『無垢なる聖者』 マリオ・カムス①2014年03月10日 18:19

★かれこれ30年前の映画になりますが、古さを感じさせません。多分「私の20世紀スペイン映画ベスト50」を選ぶとしたら迷わず入れます。今回アップする気になったのは、2月のセルバンテス文化センター土曜映画会で上映されたこと(英語字幕入りとあったが無かった)、テレレ・パベスがゴヤ賞助演女優賞を貰った際にもっと紹介したかったが断念したことが頭にあったからでした。本作のレグラ役は彼女の持ち味を生かした、まさに適役と言えます。

 

   Los santos inocentesThe Holy Innocents

製作:フリアン・マテオス

監督・脚本:マリオ・カムス

脚本:アントニオ・ラレタ、マヌエル・マトヒ  

原作:ミゲル・デリーベス(1881年刊の同名小説)

撮影:ハンス・ブルマン

音楽:アントン・ガルシア・アブリル

 

キャスト:アルフレッド・ランダ(パコ‘エル・バホ’)、テレレ・パベス(パコの妻レグラ)、フランシスコ・ラバル(アサリーアス、レグラの兄)、ベレン・バリェステロス(長女ニエベス)、フアン・サンチェス(長男キルセ)スサナ・サンチェス(次女ラ・ニーニャ・チカ、チャリート)、アグスティン・ゴンサレス(ドン・ペドロ)、アガタ・リス(ペドロの妻ドニャ・プリータ)、フアン・ディエゴ(セリョリート、イバン)、マリー・カリーリョ(侯爵夫人)、ホセ・グアルディオラ(ハラのセリョリート)、マヌエル・サルソ(ドン・マヌエル外科医)、ぺピン・サルバドール(司教)他 

 

データ:製作国スペイン・スペイン語 1984年 ドラマ 107分 撮影地(エストレマドゥラ州のアルブルケルケ、バダホス、サフラなど) スペイン19844月公開 日本19865月公開

受賞歴:カンヌ映画祭1984ベスト男優賞にフランシスコ・ラバルとアルフレッド・ランダが受賞、エキュメニカル審査員スペシャル・メンション賞をマリオ・カムスが受賞。ほかシネマ・ライターズ・サークル賞(西)作品賞受賞など。

 


プロット:パコとレグラの夫婦はニエベス、キルセ、チャリートの子供3人と、ポルトガルの国境いエストレマドゥラの大地主の小作農として、慎ましく、不平も言わず従順に働いていた。末っ子は精神に障害があり寝たきりの天使だった。夫婦の唯一の願いは、自分たちのような惨めな境遇から抜け出せるよう残る二人の子供たちに教育を受けさせること、そのためならどんな屈辱にも耐えようと思っていた。そこへ近くの荘園から年ボケを理由に暇を出されたレグラの兄アサリーアスが転がり込んできた。彼も幼児のように無心なイノセントの人であった。彼の唯一の楽しみはキルセが見つけてきたコクマルガラスのヒナを育てること、「ミラーナ・ボニータ」(可愛いコトリ)と可愛がっている。

雇い主ドン・ペドロ夫妻に子供はなく、妻プリータは侯爵家の狩猟狂のイバンと不倫の仲である。大土地所有者の侯爵家をヒエラルキーの頂点にして、上の階級が一方的に命令し、下の階級がそれに黙々と従う。ここエストレマドゥラでは、1960年代初頭にも拘わらず未だに古びた封建制度が脈打っており、人間性の喪失を引き起こす社会的不平等がまかり通っている。ある日のこと、イバンが癇癪紛れに<ミラーナ・ボニータ>を撃ち殺したことから、突然思いもよらぬ悲劇が起きてしまう。(文責:管理人)

 

     1984年、第1回東京スペイン映画祭開催の興奮

 

: この映画祭はかれこれ30年前に開催され、ポスト・フランコ時代の新作10が上映されました。正確には1117日~30日まで渋谷東急名画座、なかで『無垢なる聖者』が一番新しい映画でした。

: ゴヤ賞栄誉賞受賞のハイメ・デ・アルミニャン紹介記事に少し触れていた映画祭ですね。彼の『エル・ニド』(1980)が上映されたとありました。

: 映画祭邦題は『巣』でしたが、87年公開時に『エル・ニド』と改題されました。『無垢なる聖者』

はそのままの邦題で公開され、勿論とっくの昔に廃盤になっておりますがビデオも制作されたのです。

 

: セルバンテス文化センターでは、カタカナ起しの『ロス・サントス・イノセンテス』として紹介されていたので非公開と思っていた人が多いのではありませんか。今月上映されているサウラの『歌姫カルメーラ』は公開時の邦題になっていて、字幕英語入りとあり混乱します。

: プロが作成している冊子ではありませんし、英語字幕もあるかどうか()。今回本作をご紹介するにあたり日本語のデータベースを検索しましたが、本映画祭で作成されたカタログの間違いも含めて踏襲されておりました。例えば、侯爵夫人Marquesa公爵夫人Duquesaとなっていたのは少し問題かな。格式が大きく違いますし、Marquésは「辺境の地を支配する貴族」が原義ですから、公爵のはずがありません。

: 時代はかなり前になりますが、宮廷画家ゴヤのパトロンだったアルバ公爵夫人は、時の王妃マリア・ルイサと軽薄な張り合いをしたほどの女性、その権力は絶大でハンパじゃありませんでした。もともと公爵はヨーロッパでは公国の君主でした。

 

: 映画祭に話を戻すと、正式には「第1回」は付いておりません。1989年に再びスペイン映画祭が開催されたので区別する必要から84年を「第1回」、89年を「第2回」としたのです。1984年にはこの映画祭の前に「スペイン映画の史的展望<19511977>」という映画祭が京橋の国立フィルムセンターで開催されていたんです。これは画期的な企画でまさに日本での「スペイン映画元年」と言っても何処からも文句は出ません。フランコ時代の映画23が纏まって上映されたのです。それも全作英語スーパー付きのニュープリントだったそうです。しかしこの映画祭については別個に紹介する必要があり、別の機会に譲りたいと思います。

 

: つまり第1回スペイン映画祭上映作品は、ポスト・フランコ時代の10作、残り8作にはどんなものがありますか。

: 例えば公開作品でいうと、先の2作と『エル・スール』(エリセ)、『血の婚礼』(サウラ)を含めて4本、公開にならなかったほうに力作があるので羅列すると、『パスクアル・ドゥアルテ』(リカルド・フランコ)、『クエンカ事件』(ピラール・ミロー)、『庭の悪魔』(マヌエル・グティエレス・アラゴン)、『黄昏の恋』(ホセ・ルイス・ガルシ)、『夢を追って』(フェルナンド・コロモ)、『ミケルの死』(イマノル・ウリベ)の6本です。『クエンカ事件』のピラール・ミローは、治安警備隊の残酷な拷問シーンを描いたことで1カ月ほど収監される事態になった話題作。また『黄昏の恋』はスペイン映画として初のオスカー受賞(1983)作品、いずれ粒ぞろいの11本をご紹介する機会を持てたらと考えています。

 

: 80年代前半のスペイン映画界の勢いが感じられますし、その後の各監督の活躍を考えると凄いラインナップ、スペイン映画史に残る作品ばかりです。やはり未公開作品には一種の共通項があり、公開は無理だったろうという印象を受けます。

 

     小説では子供が4人だった

 

: さて『無垢なる聖者』は、かなり忠実に映画化しているということですが、小説ではキルセとチャリートのあいだにロヘリオという男の子がいる。6章立てで、1章アサリーアス、2章パコ、エル・バホ、3章ラ・ミラーナ、4章狩猟助手(El secretario)、5章パコの怪我(El accidente)、6章犯罪(El crimen)です。第4章で初めてイバンが登場します。

: 映画は、ニエベス、キルセ、パコ<エル・バホ>、アサリーアスの順、その度にフラッシュバックがあるから4回行ったり来たりして、ちょっと戸惑うでしょうか。テーマはそのままに映画的な再構成をしたということですね。

 


:  映画は冒頭にアサリーアスの象徴的な映像が映し出され、それからクレジットが出てくるという当時としては洒落た導入の仕方です。物語はキルセが兵役を終えてサフラの駅に仲間と降り立つシーンから始まる。今はサフラの工場で働いているニエベスに帰郷のメモを書いて、つまり字が書けるようになっている、二人はサフラで会う。フラッシュバックの期間が短いですが服装や物腰から混乱することはないと思います。

 

: シネ・トークで「この映画の時代はいつごろですか」と質問がありました。まさか60年代とは思わなかったでしょう。小説では時代とか場所とかは特定していないとか。

: ただ第2回バチカン公会議が出てきて、これが1962年から65年にかけてあったので60年代初頭と分かるようです。場所はポルトガル国境沿いの南部地方、風景描写からエストレマドゥラと特定できるようです。20年前とはいえ場所を特定したくなかったのかもしれません。映画でははっきり地名が鉄道の駅舎があるサフラ、他にサフラに近いビリャフランカやアルメンドラレホなどが出てきます。

 

: 日本では敗戦により農地開放が行われ大土地所有制は解体されましたが、スペインでは60年代にもあのような大荘園が存続していたとは驚きです。

: 侯爵夫人が2階バルコニーに出てきて、使用人たちの「侯爵夫人、万歳!」の祝福を受けるちょっと信じられないシーンが出てきます。

: 夫人が手を挙げて応えるしぐさは、国民の歓呼に応えるフランコ将軍に似ていて皮肉っぽいシーンです。

 


: このカサ・グランデと呼ばれる大邸宅は、お祭りや狩猟の季節にだけ使用される。今回はハラのセニョリートの聖体拝領を侯爵家の礼拝堂で執り行うのが主目的なのか、司教のほかオルガン奏者もやってくる。それで使用人の女房たち総出の大掃除やら使用する銀食器磨きとなる。

: 狩猟しか興味のないイバンに「あんな辛気臭い宗教曲を聞かされると頭痛がしてくる」と言わせている()

: 支配者側は自分たちに有利にはたらく教会権力は歓迎だが、一面ウンザリもしていたんですね。

: 礼拝堂といっても教会並みの豪華さで、当時の大土地所有者の「金力」には驚きます。

 

: お金は唸るほどあった、何しろ搾れるだけ搾っているのですから。荘園で働く小作人を一列に並べさせ、一人ひとり近況を聞いて小銭を渡し、お互いの上下関係を更にはっきりさせている。

: にこやかに応対する侯爵夫人の「見せかけの温情」も皮肉っぽいですが、将来領主となるだろうハラのセニョリートからもオダチンが渡される。一種の「帝王学」ですが子供から小銭を恵まれるなんて屈辱的です。

 

: 司教はたらふく食べているからだいたいまるまる肥っている。庶民が何とか三度の食事ができるようになったのが1950年代に入ってからと言われていますが、映画ではとてもそのようには見えない。

: スペインで最も貧しい土地がここエストレマドゥラです。

: ブニュエルのドキュメンタリー『糧なき土地 ラス・ウルデス』(1932Las Hurdes, tierra sin pan)ほどじゃありませんけど。ラス・ウルデスはエストレマドゥラの最北端カセレス県に位置し、現在でも平均所得が最も低いところです。ブニュエルはこのドキュメンタリーのイザコザでスペインに居られなくなり亡命を余儀なくされる。フランコ以前の映画、スペインが「ピレネーの向こうはアフリカ」と言われた時代でした。(続く)