イサベル・コイシェの新作「Elisa y Marcela 」*ベルリン映画祭2019 ― 2019年02月11日 20:40
スペイン初となったレズビアン夫婦エリサとマルセラの遍歴
★第69回ベルリン映画祭2019が2月7日(~17日)開幕しました。18年間ベルリン映画祭を率いてきたヘッド・ディレクター、ディーター・コスリック最後の年ということで世代交代がここでもあるようでした。コンペティション部門のスペイン語映画は、イサベル・コイシェの「Elisa y Marcela」1作だけ、次のパノラマ部門には、ラテンアメリカ諸国、例えばデビュー作『火の山のマリア』が幸運にも公開されたグアテマラのハイロ・ブスタマンテ、アルゼンチンのマテオ・ベンデスキイの家族をテーマにした第2作目など、何本か目に止まりましたが、いずれご紹介できたらと思います。
(コイシェの新作「Elisa y Marcela」のポスター)
★コンペティション17作品のなかにはにはフランソワ・オゾンやファティ・アキン、ワン・シャオシュアイなどベルリナーレに縁の深いライバルが金熊賞を狙って目白押しです。審査委員長はフランスで最も輝いている女優の一人ジュリエット・ビノシュです。彼女はコイシェの「Nobody Wants the Night」で、1909年初めて北極点に達したと言われるアメリカの探検家ロバート・ピアリーの妻を演じ、コイシェを「こんな過酷な役を引き受けてくれるぶっ飛んだ女優は彼女しかいない」と感嘆させた演技派女優。
(審査委員長ジュリエット・ビノシュとディーター・コスリック、2018年2月7日開幕式にて)
★コイシェ監督の新作については既に1年前にアナウンスがあり、当時のキャストはエリサに最初からの候補だったナタリア・デ・モリーナ(ハエン近郊リナレス1990年)、マルセラにマリア・バルベルデでしたので、そのようにご紹介しております(2018年2月8日)。しかしバルベルデのスケジュール調整がつかず、急遽グレタ・フェルナンデス(バルセロナ1995年)に変更になりました。演技派として評価の高いエドゥアルド・フェルナンデス(『スモーク・アンド・ミラーズ』)が父親、1995年バルセロナ生れだが、子役時代から映画やTVシリーズに出演しており芸歴は長い。コイシェ監督も「グレタが8歳のときから知っていた。女優になるために生まれてきたような女性」と語っている。イサキ・ラクエスタの『記憶の行方』の脇役、思わせぶりな邦題が不人気だったエステバン・クレスポの『禁じられた二人』ほか、ラモン・サラサールの『日曜日の憂鬱』でスシ・サンチェスの義理の娘になった。偶然かもしれないが3作ともNetflixで配信された。
「Elisa y Marcela」(「Elisa and Marcela」)2019
製作:Rodar y Rodar / Lanube Peliculas / Netflix España / Zenit / Film Factiry /
TV3(カタルーニャテレビ)/ Canal Sur
監督・脚本:イサベル・コイシェ
原作:ナルシソ・デ・ガブリエル「Elisa y Marcela, Más allá de los hombres」2010刊)
撮影:ジェニファー・コックス
編集:ベルナ・アラゴネス
音楽:ソフィア・アリアナ・インファンテ
製作者:ホセ・カルモナ、ササ・セバリョス、ジョアキン・パドロ、マル・タルガロナ、他
データ・映画祭:スペイン、スペイン語・ポルトガル語、2019年、伝記ドラマ、129分、モノクロ。撮影地:ガリシアのセラノバ、オレンセ(ガリシア語オウレンセ)、バルセロナなど、2018年5月7日クランクイン。第66回サンセバスチャン映画祭2018に参加して編集の過程を撮った5分間の予告編を上映。第69回ベルリン映画祭2019正式出品(2月13日上映)、Netflixオリジナル作品(2019年ストリーミング配信予定)、OUTshine 映画祭2019 観客賞受賞。
キャスト:ナタリア・デ・モリーナ(エリサ・サンチェス・ロリガ/マリオ)、グレタ・フェルナンデス(マルセラ・グラシア・イベアス)、サラ・カサスノバス(マルセラの娘アナ)、タマル・ノバス(マルセラの求婚者アンドレス)、マリア・プファルテ(マルセラの母親)、フランセスク・オレーリャ(マルセラの父親)、リュイス・オマール(ポルト県知事)、ホルヘ・スケト(コウソの医師)、マノロ・ソロ(ポルトの刑務所長)、ミロ・タボアダ、マヌエル・ロウレンソ(ドゥンブリア教区の主任司祭ビクトル・コルティエリャ)、エレナ・セイホ、ルイサ・メレラス、ロベルト・レアル(コウソの司祭)、アンパロ・モレノ、タニア・ラマタ、コバドンガ・ベルディニャス、他ガリシアのエキストラ多数
ストーリー:1885年、教師のエリサとマルセラは、働いていたア・コルーニャのドゥンブリアの小学校で知り合った。互いに惹かれあい、やがて隠れて生きねばならない恋愛関係に陥っていった。マルセラの両親の支えもあったが、両親は冷却期間をおくようマルセラを外国に送り出した。数年後マルセラが帰国してエリサと再会する。社会的な圧力にも屈せず二人は共に人生を歩もうと決心するが、口さがない巷の噂を封じるための計画を練らねばならなかった。それはエリサが一時的に村を離れて、数年後に英国生まれのマリオ・サンチェスとなって戻ってくることだった。1901年6月8日、ドゥンブリア教区のサンホルヘ教会でビクトル・コルティエリャ主任司祭の司式で挙式した。教会によって公式に通知されたスペイン最初の同性婚であった。しかし「男なしの夫婦」という噂がたちまち広まり、二人はポルトガルに逃亡、8月16日港湾都市ポルトで逮捕されるも、13日後に釈放された。1902年1月6日、マルセラは父親を明かさないまま女の子を出産、二人は新天地アルゼンチンを目指してスペインを後にする。 (文責:管理人)
(マルセラと男装のエリサ、教会で挙式した1901年6月8日の写真)
20世紀初頭、逆境のなかでも愛を貫いた二人の女性の勇気に魅了される
★続きは端折るとしてこんなお話です。エリサがどうやって男性になることが可能だったかというと、彼女の死亡した従兄弟の偽造身分証明書を利用して男装し、ア・コルーニャの教会を騙したからであった。二人の愛を貫くためにはこうするしか方法がなかった時代でした。20世紀初頭の北スペインのガリシア地方ドゥンブリアでは、女同士の愛など許されるはずがなかった。敵意に満ちた雰囲気の中で主任司祭を騙して挙式するわけですから、二人はかなり思い切った大胆な女性だったと想像できます。伝わっている数字が正しければ、7ヵ月後にマルセラは出産するわけですから切羽詰まっていたとも考えられます。移住したブエノスアイレスでは、今度はエリサが60代のデンマーク人と結婚するが、これはいわゆる打算的な偽装結婚だったことが発覚して、その後二人はいずこともなく消息を絶つ。史実と映画がどのくらい重なるのか現時点では分からない。監督の焦点がどこに当てられているのか興味のあるところです。
(逃亡先のポルトで撮ったマルセラとエリサ=マリオ、1902年)
★原作者のナルシソ・デ・ガブリエルは、1955年ガリシアのルゴ市近郊のカダボ生れの教育学者、ア・コルーニャ(スペイン語ラ・コルーニャ)大学で教育学の理論と歴史を教えている。ガリシア語とスペイン語で執筆、本作のベースになった「Elisa y Marcela, Más allá de los hombres」のオリジナル版は、2008年ガリシア語で執筆され、2年後にスペイン語に翻訳されている。ア・コルーニャ出身の作家マヌエル・リバス(代表作『蝶の舌』)のプロローグが付いている。小説ではなく雌雄同体現象、女性同性愛、異性装者、フェミニズムなどについての考察、前半がエリサとマルセラに費やされているようです。コイシェ監督は著者とは友人関係にあり、直ぐに映画化を構想したがなかなか実現できなかったということです。
(ガリシア語のオリジナル版を手にしたナルシソ・デ・ガブリエル)
★「二人の結婚式の写真を見たときから、これはシロクロで撮りたいと思った。それでジェニファー(・コックス撮影監督)と1930年代の映画を見ていった。そこで目に留まったのがエリッヒ・フォン・シュトロハイムの『「クィーン・ケリー』(29)だった」という。ウィキペディアによると、完全主義者として知られる監督とヒロインのグロリア・スワンソンが衝突して撮影中止になった作品のようです。多分未完成作品が残っているということでしょう。「レズビアンのカップルが主役でも、パルム・ドールを受賞したアブデラティフ・ケシシュの『アデル、ブルーは熱い色』のような女性の性感を描くものではない。現在世界の73ヵ国では同性愛は違法で収監され、13ヵ国は死刑です」。「私を魅了するのは、愛の物語というだけでなく、社会の偏見にもめげず、危険に晒されながらも別れずに、逆境に生きた女性の勇気です」と監督。
(サンセバスチャン映画祭2018でのプレス会見、右端が監督)
★一般公開をせずにダイレクトにNetflixで配信する方法を選んだことについては「私だって映画館を観客でいっぱいにしたい。しかし190ヵ国に配信される魅力」には勝てないと。キャスチングについては「ナタリア(・デ・モリーナ)には、まだプロジェクトが具体化していなかった3年前に、何時になるか分からないがと但し書き付きでオファーをかけていた。デ・モリーナはダビ・トゥルエバの『「ぼくの戦争」を探して』でゴヤ賞2014新人女優賞、フアン・ミゲル・デル・カスティージョの「Techo y comida」で同2016主演女優賞を受賞しているシンデレラ女優。グレタは8歳のときから知っていた。ある日、鏡の前で泣いているので、何があったのと訊くと、どうやったら上手に泣けるか練習していたと。「この子はもう女優だと思った」と監督。
(ナタリア・デ・モリーナとグレタ・フェルナンデス)
★度々ガリシアを訪れて撮影地を探した結果、20世紀初頭の面影を残しているセラノバで2018年5月8日にクランクインした。俳優以外のエキストラ140名にも参加してもらった。ガリシアとバルセロナの半々で撮影したということです。主演の二人はアンダルシアとバルセロナ生れだが、脇役陣には、マルセラの求婚者アンドレス役のタマル・ノバス(『夢を飛ぶ夢』)、アナ役のサラ・カサスノバス、主任司祭のマヌエル・ロウレンソなどガリシア生れの俳優が目立つ。
(20世紀初頭の雰囲気が残るセラノバでの撮影風景)
★「『エリサとマルセラ』を携えてベルリンに行くことは、私にとって大きな意味があります。それというのもこの映画は長年培ってきた仕事の頂点の一つであり、根気強く突き進んできた頑張りへのご褒美でもあるからです。世界で一つしかないこの物語を国際的な映画祭の観客に見てもらえる幸運、エリサとマルセラを演じたナタリア・デ・モリーナとグレタ・フェルナンデスの二人の女優がベルリンの観客を魅了することを願っています」とコイシェ監督。果たしてベルリンの審査員や観客を虜にきるでしょうか。ビエンナーレは監督にとって特に思い入れの深い映画祭、過去にはデビュー作『あなたに言えなかったこと』(96)、『死ぬまでにしたい10のこと』(03)、『あなたになら言える秘密のこと』(05)、『エレジー』(08)、オープニング上映作品に選ばれた「Nadie quiere la noche」(15)、間もなく3月に公開される『マイ・ブックショップ』もここで特別上映されたのでした。
*関連記事*
*『「ぼくの戦争」を探して』の紹介記事は、コチラ⇒2014年01月30日/11月21日
*「Techo y comida」の紹介記事は、コチラ⇒2016年01月16日
*「Nadie quiere la noche」の紹介記事は、コチラ⇒2015年03月01日
*『マイ・ブックショップ』の紹介記事は、コチラ⇒2018年01月07日
『ROMA/ローマ』*アルフォンソ・キュアロンの記憶の旅 ― 2019年01月27日 20:35
「リボにはたくさんの借りがあるのです」とアルフォンソ・キュアロン
★ゴールデン・グローブ賞2冠、アカデミー賞2019ノミネーション10部門と、アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』を取りまく環境が慌ただしくなってきました。当ブログでは度々記事にしておりいささか食傷気味ですが、作品賞と外国語映画賞のダブル・ノミネーションと聞いては話題にしたくなります。過去のダブルのケースでは後者の受賞は確実らしい。今までスペイン語映画の作品賞ノミネートは縁がなかったので無関係と思っていた。しかし『ROMA/ローマ』の外国語映画賞受賞が確実なら、昨年のセバスティアン・レリオの『ナチュラルウーマン』に続いてスペイン語映画が連続で受賞することになります。しかしゴールデン・グローブ賞受賞作品はオスカーは取れないというジンクス通りなら作品賞は受賞なしということになる。今年は8作品ノミネーションと多いから票は割れるでしょう。
(ゴールデン・グローブ賞2冠、作品賞・監督賞のトロフィーを両手にした監督)
★アカデミー賞の作品賞に外国語映画がノミネートされるのは珍しく、スペイン語映画では初めてとなります。外国語映画賞にもダブってノミネートされた作品は、直近ではミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』があり外国語映画賞を受賞しています。外国語映画部門がなかった時代ならいざ知らず、常々ダブルのノミネーションに違和感を覚えていますが、本作は監督・脚本・撮影、前評判では候補にも上がっていなかった主演女優(ヤリッツァ・アパリシオ)と助演女優(マリナ・デ・タビラ)まで浮上して、全部で10部門には驚きを通りこして腰が引けてしまいました。製作のガブリエラ・ロドリゲスは、ラテン系では初めての女性プロデューサーということで、老害が懸念される米国アカデミー会員の「初物食い」を期待しておきます。
★主人公クレオのモデルで、監督にインスピレーションを与えたniñeraベビーシッター兼nana乳母リボ、リボリア・ロドリゲスもニューヨーク映画祭2018に登場して『ROMA/ローマ』のプロモーションに一役買いました。現在74歳になるリボリアが、メキシコでも貧しいと言われるオアハカ州北部ミシュテカ地方の村を出てキュアロン家にやって来たのは1962年、監督が生後9ヵ月、彼女が18歳のときだった。「家族の一員、みんなのお気に入り、私の人格形成をした人、リボには大きな借りがあるのです」と監督。「私たちが小さい頃にはみんな<ママ>と呼んで、彼女と結婚するんだと言い合っていたのです」と、常に物静かに接してくれたリボの人柄をCNNのインタビュアに語ったそうです。
(ヤリッツァ・アパリシオ、リボリア・ロドリゲス、監督、ニューヨーク映画祭、2018年10月)
★幼年期のキュアロンは、彼女の故郷オアハカ州テペルメメ・ビリャ・デ・モレロス村の話を聞くのが好きだった。彼女はスペイン人がやってくる前の伝統的な遊戯がどんなものか、シャーマンたちが如何にして人々を癒してくれたかについて語った。今なおメキシコに存続している不平等、ミシュテカ族の少女が舐める辛酸、寒さ、飢え、貧しさについて知りえたのもリボのお蔭だと。12歳の誕生日に父親からプレゼントされたペンタックス・カメラが子供たちに革命を起こした。ミノルタ・スーパー8を買うために節約し、1年後に手にしたキュアロンは、母親、3人の弟妹、甥、勿論リボを主人公にして短編を撮りはじめた。小さな映画監督の誕生、ペンタックス・カメラの到来はまさに革命だった。
(クレオ・ママに抱かれて眠る末っ子ぺぺとソフィ)
★1991年、すぐ下の弟カルロス・キュアロンと共同監督したデビュー作『最も危険な愛し方』(「Solo con tu pareja」)にリボリアも出演してるそうです。10年後に撮った『天国の口、終りの楽園。』(「Y tu mamá también」)にもちょとだけ顔を出しているそうですがどこでしょうか。因みにディエゴ・ルナが扮した政治家の息子、乳母をママと呼んでいたテノッチは、キュアロン監督の分身でしょう。『ノー・エスケープ自由への国境』が公開された長男ホナス・キュアロンのデビュー作「Año uña」(07)にもボイス出演している。何十年も一緒に暮らしたリボなのに、実は何も知らなかったと感じた一瞬があった由、それは祖母が電気代に口うるさかったので、夜は電気を消してロウソクで過ごしたことを聞いた時だった。それは劇中でクレオともう一人の家政婦アデラの会話に活かされていました。
「それでどういう映画なの?」―「勇気ある女性たちの物語よ」
★リボ=クレオを演じたヤリッツァ・アパリシオは、1993年オアハカ州トラヒアコ生れ、映画に出る前は保育園(幼稚園)の先生だった。演技経験は何もなかったがオーディションに駆けつけ、その穏やかな物腰が監督の目に留まった。それ以来、彼女の人生は180度変わってしまい、今やメキシコの重要な顔となった。「今まで不可能だと決めつけていた事が、決してそうではなかった。素晴らしいチャンスをもつことができた」とアパリシオ。彼女がモード雑誌「ヴォーグ」(勿論メキシコ版)の表紙を飾ったニュースを記事にしましたが、彼女だけでなく、雇い主のソフィア夫人役マリナ・デ・タビラ(1974メキシコシティ)、同僚家政婦アデラ役のナンシー・ガルシアも映画祭出席、インタビューと引っ張り凧です。
(インタビューを受ける、マリナ・デ・タビラ、ヤリッツァ・アパリシオ、ナンシー・ガルシア)
★マリナ・デ・タビラは自身の役柄について「ソフィアの長所は、夫との不和に苦しんでいるが、4人の子供たちの前では明るく振舞って、子供たちを前向きに育てようとしている。クレオとアデラの雇い主として家庭を守っている」女性だと分析、「クレオの美点は、子供たちに常に愛情深く接して、信じられない存在だ」と断言した。監督がソフィア夫人の造形は母親クリスティナ・オロスコにほぼ一致すると語っていたが、彼女は昨年3月鬼籍入りした。ここ40年間ほどでメキシコ社会での女性の役割は変化してきているが、まだ道半ばだという点で、3人の女性の意見は一致している。
(子供たちに父親がいなくてもみんなで頑張ろうと話すソフィア夫人)
★ナンシー・ガルシアは「映画のなかでは、女性たちが思い切って何かをすることはできないテーマが際立っていた。女性たちが尊敬しあい高め合う何かを、私はできるんだと自分に言い聞かせる事が必要です。父親の庇護なしでも子供たちを育てられると女性たちが認識するようになってきた」と指摘した。2017年の統計では、3430人のメキシコ人女性が殺害の犠牲になった。人種差別と女性蔑視は見え隠れするが、現在では上流階級でもクレオのような仕事をする女性を雇う家庭は減少しているということです。10代から住み込みで働くこの制度に多くの問題が潜んでいるのは確かです。遅い歩みではあるが静かな地殻変動は起きている。
★それで「この映画は一言でいうとどんなお話?」、「勇気ある女性たちについての映画です」とナンシー・ガルシア、「人生そのものについての物語」と穏やかにヤリッツァ・アパリシオ、「幼年時代の心の傷についてのお話」とマリナ・デ・タビラ、ええ、そういう映画なんです。今日はロスアンゼルス、明日はニューヨークと走り回り、いよいよ2月24日が近づいてきました。ハリウッドの人々は、この地味なモノクロ映画をどう評価するのでしょうか。ゴヤ賞イベロアメリカ映画賞もほとんど受賞が確定していますからサプライズはないでしょう。
『12年の長い夜』 アルバロ・ブレッヒナー*ゴヤ賞2019 ⑥ ― 2019年01月15日 19:01
イベロアメリカ映画賞―アルバロ・ブレッヒナーの『12年の長い夜』
★イベロアメリカ映画賞は、アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』にほぼ決まりでしょうが、昨年暮れからアルバロ・ブレッヒナーの第3作「La noche de 12 años」が、邦題『12年の長い夜』でNetflixで配信が開始されました。サンセバスチャン映画祭2018「ホライズンズ・ラティノ」部門の目玉としてすぐさま記事をアップしましたおり、ゴヤ賞ノミネーションを予想いたしました。予想通りになりましたが前大統領ムヒカ役のアントニオ・デ・ラ・トーレが助演男優賞候補になるとは思っていませんでした。スペインも製作国の一つですから規則違反ではありませんが、少し強引でしょうか。
★デ・ラ・トーレはロドリゴ・ソロゴジェンの「El reino」で主演男優賞にもノミネートされており、虻蜂取らずにならないことを祈りたいところです。彼が欲しいのは1個持っている助演ではなく、素通りつづきの主演のはずです。スペイン映画賞としては最初に蓋を開けるフォルケ賞2019が、1月12日夜に発表になり、幸先よく「El reino」の演技が認められて男優賞を受賞しました。因みに作品賞は予想通りハビエル・フェセルが監督した「Campeones」で、本作は「Cine y Educacion」賞とのダブル受賞、こういうケースは初めてだそうです。ゴヤ賞を占ううえで重要な映画賞、フォルケ賞2019の受賞結果は次回にアップいたします。
(フォルケ賞のトロフィーを手にしたアントニオ・デ・ラ・トーレ)
*『12年の長い夜』の作品・監督キャリア・キャスト紹介は、コチラ⇒2018年08月27日
*前回と重複しますがキャストとストーリーを以下に若干補足訂正して再録、前回アップ後の映画賞受賞歴も追加しました。
*『12年の長い夜』の主な出演者*
アントニオ・デ・ラ・トーレ(ペペ、ホセ・ムヒカ・コルダノ、2010~15年ウルグアイ大統領)
チノ・ダリン(ルソ、マウリシオ・ロセンコフ)
アルフォンソ・トルト(ニャト、エレウテリオ・フェルナンデス・ウイドブロ、2016年8月5日没)
セサル・トロンコソ(トゥパマロス壊滅作戦「死の部隊」を指揮した軍人)
セサル・ボルドン(アルサモラ軍曹)
ミレージャ・パスクアル(ムヒカの母親ルーシー)
ソレダー・ビジャミル(精神科医)
シルビア・ペレス・クルス(ウイドブロの妻イヴェット、劇中ではグラシエラ)
ニディア・テレス(ロセンコフの母ロサ)
ルイス・モットーラ(少尉)
ジョン・デ・ルカ(マルティネス、兵士)
ロドリゴ・ビジャグラン(アルメイダ、兵士)
ダビ・ランダチェ(軍人)
ロヘリオ・グラシア
ルチアノ・Ciaglia(ゴメス)
ストーリー:1973年6月、ウルグアイは軍事クーデタにより軍部の政治介入が実現した。1971年の大統領選で左派連合が敗北してからは、都市ゲリラ「トゥパマロス」民族解放運動の勢いも失速、壊滅寸前になって既に1年が経過していた。多くのメンバーが逮捕収監され拷問を受けていた。1973年9月7日夜、軍部の掃討作戦で捕えられていたトゥパマロスの3人の囚人がそれぞれ独房から引き出され秘密裏に何処かへ護送されていった。これは12年という長きにわたって、全国に散らばっていた営倉を連れまわされることになる孤独の始りだった。それ以来、精神的な抵抗の限界を超えるような新式の実験的な拷問と孤独に耐え抜くことになる。軍部の目的は「彼らを殺さずに狂気に至らしめる」ことなのは明らか、彼らは囚人ではなく軍部の人質だった。一日の大半を頭にフードを被せられ、足枷をはめられたまま独房に閉じ込められていた3人の人質とは、ウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカ、元防衛大臣で作家のエレウテリオ・フェルナンデス・ウイドブロ、ジャーナリストで作家のマウリシオ・ロセンコフのことである。 (文責:管理人)
ウルグアイ軍事独裁政権の闇と孤独を描く12年間
A: 本作は「もし生きのびて自由の身になれたら、この苦難の事実を書き残そう」と誓い合った、エレウテリオ・フェルナンデス・ウイドブロとマウリシオ・ロセンコフの共著「Memorias del calabozo」をもとに映画化されました。映画では3人に絞られていますが、実際は他にトゥパマロスのリーダー6人、合計9名だった。本著はこの9名の証言をもとに纏められたものです。
B: 民政移管になった1985年に釈放、バスで家族のもとに戻るさいに連呼された、ホルヘ・ベニテス、カルロス・ゴンサレス、ロベルト・イポリト、ワシントン・ゴンサレス・・・などが証言に応じた他の6人でしょうか。
A: 1993年にエドゥアルド・ガレアノの序文を付して再刊されたものを検索しましたが確認できませんでした。おそらく苦しみを分かち合った他の仲間たちへの敬意が込められていたのでしょう。収監中に亡くなった人が約100名、いわゆるデサパレシードス行方不明者が140名という記録が報告されています。
(txalaparta社から1993年に再刊された「Memorias del calabozo」の表紙)
B: 隣国アルゼンチンの軍事独裁政権の犠牲者3万人に比べれば桁違いですが、闘争中に射殺されたメンバーも多かった。屋根裏に逃げ込んだニャト(アルフォンソ・トルト)が逮捕されたとき、その家主夫婦が射殺されたシーンはそれを示唆しています。
A: そのときの掃討作戦を行なった<死の部隊>の指揮官の名前は映画では明らかにされなかった。当然分かっていたはずですが、IMDbにも軍人と表示されているだけです。セサル・トロンコソが演じていましたが、彼はウルグアイ出身、本邦ではセザール・シャローン&エンリケ・フェルナンデスの『法王のトイレット』(ラテンビート2008上映)の主役を演じている他、ルシア・プエンソの『XXY』(同2007)にも出演しているベテラン俳優です。
(憎まれ役の軍人に扮したセサル・トロンコソ)
B: 石をぶつけたいぐらい憎々しかったと褒めておきます。アルフォンソ・トルトもウルグアイ、その他にウルグアイからはルソ(チノ・ダリン)にラブレターを代筆してもらうアルサモラ軍曹役のセサル・ボルドン、ルソの母親ロサ役のニディア・テレスがウルグアイです。
A: エル・ペペの母親ルーシー役のミレージャ・パスクアルもウルグアイ、彼女については前回ご紹介しています。例の『ウイスキー』でデビューした独特の雰囲気のある女優です。ニディア・テレスはアルバロ・ブレッヒナー監督の第2作「Mr. Kaplan」(14)のカプラン夫人でデビューした遅咲きの女優です。以上がウルグアイの主な出演者です。
B: 多数の受賞歴をもつ「Mr. Kaplan」についても、前回の監督キャリア紹介にワープして下さい。
(ルソにラブレターの代筆をしてもらうアルサモラ軍曹)
A: アルゼンチンからはチノ・ダリンの他、精神科医を演じたソレダー・ビジャミル、スペインからはエル・ペペ役のアントニオ・デ・ラ・トーレの他、ニャトの妻になったシルビア・ペレス・クルスがそうですが、それぞれ前回簡単に紹介しています。監督がデ・ラ・トーレの出演交渉のためマドリードに出向きカフェで会った。すると「10分後には快諾してくれた」とベネチア映画祭のインタビューに答えていました。出演は即決だったようで、デ・ラ・トーレらしい。
(左から、ムヒカ前大統領、監督、デ・ラ・トーレ、ベネチア映画祭のプレス会見にて)
B: 幼児から80歳に近いエキストラは、ウルグアイの新聞に出した募集広告を見て参加してくれた方だそうです。200名ぐらい参加している。1985年民政移管になって釈放された9名を刑務所の門前や沿道で出迎えた家族、支持者たちを演じてくれた。
A: ウルグアイの人々にとって1970年代はそんなに昔のことではないのですね。ウルグアイの軍事独裁政権は、いわゆるブラジル型といわれる官僚主義体制で、隣国アルゼンチンのように軍人が大統領ではなかった。しかしトゥパマロス掃討に功績のあった軍部の政治介入を許した警察国家体制ではあった。
B: 劇中で「お前たちは囚人でなく人質だ」と言い放った<死の部隊>の指揮官がその典型、囚人でないというのは裁判の権利がないということです。都市型ゲリラのトゥパマロスの抵抗に長いあいだ煮え湯を飲まされ続けていた軍部の憎しみは、相当根深かったと言われていますね。
(再会を喜ぶニャトと家族、周囲の人は募集に応じたエキストラ)
1981年軍政合法化についての憲法改正の是非を問う国民投票
A: 劇中では1973年から1985年までの12年間が収監日数と共に表示される。1973年9月7日、9人のトゥパマロスのリーダーが収監されていた刑務所から、軍部の手で秘密裏に南部のリオ・ネグラらしき軍の施設に移送される。
B: 刑務所ではなく、ベッドも便器も一切ないから重営倉の兵士が入れられる独房のようです。約1年後に別の軍施設に移動、803日目の1975年から収監日数が表示される。およそ1年ごとに移動しており、その都度1976年1074日目、1977年1529日目・・・1980年2757日目という具合に日数が表示される。
A: 1981年に軍部の政治介入を合法化する「憲法改正」の是非を問う国民投票が実施され、国民の答えはNoだった。1983年3883日目に、ルソが恋文を代筆したアルサモラ軍曹の兵舎に戻ってくる。軍曹の計らいで手錠をされたままではあったが目隠しなしで初めて太陽の日差しを浴びることができた。
(初めて目隠しなしで顔を合わせる3人、生きていることを実感するシーン)
B: 観客にも解放の日の近いことを暗示するシーン、人間らしさを失わなかった軍人は彼一人だったでしょうか。そして1984年3984日目に仲間の多くが収監されていた最初の刑務所に戻ってくる。
A: ニャトがよたよたしながら刑務所の中庭でサッカーのボールを蹴る真似をする。窓からは「ニャト、ニャト、ゴール」の大歓声、社会の無関心に絶望していた過去が一気に吹き飛ぶ忘れられないシーンでした。彼らを苦しめたのは孤独と自分たちは忘れられてしまったという社会の無関心でした。
B: 母親が差し入れた便器に種をまき咲かせたヒナゲシの植木鉢を抱えてムヒカが出所する。日数の表示は、1985年4323日目が最後になる。
(ピンクの便器を抱えて刑務所を出るエル・ぺぺ、2010年75歳でウルグアイ大統領になる)
冷戦時代の米国がもっとも恐れた裏庭の赤化
A: 各自逮捕時期は異なっており、この日数はあくまで1973年9月7日が起点のようで、囚人ではなく<人質>だった日数です。各自刑務所とシャバを出たり入ったりしていますから、別荘暮らしはトータルでは15年くらいだそうです。時には各人の幻覚や逮捕時の回想シーンが織り込まれておりますが、映画は時系列に進行していくので観客は混乱しません。
B: ウルグアイだけではありませんが、ラテンアメリカ諸国は二つの世界大戦には参戦しておりませんが、米ソ冷戦時代の煽りを食ったラテンアメリカ諸国の実態は複雑で、少しは時代背景の知識があったほうがいいかもしれません。
A: 劇中にもニカラグア革命との連携を疑う軍部やCIAの画策など、米国の関与を暗示するセリフが挿入されています。裏庭の赤化を恐れていたアメリカが軍事独裁政権の後ろ盾であったことは、後の調査で証明されています。赤化より軍事独裁政権のほうがマシというわけです。
B: ラテンアメリカ諸国が、人権や民主主義を標榜する大国アメリカを嫌うのには、それなりの理由があるということです。1979年、左派中道派からの要請で赤十字国際委員会が調査に現れるが、そのおざなりの調査にはあきれるばかりです。
A: どこからか入った横槍に屈したわけです。ほかにもカトリック教会批判がそれとなく挿入されている。精神を病んだペペが、ソレダー・ビジャミル扮する精神科医に「神を信じているか」と訊かれる。ペペの返事は「もし神がいるなら、私たちを救ってくれているはず」だった。
B: カトリック教会が軍部と結託していたことを暗示しているシーン。他のラテンアメリカ諸国も金太郎の飴ですが、保身に徹したカトリック教会と軍事独裁政権は太いパイプで繋がっていました。
(ペペを診察する精神科医役のソレダー・ビジャミル)
A: 信者が多いにもかかわらず、ラテンアメリカ諸国から長いあいだローマ法王が選ばれなかった経緯には、この軍事独裁政権との結託があったからでした。現ローマ法王サンフランシスコも加担こそしませんでしたが、民主化後に見て見ぬふりをしていたことを謝罪していたからなれたのでした。
B: バチカンも危険を冒してまで選出できなかった。ラテンアメリカ諸国のカトリック教徒の減少は、幼児性愛だけが理由ではありません。
A: 主演の3人、ぺぺ(1935)、ルソ(1933)、ニャト(1942~2016)は、共にウルグアイ生れだが、一番年長のルソは両親の時代にポーランドから移民してきたユダヤ教徒、ナチ時代にはポーランドに残った親戚の多くがゲットーやアウシュビッツで亡くなっている。
B: 3人のなかではルソ役のチノ・ダリンが一番若かったのでちょっと違和感があった。
A: 反対に一回り若いニャトはクランクイン前に鬼籍入りしてしまった。彼の一族はスペインからの移民です。リーダー格のぺぺの祖先も、1840年代にスペインのバスク州ビスカヤから移民してきた。
B: ウルグアイはまさに移民国家です。ミレージャ・パスクアルが演じていたペペの母親ルーシー・コルダノは、実名で映画に出ていた。ムヒカは当時独身、それで面会に来るのは母親でした。上院議員のルシア・トポランスキ(1944)との結婚は2005年だった。
(ホセ・ムヒカと夫人ルシア・トポランスキ、2010年)
A: 彼女は2期目となるタバレ・バスケス政権の副大統領を2017年9月から務めている。映画でも女性の力の大きさが際立っていましたが、土壇場で力を発揮するのは女性です。
B: 面会に来たルソの父親イサクの狼狽ぶりと母親ロサの気丈さが印象に残っています。女性のほうが打たれ強いのかもしれません。
A: 前回アップしたときは受賞歴はそれほどではありませんでしたので、以下に追加します。
*映画祭・受賞歴*
アミアン映画祭:観客賞
ビアリッツ映画祭(ラテンアメリカシネマ)観客賞
カイロ映画祭:ゴールデン・ピラミッド賞、FIPRESCI国際映画批評家連盟賞
カンヌ・シネフィル:グランプリ
オーステンデ映画祭(ベルギー)審査員賞
ウエルバ・ラテンアメリカ映画祭:観客、カサ・デ・イベロアメリカ、作品、脚本、撮影の各賞
シルバー・コロン(監督・男優アルフォンソ・トルト)賞
ハバナ映画祭:作品賞(カサ・デ・ラス・アメリカス、キューバ映画ジャーナリズム協会)
サンゴ賞(編集、録音)、グラウベル・ローシャ賞、ラジオ・ハバナ賞
レジスタンス映画祭:監督賞
テッサロニキ映画祭:観客賞
ウルグアイ映画批評家協会:作品、監督、男優(アルフォンソ・トルト)
女優(ミレージャ・パスクアル)、録音の各賞
*以上は2018年開催の映画祭受賞歴(ノミネーションは割愛)
*ゴヤ賞2019ノミネーションは、イベロアメリカ映画賞、脚色賞、助演男優賞(アントニオ・デ・ラ・トーレ)の3カテゴリー。
アルフォンソ・キュアロンの新作『ROMA /ローマ』② ― 2018年12月21日 14:39
(モード雑誌『ヴォーグ』の表紙を飾ったヤリッツァ・アパリシオ)
★ゴヤ賞2019イベロアメリカ賞ノミネーション、アカデミー外国語映画賞プレセレクション9作品のなかに『夏の鳥』と一緒に選ばれたほか、ラスベガス映画批評家賞(作品・監督・撮影・編集)の4賞、女性映画批評家オンライン協会賞(作品・監督・撮影)の3賞など、続々と受賞結果が入ってきました。スペインではNetflix配信と同時に期間限定で劇場公開も始まったようです。Netflixと大手配給会社が折り合ったわけです。更にはクレオ役のヤリッツァ・アパリシオがなんと『ヴォーグ』の表紙になるなど、びっくりニュースも飛び込んできましたが、確かこの雑誌は映画雑誌ではなかったはずですよね(笑)。冗談はさておき、前回の続きに戻ります。
子供の記憶に残る「血の木曜日」事件
A: 1961年11月生れのキュアロンは、1971年6月10日に起きた「聖体の祝日の木曜日の虐殺」当時9歳半になっていた。反政府デモの虐殺事件としては、300人以上の死者を出した1968年メキシコオリンピック10日前に起きた「トラテルコ事件」(10月2日)のほうが有名です。
B: 当時メキシコは一党独裁の制度的革命党PRIが政権をとっており、時の大統領はルイス・エチェベリア、反政府運動が日常的な時代だった。スラムの水不足解消のため視察に来た政治家の演説の中に一度だけ名前が出てきた。
(政治家の演説も空しい水溜りだらけの水不足地域)
A: 皮肉なことに水溜まりが散在する土地柄だった。政府に批判的な学生や知識人などの動きを封じるため、政権が私設軍隊パラミリタールを組織し、そこにクレオの恋人フェルミンが加入していた。正規の軍隊とは別で、軍隊、警察、パラミリタールが民間人を殺害した。監督の「聖体の祝日の木曜日の虐殺」の記憶は鮮明のようです。
(1971年6月10日に起きた「聖体の祝日の木曜日の虐殺」を背景にしたポスター)
B: ソフィアの母テレサ夫人とベビーベッドを買いに家具屋を訪れていたクレオは、ここで民間人殺害に加担していたフェルミンと遭遇、衝撃で破水してしまう。
A: 本作ではスラムの水溜まりに限らず、タイル敷きの床を洗い流す汚水は排水口に上手く流れ込まない、水道栓からぽたぽた漏れる水、排水管が詰まっているのかシンクに溜まる水、森林火事の前時代的なバケツリレー、極め付きは子供たちに襲いかかる獰猛な高波、制御できない水が時代の流れを象徴するかのように一種のメタファーになっている。
飛行機、外階段、地震、森林火災、高波、犬の糞が象徴するもの
B: 水だけでなく、飼い犬の糞のメタファーは、メキシコが吐き出す悪の象徴ともいえる。久しぶりに帰宅した父親アントニオが糞の不始末に文句を言っていたが、彼の車の吸殻入れは満杯だ。
A: ファーストとラストカットに現れる飛行機は円環的な構成になっており、クレオとの関係も面白い。最初は洗剤の泡が混じった汚水に映る飛行機、ラストは外階段を上っていくクレオが見上げる飛行機。どちらもカメラは動かない。
B: カメラの位置は定点か、動いても回り灯篭のようにゆっくりと水平か斜めに動き、もっぱら動くのは被写体です。ロングショットが多く、したがってクローズアップは少ないのがいい。
A: 劇場公開を念頭において撮っていたからです。結果的にはNetflixプレゼンツになってしまったが、しつこく言いますがスクリーンで見たい映画です。
B: 日本の家屋に比べると、建物の構造が大分変わっている。門を開けると両側に建物があり、中央が車庫を兼ねた通路になっている。自家用車のフォードギャラクシーを止めるにはぎりぎりの幅しかなく、夫婦とも駐車に苦労している。
A: いわば身の丈に合わない生活をしているわけです。パティオというスペイン建築に典型的な中庭があり、母屋と使用人の住居が囲んでいる。洗濯場は3階の屋上にあって外階段で昇降している。中流家庭なのに洗濯機がないのにはびっくりした。
B: 日本では60年代後半には既に一般家庭に普及していましたね。
(ヤリッツァ・アパリシオに演技指導をする監督)
A: クレオが病院の新生児室を覗いているときに起きた小さな地震は、9500人の犠牲者を出した1985年のメキシコ大地震を予感させる。
B: ブルジョア家族たちが新年を過ごすトウスパン大農園の森林火災の意味はいろいろ想像できますが、大航海時代にやって来て以来、先住民を支配し続けている大農場主階級の終焉、さらにはこのアシエンダに集って新年を楽しむブルジョア階級の将来像でもあるでしょう。1970年代はメキシコの転換期でもあった。
やはり本作は乳母リボに捧げられたフィクション
A: 監督が生後9ヵ月のときにキュアロン家に乳母として雇われたリボ、リボリア・ロドリゲスに捧げられている。監督はあるインタビューで「ショットの90パーセントは自分の記憶だ」と語っている。記憶は時間とともに創作され変容していく。半自叙伝的と銘打っていますが、自分の幼少時代にインスパイアーされたフィクションでしょうね。
B: しかし、マリナ・デ・タビラが扮したソフィア夫人の人格は自分の母親に近いとも語っています。プロの俳優は少なく、彼女の他、クレオを侮辱した恋人、フェルミン役のホルヘ・アントニオ・ゲレーロ、武術の指導者ソベック先生のラテン・ラヴァーくらいでしょうか。
A: ビクトル・マヌエル・レセンデス・ヌニオが本名で、90年代から今世紀にかけてルチャリブレの人気プロレスラーだった人。引退後モデルになり、本作で映画デビューした。劇中では武術のほか力自慢のテレビ番組にも出演しているショットがありました。
(武術の先生ソベック役のラテン・ラヴァー)
B: 父親役のフェルナンド・グレディアガも新人、実父についての情報は検索できませんでした。
A: スペイン語ウィキペディアには名前だけしか載っていない。父親が原子物理学者で国際原子力機関に務めているという情報は英語版に載っていましたが、他に原子核医学を専門とする科学者と情報もあり、病院勤務をしていたのかもしれません。母親はクリスティナ・オロスコといい、今年3月に亡くなっています。1961年生れの監督は3人兄弟の長男ですが、劇中の長男トーニョに重ねていいのかどうかです。
B: 監督はトーニョであり、やんちゃなパコでもあり、末っ子のペペであるのかもしれない。
A: 主役はあくまでクレオ、つまり純粋で寛大だったリボ、時には生みの親より育ての親というように、彼女は家族にとっていなくてはならない存在だった。またセットに使った家具の70パーセントは自分の家にあったものをかき集め、残りはメンバーたちの家族のものだそうです。
B: あんな古いテレビがよくありましたね。ちゃんと映っていた。見ていた番組は「三馬鹿大将」シリーズですか。
A: 分かりませんでしたが、テレサお祖母さまとクレオに付き添われて子供たちが見に行った映画は、1964年にマーティン・ケイディンが発表した小説をもとに、ジョン・スタージェスが映画化したアメリカ映画『宇宙からの脱出』(69)、これが『ゼロ・グラビティ』(13)に繋がったのでしょう。
B: 売却することになったフォードギャラクシーで家族がベラクルス近くのトゥスパン村に旅行に出かける。そこで父親がケベックのオタワに住んでないことが子供たちに知らされる。
A: 次男のパコは電話の盗み聞きで、トーニョは映画を観に行ったとき、若い女性と手をつないでいる父親を偶然目撃して事実を知っていた。
B: 父親に愛されていると思っていた子供たちには辛すぎる話です。兄弟は互いに知っていることを秘密にしているが、口にできない辛さや父親への怒りは、取っ組み合いの兄弟喧嘩として発散される。
(子供たちに「パパはもう帰ってこない」と話すソフィア夫人)
A: こういう巧みな描写が至るところに散らばっている。プロットだけを読むと平凡すぎて食指が動きませんが、今年見たお薦め映画5本に入ります。監督が『ゼロ・グラビティ』の成功後、新作の構想を話しても誰も乗ってこなかったという。なかでカンヌ映画祭の総指揮者ティエリー・フレモーも首を傾げた一人ということでした。
B: 勿論映画ですから映像が良くなくては話になりませんが、モノクロなのに奥行きがあり、繰り返し見たくなります。その都度新しい発見がある。
B: 少ない台詞、ストーリーの流れの自然さ、対立する明るさと暗さ、残酷と優しさ、穏やかさと暴力、日常を淡々と描きながら突然襲う非日常が鮮やか。
A: シンプルのなのに複雑なのが人生というものでしょう。監督は自分が幼少期に過ごした家に帰る必要があったのだと思います。前述したように、アカデミー外国語映画賞プレセレクション9作に『ROMA/ローマ』と『夏の鳥』が残った。『万引き家族』も残った。多分『夏の鳥』は選ばれないと思いますが、他の2作は脈ありです。
B: しかし最近の米国アカデミー外国語映画賞は、初参加国が選ばれる傾向もあり分かりません。同じモノクロで撮ったポーランドのパヴリコフスキの「Cold War」も手強い。
A: キュアロンは既にオスカー監督ですが、メキシコ代表作品が受賞したことはありません。受賞すればメキシコ初となります。
(本作撮影中のアルフォンソ・キュアロン)
*監督の主なフィルモグラフィー*
1991『最も危険な愛し方』(「Sólo con tu pareja」スペイン語)
1995『リトル・プリンセス』
1998『大いなる遺産』
2001『天国の口、終りの楽園。』(「Y tu mamá también」スペイン語)
2004『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
2006『トゥモロー・ワールド』
2013『ゼロ・グラビティ』
2018『ROMA/ローマ』(「ROMA」スペイン語)
* ベネチア映画祭金獅子賞受賞の記事は、コチラ⇒2018年09月12日
* ホナス・キュアロンに関する記事は、コチラ⇒2015年09月25日/2017年04月23日
アルフォンソ・キュアロンの新作『ROMA/ローマ』① ― 2018年12月17日 15:16
ビエンナーレ2018金獅子賞受賞作品「ROMA」を見る
★アルフォンソ・キュアロンの長編8作目になる「ROMA」は、第75回ベネチア映画祭の金獅子賞受賞作品、Netflixプレゼンツ作品が初金星という記念碑を打ち立てた。本邦では東京国際映画祭TIFFで邦題『ROMA/ローマ』で特別上映されただけです。メキシコでは9月1日メキシコシティのトナラ館でプレミア後、「ロス・カボス映画祭」(11月7日~11日)で11月8日に特別上映された。スペインではほんの短期間(12月5日~14日)マドリード、バルセロナ各2館、マラガの1館だけで上映された。
(金獅子賞のトロフィーを手にしたアルフォンソ・キュアロン)
(左から、ナンシー・G・ガルシア、ヤリッツァ・アパリシオ、監督、マリナ・デ・タビラ)
★4月にNetflixの配給権がアナウンスされると、フランス国内での公開ができない作品は、コンペティションから除外するという法律のためカンヌ映画祭は本作の上映を見送った。監督はカンヌを希望していたということでしたが、結果的にベネチア映画祭でプレミアされることになった。フランスではグラン・リヨン映画祭で10月15日上映されたが、カンヌが直面している問題は、公開後3年間はVOD(ビデオ・オンデマンド)での使用権を取得できないというフランスの法律の厳格さであり、これはいかにも長すぎるのではないか。Netflixで12月14日から世界同時配信されたが、190ヵ国、ユーザー1億3000万人という数字は、監督のみならず関係者にとって実に魅力的ではないだろうか。フランスとNetflixが共に合意点を見つける努力を拒否していないが、詳細は明らかになっていない。今や巨人となったNetflixのストリーミングと大手配給会社との闘いは、今後どうなっていくのだろうか。
『ROMA/ローマ』(原題「ROMA」)
製作:Esperanto Filmoj(メキシコ)/ Participant Media(米)
監督・脚本・製作・撮影・編集:アルフォンソ・キュアロン(クアロン)
編集:(共)アダム・ゴGough
キャスティング:ルイス・ロサーレス
美術:カルロス・ベナシーニ、オスカル・テジョ
プロダクション・デザイナー:エウヘニオ・カバジェロ
衣装デザイナー:アンナ・テラサス
音響:セルヒオ・ディアス、スキップ・リーヴセイ、クレイグ・ヘニガン
製作者:ガブリエラ・ロドリゲス、ニコラス・セリス、(以下エグゼクティブ)ジョナサン・キング、デヴィッド・リンド、ジェフ・スコール
データ:製作国メキシコ=米国、スペイン語・ミシュテカ語・英語、2018年、ドラマ、135分、モノクロ、撮影地メキシコシティ、ゴールデン・グローブ賞2019(作品・脚本・監督)ノミネーション、第91回アカデミー外国語映画賞メキシコ代表作品、Netflixプレゼンツ作品(配信開始2018年12月14日)
映画祭・映画賞:ベネチア映画祭2018金獅子賞、SIGNIS賞受賞、テルライド映画祭にて北米プレミア、トロント映画祭観客賞受賞、サンセバスチャン映画祭、アトランタ映画批評家サークル賞(トップテンフィルム・外国語映画・監督・撮影)受賞、ワシントンDC映画批評家協会賞(作品・監督・撮影・外国語映画)受賞、ハリウッド映画賞(ヤリッツァ・アパリシオがニューハリウッド賞)、ニューヨーク映画批評家サークル賞(作品・監督・撮影)受賞、パームスプリングス映画祭、TIFF特別上映、他多数
キャスト:
ヤリッツァ・アパリシオ(オアハカ出身の乳母クレオ・グティエレス)
マリナ・デ・タビラ(ソフィア夫人)
マルコ・グラフ(三男ペペ)
ダニエラ・デメサ(長女ソフィ)
ディエゴ・コルティナ・Autrey (長男トーニョ)
カルロス・ペラルタ(次男パコ)
ベロニカ・ガルシア(ソフィアの母テレサ夫人)
ナンシー・ガルシア・ガルシア(家政婦アデラ)
フェルナンド・グレディアガ(ソフィアの夫アントニオ氏)
ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ(クレオの恋人フェルミン、ラモンの従兄弟)
アンディ・コルテス(使用人で運転手のイグナシオ)
ホせ・マヌエル・ゲレーロ・メンドサ(アデラの恋人ラモン)
エノック・レアニョ(政治家)
ラテン・ラヴァー(武術の先生ソベック)
ホセ・ルイス・ロペス・ゴメス(小児科医)
サレラ・リスベス・チノジャ・アレジャノ(ベレス産婦人科医)
パメラ・トレド(クレオの代役)
他、飼い犬ボラスなど
ストーリー:政治的混迷に揺れる1970年、メキシコシティのローマ地区に暮らす、ある裕福な医師家族の1年間が若い乳母クレオ――下層階級、先住民、女性という三重の社会的経済的圧力のなかで生きている――の視点を通して語られる。ローマ地区は中産階級が多く住んでおり、コミュニティの名前がタイトルになった。キュアロン映画に特徴的なテーマ、寛容、愛、感謝、孤独、別離、裏切り、移動、そして希望も語られるだろう。監督自身の記憶に基づく半自叙伝的な家族史であるが、同時にメキシコ現代史の一面が切りとられている。 (文責:管理人)
政治的混迷を深める1970年初頭のメキシコを描く
A: 開けてびっくり玉手箱とばかり、配信開始を首を長くして待っておりました。待ってる間に雑音が入りすぎてしまいましたが、待っただけの甲斐がありました。モノクロ映画の新作を見るのは、パブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』以来でしょうか。
B: 残念なニュースが目立った2018年でしたが、年の瀬にささやかなクリスマス・プレゼントが贈られてきました。
A: 『オクジャ』でも感じたことですが、こういう映画こそ最初は劇場で見たかった。チケットがアッという間に完売になった東京国際映画祭で鑑賞できた人が羨ましいかぎりです。
B: 特に冒頭のクレジット部分の静謐さは、さぞかし大画面だったら素晴らしかったろうと思いますね。長編映画としては、キュアロンが初めてカメラを回した作品でもありました。
A: 短編では数多く撮影を手掛けています。デビュー作「Sólo con tu pareja」(92『最も危険な愛し方』)以来、監督と二人三脚でカメラを回し続けているエマニュエル・ルベツキではなかった。モノクロで撮るには撮影期間が短すぎてスケジュールが合わなかったということでしたが、他にも事情があるらしい。前作の『ゼロ・グラビティ』(13)では、キュアロンが監督賞、ルベツキが撮影賞と両人ともオスカー像を手に、トータルで7個のオスカー像をゲットした。結果的にはキュアロンで良かったのではないか。
B: 前作からだと5年のブランクがありますが、大成功の後の次回作は、どの監督にとっても厳しい。
A: 監督によると、成功のあと、大きな製作会社からより多くの資金、大物スターのラインナップでオファーを受けたが、受けるべきではない考えた。「ROMA」が彼を待っていたからでした。
B: 賞は素晴らしいがそれなりの副作用がありますね。今度は故国メキシコに戻り、自分の記憶にある子供時代をスペイン語とミシュテカ語で、更にはモノクロで撮ると決めていた。
ミシュテカ生れの乳母リボに捧げられた『ROMA/ローマ』
A: 『ROMA/ローマ』は、生後9ヵ月のときから監督の乳母であったリボ、リボリア・ロドリゲスに捧げられています。本作は自分の人格形成に最も寄与してくれた女性の一人、体を張って育ててくれたリボへの謂わばラブレターです。メキシコでもっとも貧しいと言われるオアハカ州の先住民ミシュテカ出身、母語はミシュテカ語です。
B: ヤリッツァ・アパリシオが演じたクレオ・グティエレスのモデルというか分身です。劇中では同じ先住民の家政婦アデラとミシュテカ語で喋っていた。アパリシオ自身も村を出て、クレオの役を射止めてデビューしたということです。
A: アデラはクレオ同様使用人ですが、主に料理を担当する家政婦です。ブルジョア階級の家庭は必ず乳母nanaを雇っている。乳母というのは、掃除洗濯のような家事一般の他、笑顔を絶やさずに子供たちを躾け、忍耐強く世話をする、もう一人のママ、家じゅうで一番早く起き、一番最後に寝る人です。欧米の家政婦メイドとは違うのです。
B: クレオは家の戸締り、消灯をして最後に自室に戻っていた。まだ小さい末っ子のペペには母親より大事な人みたいで「クレオが大好き」を連発していた。
(幼稚園の帰り道、ランランのペペとクレオ)
(今「死んでるもん」とペペ、「死んでるのもイイね」とクレオ、印象深い洗濯場のシーン)
A: ミシュテカの子守歌を歌ってソフィを寝かしつけていたのもクレオでした。彼女は下層階級出身の先住民女性という三重の差別を受けている。女性であることがそもそも差別の対象なのです。マリナ・デ・タビラが扮した雇い主のソフィア夫人も、後ろ盾となっていた夫に捨てられたことで侮辱的なセクハラを受ける。
B: 男性の不実は許されている。上層階級の女性であるソフィア奥様も夫あっての存在でしかない。現代も半世紀前の1970年も大して変わっていないかもしれない。
(テレビを楽しむ最後の家族団欒シーン、翌日父親が家を去るのを知らない子供たち)
(走り去る夫アントニオの車を怒りを込めて睨むソフィア)
A: 貧しさに圧しつぶされてパラミリタールに入ったクレオの恋人フェルミン、クレオの妊娠を知った途端手のひらを返すようにクレオを捨てる。無責任に貧富の差は関係ない。
B: クレオの妊娠を受け入れたソフィア夫人、女性が子供を授かることは自然とクレオを咎めない先住民女性の大らかさ、総じて女性たちの強さ、勇気、優しい団結が印象的でした。
A: 一人として堕胎を強要しない。望まぬ妊娠でも生まれてくる子供に罪はない。それだけにクレオが最後に発する言葉「生まれて欲しくなかったの」は衝撃的、クレオがどんな心境で大きなお腹を抱えて過ごしていたのかと想像すると、その辛さの大きさに涙を禁じえなかった。本作の凄さは映像よりも、観客が見落としてしまうような台詞の巧みさです。ソフィア夫人も最後には新たなチャレンジを子供たちに宣言、希望を抱かせるラストでした。
(一番素晴らしかった海辺のシーンを使用したポスター)
B: 家族史だけでなく暴力が根幹にあるメキシコ社会についても映画は語っています。
A: マチスモ、不平等、偽善、パラミリタールという私設軍隊、特に1971年6月10日に起きた「聖体の祝日の木曜日の虐殺」を、記憶に残る事件として監督は挙げている。日本で「血の木曜日事件」といわれる反政府デモを軍隊が弾圧した事件、次回に回します。
ダニエル・サンチェス・アレバロの新作「Diecisiete」はNetflixオリジナル作品 ― 2018年10月29日 16:17
6年間の沈黙を破って映画に戻ってきた!
★9月半ばカンタブリアでクランクインしたダニエル・サンチェス・アレバロの新作「Diecisiete」は、スペイン映画としては「Netflixオリジナル作品」4作目になるそうです。1作目は既に配信されているロヘル・グアルの『7年間』(16)、2作目がボルハ・コベアガの『となりのテロリスト』(17)、3作目がイサベル・コイシェの「Elisa y Marcela」で2019年にリリースされる由。コイシェ監督の新作は、1901年スペインで初めて同性婚をしたレスビアン・カップル、エリサ・サンチェスとマルセラ・ガルシアの実話を素材にしている。
*「Elisa y Marcela」の紹介記事は、コチラ⇒2018年02月08日
★「Diecisiete」はまだクランクインしたばかりですが、ストーリーはほぼ固まっているようです。17歳になるエクトル(ビエル・モントロ)が少年センターに入所して2年が経つ。非社交的で他人と関係が結べないエクトルは、動物を利用しての社会復帰のセラピーを受けることになる。そこで彼と同じように内気で不愛想な羊という意味のオベハという牝犬と出会い、変わらぬ繋がりをもてるようになる。しかし数ヵ月後オベハは姿を消す、それは飼い主が見つかったからだ。エクトルはこの現実を受け入れることができない。あと2ヵ月で入所期間が終わるというときオベハを探しにセンターを抜け出す。連絡を受けたエクトルの法廷後見人である兄イスマイル(ナチョ・サンチェス)は、祖母の古い老人施設に潜んでいたエクトルを見つけ出す。しかしオベハと一緒でなければセンターに戻ることを承知しないエクトル、連れ帰らなければならないイスマイル、兄弟は困難に直面する。後2日経つとエクトルは18歳になってしまう、もう少年ではいられない・・・。
(サンチェス・アレバロ監督、ビエル・モントロ、ナチョ・サンチェス、カンタブリアで)
(ビエル・モントロに演技指導をする監督)
★ダニエル・サンチェス・アレバロ映画には欠かせない、アントニオ・デ・ラ・トーレ、キム・グティエレス、ラウル・アレバロなどの常連の姿はない。兄役ナチョ・サンチェスは、今年のマックス・シアター賞受賞者だが長編映画出演は初めて。ネットフリックス配信のTVシリーズ『海のカテドラル』(7話)に罪人役で出演しているようだ。弟役ビエル・モントロはマルティン・オダラの『黒い雪』(アルゼンチン=スペイン合作、17、Netflix配信)でスバラグリアの若い頃を演じている。なんだかNetflixの宣伝をしているような気分になってきた。
(ナチョ・サンチェス、第21回マックス・シアター賞の授賞式にて)
★ダニエル・サンチェス・アレバロ(マドリード、1970)は、2006年『漆黒のような深い青』でデビュー、翌年のゴヤ賞新人監督賞を受賞した。本作は「ラテンビート2007」で上映され、監督も来日した。2009年、主役のデ・ラ・トーレを30キロほど太らせて撮った『デブたち』、2011年、コミージャスを舞台に大人になりきれない3人の従兄弟たちの一夏を描いたコメディ『マルティナの住む街』と話題作が立て続けに上映された。しかし2013年「La gran familia española」を最後に沈黙してしまった。何をしていたのかというと小説を執筆していた。「La isla de Alice」(2015年刊)というタイトルの小説は第64回プラネタ賞の最終選考まで残ったスリラー物、間もなくアメリカでも翻訳書が刊行される。いずれ映画化も視野に入っているようです。小説も悪くないけど、やっぱり映画を撮らなくちゃ。
(8万部を売ったという「La isla de Alice」を手にしたサンチェス・アレバロ)
★「前進するには一歩後退が必要、原点に戻って撮りたい」と監督。製作はホセ・アントニオ・フェレスのAtipica Films、Netflixオリジナル作品、2019年配信。
追記:邦題『SEVENTEEN セブンティーン』で2019年10月18日配信開始
『日曜日の憂鬱』 ラモン・サラサールの新作*ネットフリックス ― 2018年06月21日 12:37
母と娘の対決はスシ・サンチェスとバルバラ・レニーの女優対決
★ベルリン映画祭2018「パノラマ」部門に正式出品されたラモン・サラサールの第4作目「La enfermedad del domingo」(「Sunday's Illness」)が、『日曜日の憂鬱』という若干ズレた邦題で資金を提供したネットフリックスに登場いたしました。三大映画祭のうち大カンヌは別として、ベルリナーレやベネチアはNetflixを排除していません。観て元気がでる映画ではありませんが、デビュー作『靴に恋して』同様シネマニア向きです。母娘に扮したスシ・サンチェスとバルバラ・レニーの女優対決映画でしょうか。以下に既に紹介しているデータを再構成してアップしておきます。
*「La enfermedad del domingo」の内容、監督キャリア紹介記事は、コチラ⇒2018年02月22日
「La enfermedad del domingo」(「Sunday's Illness」)
製作:Zeta Cinema / ON Cinema / ICEC(文化事業カタルーニャ協会)/
ICO(Instituto de Credito Oficial)/ICAA / TVE / TV3 / Netflix
監督・脚本:ラモン・サラサール
撮影:リカルド・デ・グラシア
音楽:ニコ・カサル
編集:テレサ・フォント
キャスティング:アナ・サインス・トラパガ、パトリシア・アルバレス・デ・ミランダ
衣装デザイン:クララ・ビルバオ
特殊効果:エンリク・マシプ
視覚効果:イニャキ・ビルバオ、ビクトル・パラシオス・ロペス、パブロ・ロマン、
クーロ・ムニョス、他
製作者:ラファエル・ロペス・マンサナラ(エグゼクティブ)、フランシスコ・ラモス
データ:製作国スペイン、スペイン語・フランス語、2018年、113分、ドラマ、撮影地バルセロナ、ベルリン映画祭2018パノラマ部門上映2月20日、ナント・スペイン映画祭フリオ・ベルネ賞、観客賞受賞、スペイン公開2月23日、Netflix本邦放映 6月
キャスト:バルバラ・レニー(キアラ)、スシ・サンチェス(母アナベル)、ミゲル・アンヘル・ソラ(アナベルの夫ベルナベ)、グレタ・フェルナンデス(ベルナベの娘グレタ)、フレッド・アデニス(トビアス)、ブルナ・ゴンサレス(少女時代のキアラ)、リシャール・ボーランジェ(アナベルの先夫マチュー)、デイビット・カメノス(若いときのマチュー)、Abdelatif Hwidar(町の青年)、マヌエル・カスティーリョ、カルラ・リナレス、イバン・モラレス、ほか牝犬ナターシャ
プロット:8歳のときに母親アナベルに捨てられたキアラの物語。35年後、キアラは変わった願い事をもって、今は実業家の妻となった母親のもとを訪れてくる。理由を明らかにしないまま、10日間だけ一緒に過ごしてほしいという。罪の意識を押し込めていたアナベルは、娘との関係修復ができるかもしれないと思って受け入れる。しかし、キアラには隠された重大な秘密があったのである。ある日曜日の午後、キアラに起こったことが、あたかも不治の病いのように人生を左右する。アナベルは決して元の自分に戻れない、彼女の人生でもっとも難しい決断に直面するだろう。長い不在の重み、無視されてきた存在の軽さ、地下を流れる水脈が突然湧き出すような罪の意識、決して消えることのない心の傷、生きることと死ぬことの意味が語られる。母娘は記憶している過去へと旅立つ。 (文責:管理人)
短編「El domingo」をベースにした許しと和解
A: 前回触れたように、2017年の短編「El domingo」(12分)が本作のベースになっています。キアラと父親が森の中の湖にピクニックに出かける。しかしママは一緒に行かない。帰宅するとママの姿がない。キアラは窓辺に立ってママの帰りを待ち続ける。出演はキアラの少女時代を演じたブルナ・ゴンサレスと父親役のデイビット・カメノスの二人だけです。ブルナ=キアラが付けているイヤリングをバルバラ=キアラも付けて登場する。不服従で外さなかったのではなく理由があったのです。
B: 多分家出した母親が置いていったイヤリング、アナベルなら一目で我が娘とわかる。スタッフはすべて『日曜日の憂鬱』のメンバーが手掛けており、二人は本作ではキアラが母親に見せるスライドの中だけに登場する。母娘はそれぞれ記憶している過去へ遡っていく。後述するがリカルド・デ・グラシアのカメラは注目に値する。
(キアラが規則を無視して外さなかったイヤリングを付けた少女キアラ、短編「El domingo」)
A: キアラの奇妙な要求「10日間一緒に過ごすこと」の謎は、半ばあたりから観客も気づく。お金は要らないと言うわけですから最初からうすうす気づくのですが、自分の予想を認めたくない。
B: 観客は辛さから逃げながら見ている。しかし、具体的には最後の瞬間まで分かりません。許しと和解は避けがたく用意されているのですが、歩み寄るには或る残酷な決断が必要なのです。
A: 二人の女優対決映画と先述しましたが、実際に母娘を演じたスシ・サンチェスとバルバラ・レニーの一騎打ちでした。ほかはその他大勢と言っていい(笑)。来年2月のゴヤ賞ノミネーションが視野に入ってきました。
B: 「その他大勢」の一人、霊園で働いている飾り気のない、キアラの数少ない理解者として登場するトビアス役のフレッド・アデニスが好印象を残した。
(撮影合間に談笑する、フレッド・アデニスとバルバラ・レニー、キアラの愛犬ナターシャ)
A: アデニスとベルナベの娘役グレタ・フェルナンデスは、イサキ・ラクエスタ&イサ・カンポの『記憶の行方』(「La próxima piel」16、Netflix)に出演している。二人ともカタルーニャ語ができることもあってバルセロナ派の監督に起用されている。グレタはセスク・ゲイの「Ficció」で長編デビュー、『しあわせな人生の選択』(「Truman」)にもチョイ役で出演していた。
(義母の過去を初めて聞かされるグレタ、グレタ・フェルナンデス)
B: フェルナンド・E・ソラナス作品やカルロス・サウラの『タンゴ』(98)などに出演したミゲル・アンヘル・ソラが、アナベルの現在の夫役で渋い演技を見せている。
A: アルゼンチン出身ですがスペイン映画の出演も多い。アルゼンチンの有名な映画賞マルティン・フィエロ賞を2回受賞しているほか、舞台でも活躍している実力者。フランスからアナベルの先夫マチュー役にリシャール・ボーランジェを起用、キャスト陣は国際色豊かです。
B: 本作と『記憶の行方』の導入部分は似てますね。ツララが融けていくシーンが音楽なしで延々と流れる。両作とも全体に音楽が控えめなぶん映像に集中することになる。
A: 音楽については後述するとして、マラガ映画祭2016の監督賞受賞作品です。カタルーニャ語映画でオリジナル題は「La propera pell」、作家性の強い、結末が予測できないスリラーでした。こちらもピレネーを挟んだスペインとフランスが舞台でした。
「あまりに多くのことを求めすぎた」ことへの代償
B: ストーリーに戻ると、冒頭のシーンはピレネーの山間らしく樹間に湖が見える。映像は写真のように動かず無音である。祠のような大穴のある樹幹が何かを象徴するかのように立っている。若い女性が現れ穴の奥を覗く、これが主役の一人キアラであることが間もなく分かる。
A: この穴は伏線になっていて、後に母親アナベラの夢の中に現れる。湖も何回か現れ、謎解きの鍵であることが暗示される。シーンは変わって鏡に囲まれたきらびやかな豪邸の広間を流行のドレスを身に纏った女性がこちらに向かって闊歩してくる。ハイヒールの留め金が外れたのか突然転びそうになる。伏線、悪夢、鏡、悪い予感など、不穏な幕開けです。
(樹幹の大きい穴を覗き込むキアラ)
B: 冒頭で二人の女性の生き方が対照的に描かれるが、最初はことさら不愛想に、無関心や冷淡さが支配している。なぜ母親は娘を置いて失踪したのか、なぜ娘は風変わりな願いを携えて、35年ぶりに唐突に母親に会いに来たのか、娘はどこに住んでいるのか、謎のまま映画は進行する。
A: 復讐か和解か、キアラの敵意のある眼差しは、時には優しさにあふれ、陰と陽が交互にやってくる。謎を秘めたまま不安定に揺れ動く娘、罪の意識を引きずってはいるが早く合理的に解決したい母、歩み寄るには何が必要か模索する。日曜日の午後、派手な化粧をして出ていったまま戻ってこない。それ以来、娘は窓辺に立って母を待ち続ける。娘にとって母の長い不在の重さは、打ち捨てられた存在の軽さに繋がる。
B: 母親が消えた8歳から溜め込んできた怒りが「お母さんにとって私は存在しない」というセリフになってほとばしる。「木登りが大好きだった」という娘のセリフから、帰宅する母親を遠くからでも見つけられるという思いが伝わってくる。ウソをつくことが精神安定剤だった。
A: アナベラは母よりも女性を優先させた。キアラが死んだことにしたマチューとの邂逅シーンで「あまりに多くのことを求めすぎた」と語ることになる。二人の青春は1960年代末、先の見えないベトナム戦争にアメリカのみならず世界の若者が反旗を翻し、大人の権威が否定された時代でした。
B: アナベラもマチューも辛い記憶を封印して生きてきた。「遠ざけないと生きるのに邪魔になる思い出がある」と、今は再婚してパリで暮らしているマチュー。
A: 記憶はどこかに押し込められているだけで消えてしまったわけではない。しかし辛い過去の思い出も作り直すことはできる。楽しかった子供の頃のフィルムを切り貼りして、別の物語を作ってキアラは生きてきた。
(光の当て方が美しかった、スライドを見ながら過去の自分と向き合う母娘)
B: 全体的に音楽が入るシーンは少なく、だからアナベラがママ・キャスのバラード「私の小さな夢」の曲に合わせて踊るシーンにはっとする。外にいると思っていたキアラが部屋の隅にいて、踊っている母を見詰めて笑っている。そして「楽しそうでよかった」というセリフが入る。
A: 緊張が一瞬ほどけるシーン、「私の小さな夢」は1968年発売のヒット曲、アナベラの青春はこの時代だったわけです。ママ・キャスは絶頂期の32歳のとき心臓発作で亡くなったが、父親を明かさない娘がいたことも話題になった。時代設定のためだけに選曲したのではなさそうです。
B: 1968年当時、アナベラがマチューと暮らしていただろうフランスでは、怒れる若者が起こした「五月革命」が吹き荒れた時代でもあった。キアラが母親を連れ帰った家は、ピレネー山脈の山間の村のようです。今はキアラが愛犬のナターシャと住んでいるが、35年前は親子三人で暮らしていた。
A: フランス側のバスクでしょうか。「ラ・ロッシュの先は迷うから危険」という村人のセリフから、レジオン的にはヌーヴェル=アキテーヌ地域圏かなと思います。実際そこで撮影したかどうか分かりませんし、この地名に何か意味があるのかどうかも分かりません。
キアラは「キアラ・マストロヤンニ」から取られた名前
B: キアラというイタリアの名前を付けた理由は「イタリアのナントカという苗字は忘れたが、その俳優の娘から取った」とアナベル。それでマルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴの娘キアラ・マストロヤンニから取られたと分かる。
A: フランスの女優キアラ・マストロヤンニのこと。二人の初顔合せはフェリーニの『ひきしお』(71)で、正式には結婚しませんでしたが、娘は1972年生れです。ですからキアラ誕生はそれ以降となり、現在は2016年頃の設定になっているようです。多分マチューとアナベルも籍は入れなかった設定でしょうね。アナベルが消えてしまう一つの理由が映画をやりたいからでした。
B: 残された娘はやれ切れない。情緒不安定、起伏の激しい人格を演じるのにバルバラ・レニーは適役です。非日常的な雰囲気をつくるのが得意です。
A: スシ・サンチェスは、もっと上背があると思っていましたが、意外でした。バルセロナの豪邸では大柄に見えましたが、だんだん小さくなっていくように見えた。その落差が印象的でした。来年の話で早すぎますすが、二人ともゴヤ賞2019女優賞ノミネートは確実ですね。
(自宅の客間を闊歩するアナベル)
B: ゴヤ賞ついでに撮影監督リカルド・デ・グラシア(1972年、マドリード)について触れると、こちらもゴヤ賞ノミネートは間違いないのではないか。心に残るシーンが多かった。
A: サラサール監督の第2作、コメディ・ミュージカル「20 centimetros」、第3作「10.000 noches en ninguna parte」ほか、本作のベースになった短編「El domingo」も手掛けています。ほかの監督では、アレックス・ピナの「KAMIKAZE」(14)、IMDbによればTVシリーズでも活躍している。
(山の斜面を急降下するアナベルとキアラ)
B: 冒頭のシーンから惹きつけられます。特に後半、母に抱かれたキアラが雪の積もった山の斜面に敷かれたレールを急降下してくるシーン、ジェットコースターに乗れない人は汗が出る。前方にカメラを積んで撮影したようです。
A: 夜の遊園地で回転木馬がゆっくり回る光のシーン、二人でスライドを見るシーン、最後の静謐な湖のシーン。ただ美しいだけでなく、カメラの目は二人の女優の演技を引き立たせようと周到に向けられている。総じて会話が少ない本作では、俳優の目の演技が要求されるからカメラの果たす役目は大きい。
B: 映像美という言葉では括れない。カメラが映画の質を高めていると感じました。
(撮影中のサラサール監督と撮影監督リカルド・デ・グラシア)
*主要キャスト紹介*
★バルバラ・レニーは、『マジカル・ガール』(14、カルロス・ベルムト)以来日本に紹介された映画、例えば『インビジブル・ゲスト悪魔の証明』(16、オリオル・パウロ)、『家族のように』(17、ディエゴ・レルマン)と、問題を抱えこんだ女性役が多い。サラサール作品に初出演、本作で着るダサい衣装でもその美しさは際立つ。彼女の普段着、母親アナベルの豪華な衣装は、母娘の対照的な生き方を表している。
*バルバラ・レニーのキャリア&フィルモグラフィー紹介は、コチラ⇒2015年03月27日他
(35年ぶりに対面する母と娘、バルセロナの豪邸)
★スシ・サンチェス(1955、バレンシア)は、今まで脇役専門でトータル70作にも及ぶ。本作では8歳になる娘を残して自由になろうと過去を封印して別の人生を歩んでいる母親役に挑んだ。日本初登場は今は亡きビセンテ・アランダの『女王フアナ』(01、俳優組合賞助演女優賞ノミネート)のイサベル女王役か。他にもアランダの『カルメン』(04)、ベルリン映画祭2009金熊賞を受賞したクラウディア・リョサの『悲しみのミルク』(スペイン映画祭’09)、ベニト・サンブラノの『スリーピング・ボイス~沈黙の叫び』(11)、アルモドバル作品では『私が、生きる肌』(11、俳優組合賞助演女優賞ノミネート)、『アイム・ソー・エキサイテッド!』(13)、『ジュリエッタ』など、セスク・ゲイの『しあわせな人生の選択』(16)でも脇役に徹していた。『日曜日の憂鬱』で主役に初挑戦、ほかにサラサール作品では、『靴に恋して』以下、「10.000 noches en ninguna parte」(12)でゴヤ賞助演女優賞にノミネートされた他、俳優組合賞助演女優賞を受賞した。TVシリーズは勿論のこと舞台女優としても活躍、演劇賞としては最高のマックス賞2014の助演女優賞を受賞している。
(本当の願いを母に告げる娘、スシ・サンチェスとバルバラ・レニー)
*監督フィルモグラフィー*
★ラモン・サラサールRamón Salazarは、1973年マラガ生れの監督、脚本家、俳優。アンダルシア出身だがバルセロナでの仕事が多い。1999年に撮った短編「Hongos」が、短編映画祭として有名なアルカラ・デ・エナーレスとバルセロナ短編映画祭で観客賞を受賞した。長編デビュー作「Piedras」がベルリン映画祭2002に正式出品され、ゴヤ賞2003新人監督賞にもノミネートされたことで、邦題『靴に恋して』として公開された。2005年「20 centimetros」は、ロカルノ映画祭に正式出品、マラガ映画祭批評家賞、マイアミ・ゲイ&レスビアン映画祭スペシャル審査員賞などを受賞した。2013年「10.000 noches en ninguna parte」はセビーリャ(ヨーロッパ)映画祭でアセカン賞を受賞している。2017年の短編「El domingo」(12分)、2018年の「La enfermedad del domingo」が『日曜日の憂鬱』の邦題でNetflixに登場した。
オープニング作品はマテオ・ヒルの新作*マラガ映画祭2018 ⑥ ― 2018年04月02日 17:38
マイアミ映画祭2018「監督賞」受賞作品「Las leyes de la termodinámica」
★まだコンペティション部門の全体像は見えてきませんが、マテオ・ヒルのオープニング作品「Las leyes de la termodinámica」他、スペインからはダビ・トゥルエバ「Casi 40」、パウ・ドゥラ「Formentera Lady」、エレナ・トラぺ「Las distancias」、キューバからエルネスト・ダラナス・セラーノ「Sergio y Serguéi」、ヘラルド・チホーナ「Los buenos demonios」、アルゼンチンからヴァレリア・ベルトゥチェッリのデビュー作「La reina del miedo」などが発表されています。例年の3月開催から4月にシフトしたことで、本映画祭がワールドプレミアではなくなっています。マテオ・ヒルやダラナス・セラーノの作品は、マイアミ映画祭2018(3月9日~18日)にエントリーされており、そのほかヴァレリア・ベルトゥチェッリの作品も、サンダンス映画祭(1月18日~28日)がプレミア、監督自身が主演して演技賞(女優賞)を受賞しています。今後もこのケースが増えるかもしれません。
(開幕上映作品、マテオ・ヒルの「Las leyes de la termodinámica」ポスター)
★マテオ・ヒルの新作「Las leyes de la termodinámica」は、第35回マイアミ映画祭の監督賞受賞作品、受賞したから選ばれたわけではなく開催前に決定しておりました(3月7日発表)。因みに作品賞はディエゴ・レルマンの『家族のように』でした(ラテンビート2017)。クランクインした2016年10月から話題になっており、それは前作のロマンティックSF「Proyecto Lázaro」(16、英題Realive)が観客に受け入れられたことと関係があると思います。2083年という未来の世界では、科学に重きを置く、宗教を蔑ろにする不信人者たちであふれ、人生はより不明確で曖昧になる。矛盾が許され、どこまで行っても不可能だが、やはり愛を求めている。モラル的な願いを込めて構成されたロマンティックSF。
(主役のトム・ヒューズ、ウーナ・チャップリンなど、「Proyecto Lázaro」ポスター)
「Las leyes de la termodinámica」英題「The Laws of Thermodynamics」
製作:Zeta Cinema / Atresmedia Cine / On Cinema 2017 / Netflix / Televisió de Catalunya / Atresmedia / ICAA / ICEC
監督・脚本:マテオ・ヒル
撮影:セルジ・ビラノバ
音楽:フェルナンド・ベラスケス
編集:ミゲル・ブルゴス
美術:フアン・ペドロ・デ・ガスパル
衣装デザイン:クララ・ビルバオ
製作者:フランシスコ・ラモス、(エグゼクティブ)ラファエル・ロペス・マンサナラ
データ:製作国スペイン、スペイン語、2018年、ロマンティック・コメディ、撮影地バルセロナ。配給元ソニー・ピクチャー、スペイン公開4月20日決定。
映画祭・受賞歴:マイアミ映画祭2018正式出品(Knight Competition Grand Jury)監督賞受賞、マラガ映画祭正式出品(オープニング作品)
キャスト:ビト・サンス(マネル)、ベルタ・バスケス(エレナ)、チノ・ダリン(パブロ)、ビッキー・ルエンゴ(エバ)、フアン・ベタンクール(ロレンソ)、アンドレア・ロス(アルバ)、イレネ・エスコラル(ラケル)、ジョセップ・マリア・ポウ(アマト教授)他
物語:ちょっとノイローゼ気味だが前途有望な物理学者マネルの物語。人気モデルで新米女優のエレナとの関係をどのように証明するか計画を立てる。彼のせいで散々な結果になっているのは、まぎれもなく物理学の原則、つまりニュートンやアインシュタインのような天才、あるいは量子力学の創始者たちの原理から導きだしているからだ。それは特に熱力学の三原則によっているからだ。
(左から、フアン・ベタンクール、ベルタ・バスケス、ビト・サンス、映画から)
★自由意志は存在するのか否か、人々は自分自身で決定する能力、または自然の法則によって定められた能力を持っているのかどうか、私たちの関係が上手くいかない責任は自ら負うべきか、現実を変えようとするのは無意味なことか、と監督は問うているようです。主役のビト・サンス、ベルタ・バスケス、チノ・ダリン、ビッキー・ルエンゴの4人は当ブログでは脇役として登場させているだけですが、最近人気が出てきた若手のホープたちです。ビト・サンスはいずれアップしたいダビ・トゥルエバの新作「Casi 40」にも起用されている。チノ・ダリンはリカルド・ダリン・ジュニア、フェルナンド・トゥルエバの「La reina de España」に出演している。ベルタ・バスケスはフェルナンド・ゴンサレス・モリナの「Palmeras en la nieve」でマリオ・カサスと禁断の恋をするヒロインを演じ、2015年の興行成績に寄与している(Netflix『ヤシの木に降る雪』)。ビッキー・ルエンゴは当ブログ初登場です。
(監督を囲んだ4人のキャスト、2016年10月クランクインしたときの写真)
★マテオ・ヒルMateo Gil、1972年ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア生れ、監督、脚本家、製作者、撮影監督。1993年、短編「Antes del beso」で監督デビュー、1996年、アレハンドロ・アメナバルの『テシス 次に私が殺される』や翌年の『オープン・ユア・アイズ』の脚本を共同執筆する。エドゥアルド・ノリエガを主役に起用した長編デビュー作(1999『パズル』)以来、奇妙で一風変わった、それでいて興味深い映画を撮り続けている。『パズル』ではアメナバルが音楽を手掛けている。初期にはアメナバル、ノリエガと組んだ作品が多い。
◎主なフィルモグラフィー(短編を除く)
1996「Tesis」『テシス 次に私が殺される』脚本、監督アメナバル
1996「Cómo se hizo Tesis」監督
1997「Abre los ojos」『オープン・ユア・アイズ』脚本、監督アメナバル
1999「Nadie conoce a nadie」『パズル』監督、脚本、東京国際映画祭上映
2004「Mar adentro」『海を飛ぶ夢』脚本、監督アメナバル、ゴヤ賞2005脚本賞
2005「El método」脚本、監督マルセロ・ピニェイロ、ゴヤ賞2006脚本賞
2006『スパニッシュ・ホラー・プロジェクト エル・タロット』TV、監督・脚本、TV放映
2009「Agora」『アレクサンドリア』脚本、監督アメナバル、ゴヤ賞2010脚本賞
2011「Blackthorn」『ブッチ・キャシディ 最後のガンマン』監督
トゥリア賞2012新人監督賞、TV放映
2016「Proyecto Lázaro」「Realive」監督、脚本、ファンタスポルト映画祭2017作品・脚本賞
2018「Las leyes de la termodinámica」監督、脚本、マイアミ映画祭監督賞
追記:『熱力学の法則』の邦題でNetflix 配信されました。
ヴィム・ヴェンダースの新作で開幕*サンセバスチャン映画祭2017 ⑫ ― 2017年09月26日 13:12
アリシア・ヴィカンダー、サンセバスチャンに到着
★まずまずの天候に恵まれ開幕しました。続々と内外のシネアストが現地入りして国際映画祭ならではの雰囲気がただよってきました。オープニング作品 “Submergence” の監督ヴィム・ヴェンダースのグループ、アントニオ・バンデラス、パス・ベガ、審査委員長ジョン・マルコヴィッチ以下の審査員一同(ホルヘ・ゲリカエチェバリア、エンマ・スアレス、ドロレス・フォンシ、ウィリアム・オールドロイド、アンドレ・ザンコウスキ、パウラ・ヴァカロ)、カルロス・サウラ、アニエス・ヴァルダ、アキ・カウリスマキなどのスーパー・シニア組も元気な姿で到着しました。ホライズンズ・ラティノの有力候補、チリのセバスチャン・レリオ監督とヒロインのダニエラ・ベガも早々と姿を見せ意気込みを印象づけました。
(審査員一同、中央がマルコヴィッチ審査委員長)
★オープニング作品はヴィム・ヴェンダースの最新作 “Submergence”(スペイン題 “Inmersión”)、先日閉幕したトロント映画祭のスペシャル・プレゼンテーション部門でも上映され、監督は第4回「ゴールデン・サム」賞を受賞したばかりです。監督、ヒロインのスウェーデン出身だが現在はハリウッドで活躍しているアリシア・ヴィカンダー(ヴィキャンデル)、トロントにも来ていたケリン・ジョーンズが現地入りしたようです。
(サンセバスチャンには姿を見せなかったジェームズ・マカヴォイ入りのポスター)
(ケリン・ジョーンズ、ヴィム・ヴェンダース監督、アリシア・ヴィカンダー)
「サンセバスチャンは Netflix 作品を拒みません」と総監督ホセ・ルイス・レボルディノス
★ベネチア映画祭のディレクターもネットフリックス制作の映画は「大歓迎」と、カンヌとは違う路線をアナウンスしましたが、サンセバスチャンの今年7回目を総指揮するホセ・ルイス・レボルディノスも早くから「Netflix 作品を拒みません」と明言していました。規模も格も段違いですから、存続のためにもきれいごとなど言ってられません。だからではないでしょうが、ベロドロモ部門上映のボルハ・コベアガの “Fe de etarras” の以下のような大垂れ幕がビル全体を被いました。レボルディノスも56歳、63歳で引退をちらつかせていますが、大分先の話です。
(ネットフリックス制作“Fe de etarras” のプロモーション用の大ポスター)
★マヌエル・マルティン・クエンカの “El autor” の面々も勢揃いしています。スペイン語映画では賞レースの先頭を走っている印象です。大歓迎を受けて、ハビエル・グティエレスもマリア・レオンも上機嫌のようです。ハビエルは2014年に『マーシュランド』(アルベルト・ロドリゲス)で男優賞を受賞していますが、授賞式には欠席して相棒のラウル・アレバロがスピーチを代読した。アルベルト・ロドリゲス監督は作品は、コンペティション外でTVシリーズ “La peste”(2回分)が上映されます。
(マヌエル・マルティン・クエンカ監督)
(一人だと小柄が目立たない主役アルバロのハビエル・グティエレス)
『あなたに触らせて』あるいは『スキン』*ラテンビート2017 ② ― 2017年08月20日 15:39
末恐ろしいエドゥアルド・カサノバのデビュー作
(ピンクのシャツで全員集合)
★エドゥアルド・カサノバのデビュー作 “Pieles”(“Skins”)は、ラテンビートでは英題の『スキン』ですが、ネットフリックスで『あなたに触らせて』として既に放映されています。ネットフリックスの邦題は本作に限らずオリジナル・タイトルに辿りつけないものがが多く、これも御多分に漏れずです。セリフの一部から採用しているのですが・・・。ネットフリックスの資金援助とアレックス・デ・ラ・イグレシアとカロリナ・バングの制作会社Pokeepsie Films、キコ・マルティネスのNadie es Perfectoの後押しで、1年半という新人には考えられない短期間で完成できた作品。新プラットフォームの出現でスクリーン鑑賞が後になるというのも、時代の流れでしょうか。なおカロリナ・バングはプロデュースだけでなく精神科医役として特別出演しています。
★ベルリン映画祭2017パノラマ部門、マラガ映画祭正式出品の話題作。デフォルメされた身体のせいで理不尽に加えられる暴力が最後に痛々しいメロドラマに変化するという、社会批判を込めた辛口コメディ、ダーク・ファンタジー。好きな人は涙、受けつけない人は苦虫、どちらにしろウトウトできない。
“Pieles”(“Skins”)『スキン』(または『あなたに触らせて』)2017
製作:Nadie es Perfecto / Pokeepsie Films / Pieles Producciones A.I.E.
協賛The Other Side Films
監督・脚本:エドゥアルド・カサノバ
撮影:ホセ・アントニオ・ムニョス・モリナ(モノ・ムニョス)
編集:フアンフェル・アンドレス
音楽:アンヘル・ラモス
録音:アレックス・マライス
録音デザイン:ダビ・ロドリゲス
美術・プロダクションデザイン:イドイア・エステバン
メイク&ヘアー:ローラ・ゴメス(メイク主任)、オスカル・デル・モンテ(特殊メイク)
ヘスス・ジル(ヘアー)
衣装デザイン:カロリナ・ガリアナ
キャスティング:ピラール・モヤ、ホセ・セルケダ
プロダクション・マネジャー:ホセ・ルイス・ヒメネス、他
助監督:パブロ・アティエンサ
製作者:キコ・マルティネス、カロリナ・バング、アレックス・デ・ラ・イグレシア、他
視覚効果:Free your mindo
データ:スペイン、スペイン語、2017年、コメディ、ダーク・ファンタジー、77分、ベルリン映画祭2017パノラマ部門出品、マラガ映画祭2017セクション・オフィシアル出品(ヤング審査員特別賞受賞)、ビルバオ・ファンタジー映画祭上映。配給ネットフリックス190ヵ国放映、スペイン公開6月9日、ラテンビート2017予定。
プロット:普通とは異なった身体のため迫害を受ける、サマンサ、ラウラ、アナ、バネッサ、イツィアルを中心に、周りには理解してもらえない願望をもつ、クリスティアン、エルネスト、シモン、後天的に顔面に酷い火傷を負い再生手術を願っているギリェなどを絡ませて、「普通とは何か」を問いかけた異色のダーク・ファンタジー。人は「普通」を選択して生まれることはできない。しかし人生をどう生きるかの選択権は他人ではなく、彼ら自身がもっている。ピンクとパープルに彩られたスクリーンから放たれる暴力と痛み、愛と悲しみ、美と金銭、父と娘あるいは母と息子の断絶、苦悩をもって生れてくる人々にも未来はあるのか。
キャスト:
アナ・ポルボロサ:消化器官が反対になったサマンサ(“Eat My Shit”『アイーダ』)
マカレナ・ゴメス:両眼欠損の娼婦ラウラ(『トガリネズミの巣穴』『スガラムルディの魔女』)
カンデラ・ペーニャ:顔面変形片目のアナ(『時間切れの愛』『オール・アバウト・マイ・マザー』)
エロイ・コスタ:身体完全同一性障害、人魚になりたいクリスティアン(TV”Centro mrdico”)
ジョン・コルタジャレナ:顔面火傷を負ったギリェ(米『シングル・マン』TV”Quantico”)
セクン・デ・ラ・ロサ:異形愛好家エルネスト(『クローズド・バル』 “Ansiedad”)
アナ・マリア・アヤラ:軟骨無形成症のバネッサ
ホアキン・クリメント:バネッサの父アレクシス(『クローズド・バル』)
カルメン・マチ:クリスティアンの母クラウディア(『クローズド・バル』『ペーパーバード』『アイーダ』)
アントニオ・デュラン’モリス’:クリスティアンの父シモン(『プリズン211』『月曜日にひなたぼっこ』)
イツィアル・カストロ:肥満症のイツィアル(『ブランカニエベス』『Rec3』“Eat My Shit”)
アドルフォ・フェルナンデス:(『トーク・トゥ・ハー』)
マリア・ヘスス・オジョス:エルネストの母?(『スガラムルディの魔女』『ペーパーバード』)
アルベルト・ラング:(『トガリネズミの巣穴』『グラン・ノーチェ』)
ハビエル・ボダロ:街のチンピラ(『デビルズ・バックボーン』)
ミケル・ゴドイ:2017年の娼館のアシスタント
特別出演
カロリナ・バング:精神科医(『気狂いピエロの決闘』)
ルシア・デ・ラ・フエンテ
マラ・バジェステロ:2000年の娼館経営者(『アイーダ』)
*監督キャリア&フィルモグラフィ*
★エドゥアルド・カサノバEduardo Casanova:1991年3月マドリード生れの26歳、俳優、監督、脚本家。人気TVシリーズ ”Aída”「アイーダ」(05~14)に子役としてデビュー、たちまちブレークして232話に出演した。他、アレックス・デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』や『グラン・ノーチェ!最高の大晦日』、アントニア・サン・フアンの “Del lado del verano” などに脇役として出演している。
(「アイーダ」に出演していた頃のカサノバ、ダビ・カスティリョ、アナ・ポルボロサ)
★監督・脚本家としては、2011年ゾンビ映画 “Ansiedad”(Anxiety)で監督デューを果たす。この短編にはアナ・ポルボロサとセクン・デ・ラ・ロサを起用している。短編8編のうち、2014年の凄まじいメロドラマ “La hora del baño”(17分)にはマカレナ・ゴメス、2015年の“Eat My Shit” には再びアナ・ポルボロサが出演、長編 “Pieles”『スキン』のベースになっている。他に2016年にホセ・ルイス・デ・マダリアガをフィデル・カストロ役に起用して “Fidel”(5分)を撮る。短期間だがハバナのサン・アントニオ・デ・ロス・バニョスの映画学校でビデオクリップの制作を学んでいる。カサノバによるとキューバや独裁者たちや紛争対立に興味があるようです。「アイーダ」での役名は偶然にもフィデル・マルティネスだった。
("Eat My Shit"のイツィアル・カストロ、監督、アナ・ポルボロサ)
(エドゥアルド・カサノバ、ベルリン映画祭2017にて)
冒頭から度肝をぬくマラ・バジェステロの怪演
A: 物語はドール・ハウスのようにピンクに彩られた「愛の館」から始まる。マラ・バジェステロ扮する娼館の女主人は、「本能は変えられない」と客のシモンを諭す。先ず彼女の風体に度肝をぬかれる。シモンは妻クラウディアが無事男の子を出産したことを確認すると妻子の前から姿を消す。この男の子がクリスティアンです。この親子がグループ1。
B: クリスティアンは身体完全同一性障害BIIDという実際にある病気にかかっている。四肢のどれかが不必要と感じる病気です。彼の場合は両足がいらない、人魚のようになりたいと思っている。彼のメインカラーはパープルである。このピンクとパープルが一種のメタファーになっている。
(「本能は変えられない」とシモンを諭す娼館のマダム)
A: このプロローグには作品全体のテーマが網羅されている。娼館マダムのマラ・バジェステロの風体にも混乱させられるが、その病的な理念「美とノーマルが支配する無慈悲な社会秩序を支えているマヤカシ」を静かに告発している。
B: 深い政治的な映画であることがすぐ分かるプロローグ。ただ苦しむために生まれてくるかのような人々の存在が現実にある。
(人魚になりたいクリスティアンのエロイ・コスタ)
(息子の葬儀に17年ぶりに邂逅する、クラウディアのカルメン・マチとシモン)
A: シモンは身体的に普通でない女性が好きなことを恥じている。女主人が紹介するのが目が欠損している当時11歳というラウラにたじろぐが、ラウラに魅せられてしまう。シモンはラウラに2個のダイヤの目をプレゼントする。シモンにはアントニオ・デュラン’モリス’、ラウラには『トガリネズミの巣穴』のマカレナ・ゴメスが扮した。
B: ラウラのメインカラーはピンク、時代は17年後の2017年にワープして本当のドラマが始まる。
A: ラウラに肥満症のイツィアルが絡んでグループ2となる。イツィアル・カストロは、カサノバ監督のお気に入りで短編 “Eat My Shit”(15)にも出演している。
(シモンからダイヤの目をもらったラウラ)
(ラウラのダイヤを盗んだイツィアル)
B: この短編を取り込んで、サマンサを中心にしたグループ3に発展させた。サマンサのメインカラーはパープルです。
A: サマンサ役のアナ・ポルボロサが長短編どちらにも同じ役で出演している。消化器官が反対、つまり顔に肛門、お尻に口とかなりグロテスクだが、ポルボロサの美しさが勝っています。カサノバ監督とポルボロサは人気TVシリーズ「アイーダ」の子役時代からの親友、彼女のほうが2歳年上です。サマンサは外では人々の哄笑とチンピラの理不尽な暴力に屈している。なおかつ家では父親の見当はずれの過保護に疲れはて、悲しみのなかで生きている。
B: サマンサに倒産寸前の食堂経営者イツィアル、BIID患者のクリスティアンが絡んで、最終的にはエルネストに出会うことになる。
外見は手術によって変えられる―悪は自分の中にある
A: エルネストは外見が奇形でないと愛を感じられないシモンと同系列の人間。片目がふさがり頬が垂れ下がっているアナを愛している。母親はそんな息子を受け入れられない。エルネストはアナと一緒に暮らそうと家を出るが、賢いアナはエルネストが愛しているのは ”Solo me quieres por mi físico” 外見であって内面ではないと拒絶する。
B: 外見は手術によって変えられる。アナが愛しているのは、顔面頭部全体が大火傷でケロイドになってしまっているギリェだ。これがグループ4で、アナのメインカラーはピンクです。
(アナのカンデラ・ペーニャ)
(監督とエルネスト役のセクン・デ・ラ・ロサ)
A: しかしギリェは偶然手に入れたお金をネコババして再生手術を受け、終局的にはアナを裏切る。アナもやっと自立を決意する。エルネストはアナのときはピンク、サマンサに遭遇してからは、パープルに変わる。相手に流される人物という意味か。
(ギリェを演じたジョン・コルタジャレナ)
B: ギリェが愛していたのは美青年だった頃の自分自身だった。聡明なアナも見抜けなかった。アナ役のオファーをよく受けたと思いませんか。監督もカンデラ・ペーニャのような有名女優が引き受けてくれたことに感激していました。
A: 彼女はインタビューで、「エドゥアルドにはショックを受けた。こんな脚本今までに読んだことなかったし、比較にならない才能です。私の女優人生でも後にも先にもこんな役は来ないと思う」とベタ褒めでした。ラウラとアナの特殊メイクを担当したのがオスカル・デル・モンテ、2時間ぐらいかかるので、ヘアーも同時にしたようです。タイトルが「スキン」だから、常にスキン、スキン、スキンとみんなで唱えていたと、責任者のローラ・ゴメスは語っていた。冒頭に出てくる娼館マダムのヌードの意味もこれで解けます。
本当の家族を求めるバネッサ、娘の幸せより金銭を求める父親
B: 低身長のバネッサは軟骨無形成症という病気をもって生まれてきた。今はピンクーという着ぐるみキャラクターとしてテレビに出演、子供たちの人気者になっている。しかし欲に目のくらんだプロダクション・オーナーと父親に酷使され続けている。
A: 体外受精で目下妊娠しているから胎児のためにも番組を下りたい。しかし娘の幸せより金銭を愛する父親は断固反対する。こんな父親は本当の家族とは言えない。このバネッサと父親、札束で頬を叩くようなオーナーが最後のグループ5です。ここにギリェが絡んだことでアナは目が覚める。
B: このグループの社会批判がもっとも分かりやすい。バネッサのメインカラーはピンクです。
(ピンクーの着ぐるみを着せられるバネッサ)
A: この映画のメタファーは差別と不公正だと思いますが、こういう形で見せられると悪は自分の中にあると考えさせられます。
B: 固定観念にとらわれていますが、普通とは一体何かです。
A: 「常に母親という存在や先天的奇形に取りつかれている」という監督は、登場人物たちは自分の目的を手に入れるために乗り越えねばならない壁として先天的奇形を利用していると言う。肌に触れたい登場人物には目を取りのぞく(ラウラ)、あるいはキスをしたい登場人物には口を取り去ってしまう(サマンサ)ように造形した。
B: スクリーンがパステルカラーに支配されているとのはどうしてかという質問には、「なぜ、ピンク色かだって? いけないかい? 僕の家はピンク色なんだよ」と答えている。
A: 建築物がピンク色ではおかしいという固定観念に囚われている。
B: 影響を受けた監督としてスウェーデンのロイ・アンダーソンとブランドン・クローネンバーグを挙げていますが。
A: アンダーソン監督の『散歩する惑星』はカンヌ映画祭2000の審査員賞、『さよなら、人類』はベネチア映画祭2014の金獅子賞、本作は東京国際映画祭ではオリジナルの直訳「実存を省みる枝の上の鳩」といタイトルで上映された。シュールなブラック・ユーモアに富み、不思議な登場人物が次々に現れる恐ろしい作品。クローネンバーグはデヴィッド・クローネンバーグの息子、近未来サスペンス『アンチヴァイラル』(12)が公開されている。これまたSFとはいえ恐ろしい作品、今作を見た人は『スキン』のあるシーンに「あれッ」と思うかもしれない。カサノバ監督の第2作が待たれます。
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