フロリアン・ガレンベルガーの『コロニア』*9月17日公開2016年08月06日 12:54

        エマ・ワトソン、体当たりで拷問シーンに耐える政治スリラー

 

        

             (エマの鋭い眼差しが印象的なポスター)

 

6月上旬に公開がアナウンスされていたフロリアン・ガレンベルガーColoniaの公開が近づいてきました。邦題は原題のカタカナ起こし『コロニア』、英題の「コロニア・ディグニダ」が採用されると踏んでいましたが、とにかく長たらしい修飾語が付かずにヤレヤレです。昨年のトロント映画祭2015でワールド・プレミアされたドイツ・ルクセンブルグ・フランス合作映画。舞台背景はチリのピノチェト軍事独裁時代の宗教を隠れ蓑にした拷問施設「コロニア・ディグニダ」、この施設はピノチェトの秘密警察とナチスが巧妙に手を組んだ恐怖の拷問センターでした。実話が素材ですが、やはりフィクションでしょうか。

  

     

              (左から、共演者のダニエル・ブリュール、エマ、監督

 

★本作については、時代背景、キャスト、ストーリーなどを既に記事にしております。アジェンデ政権の瓦解を狙ったピノチェト軍事クーデタと、かつてのヒトラーユーゲント団員、ドイツ空軍の衛生兵だったパウル・シェーファーの結びつきについても紹介しております。現地チリで撮影されましたがチリは製作に参加しておりません。チリもドイツもそれぞれ自国の「歴史的負の遺産」を闇に閉じ込めたままにしています。言語は英語とスペイン語。

 

 

       (シェーファー役のミカエル・ニクヴィストとヒロインのエマ・ワトソン)

 

『コロニア』の紹介記事は、コチラ⇒201637

劇場公開:917日封切り

東京・ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ新宿、ほか全国展開

 

フロリアン・ガレンベルガーの”Colonia”*ナチスとピノチェト2016年03月07日 16:39

   「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ医師もコロニア・ディグニダに滞在していた!

 

ルシア・プエンソ『ワコルダ』(“Wakolda2013)の舞台はアルゼンチン、パタゴニアの風光明媚なバリローチェ、フロリアン・ガレンベルガーの“Colonia2015,独・ルクセンブルク・仏)の舞台はチリ中央部マウレ州リナレス県のパラル市郊外です。前者はアウシュヴィッツでユダヤ人の人体実験をおこない「死の天使」と恐れられたSS将校ヨーゼフ・メンゲレ医師がアルゼンチンに逃亡して暗躍する実話、イスラエル諜報特務庁モサドが舌を巻くほどの知的モンスターだった。後者はヒトラーユーゲント団員HJだったパウル・シェーファーが、児童の性的虐待を告発されチリに逃亡、1961年に設立した“Colonia Dignidad”(尊厳のコロニー)の真相を暴く実話。両作ともナチスと軍事独裁政権絡みの社会派ドラマです。最近、前者のメンゲレ医師が一時的にこの「コロニア」に滞在していたことが判明するなど、埋もれていたナチスや軍事独裁政権下の闇の掘り起こしが始まっています。両国はホロコーストを逃れてきた多くのユダヤ系ドイツ人と同時に、利用価値があるならばナチスであろうが積極的に受け入れてきた不思議の国といえます。

ルシア・プエンソの『ワコルダ』の記事は、コチラ⇒20131023

 

       

           (警官に追われるレナとダニエル、映画から)

 

★映画“Colonia”の英語題は「尊厳のコロニー」と呼ばれた悪名高きColonia Dignidadの名前をそのままタイトルにしています。戦慄すべきコロニーの真相が明るみに出てからは、こちらのほうがピーンとくるでしょうか。製作にチリもスペインも参画しておりませんが、言語は英語とスペイン語、ピノチェト政権の弾圧物語なので簡単に紹介しておきたい。以前パトリシオ・グスマンドキュメンタリー『光のノスタルジア』『真珠のボタン』を記事にいたしました。第1部の舞台はチリ北部アタカマ砂漠、第2部はチリ南部太平洋岸、監督は中央部アンデス山脈の火口や火口湖を視野に入れて3部を撮りたいと語っていましたが、「コロニア・ディグニダ」も登場するのではないでしょうか。1990年の民政移管後も民主化の歩みは遅々としており、ピノチェトの傷跡は国境を越えて吹きだしている感さえあります。

主な『光のノスタルジア』の記事は、コチラ⇒20151111

主な『真珠のボタン』の記事は、コチラ⇒20151116

 

    Colonia( Colonia Dignidad2015

監督・脚本:フロリアン・ガレンベルガー

脚本(共):トルステン・ヴェンツェル

撮影:Kolja・ブラント

プロデューサー:ベンヤミン・ヘルマン(ベンジャミン・ハーマン)

データ:製作国ドイツ=ルクセンブルク=フランス、言語英語・スペイン語、2015年、110分、スリラー、実話、軍事独裁政権、撮影地ルクセンブルク、公開ドイツ2016218日、他にロシア、米国、イタリアなどの公開が予定されています。

映画祭上映:トロントFF2015でワールド・プレミア、チューリッヒFF2015、ベルリンFF2016など。

キャスト:エマ・ワトソン(レナ)、ダニエル・ブリュール(夫ダニエル)、ミカエル・ニクヴィスト(パウル・シェーファー)、リチェンダ・ケアリー(ギセラ)、他

 

  

 (左から、ミカエル・ニクヴィスト、監督、リチェンダ・ケアリー、ダニエル・ブリュール、

ベンヤミン・ヘルマン。エマ・ワトソンは撮影中により欠席、トロント映画祭2015

 

解説1973年チリのサンティアゴ、ドイツ航空ルフトハンザの客室乗務員レナとアジェンデ政権を支持してチリに滞在していた写真家ダニエルの物語。レナは夫に会うためチリを訪れていた折しもピノチェト将軍率いる軍事クーデタに遭遇してしまう。1973911日、二人はクーデタ勃発の同日に逮捕され国立スタジアムに連行される。レナは間もなく解放されるが、ダニエルはピノチェトの秘密警察である国家情報局の手で拉致されてしまう。やがてレナは彼の行き先が拷問施設として使用されている「コロニア・ディグニダ」であることを突き止めた。ヒトラーユーゲント団員、ドイツ空軍の衛生兵だったパウル・シェーファーと彼の追随者たちが、1961年に設立したカルト的な少数集団のコロニーである。レナはダニエルを救うべくシェーファーの信奉者と偽ってコロニー内部に潜入するが、そこはピノチェト軍事政権に協力してシェーファーが君臨する暴力と児童への性的虐待が蔓延する恐怖の拷問センターであった。誰一人逃れることができないコロニーから二人は脱出できるのだろうか。                                           (文責:管理人)

 

     

     (シェーファー役のミカエル・ニクヴィストとレナ役のエマ・ワトソン)

 

パウル・シェーファーの人物紹介:1921年ミュンヘンのトロースドルフ生れ、2010年チリのサンチャゴで没。大戦中はヒトラーユーゲント団員であり、ドイツ空軍の衛生兵だった。1959年、孤児院を併設したバプテスト教会を設立したが、児童への性的虐待を告発され、司法の手が及ぶのを恐れたシェーファーは、追随者を引き連れて民主化以前のチリに脱出する。1961年、チリ中央部マウレ州リナレス県のパラル市郊外のバイエルン村(スペイン語で「ビジャ・バビエラ」)に、カルト的少数集団「Sociedad Benefactora y Educacional Dignidad」(仮訳「慈善協会と教育的尊厳」)を設立、のち「Colonia Dignidad」(尊厳のコロニー)に変更した。経済活動は主に農作業であったが、敷地を有刺鉄線で囲い、逃亡防止の望楼を備えた暴力が支配する秘密施設であった(1966年調査時には230人ほどがいた)。 

         

                           (20歳ころのパウル・シェーファー)

 

1973911日、ピノチェト将軍の軍事クーデタ以後、彼の秘密警察である国家情報局の拷問センターという役割が加わった。1974年、ピノチェトもコロニア・ディグニダを訪れている。この施設に連行された人の証言により、情報局員以外のコロニーのメンバーも拷問に加担したことが後に明らかになっている。民政移管された後、シェーファーは26名の児童への性的虐待の告発を受けるが、1997520日に姿を消してしまう。チリのバルパライソに潜伏した後アルゼンチンに逃亡、リカルド・ラゴス政権時の2005310日ブエノスアイレスで逮捕される。両国の話合いの結果、チリ警察の手でサンチャゴに移送される。2006524日、性的虐待で禁錮20年、他にも武器蓄積などで7年が加算される。コロニア・ディグニダの地下兵器庫には機関銃、自動小銃、ロケット弾、更には戦車まで隠されていたという、まさに小さな地獄であった。2010424日、サンチャゴの刑務所内病院で心臓病のため死亡、享年88歳でした。ここまで生き延びて来られたのは南米諸国の政治的後進性と脆弱な民主主義、緻密なナチス残党のネットワーク、何はおいてもチリの長きに渡るピノチェト独裁のおかげである。

 

  

 (2005年、潜伏先のブエノスアイレスで逮捕され、チリ警察の手で移送されるシェーファー)

 

フロリアン・ガレンベルガーは、1972年ミュンヘン生れ、監督、脚本家、俳優、製作者。ミュンヘン大学では哲学を専攻したが、のちミュンヘン・フィルム・スクールで映画を学ぶ。数多く撮った短編のうちQuiero ser2000、“I wont to be…”)が第73回アカデミー賞短編賞、ステューデント・アカデミー賞などを受賞する。また2009年のJohn Rabeが『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー』の邦題で公開されている。今年5月には製作に携わったクリスティアン・チューベルトの『君がくれたグッドライフ』が公開される予定。

 

 

   (ブリュール、ワトソン、監督、ベルリン映画祭2016

 

★ガレンベルガー監督は製作動機を「9歳のとき学校で学んだ。当時コロニア・ディグニダのことは一大スキャンダルだった。しかし今でもドイツはアンタチャブルにしていたい。却って本作を撮るために5年前現地を訪れたときのチリのほうがオープンだった」とトロント映画祭で語っていた。1972年ミュンヘン生れの監督が9歳だった1981年は、まだチリはピノチェトが支配していた時代でした。現在ではコロニア・ディグニダについての資料や研究は進んでいるのにドイツが沈黙しているのはおかしい。人権の意味からもドイツは真実を明らかにする負債を負っている、ということでしょうか。スリラー仕立ての実話に基づく恐怖ドラマでもあるが、「これは恐怖を超えた愛の物語です。今日では、夫を助けだしたいという妻のあのような行為は普通のことではありませんが、私が惹かれるのはあの女性の勇気です」と監督。ハリポタの少女エマ・ワトソンも頭の回転の早い大人の女優に成長しました。

 

     

         (コロニア・ディグニダがあった場所、ビジャ・バビエラ)

 

『光のノスタルジア』 星と砂漠*パトリシオ・グスマン2015年11月11日 11:39

★東京国際映画祭で見たホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』を先にアップするつもりでおりましたが、鑑賞しているあいだ最近見たばかりの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の寡黙でありながら雄弁な語り口が思い出され、ゲリンになかなか入りこめなかった。このパトリシオ・グスマンの作品を先に文字にしないと先に進めない。と言っても語る言葉が容易に見つからないんだが。まずデータでウォーミングアップしよう。

 


     『光のノスタルジア』“Nostalgia de la luz 2010

製作:Atacama Productions () / Blinker Filmproduktion & WDR () / Cronomedia (チリ)

監督・脚本・編集:パトリシオ・グスマン

撮影:カテル・ジアン

音響:フレディ・ゴンサレス

音楽:ミランダ&トバール

編集(共同):エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ

データ:製作国フランス=ドイツ=チリ、言語スペイン語、英語、ドキュメンタリー、90分、カラー(資料映像のモノクロを含む)、チリ公開未定、フランス、ドイツ、USA、イギリス、日本などで公開

受賞歴:ヨーロッパ映画賞2010ドキュメンタリー賞、アブダビ映画祭2010ドキュメンタリー「ブラック・パール賞」、国際ドキュメンタリー協会賞2011IDA賞」、シェフィールド・ドキュメンタリー映画祭2011スペシャル・メンション、ロサンゼレス・ラテン映画祭2011審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011最優秀賞、トロント映画祭2012TFCA賞」などを受賞

映画祭ノミネーション:カンヌ映画祭2010コンペ外正式出品、ほかにメルボルン、トロント、サンセバスチャン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ビアリッツ(ラテン部門)、テッサロニキ・ドキュメンタリーなどの国際映画祭で上映された。

 

登場する主な思索者たち

ビクトリア・サアベドラ(行方不明者デサパレシードの弟ホセの遺骨を28年間探し続けている)

ビオレータ・べりオス(デサパレシードのマリオの遺骨を28年間探し続けている)

ガスパル・ガラス(軍事クーデタ後に生れた若い天文学者、人類と宇宙の過去を探している)

ラウタロ・ヌニェス(数千年前のミイラと遺骨を探す女性たちと語り合える考古学者)

ミゲル・ローナー(強制収容所から生還できた記憶力に優れた建築家)

ルイス・エンリケス(星座を観察することで生き延びた強制収容所体験者、アマチュア天文学者)

ビクトル・ゴンサレス(ヨーロッパ南天天文台のドイツ人技師)

V・ゴンサレスの母(クーデタ後ドイツに亡命、現在は遺族のヒーリングマッサージをしている)

バレンティナ・ロドリゲス(両親がデサパレシード、天文団体の職員、二児の母)

バレンティナの祖父母(誕生したばかりのバレンティナを養育した)

ジョージ・プレストン(人間は星の中に住む宇宙の一部と語る天文学者)

 

プロット:チリの最北端アタカマ砂漠では、天文学者たちが約138億年前に誕生した宇宙の起源に関する答えを求めて星を見つめ続けている。一方地表では、考古学者が数千年前の人類の歴史を探して発掘している。更に女性たちがピノチェト独裁政権時代に殺害され砂漠に遺棄された家族の遺骨を求めて掘り続けている。共に目的の異なる過去への旅をしているが、もう一人の過去の探求者グスマンに導かれ砂漠で邂逅する。                  (文責:管理人)

 

       グスマンを駆り立てた二人の女性のパッション

 

A: フィルモグラフィーを見ると、2005年に「私のジュール・ヴェルヌ」を撮った後、少し長い4年間のブランクがある。テーマははっきりしているのにカチッと鍵が回らない。このブランクは自問しながら格闘している監督の時間です。ところが28年間も家族の遺骨を探し続けている二人の女性に出会って、突然砂漠と星がシンクロする。こういう瞬間を体験することってありますね。

B: 彼は子どもの頃からの天文学ファンで最初のガールフレンドは考古学者だった。しかし天体望遠鏡を通して見える宇宙の過去とか、砂漠を発掘して過去を辿る話を撮りたかったわけではない。

 

A: 付録として最後に簡単なプロフィールを紹介しておいたが、彼の原点は「もう一つの911」と言われる、1973年のピノチェト軍事クーデタにある。常にその原点に立ち戻っている。5年後に撮った『真珠のボタン』も本作に繋がり、テーマは円環的だから閉じることがないのかもしれない。

B: 一応二部作のようだが、「チリの戦い」のように三部作になる可能性もあるね。

 

A: 監督はクーデタ後、逮捕されて2週間国立競技場に監禁されるという体験の持ち主、まかり間違えば行方不明者デサパレシードになる可能性があった。

B: 日本でも多くのファンがいるシンガー・ソング・ライターのビクトル・ハラが監禁されたと同じ競技場ですか。

A: 彼はチリ・スタジアムのほうで、5日後の916日には銃殺されています。サンチャゴの親戚を訪問中に偶然クーデタに遭遇したロベルト・ボラーニョも逮捕監禁された。なんとか友人たちの助けで無事メキシコに戻れましたが、人権などクソみたいな時代でした。

B: 行方不明者の6割が未だに分かっていないそうだから、まだ終わっていない。世界の映画祭で上映され公開もされていますが、本作も『真珠のボタン』もチリ国民は、見ることができません。

 

A: 映画の存在さえ知らないのではないか。30年前に起こったことを教科書は載せていないから、チリの子どもたちが学校で学ぶことはない。ということはクーデタ以後に生れた世代はクーデタがあったことさえ知らないですんでいる。死者の中には先住民、外国人、未成年者も含まれている。逮捕され強制収容所に送られた人数が3万人とも10万人とも言われているのに、チリの夜明けは遠い。

B: アジェンデ大統領の孫娘が撮った『アジェンデ』の中で、「祖父のことを話すことは家族のタブーだった」と監督が語っていたが、家族どころか国家のタブーなんだ。

 


A: 事実の検証はチリ国民が抱える負の遺産だが「あったことをなかったことにすることはできない」。チリの慣例では元大統領は国葬ということですが、2006年当時の大統領ミシェル・バチェレが拒否した。父親が犠牲者だったことや自身も亡命を余儀なくされたのを配慮して見送られたとも。しかし、陸軍主催の葬儀は認めざる得なかった、それが当時の限界だった。

B: 日本でもその盛大な葬儀の模様がニュースで流れたが複雑な感慨を覚えた。遺骸に唾を吐きかける人、チリ国民をアカの脅威から守った偉大な大統領と賞讃する人、対話が始まるのは半世紀先か、1世紀後か。映画から伝わってくるのは今でもチリ社会は暗闇の中ということ。

 

           これはドキュメンタリーですか?

 

A: さて映画に戻して、ドキュメンタリーではなくフィクションを見ていると感じた人が多かったかもしれない。でもドキュメンタリーって何だろうかドキュメンタリーの定義は、一般的には作り手の主観や演出を加えることなく記録された映像作品を指すのだろうが、実際そんなドキュメンタリーは見たことない。この定義だと「できるだけ客観性や中立性を重んじる」報道とどこが違うのか。個人的にはドキュメンタリーもフィクションの一部と思っている。

B: 報道が客観性を欠くとプロパガンダになりかねないから当たり前です。本作はメタファーを媒介して監督の世界観が語られているから、定義を尊重するとドキュメンタリーではないことになるね。

 

A: 世界の代表的なドキュメンタリー作品は、すべて「ドキュメンタリーではない」ことになる。以前、ゴンサレス・ルビオの“Alamar”(2010メキシコ)がトロント映画祭で上映され、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか曖昧だということで、「これはどちらですか」と訊かれた監督、「これは映画です」と返事していた()

B: 蓋し名答だ。役者が台本通りまたは監督の演出通りに演技するかしないかの違いだ。本作でも登場人物の中には監督の意図を慮って発言しているように感じられる人もいた。編集に苦労したんじゃないかと思う。

A: 特に『真珠のボタン』にはその傾向が強かった。例えばヘリコプターから行方不明者を海に投下する映像は再現ドラマだった。事実だから捏造ではないが、もし報道だったら許されないシーンだ。

B: ドーソン島にあった強制収容所の生存者を一堂に集めて、「ドーソン島の方角を指して下さい」というヴォイスが流れると、多くの人が同じ方向を指すシーンなんかも演出があったかも。

 

           過去を語る記憶­―現実は存在しない

 

A: 天文学者のガスパル・ガラスが、「現実で経験することはすべて過去のことです」と語るが、確かに宇宙的時間では現在という時間は存在しないに等しい。彼らは138億前のビッグバンで生れた宇宙の過去を探しているが、二人の女性はおよそ30年前の過去を探している。同じ過去を探しているが、「私は夜になればぐっすり眠れる。しかし彼女たちは朝起きれば苦しみが始まる」とガラス。

B: ここに登場する人々は、おしなべて思索者、寡黙だが心に響く言葉の持ち主だ。グスマン監督を尊敬し、監督も彼らを尊重しているのが伝わってくる。上から目線ではない。

A: 監督が自問しながら、観客に問いかけているのが伝わってくる。これが魅力の一つ。

 

B: 考古学者のラウタロ・ヌニェスの言葉も重い。もし自分の子どもが虐殺されたとしたら遺骨を探し続けるし、決して忘れない。何びとも死ぬ運命に変わりはないが、どこで眠っているのか分からなければ葬ってやれない。

A: まだ答えを見つけていないし、「遺骨を探すのは、マリオを見つけてきちんと葬ってやりたいから」とビオレータ・ベリオス。遺骨がなければ「弟が死んだという事実を受け入れることができない」と語るビクトリア・サアベドラ30年前の家族の骨を探す人々なんか、頭のおかしい人という批判に抵抗している。

B: 軍事政権を支えた人たちには、先住民と同じように彼らは目障りな存在なんだ。

 


   (デサパレシードを探し続ける遺族たち、左端ビオレータ、右から2番目ビクトリア)

 

A: 一番記憶に残った人というのは、孫のバレンティナ・ロドリゲスを育てたという祖父母、ソファに座り失語症になったかのように無言、凄いインパクトだった。

B: バレンティナは「私の両親が高い理想と勇気をもった素晴らしい人たちだったこと、私に人生の喜びを教え、幸せな子供時代を送らせてくれた人」と敬意をこめて語っていた。

 


               (我が子を抱くバレンティナ)

 

A: 建築家のミゲル・ローナーの記憶力には驚かされた。5カ所の強制収容所の体験者、その収容所の図面を正確に記憶して、亡命後そのイラストを本に纏めて出版した。彼が再現した記憶術の方法は「基本のキ」だ。図面を書いたらすぐさま粉々に破り捨ててしまう。処分したので覚えていられたと思う。

B: 発見される危険と語っていたけど。チリ国民が「そんなことあったなんて知らなかった」と言わせたいために記憶した。記憶も本作の主題だね。

A: 映像の美しさは言葉にしても何の意味もありません、スクリーンで見てください。

 


                (建築家ミゲル・ローナー)

 

監督キャリア&主なフィルモグラフィー

パトリシオ・グスマンPatricio Guzmán 1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。彼によると、生れはサンティアゴだが「うちは一個所にとどまって暮らすことがなく遊牧民家族のように放浪していた。そのたびに学校も変わり、ビニャ・デル・マルに住んでいたこともあった」と語っている。1960年チリ大学の演劇学校で歴史学科(61)と哲学科(6265)に所属していたが経済的理由で中途退学した。4年間出版社で働き、その間小説や短編を執筆している。

 

しかし仕事に情熱がもてず映画に転身、8ミリで短編を撮り始める。1965年、カトリック大学の映画研究所とのコラボで短編デビュー作“Viva la libertad”(18分)を撮る。毎年1作ずつ短編を撮りつづけるが満足できず、海外の映画学校を目指す。しかし奨学金が下りず、当時の妻パメラ・ウルスアが家財道具をすべてを売却してマドリードへの切符を調達してくれた。マドリードでは国立映画学校の入学資金を得るため広告代理店で働き、1969年入学、翌年監督科の資格を取得。スペインでも大きい広告会社モロ・スタジオではたらいた後、19713月、前年に誕生していたアジェンデ政権の母国に戻る。 


最初の長編“El primer año”を撮る。1973911日ピノチェトの軍事クーデタが勃発、逮捕される。2週間国立競技場に監禁されるが、妻や友人たちの助けでチリを脱出、ヨーロッパへ亡命する。フランスの友人クリス・マルケル監督と一緒に仕事を開始、フランスのシネアストとの友好関係を維持しながら、キューバのICAICの援助を受けてドキュメンタリーを完成させている。

 

1997年サンティアゴ・ドキュメンタリー映画祭の創設者(Fidocs)、若いシネアスト・グループの援助や指導に当たっている。ヨーロッパやラテンアメリカの映画学校でドキュメンタリー映画の教鞭を執っている。現在は再婚したプロヂューサーのレナーテ・ザクセRenate Sachse(ドイツ出身)とパリ在住。先妻との間に二人の娘がおり共にシネアスト、しばしば父とコラボしている。

 

 

主な長編ドキュメンタリー

1972El primer año”「最初の年」100

アジェンデ政権最初の1年間を描く。友人クリス・マルケル監督のプロローグ入り

197579La batalla de Chile”「チリの戦い」(19757679)長編三部作、270

アジェンデ政権と軍事クーデタで政権が失墜するまでを描くドキュメンタリー

1987En nombre de Dios”「神の名において」100

ピノチェト軍事政権下で人権のためにチリのカトリック教会と闘ったドキュメンタリー

1992La cruz del sur”「サザンクロス」80

ラテンアメリカの庶民の信仰心についてのドキュメンタリー

1997Chile, la memoria obstinada”「チリ、執拗な記憶」58分中編、

チリ人の政治的記憶喪失についてのドキュメンタリー

2001El caso Pinochet”「ピノチェト・ケース」110

元独裁者ピノチェトのロンドンでの裁判についてのドキュメンタリー

2004Salvador Allende”「サルバドル・アジェンデ」102分、私的ポートレート

2005MI Julio Verne「私のジュール・ヴェルヌ」52分中編、フランスの作家の伝記

2010Nostalgia de la luz『光のノスタルジア』90分、省略

2015El botón de nácar『真珠のボタン』82分、省略

多数の短編、フィクションは割愛した。

 

国立映画学校1947年創立の国立映画研究所が、1962年改組されたもの。フランコ没後の1976年にマドリード・コンプルテンセ大学情報科学学部に発展吸収され現在は存在しない。卒業生にアントニオ・デル・アモ、アントニオ・バルデム、ガルシア・ベルランガ、ハイメ・チャバリ、イマノル・ウリベ、ホセ・ルイス・ボラウ、カルロス・サウラ、ピラール・ミロ、ビクトル・エリセなど他多数。スペインの映画史に名を残すシネアストが学んだ映画学校。

 

ベルリン映画祭2015*番外編2015年03月04日 11:33

        パノラマ部門にセバスチャン・シルバの新作

★コンペティション外ですがチリのセバスチャン・シルバの新作Nasty Babyが「パノラマ」部門で上映されていました。ベルリンはコンペ外にパノラマ→フォーラム→ゼネレーション(子供が審査員)と4つのセクションがあります。「ラテンビート2010」で『家政婦ラケルの反乱』、同2013には『クリスタル・フェアリー』と『マジック・マジック』が上映された。2013年には監督自身も来日、Q&Aに参加しております。シルバは既にカミングアウトしていて故国では息苦しいのか、「私はチリではアウトサイダー」と語っており、2010年からニューヨーク市のブルックリンに居を定めて製作、従って本作も残念ながら言語は英語です。

 

     (Tunde Adebimpe とクリステン・ウィグ“Nasty Baby”から)

 

★“Nasty Baby”は、ブルックリンに住んでいるゲイ・カップルが人工授精で子供を持とうとする話。予告通り監督自身も出演しておりますが、「nastyな」赤ん坊とは穏やかでないタイトルです。20136月にクランクイン、エキストラはブルックリン周辺の隣人たちということです。2015年、米国=チリ、英語、100分。1月下旬に行われたサンダンス映画祭2015がプレミア。

 

      (サンダンス映画祭での監督以下出演者、左から2人目がシルバ監督)

 

経歴・フィルモグラフィー紹介記事は主にコチラ⇒2013925

『クリスタル・フェアリー』はコチラ⇒20139251029Q&A

『マジック・マジック』はコチラ⇒9271026Q&A

『家政婦ラケルの反乱』はコチラ⇒2013927

 

 

     フォーラム部門にドミンガ・ソトマヨル・カスティリョの新作

Mar ドミンガ・ソトマヨル・カスティリョの長編第2作目、 チリ=アルゼンチン合作、2014年、70分。チリのバルディビア映画祭201410月)で上映、ベルリン映画祭の後、チリのサンチャゴで開催される「第5回女性映画祭2015 FEMCINE 5」(324日~29日)のイベロアメリカ映画部門の上映が決まっています。ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、パラグアイ、ベネズエラ、スペイン、ポルトガルなどの女性監督作品が一堂に会します。


33歳のマルティンMartinはガールフレンドと夏季休暇に海Marに出掛ける。彼の母親が到着するまでは何事もなく平穏に過ごしていたが・・・。MartinMarに意味があるようで、だから英語‘Sea’にはできないか。家族の崩壊、移動(旅行)がテーマらしく、デビュー作『木曜から日曜まで』と似ているようです。監督が脚本、製作を兼ねているだけでなく、他の俳優たちも脚本、製作を掛け持ちしている。うち脚本家の一人マヌエラ・マルテリも“Apnea”で監督デビュー、「第5回女性映画祭2015」の短編部門に選ばれている。とにかくチリだけでなく、ラテンアメリカの女性シネアストたちは元気です。


★『木曜から日曜まで』“De jueves a domingo”(2012Thursday till Sunday”)は、ロッテルダム映画祭2012がプレミア、その後世界各地の映画祭にエントリー、「東京国際映画祭2012」でも上映され邦題はそのときのもの。ドミンガ・ソトマヨル・カスティリョは、1985年チリのサンティアゴ生れ、若くて美人だ。チリのカトリック大学視聴覚学部を卒業したばかりの2009年に撮った短編“Videojuego”(ビデオゲーム)が、2010年ロッテルダム映画祭に出品され話題に。『木曜から日曜まで』はオランダから資金が出て合作となったが、カンヌ映画祭の映画基金も貰って製作された。 


★離婚を決意した若い両親と何も知らない二人の姉弟4人で、木曜から土曜にかけて車(日本製M929)で「お別れ旅行」をする話。姉ルシアの賢そうな目とカメラの目は、走っている車中では常に後ろ向きの両親の姿を見ることになる。このルシア役の子役サンティ・アウマダは監督の妹の友人ということだが、自然な演技が気持ちよく、おしなべてその他の子役の扱いに感心した。「子役には台本を与えず、姉弟二人のリアクションを観察しながら、日々起こるハプニングを加えて撮影したことで、より自然な演技を引き出すことに成功した」とQ&Aで語っていた。

 

 (構図の取り方が優れていた『木曜から日曜まで』 両親の背中を見ながら移動する姉弟)

 

★車窓を飛び去る荒涼としたチリの風景、スピード感もあって将来が楽しみな監督と感じた。第2作目となる本作がフォーラム部門とはいえベルリンにエントリーされたのは嬉しい。テーマの一つに「移動」を上げたのは、チリも含めてラテンアメリカ映画の特徴と考えるから。上記のセバスチャン・シルバにも顕著です。「チリは細長い国なので、移動といえば北か南に行くしかない」が、これに心理的な移動が加わって、デビュー作とは思えない完成度を示した。

 

イサベル・コイシェの新作*ベルリン映画祭2015 ③2015年03月01日 18:50

         オープニング作品だったコイシェの新作

★昨年のような目玉作品がなかったせいか、金熊賞のジャファル・パナピの“Taxi”が頭ひとつ出ていただけでチャンスは誰にもあった。テレンス・マリックの“Knight of Cups”の前評判はイマイチだったらしく、それでも主催者からオープニングを打診されたとき「とても名誉なことだけれど、しかし・・・」と、コイシェ監督は躊躇したそうです。結局主催者はマリックを選ばなかった。ベルリナーレのディレクター、ディータ・コスリックDieter/Kossilick は、「極限状況におかれた二人の女性の迫力ある直観的な物語」が気に入ったようです。

 


Nobody Wants the Night(西語題“Nadie quiere la noche2015、西≂仏≂ブルガリア、118分、撮影地ブルガリア、ノルウェー、カナリア諸島のテネリフェ)は、結果的には無冠に終わりましたが、コイシェ監督はここ毎年新作を発表している。言語は英語だがAnother Me2013、“Mi otro yo”)、昨年のトロント映画祭出品のLearning to drive2014、資金難に喘ぐスペインの監督としては珍しいことです。やはりバルセロナを離れてニューヨークに居を定めたことが、人的交流にも恵まれ創作意欲も刺激しているようです。残念ながら新作もイヌイット語を含む英語映画です。1909年、初めて北極点に到達したと言われるアメリカの探検家ロバート・ピアリーの妻ジョゼフィーンにジュリエット・ビノシュ、イヌイット女性アラカに菊池凛子、ロバートにガブリエル・バーンが扮する。監督によると「実在した人物が主人公ですが、物語はフィクション、文明とは何か、野蛮とは何かが語られる」、ということは極めて今日的なテーマとも言えます。 

    (イサベル・コイシェとジュリエット・ビノシュ、ベルリン映画祭にて)

 

★初の極点到達を目指している夫ロバート・ピアリーを追って、アメリカからグリーンランドへ旅立ったジョゼフィーンの物語。ロバートは妻と娘をワシントンに残して極点到達の探検に出掛けた。留守がちの夫の帰りを待つだけの暮らしにウンザリしていたジョゼフィーンは、初到達を夫と共有しようとグリーンランドを目指すことにする。イヌイットの女性アラカの助けを借りて夫の後を追う。

 

★ロバート・ピアリーはイヌイット女性との間に二人の子供があり、この女性の導きで極点に向かったと言われている。裕福なブルジョア階級に属し、教養の高い女性だったジョゼフィーンは、食べるのがやっとの一般庶民が夫の探検を軽蔑していると感じていた。しかし極点初到達は、現在では真偽のほどが疑問視されている、いや否定されているようだが、本作においてはあまり関係ないようだ。何故なら彼らにとって重要なことは栄光、初到達はどうでもよいことだったからだ。

 

        (ジョゼフィーン・ディウベッツチ・ピアリー 18631955

 

コイシェ監督談4年前にミゲル・バロスから脚本を受け取り、とても興奮した。アメリカの多くの女優に声を掛けたが「素晴らしい役柄で気に入ったわ、だけど撮影条件に対応するのは難しい」と次々に断られた。結局「ジュリエットのようなぶっ飛んだ女優でないとやれないと分かったの」と監督。「テント小屋の暖房は灯油ストーブでも文句を言わない、プラスチックの袋に用を足せる強靭さがないと務まらない。更にある種の高揚感や本質を見抜ける力がある女優でなければ」というわけです。

 

★広大な北極で迷ってしまったジョゼフィーンをロバートは救出に行かなかった。彼にとって気がかりなのは極点に早く到達すること、そしてその偉業を喧伝することだった。後に妻は見せかけの人生を送ることになるのだが、ワシントンに戻ってから夫がどんな人間だったかを思い知る。「そのとき本当の北極の夜が始まった。悲しいけれどこれが現実」と監督。つまりタイトルに繋がる。名声と栄光を求めるだけの偽りの芸術家夫婦は、周りにたくさんいるとも。

 

               (ジョゼフィーンとロバート)

 

★ジョゼフィーンと冬を過ごすアラカについて、「その無垢さ、しなやかなインテリジェンス、高貴さに打たれる。若いけれど無知ではない」。グリーンランドで撮影中、イヌイットの素晴らしい女性と大いに語り合った。その識者の高祖母(ひいお祖母さんの母)がアラカの姉妹の一人だったという。スクリーンの最後に出てくるようです。キャストについてはジュリエットは言うまでもなく大いに満足している由、新婚ほやほやの凛子さん、良かったですね。

 

          (ジョゼフィーン役のビノシュとアラカ役の菊池凛子)

 

ジュリエット・ビノシュ談:凍てつくようなノルウェーでの撮影を思い出して、「実際のところ、撮影の3日間は凍えそうだった。残りは6月のテネリフェのスタジオで、毛皮にくるまって撮影した」。6月のテネリフェは暑いから相当過酷な仕事だったことが想像できます。「演技とは感覚的なもので知的な仕事ではない」、頭脳労働じゃない。「この映画は七面鳥であることを止めて犬に変身しようとした女性の物語」だそうです()

 

★コイシェ監督近況、現在3本の脚本を抱えている。その一つが英国のペネロペ・フィッツジェラルドのブッカー賞受賞作“The Bookshop”(1978、“La libreria”)の映画化。ニューヨーク市ブルックリン区のマンションに戻って執筆中。他にダーウィンの玄孫を主人公にした脚本をマシュー・チャップマンと執筆している。ニューヨークも寒いが「鼻がもげそうなほど寒かった」ノルウェーに比べればなんてことはないですね。「どこに住んでいようが、気分がいいときも悪いときもある・・・不安定な綱渡りのロープに立っていると感じることもあるが、必要があればウズベキスタンでもモンゴルでも行きます」、「ハイ、スタート、カット」と言いながら死にたい。

 

共同脚本家マシュー・チャップマン1950年ケンブリッジ生れ、監督・脚本家・製作者。1980年代にアメリカに渡り、ロスに10年余り暮らした後ニューヨークへ。『殺しに熱いテキーラを』(1986脚本)、『ニューオーリンズ・トライアル』(2003共同脚本)、話題となった心理サスペンス『ザ・レッジ 12時の死刑台』(2011監督・脚本・製作)など。

 

*関連記事:管理人覚え

◎“Another Me”(英西、英語)については2014727

◎トロント映画祭2014「スペシャル・プレゼンテーション」部門“Learning to drive
 (
米国、英語2014813 


パトリシオ・グスマン脚本賞受賞*ベルリン映画祭2015 ②2015年02月26日 18:18

         El botón de nácar”を受賞

★アカデミー賞の結果発表でベルリン映画祭のことなどかき消されてしまいました。今年のTV視聴率は昨年より一気に約14%ほど下がった。作品賞受賞作のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』でさえ全米規模では未公開らしく、独立系の地味な作品が多かったことが数字に現れてしまった。英語映画ですが『アモーレス・ペロス』で世界の注目を集めたメキシコ出身の監督ということ、下馬評通り『イーダ』が受賞した外国語映画賞ノミネーションの“Relatos salvajes”のダミアン・シフロン(アルゼンチン)の動静なども含めていずれアップしたい。

 


★さて、パトリシオ・グスマンのドキュメンタリーEl botón de nácar(“The Pearl Button”)が脚本賞を受賞しています。チリ、フランス、スペイン合作、スペイン語、2015年、82分、公開はフランスの10月が決まっている。チリ人による植民地時代のジェノサイドとピノチェト政権時代のマタンサを告発するドキュメンタリー。1973911日、もう一つの「911」と言われるピノチェトの軍事クーデタもテーマの一つ。前半は北のアタカマ砂漠、後半は永久凍土のパタゴニア地方、ピノチェトに虐殺された犠牲者の遺体の痕跡がある場所です。彼らのプロフィールが次々に語られていく。タイトルの「真珠貝のボタン」はメタファーのようで、先住民が買われてイギリスで教育されるために受け取った真珠貝のボタン、もう一つは海底から見つかった貝殻付きのレール、これはピノチェトが犠牲者を海に放り込む前に浮き上がってこないよう体を縛りつけたレール。前作Nostalgia de la luz”で始まったチリ人の地理学的彷徨はEl botón de nácar”において閉じられる。 

      (銀熊脚本賞のトロフィーを手にした監督とプロデューサーの監督夫人)

 

★アタカマ砂漠は標高が高く空気が乾燥しているので天文観測には適している。従って世界の天文台が設置されていることでも有名、日本のなんてん天文台、ヨーロッパのパラナル天文台などが建っている。樹木も小鳥も生息できないが、砂漠の下には多くの犠牲者が眠っている。天文台では星の歴史が観測できるが、地下にはチリの悲惨な歴史が掘り起こされるのを待っている。チリの人々の健忘症と無関心が問われているドキュメンタリー。グスマンはずっとチリの社会政治問題に拘って撮りつづけている監督。「チリは先の大戦には参戦しなかったが、大量虐殺はした」と監督。前回ご紹介したパブロ・ララインの大先輩ですが、ドラマでなく多くがドキュメンタリー。

「ドキュメンタリー映画を持たない国は家族写真のない家族のようなもの」が持論。

 

パトリシオ・グスマン1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。1965年短編“Viva la libertad”(18分)でデビュー、短編を毎年1作ずつ撮りつづけ、長編三部作La batalla de Chile19757679)を撮る。軍事クーデタでアジェンデ政権が崩壊するまでを描く。アジェンデとピノチェト両政権を体験した映画監督。他の代表作“En nombre de Dios”(1987)、“El caso Pinochet”(2001)、“Salvador Allende”(2004)、2010年のNostalgia de la luzなど、すべてドキュメンタリーです。現在はプロヂューサーのRenate Sachse夫人とパリ在住。 

                   (受賞作El botón de nácarを撮影中の監督)

 

★評価の高かった前作“Nostalgia de la luz”は受賞作と主題がダブっています。「私のテーマは過去にある」と語る監督。これは2010年にカンヌ、トロント、サンセバスチャン、サンパウロ、リオデジャネイロ、ビアリッツ、ポートランドなど、2011年からは香港、サンフランシスコ、テッサロニキなど数多くのの映画祭で上映されている。フランス、ドイツ、米国、イギリス、スペイン、イタリアでは公開されたが、肝心のチリでは今もって未公開。「国営テレビも共同出資しているが未だに放映なし、その気もないようだ」とグスマン監督。ピノチェトはかつて「ずっと昔の話じゃないか」とうそぶいていたが、軍事独裁時代はそんなに昔のことではない。チリ国民の記憶、時間、宇宙についての詩的で哲学的な熟考をうながすドキュメンタリー。静かなナレーション、犠牲者の家族、特に妻や姉妹の言葉に感動する。

 

   (“Nostalgia de la luz”のポスター、中央の男性は遺骨を探し続ける家族)

 

ラテンアメリカ映画が評価された年だった

アルフレッド・バウアー賞にグアテマラのハイロ・ブスタマンテIxcanal(“Ixcanal Volcano”)が受賞と、今回はラテンアメリカの受賞が目立ちました。日本から現地に飛んだ関係者からも「今年は優れた作品が多かった」と中南米映画を評価する声が聞かれた。この賞は若手監督が受賞することが多いのだが、昨年は91歳のアラン・レネの『愛して飲んで歌って』が「常に刷新的で新しい境地を開拓している」として受賞した。受賞後まもない31日パリで死去、結局これが遺作となった。


パブロ・ララインの”El Club”グランプリ審査員賞*ベルリン映画祭2015 ①2015年02月22日 21:59

      NO』から3年、新作がベルリン映画祭グランプリ審査員賞に


★今年のベルリン映画祭は、イサベル・コイシェ(バルセロナ、1960)のNadie quiere la nocheで開幕しました。オープニング作品にスペイン映画が選ばれたのは初めて、ということで期待しましたが無冠、代わりにと言ってはなんですが、パブロ・ララインのEl Clubが審査員賞グランプリを受賞しました。前作『NO』(2012)はカンヌ映画祭「監督週間」でアート・シネマ賞受賞、また米国アカデミー外国語映画賞にノミネーションされたがハネケの『愛、アモール』に破れた。ベルリンは今回が初めてです。

 

  (熊のトロフィーを高々と差し上げたパブロ・ラライン、ベルリン映画祭授賞式)

 

★パブロ・ララインは、1976年チリの首都サンチャゴ生れ。父親エルナン・ラライン・フェルナンデス氏は、チリでは誰知らぬ者もいない保守派の大物政治家、1994年からUDIUnion Democrata Independiente 独立民主連合) の上院議員で弁護士でもあり、2006年には党首にもなった人物。母親マグダレナ・マッテも政治家で前政権セバスチャン・ピニェラ(201014)の閣僚経験者、つまり一族は富裕層に属している。ラライン監督の『NO』に関連するので触れると、ピニェラ前大統領はピノチェト大統領の8年間延長についての国民投票では「No」に投票している。ピニェラは世界的な大富豪、アメリカの経済紙「フォーブス」で資産総額で437位に数えられている。同じ地震国であるということか、東日本大震災後に2回来日して被災地を視察している。

 

ミゲル・リティンの『戒厳令下チリ潜入記』でキャリアを出発させている。弟(6人兄妹)フアン・デ・ディオス・ララインと Fabula」というプロダクションを設立、その後、独立してコカ・コーラやテレフォニカのコマーシャルを制作して資金を準備してデビュー作Fuga2006)を発表した。<ジェネレーションHD>と言われる若手の「クール世代」に属している。監督では、『マチュカ』や『サンティアゴの光』のアンドレス・ウッド、『ヴォイス・オーヴァー』のクリスチャン・ヒメネス、『家政婦ラケルの反乱』『マジック・マジック』のセバスティアン・シルバ、『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ、『プレイ/Play』のアリシア・シェルソンなどがおり、シェルソンの『プレイ』はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2006」で新人監督賞を受賞した作品。(邦題は映画祭上映時のもの)

 

NOについて:サンセバスチャン映画祭2012の「ZABALTEGIのパールズ」部門にエントリーされ、観客総立ちのオベーションを受けた作品。続いて東京国際映画祭 2012のコンペティション部門、ラテンビート2013でも上映された。「ピノチェト政権三部作」の最終作。第一部がアルフレッド・カストロ主演の『トニー・マネロ』(2008、ラテンビート上映)で1970年代後半のチリ、第二部が同じくカストロ主演のPost mortem2010)、時代背景が1973年のアジェンデ政権末期、つまり時代は二部→一部→三部の順になります。第二部はメタファーが多くチリ社会の知識を要求する複雑な作品、本作が一番分かりやすい作品と言える。しかし断然光っているのは好き好きもあるが、第一部『トニー・マネロ』か。

 

  (『トニー・マネロ』の主役アルフレッド・カストロ、クール世代の一人)

 

NO』が東京国際映画祭2012で上映されたときラライン監督の来日はなかったのですが、ラライン兄弟の映画製作に初参加したダニエル・マルク・ドレフュス(ロス在住のアメリカ人)が来日してQ&Aに参加してくれた。「ラライン兄弟は共に次回作の撮影に入っており、極寒の場所にいて来日できなかったが、日本の皆さまによろしくと言付かってきた」と挨拶した。その次回作が銀熊賞受賞の“El Club”です。

 

          (ガエル・ガルシア・ベルナル主演NO』のポスター

 

受賞作El Clubは、ピノチェト政権三部作同様チリの暗い過去を掘り起こす映画のようで、モラルの崩壊、イデオロギーの歪曲、カトリック教会の位階制、神父の小児性愛など見るものを困惑させ不快にもさせる。しかし、映像の検証は説得力があり最後は心揺さぶられることになるようだ。チリの同胞はできれば目を背けたいテーマに違いない。

 

キャスト:アルフレッド・カストロ(ビダル神父)、アレハンドロ・ゴイク(オルテガ神父)、ハイメ・バデル(シルバ神父)、アレハンドロ・シエベキング(ラミレス神父)、アントニア・セヘルス(シスター・モニカ)、マルセロ・アロンソ(ガルシア神父)、ロベルト・ファリアス(サンドカン)、ホセ・ソーサ(マティアス・ラスカノ神父)他 

   (左から、アルフレッド・カストロ、監督、ロベルト・ファリアス、ベルリンにて)

 

プロット:かつて好ましからぬ事件を起こして早期退職させられた神父たちのグループを、教会が海岸沿いの人里離れた村の一軒家に匿っている。神父たちはカトリック教会のヒエラルキーのもと共同生活を送っており、シスター・モニカが神父たちの世話をして生活を支えている。彼女が外と接触できる唯一の人間であり、神父たちが飼っている狩猟犬グレーハウンドも世話していた。ある日、この「クラブ」に5人目の神父が送られてきたことで静穏な秩序が一変してしまう。

 

               El Club”のシーンから

 

★アルフレッド・カストロは、「ピノチェト政権三部作」全てに出演、『トニー・マネロ』がラテンビートで上映された折り来日している。ラライン監督夫人でもあるアントニア・セヘルスも同じく3作に出ており、NO』ではガエル・ガルシア・ベルナルが演じた主人公のモト妻役を演じていた女優、テレビ製作者、ラライン同様セレブ階級に属しており、結婚は2006年、2人子供がいる。

 

★ラライン監督談:少年時代の教育はカトリック系の学校に通った。そこで分かったのは、神父に三つのタイプがあったこと、その一つが軍人に抵抗して神父になったケース、犯罪者や行方不明者として何の痕跡も残さず突然移動させられた。その一人がチリでは有名なフランシスコ・ホセ・コックス神父(同性愛や小児性愛で告発されたラ・セレナ市の大司教も務めた神父)、彼が住んでいた牧歌的なスイスの館の写真を見て、この映画のアイディアが生れたということです。

 

★出演者には前もってシナリオを渡さず、大枠の知識だけで撮影に入った。つまり誰も自分が演ずる役柄の準備ができないようにした。3週間で脚本を書き、2週間半の撮影は秘密裏に、編集は自宅でやった。それを弟フアン・デ・ディオス(製作者)と関係者2人に見せ、ベルリンの主催者に送った。オーケーが出たので大急ぎで正式のプロダクションを立ち上げた。観客と一緒に見たのはここベルリンが初めて、と映画祭のインタビューで語っています。教会はこの映画については、目下ノーコメントらしい。しかし観客の反応に手ごたえを感じたようです。


『ロス・ホンゴス』*東京国際映画祭2014 ③2014年11月16日 22:59

★スペイン語映画の3本目は、最近紹介されることの多くなったコロンビア映画、邦題「ロス・ホンゴス」についての文句は後回しにして、麻薬密売物ではないもう一つのコロンビアが描かれていた。コンペティション部門で3回上映という破格の扱い、ルイス・ナビア監督と製作者ゲルリー・ポランコ・ウリベさんとのQ&Aを織り混ぜております(司会者:プログラミング・ディレクター矢田部吉彦氏、鑑賞日1025日)。

 


     『ロス・ホンゴス』“Los hongos

製作: Contravia Films / Burning Blue / Arizona Films

監督・脚本:オスカル・ルイス・ナビア

共同脚本:セサル・アウグスト・アセベド 他

撮影:ソフィア・オッジョーニ・ハティ

美術:ダニエル・シュナイダー/アレハンドロ・フランコ

音楽:Zalama Crew / La Llegada del Dios Rata / セバスティアン・エスコフェ

編集:フェリペ・ゲレーロ

プロデューサー:ゲルリー・ポランコ・ウリベ

グラフィティ・アーティスト:Fuzil--Arma Gráfica / Mario Wize / La Pulpa / Repso / Mesek

データコロンビア≂仏≂独≂アルゼンチン合作、スペイン語、 2014103分、アジアン・プレミア

ベルリンFFのワールド・シネマ基金、ロッテルダムFFのヒューバート・バルズ基金、イタリアのトリノフィルム・ラボ、ブエノスアイレス・ラボ、カンヌFFのシネ・フォンダシオン・レジデンスの支援を受けて製作された。

受賞歴:ロカルノ映画祭2014(スイス)特別審査員賞受賞&金の豹賞ノミネート

    ロッテルダム映画祭2014  ヒューバート・バルズ基金ライオンズ・フィルム賞(Hubert Bals Fund Lions Film)受賞/TIFF 2014コンペティション出品

トロント、サンセバスチャン、トリノ、カイロ、セビーリャ・ヨーロッパ、各映画祭2014に正式出品。 


キャスト:ジョバン・アレックシス・マルキネス(RAS)、カルビン・ブエナベントゥーラ・タスコン(カルビン)、アタラ・エストラーダ(カルビンの祖母)、グスタボ・ルイス・モントーヤ(カルビンの父グスタボ)、マリア・エルビラ・ソリス(RASの母マリア)、ドミニク・トネリエ(カルビンのガールフレンド)、アンヘラ・ガルシア(パンク・バンドのリーダー)、他

 

ストーリーRASは建設現場の仕事を終えると、毎晩、近所の壁に落書き(グラフィティ)をしている。RASと母親のマリアはパシフィック・ジャングルからカリ東部の町へ移住してきた。RASは眠れない日々が続き白昼夢を見始める。そんな息子を見てマリアは、息子が何かに憑りつかれ、そのうち正気を失うのではないかと心配する。ある日、RASは職を失う。現場からペンキの缶を盗み、家の隣の壁に巨大な絵を描いていたからだ。彼はもうひとりの若いグラフィティ・アーティスト、カルヴィンを探しにいく。ふたりは目的もなく町をさまよう。さながら、道に迷って戻れなくなることを望むかのように。              TIFF公式プログラムより引用)                                      

 

★監督キャリア紹介

オスカル・ルイス・ナビアOscar Ruiz Navia1982年カリ生れ、監督、脚本家、プロデューサー他。コロンビア国立大学の映画学校で学んだあと、バジェ大学の社会情報科を卒業。アントニオ・ドラド・スニェガの“El Rey”(2004)に撮影アシスタントとして参加(これはフィクションであるがカリの麻薬密売王をモデルにした映画)、カルロス・モレノの話題作“Perro come perro”(08)では助監督になった。2006年、バジェ大学の社会情報科の卒業生が設立したContravia Filmsに参加、長編デビュー作El vuelco del cangrejo2009 英題Crab Trap)の製作会社、ベルリン映画祭2010「フォーラム」部門に出品され、批評家連盟賞を受賞したほか、数々の国際映画祭で高評価を得た。また2012年には、ウイリアム・ベガのデビュー作“La sirga”(英題“The Towrope”)をプロデュースした。カンヌ映画祭2012「監督週間」に出品されたほか、トロント、サンセバスチャン、ロンドン、ハバナなど各映画祭に出品された。

主なフィルモグラフィー

2006Al vacio 1,2,3”(短編)

2008En la barra hay un Cerebro”(短編ドキュメンタリー)

2009El vuelco del cangrejo”ベルリンFFの他、ブエノスアイレス・インディペンデント・シネマ2010「特別メンション」、フライブルク映画祭2010、ハバナ映画祭2009、ラス・パルマス映画祭2010などで受賞している他、ノミネーション多数。

2013Solecito”(短編)オーバーハウゼン国際短編映画祭2014「特別メンション」を受賞、他

2014Los hongos”邦題『ロス・ホンゴス』(上記)


     この映画の真髄は「生」である

 

A:: Q&Aは監督が英語、プロデューサーがスペイン語というわけで通訳者二人、やはりこれが難物、時間が掛かりすぎてヤキモキするね。日本の印象、礼儀正しいとか食事が美味しいとかは省略しよう。

B: 何故生れ故郷カリに戻って映画を撮ろうとしたか。カリにいなかったようですね。

A: お祖母さんがガンに罹って看病のために戻った、結局亡くなってしまったのだが、このことがきっかけでカリを舞台にバックグラウンドの違う二人の青年を軸にした「死から生」への物語を撮ろうと考えた。祖母の死というかなり個人的な「痛み」が構想の出発点だったようです。コロンビアのプレス会見では、亡くなったのは5年前と語っていたから、だいぶ前から温めていたようです。

 

B: 監督によれば、「みんなキノコというタイトルだと聞くと、ドラッグとか快楽とか幻覚的なイメージをもつかもしれませんが、このタイトルのメタファーは、腐敗とか死が充満しているなかに突然現れてくる生と希望のシンボルとしてのキノコなんです」と。こう要約してよかったでしょうか。

A: サイケデリックとは全く反対ということですね。キノコは光が届かないジメジメした場所で葉緑素なしで生きていけるし、腐敗したものに生える寄生生物だから「生」とはかけ離れた印象があるけど、腐敗=死から新しい命=生が現れるのも事実です。腐敗した世の中で生きている青年二人に新しい生が訪れる映画です。

 

     沈黙しないよう学ぶための実践マニュアル映画

 

B: サンティアゴ・デ・カリは、太平洋に面したコロンビア南西部に位置するバジェ・デル・カウカ県の県都です。首都ボゴタ(700万)、メデジン(230万)につづいて三番目に人口の多い大都市です(220万)。麻薬密売、バイオレンス、殺人、誘拐、汚職、ゲリラなど、コロンビアのイメージは日本人にはあまり芳しくない。

A:: ラテンビート上映の『デリリオ―歓喜のサルサ―』でも触れましたが、負の遺産が多すぎる。社会の中に道徳や公正さが失われ腐敗があることは否定できない。コロンビアで政治と無縁の映画を撮ることは出来ないが、しかし、そこに新しい血液を注ぎ込むことは出来る、と監督の世代のシネアストたちは考えているようです。

 

B: RASとカルビンは、まだ自分のしたいことが分からないが、グラフィティ・アーティストとして自分たちの考えを壁に描くことで表現しようとする。しかし他人の家の壁に描くわけだから許されないわけですね。

A: 本作に出てくるグラフィティ・アーティストたちは、全員ホンモノで有名人だそうです。彼らの協力を得られたことも成功の理由の一つ。社会の不合理に沈黙しないことがテーマでもあるね。別のセクターに育った二人の若者の友情と都市文化を融合させるにはどうしたらいいか、それが難しかった。グラフィティに辿りついて構想が固まっていった。

 

     お祖母さん役は私の本当の大叔母です!

 

B: 本作は群衆劇ですが、スペイン語では「合唱劇」といわれる。こちらのほうがぴったりする。

A:: 最初は無関係だった登場人物がやがて自然に調和してハーモニーを奏でていくからね。

B: Q&Aの最初の質問者がお祖母さんの生き方や演技を褒めたら、観客から期せずして温かい拍手が沸いた。毎年滋賀県から見に来る有名人らしい()

A: 主催者にとって、こういう観客は貴重な存在だね。監督が「実は私の本当の大叔母です。あのクレージーな父親も私の父親なんです」と答えて、これまた会場は爆笑に包まれた。

 

     (発声練習をするクレージーなお父さん、グスタボ・ルイス・モントーヤ)

 

B: 二人の青年がアマチュアなのは直ぐ分かりましたが、全員が映画初出演ということでしたか、ちょっとはっきり聞きとれなかった。

A:: 全くのアマチュアだけというわけでもないようですが、最初に浮かんだアイディアは登場人物は現実にそれをやってる人に、アーティストの役はカリのマリオ・ワイズを筆頭に実際のアーティストに出てもらう、ミュージシャンも同じようにということだった。一番難しかったのは、RASとカルビンの二人の主人公、それはまるで「藁小屋で落とした針を探す」ようなものだった。

B: 全エストラートの教育センターを巡って約700人ぐらいの若者にインタビューした。

 

A:: カルビン・ブエナベントゥーラ・タスコンが演じたカルビンは、アントニオ・ホセ・カマチョ学校で見つかった。まだ大人になりきっていない体つきと優しい顔つきがぴったりだった。タトゥとピアスをして、両親が離婚したので癌治療中のお祖母さんと暮らしているという設定だった。

B: RASは絵を描くことが好きなアフロ系の青年、そのうえスケボーができることが条件だったのでジョバン・アレックシス・マルキネスは願ったり叶ったりだったとか。

 

A:: 宗教的にはラスタファリズムというアフリカ回帰のジャマイカの宗教を信じていて、そういう宗教的なグラフィティを描く。昼間は建設現場で働くということにした。

B: カルビンの父親と祖母は監督が述べた通りですね。楽しんで演じていたのが伝わってきた。

A:: RASの母マリアに扮したマリア・エルビラ・ソリスはパシフィックの歌手、役柄もパシフィック・ジャングルからカリに移ってきた母子という設定だった。デビュー作El vuelco del cangrejoの舞台がそこで、太平洋に面したブエナベントゥーラ市の近くです。マリアのように白人と黒人の混血ムラートやメスティーソ、黒人が住んでいる地域です。

B: カルビンのガールフレンドのドミニク・トネリエは、パリで演技を学んでいたから全くのアマチュアではない。名前から判断するにフランス系の人ですね。

A: 女性のパンク・バンドのリーダーになったアンヘラ・ガルシアはモデルをしている。この二人の女性からはRASもカルビンもそこそこに遊ばれて、結局はぐらかされてしまう()。二人はまだコドモです。 

               (卵料理を食べるRASと母マリア)

 

A:: お父さんも相当ユニークだが、お祖母さん役のアタラ・エストラーダの演技してない演技が光った映画でした。家族アルバムを説明するシーンで使われたのもホンモノだということでした。ここでコロンビアの歴史の一端を語らせる巧みな演出に感心しました。

B: お祖母さんは癌の放射線治療を受けているのか、髪をスカーフで包んでいる。痒くて眠れないと言うと、孫のカルビンが寝入るまで優しく頭皮を揉んでやる。

A:: このシーンね、デビュー作にも出てくる。主人公が絶望で死にそうになっているとき、女の子が優しく頭を揉んでやる。ああ、これは監督が実際にやってやったり、してもらったりしているんだな、と感動したんです。

B: グラフィティも音楽も素晴らしかったが、こういう一見何でもないシーンが観客を惹きつけるんですね。 

        (ポスターをバックにお祖母さんになったアタラ・エストラーダ)

 

     ロス・ホンゴスかロス・オンゴスか、どっちでもいい?

 

B: タイトル「Los hongos」のスペイン語の意味は、カタログ解説にあるように特別「マッシュルーム」を指しているわけではなく、「キノコ・菌類」のこと、スペイン語はHを発音しないから「オンゴス」にして欲しかった。

A:: 困った題名の一つかな、クレームつけてるブログがあった。個人的には上映してくれるだけで満足すべきと諦めているから「どっちでもいい派」なんです。しかし1年前、最初のタイトル「ブランカニーヴス」にクレームがついたことで、公開時には『ブランカニエベス』に訂正されたことがあった。文句言った人の知名度が物を言ったのかも()

 

B: 誰が見ても聞いても意味不明だから、作品がイメージできない。英語のカタカナ起しは長いと幾度目にしても記憶できないが、もう市民権を得ましたね。

A:: 本作はデビュー作のように英題がまだ決まってないらしく、映画祭でのプレミアは仕方なかったのでしょう。最後のシーンで二人が登る大木は、サマネア・サマンといって中南米に主に生息する。葉っぱから垂れ下がっている白いものがオンゴスです。大木に寄生しながら「死から生」へ向かう、未来を二人が確信するシーンです。

B: 記憶に残る美しいシーンでしたが、ちょっとあり得ない展開でした。最後にきて飛躍が起こった印象でした。 

           (サマネア・サマンの木の下のRASとカルビン)

 

A: このブログはまだ1年ちょっとしか経っていませんが、アンドレス・バイス、フランコ・ロジィ、リカルド・ガブリエリなど、既にコロンビア映画を10本ほど記事にしています。テーマも切り口も多様、最近の躍進ぶりは5年ほど前のチリ映画を思い起こさせます。オスカー賞2015のコロンビア代表作品に選ばれたのは、マリア・ガンボアのデビュー作Mateoと、これまた新星現るで、裾野が広がってきたことは間違いありません。

 


エストラートestrato1993年に創設された「社会プログラム受益者選定システム」のこと。各家庭の経済状態を「1から6」までの階層に格付けしたもの。各家族が国家に納めるべき税金の額によって社会階層が決まってくる。もっとも社会経済状態が低いのが「階層122.3%)で、「階層241.2%)が多数を占める。「階層3」は中の下の階層、都会に住む大多数の家族が「23」である。「階層4」は中流階級に入り、プロフェッショナルな職業についている人や商人である。階層5」(1.9%)は中流の上、「階層6」(1.2%)は、邸宅や豪華マンションに住み数台の車を所有し、持てるすべてのものを持つエリートである。証明書が発行され、それによって公共料金の額(階層1は免除)とか、大学授業料が決まる仕組みRASの家庭は「階層1」、カルビンの家は「23」でしょうか。コロンビアが階層によって分断された社会であることが、監督の「政治抜きに映画は作れない」という発言になっていると思います。

 

モントリオール映画祭2014*ノミネーション①2014年08月17日 18:48

★秋の第一陣として8月下旬から9月にかけて、ヴェネチア映画祭(827日~96日)より一足先にモントリオールで開催される国際映画祭、正式名称は「Festival des Films du Monde--Montréal」、今年は821日から91日まで。モントリオールはカナダでもフランス語圏なので英語よりフランス語映画が多く、受賞作もそのような傾向がある。スペイン語映画はフランシスコ・ロンバルディの『豚と天国』(1990ペルー≂西合作)から絶えて受賞がない。

 

★順当にご紹介するなら、ワールド・コンペティション部門から始めるべきですが、今年のマラガ映画祭の目玉の一つTodos están muertos ノミネートされていましたので、まずそこから入ります。

 

★ファースト・フィルム部門(First Films World Competition)

Todos están muertos They Are All Deadベアトリス・サンチス 2014西 メキシコ

17回マラガ映画祭2014審査員特別賞・最優秀女優賞(エレナ・アナヤ)・青年審査員特別賞(マラガ大学が選考)・オリジナル・サウンドトラック賞(Akrobats)を受賞した。最優秀作品賞の次に大きい賞が審査員特別賞、デビュー作ながら閉幕後の330日にスペイン公開を果たしている。(マラガ映画祭2014で既にご紹介している作品⇒コチラ411

 

キャスト:エレナ・アナヤ(ルぺ)、アンヘリカ・アラゴン(母パキータ)、ナウエル・ペレス・ビスカヤルト(兄ディエゴ)、クリスティアン・ベルナル(息子パンチョ)、マカレナ・ガルシア(ナディア)、パトリック・クリアド(ビクトル)他

 

ストーリー1980年代には兄ディエゴとロックバンド「グリーンランド」を結成、ポップ・ロック歌手のスターとして輝かしい成功をおさめたルぺの15年後が語られる。時は流れ、当時のルぺたちの活躍が話題になることはない。引退した彼女の人生に過去のある幻影が忍び寄ってくる。兄の死後、メキシコ出身の迷信深い母親パキータとちょうど思春期を迎えたテーンエイジャーの息子パンチョと暮らしているが、広場恐怖症のうえパニックに陥りやすいルぺは愛情こまやかな母親なしでは生きていけない。息子はエゴイストの母を嫌っており、二人の関係はぎくしゃくしている。折りも折りパキータは自分に残された時間が少ないことを知り、<死者の日>に戻ってくる亡き息子のディエゴに相談しようと決心する。 


★エル・パイスのコラムニスト、ジョルディ・コスタによると、「完璧に仕上がった映画ではないが、デビュー作としては大胆なアイデンティティに溢れた」作品と評価は高い。既に忘れられた1980年代のノスタルジーやあの世とこの世の境界線のないファンタジックなストーリーを嫌う人は辛口批評になっている。悲劇、コメディ、ドラマ、ファンタジーなどの要素が作用しあった不思議なカクテルとなっているようです。フランコ体制後のスペインは、民主主義移行期を過ぎて1980年代に入ると、アルモドバルを筆頭に新しい才能がスペイン映画界に輩出された。彼のデビュー作『ペピ、ルシ、ボム、その他大勢の娘たち』や、イバン・スルエタの第2Arrebato(エウセビオ・ポンセラ/セシリア・ロス主演)など、1980年の製作である。両作とも公開もDVDも発売されなかったが、『ハモン、ハモン』(1992)でブレイクする以前のビガス・ルナも含めて再評価されるべきと思います。観念的とか美学とは無縁ながら社会を解体するエネルギーがほとばしっている。個人的には20世紀では1980年代の映画が一番面白いと思います(アルモドバル以外の二人は鬼籍入りしています)。

 

ベアトリス・サンチスは、1976年バレンシア生れ、監督、脚本家、アート・ディレクター。2008年のLa claseがゴヤ賞2009短編ドキュメンタリー賞にノミネート、2010年の短編Mi otra mitadがワルシャワ映画祭にノミネートされている。エレナ・アナヤとの5年間(200813)にわたるパートナー関係を昨年の夏解消した。 

 

       (マラガ映画祭授賞式でのベアトリスとエレナのツーショット)

 

エレナ・アナヤは、1975年パレンシア生れ、アルフォンソ・ウングリアのAfrica1996)でデビュー、フェルナンド・レオンの『ファミリア』(1996)、これは「スペイン映画祭1998」で上映されたので、比較的早く日本に紹介された。その後も次々に話題作に引っ張りだこ、最近ではフリオ・メデム『ローマ、愛の部屋』(2010)、アルモドバル『私が、生きる肌』(2011)などで認知度バツグン、マラガ映画祭2012の大賞「マラガ賞」受賞者でもある。

 

(ルぺに扮したエレナ・アナヤ)

 

アンヘリカ・アラゴンは、1953年メキシコ・シティ生れ。カルロス・カレーラの『アマロ神父の罪』(2002)でヒロインのアメリア(アナ・クラウディア・タランコン)の母親を演じ、アリエル賞の助演女優賞を受賞したベテラン。昨年のラテンビート2013で上映されたラファ・ララの『55日の戦い』(2013)では、ドーニャ・ソレダー役を演じた。

 

         (アンヘリカ・アラゴン『55日の戦い』のプレス会見で)

 

★他にパブロ・ベルヘルの『ブランカニエベス』(2012)の白雪姫役でデビュー、翌年ゴヤ賞新人女優賞をいきなり受賞したシンデレラ女優マカレナ・ガルシアが出演している。

 

第64回ベルリン映画祭*ベンハミン・ナイシュタット2014年02月24日 15:15

★ラテンアメリカ諸国と違って、スペインではベルリンに焦点を合わせてくる監督は少数派。そういうわけか今年も出品はゼロでした。スペイン語映画はアルゼンチンから次の2作がコンペに残りました。

 

La tercera orilla 2014 The Third Side of the River)セリナ・ムルガの第3作、アルゼンチン=独=オランダ、20143月アルゼンチン公開、 製作費概算150万ドル

 

Historia del miedo2014 History of Fear)ベンハミン・ナイシュタット、アルゼンチン= ウルグアイ= 独仏、79分、カラー、アルゼンチン公開日時未定

 

クラウディア・リョサAloft2014、西・カナダ・仏)は、言語が英語、出演者もペルーとは関係ない。800万ドルの資金を投じての大作だからいずれ公開されると思う。クラウディア・リョサはベルリンと相性がよく下馬評では賞に絡むということでしたが素通りしました。今度は母娘の物語ではなく、かつて小さい息子を捨ててしまった母親の物語です。

 

セリナ・ムルガは前作Una semana solos2008A Week Aloneアルゼンチン)が、ヒホン、リオデジャネイロ、ミュンヘンなどの国際映画祭で受賞しています。サンセバスチャン映画祭2012のレトロスペクティブ「ラテンアメリカ映画の10年」にも選ばれ再上映されました。マーティン・スコセッシが感銘を受けたということで話題にもなりました。

 

 


ベンハミン・ナイシュタットHistoria del miedoはデビュー作ということと、27歳という若さに惹かれてご案内いたします。プロットを入れますが、読んでも雰囲気しか分からない映画です()

プロット:現代社会が抱える恐怖についての物語。暑い夏、ムシムシした気候、息苦しい雰囲気の中、町から離れた郊外の私有地に閉じこもったまま中産階級の人々が暮らしている。外部の人々をインベーダーのように怖れている。停電によって闇が支配する町、不確かな火花を散らして押し寄せる集団的悪夢はカオスと化す。

 

アルゼンチン社会に根源的にあるファンタズマにX線を通して、他階級への偏見、嫌悪感、社会的脅迫観念に取り組んでいるらしい。恐怖というのは抽象的で不合理なものだから、音、光、闇を使って描写している。だからと言って、これは厳密な意味では「社会派」ドラマではない。もっと感覚的な恐怖についての物語のようです。

 

「映画はジャンルを問わない、1970年、80年代のホラー映画が好き、ジョン・ハワード・カーペンターには限りなく魅せられている。彼の世代ではかなり政治的な監督の一人、アルゼンチンではルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』(2001)、映画の構成を考えるとき役に立つ」と。これはマルテルの「サルタ三部作」の最初の作品、二部『ラ・ニーニャ・サンタ』(2004)と三部『頭のない女』(2008)はラテンビートで上映された。リアリズムとファンタジーとアレゴリーが同時に存在していて、好き嫌いがはっきり分かれる監督。さらに「メキシコのカルロス・レイガーダスの詩的なところ、ミハエル・ハネケ的雰囲気も気に入っている。クラウディア・ピニェイロの小説Las viudas de los juevesやロドリーゴ・プラのLa zonaの影響を受けている」ということで、だいたい彼の目指している映画の枠組みが見えてきます。La zonaについては、かなり多くのインタビュアーが指摘しています。

 


クラウディア・ピニェイロの小説は、中産階級の人々が「閉じ込められた空間」に住んでいる、という点でそっくりだが、彼らは自分たち用の堅牢な要塞を建てて外部をシャットアウトして安全を保っている。この小説は2005年のクラリン賞(小説部門)を受賞したベストセラー、2009年にマルセロ・ピニェイロが映画化している。

(写真は左から、主人公役ジョナサン・ダ・ローザとナイシュタット監督)

 

     監督のキャリア紹介

ベンハミン・ナイシュタット Benjamin Naishtat1986年ブエノスアイレス生れ、監督・脚本家・編集者・製作者。2008年、FUCFormado en la Universidad del Cine)で学んだ後、フランスの「ル・フレノワ国立現代アートスタジオ」の奨学金を得て留学。短編Estamos bien2008)、Juegos2010)がカンヌ映画祭やロッテルダム映画祭で評価された。彼によれば、このJuegos3作目Historia del mal2011)は実験映画ということです。特に前者は自分も気に入り、長編デビュー作の資金作りに役立ったという。フレノワは映画だけでなく現代アートについて学べたことが、美学的なセンスを磨くのに役立った、とも語っている。

 

★アルゼンチンから2作コンペに選ぶについては議論もあった由(セリナ・ムルガが先に決定していた)、製作国にドイツも絡んでいたことが幸いしたのだろうか。