「ある視点」メキシコ映画*カンヌ映画祭2015 ⑩2015年05月31日 16:57

       ダビ・パブロスの“Las elegidas”はティフアナが舞台の禁じられた愛

 

★女性連続殺人事件で悪名高いティフアナが舞台の少女売春では如何にも気が重い、と躊躇しているうちにカンヌ映画祭は終わってしまいました。カンヌ本体の「ある視点」、この部門にはコロンビアのホセ・ルイス・ルへレスのAlias Maríaとメキシコのダビ・パブロスのLas elegidasがノミネーションされていました。“Alias María”の記事はコチラ⇒527

 


★カンヌではThe Chosen ones”のタイトルで上映された本作は、ホルヘ・ボルピの同名小説にインスパイヤーされて映画化された。製作会社 Canana カナナのプロデューサー、パブロ・クルスが映画化の権利を以前に取得、長年温めていた企画だそうです。映画祭にはダビ・パブロス監督、パブロ・クルス、原作者のホルヘ・ボルピ、出演のナンシー・タラマンテスレイディ・グティエレスなどがカンヌ入りして盛大なオベーションに感激、互いに抱き合って涙を流した。これがカンヌなんですよね。カンヌは初めてという監督を駐仏メキシコ大使アグスティン・ガルシア≂ロペスがアテンダントするという熱の入れようでした。

 

     

       (左から、ナンシー・タラマンテス、監督、レイディ・グティエレス カンヌにて)

 

         Las elegidas(“The Chosen ones”)

製作Canana / Krafty Films / Manny Films

監督・脚本:ダビ・パブロス

脚本(共同)ホルヘ・ボルピ(原作)

撮影:カロリーナ・コスタ

音楽:カルラ・アイジョンAyhllon

編集:ミゲル・Schverdfinger

  

データ:メキシコ、スペイン語、2015105分、撮影地メキシコのティフアナ市

カンヌ映画祭2015がワールド・プレミア

 

キャストナンシー・タラマンテス(ソフィア)、オスカル・トーレス(ウリセス)、レイディ・グティエレス(マルタ)、ホセ・サンティジャン・カブト(エクトル)、エドワード・Coward(マルコス)、アリシア・キニョネス(ペルラ)、ラケル・プレサ(エウヘニア)他

 

プロット:ソフィアとウリセスの愛の物語。14歳のソフィアと若者ウリセスは愛し合っている。ウリセスの父親が少女たちに売春を無理強いしようとしたとき、二人の関係に緊張が走った。最初の犠牲者がソフィアだったのだ。ソフィアを救い出すためには代わりの少女を見つけなければならないウリセス。メキシコでもアメリカでもない町ティフアナを舞台に繰り広げられる少女売春ネットワーク。過去のことでも、未来のことでもない、いま現在メキシコで起こっていることが描かれている。 

             

                    (娼婦にさせられた少女たち、“Las elegidas”から)

 

 監督経歴&フィルモグラフィー

ダビ・パブロス David Pablos、メキシコ生れの32歳、監督、脚本家。メキシコ・シティの映画養成機関「CCCCentro de Capacitación Cinematográficaで学ぶ。フルブライト奨学金を得てニューヨークのコロンビア大学で監督演出を専攻、マスターの学位を授与される。2009年ベルリン映画祭のタレント養成の参加資格を得る。短編“La canción de los niños muertos”がカナナのパブロ・クルスの目にとまり、“Las elegidas”の監督に抜擢された。

   

代表作は以下の通り:

2007年“El mundo al atardecer”短編

2008年“La canción de los niños muertos”(“The Song of the Dead Children”)短編、

アリエル賞2010(フィクション短編部門)受賞、ほか受賞歴多数

2010年“Una frontera, todas las fronteras”(“One Frontier, All Frontiers”)

アムステルダム・ドキュメンタリー映画祭2010正式出品

2013年“La vida después”長編デビュー作、ヴェネチア映画祭2013「オリゾンティ賞」ノミネー    ション、ブラック・ムーヴィ映画祭2014審査員賞ノミネーション、モレリア映画祭上映、他

2015年“Las elegidas”省略

 

             

            (ダビ・パブロス、ベネチア映画祭2013から)

 

 トレビアあれこれ

★製作会社「カナナ」設立者としては、ディエゴ・ルナやガエル・ガルシア・ベルナルが有名だが、主力はパブロ・クルスである。製作者は裏方なので名前は知られているとは言えないが、彼はメキシコ映画を精力的に世界に発信続けている実力者。ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティングで映画理論を学び、ニューヨークの「スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツSVA」の学士号を得ている。イギリスで長年ケン・ローチ監督のもとで仕事をした後メキシコに帰国、2003D.ルナやG.G.ベルナルなどとカナナを設立した。第1ヘラルド・ナランホの『ドラマメックス』2006ラテンビート上映)が、いきなりカンヌ映画祭の「批評家週間」にノミネートされ、カナナは順調な船出をした。

 

★その後G.G.ベルナルの『太陽のかけら』2007)、ディエゴ・ルナの『アベルの小さな旅』2010)や『セザール・チャベス』2014)を製作、それぞれラテンビートで上映された。本作と似ているテーマではヘラルド・ナランホのMISS BALA/銃弾』2011)が記憶に新しい。こちらも「ある視点」で上映された。麻薬密売に巻き込まれた実在のミスコンの女王ラウラ・スニガがモデルになっている。ラテンビートのゲストとして来日Q&Aに出席した。

 

             

          (『アベル』のポスターを背にカナナ設立者の三人)

 

★「原作者ホルヘ・ボルピから映画製作の権利を買い、映画化のチャンスを模索したが、最初映画化は難しいように思われた。そんなときパブロスの短編La canción de los niños muertos”を見た。当時彼はCCCの学生だったので卒業を待っていた」とクルス。この短編がアリエル賞2010を受賞したのは上記の通りです。「ダビはまだ監督のたまごでしたが、ダイヤモンドのような輝きを秘めていた」とぞっこんのようです。完成した映画がカンヌへ、期待は裏切られなかったということです。Las elegidas”にはディエゴ・ルナとガエル・ガルシア・ベルナルも、エグゼクティブ・プロデューサーとして深く関わっている。

 

★ホルヘ・ボルピの原作は、1970年代以降売春、人身売買の忌まわしい慣習の町として悪名高いトラスカラ州テナンシンゴの「ファミリー」に着想を得て書かれた小説。ダビ・パブロスがティフアナに変更して映画化した理由は、4歳から18歳までここで暮らしており、よくティフアナの事情に通じていたから。「ここはメキシコでもアメリカでもなく両方が混合している。魅惑的で活気があり、世界中の人々が影響しあって、多様な文化をもつ都市だ」とも。

 

★原作者と監督は、映画化に向けて脚本を練り始めた。主人公ウリセスはいかがわしい生業を営む家族の一員、自分の恋人を餌食にされる文脈だから、暴力が前面に出てしまうと汚れた映画になる危険があった。自分はそうしたくなかったので「複雑なテーマの内面を掘り下げる」描写を心がけたと監督。暗く難解な原文にポエティックなイメージを入れてバランスをとったようです。

 

                

              (ウリセス役のオスカル・トーレス)


「批評家週間」のグランプリは”Paulina”*カンヌ映画祭2015 ⑤2015年05月23日 11:43

           La tierra y la sombra”も新人賞を受賞

    

★ラテンアメリカ勢が大賞を独り占めするなんて。カンヌ本体と並行して開催される映画祭だが、ノミネーションが7作と少ないせいか21日の夜に早々と受賞作品が発表になりました(本体は24日)。アルゼンチンのサンティアゴ・ミトレPaulinaLa patotaがグランプリ、コロンビアのセサル・アウグスト・アセベドLa tierra y la sombraが作品賞とSACDを受賞、今年はスペイン語映画が気を吐きました。

SACDLa Société des Auteurs et Compositeurs Dramatiques 優れた映画・演劇・音楽・舞踊などに与えられる賞のようです。2012年にスペイン出身のアントニオ・メンデス・エスパルサの“Aqui y alla”が受賞しています。同年のサンセバスチャン映画祭で上映、さらに東京国際映画祭2012ワールド・シネマ部門で『ヒア・アンド・ゼア』(西≂米≂メキシコ合作)の邦題で上映されました。

    


★「受賞を誇らしく思い本当に幸せにひたっています。(ディレクターの)シャルル・テッソンや審査員の方々すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。私たちの映画にこんな大きな賞を与えてくれて、私やこの映画に携わった一同にとって今日は重要な日になりました。また観客と一緒に自分たちの映画を見ることができ、映画がもたらす観客のリアクション、エモーションを共有できました。・・・映画を作ることは信念がなければできません。この映画のテーマはそのことを語ったものです。パウリーナのような特殊な女性を通じて、信念について、公平について、政治について語ったものです」(ミトレ監督談話の要約)

 


★第1作『エストゥディアンテ』(2011)は政治的な寓話でした。本作のテーマは信念、自分の行くべき道は自分で決めるという選択権についてでした。1960年版の“La patota”と時代は違いますがテーマは同じということです。

 

「批評家週間」のディレクターのシャルル・テッソンがノミネーションの段階でサンティアゴ・ミトレの映画を褒めていたので、もしかしたら何かの賞に絡むかと期待していましたが、まさかグランプリを取るとは思いませんでした。監督の喜びの第一声がテッソンや審査員への感謝の言葉だったことがそれを象徴しています。(写真下サンティアゴ・ミトレ監督)
 

                                          

★今年の審査委員長はイスラエルの女優&監督のRonit Elkabetz だったことも幸いしたかもしれません。「主人公が多くのリスクにも拘わらず、体を張って自分の意志を貫こうとする姿に強い印象を受けた」と授賞の理由を語っています。

 

                        

                          (La tierra y la sombra”)  

Paulina”(La patotaの記事はコチラ2015521

La tierra y la sombraの記事はコチラ2015519

「批評家週間」もう1作はアルゼンチン*カンヌ映画祭2015 ④2015年05月21日 20:45

           『エストゥディアンテ』のサンティアゴ・ミトレの第2

 

★「正確にはカンヌじゃないが、同じ映画祭のように力があり面白い」批評家週間の続き。もう1本はアルゼンチンからLa patota、カンヌでのタイトルはPaulinaです。そう、ダニエル・ティナイレが1960年にモノクロで撮った“La patota”のリメイク版。こちらはベルリン映画祭1961に正式に出品された作品。ヒロインのパウリーナを演じたミルタ・レグランドも孫のナチョ・ビアレと一緒にカンヌ入りの予定でしたが風邪のためキャンセルになったようです。ビアレは本作のプロデューサーの一人です。

 


★さて、サンティアゴ・ミトレはラテンビート2012で長編デビュー作『エストゥディアンテ』2011El estudiante”)が上映されたおり来日しています。まだ当ブログは存在していなかったので第2作目でも初登場です。同映画祭でお馴染みのパブロ・トラペロの『檻の中』(08)や『カランチョ』(10)、『ホワイト・エレファント』(12)の共同脚本家としても活躍しています。他に公開された映画では、オムニバス映画『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(12)の第2話「ジャム・セッション」を監督のトラペロと共同執筆している。1980年ブエノスアイレス生れ、監督、脚本家、製作者、編集者。本作のパウリーナを演じるのは、昨年ガエル・ガルシア・.ベルナルと正式に離婚したドロレス・フォンシ。新恋人というかフィアンセが監督のサンティアゴ・ミトレ、新婚旅行を兼ねて(?)カンヌ入りしている。

 

   

       (『エストゥディアンテ』の主人公を演じたエステバン・ラモチェ、本作にも出演)

 

      Paulina(オリジナル・タイトルLa patota

製作:Union de los Rios, La / Lita Stantic Producciones / Television Federal (Telefe) ほか

監督・脚本:サンティアゴ・ミトレ

脚本(共同):マリアノ・ジィナス 

1960年版のエドゥアルド・ボラスとダニエル・ティナイレの脚本がベース

撮影:グスタボ・ビアツィ

音楽:ニコラス・バルチャスキー

データ:アルゼンチン≂ブラジル≂仏、2015年、スペイン語・グアラニー語、スリラー、103分、撮影地アルゼンチンのミシオネス州Misiones、製作費:約1000ARS(アルゼンチンペソ)、アルゼンチン公開2015618

 

キャストドロレス・フォンシ(パウリーナ)、オスカル・マルティネス(フェルナンド)、エステバン・ラモチェ、ほか

 

プロット:弁護士としての輝かしいキャリアをもつブルジョア階級出身のパウリーナの物語。弁護士の仕事をやめ、ミシオネスの貧しい地区に暮らす若者たちを教えようと決心する。そこで起きたこと、それは徒党を組んだ若者の不良グループ「パトータ」からレイプという暴力を受けたことだ。パウリーナは思索的で強い意志をもつ女性だが、扱いにくい気難しい登場人物。極めて政治的な強いテーマをもった映画だが、社会の階級を裁くことが主眼ではない。

 

解説 パトータpatotaという単語は、アルゼンチンの一種の隠語ルンファルドで、若者の不良仲間を指す。スペイン語ではpanda pandillaにあたる。カンヌでのタイトルがヒロインの名前に変わったのには、1960年版と同題になるのを避ける意味と言葉の分かりにくさが配慮されたのかもしれない。時代が半世紀も違うからリメイクといってもかなり違った印象を受ける。前作には“Ultraje”(乱暴・侮辱)という別タイトルもある。1960年のアルゼンチンはペロン失脚後、ペロニスタと軍部が対立する混乱期だったことを考えると、よくこんな映画が撮れたものだと驚く。(写真下は、1960年版のポスター、映画はモノクロ)

 


パウリーナが赴任するミシオネス州はアルゼンチン北東部に位置し、ブラジルとパラグアイに国境を接している。そのせいでイタリア人、ドイツ人、スペイン人、ポトガル人の他、東欧北欧の人、アラブ人などが混在している。かつては先住民グアラニー族が住んでいた土地であり、今でもグアラニー語が話されている。

 

              

                       (ミシオネスで撮影中のドロレス・フォンシ)

 

*トレビア*

ドロレス・フォンシDolores Fonziは、1978年アルゼンチンのアドログエ生れ。デビューは17歳、キャリアも既に20年近くなる。フィト・パエスの『ブエノスアイレスの夜』(2001)で共演したガエル・ガルシア・ベルナルと再婚して一男一女の母となるが、2014年に離婚した。現在は本作撮影中に愛が芽生えた監督サンチャゴ・ミトレと婚約中。1960年版の監督ダニエル・ティナイレとパウリーナ役のミルタ・レグランドは夫婦であったから不思議な縁を感じさせる。カンヌは2度目、最初はパブロ・アグエロの“Salamandra”(2007)で「誰もカンヌがこんなに寒いと教えてくれなかった」と。今年は晴天に恵まれているようですが雨が降ると寒い。撮影前に監督からは「撮影終了まで前作を見ないようにと助言されたので見なかったが、今は既に5回見ている」由。「アルゼンチンからの移動と映画のプロモーションでくたくただが、とても満足している」のは、海外メディアの反応がポジティブな評価をしてくれたからのようです。

 

                

                           (恋人二人、ドロレスとサンティアゴ)

 

★ミトレ監督は、カンヌではかなりナーバスだったらしい。「受け入れには懐疑的でした。この映画は辛くて居心地のよいものではないし、複雑な問題を抱え込んでいるから。でも3回の上映とも観客の入りはよく拍手をたくさん戴けた。カンヌはこの映画が広く配給されるのに役立った。なぜならカンヌは映画のフェスティバルというだけでなく重要な商談の場所でもあるからです」とミトレ。そうですね、映画祭映画で終わることのないよう祈りたい。

 

1960年版のパウリーナことミルタ・レグランドは、1927年アルゼンチンのサンタフェ生れ。1940年子役で映画デビュー。夫ダニエル・ティナイレ(191094)が撮った“La patota”で「スター誕生」となる。2012年のTVドラ・ミニシリーズ“La Dueña”でマルティン・フィエロ賞(テレビ部門)にノミネートされている。カンヌでは赤絨毯をどんな衣装で歩くのか、暖かいのか寒いのか分からないのでロングドレスを数着もっていく、髪のセットはどこでやるのか、などに心を砕いておりましたが、風邪をこじらせて出発直前の512日に出席をキャンセルしたそうです。

 

             

                       (カンヌには行けなかったミルタ・レグランド)


「批評家週間」にラテンアメリカから2作*カンヌ映画祭2015 ③2015年05月19日 13:35

 


         秀作の予感がする“La tierra y la sombra

 

★今年54回を迎える「批評家週間」のオフィシャルは7本、うちラテンアメリカから選ばれたのが、コロンビアのセサル・アウグスト・アセベドのデビュー作La tierra y la sombra2015)とアルゼンチンのサンティアゴ・ミトレLa patota2015、“Paulina”のタイトルで上映)の2本です。デビュー作または2作目ぐらいから選ばれるから知名度は低い。しかし新人とはいえ侮れない。ここから出発してパルムドールに到着した監督が結構いますから。まずコロンビアの新人セサル・アウグスト・アセベドの作品から、予告編から漂ってくるのは心をザワザワと揺さぶる荒廃と静寂さだ。

 


★地元コロンビアでは「1100作品の中から選ばれたんだって」と、このビッグ・ニュースに沸いている。初めて目にする監督だしキャストも、マルレイダ・ソト以外はオール新人のようですが、地元メディアも「この高いレベルをもった映画が、我が国の映画館で早く鑑賞できるよう期待している」とエールを送っている。Burning Blueが主たる製作会社なのも要チェックです。ここでは簡単に紹介しておきますが、後できちんとアップしたい映画であり監督です。

 

La tierra y la sombra(“Land and Shade”)

製作Burning Blue(コロンビア)、 Cine-Sud Promotion(仏)、Tocapi Films(蘭)、

Rampante Films(チリ)、Preta Porte Films(ブラジル)

監督・脚本セサル・アウグスト・アセベド

製作国コロンビア、仏、オランダ、チリ、ブラジル

データ2015年、言語スペイン語、97分、撮影地コロンビアのバジェ・デル・カウカ、製作費約57万ユーロ、ワールド・プレミアはカンヌ映画祭2015「批評家週間」

 


受賞歴・援助金:カルタヘナ映画祭2014で監督賞。2009年コロンビア映画振興より5000ドル、2013年「ヒューバート・バルス・ファンド」より脚本・製作費として9000ユーロなど

Hubert Bais FundHBF’(1989設立):オランダのロッテルダム映画祭によって「発展途上国の有能で革新的な映画製作をする人に送られる基金」、ラテンアメリカ、アジア、アフリカの諸国が対象。当ブログでアップしたコロンビアの監督では、昨年東京国際映画祭で上映された『ロス・ホンゴス』オスカル・ルイス・ナビアが貰っている。
本作の記事はコチラ
20141116

 

キャスト:ハイマー・レアルHaimer Leal(アルフォンソ)、イルダ・ルイスHilda Ruiz(妻アリシア)、エディソン・ライゴサEdison Raigosa(息子ヘラルド)、マルレイダ・ソトMarleyda Soto(嫁エスペランサ)、フェリペ・カルデナスFelipe Cardenas(孫マヌエル)他

 

         (17年ぶりに帰郷した祖父アルフォンソと孫のマヌエル)

 

プロット:サトウキビを栽培する農民一家の三世代にわたる物語。アルフォンソは17年前、妻と一人息子を捨てて故郷を後にした。老いて戻ったきた故郷は自分の知らない土地に変わり果てていることに気づく。アリシアは土地を手放すことを拒んで家族を守ろうと懸命に働いている。重病のヘラルドは母親を助ける力がない。気丈なエスペランサは姑と共に闘っている。小さなマヌエルは荒廃の真っただ中で成長していた。家族は目に見えない脅威にさらされ家族は崩壊寸前だった。アルフォンソは愛する家族のためにも過去の誤りに直面しなければならなかった。粗末な家と荒々しいサトウキビ畑に取り囲まれた1本の樹、ミクロな視点でマクロな世界を照射する。

 

           (サトウキビ畑で働くエスペランサとアリシア)

 

解説:背景に前世紀から続いているコロンビア内戦が透けて見える。長い年月をかけて温めてきたテーマを静謐に描いているようだ。脚本執筆中に母親を失い、その中でゴーストのようになった父親、「この映画のテーマは個人的な悲しみから生れた」と監督。そういえば『ロス・ホンゴス』のルイス・ナビアも同じようなことを東京国際映画祭のQ&Aで語っていた。揺るがぬ大地のような女性たち、危機のなかで影のように彷徨う男性たち、平和を知らないで育つ子供たち、ここにはコロンビア内戦の爪痕が色濃く漂っている。ラテンアメリカ諸国でもコロンビアは極端な階層社会、貧富の二極化が進んでいる。二極化といっても富裕層はたったの2パーセントにも満たない。世界一の国内難民約500万人を抱えている国。社会のどの階層を切り取るかで全く違ったコロンビアが見えてくる。

 

トレビア:製作は5カ国に及ぶ乗り合いバスだが、ラテンアメリカの若い世代に資金提供をしているのが、コロンビアのBurning Blueだ。上述した『ロス・ホンゴス』の他、コロンビアではウイリアム・ベガの La Sirga”(2012)、フアン・アンドレス・アランゴ“La Playa D.C.”(2012)など、カンヌ映画祭に並行して開催される「監督週間」や「批評家週間」に正式出品されているほか世界の映画祭に招待上映されている。ホルヘ・フォレロの“Violence”はベルリン映画祭2015の「フォーラム」部門で上映、それぞれデビュー作です。アルゼンチンのディエゴ・レルマン4作目Refugiado2014)にも参画、本作は2014年の「監督週間」で監督キャリア紹介も含めて記事をアップしています(2014511)。

 

セサル・アウグスト・アセベドCésar Augusto Acevedoはコロンビアのカリ生れ、監督、脚本家。『ロス・ホンゴス』の助監督&脚本を共同執筆する。短編“La campana”(2012)はコロンビア映画振興基金をもとに製作した。

 

エスペランサ役のマルレイダ・ソトMarleyda Sotoは、カルロス・モレノの力作“Perro come perro”(2008)の脇役で映画デビュー、同じ年トム・シュライバーの“Dr. Alemán”では主役を演じた。麻薬戦争中のカリ市の病院に医師としてドイツから派遣されてきたマルクと市場で雑貨店を営む女性ワンダとの愛を織りまぜて、暴力、麻薬取引などコロンビア社会の闇を描く。本作の製作国はドイツ、言語は独語・西語・英語と入り混じっている。カルロヴィヴァリ、ワルシャワ、ベルリン、バジャドリーなど国際映画祭で上映された。本作も撮影地はLa tierra y la sombra”と同じバジェ・デル・カウカでした。

 

デ・ラ・イグレシア新作はコメディ*歌手ラファエルとのコラボ2015年03月14日 15:54

          カンタンテ Raphael ラファエルとのコラボレーション

     

★しばらくチリ映画が続いたので軌道修正いたします。手始めにアレックス・デ・ラ・イグレシアの近況から。去る2月下旬にコメディMi gran nocheがクランクインしました。ラファエルはスペインでは知らぬ人などいない歌手ですが、今の日本でどのくらい知名度があるのでしょうか。本名はミゲル・ラファエル・マルトス・サンチェス、194355日リナーレス生れ、芸名 Raphael はミドルネームの Rafael からとった

 

1960年代後半から世界巡業を開始、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、米国、まだソ連だった頃のロシアなど、日本公演もしているようですが、ライブを聴いた人はかなりの年配者になってます。デビューシングルの“Yo soy aquel”は、「はるかな想い」の邦題が付けられて発売された。映画タイトルの“Mi gran noche”は、彼の同名ヒット曲から取られています。因みに『気狂いピエロの決闘』の邦題で公開された“Balada triste de trompeta”(2010)もRaphaelの“Balada de la trompeta”から取られています。物語詩バラッドとバラードが掛けられているのでしょうが、邦題からはその欠片もうかがえません()

 

    

 (デ・ラ・イグレシアとラファエル、マドリードのシルクロ・デ・ベジャス・アルテスにて)

 

          デ・ラ・イグレシア学校の生徒さん大集合

     

★デ・ラ・イグレシアの映画は「すべて子供のときのオブセッションに関係がある」と本人が語っているように、本作もその例に漏れない。Raphaelは、1965年生れの監督が物心ついたころには既に超有名な歌手であり映画スターであった。「スペインのフランク・シナトラ」と称され、監督には子供の頃からの崇拝の的であったという。1973年の“Volveré a nacer”を最後に銀幕から遠ざかってしまっていたRaphaelを再び銀幕に呼び戻したい、その願い叶って40年ぶりの復帰となった。「申込んだはいいが、NOと言われるんじゃないかと怖かったよ」と監督。Raphael40年間のブランクはまったく感じていない。「まるで反対だよ」と出演が楽しみのようです。

 

★今回Raphaelは、「Alphonso」という歌手に扮します、やはり<ph>入りです()。エゴイストでサディスト、常にナンバーワンに拘り、年末恒例のテレビ番組構成にちょっかいを出し、つまり大晦日のカウントダウンで「新年おめでとう!」と叫ぶ人になりたい。他の共演者には、『スガラムルディの魔女』や『トガリネズミの巣穴』に出演していた、監督お気に入りのウーゴ・シルバ、マリオ・カサス、サンチャゴ・セグラ、監督夫人カロリーナ・バング、カルロス・アレセス、テレレ・パベス、ペポン・ニエト・・・と、他にカルメン・マチやアントニオ・ベラスケスの名前もクレジットされています。まだ全容はつかめていませんが、今年中に公開が決まっています。勿論、他の俳優が演じる伝記映画やTVミニ・シリーズのドラマは作られていますが、それはまた別の話です。 

       

      (監督デビューも果たした“Mi gran noche”出演のウーゴ・シルバ)

 

Raphaelの主なフィルモグラフィー

1963Las gemelas” 歌手(役柄)   アントニオ・デル・アモ 監督

1966Cuando tú no estás”ラファエル同   マリオ・カムス

1967Al ponerse el sol ダビ・アロンソ同  マリオ・カムス

1968Digan lo que digan ラファエル・ガンディア同  マリオ・カムス

1969El golfo”ラファエル同   ビセンテ・エスクリバ

1969El ángel エル・アンヘル同   ビセンテ・エスクリバ

1970Sin un adiós マリオ・レイバ同   ビセンテ・エスクリバ

1973Volveré a nacer”アレックス同   ハビエル・アギーレ

2015Mi gran noche”(予定)アルフォンソ 同  アレックス・デ・ラ・イグレシア

 

★リナーレス生れでも生後9カ月でマドリードに引っ越しているからマドリッ子と言える。しかし「リナーレスのナイチンゲール」「リナーレスのエル・ニーニョ」または「リナーレスの花形歌手」と生れ故郷リナーレス付きで呼ばれている。9歳のときにザルツブルグ・フェスティバルに出場、その美声でヨーロッパでも知られるようになった。美空ひばりみたいな人ですね。本作は伝記映画ではないので深入りしませんが、1970年に「エド・サリヴァン・ショー」に出演してスペイン語、英語、イタリア語で歌ってそれが放映されたり、1964年から1980年までのレコード売上げが5000万枚とか、マイケル・ジャクソンの天文学的な数字10億枚には遠く届きませんけど。

 

      

   (デビュー50周年を記念して発売されたアルバム、2008年スペイン版)

 

1985年に罹ったB型肝炎が疲労で悪化、2000年ごろには活動できなくなっていたが、臓器移植手術を受け不死鳥のごとく蘇った(ドナーは公表されていない)。「私の第二の人生が始まった」と語った。現在は臓器移植の活動に尽力している。1972714日、ジャーナリストで作家のナタリア・フィゲロアと結婚、子供はハコボ、アレハンドラ、マヌエルの二男一女、それぞれ政治家の娘や女優と結婚しているので、大勢の孫に囲まれている。

 

                   

             (ラファエルとナタリア・フィゲロア)

 

★持ち歌のジャンルはロマンティック・バラードが中心だが、タンゴやメキシコのランチェラも得意にしている。以前の人気レパートリーを現代の若者が好む最新の音響に録音しなおしている。デビューから約55年が経ったがスペインでの人気は衰えていません。「今のRaphaelは、前より穏やかでゆったりしています。ステージにもゆっくり出ていきますが、以前はせかせか落ちつかなかった。今は楽しんで歌っています」と自己分析しています。彼のステージやディナショーは、YouTubeで簡単に楽しめます。


デ・ラ・イグレシアは、「ラファエルは私の人生になくてはならない人、心の奥深いところにいます」と語る。更に「ホセ・ルイス・ボラウやマリオ・カムスの映画なしに自分は存在しない。『カラスの飼育』(カルロス・サウラ)や『パスクアル・ドゥアルテ』(リカルド・フランコ)なしに人生をイメージできない。マリオ・カムスに出会えたことで現在映画作りができることになった。ハグと感謝を捧げたい。これはラファエルにも同じことが言える。二人みたいに素晴らしい人はいない」と手放しで讃えています。マリオ・カムスはラファエルの映画を1966年~68年にかけて立て続けに3本撮った監督です。

 

 

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サルバドール・アジェンデ*孫娘が撮ったドキュメンタリー2015年03月09日 12:12

   孫娘が撮った「我が祖父アジェンデ」

サルバドール・アジェンデ→チリの元大統領→ピノチェト軍事クーデタ→1973911日→映画『NO』・・・と連想ゲーム風にイメージできる人が現在どのくらいいるのでしょうか。このドキュメンタリーは、孫娘の一人マルシア・タンブッティ・アジェンデが近親者にインタビューして纏めた32人の証言で構成されております。謂わば悲劇のアジェンデ一族の<家族写真帳>という顔を持っております。その証言の殆どが今回初めて公開されたもので占められているそうです。「私には祖父の知識がなく、彼のことをもっと知りたかった。自己顕示欲からではなく、より深い愛着からです。このドキュメンタリーを通して家族の沈黙の理由を理解しようと心がけ、悲惨なエピソードの存在が分かるようにしました」とコメント。

 

Allende, mi abuelo Allende「我が祖父アジェンデ」仮題

監督・脚本:マルシア・タンブッティ・アジェンデ

共同脚本:ブルニ・ブレス、パオラ・カスティジョ

データ2014年、チリ=メキシコ合作、スペイン語、ドキュメンタリー・ドラマ、家族史、90

*グアダラハラ国際映画祭2015Work in Progresss」部門上映(メキシコ)

 

       (アジェンデ大統領夫妻と二人の孫娘マルシアとマヤ、1971年)

 

主な証言者とアジェンデ家系図

故サルバドール・アジェンデ・ゴッセン(愛称チチョ、監督の祖父):1908626日サンチャゴ生れ、外科医、チリの社会党所属の政治家。チリ大統領(1970113日~1973911日)、911日の軍事クーデタで自害、享年65歳。本作にはペテカPeteca(ブラジル先住民起源のバトミントンに似た競技)をする若いときの映像が挿入されている。ほっそりした体形で「健康に気をつけていたスポーツマンだった」と娘イサベル・アジェンデ。

 

           (海水パンツ姿でペテカに興じる若き頃のチチョ)

 

故オルテンシア・ブッシ・デ・アジェンデ(愛称テンチャ、監督の祖母):1914722日ランカグア生れ、撮影中の2009618日サンチャゴで死去、享年94歳。1940317日サルバドール・アジェンデと結婚、子供は娘3人。クーデタ後メキシコに亡命、ピノチェト政権末期の1988年チリに戻る。ピノチェトの信任を問う国民投票「イエスかノー」には投票できなかったが、「NOキャンペーン」に参加。この選挙運動を題材にしたパブロ・ララインのNOは、カンヌ、サンセバスチャンなどの映画祭で上映、アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた。

1973911日は悪夢を見るようなものでした。あの日を境に人生は一変しました。夫を失い、続いて娘を失い、孫たちは世界各地に散らばって暮らすことになってしまった」と失意を語っていた祖母も、監督の「あなたの夫はとても洒落者でしたね」という質問には、「ウッふ、彼は何にでも手を出すのが好きだったのよ」と答えている。

 

         (長女カルメン・パス、90歳のテンチャ、三女イサベル)

 

イサベル・アジェンデ・ブッシ1945年サンチャゴ生れ、アジェンデ大統領の三女、監督の母親。セルヒオ・メサと結婚長男ゴンサロ(・メサ・アジェンデ)、ロミリオ・タンブッティと再婚長女マルシア(・タンブッティ・アジェンデ)をもうける。父親と同じチリの社会党に所属する現上院議員。

 

カルメン・パス・アジェンデ・ブッシ:アジェンデ大統領の長女、生年検索できなかったが1941年か。監督の伯母。亡命はしないでマスコミを避けてずっとサンチャゴで暮らしており、彼女にとってあれ以来時間は止まったも同然だったから、インタビューのためにことさら記憶を蘇らせる必要はなかった。

 

  (監督、母イサベル、伯母カルメン・パス。両脇に異父兄ゴンサロと従姉妹マヤが同席)

 

故ベアトリス・アジェンデ・ブッシ(愛称タティ):1943年サンチャゴ生れ、アジェンデ大統領の次女、監督の伯母。19771011日、亡命先のキューバで精神を病み自ら生を絶つ。ルイス・フェルナンデス・デ・オニャと結婚、長女マヤと長男アレハンドロの一男一女。クーデタ当日には第2子妊娠中で、父親のいるモネダ宮殿に馳せつけることができなかったことがトラウマになっていた。タティは父サルバドールと同じ医学を学んだ医者、三人娘のなかでは一番身近な存在だったらしく、それだけに打撃も強かった。

 

故ゴンサロ・メサ・アジェンデ1965年生れ、アジェンデ大統領の初孫、監督の異父兄。本作撮影中の20101215日自死、享年45歳。

 

マヤ・フェルナンデス・アジェンデ1971927日サンチャゴ生れ、監督と同い年の従姉妹(写真上:祖父サルバドールに抱かれている右側の赤ん坊)。クーデタ後キューバに亡命、母親自死の際は6歳だった。1990年帰国、祖父と同じチリの社会党に所属する現下院議員。

 

             (同い年の従姉妹マヤ・フェルナンデス)

 

アレハンドロ・フェルナンデス・アジェンデ1973年か74年キューバ生れ、監督の従弟。現在ニュージーランド在住。母親ベアトリス自死の際は4歳足らずだったが、「母はキューバでは知られた存在だったが、非常に孤独だったと思う」とインタビューに答えている。革命家は精神病などに罹っている場合じゃないという偏見というか時代精神の犠牲者でもあった。多分キューバ亡命は誤算だったのかもしれない。

 

 ★監督紹介:マルシア・タンブッティ・アジェンデ1971年生れ。元大統領サルバドール・アジェンデの孫。1973911日のピノチェトの軍事クーデタ後メキシコに亡命、まだ2歳の誕生日を迎えていなかった。母帰国後もメキシコに止まっていたが、2008年、アンタチャブルだったアジェンデ一族の総括をするべくチリに戻った(2008年はアジェンデ没後百周年の年であった)。

 

★家族間では悲劇の詮索はタブーだったから何も知らされていなかったと監督。家族並びに親類縁者のインタビューを開始するが、封印された悲劇の扉をこじ開けるのは難しく、結果的には32人の証言を得るのに6年以上かかった。ふさがった傷口を開くことでもあったから当然です。特に高齢の祖母は病の床にあったから40分の時間制限を求められた。伯母カルメン・パスからは「40分は長すぎる」とクレームがついた。口火を切ってくれたのは、母親イサベル、「カメラを前にして、911のことを次第に話してくれるようになった」。両親のこと、つまり監督にとって祖父母のこと、911日に小さな2人の子供(ゴンサロとマルシア)を抱いて自宅で待機していたことなどを話し始めたという。難しいジグソーパズルの一つ一つを嵌めこんでいくような作業だったという。

 

★撮影中に祖母テンチャと兄ゴンサロを失ったことは大きな打撃だった。特に兄は自ら生を絶ったから尚更だった。かつては伯母タティの自死もあった。祖父サルバドールの兄妹は6人だが、2人夭逝しているので実際は4人兄妹。1981年、祖父の妹(大叔母)ラウラ・アジェンデも末期ガンの苦しみから逃れるため自殺している。カトリック教徒にしては多い印象を受けるが、アジェンデ家の人々が口を開かなかった理由がなんとなく伝わってくる。軍事独裁の17年間は「911」を体験したアジェンデ家の人々にとって、相当長い年月であったことを改めて思い知らされる。

 

★監督は本作完成後チリ定住を決意したが、グアダラハラ映画祭上映は殊のほか嬉しいという。何故ならメキシコは今まで自分を育んでくれた国だから。

 

パブロ・ララインの”El Club”グランプリ審査員賞*ベルリン映画祭2015 ①2015年02月22日 21:59

      NO』から3年、新作がベルリン映画祭グランプリ審査員賞に


★今年のベルリン映画祭は、イサベル・コイシェ(バルセロナ、1960)のNadie quiere la nocheで開幕しました。オープニング作品にスペイン映画が選ばれたのは初めて、ということで期待しましたが無冠、代わりにと言ってはなんですが、パブロ・ララインのEl Clubが審査員賞グランプリを受賞しました。前作『NO』(2012)はカンヌ映画祭「監督週間」でアート・シネマ賞受賞、また米国アカデミー外国語映画賞にノミネーションされたがハネケの『愛、アモール』に破れた。ベルリンは今回が初めてです。

 

      

    (熊のトロフィーを高々と差し上げたパブロ・ラライン、ベルリン映画祭授賞式)

 

★パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDIUnion Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。母親マグダレナ・マッテも政治家で前政権セバスチャン・ピニェラ(201014)の閣僚経験者、つまり一族は富裕層に属している。ラライン監督の『NO』に関連するので触れると、ピニェラ前大統領はピノチェト大統領の8年間延長についての国民投票では「No」に投票している。ピニェラは世界的な大富豪、アメリカの経済紙「フォーブス」で資産総額で437位に数えられている。同じ地震国であるということか、東日本大震災後に2回来日して被災地を視察している。

 

ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟(6人兄妹)フアン・デ・ディオス・ララインと Fabula」というプロダクションを設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備してデビュー作Fuga2006)を発表した。<ジェネレーションHD>と言われる若手の「クール世代」に属している。監督では、『マチュカ』や『サンティアゴの光』のアンドレス・ウッド、『ヴォイス・オーヴァー』のクリスチャン・ヒメネス、『家政婦ラケルの反乱』『マジック・マジック』のセバスティアン・シルバ、『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ、『プレイ/Play』のアリシア・シェルソンなどがおり、シェルソンの『プレイ』はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2006」で新人監督賞を受賞した作品。(邦題は映画祭上映時のもの)

 

NOについて:サンセバスチャン映画祭2012の「ZABALTEGIのパールズ」部門にエントリーされ、観客総立ちのオベーションを受けた作品。続いて東京国際映画祭 2012のコンペティション部門、ラテンビート2013でも上映された。「ピノチェト政権三部作」の最終作。第一部がアルフレッド・カストロ主演の『トニー・マネロ』(2008、ラテンビート上映)で1970年代後半のチリ、第二部が同じくカストロ主演のPost mortem2010)、時代背景が1973年のアジェンデ政権末期、つまり時代は二部→一部→三部の順になります。第二部はメタファーが多くチリ社会の知識を要求する複雑な作品、本作が一番分かりやすい作品と言える。しかし断然光っているのは好き好きもあるが、第一部『トニー・マネロ』か。

 

    

    (『トニー・マネロ』の主役アルフレッド・カストロ、クール世代の一人)

 

NO』が東京国際映画祭2012で上映されたときラライン監督の来日はなかったのですが、ラライン兄弟の映画製作に初参加したダニエル・マルク・ドレフュス(ロス在住のアメリカ人)が来日してQ&Aに参加してくれた。「ラライン兄弟は共に次回作の撮影に入っており、極寒の場所にいて来日できなかったが、日本の皆さまによろしくと言付かってきた」と挨拶した。その次回作が銀熊賞受賞の“El Club”です。

 

            

          (ガエル・ガルシア・ベルナル主演NO』のポスター

 

受賞作El Clubは、ピノチェト政権三部作同様チリの暗い過去を掘り起こす映画のようで、モラルの崩壊、イデオロギーの歪曲、カトリック教会の位階制、神父の小児性愛など見るものを困惑させ不快にもさせる。しかし、映像の検証は説得力があり最後は心揺さぶられることになるようだ。チリの同胞はできれば目を背けたいテーマに違いない。

 

キャスト:アルフレッド・カストロ(ビダル神父)、アレハンドロ・ゴイク(オルテガ神父)、ハイメ・バデル(シルバ神父)、アレハンドロ・シエベキング(ラミレス神父)、アントニア・セヘルス(シスター・モニカ)、マルセロ・アロンソ(ガルシア神父)、ロベルト・ファリアス(サンドカン)、ホセ・ソーサ(マティアス・ラスカノ神父)他 

       

    (左から、アルフレッド・カストロ、監督、ロベルト・ファリアス、ベルリンにて)

 

プロット:かつて好ましからぬ事件を起こして早期退職させられた神父たちのグループを、教会が海岸沿いの人里離れた村の一軒家に匿っている。神父たちはカトリック教会のヒエラルキーのもと共同生活を送っており、シスター・モニカが神父たちの世話をして生活を支えている。彼女が外と接触できる唯一の人間であり、神父たちが飼っている狩猟犬グレーハウンドも世話していた。ある日、この「クラブ」に5人目の神父が送られてきたことで静穏な秩序が一変してしまう。

 

                 

                El Club”のシーンから

 

★アルフレッド・カストロは、「ピノチェト政権三部作」全てに出演、『トニー・マネロ』がラテンビートで上映された折り来日している。ラライン監督夫人でもあるアントニア・セヘルスも同じく3作に出ており、NO』ではガエル・ガルシア・ベルナルが演じた主人公のモト妻役を演じていた女優、テレビ製作者、ラライン同様セレブ階級に属しており、結婚は2006年、2人子供がいる。

 

★ラライン監督談:少年時代の教育はカトリック系の学校に通った。そこで分かったのは、神父に三つのタイプがあったこと、その一つが軍人に抵抗して神父になったケース、犯罪者や行方不明者として何の痕跡も残さず突然移動させられた。その一人がチリでは有名なフランシスコ・ホセ・コックス神父(同性愛や小児性愛で告発されたラ・セレナ市の大司教も務めた神父)、彼が住んでいた牧歌的なスイスの館の写真を見て、この映画のアイディアが生れたということです。

 

★出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入った。つまり誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした。3週間で脚本を書き、2週間半の撮影は秘密裏に、編集は自宅でやった。それを弟フアン・デ・ディオス(製作者)と関係者2人に見せ、ベルリンの主催者に送った。オーケーが出たので大急ぎで正式のプロダクションを立ち上げた。観客と一緒に見たのはここベルリンが初めて、と映画祭のインタビューで語っています。教会はこの映画については、目下ノーコメントらしい。しかし観客の反応に手ごたえを感じたようです。


パコ・デ・ルシアのドキュメンタリー*ゴヤ賞2015ノミネーション ⑨2015年01月31日 19:23

                    息子が語る天才ギタリストの人生と音楽

   

★新人監督賞に唯一ドキュメンタリーから選ばれたのが本作のクーロ・サンチェス・バレラ。天才ギタリストの息子と2人の娘が製作したドキュメンタリー。2014225日、メキシコのリゾート地カンクンで心臓発作のため急死したニュースは世界を駆け巡りました。まだ66歳でしたから、この早すぎる死は家族も驚かせたことだった。ノミネーション3は以下の通り:

 


  Paco de Lucía : la búsqueda

長編ドキュメンタリー賞Ziggurat Films(アンホ・ロドリゲス、ルシア・サンチェス・バレラ

新人監督賞:クーロ・サンチェス・バレラ

編集賞:ホセ・MG・モヤノ、ダリオ・ガルシア

データ:スペイン、スペイン語、2014年、ドキュメンタリー、95分、スペイン公開920

 

解説:主に2010年から死去の2014年までのインタビューで構成されており、7歳でギターを手にしてから最後のディスクとなった“Canción Andaluza”まで、60年間の軌跡を辿るドキュメンタリー。出演者はパコの兄でギタリストのペペ・デ・ルシアの他、チック・コリア、ジョン・マクラフリン、ルベン・ブラデス、ピラニャ、アントニオ・セラーノなどのミュージシャンが多数スクリーンに現れる。 


★プロデューサーのルシア・サンチェス・バレラとノミネートされなかったが脚本の共同執筆者カシルダ・サンチェスは監督の姉妹。3年前からの企画、急逝したから製作したというわけではないそうで、半分ほど進捗していた最中に訃報に接した。「悲しみが大きくて再開できそうにもなかったが、自分を鼓舞してフィルム編集に没頭した。そうやって僕は父を取り戻したんです」とサンチェス・バレラ監督。デビュー作がいきなりゴヤ賞にノミネーション、評価も高く、受賞も夢ではないか。

 

クーロ・サンチェス・バレラFrancisco Curro Sanchez Varela30歳、オーディオビジュアル・コミュニケーションと映画を専攻。ドキュメンタリーを撮りたいと考えているが、「次回作はミュージカルではない。そういう提案を受けたが断った。勿論、再び父の映画を撮ることはないと思う。彼はカタルシスをおこさせる」と。賢明ですね。

 


★日本でも多くのファンをもつパコ・デ・ルシア、「ラテンビート2015」上映なら映画ファンのみならず、フラメンコ・ギターやカンタオールの音楽ファンも喜ぶのではないか。日本はアンダルシアについでフラメンコ・ファンが多い国とか。