『或る終焉』 ミシェル・フランコ ②2016年06月18日 16:43

             『父の秘密』を受け継ぐ喪失感と孤独

 

   

                DVDのジャケット)

 

A: メキシコとアメリカと舞台背景はまったく異なりますが、『父の秘密』のテーマを引き継いでいる印象でした。喪失感とか孤独感などは普遍的なものですから受け入れやすいテーマです。

B: なかでこれはメキシコではあり得ない、例えばセクハラ訴訟のことですが、訴訟社会のアメリカだから可能だったと思います。本作は監督の個人的体験から出発しているようですが、終末期医療は映画の入れ物にすぎない。

 

A: 個人的体験を出発点にするのは少なからずどの監督にも言えることですが、特にフランコの場合は第1作からともいえます。本作に入る前に、第4作目 A los ojosに触れますと、製作は2013年と本作より前、モレリア映画祭2013でお披露目している。しかし一般公開は20165月と結果的には反対になりました。これについてはスペイン語版ウィキペディアとIMDbとに異同があり、こういう事例は他にも結構あります。

B: ストーリーも『父の秘密』を撮った後のインタビューで語っていた通りでした。いわゆるドキュメンタリー・ドラマ、メキシコの今が語られています。

A: キャストは、モニカ・デル・カルメンが臓器移植の必要な眼病を患う息子オマールの母親になり、その母子にメキシコ・シティの路上生活者、ストリート・チルドレンのベンハミンを絡ませています。言語はスペイン語なのでいずれご紹介したい。

 

   

       (“A los ojos”の共同監督ビクトリア&ミシェル・フランコ兄妹)

 

B: さて本作『或る終焉』ですが、重いテーマのせいか上映後、椅子から立ち上がるのに一呼吸おく観客が多かった(笑)。サスペンス調で始まる冒頭部分、淡々と進む看護師の日常、そしてフィナーレに予想もしないサプライズが待っていた。

A: プレタイトルの冒頭部分は「おいおいこれじゃパクリだよ」と、思わずマヌエル・マルティン・クエンカの『カニバル』(13)を思い出してしまいました。あちらは車中の男の正体は分からないまま事件が起きる。こちらは車のフロントグラス越しに若い娘を追っている男は直ぐ判明しますが、若い娘が誰かは捨ておかれる。男の目線に導かれてスクリーンに入っていった観客は突然梯子を外される。

B: 続いて男はフェイスブックで「Nadia Wilson」なる若い女性を検索している。若い娘がナディア・ウィルソンらしきことを暗示したまま、これまたスクリーンから姿を消してしまう。ストーカー男か、はたまた雇われ殺人者かと不安にさせたまま観客を宙吊りにする。この娘が再びスクリーンに登場するのは後半に入ってから。そこから次第にダヴィッドの過去が明かされ、本当のドラマが始まっていく。

 

  

     (疎遠だった父親から突然声を掛けられて戸惑う娘ナディア、映画から)

 

A: この冒頭部分が大きな伏線になっています。デヴィッドが元の町に戻ってきたのは、セクハラ訴訟で失職した後ではなく、時おり密かに訪れていたことや、この町で起こったことが彼の喪失感の原点であることを観客は知ることになる。エイズ患者のサラや半身不随になった建築家ジョンまでをフラッシュバックとすることも可能ですが、やはり同時進行が自然でしょう。

B: フランコは『父の秘密』でもフラッシュバックは使用しなかったと思います。

 

            互いに求め合う患者と看護師の共犯関係

 

A: 非常に興味深かったのは、デヴィッドは患者との関係はうまくいくのに、患者以外の身近な人、妻や娘も含めての自身の家族、患者の家族とは距離をおいている。サラの告別式に出席したとき、サラの姪から「叔母のことを聞きたい」と話しかけられても避けてしまう。

B: 避けるというより逃げる印象、彼は病める人としか心を通いあえない一種の患者なのですね。バーで隣り合った見ず知らずの他人とは、嘘と真をないまぜにして、談笑しながら自然体で接することができるのに。

A: 患者が看護師を求めるように看護師も患者を求めている。患者と看護師のあいだに親密な共犯関係が成立している。だからメキシコ版のタイトル“El último pacienteChronicは意味深なのです。 

  

          (見ず知らずの他人と談笑するデヴィッド、映画から)

 

B: 「最後の患者」は誰なのか。スペイン語の冠詞は基本的には英語と同じと考えていいのでしょうが、英語より使用した人の気持が反映されるように感じます。定冠詞「el」か、不定冠詞「un」かで微妙に意味が変化する。

A: 邦題の『或る終焉』については目下のところ沈黙しますが、「或る」が何を指すかです。また原題の“Chronic”はギリシャ語起源の「永続する時間を意味するchronikós」から取られている。悪い状態や病気が「慢性の、または長期に渡る」ときに使用される。

B: 監督インタビューでも、しばしば看護師を襲う「chronic depression慢性的な鬱病」について語っています。

 

A: 『父の秘密』で突然妻に死なれた父親が罹っていたのが、この「慢性的な鬱病」です。テーマを受け継いでいると前述したのも、これが頭にあったから。「秘密」を抱えていたのは父ではなく娘です。映画には現れませんが娘は母の死の原因に何か関係があることが暗示されていた。だから学校でのイジメを父親には知らせずに健気にも耐えたのですね。

B: 両作とも、監督がさり気なく散りばめたメタファーをどう読み取るかで評価も印象も異なってくるはずです。

 

         ドラッグのように頭を空っぽにするジョギング

 

A: デヴィッドは看護師という職業柄、ジムで体を鍛えて健康維持に努めている。しかし、それは表層的な見方であり、その一心不乱の表情からは別のことが読み取れる。

B: スポーツにはドラッグのような陶酔感、辛い現実からの逃避があり、更に達成感も得られるから、人によってはのめり込む。本作でも場面転換で有効に使われていた。

 

A 深い喪失感を癒やすには、ただただ走ること、頭を空っぽにすることで、自分が壊れるのを防いでいる。失職してからは安い給料ではジムに通えなくなったという設定か、監督はデヴィッドに歩道を走らせている。彼は何も考えない、何も彼の目には入らない、ただ一心に走るだけ。このジムから歩道への移行もまた、大きな伏線の一つになっている。

B: 『父の秘密』でも娘が現実逃避からか唯一人、プールでひたすら泳ぐ。光と水の美しいシーンであったが、最後にこれが伏線の一つだったことに観客は驚く。

 

A: デヴィッドの看護の内容は、これといって特別新しい視点はなかったように思える。例えばマーサの自殺幇助に手を貸すストーリー、マーサは癌治療の副作用と転移に生きる意味や価値、根拠を見いだせなくなっていた。合法非合法を含めて既に映画のテーマになっている。

B: ステファヌ・ブリゼの『母の見終い』(12)のほうが、テーマの掘下げがより優れていた。

A: スイスで2005年に認められた医師による安楽死が背景にあるが、こちらも安楽死は道具、愛し合いながらもぶつかり合ってしまう母と息子の和解が真のテーマだった。息子役ヴァンサン・ランドンの演技も忘れがたい。 

        

                    (髪をカットしてもらうマーサ、見守るデヴィッド)

 

B: ポール・トーマス・アンダーソンの群像劇『マグノリア』(99)の自宅看護師フィリップ・シーモア・ホフマンの演技、ミヒャエル・ハネケが連続でパルムドールを受賞した『愛、アムール』(12)の妻を看護する夫ジャン=ルイ・トランティニャンなどを思い起こす人もいたでしょうか。

A: 看護ではないが孤独死を扱った、ウベルト・パゾリーニの『おみおくりの作法』(13)などもありますね。ティム・ロスが6ヶ月ほど看護の仕事を体験して、そこで得た情報や体験が脚本に流れ込んでいるそうですが、本作の終末期医療はやはり入れ物の感が拭えません。

 

             主人公と監督の親密な共犯関係

 

B: 「脚本はティム・ロスとの共同執筆のようなもの」と、監督はティム・ロスに花を持たせています。こんなに親密な主人公と監督の関係は珍しいのではないか。

A: 例年10月下旬に開催されるモレリア映画祭FICMがメキシコ・プレミアでしたが、ロスも栄誉招待を受けて赤絨毯を踏んだ。フランコは「この映画祭にティムを迎えることができたのはとても名誉なことです。彼の監督作品『素肌の涙』を見れば、彼の感性が私たちメキシコの映画とまったく異なっていないことに気づくでしょう」と挨拶した。父と娘の近親相姦、息子の父殺しというタブーに挑戦した映画。

 

B: 1999年に撮った“The War Zone”のことですね。なんとも陳腐としか言いようのない邦題です。彼はこれ1作しか監督していない。

A: 閉ざされた空間で起こる権力闘争の側面をもつアレキサンダー・スチュアートの同名小説の映画化、ベルリン映画祭パノラマ部門CICAE賞、英国インディペンデント映画賞、バジャドリード銀の穂賞、ヨーロッパ映画ディスカバリー賞ほかを受賞した。ロスがこのタブーに挑戦したのには自身が過去に受けた傷に関係があるようです。

 

B: 「どのようにストーリーを物語るかというミシェルのスタイルが重要です。ある一人の看護師の物語ですが、それだけではない。彼の映画の主人公を演じられたことを誇りに思いますが、それがすべてではありません」とロス。

A: ティムがメキシコで監督する可能性をフランコの製作会社「ルシア・フィルム」が模索中とか。ロスの第2作がメキシコで具体化するかもしれません。

B: ロスもモレリア映画祭を通じて2ヶ月近く滞在、多くのメキシコの映画人と接触したようです。 

    

  (左から、モイセス・ソナナ、ロス、監督、ガブリエル・リプステイン、FICM 2015

 

A: 二人の親密ぶりはカンヌ以降、わんさとネットに登場しています。フランコが「舞台はメキシコ・シティ、言語はスペイン語」という最初の脚本にアディオスする決心をしたのは、フランコに「もし看護師を女性から男性へ、場所をアメリカにすることが可能なら、私に看護師を演らせて欲しい」というロスの一言だった。

B: 既に女性看護師役も内々に決まっていたとか。でも国際的大スターに迫られて、夢心地にならない駆出し監督はいませんよ。熟慮のすえ変更を決意した。

 

A: ロス自身もBBCのシリーズTVドラマに出演していたが、「君と一緒に仕事ができるなら素晴らしい。カンヌで『父の秘密』にグランプリを与えたとき私のほうから頼んだのだ」と快諾、こうして舞台をロスアンゼルスにして始まった。監督によると戸外での撮影には安全を期して市当局にパトロールを申請しなくてはいけないのだが、それをしなかった。

B: じゃ、デヴィッドが歩道をジョギングするシーンも無許可だったの?

A: 大袈裟になるし高くつくしで「ティムと私のスタッフはパトロールなしを決意した。勿論、罰金を科されないように慎重に誰にも気づかれないように撮影したのは当然だよ」とフランコ。

 

B: 審査委員長だったコーエン兄弟が本作に脚本賞を与えたのは見事なフィナーレのせいだったとか。受賞を意外だと評する向きもありましたが。

A: 誰が受賞しても文句が出るのが映画祭。審査員は批評家でないから、どうしても両者の評価には隔たりが出る。2015年のパルムドール、ジャック・オディアールの『ディーパンの闘い』のフィナーレなんかに比べれば、数段良かったですよ。

B: あれは蛇足でした、でもブーイングするほど悪くなかったです。『キャロル』ファンはおさまらなかったでしょうが。トッド・ヘインズ監督も先にルーニー・マーラが女優賞に呼ばれた時点で、さぞかしがっかりしたことでしょう。

A: それも人生、これも人生です。


『或る終焉』ミシェル・フランコ*患者と共に死に向き合う ①2016年06月15日 17:30

癒やされない喪失感と孤独、そして愛についての物語

    

ミシェル・フランコ『或る終焉』という邦題で公開中のChronicは、カンヌ映画祭2015の脚本賞受賞作品、当時、本作の受賞を予想した人はそう多くはなかったでしょう。そうそうパルムドールがブーイングという年でしたね。デビュー作Daniel & Ana09)がカンヌ映画祭と併行して開催される「監督週間」、第2『父の秘密』12Después de Lucía”)がカンヌ映画祭「ある視点」のグランプリ、そして本作がコンペティション部門の脚本賞と順調に11段、階段を上っている。カンヌ以降、多数の国際映画祭に招待されたが、受賞はカルタヘナ映画祭2015での「Gemas賞」1個にとどまった。当ブログで第3作目としてご紹介したA los ojos2013、“In Your Eyes”、妹ビクトリアと共同監督)は、第11回モレリア映画祭2013で上映されていますが、公開は順序が逆になり今年520日にメキシコで限定上映されました。

 

医学の進歩とともに終末医療は、以前とは比較にならないほど引き伸ばされ、死が生の一部であることを感じさせるようになりました。時には自分の最期を自ら選ばなくてはならなくなってもいる。それにつれて別の世界に入ろうとしている人の命と向き合いながら自宅でケアし、最後には看取るという孤独な新しい職業が成立した。細心の注意をはらって患者の恐怖心を和らげることが求められる厳しい職業です。終末医療の看護師とは、医療技術は勿論のこと、忍耐と心の平静、冷静な判断が求められる。以前当ブログで、「『父の秘密』同様、フィナーレに衝撃が待っている」と書きましたが、確かに見事な幕切れが待っていました。ネタバレさせずに書くのは容易ではありません。 

 

 (20155月、カンヌ入りした監督以下主な出演者、左からサラ・サザーランド、監督、

  ティム・ロス、ロビン・バートレット、ナイレア・ノルビンド。

  他に製作者のガブリエル・リプステイン、モイセス・ソナナなども参加した

 

 

『或る終焉』 (原題“Chronic”) 2015

製作:Stromboli Films / Vamonos Films

監督・脚本・編集()・製作() :ミシェル・フランコ、

撮影:イヴ・カープ

編集():フリオ・ペレス4

衣装デザイン:ディアス

プロダクション・デザイン:マット・ルエム

音響デザイン:フランク・ガエタ

製作者:ガブリエル・リプスティン、モイセス・ソナナ、ジーナ・クォン、製作総指揮ティム・ロス、ベルナルド・ゴメス、フェルナンド・ペレス・カビラン、エミリオ・アスカラガ・ヘアン

データ:製作国メキシコ=フランス、言語英語、93分、撮影地ロスアンゼルス、メキシコ公開201648日(メキシコ・タイトル“El último pacienteChronic”)

映画祭・受賞歴:カンヌ映画祭2015脚本賞、カルタヘナ映画祭2015Gemas賞」受賞。メルボルン、サラエボ、サンセバスチャン(ホライズンズ・ラティノ部門)、ヘルシンキ、釜山、バンクーバー、ロンドン、シカゴ、テッサロニキなど国際映画祭で上映、メキシコでは例年10月下旬に開催されるモレリア映画祭で上映された。

 

キャスト:ティム・ロス(介護師デヴィッド)、ロビン・バートレット(マーサ)、マイケル・クリストファー(ジョン)、レイチェル・ピックアップ(サラ)、サラ・サザーランド(デヴィッドの娘ナディア)、ナイレア・ノルビンド(デヴィッドの元妻ローラ)、ビッツィー・トゥロック(ジョンの娘リディア)、デヴィッド・ダストマルチャン(レナード)、メアリーベス・モンロー(サラの姪)、カリ・コールマン(サラの妹)、ジョー・サントス、他

 

解説:終末期の患者をケアする看護師デヴィッドの物語。息子ダンの死をきっかけに妻とは別れ、別の土地で看護師の仕事をしている。サラを見送ったあと受け持ったジョンとの信頼関係は築かれていたが、家族から思いもかけないセクハラ告訴をえて失職する。長く疎遠だった妻と娘が暮らす町に戻ったデヴィッドは、医学を学ぶ娘ナディアと一度は再婚したが今は一人の元妻ローラと、共に悲しみを共有した家族が再会する。やがて新しい患者マーサと出会うが、彼はある難しい決断を求められる。終末期の患者とその家族との関係性が淡々と語られるが、それがテーマではない。ドラマの背後で進行するデヴィッドの深い喪失感と孤独からくる長く深くつづく憂鬱が真のテーマであろう。                               (文責:管理人)

 

   

      (メキシコのタイトル“El último pacienteChronic”のポスター)

 

監督紹介ミシェル・フランコ Michel Franco1979年メキシコ・シティ生れ、監督、脚本家、製作者。イベロアメリカ大学でコミュニケーションを専攻、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥのスタッフとして仕事をした後、ニューヨークの映画アカデミーで監督・演出を学ぶ。短編、TVコマーシャル、音楽ビデオの制作、ルシア・フィルムを設立した。 

 

 *主なフィルモグラフィー*(最近の短編は除く)

2001Cuando seas GURANDE

2003Entre dos”短編 ウエスカ映画祭グランプリ、ドレスデン映画祭短編賞受賞

2009Daniel & Ana 監督、脚本、製作 長編デビュー作

  カンヌ映画祭2009監督週間正式出品、サンセバスチャン、シカゴほか国際映画祭で上映、フランス、メキシコ、米国ほかで公開

2012 Después de Lucía”『父の秘密』監督、脚本、製作、編集

  カンヌ映画祭2012「ある視点」グランプリ、シカゴ映画祭審査員特別賞、サンセバスチャン映画祭ホライズンズ・ラティノ作品賞、ハバナ映画祭監督賞

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒20131120

2013A los ojos”ビクトリア・フランコとの共同監督、脚本、製作、編集

  第11回モレリア映画祭2013上映、公開は20165月限定上映

2015Chronic”『或る終焉』省略

2015Desde allá”製作 (監督ロレンソ・ビガス、製作国ベネズエラ==メキシコ)

ベネチア映画祭2015金獅子賞受賞作品

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒201588日、921日、108

2015600 millas”製作 (監督ガブリエル・リプスティン、製作国メキシコ)

  ベルリン映画祭2016パノラマ部門初監督作品賞、アリエル賞2016初監督作品賞受賞作品

作品紹介ほか関連記事は、コチラ⇒201661

 

2001年の“Cuando seas GURANDE ”は短編ではなく、「汚職撲滅運動」のキャンペーンの一環として製作された映画の一部を監督したもののようで、メキシコの500館で上映された(スペイン語版ウィキペディア)。

 

  

   (フランコ兄妹に挟まれたモニカ・デル・カルメン、“A los ojos”のプレス会見から)


「批評家週間」結果発表、”Mimosas”がグランプリ*カンヌ映画祭2016 ⑦2016年05月22日 16:50

           オリヴェル・ラセの“Mimosas”がグランプリ!

 

      

 

★もたもたしているうちにグランプリ受賞が決まってしまいました。「批評家週間」は「監督週間」と同じようにカンヌ映画祭とは別組織が運営している、いわゆるパラレル・セクションです。カンヌ本体と並行して開催されるので、一括りにしてカンヌです。作品数が7作と少ないこともあって本祭クロージング前に結果が発表される(今年は19日)。スペイン人監督としては3人目になります。1人目は『花嫁のきた村』(1999、シネフィル・イマジカ放映)のイシアル・ボリャイン2人目は『ヒア・アンド・ゼア』(東京国際映画祭2012上映)のアントニオ・メンデス・エスパルサ、そして今回のグランプリMimosasのガリシア出身のオリヴェル・ラセです。下馬評では第2席に当たるヴィジョナリー賞を受賞したトルコのメフメト・ジャン・メルトールの“Albüm”(“Album de famille”)でした。多分審査委員長ヴァレリー・ドンゼッリ監督の好みが幸いしたのかもしれない。

 

★昨年のグランプリはアルゼンチンのサンティアゴ・ミトレの『パウリーナ』(ラテンビート上映)でした(彼は今年もシネフォンダシオン部門に出品、国際アート賞に当たるアトリエ賞を受賞したニュースが届いています。20日発表)。グランプリ受賞をジャンプ台にして活躍している監督には、ベルナルド・ベルトルッチを筆頭に、イニャリトゥ、ケン・ローチ、レオ・カラックス、ルシア・プエンソ、デル・トロ、ウォン・カーウァイ、ジャック・オディアール、フランソワ・オゾン・・・などが挙げられます。

 

      

               (左から、監督と出演者たち)

 

Mimosas(“Las Mimosas”)2016 

製作:Zeitum Films / La prod / Moon A Deal Films / Rouge International

監督・脚本:オリヴェル・ラセ(またはオリバル・ラシェ)

製作者:Lamia Chraibi / Julie Gayet / Felipe Lage

データ:製作国モロッコ=スペイン=フランス、言語アラビア語、2016年、93分、ロードムービー、カンヌ映画2016「批評家週間」がワールド・プレミア、上映516日、グランプリ受賞。モロッコ公開522

 

キャストSaid Agliサイード・アグリ(サイード)、Ahmed El Othmani アフマド・エル・オスマニ(アフマド)、Shakib Ben Omarシャキブ・ベン・オマール(シャキブ)、Hamido Farjadハミド・ファルジャド(長老Sheikhシェイク)、マルガリータ・アルボレス(長老の妻Noor)、Ahmed Hammoud アフマド・ハモウド(Nabil ナービル)、他

アラビア語の読みが不正確なものはラテン文字転写を入れております。そちらを優先してください。

 

解説:モロッコの港湾都市タンジール、「タンジール・ガイド組合」の事務所は、カフェ〈ラス・ミモサスLas Mimosas〉の中にあり、リーダーがその日の仕事の配分をしているが、案内はあまり信用できない。若いシャキブにナービルと呼ばれるキャラバン隊の引率のミッションが与えられる。ナービル・キャラバン隊は以前にはアトラス山脈の切り立った頂上越えのエキスパートだった。彼は今スーフィー教徒の長老シェイクの夫婦を伴ってアトラス山脈を越えようとしていたが、長老は切り立った険しいアトラスの頂上で死んでしまう。しかし、安息の地シジルマサに埋葬して欲しいという長老の最後の願いを果たしたいと考えるナービルは、それが自分にかせられた運命だと気づく。そこでラス・ミモサスから送り込まれてきたシャキブの助けを受け入れ、急拵えのキャラバン隊は長老の遺骸を乗せてシジルマサへの道に再び出発する。

 

    

 

     

 

★これが出だしの部分ですが、シャキブの裏切り、キャラバンに同行していたサイードとアフマドが、道案内を申し出るが、長老の妻は疑いの目を向ける。ナーイブもシャキブに一抹の不安を覚えるが受け入れざるを得ない。やがて彼らの無責任が、天使が惡魔に変貌するのを、観客は目撃するだろう。アトラス山脈はモロッコからチュニジアにかけて東西にのびる褶曲山脈、長さ2400キロ、モロッコでは標高3000mを超え雪が降る。シジルマサは、モロッコ南東部にあったベルベル人の都市、かつては金・銀・塩のサハラ交易で栄えたオアシス都市だったが、繰り返えされる内乱のため、1393年に消滅、現在は廃墟となっている。映画で語られるのは、スーフィー教文化、イスラム教の禁欲的、隠遁的、神秘主義、災難と宿命、天使と悪魔、奇跡と嘘、やはり「生と死」でしょう。たくさんの要素がカクテルのようにミックスされた、神秘的なロードムービー、または『オデュッセイア』を彷彿させる叙事詩でしょうか。

 

     

              (雪のアトラス山脈、映画から)

 

オリヴェル・ラセOliver Laxeは、1982年パリ生れ、ガリシアへ移民してきたガジェゴgallegoです。スペインでどのように呼ばれているか知りませんが、一応フランス生れなので上記のようにしました。ガリシア読みならオリベル・ラシェが近いと思います。2010年のカンヌ映画祭「監督週間」に出品したデビュー作Todos vós sodes capitáns(“Todos vosotros sois capitanes/You All Are Captains2010,カラー&モノクロ、78分、スペイン語/アラビア語/フランス語)が、国際映画批評家連盟賞FIPRESCIを受賞している。スペイン映画アカデミーが翌年のゴヤ賞新人監督賞にノミネーションしなかったことで一部からイチャモンがついた。それから6年ぶりに撮った第2Mimosasが見事グランプリ、来年のゴヤ賞の行方が楽しみになってきた。もうデビュー作ではありませんから、〈新人監督賞〉というわけにはいきません。10年ほど前から毎年数カ月はモロッコで暮らしている由、今回の“Mimosas”はアラビア語です。

 

    

             (本作撮影中のオリヴェル・ラセ監督

 

★「どうしてこのように時間が掛かったのか」というプレスの質問には、「製作費が集まらなかったから」と簡単明瞭、「デビュー作は私一人で撮ったが、今回はチームを組んだので資金作りが大変だった。しかしこの受賞をチーム全員が私以上に喜んでくれた」と監督。「第3作目はガリシアが舞台です。今回の受賞で資金調達が可能になりました」、やはりこれがカンヌです。

 

     

          (柔和な眼差しの奥に芯の強さを感じさせる監督)


『真珠のボタン』 水の記憶*パトリシオ・グスマン2015年11月16日 16:31

サンチャゴで公開された『真珠のボタン』

 

★遺骨を探し続けている二人の女性が談笑しながら星の観察をしている。初めて見せる二人の笑顔で前作『光のノスタルジア』は幕を閉じました。かすかな希望を抱いて『真珠のボタン』を続けて見ました。自然が作りだす驚異的な美しさに息をのみましたが、人間のあまりの愚かさ残酷さにスクリーンがぼやけてしまう作品でした。929日、やっとチリの首都サンチャゴで初めて公開されたということは、チリにも一筋の光が射してきたということでしょうか。

 

   

      『真珠のボタン』“El botón de nácar”(“The Pearl Button”)

製作Atacama Productions / Valdivia Film / Mediapro / France 3 Cinema

監督・脚本パトリシオ・グスマン

助監督:ニコラス・ラスにバット

撮影:カテル・ジアン

音響:アルバロ・シルバ、ジャン・ジャック・キネ

音楽:ミランダ & トバル

編集:エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ、フェルナンド・ラタステ、ジャウマ・ロウレス他

データ:製作国フランス、チリ、スペイン、スペイン語、2015年、82分、ドキュメンタリー、主な撮影地:西パタゴニア、チリ公開:929

受賞歴:ベルリン映画祭2015銀熊脚本賞・エキュメニカル審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015山形市長賞、ビオグラフィルム・フェスティバル2015(ボローニャ)作品賞・観客賞ほか、エルサレム映画祭2015ドキュメンタリー賞、フィラデルフィア映画祭2015審査員賞、各受賞。サンセバスチャン映画祭2015「ホライズンズ・ラティノ」正式出品、他ノミネーション多数。

 

登場する主な語り部たち

ガブリエラ・パテリト(カウェスカル族の末裔、推定73歳。手工芸品製作者)

クリスティナ・カルデロン(ヤガン族の末裔、86歳。文化・歴史・伝説の伝承者、

  手工芸品製作者)

マルティン・G・カルデロン(クリスティナの甥、古代からの製法でカヌーを製作している)

ラウル・スリタ(拷問を受けた共産党活動家、詩人。2000年国民文学賞を受賞)

ガブリエル・サラサール(アジェンデ政権時の極左派MIRの活動家。チリ大学哲学科・法科の教授、2011年国民賞受賞)

クラウディオ・メルカド(人類学者、実験音楽の作曲家・演奏家、伝統音楽の継承者)

ラウル・ベアス(ボタンが付着したレールを引き上げたダイバー)

フアン・モリナ(197911月のデサパレシード投棄に携わったヘリコプターの元整備士)

アディル・ブルコヴィッチ(ヘリコプターで海中に投棄されたマルタ・ウガルテの弁護士)

ハビエル・レボジェド(遺体を海中に投棄するため胸にレールを括りつける行程を再現したジャーナリスト・作家)

パトリシオ・グスマン<影の声>

パス・エラスリス(写真家、カウェスカル族の写真提供者)

マルティン・グシンデ(写真家・司祭、セルクナム族のモノクロ写真提供者)

 

プロット:大洋は人類の歴史を包みこんでいる。海は大地と宇宙からやってくる声を記憶している。水は星の推進力を受け取って命ある創造物に伝えている。また水は、深い海底で廻りあった二つのミステリアスなボタンの秘密を守っていた。一つはパタゴニアの先住民の声、もう一つは軍事独裁時代の行方不明者の声、水は記憶をもっている。宇宙に渦巻く水の生命力、パタゴニアに吹く乾いた風、銀河系を引き裂く彗星、チリの歴史に残る悲劇的なジェノサイド。チリの片隅から眺めたすこぶる個人的な要素をもつパトリシオ・グスマンの<影の声>は、純粋さと怒りに溢れている。これは記憶についてのエレガントで示唆に富む美的思索のドラマ。      (文責:管理人)

 

         チリの歴史を凝縮した水の言葉―-二つのボタン

 

A: チリの北部アタカマ砂漠から始まった水と宇宙についての物語のテーマは、アンデス山脈に沈み込む最南端の西パタゴニアの水と氷の世界に私たちを導いてゆく。

B: 白ではなくまるで青いガラスの壁のような氷河の映像には息を呑みます。宇宙飛行士ガガーリンのように宇宙に飛びださなくても、地球が水の球体であることが実感できる。

A: 「地球は青かった」は不正確な引用らしいが、とにかく約70パーセント以上は海という球体です。なかでも全長4600キロに及ぶチリの国土は太平洋に面している。だから海洋国家なんですね。でも海の恵みを無視してきた歴史をもつ国家でもある。 

 


B: 自然の驚異を見せるための自然地理学の映画ではない。海に眠っていた二つのボタン、一つは19世紀末にやってきた白人によって祖国と自由を奪われた先住民の声を語るボタン、もう一つはピノチェトの軍事クーデタで逮捕されたデサパレシードの声を語るボタンです。

A: この二つのボタンの発見がなければ、このように理想的なかたちの映画は生れなかったかもしれない。このミステリアスなボタンが語り出すのは、闇に葬られたチリの歴史です。

B: 抽象的で思索的なメッセージなのに分かりやすく、ストレートに観客の心に響いてくる。忘れぽいチリ人に記憶の重要性を迫っていた前作よりずっと深化している。

 

  • desaparecido:広義には行方不明者のことですが、ラテンアメリカ諸国、特にアルゼンチンでは軍事政権下(197684)で政治的に秘密警察によって殺害された人々を指し、航空機・海難事故などの行方不明者は指しません。隣国チリでもピノチェト軍事政権下(197390)の行方不明者を指し、本作でもその意味で使われています。

     

           先住民やデサパレシードたちの墓場は海の底

     

    A: 遺族並びに体験者の最大の苦しみは、差別や迫害ではなく無関心だということです。たくさんの語り部たちの他に、例えば17回も南極大陸に旅し、冒頭シーンの撮影に協力した二人の冒険家、チリの完全な地図を制作した画家エンマ・マリク、先住民の写真を提供してくれた二人の写真家などが本作を支えています。

    B: 19世紀の初めにパタゴニアにやってきたイギリス船に乗せられて、石器時代から産業革命のイギリスに旅をして、ジェミー・ボタンと名付けられた悲劇のインディオ。1年後に戻ってきたが元の自分に戻れなかった。

 

               

                (パタゴニアの先住民)

 

  • A: 船長フィッツロイの任務は土地の風景や海岸線を描くことで、彼の地図は1世紀にわたって使用された。つまり白人の入植者に役立ったことが、皮肉にも先住民の文化破壊や、ひいてはジェノサイドにつながった。

    B: 当のフィッツロイ船長に悪意はなかったが、150年後に押し寄せた入植者には、先住民の存在は邪魔で目障りだったということです。

     

    A またヘリコプターから太平洋に投棄され、1976912日にコキンボ州の海岸に打ち上げられたマルタ・ウガルテ、レールが外れて浮上した。海底を捜索したらもっとレールは見つかるはずだと監督。

    B: 殺害された人数は約3000人、うち1200人から1400人が海や湖に沈められたからですね。

     

  •         

  •          (軍事独裁時代の犠牲者を船中から探すグスマン監督)

     

    A: 800個所もあったという強制収容所の一つ、ドーソン島に収監されていた人々の声を拾っている。逮捕監禁され拷問を受けた人数は35,000人ともその倍とも言われている。アジェンデ派の政治犯や反体制活動家だけでなく、存在そのものが目障りだった先住民、学生、未成年者もいた。アルゼンチンと傾向は同じです。

    B: 先住民のジェノサイド、18世紀には8000人が暮らしていたという西パタゴニアの先住民は、現在たったの20人しかいない、にわかには信じられない数字です。

     

    A: カウェスカル族の末裔ガブリエラが「神は持たないから、警察は必要ないから」カウェスカル語にはないとインタビューに答えていた。警察がないのは当たり前、聞くまでもないか。『光のノスタルジア』でも言ったことだが、本作にはドキュメンタリーとしてギリギリの演出がありますね。

    B: ヘリコプターからのダミー投棄の再現はいい例です。

    A: フレデリック・ワイズマンとの対談で「ドキュメンタリーが情報伝達だけのメディアにならないように」したかったと語っていましたが。

     

  •     

  •           (カウェスカル族の末裔ガブリエラ・パテリト)

     

          記憶をもたない国にはエネルギーがない

     

    B: 国際映画データバンク(IMDb)にも載っていなかったし、まさかサンチャゴで公開されていたなんて驚きです。現在の政権ミシェル・バチェレ(第2期)が影響してるのか、ベルリン映画祭の銀熊賞を無視できなかったのか()

    A 現在グスマンはパリに住んでおり、彼が創設者である「サンチャゴ・ドキュメンタリー国際映画祭(Fidocs)」で本作がエントリーされ帰国していた。「海を介して過去と和解する映画」と観客に紹介したそうです。「記憶を検証しなければ未来は閉じられる」とも。

     

    B: ベルリンのインタビューでは、チリではデサパレシードをテーマにした映画を作る環境にない、それが唯一できるのはアルゼンチンだけで、ブラジル、ウルグアイなどおしなべてNOだと語っていた。

    A: 「恐怖の文化」が国民を黙らせている。スペインの「エル・パイス」紙が反フランコで果たしたようなことを、チリの「エル・メルクリオ」紙は果たしていない。それは「報道の自由、映像の自由」がないからです。軍事独裁が16年間に及んだこと、民政化は名ばかりで、グスマン監督も「暗黙の恐怖が支配している。政治に携わる人たちは、今もってアジェンデの理想を裏切っている」と語っていた。

     

    B: アルゼンチンの民主主義も脆弱と言われていますが、それでも民生化3年後にルイス・プエンソが『オフィシャル・ストーリー』(86)を撮ることができた。アカデミー賞外国語映画賞を初めてアルゼンチンにもたらし、今や古典といってもいい。

    A: ルクレシア・マルテルのメタファー満載の「サルタ三部作」も軍事独裁時代の記憶をテーマにしている。ここでは深入りしませんが字幕入りで見られる映画が結構あります。

     

    B: チリでもベテランのミゲル・リティンの“Dowson Isla 10”(直訳「ドーソン島1009)アンドレス・ウッドの『マチュカ』(06)や『サンチャゴの光』(08)、若いパブロ・ララインの「ピノチェト政権三部作」**など力作がありますが、アルゼンチンには遠く及ばない。

     

    「サルタ三部作」:『沼地という名の町』(La cienaga 01)、『ラ・ニーニャ・サンタ』(La nina santa 04)、『頭のない女』(La mujer sin cabeza 08

    **「ピノチェト政権三部作」:『トニー・マネロ』(Tony Manero 08)、“Post mortem10、『NO』(12

     

           私の家族はノマドでした―移動もテーマ

     

    A: 監督は「私の家族はノマド(放浪民)」と言うように子供の時から国内をあちこち移動している。チリは旧大陸からの移民国だから彼に限ったことではないが、ラテンアメリカ映画のテーマの一つは移動です。

    B: カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した、セサル・A・アセベドの『土と影』も移動が重要なテーマでした。

    A: 映画仲間もすこぶる国際的、デビュー作El primer año”(1972)にはフランスの友人クリス・マルケル監督のプロローグ入りだった。サンティアゴで公開されたときには、彼も馳せつけ、フランスやベルギーでの上映にも寄与してくれたし、三部作「チリの戦い」(“La batalla de Chile”)の撮影にも協力を惜しまなかった。

    B: 2012年に91歳で鬼籍入りしたが、ゴダール、アラン・レネ、ルルーシュ、アニエス・ヴァルダなどが好きなシネマニアには忘れられない監督です。

     

    A: 「チリの戦い」の編集を担当したペドロ・チャスケル1932年ドイツ)は、7歳のときチリに移民、1952年にチリ国籍を取っている。共にチリの新しい映画運動を担ったシネアスト、軍事クーデタでキューバに亡命、1983年帰国、キューバではICAICで編集や監督の仕事をしていた。

    B: 彼もノマドかな。

    A: 本作には関わっていないが、彼のドキュメンタリーというジャンルの的確な判断の手法が影響しているそうです。「クール世代」と言われる前出のアンドレス・ウッドやパブロ・ララインを育てたカルロス・フローレス・デルピノなども、チリの民主化に寄与しています。彼は1994年設立の「チリ映画学校」の生みの親、2009年まで教鞭をとっていた。

     

                不寛容と偏見に終わりはない

     

    A: 現代のチリでは、ホモセクシャルの人間に権利はないと監督、『家政婦ラケルの反乱』で大成功をおさめながらニューヨークに本拠を移したセバスチャン・シルバなどがその好例です。チリではパートナーと一緒に暮らすなどできない。それに彼は自信家でハッキリものを言うタイプだから、先輩シネアストの心証が良くないのかもしれない。

    B: ラテンビートで『マジック・マジック』と『クリスタル・フェアリー』がエントリーされたが、英語映画にシフト変更です。彼もララインの仲間ですが、現状が続くと才能流出も止まらない。

     

    A: 今ではラテンアメリカ諸国の軍事独裁政は、赤化をなんとしてでもキューバで食い止めたいCIAの指導援助の元に行われたことが明らかです。

    B: 拷問の手口が金太郎の飴だった。ベトナムで培った方法を伝授した。商社や大使館の職員に身をやつしてパナマにある養成機関で教育した。

    A: チリの「No」か「Yes」の国民投票をピノチェトに迫ったのも事態を沈静化したいCIAの思惑で行われたが、結果は逆方向になってしまいました。

     

    B: アンデス山脈を中心に第三部が作られる話が聞こえてきています。

    A: チリは有数の火山国でアンデス山系には多くの活火山がある。火口や火口湖にもデサパレシードを投棄したからじゃないか。アタカマ砂漠、太平洋、アンデス山脈、この三つに犠牲者は弔ってもらうことなく眠っています。

     

    パトリシオ・グスマン監督のキャリア&フィルモグラフィーは、前回の『光のノスタルジア』を参照してください。

     

『光のノスタルジア』 星と砂漠*パトリシオ・グスマン2015年11月11日 11:39

★東京国際映画祭で見たホセ・ルイス・ゲリン『ミューズ・アカデミー』を先にアップするつもりでおりましたが、鑑賞しているあいだ最近見たばかりの『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』の寡黙でありながら雄弁な語り口が思い出され、ゲリンになかなか入りこめなかった。このパトリシオ・グスマンの作品を先に文字にしないと先に進めない。と言っても語る言葉が容易に見つからないんだが。まずデータでウォーミングアップしよう。

 


     『光のノスタルジア』“Nostalgia de la luz 2010

製作:Atacama Productions () / Blinker Filmproduktion & WDR () / Cronomedia (チリ)

監督・脚本・編集:パトリシオ・グスマン

撮影:カテル・ジアン

音響:フレディ・ゴンサレス

音楽:ミランダ&トバール

編集(共同):エマニュエル・ジョリー

製作者:レナーテ・ザクセ

データ:製作国フランス=ドイツ=チリ、言語スペイン語、英語、ドキュメンタリー、90分、カラー(資料映像のモノクロを含む)、チリ公開未定、フランス、ドイツ、USA、イギリス、日本などで公開

受賞歴:ヨーロッパ映画賞2010ドキュメンタリー賞、アブダビ映画祭2010ドキュメンタリー「ブラック・パール賞」、国際ドキュメンタリー協会賞2011IDA賞」、シェフィールド・ドキュメンタリー映画祭2011スペシャル・メンション、ロサンゼレス・ラテン映画祭2011審査員賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭2011最優秀賞、トロント映画祭2012TFCA賞」などを受賞

映画祭ノミネーション:カンヌ映画祭2010コンペ外正式出品、ほかにメルボルン、トロント、サンセバスチャン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ビアリッツ(ラテン部門)、テッサロニキ・ドキュメンタリーなどの国際映画祭で上映された。

 

登場する主な思索者たち

ビクトリア・サアベドラ(行方不明者デサパレシードの弟ホセの遺骨を28年間探し続けている)

ビオレータ・べりオス(デサパレシードのマリオの遺骨を28年間探し続けている)

ガスパル・ガラス(軍事クーデタ後に生れた若い天文学者、人類と宇宙の過去を探している)

ラウタロ・ヌニェス(数千年前のミイラと遺骨を探す女性たちと語り合える考古学者)

ミゲル・ローナー(強制収容所から生還できた記憶力に優れた建築家)

ルイス・エンリケス(星座を観察することで生き延びた強制収容所体験者、アマチュア天文学者)

ビクトル・ゴンサレス(ヨーロッパ南天天文台のドイツ人技師)

V・ゴンサレスの母(クーデタ後ドイツに亡命、現在は遺族のヒーリングマッサージをしている)

バレンティナ・ロドリゲス(両親がデサパレシード、天文団体の職員、二児の母)

バレンティナの祖父母(誕生したばかりのバレンティナを養育した)

ジョージ・プレストン(人間は星の中に住む宇宙の一部と語る天文学者)

 

プロット:チリの最北端アタカマ砂漠では、天文学者たちが約138億年前に誕生した宇宙の起源に関する答えを求めて星を見つめ続けている。一方地表では、考古学者が数千年前の人類の歴史を探して発掘している。更に女性たちがピノチェト独裁政権時代に殺害され砂漠に遺棄された家族の遺骨を求めて掘り続けている。共に目的の異なる過去への旅をしているが、もう一人の過去の探求者グスマンに導かれ砂漠で邂逅する。                  (文責:管理人)

 

       グスマンを駆り立てた二人の女性のパッション

 

A: フィルモグラフィーを見ると、2005年に「私のジュール・ヴェルヌ」を撮った後、少し長い4年間のブランクがある。テーマははっきりしているのにカチッと鍵が回らない。このブランクは自問しながら格闘している監督の時間です。ところが28年間も家族の遺骨を探し続けている二人の女性に出会って、突然砂漠と星がシンクロする。こういう瞬間を体験することってありますね。

B: 彼は子どもの頃からの天文学ファンで最初のガールフレンドは考古学者だった。しかし天体望遠鏡を通して見える宇宙の過去とか、砂漠を発掘して過去を辿る話を撮りたかったわけではない。

 

A: 付録として最後に簡単なプロフィールを紹介しておいたが、彼の原点は「もう一つの911」と言われる、1973年のピノチェト軍事クーデタにある。常にその原点に立ち戻っている。5年後に撮った『真珠のボタン』も本作に繋がり、テーマは円環的だから閉じることがないのかもしれない。

B: 一応二部作のようだが、「チリの戦い」のように三部作になる可能性もあるね。

 

A: 監督はクーデタ後、逮捕されて2週間国立競技場に監禁されるという体験の持ち主、まかり間違えば行方不明者デサパレシードになる可能性があった。

B: 日本でも多くのファンがいるシンガー・ソング・ライターのビクトル・ハラが監禁されたと同じ競技場ですか。

A: 彼はチリ・スタジアムのほうで、5日後の916日には銃殺されています。サンチャゴの親戚を訪問中に偶然クーデタに遭遇したロベルト・ボラーニョも逮捕監禁された。なんとか友人たちの助けで無事メキシコに戻れましたが、人権などクソみたいな時代でした。

B: 行方不明者の6割が未だに分かっていないそうだから、まだ終わっていない。世界の映画祭で上映され公開もされていますが、本作も『真珠のボタン』もチリ国民は、見ることができません。

 

A: 映画の存在さえ知らないのではないか。30年前に起こったことを教科書は載せていないから、チリの子どもたちが学校で学ぶことはない。ということはクーデタ以後に生れた世代はクーデタがあったことさえ知らないですんでいる。死者の中には先住民、外国人、未成年者も含まれている。逮捕され強制収容所に送られた人数が3万人とも10万人とも言われているのに、チリの夜明けは遠い。

B: アジェンデ大統領の孫娘が撮った『アジェンデ』の中で、「祖父のことを話すことは家族のタブーだった」と監督が語っていたが、家族どころか国家のタブーなんだ。

 


A: 事実の検証はチリ国民が抱える負の遺産だが「あったことをなかったことにすることはできない」。チリの慣例では元大統領は国葬ということですが、2006年当時の大統領ミシェル・バチェレが拒否した。父親が犠牲者だったことや自身も亡命を余儀なくされたのを配慮して見送られたとも。しかし、陸軍主催の葬儀は認めざる得なかった、それが当時の限界だった。

B: 日本でもその盛大な葬儀の模様がニュースで流れたが複雑な感慨を覚えた。遺骸に唾を吐きかける人、チリ国民をアカの脅威から守った偉大な大統領と賞讃する人、対話が始まるのは半世紀先か、1世紀後か。映画から伝わってくるのは今でもチリ社会は暗闇の中ということ。

 

           これはドキュメンタリーですか?

 

A: さて映画に戻して、ドキュメンタリーではなくフィクションを見ていると感じた人が多かったかもしれない。でもドキュメンタリーって何だろうかドキュメンタリーの定義は、一般的には作り手の主観や演出を加えることなく記録された映像作品を指すのだろうが、実際そんなドキュメンタリーは見たことない。この定義だと「できるだけ客観性や中立性を重んじる」報道とどこが違うのか。個人的にはドキュメンタリーもフィクションの一部と思っている。

B: 報道が客観性を欠くとプロパガンダになりかねないから当たり前です。本作はメタファーを媒介して監督の世界観が語られているから、定義を尊重するとドキュメンタリーではないことになるね。

 

A: 世界の代表的なドキュメンタリー作品は、すべて「ドキュメンタリーではない」ことになる。以前、ゴンサレス・ルビオの“Alamar”(2010メキシコ)がトロント映画祭で上映され、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか曖昧だということで、「これはどちらですか」と訊かれた監督、「これは映画です」と返事していた()

B: 蓋し名答だ。役者が台本通りまたは監督の演出通りに演技するかしないかの違いだ。本作でも登場人物の中には監督の意図を慮って発言しているように感じられる人もいた。編集に苦労したんじゃないかと思う。

A: 特に『真珠のボタン』にはその傾向が強かった。例えばヘリコプターから行方不明者を海に投下する映像は再現ドラマだった。事実だから捏造ではないが、もし報道だったら許されないシーンだ。

B: ドーソン島にあった強制収容所の生存者を一堂に集めて、「ドーソン島の方角を指して下さい」というヴォイスが流れると、多くの人が同じ方向を指すシーンなんかも演出があったかも。

 

           過去を語る記憶­―現実は存在しない

 

A: 天文学者のガスパル・ガラスが、「現実で経験することはすべて過去のことです」と語るが、確かに宇宙的時間では現在という時間は存在しないに等しい。彼らは138億前のビッグバンで生れた宇宙の過去を探しているが、二人の女性はおよそ30年前の過去を探している。同じ過去を探しているが、「私は夜になればぐっすり眠れる。しかし彼女たちは朝起きれば苦しみが始まる」とガラス。

B: ここに登場する人々は、おしなべて思索者、寡黙だが心に響く言葉の持ち主だ。グスマン監督を尊敬し、監督も彼らを尊重しているのが伝わってくる。上から目線ではない。

A: 監督が自問しながら、観客に問いかけているのが伝わってくる。これが魅力の一つ。

 

B: 考古学者のラウタロ・ヌニェスの言葉も重い。もし自分の子どもが虐殺されたとしたら遺骨を探し続けるし、決して忘れない。何びとも死ぬ運命に変わりはないが、どこで眠っているのか分からなければ葬ってやれない。

A: まだ答えを見つけていないし、「遺骨を探すのは、マリオを見つけてきちんと葬ってやりたいから」とビオレータ・ベリオス。遺骨がなければ「弟が死んだという事実を受け入れることができない」と語るビクトリア・サアベドラ30年前の家族の骨を探す人々なんか、頭のおかしい人という批判に抵抗している。

B: 軍事政権を支えた人たちには、先住民と同じように彼らは目障りな存在なんだ。

 


   (デサパレシードを探し続ける遺族たち、左端ビオレータ、右から2番目ビクトリア)

 

A: 一番記憶に残った人というのは、孫のバレンティナ・ロドリゲスを育てたという祖父母、ソファに座り失語症になったかのように無言、凄いインパクトだった。

B: バレンティナは「私の両親が高い理想と勇気をもった素晴らしい人たちだったこと、私に人生の喜びを教え、幸せな子供時代を送らせてくれた人」と敬意をこめて語っていた。

 


               (我が子を抱くバレンティナ)

 

A: 建築家のミゲル・ローナーの記憶力には驚かされた。5カ所の強制収容所の体験者、その収容所の図面を正確に記憶して、亡命後そのイラストを本に纏めて出版した。彼が再現した記憶術の方法は「基本のキ」だ。図面を書いたらすぐさま粉々に破り捨ててしまう。処分したので覚えていられたと思う。

B: 発見される危険と語っていたけど。チリ国民が「そんなことあったなんて知らなかった」と言わせたいために記憶した。記憶も本作の主題だね。

A: 映像の美しさは言葉にしても何の意味もありません、スクリーンで見てください。

 


                (建築家ミゲル・ローナー)

 

監督キャリア&主なフィルモグラフィー

パトリシオ・グスマンPatricio Guzmán 1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。彼によると、生れはサンティアゴだが「うちは一個所にとどまって暮らすことがなく遊牧民家族のように放浪していた。そのたびに学校も変わり、ビニャ・デル・マルに住んでいたこともあった」と語っている。1960年チリ大学の演劇学校で歴史学科(61)と哲学科(6265)に所属していたが経済的理由で中途退学した。4年間出版社で働き、その間小説や短編を執筆している。

 

しかし仕事に情熱がもてず映画に転身、8ミリで短編を撮り始める。1965年、カトリック大学の映画研究所とのコラボで短編デビュー作“Viva la libertad”(18分)を撮る。毎年1作ずつ短編を撮りつづけるが満足できず、海外の映画学校を目指す。しかし奨学金が下りず、当時の妻パメラ・ウルスアが家財道具をすべてを売却してマドリードへの切符を調達してくれた。マドリードでは国立映画学校の入学資金を得るため広告代理店で働き、1969年入学、翌年監督科の資格を取得。スペインでも大きい広告会社モロ・スタジオではたらいた後、19713月、前年に誕生していたアジェンデ政権の母国に戻る。 


最初の長編“El primer año”を撮る。1973911日ピノチェトの軍事クーデタが勃発、逮捕される。2週間国立競技場に監禁されるが、妻や友人たちの助けでチリを脱出、ヨーロッパへ亡命する。フランスの友人クリス・マルケル監督と一緒に仕事を開始、フランスのシネアストとの友好関係を維持しながら、キューバのICAICの援助を受けてドキュメンタリーを完成させている。

 

1997年サンティアゴ・ドキュメンタリー映画祭の創設者(Fidocs)、若いシネアスト・グループの援助や指導に当たっている。ヨーロッパやラテンアメリカの映画学校でドキュメンタリー映画の教鞭を執っている。現在は再婚したプロヂューサーのレナーテ・ザクセRenate Sachse(ドイツ出身)とパリ在住。先妻との間に二人の娘がおり共にシネアスト、しばしば父とコラボしている。

 

 

主な長編ドキュメンタリー

1972El primer año”「最初の年」100

アジェンデ政権最初の1年間を描く。友人クリス・マルケル監督のプロローグ入り

197579La batalla de Chile”「チリの戦い」(19757679)長編三部作、270

アジェンデ政権と軍事クーデタで政権が失墜するまでを描くドキュメンタリー

1987En nombre de Dios”「神の名において」100

ピノチェト軍事政権下で人権のためにチリのカトリック教会と闘ったドキュメンタリー

1992La cruz del sur”「サザンクロス」80

ラテンアメリカの庶民の信仰心についてのドキュメンタリー

1997Chile, la memoria obstinada”「チリ、執拗な記憶」58分中編、

チリ人の政治的記憶喪失についてのドキュメンタリー

2001El caso Pinochet”「ピノチェト・ケース」110

元独裁者ピノチェトのロンドンでの裁判についてのドキュメンタリー

2004Salvador Allende”「サルバドル・アジェンデ」102分、私的ポートレート

2005MI Julio Verne「私のジュール・ヴェルヌ」52分中編、フランスの作家の伝記

2010Nostalgia de la luz『光のノスタルジア』90分、省略

2015El botón de nácar『真珠のボタン』82分、省略

多数の短編、フィクションは割愛した。

 

国立映画学校1947年創立の国立映画研究所が、1962年改組されたもの。フランコ没後の1976年にマドリード・コンプルテンセ大学情報科学学部に発展吸収され現在は存在しない。卒業生にアントニオ・デル・アモ、アントニオ・バルデム、ガルシア・ベルランガ、ハイメ・チャバリ、イマノル・ウリベ、ホセ・ルイス・ボラウ、カルロス・サウラ、ピラール・ミロ、ビクトル・エリセなど他多数。スペインの映画史に名を残すシネアストが学んだ映画学校。

 

サンセバスチャン映画祭2015*グアテマラ映画”Ixcanul” ⑥2015年08月28日 15:09

                オール初出演のグアテマラ映画“Ixcanul

 


ハイロ・ブスタマンテがベルリン映画祭2015アルフレッド・バウアー賞」(銀熊賞)を受賞したときにはデータが揃わず受賞のニュースだけをアップいたしました。受賞のお蔭か、その後グアダラハラ、カルタヘナ、香港、シドニー、台湾、カルロヴィ・ヴァリ、トゥールーズ、サント・ドミンゴ、スロバキア共和国アート・フィルム・フェス、スロベニア共和国マルタなど国際映画祭を旅して、やっとサンセバスチャンに舞い戻ってきました。というのも本作は本映画祭2014Cine en Construccion」参加作品でした。ベルリン映画祭のアルフレッド・バウアー賞というのは新しい視点を示した作品に贈られる賞、昨年は大御所アラン・レネの遺作となってしまった『愛して飲んで歌って』が受賞したのでした。どうも何か賞を獲りそうな予感がいたします。

 

    Ixcanul(英題Ixcanul Volcano)グアテマラ=フランス

製作La Casa de Producción(グアテマラ)/ Tu Vas Voir(フランス)

監督・脚本・製作者:ハイロ・ブスタマンテ

音楽:パスクアル・レジェス

撮影:ルイス・アルマンド・アルテアガ

編集:セサル・ディアス

美術・製作者:ピラール・ペレド(アルゼンチン人でフランスのTu Vas Voirのプロデューサー

衣装デザイン:ソフィア・ランタン

メイクアップ&ヘアー:アイコ・サトウ

製作者:イネス・ノフエンテス(エグゼクティブ)、マリナ・ペラルタ(グアテマラ)、エドガルド・テネムバウム

データ:グアテマラ≂フランス、スペイン語・マヤCakchiquelカクチケル語、201593分、撮影地:パカヤ火山の裾野の村エル・パトロシニオ。サンセバチャン映画祭2014Cine en Construccion」参加作品。822日エル・パトロシニオで先行上映後、グアテマラ公開827日、フランス1125

受賞歴:ベルリン映画祭2015「アルフレッド・バウアー賞」、トゥールーズ映画祭2015審査員賞と観客賞、カルタヘナ映画祭2015作品賞、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ映画祭2015初監督作品賞、スロベニア共和国のマルタ映画祭2015撮影賞、スロバキアのアート映画祭2015作品賞「青の天使賞」と助演女優賞(マリア・テロン)など受賞歴多数、目下更新中。

 

キャスト:マリア・メルセデス・コロイ(マリア)、マリア・テロン(マリアの母フアナ)、マヌエル・マヌエル・アントゥン(マヌエル)、フスト・ロレンソ(イグナシオ)、マルビン・コロイ(エル・ペペ)、映画はオール初出演

 


プロット:マヤ族カクチケルのマリアは17歳、グアテマラの活火山パカヤの山腹で両親と一緒に暮らしている。コーヒー農園で働いていたが、両親が農園主イグナシオとの結婚を取り結んだことで平穏が破られる。マリアはインディヘナとしての運命を変えたいと思っていたが、この結婚から逃れることはできない。妊娠という難問をかかえており、都会の病院は高額すぎて彼女を助けることができない。マリアは火山の反対側の新世界アメリカを夢見る若いコーヒー刈り取り人が彼女を置き去りにしたとき、改めて自分の世界と文化を発見する。しかし先住民の伝統や文化についての映画ではなく、ましてやフォークロアなどではない。後継者のいない富裕層の養子縁組のために生れるや連れ去られてしまう残忍なテーマ、先住民の女性たちが受ける理不尽な社会的差別、母と娘の内面の葛藤が語られるだろう。 (文責管理人)

 


     (パカヤ火山を背にマリア役のマリア・メルセデス・コロイ、映画から)

 

トレビア:タイトルの‘Ixcanul’(イシカヌルか)はカクチケル語で「火山」という意味。グアテマラの公用語はスペイン語であるが、先住民マヤ族の言語は21種もあり、多言語国家でもある。そのうちカクチケル語の話者は約50万人いると言われ最も重要な言語の一つであり、メキシコにも話者は多い。本作の主人公に扮する2人のマリアのようにバイリンガルな人もいるが、スペイン語ができない人も多い。識字率が70%に満たない低さで、ラテンアメリカ諸国のうちでも最低の国に数えられている。それは前世紀後半グアテマラに吹き荒れた36年間に及ぶ内戦が深くかかわっている。1960年から始まり1996年に終結したが、死者約20万人、うち犠牲者の80%以上がマヤ族の武器を持たない性別を選ばない赤ん坊から老人まで、グアテマラ内戦が「ジェノサイドだった」と言われる所以である。内戦の後遺症は尾を引き、現在でも治安は悪く、真の平和は遠いと言われている。

 

★今年のベルリンは本作の他、チリのパブロ・ララインEl Culbが審査員賞、同パトリシオ・グスマン『真珠のボタン』の脚本賞と、ラテンアメリカのシネアストが評価された年であった。 


  (クロージングに出席した監督と民族衣装に身を包んだ二人のマリア、2015214日)

 

 

    監督キャリア & フィルモグラフィー

ハイロ・ブスタマンテJayro Bustamanteは、監督、脚本家、製作者。映画の舞台となったグアテマラのマヤ族カクチケルが住む地域で育った。現在37歳ということなので1978年ころの生れか。まさにグアテマラ内戦(196096)の中で生れ育った世代。パリやローマで映画製作を学び、多数の短編を製作、そのなかの“Cuando sea grande”(2011)が評価される。のち本作を撮るために故郷に戻ってきた。

 


        (受賞のトロフィーを手にした監督、ベルリン映画祭にて)

 

メーキング:ブスタマンテ監督によると、「まず現地でワークショップを開催、彼らの生き方を自身の口から語ってもらうことにした。近距離からマヤの人々が現在置かれている状況を調査した。そうすることで、女性たちとの特別なコネクションができ、母親や祖母世代の慣習や仕来たりを学んでいった」という。グローバル化からはほど遠い、あまり知られていない日常的な日課が我々を待っているが、先住民文化についての映画ではない。「この映画が世界に受け入れやすくするための方針はとらなかった。また同世代の監督が陥りやすい民族的な悲惨さを描くのを避けた」とも語っている。必要なのは観客を魅了する人間ドラマを撮ること、それには互いの立場を尊敬しあうことでしょうね。

 

★まだカメラ経験のないアマチュアの出演者を探すのに奔走した。主人公マリアの母親を演じたマリア・テロンから「多くのリハーサルに時間をかけるのか、もしそうなら私はあなたを信頼しない」と質問された。勿論「ノー」と答えた。「監督することであなた方から多くのことを学びたい」。「分かったわ、そうであるなら、教えてあげましょう」とテロン。彼女は映画は初出演だが舞台女優の42歳、「映画に出てくる火山のようにエネルギュッシュな女性」と監督、スロバキアの映画祭で助演女優賞受賞した理由は、「物語の最初から最後まで緊張状態を維持した。母親役を言葉ではなく優しさと才覚で演じた」その演技力が評価された。

 


             (マリア・テロン、ベルリン映画祭にて)

 

★製作者には、二人の女性プロヂューサーが初参加、グアテマラのLa Casa de Producción マリナ・ペラルタ、この製作会社はブスタマンテ監督が設立した。もう一人はアルゼンチンのピラール・ペレド、フランスのTu Vas Voir に所属している。


『キホーテ 映画に跨って』アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ2015年07月04日 16:06

      6月のドン・キホーテの視点 映画上映会

★先日ご案内したセルバンテス文化センター映画上映会の『キホーテ 映画に跨って』を見てきました。20世紀初頭から現代までのドン・キホーテ映画を素材にした、実写からアニメーション、ギニョール、ジャンルはドラマからドキュメンタリー、ミュージカルなど40本近くが網羅されていました。製作国もスペインを始めとして、米国、フランス、ソ連、ドイツ、イギリス他。無声、モノクロ、カラーとそれこそバラエティーに富んでいて、これでは日本語字幕は付けられないと納得。

 

    Quijote, cabalgando por el cine

監督(共同)アスセン・マルチェナ&ハビエル・リオジョ

製作:Junta de Castilla-La Manchaカスティージャラ・マンチャ評議会

プロダクションStom Comunicacion para la Empresa Publica Don Quijote dela Mancha 2005 S.A.

協賛:セルバンテス協会

データ:スペイン、2007、ドキュメンタリー、86分、DVD上映

『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画されたもの。

 

ドキュメンタリーに登場した目ぼしいドン・キホーテ映画(製作順)

製作国、監督、俳優(キホーテとサンチョ)をメモランダムに列挙:

1933Don Quixote”「ドン・キホーテ」仏英独、英語、モノクロ、ミュージカル、73

監督ゲオルク・ヴィルヘルム・パブスト、キホーテ(フェオドール・イワノヴィッチ・シャリアピン)サンチョ(ジョージ・ロビー)
独英仏語の
3バージョンのうちDVD化されフランス版使用。

1947Don Quijote de la Mancha”『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』スペイン、西語、137分、モノクロ、監督ラファエル・ヒル、キホーテ(ラファエル・リベリェス)サンチョ(フアン・カルボ

1957Don Kikhot”ソビエト連邦、ロシア語、カラー、110分、監督グリゴーリ・コージンツェフ

1965Don Quichotte”カナダ=フランス、フランス語、TVドキュメンタリー

  監督エリック・ロメール

1972Man of La Mancha”『ラ・マンチャの男』イタリア=米国、英語、カラー、129分、公開

監督アーサー・ヒラー、キホーテ(ピーター・オトゥール)、サンチョ(ジェームズ・コ  コ)、ドゥルシネーア(ソフィア・ローレン)
1973Don Quijote cabalga de nuevo”西=メキシコ、コメディ、スペイン語、カラー、132

監督ロベルト・ガバルドン、キホーテ(フェルナンド・フェルナン≂ゴメス)、サンチョ(カンティンフラスことマリオ・モレノ

1992Don Quijote de Orson Welles”(“Orson Welles’ Don Quijote”)「オーソン・ウェルズのドン・キホーテ」スペイン=イタリア=米国、スペイン語、カラー、116

監督オーソン・ウェルズ、ダイアローグ:ハビエル・ミナ&ヘスス・フランコ、キホーテ(フランシスコ・レイゲーラ)サンチョ(エイキム・タミロフ)

2002El caballero Don Quijote”『エル・カバジェロ・ドン・キホーテ』スペイン、119

監督マヌエル・グティエレス・アラゴン、キホーテ(フアン・ルイス・ガジャルド)サンチョ(カルロス・イグレシアス)ドゥルシネーア(マルタ・エトゥラ)

本作の記事はコチラ2015619

 

     自分の中のドン・キホーテを刺激する

 

A: 上記の作品は記憶に残った作品の一部、1回見ただけでは全容はつかめず、かつて見たことのある映像が出ると、「ああ、『オーソン・ウェルズのドン・キホーテ』だ、ラファエル・ヒルの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』だ」と部分的に分かるだけでした。なにしろ40作近い作品を詰め込んでいるから目まぐるしいことおびただしい。

B: 子供向けに作られたアニメやギニョールの数もかなりありました。クロージングのクレジットに採用した作品のタイトル、製作年、監督名が列挙されていたので、DVDを再見すれば正確な情報が得られます。

 

A: 上記のように『機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(1605)正編(前編)刊行400周年記念行事の一環として企画された。だから商業映画として製作されたものではなく、DVDのコピーも2000部、半分が世界各国にあるセルバンテス協会支部用に、残りが公共図書館などに寄贈されたようです。商業用でないので国際映画データベースIMDbから情報を入手することができませんでした。

B: 今回の上映もそのDVDで上映されたはず。

 

   (ロベルト・ガバルドンの「ドン・キホーテ」カンティンフラスとフェルナン≂ゴメス)

 

A: ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」は、以前参加した映画講座で教材として上映されたのを見ました。

B: ラファエル・ヒルはセルバンテス文化センターで上映したばかり、マヌエル・グティエレス・アラゴン作品は、5月の「ドン・キホーテの視点映画上映会」で英語字幕で上映されたようです。

A: グティエレス・アラゴン監督は1991年にTVミニシリーズで原作の正編(前編)を撮っている。これはそれに続く続編(後編)として企画された。キホーテにフアン・ルイス・ガジャルド、ドゥルシネーアにマルタ・エトゥラ、公爵夫人にエンマ・スアレスなど現在活躍中の俳優が出演している。 

   ゲオルク・ヴィルヘルム・パブストの「ドン・キホーテ」F・シャリアピン

 

B: ガジャルドは残念ながら2012年に鬼籍入りしてしまっています。

A: イネス・パリスの“Miguel y William”(2007)でミゲル・デ・セルバンテスに扮した。セルバンテスとシェイクスピアが同じ女性に恋してしまうロマンティック・コメディ。カルロス・サウラの『タンゴ』にも出演していたが、結構重要な役だったのにカタログでさえ無視されてしまった()

B: アレックス・デ・ラ・イグレシアの『刺さった男』(2011)が遺作になるのかな。

 

         (カルロス・イグレシアスとフアン・ルイス・ガジャルド)

 

A: オーソン・ウェールズの「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」は、ウェールズが最後まで監督できず(1985没)ダイアローグを執筆したヘスス・フランコが引き継いで1992年に完成させた。フランシスコ・レイゲーラ(キホーテ)もエイキム・タミロフ(サンチョ)も故人でしたから、アーカイブ・フッテージ使用です。主従ボイスをペペ・メディアビジャとフアン・カルロス・オルドネスが担当した。 

                     (「オーソン・ウェールズのドン・キホーテ」)

 

B: まだ旧ソ連時代にグリゴーリ・コージンツェフが「ドン・キホーテ」を撮っていた。

A: 彼はシェイクスピアの『リア王』や『ハムレット』を撮った監督、これは日本でも公開されたからオールドファンには懐かしい名前です。「ドン・キホーテ」はやはりというか、未公開です。

B: エリック・ロメールがTVドキュメンタリーを撮っていたなんて。

A: それぞれ自分の中のドン・キホーテ像をもっていて刺激されるのでしょう。ピーター・オトゥールと言えば『アラビアのロレンス』ですが、コメディも得意としたからキホーテ役は意外じゃない。スペインのフェルナンド・フェルナン≂ゴメスのキホーテも何度かスクリーンに登場した。実際は40作以上撮られていて、ここに登場したのもその一部というわけです。今後も作られつづけるでしょう。

 

     テリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」

 

A: キホーテ映画に執念を燃やし続けている監督の一人がテリー・ギリアム。20009月にクランクインした「ドンキホーテを殺した男」は諸般の事情で未完に終わった。事情とは、ロケ地が洪水という災害に見舞われ撮影機材が損害を受け、ロケ地の景観も変わってしまった。おまけにキホーテ役のジャン・ロシュフォールが椎間板ヘルニアの持病持ちで、それが悪化して馬に乗れなくなった。

B: 彼は姿かたちがキホーテにそっくり、乗馬も得意でキホーテ役にはもってこい、英語も一生懸命ベンキョウして準備していたのでした。今度は7度目の挑戦とか。

 

        (撮影中のジャン・ロシュフォールとギリアム監督、2000

 

A: この不運続きの顛末をドキュメンタリーにしたのが『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(2002)です。その損害額1500万ドルを保険会社が支払ったわけです。

B: それでも夢醒めやらず、またぞろジョン・ハートをキホーテ役に撮るそうですが。リンチの『エレファント・マン』、ハリポタのオリバンダー老人役、英語はできるから()改めて勉強の必要はない。

A: お蔵入りした前作の脚本は保険会社が所有していて、リベンジにはその関係もあるのかしら。来年初めにクランクインする予定ですが、最近の報道によるとハートに膵臓癌が見つかって目下治療中、そうなるとどうなるのでしょう。難しい癌だし、トビー役のジョニー・デップも断ったそうだし。

B: 病に勝って再びスクリーンで馬上のキホーテ姿を見られたらと思います。スペイン以外の俳優のキホーテ役は多くないですからね。


                   

スペイン語映画はコンペにゼロ*カンヌ映画祭2015 ①2015年05月16日 12:44

        何とも寂しいスペイン語映画「開店休業」

 

★何回見直してもスペイン語映画はコンペに見当たらない()。メキシコの監督マイケル・フランコの第3作“Chronic”は、残念ながら言語は英語です。第2作『父の秘密』が劇場公開され、当ブログでもアップしたが20131120)、今回はどうしたものか思案中。スペインのメディアも「カンヌのカルティエが武装した4人の強盗団に襲われる。損害額は1750万ユーロ」などと映画祭とは直接関係のないニュースを伝えている。円に換算するといくらになるか考えるのも面倒だと八つ当たり。 


★今年は513日から24日まで。第68回カンヌ映画祭のポスターは、2015年生誕100周年を迎えるイングリッド・バーグマンに捧げられている。撮影はポーランド生れ、米国籍の写真家デヴィッド・シーモア(ダヴィド・シミン191156)が撮ったもの。第二次中東戦争(スエズ危機のほうが通りがよいか)の取材中スエズ運河で銃弾に倒れた戦場の写真家。バーグマンとは親しい友人関係、管理人の記憶が正しければ恋人同士だった。彼女がロッセリーニの元に走ったあとも一家のポートレートを専属に撮っていた。かつての銀幕の女王と戦場に散った写真家へのオマージュが込められているのだろうか。シンプルで近年にない出色の出来栄えじゃないか。「ある視点」部門の審査員長を務める娘イザベラ・ロッセリーニは「大女優のママと一緒に赤絨毯を歩いて感無量」と語っている。つまり会場と言わず通りと言わずママのポスターだらけだからです。

 

       (審査委員長のコーエン兄弟、左が兄ジョエル、弟イーサン)

 

★スペイン語映画はゼロでも審査員にはギジェルモ・デル・トロ監督、女優のロッシ・デ・パルマの名前があった。デル・トロは背広を新調しなければならなかった。「どうしてかって? 減量に失敗して前のが着られなかったからさ」と。ロッシ・デ・パルマは来年にはアルモドバル監督と一緒に来カンヌかな。新作“Silencio”に出演、こちらはクランクイン前から2016318日公開が決定している。因縁めくがバーグマンの孫娘とは大学で知り合ったという。凄い美人だったが映画には興味がなかったようです。

 

         (左から、ギレンホール、デル・トロ、イーサン・コーエン)

 

★審査員長はジョエル&イーサン・コーエン兄弟、2007年からカンヌの総指揮をしているティエリー・フレモーから打診があったとき、「一度にまとめて世界の良作が見られるなんて、何とラッキーなんだ、と兄弟一致して引き受けた」と兄。二人は審査員を二つのグループに分けて議論する予定だそうです。まだ先の話ですが、ジョエル・コーエンの奥さんというか、『ファーゴ』の妊娠8カ月のガンダーソン署長役フランシス・マクドーマンドが、サンセバスチャン映画祭の審査員として来西するようです。

 

★二つに分けられる審査員には他に、俳優のシエラ・ミラーソフィー・マルソー、ジェイク・ギレンホール、作曲家のロキア・トラオル(マリ共和国出身、パリ在住)、監督枠としてグザヴィエ・ドランの名前もあったのには(!)。以上で分かるように何とも異質な船頭さんの審査員団、デル・トロとドランだなんて「船頭多くして舟、山に登」らなければいいけど。ジェイク・ギレンホールの父親はバーグマンと同じスウェーデン出身、「彼女とウチの家族が何か繋がりがあればよかったのにぃ」だそうです。

 

           (ロッシ・デ・パルマ、ソフィー・マルソー)

 

アルモドバル新作“Silencio”の記事はコチラ⇒2015315日/45

 

★カンヌは映画を見るのではなくビジネスが目的でやってくる世界最大の映画マーケット。スペイン語映画はなくても、自作の売り込み、新作のプロモーションと大賑わい。スペインからはナチョ・ビガロンドが次回作のColossalの宣伝に馳せつけている。ヒロインはアン・ハサウェイ、ということは『ブラック・ハッカー』同様、主要言語は英語かな。

 


★次はパブロ・ラライン、ベルリン映画祭の審査員賞グランプリを受賞したEl Clubのプロモーションと、次回作Nerudaの売り込みにやってきている。前者はベルリン映画祭2015で紹介済み2015222)、新作はチリのノーベル賞詩人パブロ・ネルーダの1946年から1948年の間に焦点を絞った伝記映画。キャストはネルーダにルイス・グネッコ1962年サンチャゴ生れ)、ネルーダを追いまわす刑事にガエル・ガルシア・ベルナル、二人ともNOに出演している。撮影は6月の予定。他にフェルナンド・レオンも現地入りしておりますが、「監督賞間」で触れます。(写真上はネルーダ)

イサベル・コイシェの新作*ベルリン映画祭2015 ③2015年03月01日 18:50

         オープニング作品だったコイシェの新作

★昨年のような目玉作品がなかったせいか、金熊賞のジャファル・パナピの“Taxi”が頭ひとつ出ていただけでチャンスは誰にもあった。テレンス・マリックの“Knight of Cups”の前評判はイマイチだったらしく、それでも主催者からオープニングを打診されたとき「とても名誉なことだけれど、しかし・・・」と、コイシェ監督は躊躇したそうです。結局主催者はマリックを選ばなかった。ベルリナーレのディレクター、ディータ・コスリックDieter/Kossilick は、「極限状況におかれた二人の女性の迫力ある直観的な物語」が気に入ったようです。

 


Nobody Wants the Night(西語題“Nadie quiere la noche2015、西≂仏≂ブルガリア、118分、撮影地ブルガリア、ノルウェー、カナリア諸島のテネリフェ)は、結果的には無冠に終わりましたが、コイシェ監督はここ毎年新作を発表している。言語は英語だがAnother Me2013、“Mi otro yo”)、昨年のトロント映画祭出品のLearning to drive2014、資金難に喘ぐスペインの監督としては珍しいことです。やはりバルセロナを離れてニューヨークに居を定めたことが、人的交流にも恵まれ創作意欲も刺激しているようです。残念ながら新作もイヌイット語を含む英語映画です。1909年、初めて北極点に到達したと言われるアメリカの探検家ロバート・ピアリーの妻ジョゼフィーンにジュリエット・ビノシュ、イヌイット女性アラカに菊池凛子、ロバートにガブリエル・バーンが扮する。監督によると「実在した人物が主人公ですが、物語はフィクション、文明とは何か、野蛮とは何かが語られる」、ということは極めて今日的なテーマとも言えます。 

    (イサベル・コイシェとジュリエット・ビノシュ、ベルリン映画祭にて)

 

★初の極点到達を目指している夫ロバート・ピアリーを追って、アメリカからグリーンランドへ旅立ったジョゼフィーンの物語。ロバートは妻と娘をワシントンに残して極点到達の探検に出掛けた。留守がちの夫の帰りを待つだけの暮らしにウンザリしていたジョゼフィーンは、初到達を夫と共有しようとグリーンランドを目指すことにする。イヌイットの女性アラカの助けを借りて夫の後を追う。

 

★ロバート・ピアリーはイヌイット女性との間に二人の子供があり、この女性の導きで極点に向かったと言われている。裕福なブルジョア階級に属し、教養の高い女性だったジョゼフィーンは、食べるのがやっとの一般庶民が夫の探検を軽蔑していると感じていた。しかし極点初到達は、現在では真偽のほどが疑問視されている、いや否定されているようだが、本作においてはあまり関係ないようだ。何故なら彼らにとって重要なことは栄光、初到達はどうでもよいことだったからだ。

 

        (ジョゼフィーン・ディウベッツチ・ピアリー 18631955

 

コイシェ監督談4年前にミゲル・バロスから脚本を受け取り、とても興奮した。アメリカの多くの女優に声を掛けたが「素晴らしい役柄で気に入ったわ、だけど撮影条件に対応するのは難しい」と次々に断られた。結局「ジュリエットのようなぶっ飛んだ女優でないとやれないと分かったの」と監督。「テント小屋の暖房は灯油ストーブでも文句を言わない、プラスチックの袋に用を足せる強靭さがないと務まらない。更にある種の高揚感や本質を見抜ける力がある女優でなければ」というわけです。

 

★広大な北極で迷ってしまったジョゼフィーンをロバートは救出に行かなかった。彼にとって気がかりなのは極点に早く到達すること、そしてその偉業を喧伝することだった。後に妻は見せかけの人生を送ることになるのだが、ワシントンに戻ってから夫がどんな人間だったかを思い知る。「そのとき本当の北極の夜が始まった。悲しいけれどこれが現実」と監督。つまりタイトルに繋がる。名声と栄光を求めるだけの偽りの芸術家夫婦は、周りにたくさんいるとも。

 

               (ジョゼフィーンとロバート)

 

★ジョゼフィーンと冬を過ごすアラカについて、「その無垢さ、しなやかなインテリジェンス、高貴さに打たれる。若いけれど無知ではない」。グリーンランドで撮影中、イヌイットの素晴らしい女性と大いに語り合った。その識者の高祖母(ひいお祖母さんの母)がアラカの姉妹の一人だったという。スクリーンの最後に出てくるようです。キャストについてはジュリエットは言うまでもなく大いに満足している由、新婚ほやほやの凛子さん、良かったですね。

 

          (ジョゼフィーン役のビノシュとアラカ役の菊池凛子)

 

ジュリエット・ビノシュ談:凍てつくようなノルウェーでの撮影を思い出して、「実際のところ、撮影の3日間は凍えそうだった。残りは6月のテネリフェのスタジオで、毛皮にくるまって撮影した」。6月のテネリフェは暑いから相当過酷な仕事だったことが想像できます。「演技とは感覚的なもので知的な仕事ではない」、頭脳労働じゃない。「この映画は七面鳥であることを止めて犬に変身しようとした女性の物語」だそうです()

 

★コイシェ監督近況、現在3本の脚本を抱えている。その一つが英国のペネロペ・フィッツジェラルドのブッカー賞受賞作“The Bookshop”(1978、“La libreria”)の映画化。ニューヨーク市ブルックリン区のマンションに戻って執筆中。他にダーウィンの玄孫を主人公にした脚本をマシュー・チャップマンと執筆している。ニューヨークも寒いが「鼻がもげそうなほど寒かった」ノルウェーに比べればなんてことはないですね。「どこに住んでいようが、気分がいいときも悪いときもある・・・不安定な綱渡りのロープに立っていると感じることもあるが、必要があればウズベキスタンでもモンゴルでも行きます」、「ハイ、スタート、カット」と言いながら死にたい。

 

共同脚本家マシュー・チャップマン1950年ケンブリッジ生れ、監督・脚本家・製作者。1980年代にアメリカに渡り、ロスに10年余り暮らした後ニューヨークへ。『殺しに熱いテキーラを』(1986脚本)、『ニューオーリンズ・トライアル』(2003共同脚本)、話題となった心理サスペンス『ザ・レッジ 12時の死刑台』(2011監督・脚本・製作)など。

 

*関連記事:管理人覚え

◎“Another Me”(英西、英語)については2014727

◎トロント映画祭2014「スペシャル・プレゼンテーション」部門“Learning to drive
 (
米国、英語2014813 


パトリシオ・グスマン脚本賞受賞*ベルリン映画祭2015 ②2015年02月26日 18:18

         El botón de nácar”を受賞

★アカデミー賞の結果発表でベルリン映画祭のことなどかき消されてしまいました。今年のTV視聴率は昨年より一気に約14%ほど下がった。作品賞受賞作のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』でさえ全米規模では未公開らしく、独立系の地味な作品が多かったことが数字に現れてしまった。英語映画ですが『アモーレス・ペロス』で世界の注目を集めたメキシコ出身の監督ということ、下馬評通り『イーダ』が受賞した外国語映画賞ノミネーションの“Relatos salvajes”のダミアン・シフロン(アルゼンチン)の動静なども含めていずれアップしたい。

 


★さて、パトリシオ・グスマンのドキュメンタリーEl botón de nácar(“The Pearl Button”)が脚本賞を受賞しています。チリ、フランス、スペイン合作、スペイン語、2015年、82分、公開はフランスの10月が決まっている。チリ人による植民地時代のジェノサイドとピノチェト政権時代のマタンサを告発するドキュメンタリー。1973911日、もう一つの「911」と言われるピノチェトの軍事クーデタもテーマの一つ。前半は北のアタカマ砂漠、後半は永久凍土のパタゴニア地方、ピノチェトに虐殺された犠牲者の遺体の痕跡がある場所です。彼らのプロフィールが次々に語られていく。タイトルの「真珠貝のボタン」はメタファーのようで、先住民が買われてイギリスで教育されるために受け取った真珠貝のボタン、もう一つは海底から見つかった貝殻付きのレール、これはピノチェトが犠牲者を海に放り込む前に浮き上がってこないよう体を縛りつけたレール。前作Nostalgia de la luz”で始まったチリ人の地理学的彷徨はEl botón de nácar”において閉じられる。 

      (銀熊脚本賞のトロフィーを手にした監督とプロデューサーの監督夫人)

 

★アタカマ砂漠は標高が高く空気が乾燥しているので天文観測には適している。従って世界の天文台が設置されていることでも有名、日本のなんてん天文台、ヨーロッパのパラナル天文台などが建っている。樹木も小鳥も生息できないが、砂漠の下には多くの犠牲者が眠っている。天文台では星の歴史が観測できるが、地下にはチリの悲惨な歴史が掘り起こされるのを待っている。チリの人々の健忘症と無関心が問われているドキュメンタリー。グスマンはずっとチリの社会政治問題に拘って撮りつづけている監督。「チリは先の大戦には参戦しなかったが、大量虐殺はした」と監督。前回ご紹介したパブロ・ララインの大先輩ですが、ドラマでなく多くがドキュメンタリー。

「ドキュメンタリー映画を持たない国は家族写真のない家族のようなもの」が持論。

 

パトリシオ・グスマン1941年サンティアゴ生れ、監督、脚本家、フィルム編集、撮影、俳優。1965年短編“Viva la libertad”(18分)でデビュー、短編を毎年1作ずつ撮りつづけ、長編三部作La batalla de Chile19757679)を撮る。軍事クーデタでアジェンデ政権が崩壊するまでを描く。アジェンデとピノチェト両政権を体験した映画監督。他の代表作“En nombre de Dios”(1987)、“El caso Pinochet”(2001)、“Salvador Allende”(2004)、2010年のNostalgia de la luzなど、すべてドキュメンタリーです。現在はプロヂューサーのRenate Sachse夫人とパリ在住。 

                   (受賞作El botón de nácarを撮影中の監督)

 

★評価の高かった前作“Nostalgia de la luz”は受賞作と主題がダブっています。「私のテーマは過去にある」と語る監督。これは2010年にカンヌ、トロント、サンセバスチャン、サンパウロ、リオデジャネイロ、ビアリッツ、ポートランドなど、2011年からは香港、サンフランシスコ、テッサロニキなど数多くのの映画祭で上映されている。フランス、ドイツ、米国、イギリス、スペイン、イタリアでは公開されたが、肝心のチリでは今もって未公開。「国営テレビも共同出資しているが未だに放映なし、その気もないようだ」とグスマン監督。ピノチェトはかつて「ずっと昔の話じゃないか」とうそぶいていたが、軍事独裁時代はそんなに昔のことではない。チリ国民の記憶、時間、宇宙についての詩的で哲学的な熟考をうながすドキュメンタリー。静かなナレーション、犠牲者の家族、特に妻や姉妹の言葉に感動する。

 

   (“Nostalgia de la luz”のポスター、中央の男性は遺骨を探し続ける家族)

 

ラテンアメリカ映画が評価された年だった

アルフレッド・バウアー賞にグアテマラのハイロ・ブスタマンテIxcanal(“Ixcanal Volcano”)が受賞と、今回はラテンアメリカの受賞が目立ちました。日本から現地に飛んだ関係者からも「今年は優れた作品が多かった」と中南米映画を評価する声が聞かれた。この賞は若手監督が受賞することが多いのだが、昨年は91歳のアラン・レネの『愛して飲んで歌って』が「常に刷新的で新しい境地を開拓している」として受賞した。受賞後まもない31日パリで死去、結局これが遺作となった。