『無垢なる聖者』 マリオ・カムス②2014年03月11日 13:59

                  カンヌをうならせたラバルとランダのデュオ

 

: フランシスコ・ラバルトとアルフレッド・ランダが「カンヌ映画祭1984」で、主演男優賞を揃って受賞した。カムス監督もエキュメニカル審査員スペシャル・メンションを受賞しました。

: まだ最高賞はパルムドールではなくて(1990年から)、グランプリと言われていた。これがヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』、監督賞が『田舎の日曜日』のベルトラン・タヴェルニエ、国際批評家連盟賞にテオ・アンゲロプロスの『シテール島への船出』などが受賞した凄い年でした。

 

: 価値ある受賞ですが、ランダもイバンの狩りのお供で「狩猟犬」の演技までやらされるとは思わなかった()

 アルフレッド・ランダは製作者のフリアン・マテオスから「パコは君がやれ」と言われ、どんな役かシナリオも読まずに「ハイ」と即答した。パコになりきるためエストレマドゥラ訛りのアクセント練習をしたが、結局そんなことは些細なことになったと。役作りに熱心なタイプですが、自然体がいいということですかね。

: 彼は牛追い祭で有名なパンプローナ(ナバラ州、1933)生れ、マジメだから必要と考えたんでしょ。

: サンセバスチャンで法律を学んだ後、マドリードに出て舞台に立ったり、吹替え声優の仕事をしたりした。映画デビューは1962年のホセ・マリア・フォルケのAtraco a las tres、この映画はスパニッシュ・コメディの成功作の一つ、翌年ガルシア・ベルランガの代表作El verdugo(仮題「死刑執行人」)に墓掘り人役で出演するなど、役者として幸運な滑り出しをしています。

 

: ホセ・ルイス・クエルダの『にぎやかな森』(1987)では主役を演じています。

: 3桁になる本数の映画に出演していますが主役が多い。当時コメディアンとして彼ほど貴重な存在はなかったということでしょうか。「第2回スペイン映画祭1989」の上映作品、同じ邦題で1990年に公開されました。同年公開されたアルモドバルの『欲望の法則』(1987)もこの映画祭の上映作品です。

 

 


: さて、パコは子供たちを学校に行かせたい。折りも折りドン・ペドロから「長くよく働いてくれたから」と母屋のある荘園の守衛に抜擢される。

: 藁ぶきのローソクの家から電気のつく家に引っ越せることになり、あそこなら子供たちを学校に行かせられる。特に賢いニエベスを早く学ばせたい。ところがドン・ペドロはニエベスを女中として使いたい。パコ夫婦の望みは雇い主の一言であえなく絶たれてしまう。

: 60年代当時、辺境の地では親の世代が無識字なのは分かるとして、子の世代もろくすっぽ教育を受けてない。日本では中学卒業で仕事につくのは、もはや少数派、東京五輪開催が1964年と考えると、その段差に絶句する。もう一人の受賞者フランシスコ・ラバルの「ミラーナ・ボニータ」が耳から離れません。

 

: キャスティングに難航したのが、このアサリーアスとレグラの兄妹役と言われています。フランシスコ・ラバルはブニュエルに可愛がられていたようで、「おじさん、おじさん」と呼んでいたとか。『ナサリン』(1958)、メキシコからヨーロッパに回帰した第1作品『ビリディアナ』(1961)、『昼顔』(66)などに出演、ブニュエル映画に出演した数少ないスペイン俳優です。

: ブニュエルは1984年には既に鬼籍入り(83729日)、生きていたら「おじさん」も喜んでくれたことでしょう。ゴヤ賞が始まっていれば二人とも主演男優賞受賞間違いなしでした。

 

: ラバルは1926年ムルシア生れ、アサリーアスは60歳ぐらいの設定ですから、だいたい同年齢を演じたことになります。内戦が勃発したとき10歳、両親とマドリードに移住、内戦終結後の1939年に早くも家計を助けるため働きだしています。昼間働き夜間中学で学んだ苦学の人でもあった。映画界に入ったきっかけは、内戦後に設立された映画スタジオ「チャマルティン」の電気技師のアシスタントをしていたとき、ラファエル・ヒル監督の目に留まってLa pródiga1946)に出演したからでした。晩年の彼からは想像もできない凄い美青年でした(写真参照)。

 


: 内戦を生き延び、フランコ時代を生き延び、生涯でエキストラやテレドラを含めると200本を超す作品に出演しています。

: ランダと同じく、彼については切り売りみたいな紹介はしたくないので、ゴヤのボルドーでの最晩年を描いたサウラのGoya en Burdeos1999未公開、仮題「ボルドーのゴヤ」)の紹介を予定しているので、そちらに回したい。

: ゴヤ賞2000で涙の主演男優賞を初めて受賞した作品、マルベル・ベルドゥがアルバ公爵夫人になった。翌年死去したので、数あるゴヤ賞授賞式でも思い出深いものがあります。

: 何はともあれブニュエル、サウラ、アルモドバル、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニやルキノ・ヴィスコンティ、フランスのクロード・シャブロル、ブラジルのグラウベル・ローシャなどに起用された。彼ほど国際的な活躍をしたスペイン俳優を私は知りません。

 

: 忘れてならないのが、カムス監督の『蜂の巣』(1982)出演、翌年ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した折りには、日本では「マリオ・カミュ、蜜蜂の巣箱」と紹介されたそうですね。

: カミロ・ホセ・セラの同名小説、ノーベル賞受賞は1989年、まだ受賞前だったから仕方ありません。作家本人もカメオ出演しています。前出のリカルド・フランコの『パスクアル・ドゥアルテ』も、セラの『パスクアル・ドゥアルテの家族』の映画化でした。この映画祭にはフランコ監督も来日しています。映画をスクリーンで見る機会はなさそうですが、両方とも翻訳書が出ていますから、まずそちらから。

 

                    テレレ・パベスの≪目の演技≫に涙

 

: また脱線しました。ラバルは一応おしまいにして、レグラ役のテレレ・パベスに行きましょう。彼女はスペインでは押しも押されもせぬ現役大女優ですが、『無垢なる聖者』のレグラ役は正にハマリ役と言っていいですね。

: 日本では、ヘラルド・ベラのLa Celestina1996)の娼館の主セレスティーナ役が有名。人気爆発のペネロペ・クルスが出演したせいか、未公開ながら『情熱の処女~スペインの宝石』の邦題でビデオ&DVDが発売された。

 

B: ペネロペ以外も当時の旬の人気俳優をズラリと揃えた目の保養になる映画でした。パベスはこの老売春斡旋者役でサン・ジョルディ女優賞とスペイン俳優連盟女優賞を受賞しました。

: ゴヤ賞にはマリベル・ベルドゥがノミネートされ、彼女は候補者にもならなかった。やっと今年アレックス・デ・ラ・イグレシアのLas brujas de Zugarramurdi で「五度目」の正直、念願のゴヤ賞を初ゲットした。既にゴヤ賞2014助演女優賞欄で少し紹介しておりますが、ちょっと追加いたします。1939年ビルバオ生れの74歳、本名はテレサ・マルタ・ルイス・ペネーリャ、生れこそビルバオですが育ったのはマドリード。

 

: 彼女の一族はスペインでは芸術家一家として有名です。

: 祖父が作曲家のマヌエル・ペネーリャ・モレノ、政治家の父親ラモン・ルイス・アロンソと母親マグダレナ・ペネーリャ・シルバの三女、長女がエンマ・ぺネーリャ(1930)、次女がエリサ・ルイス・ぺネーリャ(芸名エリサ・モンテス1936)、テレシータ・シルバが叔母で、エンマ・オソレスは姪にあたる。

: 系図を作成しないと()。要するに親戚一同女性陣は女優なんですね。エンマ・ぺネーリャは、ガルシア・ベルランガのEl verdugo1963)で処刑人の娘を演じた女優さんです。

 

: パベスの映画デビューは12歳、そのガルシア・ベルランガが撮ったNovio a la vista1953、仮題「一見、恋人」)でした。苗字パベスは、母方の祖母エンマ・シルバ・パベスを継いだそうです。それぞれ一族が名前で混乱しないよう区別するための工夫とか。

: アレックス・デ・ラ・イグレシアがゴヤ監督賞を受賞した『ビースト、獣の日』(1995)の他、『みんなのしあわせ』(2000、ゴヤ助演ノミネート)、『800発の銃弾』(2002)、『気狂いピエロの決闘』(2010、ゴヤ助演ノミネート)などにも出演しています。

 

: 女性にしては体形ががっしりして声がかすれていることで損をしています。製作側からは性格も自尊心が高く気難しく扱いにくい「うるさ型の女優」と敬遠されがちです。

: 映画でもドン・ペドロが夫のパコより妻のレグラに一目置いて気を使って怖がっていた。

      


: しかしデ・ラ・イグレシアに言わせると、頭が良くて演技力はバツグンと太鼓判。本作でも一旦帰郷したキルセがマドリードに去るシーン、だんだん小さくなっていく息子の背中を夫婦は無言で見送る。「どうぞ泣いて下さい」という映画じゃないのに、ここにくると必ず涙腺がゆるんでしまう。二人のベテラン勢の目の演技には降参です。キルセが光に向かって旅立つテーマ的に重要なシーンでもあった。

: フランコ時代の目に見えない変化を捉えたシーンです。

: デ・ラ・イグレシアは、あまり知られていないことだが人を「笑わせる才能」に富んでいるとも言ってます。二人は性格が似ているのかもしれません。新作Las brujas de Zugarramurdiではカルメン・マウラともども魔女役に扮する由、今年もっとも公開が待たれる映画です。

 

            描きたかったのは「人間、風土、パッション」

 

: 支配階級・金持ち・悪人VS下層階級・貧乏人・善人、など二項対立の描き方がプロトタイプという印象があります。

: 強者と弱者の描き方ですね。しかし最後に強者は死をもって敗北する。強いから生き残れるわけではない。「吊るされる」に値する強者のエゴイズムを描かなければ、観客は納得して映画館を出られませんよ()

: 散見する「社会の底辺に生きる人々を描いた作品」という紹介の仕方はどうでしょうか。

: 「底辺とは何ぞや」、定義は難しい。この役をやることでフアン・ディエゴは観客から憎まれたそうですから、役者冥利に尽きるというものです。

 

: イバンに女房を寝取られそうなドン・ペドロは、退屈のせいで頭痛持ちの妻プリータを陰では「女狐」と吐き捨てている。

: ドン・ペドロは、イバンの妻が一緒に来なかったことで余計に不安がつのっている。イバンの家庭も崩壊しているのですね。大地主とはいえ侯爵家のイバンには勝てない、女房を叩くこともできない、フラストレーションの固まりになって二人を憎んでいる。

 

: この悲劇的な物語の核は、敵対する、憎み合っている二つの世界が隣り合って存在していること、アサリーアスのパッションとイバンのパッションが異なっていることです。

: スペインの「パッション」には、大きく分けて情熱と受難という二つの意味があり、多分両方の意味を含ませていると思います。デリーベスはこの小説の構想は「人間、風土、そしてパッション」を描くことから生れたと語っています。

 

: 一貫してリアリズムで進行しますが、センチメンタリズムとは無縁です。

: アサリーアスもイバンも二つの世界のシンボルとして登場している。アサリーアスは侯爵家の娘ミリアムに「ミラーナ・ボニータ」が可愛いから見せたい。うなり声を上げるラ・ニーニャ・チカも「ミラーナ・ボニータ」だから見せたいのですが、それはミリアムの世界では理解できない。

 

: 象徴的なのは、ぐずっている少女をアサリーアスが抱くと静かになる。無垢なる二人はテレパシーで繋がっている。それでアサリーアスのシラミが少女にたかって、レグラはシラミ取りをする羽目になる。

: リリシズムが全編を横溢するなかで、笑いを誘う数少ないシーンです。キルセが兵役についている間に一人は「天使のような死に顔」で旅立ってしまい、もう一人も町の精神病院に入れられてしまう。ここで暮らすのはパコ夫婦だけになる。

: 荘園の守衛を解雇され、倒壊しそうな元の藁ぶきの家に戻っている。

: 映画は何も語りませんが、このような重要な変化を見過ごすとテーマを見失ってしまう。ここ辺境の地を流れる地下水も少しずつ変化している。「社会の底辺に生きる人々を描いた」作品ではあるが、それを描くことが主題ではないということです。

 

: アントン・ガルシア・アブリルの音楽もフォルクローレを取り込んだ個性的なもの、あの「アサリーアスのテーマ」が流れてくると不安になってくる。

: 効果的に挿入されています。『無垢なる聖者』というと、このギーギーと「ミラーナ・ボニータ」を思い出してしまいます。

 

: 撮影のハンス・ブルマンの美しい風景描写、巧みなロングショットとクローズアップ、きらびやかさと薄暗さの場面展開も印象的でした。

: 光(純白)と闇(漆黒)の切り替えですね。ブルマンは1937生れで、カムス監督と同世代。カムスとのタッグは1973年のLa leyenda del alcalde de Zalamea以来10作ぐらいあり、勿論『蜂の巣』も、ゴヤ賞ノミネートのLa rusa1987)、最新作といっても2007年だがEl prado de las estrellasも撮っている。カムスは引退しても、ブルマンはペースこそスローダウンしているが現役です。

B: アメナバルの『テシス』や『オープン・ユア・アイズ』も彼が撮っている。スペインだけでなくキューバのトマス・グティエレス・アレアの遺作「グアンタナメラ」、フアン・カルロス・タビオの『バスを待ちながら』やEl cuerno de la abundanciaなども手掛け、凄い仕事量です。

 

: さてシンガリは監督紹介、1935年サンタンデール生れのカンタブリアっ子。最初法学を専攻していたが映画に方向転換、1956年に国立映画研究所に入学、第1El borracho1962)は卒業制作として撮った短編です。まず脚本家として出発、カルロス・サウラの『ならず者』(1959)の共同執筆者の一人。またアルゼンチンのアドルフォ・アリスタラインの『ローマ』(2004)、ピラール・ミローの“Beltenebros”(1991)なども手掛けています。

 


: マリオ・カムスといったら文芸路線の監督というイメージが強い。やはり国際的に認められた『蜂の巣』と『無垢なる聖者』に尽きるのかな。

: そんな。文芸路線の監督には違いありませんが。テレビ・シリーズも数多く手掛けており、なかでペレス・ガルドスの小説の映画化『フォルトゥナータとハシンタ』は、1981年にTVシリーズに与えられるテレビ・パフォーマンス金賞を受賞した。フォルトゥナータに扮したアナ・ベレンもベスト女優賞を受賞しています。2007年を最後に撮っていないせいか、2011年に75歳でゴヤ栄誉賞を受賞してしまった。

 

    カムスの代表作品&受賞歴

1964  Young Sánchez マル・デル・プラタ映画祭1964スペシャル・メンション賞受賞。イグナシオ・アルデコアの小説の映画化

1968 Volver a vivir  商業的に成功した映画

1970  La cólera del viento 商業的に成功した映画

1972 La leyenda del alcalde de Zalamea ロペ・デ・ベガの小説の映画化

1975 La joven casada  商業的に成功した映画

1975  Los pájaros de Baden- Barden イグナシオ・アルデコアの小説の映画化

1978  Los días del pasado 

1982 La colmena 省略

1984 Los santos inocentes 省略

1985  La vieja música 

1987  La casa de Bernarda Alba ガルシア・ロルカの小説の映画化

1987  La rusa  ゴヤ賞1988でハンス・ブルマンが撮影監督賞にノミネート

1992  Después del sueño 

1993 Sombras en una batalla  ゴヤ賞1994オリジナル脚本賞受賞/シネマ・ライターズ・サークル作品賞・脚本賞受賞、カルメン・マウラが主演女優賞ノミネート、ETAのテロを扱った映画

1996  Adosados モントリオール映画祭FIPRESCI賞受賞/シカゴ映画祭脚本賞受賞

1997  El color de las nubes  サンセバスチャン映画祭OCIC賞受賞

2002  La playa de los galgos 

2007 El prado de las estrellas シネマ・ライターズ・サークル賞2009、監督賞及びオリジナル脚本賞ノミネート

★ノミネーション及び脚本賞は多数につき省略しているケースがあります。