カルメロ・ゴメス*映画界から「サヨナラ」表明 ― 2015年05月01日 21:35
日毎に募る演劇への思い、「これからは舞台に専念したい」
★何か悪い予感がして(笑)、マラガ映画祭に出品されたアンドレス・ルケ&サムエル・マルティン・マテオスの“Tiempo sin aire”をアップした折、彼のキャリアを紹介いたしました。予感的中、映画祭終了後の4月28日、映画界からの正式引退表明をいたしました。なかには映画界復帰や二足の草鞋派もおりますが、ゴメスの性格というか美学からはちょっと考えにくい。この道一筋、いい意味での頑固者カベソン、もうこれでフリオ・メデムやイマノル・ウリベの映画で彼の姿は見られない。“Tiempo sin aire”は結果的にジャスミン賞に絡みませんでしたが、スペイン公開は5月1日です。他に日程はまだ確定しておりませんが、今年中に公開されるのが、ヘラルド・エレーロの“La playa de los ahogados”とダビ・カノバスのデビュー作“La punta del iceberg”(スリラー)の2作、後者が最後になります。

(引退声明をしたカルメロ・ゴメス、「エル・パイス」社にて、2015年4月28日)
★カルメロ・ゴメス Carmelo Gómez Celada は、1962年レオン県のサアグン生れの52歳。最初サラマンカへ移住して3年間、舞台俳優の仕事に専念する。クラリンの代表作『裁判官夫人』(“La Regenta”)などの舞台に立った。その後マドリードに出て、演技学校 Escuela de Arte Dramático に入学、その後 Compañia Nacional de Teatro Clásico への加入が許可された。映画デビューはフェルナンド・フェルナン・ゴメスの“El viaje a ninguna parte”(86)、フェルナンド・コロモのコメディ“Bajarse al moro”(88)に小さい役で出演した。
★彼を有名にしたのは、フリオ・メデムのバスク三部作の第1部『バカス』(91“Vacas”)、第2部『赤いリス』(93)、第3部『ティエラ―地』(96)で、3作ともエンマ・スアレスと共演、『バカス』は東京国際映画祭1992で上映され、ヤングシネマ・コンペティション部門*でメデム監督が東京ゴールド賞と都知事賞を受賞しました。しかし日本の観客を魅了したのは劇場公開されたイマノル・ウリベの『時間切れの愛』(94)でしょうか。フアン・マドリの同名小説の映画化。本作にはその後スペイン映画界で活躍する若いころのハビエル・バルデム、カンデラ・ペーニャ、ペポン・ニエトなどが出演しています。
*本賞は1997年第10回で廃止された賞、現在はありません。

(親マヌエル、息子イグナシオ、孫ペルーと三世代を独りで演じたゴメス。『バカス』から)

(左から、『時間切れの愛』の共演者、カンデラ・ペーニャ、ペポン・ニエト、
ルス・ガブリエル、カルメロ・ゴメス、ハビエル・バルデム)
★ウリベ監督の『キャロルの初恋』(02)も第1回ラテンビート上映後に劇場公開され、ほかにピラール・ミロの『愛の虜』(96)、モンチョ・アルメンダリスの『心の秘密』(97)、アントニオ・ホセ・ベタンコルの『マラリア』(98)、マヌエル・ゴメス・ペレイラの『スカートの奥で』(99)など、彼ほど公開、映画祭上映、ビデオ発売、テレビ放映の違いはあっても日本語字幕入りで見られた俳優はそう多くないと思います。未公開作品だが話題作となったホルヘ・サンチェス=カベスードのデビュー作“La noche de los girasoles”(06)では主役になり、シネマ・ライターズ・サークル男優賞を受賞している。
★ヘラルド・エレーロの青の旅団をテーマにした“Silencio en la nieve”(11)に出演後、エレーロ作品(上記の“La playa de
los ahogados”など)に連続出演しておりますが、そろそろ舞台に専念したいと「エル・ムンド」のインタビューで語っていた通りになりました。引退には複雑な理由があるようですが、一つにはスペイン映画が芸術愛好家向きになっていることが不満なようです。また映画賞受賞は励みにはなるが中毒を起こさせる危険があることも冷静に受け止めており、自分の限界を知っている俳優が一人いなくなるのは寂しいかぎりです。

(主役フアン・ディエゴ・ボトーと、“Silencio en
la nieve”から)
「小さい子供のような気分だよ」
★ジェットコースターに乗ったような約30年間の俳優人生は一旦終止符が打たれますが、監督とかで復帰はあるかもしれない。本人はジェットコースターより「もっと並外れの上昇と下降」と言ってますが。舞台と俳優志願のクラスで劇作法ドラマツルギーとか、自分の知っていることを後進に伝えたい。「とにかくやりたいことで頭の中は煮えたぎっている」そうです。バロック演劇の劇作家カルデロン・デ・ラ・バルカのコメディ『サラメアの司法官』の準備に忙しく「小さい子供のような気分だ」そうです。人生の折り返し点を迎えた50代の初めは、カウントダウンには少し早いが、本当にやりたい仕事は何かを整理する時期なのかもしれない。ゴメスもそういう年齢になったということか。

(舞台“Elling”に出演のゴメスとハビエル・グティエレス 2012年)
★受賞歴:『時間切れの愛』でゴヤ賞1995主演男優賞、スペイン俳優組合賞ほか受賞、マルセロ・ピニェイロの“El método”でゴヤ賞2006助演男優賞を受賞した。ゴヤ賞では『愛の虜』で主演男優賞、ゴンサロ・スアレスの“El portero”(00)で助演男優賞にノミネートされている。『バカス』でスペイン俳優組合主演男優を受賞している。ほか受賞歴多数につき割愛。
『スリーピング・ボイス』*ベニト・サンブラノの第3作 ― 2015年05月09日 12:18
ドゥルセ・チャコンの同名小説の映画化
★“La voz dormida”が字幕入りで見られるとは正直驚きました。スペイン語映画ファンでも監督第1作『ローサのぬくもり』(1999)を映画館で見た人は今や少数派、更に本作は2011年製作とかなり古い(!) から、邦題を見てもとっさに“La voz dormida”と繋がりませんでした。現実に起こった出来事が元になって書かれた同名小説の映画化。そのエモーショナルな描き方、複眼的でない若干世論操作の危険をはらむ映像描写に賛否両論は当然あるでしょうが、とにかく公平を心がけてご紹介したい。

『スリーピング・ボイス~沈黙の叫び~』(“La voz dormida”)
製作:Audiovisual
Aval SGR / Maestranza Films / Warner Bros. /
監督・脚本:ベニト・サンブラノ
脚本(共同):イグナシオ・デル・モラル 原作:ドゥルセ・チャコン
製作者:アントニオ・ペレス
撮影:アレックス・カタラン
音楽:フアン・アントニオ・レイバ、マグダ・ロサ・ガルバン、カルメン・アグレダノ
編集:フェルナンド・パルド
メイクアップ&ヘアー:ロマナ・ゴンサレス・エスクリバノ
衣装デザイン:マリア・ホセ・イグレシアス・ガルシア
データ:スペイン、スペイン語、2011、スペイン内戦ドラマ、128分、撮影地:マドリード、ウエルバの元の刑務所、配給元ワーナー・ブラザーズ、製作費:約350万ユーロ(収益833,283ユーロ、スペイン)、スペイン公開2011年10月、TVプレミアWOWOW 2014年10月、日本公開2015年4月25日
キャスト:インマ・クエスタ(姉オルテンシア・ロドリゲス)、マリア・レオン(妹ホセファ‘ペピータ’・ロドリゲス)、マルク・クロテット(ゲリラ兵パウリノ・ゴンサレス)、ダニエル・オルギン(同右フェリペ・バルガス)、アナ・ワヘネル(看守メルセデス)、スシ・サンチェス(セラフィネス尼)、ベルタ・オヘア(女囚フロレンシア)、ロラ・カサマヨール(女囚レメ)、アンヘラ・クレモンテ(女囚エルビラ)、チャロ・サパルディエル(女囚トマサ)、テレサ・カロ(ドーニャ・セリア)、ヘスス・ノゲロ(元医師ドン・フェルナンデス)、ミリアム・ガジェゴ(同妻ドーニャ・アンパロ)、ルイス・マルコ(同父ドン・ゴンサロ)ほか
プロット:時代に飲み込まれた姉妹オルテンシアとペピータの物語。内戦終結後の1940年マドリード、負け組共和国派のゲリラ兵フェリペの子を身ごもったままマドリードのベンタス女性刑務所に収監されたコミュニストの姉、姉の同志の母セリアを頼って姉を支えるべくコルドバから上京してきた敬虔なクリスチャンの妹、二人は鉄格子を隔てて2年ぶりに再会する。ペピータは最初の面会日から山中に隠れて抵抗しつづける義兄たちの連絡係として否応なく危険に巻き込まれていく。悲しみのなかでも初めて恋を知るペピータ、死刑執行を出産まで延期された信念の姉、「始めるべきではなかった内戦」に翻弄された多くの女たちの「沈黙させられた声」に光を当てる。 (文責:管理人)
★受賞歴・トレビア:
◎サンセバスチャン映画祭2011「銀貝賞」女優賞にマリア・レオン
◎ゴヤ賞2012、新人女優賞マリア・レオン/助演女優賞アナ・ワヘネル/オリジナル歌曲賞“Nana de la hierbabuena”カルメン・アグレダノの3賞受賞。ノミネーションは作品賞・監督賞・主演女優賞(インマ・クエスタ)・新人男優賞(マルク・クロテット)・脚色賞・衣装デザイン賞の6個。
◎シネマ・ライターズ・サークル賞2012、新人女優賞マリア・レオン受賞。ノミネーションはアナ・ワヘネルの助演女優賞、ベニト・サンブラノ&イグナシオ・デル・モラルの脚色賞。
◎スペイン俳優組合賞2012、マリア・レオンとアナ・ワヘネルが各同賞を受賞した。
◎第55回ロンドン映画祭(2011)のヨーロッパ・シネマ部門に出品。
◎トゥリア賞2012特別賞受賞。
◎2011年アカデミー賞スペイン代表作品のプレセレクションに選定されたが、最終的にはアグスティン・ビリャロンガの『ブラック・ブレッド』(10)が選ばれた。
◎ゴヤ賞オリジナル歌曲賞受賞のカルメン・アグレダノは、コルドバ出身のアーティスト、カンタオーラ(フラメンコ歌手)、受賞作の作曲家。2010年12月ハバナ滞在中に本作のために作曲した。(ゴヤ胸像を手にしたアグレダノ、後方はプレゼンテーターのアントニオ・レシネス)

★監督紹介&フィルムグラフィー
*ベニト・サンブラノBenito ZambranoTejeroは、1965年セビーリャのレブリッハ生れ、愛称エル・ガンバ(小エビ)、監督、脚本家。セビーリャの演劇学校で学ぶ。後キューバのサン・アントニオ・デ・ロス・バニョス国際映画TV学校で脚本と演出を学んだ。短編数本を取ったのち、中編“Para qué sieve un río?”(91)、“Los que se quedaron”(93)、“El encanto de la luna llena”(95)を撮る。長編デビュー作『ローサのぬくもり』(99“Solas”)、第2作『ハバナ・ブルース』(05 “Habana Blues”ラテンビート2005)、3作目が本作と極めて寡作な映像作家である。

*サンブラノが有名になったのは『ローサのぬくもり』というより、2002年放映の3回シリーズのTVドラ“Padre Coraje”(「勇敢な父」)である。カディスのヘレス・デ・ラ・フロンテラで実際に起きた殺人事件に材を取っている。延々と続く裁判に業を煮やした父親が、息子を殺害した犯人を自ら捜す決心をする。父親に人気のフアン・ディエゴが扮したこと、まだ係争中の事件ということもあってお茶の間の話題をさらった。
*監督の主な受賞歴:
◎『ローサのぬくもり』、ベルリン映画祭1999パノラマ部門観客賞ほか、アリエル賞2001イベロアメリカ映画銀賞、ブリュッセル映画祭2000国際映画批評家連盟賞、カルタヘナ映画祭2000初監督賞・批評家賞ほか、シネマ・ライターズ・サークル賞、ゴヤ賞2000オリジナル脚本賞・新人監督賞、ハバナ映画祭1999サンゴ賞、トゥリア賞2000観客賞・トゥリア賞ほか
◎『ハバナ・ブルース』、ハバナ映画祭2005サンゴ賞、
ロスアンゼルス・ラテン映画祭2005脚本賞
◎『スリーピング・ボイス~沈黙の叫び~』上記参照
ドゥルセ・チャコンの同名小説の映画化
A: ドゥルセ・チャコン*の小説を「偶然手にしなかったら、この映画は生れなかった」という監督の言葉から、このサフラ出身の夭折の原作者から始めましょうか。
B: まだ公開中なので、これから鑑賞なさりたい方はどうぞ御注意下さい。
A: スペインで最も所得の少ない州と言われるポルトガルと国境を接するエストレマドゥーラ州サフラ出身。サフラは国境の町バダホスとローマ帝国が建設した円形劇場などの観光スポットがあるメリダを直線で結んだ真南に位置した小さな町です。
B: ローマ時代には「銀の道」の中継地として栄えたが、現在でも人口1万7000に満たない小さな町です。彼女が生れた1950年代には人口1万弱でした。メリダからバスで小一時間のところですが本数が少ないから訪れるのはちょっと不便です。
A: チャコンはサフラ出身の著名人の一人に挙げられていますが、父親はフランコ政権下のサフラ市長をつとめた人。彼女自身の言によれば、家族は「保守的なフランコ側に与した右派の富裕階級」に属していたという。父親とは11歳のときに死別、その1年後に母親と双子の姉妹インマとマドリードに移住した。ですからサフラは生れ故郷ではあるが、都会育ちと言えますね。
B: 簡単なキャリア紹介は下記を読んで頂くとして、享年49歳は如何にも早すぎますね。
A: 現在でも膵臓癌は早期発見が難しい癌、分かったときは手遅れが多く、彼女の場合も診断後約1ヵ月後に亡くなっています。病床でも遺作となる『スリーピング・ボイス』の映画化に触れ、監督と「一緒に脚本を書く約束だった」と語っていたそうです。
B: サンブラノが「彼女のためにも早く完成したい」と考えるのは当然、大分掛かりましたが。
A: 保守的な家族に育ちながら、社会的な不公平、不平等には敏感な少女で、下記に列挙した愛読書の詩人作家の名前がそれを証明しています。本作刊行後押し寄せたマスメディアのインタビューでも「許せないのは社会的な不公平」と語っており、オルテンシアのように信念の人でもあったようです。
B: 好きなのは「学ぶこと」、世の中は豊かになったが「背中の後ろは見ることができない」とも。イラク戦争反対とか女性差別に敏感で、集会やデモ行進などにも積極的に参加していたようです。
A: 行動する詩人でもあった。内戦で収監された女性たちの聞き書きを始めた動機も、「今まで自分は勝者の苦悩を語ってきた、勝者の視点で書いていたことに気づいたから」と本作刊行後にメディアに語っています。
B: 証拠書類集めに4年半かけたとありますが。
A: 歴史家と話し、図書館、特に新聞雑誌を集めた資料図書館を訪れて調べたが、最も重要だったのは収監された女囚たちの生の証言だったと。この証言がベースになって物語はできた。現実にあった出来事ですが、勿論登場人物は架空ですね。
B: ドキュメンタリーの手法で書かれていますが、これはドキュメンタリーでもルポルタージュでもなくフィクションです。
A: 多分ジャンル的にはファクション「Faction」(Fact+Fiction)ということになるのかな。限りなく歴史事実に近いがあくまでフィクションという造語です。チャコンもルポルタージュのカテゴリーに入れられることを拒絶しています。「私は詩人です」とはっきり、元女囚たちの誇り、信念、誰も耳を貸してくれなかった考え、社会からずっと無視されてきた不公平に「声」を与えたかった、と語っています。
B: インタビューされた女性たちの誰も恨みを語らなかったが、決して忘れないと。「あったこと」は「なかったこと」にならないということですね。
*ドゥルセ・チャコンDulce
Chacón Gutiérrez(バダホス県サフラ1954年~マドリード2003)の詩人、小説家、劇作家。ペンネーム「Hache」、双子の姉妹インマ・チャコンも作家。父親の死後家族はマドリードに移り、姉妹は寄宿制度の学校で学び、その頃から詩を書きはじめる。愛読書はパウル・ツェラン(ユダヤ教徒の家庭に生まれたルーマニアの詩人、本作の献辞は彼の詩から)、リルケ、セサル・バジェッホ、ホセ・アンヘル・バレンテ(オレンセ生れの詩人)、後にはフリオ・リャマサーレス、ルイス・ランデロ、ジョゼ・サラマーゴなど。ランデロとサラマーゴとはサラマーゴ夫人ピラール・デル・リオを介して深い親交があった。
*1992年第1詩集“Querrán ponerle nombre”、1995年の第3詩集“Contra el desprestigio de la altura”が、イルン市賞を受賞、2000年の小説“Cielos de barro”がアソリン賞を受賞、最も知名度の高いのが2002年刊行の“La voz dormida”(Alfaguara社)である。本作は日本でいうと本屋大賞にあたる「Libro del Año 2003」を受賞している。

(『スリーピング・ボイス』の表紙と2002年頃のドゥルセ・チャコン)
人間の二面性、矛盾を抱えた登場人物たち
A: 原作と映画は別という立場から、当ブログでは原作者に踏み込まないことが多いのですが、今回は少し深入りしました。というのも日本の観客にとって必要と思われるスペイン内戦前夜、内戦そのものが語られていないため、国民戦線(フランコ側)は悪、共和国軍は善というような安易な誤解を招かないようにしたかったからです。
B: 内戦は非常に複雑でどちら側から照射するかで解釈は正反対になる。内戦をテーマにするのは危険と背中合わせです。サンセバスチャン映画祭でプレミアされたとき、かなりイライラした観客がいたことがそれを物語っています。
A: 監督は旗幟鮮明の人ですが、原作者は善悪の二元論を一部から非難されたとき、人間の二面性をもつ人物を登場させたと反論しています。つまりペピータは敬虔なクリスチャンでアンチコミュニストだがコミュニストの姉と生れてくる赤ん坊を助けたい、フェルナンド元医師は寝返ったことで良心の呵責に苦しんでいる、メルセデス看守は夫と息子を内戦で失ったフランコ側の人間だが、残された子供を食べさせるため心に痛みを感じながら職務を果たしている。
B: スペイン内戦は第二次世界大戦の序曲のようなもの、スペインの明暗はヨーロッパが握っていた。ファッシズムとコミュニズムの対立という側面が大きく、チャコンは誰が正しく誰が間違っているかを描こうとしたのではない。
A: 映画だとエコヒイキ感が残りますね。もっと抑制と節度をもった描き方ができたんじゃないか。
B: 銃殺刑のシーンは1回で充分とか、ペピータの拷問シーンには目をつぶったとか、それと赤ん坊の洗礼を拒むオルテンシアを恐喝する司祭やセラフィネス尼に代表される教会の描き方がステレオタイプすぎるとか・・・
A: 女囚たちに幼子イエスの人形に口づけを強要するセラフィネス尼や軍事法廷での裁判の描き方、体制の操り人形みたいに描かれたことへの反発はあったようです。
B: かなりカリカチュアされていた印象です。
A: 看守メルセデスを演じたアナ・ワヘネル(読みは正しいでしょうか?)は、ゴヤ賞助演女優賞を受賞しましたが、得な役柄でした。脇役に徹しているから出演本数は多く意外と日本登場も早い。アルベルト・ロドリゲスの『7人のバージン』、サンティアゴ・タベルネロの『色彩の中の人生』(共にラテンビート2006)、翌年のラテンビート上映のダニエル・サンチェス・アレバロの『漆黒のような深い青』、本作で俳優組合助演女優賞を受賞している。
B: でも記憶に新しいのは『バードマン』でオスカーを3個もゲットしたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『ビューティフル』、主人公と同じ死者と会話ができる能力の持主ベア役でしょうか。バルデム扮するウスバルの相談役、これも得な役だった。

(メルセデス看守アナ・ワヘネルとオルテンシアのインマ・クエスタ)
A: 1962年カナリア諸島のラス・パルマス出身、セビーリャの演劇上級学校を出て舞台女優として出発、映画デビューはアチェロ・マニャスのデビュー作“El Bola”(2000)、ラテンビートが始まっていたら絶対上映された映画です。主人公のフアン・ホセ・バジェスタが子役ながらゴヤ賞新人男優賞を受賞した話題作でした。
B: サンブラノ監督との接点は、上記したTVドラのミニシリーズ“Padre Coraje”出演かもしれない。映画、舞台、テレビの三本立てで活躍している。
A: 反対に損な役柄だったのがセラフィネス尼に扮したスシ・サンチェス、1955年バレンシア生れ、彼女もワヘネルと同じく大柄で主役には恵まれず脇役が多い。彼女も映画、演劇、テレビと忙しい。公開作品ではビセンテ・アランダの『女王フアナ』のイサベル女王役、同監督の『カルメン』、ラモン・サラサールの『靴に恋して』、アルモドバルの『私が、生きる肌』、『アイム・ソー・エキサイテッド』など、両方とも母親役だった。ラモン・サラサールの最新作“10.000 noches en ninguna parte”でアルコール中毒の母親を演じて、ゴヤ賞2014助演女優賞にノミネーションされた。
B: クラウディア・リョサの『悲しみのミルク』、ヒロインのマガリ・ソリエルを家政婦として雇うピアニスト役、これは主役級に近かった。
A: ペルー映画としてアカデミー賞2010外国語映画賞に初めてノミネートされた。
B: 実力があるのに脇役なので日本語版のカタログやサイトでは二人とも紹介してもらえない。

(スシ・サンチェス“10.000 noches en ninguna parte”から)
誰もが認めたマリア・レオンのペピータ
A: 「世論を操る危険をはらんでいる」「描写が感情的すぎて却って効果を弱めている」などとイチャモンをつけた批評家も、突然彗星のように現れたマリア・レオンには脱帽した。サンセバスチャン映画祭で女優賞を貰って、翌年のゴヤ賞新人女優賞は確実視されていた。
B: 彼女については本作のサイトやパンフでも紹介されているし、兄パコ・レオンのデビュー作“Carmina o revienta”(12)、その続編“Carmina y amén”(13)、特にベレン・マシアスの“Marsella”(14)でキャリア紹介をしています。

(生れてくる子のために信念を曲げることを頼むペピータ)
A: ゴヤ賞主演女優賞ノミネートのインマ・クエスタの対抗馬は、アルモドバルの『私が、生きる肌』のエレナ・アナヤだったから、最初から無理でしたね。『マルティナの住む街』の聡明な女性、『ブランカニエベス』の母親役など強い印象を残している。
B: 舞台で演技を磨き、コメディもこなせる演技派、本作では逃しましたが、いずれゴヤ胸像を手にできますね。

(あくまで信念を曲げないオルテンシア)
A: 共和国派のゲリラ兵(マキMaquis)になったマルク・クロテットはこれからの俳優、オルテンシアの夫役ダニエル・オルギンは監督志望のようですね。
B: マキというのはフランコ体制に反対して内戦後も山中で戦いつづけた共和国派のゲリラ兵、というか敗残兵ですね。ギジェルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』(06)にも登場していた。
A: あの舞台は1944年のアラゴン、『ブラック・ブレッド』(10)は1949年カタルーニャの山村と、内戦終結は名ばかりで、水面下ではスペイン全土で戦いは続いていた。誰が味方で誰が敵か、疑心暗鬼で息をひそめて暮らしていたのが現実だった。
B: 内戦の犠牲者は大雑把に75万から80万に近いと言われていますが、内戦中の餓死者5万、刑務所内での死者20万のうち病死の殆どが餓死だったという。戦闘で亡くなった人に匹敵します。
A: 内戦に限らず「始めるべきではなかった」戦争は今も世界のあちこちで続いている。

(危険な逢瀬、ペピータとパウリノ)
*“Carmina y amen”の記事はコチラ⇒2014年04月13日
*“Marsella” の記事はコチラ⇒2015年02月02日
*パコ・レオンの記事はコチラ⇒2014年12月27日
アントニオ・レシネス*映画アカデミー新会長 ― 2015年05月11日 16:27
厄介ごと“marrón”を引き受けたアントニオ・レシネス
★5月9日、正式に新会長に承認されました。本当は引き受けたくなかったようですが、真面目で誠実、ユーモアのセンスで困難を乗りきるだろう、というのが巷の大方の意見です。第一副会長のグラシア・ケレヘタ監督並びに第二副会長の製作者エドモン・ロチの3人の顔ぶれについては既に紹介しております(コチラ⇒4月3日)。

(スペイン映画アカデミーの新旧二人の会長)
★基本路線は前会長エンリケ・ゴンサレス・マチョを踏襲すると明言して承認されたわけですが「行政機関との関係には流動性をもたせたい」と新会長は語っている。これから理事会というか執行部のメンバー14名の選出が始まりますが、各々専門分野から満遍なく選ばれるようです。監督、脚本、撮影、音楽、美術、特殊効果、衣装デザイン、編集、アニメ、等などです。理事会の任期は6年、選挙は本部での投票、郵便、オンラインから選ぶことができる。
★ラホイ国民党政権というか文化省との不協和音はずっと鳴りっぱなしですが、去る4月半ば、関係修復改善の昼食会が、モンクロアの首相官邸で行われました。モンクロアは17世紀に建造された宮殿ですが、1977年よりスペイン首相官邸となっています。政府側からはラホイ首相、マリア・ドロレス・コスペダル幹事長、アカデミー側からはレシネス新会長、製作会社モレナ・フィルム*のフアン・ゴルドン、ダニエル・カルパルソロ監督などが出席した。どうして肝心の文化相以下、お役人たちが出席していないかというと、コスペダル幹事長の肝いりで開催されたから。文化省内には自分たちの頭越しに企画された会合が気に入らずカンカンに怒っている人もいるとか。いやはや、こんなことで修復改善はできるのでしょうか。
*Morena Films :1999年設立の映画製作会社、フアン・ゴルドンは設立者の一人。ダニエル・モンソンの『プリズン211』(09)、イシアル・ボジャインの『雨さえも~ボリビアの熱い一日~』(10)、パブロ・トラペロの『ホワイト・エレファント』(12)、ダニエル・カルパルソロの『インベーダー』(12)など話題作を送り出している。
★アメリカとキューバも仲直りしたいと握手しましたが(脚は蹴飛ばしあっている?)、こちらの対立はなかなか根深い。2時間半の昼食会で、何が話題になったかというと、勿論映画は当然ですが、映画新法、負債の割り当て、消費税21%の削減、ラホイとレシネス両人が最近読んだという推理作家フィリップ・カー(1956年エディンバラ)にまで及んだとか。推理小説「ベルリン三部作」、ファンタジー・シリーズ「ランプの精」など邦訳も多い英国スコットランドの作家。日本ではちょっと考えられない話題だよ(笑)。
★消費税21%は如何にも高い、EU内でも最高らしく、これは交渉の余地があるようだ。しかし経済・大蔵省の管轄で文化省がどうこうできる問題ではない。政府が約束した助成金の支払いも遅れているようで、プロデューサーたちからは多くの不満が噴出している。総額1400万ユーロに達する支払いを分割して支払うことが決まっているが実行されていないようです。銀行側が製作側を信用してくれることが必至だが、政府が資金を渡してくれないので信用して貰えない。どうも上手く機能してないようです。
アカデミーはどんな仕事をするの?
★大きい仕事はゴヤ賞の選定、授賞式の開催ですが、その他にも上記のような交渉をやらねばならない。今年、第8回を数える「映画フェスティバル」の企画もその一つ。間もなく始まります(5月11~13日)が、各セッション総入れ替えでチケット代3分の1の2.90ユーロで見ることができる。昨年は延べ8700万人の観客が押し寄せた。ハリウッドに代表される外国映画がお目当てですが、スペイン映画も見てもらえる。今年はまだ大ヒット作はないようですが、「マラガ映画祭」でご紹介した作品賞受賞のダニエル・グスマンのデビュー作“Cambio de nada”、ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスの“Tiempo sin aire”、時間切れでご紹介できなかったマヌエラ・モレノの“Cómo sobrevivir a una
despedida”、アレホ・フラの“Sexo fácil, pelicula tristes”、他にガルシア・ケレヘタの悲喜劇、マリベル・ベルドゥ主演“Felices 140”などが人気を呼んでいる。
★スペイン国営テレビの「La 2 de TVE」を通して、“Historia de nuestro cine”というプログラムが始まる。1930年代から2000年まで言わば「スペイン映画史」みたいな番組、厳選した690本を3年がかりでゴールデン・タイムに放映する。こんな企画もアカデミーの仕事です。お茶の間が名画劇場に早変わりする。古くはエドガル・ネビーリェ、ブニュエル、ガルシア・ベルランガ、まだフラメンコ映画など撮っていなかった頃のサウラ、初期のアルモドバル作品、などが続々登場します。これについては次回にUPします。

(ガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』1952)
◎ダニエル・グスマンの記事は、コチラ⇒2015年4月12日
◎ルケ・アンドレス&サムエル・マルティン・マテオスの記事は、コチラ⇒2015年4月26日
◎グラシア・ケレヘタの記事は、コチラ⇒2015年1月7日
スペイン国営テレビTVEが「名画劇場」に変身 ― 2015年05月14日 12:32
スペイン映画690本がプライム・タイムに放映される

★正式なプログラム・タイトルは“Historia de nuestro cine”、チャンネルはLa 2 de TVE、今週の月曜日(5月11日)から始まりました。月曜から金曜日の午後10時から、この時刻がスペインのプライム・タイム、日本とは大分違います(宵っ張りもありますが、季節によっては午後9時でも明るい)。向こう3年掛かりで1930年代から2000年までの作品690本です。
★第1週目は5月13日からカンヌ映画祭が始まるのに呼応して、受賞作及び正式出品作品から選ばれたようです。元来は曜日ごとに年代分けがあります(後述)。
*月曜『ようこそマーシャルさん』(1952)ガルシア・ベルランガ監督
カンヌ1953、コンペティション正式出品、ユーモア映画賞&脚本賞受賞、映画祭上映、未公開
*火曜“La niña de luto”(1964、直訳『喪服の少女』)マヌエル・スメルス(サマーズ)監督
カンヌ1964、コンペティション正式出品、未公開
*水曜『根なし草』(1951)ホセ・アントニオ・ニエベス・コンデ監督
カンヌ1952、コンペティション正式出品、映画祭上映、未公開
*木曜『無垢なる聖者』(1983)マリオ・カムス監督
カンヌ1984、コンペ正式出品、パコ・ラバル&アルフレッド・ランダ主演男優賞受賞
マリオ・カムス、エキュメニカル審査員スペシャル・メンション受賞、1986年5月劇場公開
*金曜『ビリディアナ』(1961メキシコとの合作)ルイス・ブニュエル監督
カンヌ1961、コンペティション正式出品、グランプリ受賞(現在のパルムドールに当る)
1964年10月劇場公開
★第1回目はガルシア・ベルランガの『ようこそマーシャルさん』が選ばれた。やはりというか誰が見ても納得の選択でしょうか。スペインで最も国民から愛された監督といわれるベルランガ、しかし日本では映画祭上映はあっても劇場公開作品ゼロはいかにも残念です。また「パルムドール」の名称は1990年から使用されようになったので、当時の最高賞は「グランプリ」です。
『無垢なる聖者』は、当ブログでアップしています⇒2014年3月11日 ①②

(『ようこそマーシャルさん』から)
★月曜から金曜までの年代分けは:
月曜:1930年代~1940年代
火曜:1950年代~1960年代
水曜:1970年代
木曜:1980年代
金曜:1990年代~2000年まで
*放映前にイントロとして専門家のグループによる作品解説がつく。一般の視聴者にはクラシック映画では時代背景や映画技術の解説がないと理解しにくい配慮と思われます。以前スカパーで放映されていた「スペイン・チャンネル」でも20分ぐらいの解説付きでした。作品だけを見たい人はずらして見れば問題なしです。TVで一度も放映されなかった映画からも選ばれるそうです。因みに第1回の解説者は映画史家のルイス・E・パレス、プレゼンテーターはエレナ・S・サンチェスです(1979年アビラ生れ、マドリードのコンプルテンセ大学ジャーナリズム科卒、2000年からテレビの司会者、ゴヤ賞、アストゥリアス皇太子賞の授賞式のプレゼンターなど若手ながら重責をこなしている)。

(エレナ・S・サンチェス)
★1930年代からというのはトーキー時代からで無声映画は含まれないのでしょうか。予定作品には、エドガル・ネビーリェの“El crimen de la calle de Bordadores”(1946直訳『ボルダドーレス街の犯罪』)、ブニュエルの『皆殺しの天使』(1962)、カルロス・サウラの『カラスの飼育』(1976)、ホセ・ルイス・クエルダ“Amanece, que no es poco”(1988意訳『とにかく夜が明けるんだから』)、アルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)など。エドガル・ネビーリェは貴族の出で、映画監督のほか外交官、作家、戯曲家、画家と多才な人、スペイン映画に残した功績は大きい。ホセ・ルイス・クエルダは『にぎやかな森』のほうが有名だが、個人的にはこちらのほうが好み、タイトルもそうだが映画も人を食ったオハナシです。どんな解説がされるのか興味津津。いずれアップしたい。
★作品選定は、こんな人がやっています(写真左から順番に、現在の肩書)
* ハビエル・オカーニャ:批評家、エル・パイス紙の映画欄の常連コラムニスト
* エレナ・S・サンチェス:ジャーナリスト、テレビ司会者、2014よりCine de Barrioの司会者
* ルイス・E・パレス:映画史が専門の歴史家(本プログラムのコーディネーター)
* ホセ・ラモン・ディエス(中央):TVEのディレクター
* フランシスコ・キンタナル:TVEのディレクター
* フェルナンド・メンデス≂レイテ:本プログラムのプロデューサー
* ホセ・ルイス・ガルシア・サンチェス:本プログラムのプロデューサー

他にTVEの「映画の顔」になっている女優のカジェタナ・ギジェン・クエルボ、プロデュサーのエンリケ・セレソ、ホセ・フラデ、勿論映画アカデミー会長アントニオ・レシネス、エトセトラ。
★番組制作費の分担とか問題は山積しているようですが、とにかく“Historia de nuestro cine”号は発車しました。
スペイン語映画はコンペにゼロ*カンヌ映画祭2015 ① ― 2015年05月16日 12:44
何とも寂しいスペイン語映画「開店休業」
★何回見直してもスペイン語映画はコンペに見当たらない(笑)。メキシコの監督マイケル・フランコの第3作“Chronic”は、残念ながら言語は英語です。第2作『父の秘密』が劇場公開され、当ブログでもアップしたが(⇒2013年11月20日)、今回はどうしたものか思案中。スペインのメディアも「カンヌのカルティエが武装した4人の強盗団に襲われる。損害額は1750万ユーロ」などと映画祭とは直接関係のないニュースを伝えている。円に換算するといくらになるか考えるのも面倒だと八つ当たり。

★今年は5月13日から24日まで。第68回カンヌ映画祭のポスターは、2015年生誕100周年を迎えるイングリッド・バーグマンに捧げられている。撮影はポーランド生れ、米国籍の写真家デヴィッド・シーモア(ダヴィド・シミン1911~56)が撮ったもの。第二次中東戦争(スエズ危機のほうが通りがよいか)の取材中スエズ運河で銃弾に倒れた戦場の写真家。バーグマンとは親しい友人関係、管理人の記憶が正しければ恋人同士だった。彼女がロッセリーニの元に走ったあとも一家のポートレートを専属に撮っていた。かつての銀幕の女王と戦場に散った写真家へのオマージュが込められているのだろうか。シンプルで近年にない出色の出来栄えじゃないか。「ある視点」部門の審査員長を務める娘イザベラ・ロッセリーニは「大女優のママと一緒に赤絨毯を歩いて感無量」と語っている。つまり会場と言わず通りと言わずママのポスターだらけだからです。

(審査委員長のコーエン兄弟、左が兄ジョエル、弟イーサン)
★スペイン語映画はゼロでも審査員にはギジェルモ・デル・トロ監督、女優のロッシ・デ・パルマの名前があった。デル・トロは背広を新調しなければならなかった。「どうしてかって? 減量に失敗して前のが着られなかったからさ」と。ロッシ・デ・パルマは来年にはアルモドバル監督と一緒に来カンヌかな。新作“Silencio”に出演、こちらはクランクイン前から2016年3月18日公開が決定している。因縁めくがバーグマンの孫娘とは大学で知り合ったという。凄い美人だったが映画には興味がなかったようです。

(左から、ギレンホール、デル・トロ、イーサン・コーエン)
★審査員長はジョエル&イーサン・コーエン兄弟、2007年からカンヌの総指揮をしているティエリー・フレモーから打診があったとき、「一度にまとめて世界の良作が見られるなんて、何とラッキーなんだ、と兄弟一致して引き受けた」と兄。二人は審査員を二つのグループに分けて議論する予定だそうです。まだ先の話ですが、ジョエル・コーエンの奥さんというか、『ファーゴ』の妊娠8カ月のガンダーソン署長役フランシス・マクドーマンドが、サンセバスチャン映画祭の審査員として来西するようです。
★二つに分けられる審査員には他に、俳優のシエラ・ミラー、ソフィー・マルソー、ジェイク・ギレンホール、作曲家のロキア・トラオル(マリ共和国出身、パリ在住)、監督枠としてグザヴィエ・ドランの名前もあったのには(!)。以上で分かるように何とも異質な船頭さんの審査員団、デル・トロとドランだなんて「船頭多くして舟、山に登」らなければいいけど。ジェイク・ギレンホールの父親はバーグマンと同じスウェーデン出身、「彼女とウチの家族が何か繋がりがあればよかったのにぃ」だそうです。

(ロッシ・デ・パルマ、ソフィー・マルソー)
*アルモドバル新作“Silencio”の記事はコチラ⇒2015年3月15日/4月5日
★カンヌは映画を見るのではなくビジネスが目的でやってくる世界最大の映画マーケット。スペイン語映画はなくても、自作の売り込み、新作のプロモーションと大賑わい。スペインからはナチョ・ビガロンドが次回作の“Colossal”の宣伝に馳せつけている。ヒロインはアン・ハサウェイ、ということは『ブラック・ハッカー』同様、主要言語は英語かな。

★次はパブロ・ラライン、ベルリン映画祭の審査員賞グランプリを受賞した“El Club”のプロモーションと、次回作“Neruda”の売り込みにやってきている。前者はベルリン映画祭2015で紹介済み(⇒2015年2月22日)、新作はチリのノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの1946年から1948年の間に焦点を絞った伝記映画。キャストはネルーダにルイス・ニエッコ(1962年サンチャゴ生れ)、ネルーダを追いまわす刑事にガエル・ガルシア・ベルナル、二人とも『NO』に出演している。撮影は6月の予定。他にフェルナンド・レオンも現地入りしておりますが、「監督賞間」で触れます。(写真上は詩人ネルーダ)
「監督週間」”A Perfect Day”*カンヌ映画祭2015 ② ― 2015年05月17日 16:15
「監督週間」も「批評家週間」もまとめてカンヌ映画祭
★「監督週間」、新人監督に特化している「批評家週間」は、カンヌ映画祭とは別の組織が運営していることを知ってる人は知ってるが、普通の映画ファンには重要じゃない。同じ時期に同じ場所で開催されるから、正確には別ですけど、同じと思っている(笑)。ノミネーションを受けた各国のメディアも≪カンヌ映画祭≫とひと括りです。区別したい人は「カンヌ映画祭2014」をアップしたとき違いを書いていますのでそちらにワープして下さい。昨年「批評家週間」に選ばれたコロンビアのフランコ・ロジィの“Gente de bien”や最近躍進の目立つコロンビア映画についても紹介しています。 コチラ⇒2014年05月08日
誰も彼もみーんな英語をしゃべってる
★「監督週間」には、フェルナンド・レオン・デ・アラノアの“A Perfect Day”(スペイン題“Un día perfecto”に決定)が選ばれています。製作国はスペインですがオリジナル言語は英語です(スペイン公開8月15日が決定)。ティム・ロビンス、ベニチオ・デル・トロ、オルガ・キュリレンコ、メラニー・ティエリーなどが出演。パウラ・ファリアスの小説“Dejarse llover”に題材を取っている。1995年のバルカン半島の紛争地が舞台ですから重たいかと思うのですが、予告編を見るとちょっと可笑しいシーンも。『月曜日にひなたぼっこ』も深刻なテーマのわりに解毒剤のようなユーモアに富んでいたのを思い出した。コンペティション出品のミシェル・フランコの“Chronic”も英語だったが、こちらはスペイン語タイトルも決まっていない。言語のグローバル化もここまで来るとお手上げだね。二つとも賞に絡んだらアップします。
(写真下は“A Perfect Day”の主要な出演者一同)

(左から、Fedja Stukan、オルガ・キュリレンコ、ティム・ロビンス、
メラニー・ティエリー、ベニチオ・デル・トロ)

(さえないおじさん二人、ティム・ロビンスとベニチオ・デル・トロ)
★監督の次回作は、メデジン・カルテルのドンパブロ・エスコバルの伝記映画を撮る予定とのこと。なんとハビエル・バルデムとペネロペ・クルス夫婦が出演だそうで、2015年末にクランクイン。オーストラリア最東端の町バイロンベイにある美しいビーチで一家揃って2週間の休暇をとっていた。共演はビガス・ルナの『ハモンハモン』以来、ウディ・アレンの『それでも恋するバルセロナ』(08)、結婚後もリドリー・スコットのスリラー『悪の法則』に出演している。言語は英語でしたが、新作はスペイン語と思いたい。スペインから唯一人ノミネーションされたレオン・デ・アラノアは、本作上映と新作プロモーションも兼ねてカンヌ入りしている。

(本作撮影中のレオン・デ・アラノア)

(観客の反応がよくご機嫌な監督とデル・トロ、5月15日カンヌにて)
「批評家週間」にラテンアメリカから2作*カンヌ映画祭2015 ③ ― 2015年05月19日 13:35

秀作の予感がする“La
tierra y la sombra”
★今年54回を迎える「批評家週間」のオフィシャルは7本、うちラテンアメリカから選ばれたのが、コロンビアのセサル・アウグスト・アセベドのデビュー作“La tierra y la sombra”(2015)とアルゼンチンのサンティアゴ・ミトレの“La patota”(2015、“Paulina”のタイトルで上映)の2本です。デビュー作または2作目ぐらいから選ばれるから知名度は低い。しかし新人とはいえ侮れない。ここから出発してパルムドールに到着した監督が結構いますから。まずコロンビアの新人セサル・アウグスト・アセベドの作品から、予告編から漂ってくるのは心をザワザワと揺さぶる荒廃と静寂さだ。

★地元コロンビアでは「1100作品の中から選ばれたんだって」と、このビッグ・ニュースに沸いている。初めて目にする監督だしキャストも、マルレイダ・ソト以外はオール新人のようですが、地元メディアも「この高いレベルをもった映画が、我が国の映画館で早く鑑賞できるよう期待している」とエールを送っている。Burning Blueが主たる製作会社なのも要チェックです。ここでは簡単に紹介しておきますが、後できちんとアップしたい映画であり監督です。
“La tierra y la sombra”(“Land and Shade”)
製作:Burning
Blue(コロンビア)、 Cine-Sud Promotion(仏)、Tocapi Films(蘭)、
Rampante Films(チリ)、Preta Porte Films(ブラジル)
監督・脚本:セサル・アウグスト・アセベド
製作国:コロンビア、仏、オランダ、チリ、ブラジル
データ:2015年、言語スペイン語、97分、撮影地コロンビアのバジェ・デル・カウカ、製作費約57万ユーロ、ワールド・プレミアはカンヌ映画祭2015「批評家週間」

受賞歴・援助金:カルタヘナ映画祭2014で監督賞。2009年コロンビア映画振興より5000ドル、2013年「ヒューバート・バルス・ファンド」*より脚本・製作費として9000ユーロなど
*Hubert Bais
Fund‘HBF’(1989設立):オランダのロッテルダム映画祭によって「発展途上国の有能で革新的な映画製作をする人に送られる基金」、ラテンアメリカ、アジア、アフリカの諸国が対象。当ブログでアップしたコロンビアの監督では、昨年東京国際映画祭で上映された『ロス・ホンゴス』のオスカル・ルイス・ナビアが貰っている。
*本作の記事はコチラ⇒2014年11月16日
キャスト:ハイマー・レアルHaimer Leal(アルフォンソ)、イルダ・ルイスHilda Ruiz(妻アリシア)、エディソン・ライゴサEdison Raigosa(息子ヘラルド)、マルレイダ・ソトMarleyda Soto(嫁エスペランサ)、フェリペ・カルデナスFelipe Cardenas(孫マヌエル)他

(17年ぶりに帰郷した祖父アルフォンソと孫のマヌエル)
プロット:サトウキビを栽培する農民一家の三世代にわたる物語。アルフォンソは17年前、妻と一人息子を捨てて故郷を後にした。老いて戻ったきた故郷は自分の知らない土地に変わり果てていることに気づく。アリシアは土地を手放すことを拒んで家族を守ろうと懸命に働いている。重病のヘラルドは母親を助ける力がない。気丈なエスペランサは姑と共に闘っている。小さなマヌエルは荒廃の真っただ中で成長していた。家族は目に見えない脅威にさらされ家族は崩壊寸前だった。アルフォンソは愛する家族のためにも過去の誤りに直面しなければならなかった。粗末な家と荒々しいサトウキビ畑に取り囲まれた1本の樹、ミクロな視点でマクロな世界を照射する。

(サトウキビ畑で働くエスペランサとアリシア)
解説:背景に前世紀から続いているコロンビア内戦が透けて見える。長い年月をかけて温めてきたテーマを静謐に描いているようだ。脚本執筆中に母親を失い、その中でゴーストのようになった父親、「この映画のテーマは個人的な悲しみから生れた」と監督。そういえば『ロス・ホンゴス』のルイス・ナビアも同じようなことを東京国際映画祭のQ&Aで語っていた。揺るがぬ大地のような女性たち、危機のなかで影のように彷徨う男性たち、平和を知らないで育つ子供たち、ここにはコロンビア内戦の爪痕が色濃く漂っている。ラテンアメリカ諸国でもコロンビアは極端な階層社会、貧富の二極化が進んでいる。二極化といっても富裕層はたったの2パーセントにも満たない。世界一の国内難民約500万人を抱えている国。社会のどの階層を切り取るかで全く違ったコロンビアが見えてくる。
トレビア:製作は5カ国に及ぶ乗り合いバスだが、ラテンアメリカの若い世代に資金提供をしているのが、コロンビアのBurning Blueだ。上述した『ロス・ホンゴス』の他、コロンビアではウイリアム・ベガの “La Sirga”(2012)、フアン・アンドレス・アランゴ“La Playa D.C.”(2012)など、カンヌ映画祭に並行して開催される「監督週間」や「批評家週間」に正式出品されているほか世界の映画祭に招待上映されている。ホルヘ・フォレロの“Violence”はベルリン映画祭2015の「フォーラム」部門で上映、それぞれデビュー作です。アルゼンチンのディエゴ・レルマンの4作目“Refugiado”(2014)にも参画、本作は2014年の「監督週間」で監督キャリア紹介も含めて記事をアップしています(⇒2014年5月11日)。
*セサル・アウグスト・アセベドCésar Augusto Acevedoはコロンビアのカリ生れ、監督、脚本家。『ロス・ホンゴス』の助監督&脚本を共同執筆する。短編“La campana”(2012)はコロンビア映画振興基金をもとに製作した。
*エスペランサ役のマルレイダ・ソトMarleyda Sotoは、カルロス・モレノの力作“Perro come perro”(2008)の脇役で映画デビュー、同じ年トム・シュライバーの“Dr. Alemán”では主役を演じた。麻薬戦争中のカリ市の病院に医師としてドイツから派遣されてきたマルクと市場で雑貨店を営む女性ワンダとの愛を織りまぜて、暴力、麻薬取引などコロンビア社会の闇を描く。本作の製作国はドイツ、言語は独語・西語・英語と入り混じっている。カルロヴィヴァリ、ワルシャワ、ベルリン、バジャドリーなど国際映画祭で上映された。本作も撮影地は“La tierra y la sombra”と同じバジェ・デル・カウカでした。
「批評家週間」もう1作はアルゼンチン*カンヌ映画祭2015 ④ ― 2015年05月21日 20:45
★「正確にはカンヌじゃないが、同じ映画祭のように力があり面白い」批評家週間の続き。もう1本はアルゼンチンから“La patota”、カンヌでのタイトルは“Paulina”です。そう、ダニエル・ティナイレが1960年にモノクロで撮った“La patota”のリメイク版。こちらはベルリン映画祭1961に正式に出品された作品。ヒロインのパウリーナを演じたミルタ・レグランドも孫のナチョ・ビアレと一緒にカンヌ入りの予定でしたが風邪のためキャンセルになったようです。ビアレは本作のプロデューサーの一人です。

★さて、サンティアゴ・ミトレはラテンビート2012で長編デビュー作『エストゥディアンテ』(2011“El estudiante”)が上映されたおり来日しています。まだ当ブログは存在していなかったので第2作目でも初登場です。同映画祭でお馴染みのパブロ・トラペロの『檻の中』(08)や『カランチョ』(10)、『ホワイト・エレファント』(12)の共同脚本家としても活躍しています。他に公開された映画では、オムニバス映画『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(12)の第2話「ジャム・セッション」を監督のトラペロと共同執筆している。1980年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、編集者。本作のパウリーナを演じるのは、昨年ガエル・ガルシア・.ベルナルと正式に離婚したドロレス・フォンシ。新恋人というかフィアンセが監督のサンティアゴ・ミトレ、新婚旅行を兼ねて(?)カンヌ入りしている。

(『エストゥディアンテ』の主人公を演じたエステバン・ラモチェ、本作にも出演)
“Paulina”(オリジナル・タイトル“La patota”)
製作:Union de los Rios, La / Lita Stantic Producciones / Television Federal
(Telefe) ほか
監督・脚本:サンティアゴ・ミトレ
脚本(共同):マリアノ・ジィナス
*1960年版のエドゥアルド・ボラスとダニエル・ティナイレの脚本がベース
撮影:グスタボ・ビアツィ
音楽:ニコラス・バルチャスキー
データ:アルゼンチン≂ブラジル≂仏、2015年、スペイン語・グアラニー語、スリラー、103分、撮影地アルゼンチンのミシオネス州Misiones、製作費:約1000万ARS(アルゼンチンペソ)、アルゼンチン公開2015年6月18日
キャスト:ドロレス・フォンシ(パウリーナ)、オスカル・マルティネス(フェルナンド)、エステバン・ラモチェ、ほか
プロット:弁護士としての輝かしいキャリアをもつブルジョア階級出身のパウリーナの物語。弁護士の仕事をやめ、ミシオネスの貧しい地区に暮らす若者たちを教えようと決心する。そこで起きたこと、それは徒党を組んだ若者の不良グループ「パトータ」からレイプという暴力を受けたことだ。パウリーナは思索的で強い意志をもつ女性だが、扱いにくい気難しい登場人物。極めて政治的な強いテーマをもった映画だが、社会の階級を裁くことが主眼ではない。
解説: パトータpatotaという単語は、アルゼンチンの一種の隠語ルンファルドで、若者の不良仲間を指す。スペイン語ではpanda やpandillaにあたる。カンヌでのタイトルがヒロインの名前に変わったのには、1960年版と同題になるのを避ける意味と言葉の分かりにくさが配慮されたのかもしれない。時代が半世紀も違うからリメイクといってもかなり違った印象を受ける。前作には“Ultraje”(乱暴・侮辱)という別タイトルもある。1960年のアルゼンチンはペロン失脚後、ペロニスタと軍部が対立する混乱期だったことを考えると、よくこんな映画が撮れたものだと驚く。(写真下は、1960年版のポスター、映画はモノクロ)

*パウリーナが赴任するミシオネス州はアルゼンチン北東部に位置し、ブラジルとパラグアイに国境を接している。そのせいでイタリア人、ドイツ人、スペイン人、ポトガル人の他、東欧北欧の人、アラブ人などが混在している。かつては先住民グアラニー族が住んでいた土地であり、今でもグアラニー語が話されている。

(ミシオネスで撮影中のドロレス・フォンシ)
*トレビア*
★ドロレス・フォンシDolores Fonziは、1978年アルゼンチンのアドログエ生れ。デビューは17歳、キャリアも既に20年近くなる。フィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(2001)で共演したガエル・ガルシア・ベルナルと再婚して一男一女の母となるが、2014年に離婚した。現在は本作撮影中に愛が芽生えた監督サンチャゴ・ミトレと婚約中。1960年版の監督ダニエル・ティナイレとパウリーナ役のミルタ・レグランドは夫婦であったから不思議な縁を感じさせる。カンヌは2度目、最初はパブロ・アグエロの“Salamandra”(2007)で「誰もカンヌがこんなに寒いと教えてくれなかった」と。今年は晴天に恵まれているようですが雨が降ると寒い。撮影前に監督からは「撮影終了まで前作を見ないようにと助言されたので見なかったが、今は既に5回見ている」由。「アルゼンチンからの移動と映画のプロモーションでくたくただが、とても満足している」のは、海外メディアの反応がポジティブな評価をしてくれたからのようです。

(恋人二人、ドロレスとサンティアゴ)
★ミトレ監督は、カンヌではかなりナーバスだったらしい。「受け入れには懐疑的でした。この映画は辛くて居心地のよいものではないし、複雑な問題を抱え込んでいるから。でも3回の上映とも観客の入りはよく拍手をたくさん戴けた。カンヌはこの映画が広く配給されるのに役立った。なぜならカンヌは映画のフェスティバルというだけでなく重要な商談の場所でもあるからです」とミトレ。そうですね、映画祭映画で終わることのないよう祈りたい。
★1960年版のパウリーナことミルタ・レグランドは、1927年アルゼンチンのサンタフェ生れ。1940年子役で映画デビュー。夫ダニエル・ティナイレ(1910~94)が撮った“La patota”で「スター誕生」となる。2012年のTVドラ・ミニシリーズ“La Dueña”でマルティン・フィエロ賞(テレビ部門)にノミネートされている。カンヌでは赤絨毯をどんな衣装で歩くのか、暖かいのか寒いのか分からないのでロングドレスを数着もっていく、髪のセットはどこでやるのか、などに心を砕いておりましたが、風邪をこじらせて出発直前の5月12日に出席をキャンセルしたそうです。

(カンヌには行けなかったミルタ・レグランド)
「批評家週間」のグランプリは”Paulina”*カンヌ映画祭2015 ⑤ ― 2015年05月23日 11:43
“La tierra y la sombra”も新人賞を受賞
★ラテンアメリカ勢が大賞を独り占めするなんて。カンヌ本体と並行して開催される映画祭だが、ノミネーションが7作と少ないせいか21日の夜に早々と受賞作品が発表になりました(本体は24日)。アルゼンチンのサンティアゴ・ミトレの“Paulina”(La patota)がグランプリ、コロンビアのセサル・アウグスト・アセベドの“La tierra y la sombra”が作品賞とSACD*を受賞、今年はスペイン語映画が気を吐きました。
*SACD:La Société des Auteurs et Compositeurs Dramatiques 優れた映画・演劇・音楽・舞踊などに与えられる賞のようです。2012年にスペイン出身のアントニオ・メンデス・エスパルサの“Aqui y alla”が受賞しています。同年のサンセバスチャン映画祭で上映、さらに東京国際映画祭2012ワールド・シネマ部門で『ヒア・アンド・ゼア』(西≂米≂メキシコ合作)の邦題で上映されました。

★「受賞を誇らしく思い本当に幸せにひたっています。(ディレクターの)シャルル・テッソンや審査員の方々すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。私たちの映画にこんな大きな賞を与えてくれて、私やこの映画に携わった一同にとって今日は重要な日になりました。また観客と一緒に自分たちの映画を見ることができ、映画がもたらす観客のリアクション、エモーションを共有できました。・・・映画を作ることは信念がなければできません。この映画のテーマはそのことを語ったものです。パウリーナのような特殊な女性を通じて、信念について、公平について、政治について語ったものです」(ミトレ監督談話の要約)

★第1作『エストゥディアンテ』(2011)は政治的な寓話でした。本作のテーマは信念、自分の行くべき道は自分で決めるという選択権についてでした。1960年版の“La patota”と時代は違いますがテーマは同じということです。
★「批評家週間」のディレクターのシャルル・テッソンがノミネーションの段階でサンティアゴ・ミトレの映画を褒めていたので、もしかしたら何かの賞に絡むかと期待していましたが、まさかグランプリを取るとは思いませんでした。監督の喜びの第一声がテッソンや審査員への感謝の言葉だったことがそれを象徴しています。(写真下サンティアゴ・ミトレ監督)

★今年の審査委員長はイスラエルの女優&監督のRonit Elkabetz だったことも幸いしたかもしれません。「主人公が多くのリスクにも拘わらず、体を張って自分の意志を貫こうとする姿に強い印象を受けた」と授賞の理由を語っています。

*“Paulina”(La patota)の記事はコチラ⇒2015年5月21日
*“La
tierra y la sombra”の記事はコチラ⇒2015年5月19日
「監督週間」ラテンアメリカから2作*カンヌ映画祭2015 ⑥ ― 2015年05月24日 11:27
チロ・ゲーラの第3作目“El abrazo de la serpiente”

★「監督週間」ではスペインからはフェルナンド・レオン・デ・アラノアの“A Perfect Day”1作だけということで、言語が英語にもかかわらず簡単に紹介しています。今年はコロンビア映画が意気盛ん、裾野の広がりを実感しています。これからご紹介するチロ・ゲーラは2009年の第2作“Los viajes del viento”がカンヌ本体の「ある視点」に選ばれ、「ローマ市賞」を受賞しています。今回は2度目のカンヌ、主人公の老若2人のシャーマン、カラマカテKaramakateとプロデューサーのクリスティナ・ガジェゴたちと一緒にカンヌ入りしています。

(左から、ゲーラ監督、ニルビオ・トーレス、ドン・アントニオ、クリスティナ・ガジェゴ、
アントワーヌ・セビレ在仏コロンビア大使)
“El abrazo de la serpiente”(2015“Embrace
of the Serpent”)
製作:Buffalo Producciones / Caracol
Televisión / Ciudad Lunar Producciones 他
監督・脚本:チロ・ゲーラ
脚本(共同):ジャック・トゥールモンド・ビダル
撮影:ダビ・ガジェゴ
音楽:ナスクイ・リナレス
編集:エチエンヌ・ブサック
データ:コロンビア≂ベネズエラ≂アルゼンチン、スペイン語他、アドベンチャー・ミステリー、モノクロ、125分、撮影地バウペスVaupésの密林ほか、コロンビア5月21日公開
キャスト:ニルビオ・トーレス(青年カラマカテ)、アントニオ・ボリバル(老年期のカラマカテ)、ヤン・バイヴート、ブリオンヌ・デイビス(エヴァンズ)、ヤウエンク・ミゲ(マンドゥカ)、ミゲル・ディオニシオ、ニコラス・カンシノ(救世主・アニゼット)、ルイジ・スシアマンナ(ガスパー)、ほか

(青年カラマカテ役のニルビオ・トーレスとドイツ人民族学者役のヤン・バイヴート)
プロット:アマゾン川流液に暮らすシャーマンのカラマカテと、聖なる薬草を求めて40年の時を隔てて訪れてきた二人の科学者との遭遇、友好、誠実、意見の食い違い、背信などが語られる叙事詩。カラマカテは自分自身の文明からも離れて一人ジャングルの奥深く隠棲して数年が経った。自然と調和して無の存在「チュジャチャキ」になろうとしていた彼の人生は、幻覚を誘発する聖なる樹木「ヤクルナ」を探しにやってきたアメリカ人植物学者エヴァンズの到着で一変する。悠久の大河アマゾン、文明と野蛮、聖と俗、シンクレティスモ、異文化ショック、ラテンアメリカに特徴的な<移動>も語られるであろう。
*監督キャリア・フィルモグラフィー*
★チロ・ゲーラCiro Guerraは、1981年セサル州リオ・デ・オロ生れ、監督・脚本家。コロンビア国立大学の映画テレビを専攻する。長編デビュー作“La sombra del caminante”(2004)は、トゥールーズ・ラテンアメリカ映画祭2005で観客賞を受賞。第2作“Los viajes del viento”(2009)がカンヌ映画祭での高評価をうけ、多くの国際映画祭で上映された。ボゴタ映画祭2009監督賞、カルタヘナ映画祭2010作品賞・監督賞及びサンセバスチャン映画祭2010スペイン語映画賞などを受賞。(写真下“Los viajes del viento”から)

*解説・トレビア*
★「本作のアイデアは、20世紀初頭コロンビアのアマゾン川流液を踏査したドイツの民族学者テオドール・コッホ≂グリュンベルクとアメリカの生物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテスについての新聞記事に触発されて生れた」とゲーラ監督。「二人が残してくれた記録があったからこそできた映画、そういう意味で先人たちへのオマージュが込められている。コロンビアの国土の半分はアメゾン川流域、しかし現代のコロンビア人の多くは、そこがどういうところか、どんな文化があるのか、どういう人が住んでいるのか、何にも知らない」とも。
★先に訪れたドイツ人コッホ≂グリュンベルク*を造形した役にはベルギー(アントワープ)出身のヤン・バイヴートが扮する。ちょっと雰囲気が本人に似ている。東京国際映画祭2013で上映されたアレックス・ファン・ヴァーメルダムの『ボーグマン』で主役になった俳優。なんとも人を食った神経がザワザワする映画でした。40年後にやってくるエヴァンズには米国の俳優ブリオンヌ・デービスが扮した。リチャード・エヴァンズ・シュルテス**を造形しているようだ。

(左から、マンドゥカ、テオドール、青年カラマカテ、映画から)
*テオドール・コッホ≂グリュンベルクTheodor
Koch-Grünberg(1872~1924)は、ドイツの グリュンベルクに生れ、20世紀の初め南米熱帯低地を踏査した民族学者。第1回目(1903~05)がアマゾン川流域北西部のベネズエラと国境を接するジャプラYapuraとネグロ川上流域の探検をおこない、地理、先住民の言語などを収集、報告書としてまとめた。第2回目は(1911~13)ブラジルとベネズエラの国境近くブランコ川、オリノコ川上流域、ベネズエラのロライマ山まで踏査し、先住民の言語、宗教、神話や伝説を詳細に調査し写真も持ち帰った。ドイツに帰国して「ロライマからオリノコへ」を1917年に上梓した。1924年、アメリカのハミルトン・ライス他と研究調査団を組みブラジルのブランコ川中流域を踏査中マラリアに罹り死去。
**リチャード・エヴァンズ・シュルテスRichard Evans Schultes(1915~2001)は、マサチューセッツ州ボストン生れ、ハーバード大学卒の米国の生物学・民族植物学者。ハーバード大学卒、1941年にアマゾン川高地を踏査している。著書『図説快楽植物大全』が2007年に東洋書林から出版されている。多分聖なる樹木ヤクルナyakrunaも載っているのではないか。
★「チュジャチャキchullachaqui」という語は一種の分身らしく、語源はケチュア語で感情や記憶をなくした空っぽの無の存在になることのようです。言語は予告編からはスペイン語以外のカラマカテのセリフはちんぷんかんぷん、先住民の言語でしょう。当然ドイツ語、英語も混じっているはずです。二人のカラマカテはネイティブ・アメリカンです。

(監督とプロデューサーのクリスティナ・ガジェゴ、カンヌにて)
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★この「監督週間」には、チリのマルシア・タンブッチ・アジェンデのドキュメンタリー“Allende, mi abuelo Allende”も選ばれていますが、これは今春「我が祖父、アジェンデ」の仮題でアップしたばかりなので割愛いたします。「もう一つの9・11といわれるチリの軍事クーデタ」で自ら生を絶ったサルバドール・アジェンデ大統領の遺族のその後を辿ったドキュメンタリー。監督は大統領の孫娘です。作品紹介並びに監督紹介もしております。写真下は祖父アジェンデに抱かれた監督(左)と従姉マヤ、アジェンデ夫人。

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