
パウリナ・ガルシア Las analfabestas (チリ)
サマンサ・カスティージョ Pelo malo(ベネズエラ、ペルー、アルゼンチン)

*撮影賞:“La isla mínima”のアレックス・カタラン
*オリジナル音楽賞:グスタボ・サンタオラジャ『人生スイッチ』
*編集賞:パブロ・バルビエリ、ダミアン・ジフロン『人生スイッチ』
*美術賞:クララ・ノタリ他『人生スイッチ』
*録音賞:ホセ・ルイス・ディアス『人生スイッチ』
*ドキュメンタリー賞: “O sal da terra”(“The Salt of the Earth”)ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドの共同監督(2014ブラジル、仏、伊)
*アニメーション賞:“O Menino e o Mundo”アレ・アブレウ(2014ブラジル)
*初監督作品賞:クラウディア・ピント“La distancia mas larga”(2013ベネズエラ)

(ピント監督の“La distancia mas larga”から)
★第1回は前年(2013)の1月から12月の作品から選ばれ、ガラは4月に開催されました。製作年ではなく公開年が選定の基本。それで初監督作品賞のようにノミネーションが若干ずれてしまうことがあります。第2回は2014年1月から2015年3月に変更され7月開催となりました。第3回からは前年4月から翌年3月までになるのではないでしょうか。
★“La distancia mas larga”が選ばれたベネズエラではグッド・ニュースと報じられました。カルメ・エリアスがガラに出席していたのは、本作のヒロインだったからでしょう。ハビエル・フェセルの『カミーノ』で頑迷な母親を演じた女優です。
★授賞式に出席した俳優・監督・製作者の顔ぶれ
俳優:マリベル・ベルドゥ、エドワード・ジェムス・オルモス、ピラール・ロペス・デ・アヤラ、ダリオ・グランディネティ、ギジェルモ・フランセジャ、ハビエル・グティエレス、アルベルト・アンマン、カルロス・バルデム、ゴヤ・トレド、インマ・クエスタ、カルメ・エリアス、ジョルディ・モリャ、他
監督:フアン・アントニオ・バヨナ、サンティアゴ・セグラ、フリオ・メデム、他
製作者:アウグスティン・アルモドバル、ホセ・アントニオ・フェレス、他
★授賞式は、スペイン国営テレビで中継された。プレゼンターは俳優イマノル・アリアス、女優アレサンドラ・ロサルド、ジャーナリストのフアン・カルロス・アルシニエガス二。米国在住のスペイン語話者を含めると4億人が見られたはずです(笑)。
★栄誉賞受賞のアントニオ・バンデラスは、プエルトリコ出身ののリタ・モレノからトロフィーを受け取りました。『ウエスト・サイド物語』(1961)でアカデミー賞とゴールデングローブ助演女優賞、他にトニー賞、グラミー賞、エミー賞の受賞者。1931年生れの83歳、伝説的な女優、ダンサー、舞台女優ですから名誉なことでしょう。写真で見る限り83歳には見えない。

関連記事*管理人覚え
◎第1回イベロアメリカ・プラチナ賞の記事は⇒2014年02月20日/03月18日/04月17日
◎第2回イベロアメリカ・プラチナ賞のプレセレクションの記事は⇒2015年03月28日
◎第2回イベロアメリカ・プラチナ賞ノミネーションの記事は⇒2015年06月11日
◎クラウディア・ピント“La distancia más larga”の記事は⇒2013年09月05日
『人生スイッチ』 やっと公開*ダミアン・ジフロン ― 2015年07月29日 16:58
私は悪くない、悪いのはオマエだ!
★この映画は、スピルバーグ製作総指揮のTVシリーズ『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1985~87)が下敷きになっている。一話完結のオムニバス・ドラマ、SF、サスペンス、ホラー、ファンタジーと多彩でした。本作もサスペンス、バイオレンス、ブラック・コメディ、メロドラマなどで構成されている。表面的には繋がりのない6話で構成されていますが、共通項はアルゼンチン社会に長年にわたって沈潜する一触即発の暴力でしょうか。ダイナマイトに付けられた導火線は、ここアルゼンチンでは殊のほか短いのです。レシピは、以前受けた侮辱で、経済格差で、復讐で、抑えきれないイライラで、理不尽な公権力の横暴で、欲のカタマリで、不安定と裏切りで、それぞれが爆発したとき相手に対してどう出るか。不平等がまかり通る社会では「自分は悪くない、悪いのはオマエだ」というのが、アルゼンチン人の建国以来のセオリーです。
*以下の記事はネタバレ部分を含んでいます。これから鑑賞なさる方はご注意ください。

製作:El
Deseo S.A.(スペイン、アウグスティン& ペドロ・アルモドバル、エステル・ガルシア)/ Kremer & Sigman Films(アルゼンチン、ウーゴ・シグマン)/
他
Corner Producciones / Televisión Federal (後援)INCAA / ICAA
監督・脚本:ダミアン・ジフロン
撮影:ハビエル・フリア
編集:パブロ・バルビエリ・カレラ、ダミアン・ジフロン
音楽:グスタボ・サンタオラジャ
録音:ホセ・ルイス・ディアス
美術:クララ・ノタリ
プロダクション:エステル・ガルシア、アナリア・カストロ・バルセッチ、他
メイク&ヘアメイク:マリサ・アメンタ、ネストル・ブルゴス
データ:アルゼンチン=西、スペイン語、2014、122分、製作費約330万ドル、興行成績4317万ドル、配給ワーナーブラザーズ、アルゼンチン公開2014年8月21日、日本公開2015年7月25日
撮影地:サン・イシドロ、コルドバ通りのパーキング(ブエノスアイレス)、サルタ、サルタ州モラレス橋、フフイ、ブエノスアイレスのインターコンチネンタル・ホテル、他多数
受賞・ノミネーション:カンヌ映画祭2014コンペ正式出品、アカデミー賞2015外国語映画賞ノミネーション。アルゼンチンのアカデミー賞2014作品賞以下10部門、銀のコンドル賞2014監督賞・編集賞、スール賞2014作品賞以下4賞を受賞。国際映画祭ではビアリッツ(ラテンアメリカ部門)、サラエボ、リマ、ロンドン、サンパウロ各映画祭2014で観客賞、サンセバスチャン映画祭2014ヨーロッパ映画部門観客賞、ハバナ映画祭2014監督賞・編集賞、フォルケ賞2015(ラテンアメリカ部門)作品賞、ゴヤ賞2015イベロアメリカ映画賞、アリエル賞2015(イベロアメリカ部門)作品賞、イベロアメリカ・プラチナ賞2015作品賞以下8部門、などが代表的な受賞歴、ノミネーション多数につき割愛。
キャスト:エピローグのタイトルは、邦題、原題、仮訳の順。
なお動物名はオープニング・クレジットの背後の動物
◎第1話「おかえし・Pasternak・パステルナーク」ダリオ・グランディネッティ(サルガド、鰐)、マリア・マルル(イサベル)、モニカ・ビリャ(女教師)
◎第2話「おもてなし・Las ratas・ネズミたち」リタ・コルテセ(料理人、ゴリラ)、フリエタ・シルベルベルク(ウエイトレス、羊)、セサル・ボルドン(クエンカ)、フアン・サンティアゴ・リナリ(クエンカの息子アレクシス)
◎第3話「エンスト・El más fuerte・最強の男」レオナルド・スバラグリア(ディエゴ、鹿)、ウォルター・ドナド(マリオ)
◎第4話「ヒーローになるために・Bombita・発破屋」リカルド・ダリン(シモン、鷲)、ナンシー・ドゥプラー(妻ビクトリア)、カミラ・ソフィア・カサス(娘)
◎第5話「愚息・La propuesta・提案」オスカル・マルティネス(マウリシオ、鮫)、マリア・オネット(妻エレナ)、アラン・Daicz(息子サンティアゴ)、オスマル・ヌニェス(弁護士)、ヘルマン・デ・シルバ(管理人ホセ)、ディエゴ・ベラスケス(検察官)
◎第6話「HAPPY WEDDING・Hasta que la muerte nos swpare・死が二人を分かつまで」エリカ・リバス(花嫁ロミーナ、雌トラ)、ディエゴ・ヘンティレ(花婿アリエル)ほか
(*人名表記はスペイン語読みとし、オフィシャル・サイトと異なるケースがあります)
★TVドラのシリーズを数多く手掛けているせいか、キャストもテレビで活躍の俳優が多い。今回はアメリカで活躍中のグスタボ・サンタオラジャが故郷ブエノスアイレスに戻って音楽を担当したことでも話題になっていた。『ブロークバック・マウンテン』と『バベル』で2005年、2006年と連続でアカデミー作曲賞を受賞していることは周知のこと、その他『アモーレス・ペロス』『21グラム』『モーターサイクル・ダイアリーズ』『ビューティフル』など。本作では「第2回イベロアメリカ・プラチナ賞」音楽部門で受賞した。最初音楽担当は、『私の秘密の花』(1995)以降アルモドバル映画の全作を担当しているアルベルト・イグレシアスがアナウンスされていました。彼はゴヤ賞最多の受賞歴があり、ゴヤの胸像コレクター(10個)です。オスカー賞にもフェルナンド・メイレレスの『ナイロビの蜂』でノミネーションされている実力派です。
*監督キャリアとフィルモグラフィー*
★ダミアン・ジフロン Damián Szifron:1975年ブエノスアイレス州のラモス・メヒア市生れ、脚本家、監督、エディター、プロデューサー。名前から分かるようにユダヤ系(アシュケナジム)アルゼンチン人。父親が大の映画好きで、映画の道に進んだのは父の影響、『人生スイッチ』は2013年に他界した父親に捧げられている。ユダヤ系の私立校 Escuela Tecnica ORT でマスメディア学を専攻。その後、映画理論を学び、ブエノスアイレスの私立の映画大学(Fundacion Universidad del Cine FUC)で監督演出を学んでいる。
*1992年“El tren”で短編デビュー(短編多数)、1994年テレビ界に進出、TVドラ“Atorrantes”(1996~99)をプロデュースする。このとき知り合った女優マリア・マルルと結婚、夫妻にとって2番目となる娘が2014年7月に生れた。マリアは長編3作目になる『人生スイッチ』の第1話「おかえし」にイサベル役で出演している。
*長編デビュー作 “El fondo del mar”(2003 “Bottom Sea” )ブラック・コメディ
2001年から脚本に取りかかり、マル・デル・プラタ国際映画祭で上映、イベロアメリカ部門の「銀のオンブー」賞、国際映画批評家連盟賞を受賞。サンセバスチャン映画祭で審査員特別メンション、トゥールーズ映画祭でフランス批評家賞など多数。アルゼンチンの「クラリン賞」では最優秀作品・脚本・監督を受賞している。
*第2作“Tiempo de valientes”( 2005 “On Probation”)アクション・コメディ
本作がビアリッツ映画祭(ラテンアメリカ部門)で観客賞、マラガ映画祭(同)では主役2人のうちルイス・ルケが男優賞(銀賞)を受賞し、ペニスコラ・コメディ映画祭では、作品賞、監督賞、もう一人の主役ディエゴ・ペレッティが男優賞を受賞した。

(大きなお腹を抱えてカンヌ映画祭に出席した監督夫妻)
★2006年からは主軸をテレビ界に移し、シリーズ物のTVドラでヒットを飛ばした。“Tiempo de
valientes”以来9年ぶりの映画界復帰を粘り強く説得したのは、「エル・デセオ」のアウグスティン・アルモドバルであった。ただ次回作は英語で撮る予定らしく、スペイン語映画ファンには残念なニュース。スペイン語では世界で勝負できないというわけか。
快進撃はカンヌで始まった!
A: やっと公開されました。先進国、途上国を問わずドンジリでの封切りですね(笑)。2014年のカンヌ映画祭から紹介しつづけているので飽きてしまいましたが、とにかく字幕入りスクリーンで鑑賞できました。カンヌ以外にもトロント映画祭、アカデミー賞2015のプレセレクションなどと、スタッフ、キャスト、プロット、監督紹介をしてきました。
B: 宣伝チラシにあるように「知られざる映画大国からやってきた」からドンジリでも致し方ありません(笑)。アカデミー賞のアルゼンチン代表作品として「外国語映画賞」ノミネーション5作品に踏み止まり、監督以下主なスタッフがロスに集合してプロモーションに明け暮れるという体験もした。
A: その凄さはカンヌの比ではなかったそうです。投票には政治的な思惑も左右されるから、会員に会うことは重要なこと、クチコミはここでも有効です。アグスティン・アルモドバルは「多分『イーダ』が受賞するでしょうが、決して不名誉なことではない。ノミネーションだけでも素晴らしいのです」と語っていましたが。
B: オスカー賞にノミネートされるということはそういうことなんですね。結局『イーダ』が受賞、下馬評通りになりました。
A: カンヌのプレス会見では「12~14話書いたうちから6話を選んだ。登場人物はそれぞれ粗野な人たち、私は争いや対立から面倒が起きる話が好き」と語っていました。しかし「じゃ、やりましょう」となるまでには紆余曲折があった。2013年3月に製作発表があったときには、既に配給がワーナー・ブラザーズと決まっていましたが、2013年、カンヌのメルカードに脚本を見せたときの反応は必ずしも良くなかった。
B: コメディ、スリラー、ホラーと多義にわたり、ジャンルの分類が難しいうえに、成功例の少ないオムニバス映画はカンヌでは歓迎されないという事情があった。
A: アグスティンによれば「それは想定内のことで、最初から怖れていた通りになっただけ」と。しかし各エピソードに自信があり、2014年の本番での反応は期待以上、つまり「快進撃はカンヌで始まった」というわけです。各国どこでも社会的な問題を抱えており、その背後には暴力が潜んでいて、その暴力は熱伝導のように伝わっていくから、結果ジャンルの分類など観客には不必要だったというわけです。
「私はキツネを選びました」と監督(第1話)
B: 原題は「粗野な短いお話」ぐらいの意味ですね。 各エピソードの主人公は、それぞれ野生動物になぞらえられている。例えば、第2話のリタ・コルセテ扮する料理人はゴリラ、第4話のリカルド・ダリン扮するビル爆破解体者、つまり発破屋シモンはワシとか。
A: 第6話のエリカ・リバス扮する花嫁は雌トラでした。オープニング・クレジットの背景には各自の野生動物がちゃんと描かれていた。邦題の『人生スイッチ』では、作品の意図が考慮されず無視されてしまっている。
B: ジフロン監督はキツネでした。
A: キツネを選んだのは、自分の髪の毛が赤茶であること、2013年他界した父親がキツネが好きで、キツネが出てくるドキュメンタリーをよく見ていたから。この映画は亡くなったばかりのお父さんに捧げられていました。でもワル賢い意味もあるのかもしれません(笑)。
B: 第1話「おかえし」は、確かオープニング・クレジットの前にあって、エピソードとしては一番短いが、作品全体を象徴するようなプロットでした。原題は「パステルナーク」、これに大いなる意味があるのではありませんか。
A: パステルナークで直ぐ思いつくのがノーベル文学賞受賞者のボリス・パステルナーク、『ドクトル・ジバゴ』を書いたロシアの作家。当時のソビエト共産党指導部の嫌われ者、だからカンカンに怒って受賞を妨害した。スウェーデン・アカデミーは抵抗して取り下げず、パステルナークが実際に手にしたのはベルリンの壁崩壊後でした。
B: 乗客たちが偶然同じ飛行機に乗り合わせたと思っていたら、実は或る人物<ガブリエル・パステルナーク>とかいう人物によって作為的に乗せられていたことに気づく。
A: パイロットがなんとかしてくれるかと乗客は期待するが(アルゼンチン人は他力本願)、操縦しているのがなんとパステルナーク自身と判明、万事休すとはこのこと。急降下する機内はパニック、凍りつく乗客たち・・・という意表を突くエピソードで始まる。

(まだ恐怖の顛末を知らない乗客たち)
B: かつてパステルナークにそれぞれ個人的にヒドイ仕打ちをしたことに思い至る。特にクラシック音楽評論家のサルガド(ワニ)は、彼をケチョンケチョンに貶していた。
A: パステルナークが昔の教え子と気づく女教師、パステルナークの年齢から割り出すと、これは軍事独裁時代の偏向教育のメタファーかもしれない。他にいじめっ子のクラスメート、精神科医、<ガブリエル>は、聖母マリアに受胎告知した大天使、これもウラに何かあるかも。
B: 飛行機が庭にいた老夫婦を巻き添えにして地面に激突するシーンで、突然オープニング・クレジットに切り替わる。それで分かったことは、老夫婦が巻き添えでなかったことだ。
A: 老夫婦はパステルナークの両親という衝撃。このようにしてパステルナークは自分の人生を不幸に陥れた全員に復讐を遂げたわけです。第1話がオープニング・クレジットの前にあった理由を観客はここで知るわけです。
B: アルゼンチンはイタリア人、スペイン人が多いが、ロシア人もフランス人についで多い。ロシアからの移民は19世紀から20世紀にかけて、民族浄化ポグロムなどで追われてきたユダヤ系アシュケナジムです。後からやってきたカトリック教徒でないスペイン語のできない移民として差別された。
A: そういう出身民族間の対立構図があると感じますね。だからここは陰の主役をロシア系移民としたことに意味があるのです。監督の家系もナチに追われてアルゼンチンに移民してきた一族。先祖はアシュケナジム系のユダヤ人だそうです。「自分の祖母はナチから逃れるため護送列車から飛び降り逃げてきた人」とカンヌのプレス会見で語っていました。彼はこの勇敢なお祖母さんの子孫です(笑)。
殺人が悪いかどうかという道徳的な問題とは無関係(第2話)
B: まあ、よく実力派の俳優を揃えました。すぐ思い出せなかったのがリタ・コルテセ、『オリンダのリストランテ』の主演女優でした。料理人(ゴリラ)は塀の中の体験者、悪いヤツに天罰を与えるのは社会正義だし、「刑務所暮らしはそんなに悪くない」とうそぶく。

(「刑務所暮らしはシャバより余程マシ」とうそぶく料理人)
A: だいいち衣食住はすべてタダなのだ、シャバよりよほどマシというわけ。片やウエイトレス(ヒツジ)は、刑務所は未体験だから入るのが恐ろしい。しかし二人とも、社会の悪を抹殺するのは悪いことではないと考えている。ここで問われているのは殺人が悪いかどうかという道徳的な価値観ではない。
B: 犯行がバレないで、つまり刑務所入りがないなら躊躇するに及ばない。親の敵討ちを実行する千載一遇のチャンスを逃してなるものか。なんとも痛快な論理ですが、これはアルゼンチン社会の不安定さが社会的不公平を増長していることを揶揄している。
A: レストランに現れた客は、かつてウエイトレスの父親を自殺に追い込むほどの悪事を働いているが、罪を問われることもなく、大手を振って世間を渡っている。なのに料理人は下層階級に属していたため受刑者になった。それにしてもネズミたちが猫いらずで客を殺害しようとするところがシュールです。
B: 地獄の沙汰も金次第が横行しているが、このエピソードは第5話「愚息」にも繋がっていく。
スピルバーグのデビュー作『激突!』へのオマージュ(第3話)
A: イケメン俳優スバラグリアも40歳を超えてややオジサンになりました。ディエゴ(シカ)が乗っている新車は、フォルクスワーゲンの「アウディ」だそうです。ブエノスアイレスからフフイ州のバルセナ高地を走行している。前を走っているおんぼろ車を追い越して先へ行きたいが運転手マリオはそうはさせじと邪魔をする。「すかした若造なんかに負けてたまるか」というわけ。
B: これは当時無名だったスピルバーグがテレビ映画として撮った『激突!』(1971)のパロディ版ですね。あちらは大型トレーラータンクローリーとクライスラーでしたが。海外でも劇場公開され、スピルバーグの名が世界に知られるようになった映画でした。(日本公開1973)
A: 先述したように本作は、スピルバーグ総指揮の『世にも不思議なアメージング・ストーリー』を下敷きにしている。それで敬意を表したものです。勿論、結末は異なりますが。
A: 字幕翻訳は難しいという例ですが、スバラグリアが扮したディエゴのセリフ「sos un negro resentido」が、「You’re a motherfucking wetback」と翻訳された。どちらも「おまえはひがみっぽい下劣な野郎だぜ」ぐらいの意味と思うが、問題なのは“negro”を“wetback”としたこと。アルゼンチンではネグロは肌の色より髪の色を指し、差別語niggerに直結しない。ウエットバック(esparda mojada)はメキシコからリオグランデを泳いで米国に密入国した不法入国者を指す。川を泳いで渡るから背中が濡れているわけです。ですから危険極まりない誤訳です。
B: ちょっと悪意を感じますね。当然論争になってもおかしくない。字幕に限らず「翻訳恐るべし」の好例です。現在のアルゼンチンには黒人はほとんどいないし、運転手マリオも黒人ではないから問題は起こらない。日本語字幕は英語版起しと思うが、字幕はどうなっていたのかな。
A: 1回見ただけでは分からない。汚らしい言葉の応酬以外にもドタバタ・コメディ、最後のオチがないと面白くないエピソードです。

(撮影現場のラス・コンチャス川に架かったモラレス橋の前のディエゴ)
発破屋は官僚主義に飽き飽きした庶民のアイドル(第4話)
B: リカルド・ダリンは『瞳の奥の秘密』より生き生きしている。ダリンは苦虫潰してコメディやるのに適した俳優。ボレンステインのシリアス・コメディ“Un cuento chino”(2011「ウン・クエント・チノ」)の不機嫌な金物屋の主人公を思い出した。
A: どんな役でも地でやってると思わせるね。妻ビクトリアを演じたナンシー・ドゥプラーは、2001年に『木曜日の未亡人たち』の主役パブロ・エチャリと再婚して今度は続いている。
B: 娘のバースディ・ケーキが間に合わなくて面目潰されたと離婚を突きつけるのも可笑しいが、互いに弁護士を雇って争う訴訟社会。妻側の女弁護士が勇ましいのも笑える。しかし一躍夫が有名人になるとあっさり取り下げ、今度は夫のバースディ・ケーキを入所中の夫に届けてチュー。

(「あそこはアンタ、駐車禁止ゾーンではないよ」と怒りを爆発させるシモン)
A: 「バースディ・ケーキ」が狂言回しになっている。ケーキを買わなければ事件は起こらなかった。こんな些細なことから事件は起きる。庶民が抱える鬱積というダイナマイトの導火線は短いから爆発は時間の問題。さらに他のラテン諸国と違って「白人国家」という意識が強いうえに、根拠のない選良意識で近隣諸国を見下す風潮があるから、他のラテン諸国を刺激し顰蹙をかうケースが多い。誇りに実力が伴っていない(笑)。
B: 民政と軍政の失敗の歴史がアルゼンチン、国民が国家を信用しないことが極端な個人主義を生んでいるのかもしれない。家族の大国柱が刑務所入りして平和が戻るという皮肉を笑っていいのかどうか(笑)。他のエピソードとは一味違うオチでした。
日本でもありそうなエピソード(第5話)
A: お金と引き換えに身代り犯人になる話は、ハリウッドでも何本もあるが、結末が違うかな。日本でも実際にあるでしょうね。
B: 階級社会でなくても起こりうる。経済の二極化は先進国で顕著だから。金持ちも貧乏人も、職業、学歴を問わず欲のカタマリです。だが欲をかきすぎると獲らぬ狸となる。
A: マウリシオは「サメ」だから、いつ「ジョーズ」に変身するか、庭師も弁護士も検察官も、その見極めを誤った。
B: エピソード題が「愚息」とある。事件の発端ではあるが、テーマとは無関係だ。轢き逃げされた妊婦の夫に「自分の手で犯人に正義の鉄槌をくだす」とわめかれては、庭師だっていくらお金を貰っても割に合わない。

(分捕り合戦を繰り広げる金の亡者たち)
A: マウリシオの妻エレナが息子可愛さに「交渉人」になって、激怒した夫を宥め、弁護士以下と話を纏めようとする。こういう構図は万国共通だね。マリア・オネットはルクレシア・マルテルのサルタ三部作の一つ『頭のない女』や、ナタリア・スミルノフのデビュー作『幸せパズル』で主役を演じたベテラン。リタ・コルセテといい、フリエタ・シルベルベルグといい演技派女優が出演している。
男と女の「永遠の誓い」―結婚は墓場だ!(第6話)
A: ブエノスアイレスのホテル、インターコンチネンタルのモッセラット大ホールを貸し切って撮影されたそうです。「ハッピーウエディング」か「アンハッピーウエディング」か微妙です。
B: どうしようもないのが男と女、これまた万国共通です。各映画祭での受賞が一番多かったのが観客賞でした。派手に暴れましたからホテル側の器物損壊の支払いも高くついたかな。
A: なにしろ花嫁は雌トラですから、狙った獲物は死んでも離さない。夫の不倫を梃子に全財産を絞りとろうという知恵を働かせる。ここでは「合理主義」が称揚され、物事の判断は目的や価値の多寡に従って決定しようというアルゼンチン伝統の行動がカリカチュアされている。
B: 花婿アリエル家は豪華ホテルを借り切って披露宴を催す財力がある。母親に甘やかされたボンボンだからガードも甘い、携帯電話をテーブルに置きっぱなしだ。教訓1、携帯に不倫の痕跡を残さないことは言うまでもなく、肌身離さず携帯せよ。
A: 花嫁ロミーナの純白のウエディングドレスが時間とともに汚れていく。不倫相手の愛人を侮辱するため、ダンスにかこつけて鏡に投げ飛ばして復讐する。教訓2、不倫相手の結婚式には嫌がらせをしたくても欠席せよ。思わぬ災難に出遭うことあり。

(相手の不誠実を携帯で知ってショックを受ける花嫁)
B: 花婿アリエルが不用意にも不倫を認めてしまいますが愚かですね。あくまで知らぬ存ぜぬを押し通さなくちゃ。
A: この場合は証拠品があるので言い逃れできないと考えたのでしょうが、教訓3、譬え証拠があってもアタマを使って飽くまでシラをきること。花嫁の行動もショックの結果とはいえ賢くありません。今後こういうカップルが増えていくことは宿命でしょうか。結婚はいつの時代も墓場です。
B: ロミーナ役のエリカ・リバスは、1974年ブエノスアイレス生れ。ということは撮影時の年齢は38歳くらいになる。
A: 本作では出演者多数なのでキャスト紹介はしない方針ですが、コッポラの『テトロ 過去を殺した男』以外、公開作品はないでしょうか。付録*として簡単に紹介しておきます。
B: 興行成績もフアン・ホセ・カンパネラの『瞳の奥の秘密』 や“Metegol”を超えました。唯一超えられないのがウォルター・サレスの『モーターサイクル・ダイアリーズ』の5764万ドル。
A: 日本がドンジリ公開ですから、今後超えるのは難しいでしょう。鑑賞したウディ・アレンが「素晴らしい」と言ってくれたとか。日本の観客にはイマイチ面白さがストンとこないかもしれませんが、レベルの高い良質の辛口コメディでした。
*エリカ・リバス:1974年12月1日、ブエノスアイレスのラモス・メヒア生れ、女優、プロデューサー。1996年アルベルト・レッキの“El dedo en la llaga”で映画デビュー。コッポラの『テトロ 過去を殺した男』(2009“Tetro”米≂伊≂西≂アルゼンチン)が2012年に公開されている。これはラテンビート2010で『テトロ』の邦題で上映されていたもの。2009年カンヌ映画祭「監督週間」のオープニング作品。主演と自ら製作に携わったサンティアゴ・Giraltの“Antes del estreno”(2010)、最新作はハスミン・ストゥアルトのミステリー・コメディ“Pistas para volver a casa”(2014) などコメディが多い。テレビに舞台に忙しい。
主な受賞歴:本作でアルゼンチンのアカデミー賞スール賞2014女優賞、ビアリッツ映画祭2014(ラテンアメリカ部門)女優賞、イベロアメリカ・プラチナ賞女優賞、銀のコンドル助演女優賞などを受賞。テレドラ“Casados con hijos”で、2006年コメディ部門のマルチン・フィエロ助演女優賞、クラリン・エンターテインメント女優賞を受賞している。
パブロ・ララインの新作*ノーベル賞詩人ネルーダの伝記 ― 2015年07月30日 16:59
共産主義者ネルーダの逃亡劇を映画化
★パブロ・ララインの新作は、その名もずばりネルーダ“Neruda”です。ベルリン映画祭2015で“El Club”が審査員賞グランプリを受賞したばかり。キャストは既にアナウンスされていましたが、この度撮影が開始されたようです。1971年ノーベル文学賞を受賞した詩人、作家、外交官、政治家といくつもの顔をもつチリではよく知られた存在、既にネルーダをテーマにした映画やTVドラは多数あります。なかでもマイケル・ラドフォードのイタリア映画『イル・ポスティーノ』(1994)は劇場公開された後、吹替えでテレビで放映されたほどでした。ネルーダにフィリップ・ノワレ、主人公郵便配達人マリオに病をおして出演したマッシモ・トロイージが撮影後に他界したことも話題になった。

(審査員賞グランプリのトロフィーを掲げるラライン監督、ベルリン映画祭2015)
★ララインの「ネルーダ」では、ネルーダにチリのルイス・ニェッコ、妻デリア・デル・カリルにアルゼンチンのメルセデス・モラン、共産党活動家ネルーダを追い回す刑事オスカルにメキシコのガエル・ガルシア・ベルナルと国際色豊か。ネルーダは1945年にチリ共産党に入党していた。しかし1948年ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ政権が共産党を非合法化したため亡命を余儀なくされ、アンデス山脈を越えて隣国アルゼンチンに亡命する。ですから時代背景としては、50年代のナポリ湾に浮かぶカプリ島が舞台だった『イル・ポスティーノ』の少し前になります。

(撮影中のルイス・ニェッコとメルセデス・モラン、中央の二人)
★ネルーダは1904年生れ、1948年には44歳、1945年3月に上院議員に当選、7月に入党している。当時はまだノーベル賞とは無関係(1971年受賞)な時代でした。ネルーダは離婚を2回しており、映画に登場する妻デリア・デル・カリルは、ネルーダがヨーロッパから帰国した1943年に再婚した2番目の妻(1955年離婚)、余談だが現在ネルーダ記念館として観光名所になっているイスラネグラの美しい別荘は、3番目の妻マティルデ・ウルティアのために建てたもの。観光客でにぎわっているそうですが、ララインによると、ネルーダは自らを神話化する傾向があり、チリ人はそういうタイプを好まない。日本で人気を博した『リアリティのダンス』の監督ホドロフスキーも好かれていないようだ。チリ公開が「R18+」に本気で怒っていたが、そもそもゲイジュツ映画は及びでない(笑)。
★ガルシア・ベルナルは、既に『No』(2011)でララインとはコラボしている。彼は1978年グアダラハラ生れの37歳、『アモーレスペロス』は遠い昔になりました。今回は主人公をつけ回す嫌われ役の刑事を演じる。どちらかというと彼が主役のようです。他にラライン映画の殆どに出演しているアルフレッド・カストロもクレジットされている。『トニー・マネロ』を怪演した個性派俳優。ノーベル賞詩人ネルーダ、ガエル・ガルシア・ベルナル、ベルリンのグランプリ受賞監督ラライン・・・と話題性もあるから、どこかが拾ってくれることを期待しています。

(ネルーダをつけ回す刑事G.G.ベルナル、髭を生やして登場)
★チリ、アルゼンチン、スペイン、フランス合作、言語はスペイン語、撮影地は首都サンティアゴ、少し西側のバルパライソ、亡命先ブエノスアイレスなど。2016年半ば公開を予定している。
関連記事*管理人覚え
◎ベルリン映画祭審査員賞グランプリの記事は、コチラ⇒2015年2月22日
ララインのフィルモグラフィー、“El Club”作品紹介他、チリ映画界の現状を紹介。
最近のコメント